DiaryINDEX|過去の日記
私が生観戦した心に残る凄い試合第4弾です。2002年12月7日に東京ドームで行われたK-1 WORLD GP 2002 準々決勝で行われたアーネスト・ホーストvsボブ・サップです。この2人の戦いは約2ヶ月まえのGP1回戦で行われました。その時はボブ・サップ選手が大番狂わせを起しアーネスト・ホースト選手に1ラウンド終了時TKOで勝利をおさめました。なのでこの試合はアーネスト・ホースト選手のリベンジ戦と言う事になります。私は格闘技はやはり圧倒的になら身体の大きい方が強いと思っています。圧倒的な体力差の前では技術は通用しないと思っています。よく大山倍達総裁が力の中に技があると言っていましたが、力がなければ技は使えません。なので圧倒的に体格差と体力差があれば圧倒的に技術があったとしても負ける事があると私は思っています。だから私は体重制限のあるボクシングやキックボクシングではなく極真空手を選びましたし、力を付ける事や身体を大きくする為に食べて食べてウエイトトレーニングをして力を付けて身体を大きくしたのです。ですが私も当時は素人に毛が生えたボブ・サップ選手にミスターパーフェクトや精密機械と言われた技術力の塊であるアーネスト・ホースト選手が負けた事はとてもとてもショックでした。本当に圧倒的な体格差と体力差の前にはアーネスト・ホースト選手ほど完成された技術力を持っていても通用しないのか?その答えを見たい気持で東京ドームに足を運びました。1ラウンドにアーネスト・ホースト選手がボディブローでボブ・サップ選手からダウンを奪ったものの、結果は2ラウンドでボブ・サップ選手がKO勝ちをしました。私はアーネスト・ホースト選手がボブ・サップ選手に負けるのを見て呆然としました。やはり圧倒的な体格や体力を持つものが強いと言う事を思い知らされました。東京ドームから帰る時は本当にがっかりして帰りました。何故そんなにがっかりしたのかと言うと、このあとボブ・サップ選手が次の試合を棄権した事によりアーネスト・ホースト選手が決勝戦に出場となりました。そしてなんとなんと逆のブロックから決勝進出したジェロム・レ・バンナ選手に勝ってアーネスト・ホースト選手が優勝してしまったのです。ボブ・サップ選手に1回戦と準々決勝で2回負けたアーネスト・ホースト選手がジェロム・レ・バンナ選手に勝ってしまったのです。もう何とも後味の悪い大会でした。でもそれだけに心にも大きく残りました。
私が生観戦した心に残る凄い試合第4弾です。1993年4月30日に代々木第一体育館でフジテレビ主催のLIVEUFO内で行われた。記念すべきK-1グランプリ第1回目のイベントK-1 GRAND PRIX '93で行われた。当時立ち技最強と言われたモーリス・スミス選手と数カ月前に18歳の若さでそのモーリス・スミス選手を破ったピーター・アーツ選手を1回戦で破って上がって来たアーネスト・ホースト選手との準決勝戦のモーリス・スミスvsアーネスト・ホーストです。試合中ずっと主導権を握りモーリス・スミス選手をコントロールしていたアーネスト・ホースト選手が右のハイキックで失神KO勝ちでした。時代の流れが変わる瞬間を目にした事に興奮しました。この時のアーネスト・ホースト選手はとても凄いことをしたのですが、馬鹿みたいにはしゃいで喜ぶ事もなく相手に対しても尊敬と感謝の気持を感じました。私は極真会館に属していましたが、これは正道会館とK-1のブームが来るなと思いました。ですがやはりその頃のK-1はヘビー級の化物の闘いという感じでした。私は無差別の闘いに興味があり極真空手を始めたのですが、やはり感覚的に拳での顔面への攻撃がある競技では自分より身長が10センチも20センチも高く体重が20キロも30キロも多い外国人選手には勝てないどころか殺されてしまうと感じたのだと思います。プロレス同様やはり自分とは違う次元にいる怪物のような人達の闘いに感じていたのだと思います。なので日本人としてK-1で戦っていた佐竹雅昭選手や武蔵選手などの日本人選手は本当に凄いと思って見ていました。
私が生観戦した凄かった試合の第3弾です。東京体育館で1991年11月4日に行われた第5回全世界空手道選手権大会最終日の4回戦で行われたアンディ・フグvsフランシスコ・フィリョです。4年前の世界大会で外国人初の決勝戦進出者で準優勝したアンディ・フグ選手と20歳の新鋭ながら前日の3回戦外舘慎一選手との試合をカカト落としで1本勝ちしたフランシスコ・フィリョ選手の試合は試合前からとても良い試合になるのではないか?とワクワクしていました。驚いたのはアンディ・フグ選手のカカト落としを蹴ってきた足に前蹴りのカウンターをとっていた事、何度もアンディ・フグ選手の顔をブラジリアンキックがかすめていたこと、試合の主導権をずっとフランシスコ・フィリョ選手が握っていた事です。そして延長2回で左上段回し蹴りでアンディ・フグ選手を倒し、フランシスコ・フィリョ選手が1本勝ちしたのは衝撃でした。歳も私と2歳しか変わらない選手があのアンディ・フグ選手を倒したのです。私はその試合を見て、自分はかなり出遅れている、自分も頑張らないといけないと本気で思いました。あの衝撃は今でも心に残っています。
