てくてくミーハー道場
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2008年07月05日(土) |
『かもめ』(赤坂ACTシアター) |
(2008年7月18日深夜記す)
キャストがホリプロ主体の「王道」だし、なんかイヤな(こら)予感はしていたのだが、演出が、例の『ロマンス』の栗山民也。
ひょっとしてひょっとするかな? と淡い期待をして出かけたのだが、・・・やっぱり「王道」(良くない意味で)だった(−−;)
まぁ、図らずも“正統派”(←この形容詞の意味は、コチラの記事をご参照)な『かもめ』を観てしまったわけです。( ̄□ ̄;)エッ? で、でも・・・
そうでございます。そんなん実は“正統”じゃない! というのが『ロマンス』の主張だったにも拘らず、であります。
一言で申し上げて、実に重っくるしいチェーホフ作品でした。
いや、笑える部分がなかったわけではないのよ。
でもなんだろう、その笑える部分って、厳格な親戚の伯父にお盆に帰ったとき挨拶に行って、「上がっていきなさい」「ビールでも飲むか?」とか言われて、うわー肩こる・・・と思いつつもお酌してたら、ほろ酔いのせいか、それとも年とって丸くなったのか、伯父が「ぽそっ」と意外にも面白いこと言って、「ははは・・・(力のない笑い)」みたいな、そんな感じ(ヒドい感想ですねておどるさん)
だってね、ホントそうだった。ぼくにとっては。
別に、劇団☆新感線の舞台みたいに笑いたいわけじゃないので、別にいいんだけど。
それに、笑えなかったからダメな舞台だったとは言ってない。
ぼくのドひいき役者、藤原竜也と麻実れいの初タッグ、というのもあったし、それに実力派の面々が絡んでくるので、重っくるしいながらも、ずんずんと引き込まれていったのも事実だったし。
ただ、あの『ロマンス』を演出した栗山民也が演出する『かもめ』が、これなの? という、ちょっとダマされたような(こらこらこら!)感じがしただけだ。
役者についてだが、「翻訳劇」独特のセリフ回しを、まるで「普段からこうやってしゃべってます!」ぐらいの勢いで“自分の言葉として”しゃべってる麻実を始め、鹿賀丈史、それから中嶋しゅう、藤木孝などの面々には、もう、感心するほかなし。
特に、中嶋の「いかにもベテラン新劇俳優」といった声の渋さにはヤラれた。ドルン医師ってキャラは、一人達観して他の登場人物たちを俯瞰から見ているような感じがある。その感じに、その声がぴったりはまってる。
そのドルンに密かに言い寄るポリーナの藤田弓子。そうか、ポリーナって、実は「くずれた色気の熟女」じゃなくて、一見害のなさそうな(おい)おばちゃんなんだ。そういうおばちゃんがこうやって恋に突き進むから、危険な香りになるんだ、と分かった。
この辺の方たち、さすがであった。
で、さりげに今名前の出なかった若い女優二人だが、決して悪かったのではなく、むしろ、特筆したい。
まず、今回パンフを見て「なんでトレープレフ(藤原)の名前が最初に出てるの? 『かもめ』の主役って、ニーナじゃないの? タツヤオタ寄せ?(黙れ)」とぼくは思ってしまったのですが、そのニーナを演った美波。
やっぱそうじゃん、ニーナが主人公なんじゃん。
そう思わせました。
うーん、美波、すごし(*´-`)
実は彼女の舞台を観るのは、今回が初めてではなく(『エレンディラ』は見逃したが)、2005年に上演された『贋作・罪と罰』で智(主人公・三条英の妹)を演じていたのが、この美波だったのだそうです。
「だそうです」と書いたぐらい、ぼくは(この芝居、ちゃんと観たのに)全然知らないでいた。つまり、誰が智を演じたか、全く記憶に残っていなかった。
すまんこってす。
だが去年、テレビドラマ化された『有閑倶楽部』を視て、「うーむ、“たった一人だけ”原作のイメージどおりのキャラがいる」と思った。その“たった一人”が、剣菱悠理こと美波だったのであります。
だから、その実力は遅ればせながらも認めていたのだ。
そして今回、このニーナを観て、その実力は本物だったと再確認した次第。
