空中楼閣

2002年01月29日(火) 涙と向き合う。

泣いた記憶はあるんだ。
余りに数少ない事だから覚えてる。
約、年に一度、あるかないか。

声をあげて日々を泣いてすごした。
母親から切り離された乳飲み子。
すぐに、声をあげて泣く事をやめた。
そして泣く事自体を切り離した。
泣いたら負けだと誰かは言った。
勝ち負けには、こだわらなかった。
泣かないから褒められるわけでもないし、
泣いたから殴られたりするわけでもなかった。
ただ、泣かない方が良かったから。
だから泣く事をやめた。

そして泣く事を忘れた。
泣き方を忘れた。

「今泣き方を思い出したら、
 きっと僕は、泣くだろう。
 もし、叫び方を思い出したら、
 おそらく僕は、泣き叫ぶだろう。」
そう思った事が何度もあって。
しかし泣き方が甦らない。

そうしている内に、泣きたいと思う事すら無くなった。
「泣きそうだ」という単語を乱用して。
でも普通に笑えてる。
泣きたい・という感情は嘘だ。
この感情はとても薄っぺらな物になってしまった。

だが、それでも己の涙に問いかけ続ける。
同じ様な話題は、常にそこにある。
どうして?何故?

本当は泣きたいんじゃないのだろうか。
泣けない自分・泣きたい自分。
忘れたくないから?
忘れて欲しくないから?

・・・・・駄目だ。
ここまで考えたのに涙なんて出てこない。

もう何年も流れていない涙はどこへ?
溢れる事も無く、苦しくも無い。
それはきっと、イイコトじゃないんだろうな。


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亨 [MAIL]

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