夏。 独りでかんかん照りのアスファルトを歩いていると、不意に自分が自分の足音だけを聞いて歩いているということに気づく。 それはまるで、「音」と呼ばれるものが足音以外全て遠のいてしまって、自分の回りの空間には自分の足音という「音」だけで見たされてしまったかのようだ。 自分という殻の中で、アスファルトからの振動が響きあって、妙に空虚な音になって、響く。自分の中で。
それと同じ事が、蝉の声でもおこる。 あまりに圧倒的な蝉の声に包まれると、すべての聴覚が蝉の声に奪われて、私の周りには蝉の声しかなくなる。そして、日差しの熱気も、なにもかもがどこかへいってしまい、ただ蝉の涼しげな声だけが響き木霊する。 ……蝉の声はどう聴いたって涼しげだ、と思う。 なのに今まで賛同の声を聞いた事はない。
この、たったひとつの音だけに聴覚が集中してしまう感覚は、夏だけのものだ。 きっと暑さに呆けているんだろう。 けれど、それはほんのすこし、気持ちのいい瞬間でもある。 私は今、夏を歩いているんだ、とそう思うから。
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