実のところ、前回(1999年)『かもめ』を観た時には、ラストどうしてトレープレフが自殺すんだろう? いや確かに岡本健一のトレープレフは、のっけから自殺しそうな神経質さマンマンではあったけど(コラ)・・・と、チェーホフがトレープレフに託した役割が、今イチつかめないでいたのだ。
でも、今回の『かもめ』の第四幕を観て、「あーこれはトレープレフ、死ぬわ」と、すんなり分かった。
藤原竜也が“いつもの”(今回はこのフレーズ、褒め言葉として使いません)憑衣芝居でどんどん「絶望」方面に突き進んでいく様子は相変わらず見応えがあったが、それを「一人で突っ走ってる」感じじゃなく、ちゃんとそのトレープレフを(意識的にではないのだが)ニーナが追いつめてる、と伝わってくる二人のぶつかり合いが、すごかった。
楽しみな女優を、また一人めっけてしまいました(*^^*)
続いて、マーシャ=小島聖
観てて、すっごくイライラした(爆)
マーシャという女そのものが、イライラするんです。ぼくには。
なんつーか、はっきり言ってしまうと恥ずかしいんだけど、「田舎に生まれて、平凡な人生しかありえない女なんだけど、そこそこ美人に育ってしまい、ちょっと人よりも頭も良い(根拠なく、周りの人間がバカに思える)んじゃない? と自分で思ってる女」──それがマーシャ。
そして、それが、どうも昔(田舎にいた頃)のぼく自身に似ている(「そこそこ美人」てとこで笑うの禁止!)・・・だからイラつくんだろうなぁ。
「私の人生はもう終わってるの。これは、私自身の喪に服しているの」とか言って、毎日黒い服着てる・・・イタくてとほほな女ですわな。
実は最初、ぼくは小島自身にイライラしてるのかと思ってた。
なんか、セリフがすべってるというか、最初の方に書いたような、「いつもこうやってしゃべってます」のスゴい役者陣に比べて、小島だけが「私、セリフをしゃべってます」って風にしゃべってたので。
でも、それがマーシャなのだ、と判ったら、今度はすごくぞっとした。
好きなトレープレフには全く相手にされず、バカにしきってるメドベジェンコと結婚して、不幸を全身に背負ってるような顔してるけど、それを選んだのはアンタでしょうが、と。
この悪態は、ぼく自身に向けられた悪態なのだ(いや決してつれあいがどうとかでは・・・もごもご)つまりアレですよ、けっこうどんな女性でもちょっと抱いてる「本当のアタシは、こうじゃないのよ」というシンデレラ・コンプレックスっての? いつか王子様が。いつか誰かが。私の魅力ないし才能を見つけてくれる・・・みたいな。あ、これは女性に限らないな。
ただ、これは演出への文句なのだけど、マーシャがコカイン中毒っていうのは・・・なんだか、過激すぎる気がした。アル中で充分じゃん(どっちが本当に過激なのかは知りませんが)
あと、メドベジェンコ役のたかお鷹が、そぉーんなにみんなにバカにされるほど「冴えない男」になってなかった(人の良さそうなおじさんにしか見えなかった)ので、マーシャが必要以上に性格悪く見えた。
あれじゃ「年寄りだから」いやがってるみたいじゃん。
メドベジェンコは、もっと若くて、でも、なんか存在自体がウザい男って方が、台本に合ってるんじゃないかと思うんだが。
と、長々と書いてまいりました。
このように、哲学的に分析するには充分に“重厚な”『かもめ』でございました(皮肉?)
・・・でもな、この感想、だいぶ日にちが経ってるから書けたのであって、正直、観劇当日は「・・・失敗したかな?」と思っていたと告白してしまいましょう。
ことに、観に行った目的その1の藤原竜也に対して、
「この人って、寺山修司でも、三島由紀夫でも、シェイクスピアでも、チェーホフでも、同じ芝居なんだなぁ」(ただし基本、とにかく上手いんだけど)
と思ったことが大きく印象に残った。
がっかりしたようでいて、全然そうではないんだが。
それより、舞台ではこうして次々に伝説を残していくのに、なぜ出る映画出る映画、(『デスノート』は別として)怪作(こらっ)ばっかなんだろう?
そっちの方がやけに気になる竜也フリークなのであった(^^ゞどうする?『カメレオン』(←だからヤメなさいって/汗)
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