梅雨も明けて猛暑という表現がぴったりな日が続いております。 皆様いかがお過ごしでしょうか
前回良縁のお話をかいて今回は悪縁についてお話をするはずでしたが 最近立て続けに子育てと親御様についてのご相談が続きました。 そしてこの季節になると思い出す私自身の経験についてをお話してみたいと思いましたので、2回にわけて書いていこうと思います。
今回は子育てについてのお話になります。 AYAを引き継いで二十数年以上経過しましたが、私は私自身のお話をダイアリーはもちろん相談者様に対してお話したことはありません。 何故なら”先生はできるかもしれないけど私には出来ません”とか”それは先生だからでしょ”という色眼鏡のような前置きが皆様にアドバイスを届かなくさせてしまうと思ったからでした。 恐らく今回と次回はお話をしますが…今後も自分の経験を皆様にお伝えすることはないかと思います。
私は『子育て』は『己育て(自分を育てる)』だと思っております。
今でこそ成人して大学院で研究をしている息子ですが、小学校(幼稚園もですね)では本当に毎日毎日担任の先生からお電話をいただくような子供でした。 よく言えば個性的悪く言えば問題児だったと思います。 担任の先生から電話がある度に「どうしてうちの子はこんななんだろう」と本当に悩みました。 何とか落ち着いてくれないかと…週末ごとにお弁当をつくってあちこちの公園に家族で出かけて行きましたし、本人が興味があった事の博物館などにもあちこちでかけました。けれども一向に落ち着く様子はありませんでした。
そしてこの季節によく思い出す”ある出来事”がありました。 確かあれは息子が小学校3,4年のころの夏休みの事でした。 夏休みの間だけは毎朝一緒に散歩をしようと思い、早朝5時ころに家族で毎朝散歩をしていた時のことです。 夏休みや冬休みなどの長い休みの期間は、いつも以上に多忙になりましたが担任の先生からの「聞いてくださいお母様」から始まる気が重い電話がないのでその点ではいつもより気は楽でしたが”どうしたら普通になってくれるのだろう”という悩みはいつも私の気持ちに影を落としていました。
朝の散歩が始まってしばらくしたときに 息子が「お母さん見て?太陽の光があたってキラキラと光ってすごく綺麗だね」といいました。 前をみてみると田んぼの稲の葉のさきについた水滴がきらきらと光って本当に美しかったのです。散歩をしていてもいつも考え事をしている私は前をみずに足元ばかりみていました…息子にいわれて見上げた先には本当に綺麗な眺めがありました。 でもそれよりも私は「稲の葉の先についた水滴が綺麗だと感じることができる感受性は誰かから教えられて得られるものではない。お金で買えるものでもない。どうして私は彼を否定することばなり考えていたんだろう」と気が付いた時に、大袈裟でなく…光が、一筋の光が私の目の前に差したように感じました。
もちろんそれ以降も彼は困った君でしたが…それも今となってはいい思い出です。
子育ては己育てです。子供を通して自分も成長していくものです。 人を育てていくのですから本当に様々なことがあって当たり前なのです。
霊的に見たときにこの世に親と子として存在しているのは、深い意味があってのことです。(伝えてよい範囲でのお話になりますが) 貴方が前世で積み上げた業を今生で償却するのに一番適した魂を自分で選んでこの世に生まれてきているのです。 今生で償却できなければまた来世に持ち越しです。 そして貴方に乗り越えられる問題しか起きてはきません。 貴方には逃げることなく、前をむいて進んでほしいと心から願います。
杏珠
2024年06月30日(日) |
良縁とは(良縁と悪縁) |
梅雨に入り毎日蒸し暑い日が続いております。 皆様いかがお過ごしでしょうか
今回から2回にわたり良縁と悪縁についてお話していきたいと思います。
今回はまず良縁についてのお話になります... 「良縁のお相手」ときいて貴方はどのような方をイメージしますか? まずほとんどの人がイメージなさるのは “高学歴““高収入“等の所謂、良い条件の方ではないでしょうか。 しかしこれは霊的な意味でいう良縁の方とは全く異なります。
