泣いた記憶はあるんだ。 余りに数少ない事だから覚えてる。 約、年に一度、あるかないか。
声をあげて日々を泣いてすごした。 母親から切り離された乳飲み子。 すぐに、声をあげて泣く事をやめた。 そして泣く事自体を切り離した。 泣いたら負けだと誰かは言った。 勝ち負けには、こだわらなかった。 泣かないから褒められるわけでもないし、 泣いたから殴られたりするわけでもなかった。 ただ、泣かない方が良かったから。 だから泣く事をやめた。
そして泣く事を忘れた。 泣き方を忘れた。
「今泣き方を思い出したら、 きっと僕は、泣くだろう。 もし、叫び方を思い出したら、 おそらく僕は、泣き叫ぶだろう。」 そう思った事が何度もあって。 しかし泣き方が甦らない。
そうしている内に、泣きたいと思う事すら無くなった。 「泣きそうだ」という単語を乱用して。 でも普通に笑えてる。 泣きたい・という感情は嘘だ。 この感情はとても薄っぺらな物になってしまった。
だが、それでも己の涙に問いかけ続ける。 同じ様な話題は、常にそこにある。 どうして?何故?
本当は泣きたいんじゃないのだろうか。 泣けない自分・泣きたい自分。 忘れたくないから? 忘れて欲しくないから?
・・・・・駄目だ。 ここまで考えたのに涙なんて出てこない。
もう何年も流れていない涙はどこへ? 溢れる事も無く、苦しくも無い。 それはきっと、イイコトじゃないんだろうな。
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