私が生観戦をした凄かった試合シリーズ第2弾です。THE WARS '93、1993年7月8日に後楽園ホールで行われた市原海樹vsヤン・ロムルダーです。市原海樹選手は大道塾の選手です。大道塾は極真会館の全日本空手道選手権で優勝された東孝師範の団体です。なので極真空手の選手同様に大道塾の選手からもたくさん影響を受けました。その市原海樹選手がキックボクシングルールでオランダの強豪ヤン・ロムルダーと対戦しました。たぶん身長は10センチぐらいは市原海樹選手の方が小さかったと思います。普段のルールとは違う不慣れなキックボクシングルールに挑む市原海樹選手はとてもカッコ良かったです。入場時に入場曲を流す事を拒否し、入場曲無しで入場して来た市原海樹選手に武士道の精神を見せられました。ヤン・ロムルダー選手はキックボクシングの強豪なのに対し、市原海樹選手はキックボクシングの試合は2戦目なので、この試合も市原海樹選手が勝つのは難しいだろうと思いながら応援していました。市原海樹選手は身長差もあるためかなり苦戦していましたしダウンも先に取られてしまいました。そこから粘りに粘って大逆転の5ラウンドKO勝利でした。私は勝手に大道塾の選手も極真魂を持っていると思って見ていたので、市原海樹選手が勝った時に極真魂は混戦に強いんだ!と思いました。現在のUFCがアルテミット大会と言われ素手素足金的攻撃頭突きありだった時代に日本人で初めて出場しホイス・グレイシーに負け、インタビューに答えることもなく雑誌にも出ることもなく、そのまま格闘技界から去って行きました。その去り方にも武士道を感じます。私は今でも市原海樹選手を尊敬しています。
私が会場で見た格闘技の試合で凄かったと思う試合を書きたいと思います。K-1 CHALLENGE 1994年3月4日に日本武道館で行われたアンディ・フグvsブランコ・シカティックです。この試合はキックボクシング3戦目のアンディ・フグがこの前年に行われた第1回K-1グランプリチャンピオンのブランコ・シカティックに挑むという無謀な試合に思われましたが、なんとなんとアンディ・フグが勝ってしまったと言う試合でした。日本武道館に凄い歓声があがりました。1ラウンドの序盤ででアンディがダウンを奪われた時は「あ〜あ、やっぱりそうだよな〜!」と思いましたが、アンディが根性で大逆転しカカト落としや左フックが入るたびに私は立ち上がって歓声を上げていました。グローブを付けて顔面ありの極真の試合を見ているような感じの試合でした。極真の選手は根性比べなら絶対に負けないんだと思いました。アンディ・フグの勝利が極真空手の勝利のように思いました。たぶん私が本当にファンと言うか格闘技の素人のような気持で観客の1部になって大声を出して、格闘技の試合を観戦したのはあれが最後なんじゃないか?と思います。あの試合を生で観れた事は本当に幸せでした。諦めない精神と言う物のカッコ良さと素晴らしさと大切さを見せてもらいました。自分とは全然タイプは違う選手ですが、アンディ・フグ選手みたいになりたいと思って稽古していた時期が有りました。因みに私の極真でのデビュー戦はカカト落としで1本勝ちでした。
次男はあと少しで妻の身長を追い越しそうです。長男は私の身長をだいぶ前に追い越しました。私が帰宅した時に長男がいたので「まだ背は伸びてるか?」と聞いたら、長男は「伸びてると思うよ」と言うので、2人で並んでみたら、前よりさらに長男の方が私よりも背が高くなっていました。このまま伸びて行けば、180センチぐらいにはなりそうです。でも腕ずもうは長男も次男も妻にも勝てません。おそらく2人とも私には一生勝てないだろうと思います。そして私の1番得意な喧嘩だけは絶対に2人に抜かれたくないので、これからもしっかり身体を鍛えて精進したいと思います。
今日で7月も半分が終わろうとしています。15日なので鷲神社へ参拝し、大森道場の神棚の榊と酒と米と塩と水を替えて掃除をし7月後半も無事に過ごせる事を祈願しました。6月から始めた掃除の仕事も順調です。1日のペースや1週間のペースがだんだんと身に付いて来ました。今週末からは忙しくなるので気合いを入れて頑張ろうと思います。
「国宝」の下巻を読んでいます。映画とはまた違う感じでとても面白いです。映画では、ほとんど出て来なかった徳次や、映画には出て来なかった弁天や赤城洋子や荒風とのエピソードや映画出演のエピソードなどが好きです。
妻と次男と3人で川崎のTOHOシネマズに「スーパーマン」を観に行きました。小さい子がスーパーマンに助けを求めていて、そしてスーパーマンが助けに現れた時の小さい子の顔がとても良いです。困っている人を助けに現れたスーパーマンを見る時のあの喜ぶ顔が、私が小さい頃に強くなりたいと思った原点だと思います。強ければ人を助けてあげる事が出来ます。それは力だけではなく技術や能力や資格もそうだと思います。疲れている人がタクシーを待っていたら、タクシーの運転手はスーパーマンだし、病気で困っている人には医者がスーパーマンだし、警察も弁護士も司法書士も税理士もみんなスーパーマンになり得るのだと思います。自分の持っている力で困っている人を助けてあげられたらスーパーマンなのだと思います。
7月もあと少しで半ばです。最近は有難い事に仕事も忙しく、読みたい本もたくさんあります。今は「国宝」の上巻を読んでいます。国宝の下巻を読み終わったら、その次は細田昌志著「力道山未亡人」を読みたいと思います。その後は吉田修一作品を読み漁ろうと思っています。
kanno
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