霊的な意味でいう良縁のお相手とは... ※お互いが切磋琢磨できる ※毎日一緒にいても苦にならない ※人生において同じ方向を向いて一緒に前に進んでいける
このような方が良縁のお相手となりますが、以前六明師にお話を伺った際に仰っておられましたが、今生においての良縁の相手は人生を通して3人存在するということでした。 しかし良縁のお相手と出会うタイミングが訪れるのと重なって「試し」のように良縁ではない方が現れることが多いため、出会うはずだった相手と出会うことなくすれ違ってしまったり... 良縁の相手と出会ったとしても“自分の好みではない“と感じてしまい、違う選択をして、他の人とお付き合いをしたりして良縁の相手を逃してしまったりすることがあるのです。
実際、相談者の方のお話になりますが、知り合いの方からのお見合い話があり 「杏珠先生この方との相性はどうでしょうか?」とご相談があった際に 相性はよいと視えておりますよとお伝えしたら(良縁のお相手ですとお話するのは私どもでは控えます。何故ならば良縁ですとつたえることによって先が変わってしまったりする危険性があるために)。 「でも先生この人は好みのタイプではありません」というのが最初の言葉でした。私がその方にお伝えしたアドバイスは「同郷のお友達という関係からはじめてみては如何ですか?」でした。 その人は私のアドバイスに対して不満があったと思いますが... お友達として付き合い始めましたとご連絡がありました。 結局それから十数年が経った現在、そのお二人は素敵なご夫婦です。
「どうやったら良縁かそうでないかを見分けることができますか?」という質問をよくいただきますが、一言でいえば“尊敬できるかどうか“になります。
以前何かで読んだ学説ですが...夫婦という関係でのお話ですが、『恋愛感情』にかかわるホルモンは約二年で体内で生成される事がほぼなくなってしまうそうです。 ではその後、夫婦という関係をうまくつづけている人にみられるホルモンは『尊敬』という感情が関係するホルモンだということでした。
私が皆様にお伝えしたい事は 「自分自身が努力をしたり自分磨きをすることをしないで、楽をしてつきあえるお相手に“良縁の相手はいない“という事です。 お互いに切磋琢磨できる方や同じ方向をみて一緒に歩んでいける方と出会いたい、一緒に歩んでいきたいと思うのであれば、そのかたと並んで歩けるような貴方になるようにご自身で努力や自分磨きをすることです。 自分磨きに年齢は関係ありませんし、良縁の方と出会うことも年齢は関係ないと思います。
次回は悪縁についてお話をいたしますね。
杏珠
『心のめざめ』
自分はこれでよいのだろうか
こんな自分ではだめだと
自分で気がついたときが
あなたの心のめざめです
自分は悪くないと
思っていたら
それ以上のよい人には
なれません
これではいけない
まだまだだめだと思えば
もっとよい人間に
なれるのです
藤本 幸邦(曹洞宗 和尚)
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誰でもそうなのですが、自分が間違っていることは認めたくないものです。 仕事等でよくない結果しか得られなかったとき... 申し訳ありませんでしたと謝罪をしながらも 「私は悪くないのに」という思いが心の中にあるかぎりは 成長はないでしょう。 自分は悪くない、ではなく 私はどうしたらよかったのだろうかと省みれる自分でありたいと 私はいつも思っています。
皆様によくお伝えすることなのですが、一日の終わりに “今日一日の自分の心の在り方を省みましょう“と私はお話をいたします。 これは家事でいそがしいかた、仕事が忙しい方、病気をしているかた、悩みで心が折れそうになっているかた、どのようなかたでもほんの数分でよいので、 今日の自分の心の在り方を省みることをなさっていただきたいと思います。 「ああ、あれはよくなかった」「こうしたらよかったのに」という気づきこそが、明日からの貴方をかえていくのですから...
杏珠
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