FayeBlue
目次☆過去☆未来
最近私は詩やエッセイを見る機会が増えた。 昔からそういうのは好きだったけど、アメリカ来てからは その機会がめっきり減ったんだよね。
最近見るその詩やエッセイは本に載ってるものでもなく 有名なものでもない。 友達が書いたものだったり、 知らない人のHPに載せてるものだったりする。
先日友達の一人が自分が書いた詩を見せてくれた。 その時「何気に私も昔かいてたんだよぉ~」なんて 話していたら、「今度FAYEさんも書いて見せて下さいよ。」 ってその友達が言ったのだ。
その日の夜私は一人でゆっくりできたので、 その事を何となく考えてた。 「そういえばいつから書くの止めたんだっけなぁ」なんて ことから考え始めてしまった。
あれは中学生の頃だったかなぁ。 昔私はよく日記をつけてた。 その日にあった事とか思った事とか 好きな人のこととか。(これが主だったね) その日記の終わりにいつも少しだけ詩を書いてた。 周りの友達には恥ずかしくて書いてる事なんて言えなかった。 でもある日なんでかは忘れたけど、友達(今となっては親友)の 一人との交換日記の中に私は自分の詩を書いたのだ。 笑われるかなぁ~なんて思ってたけど、 その子は逆に詩を書いてきてくれたのだ。 それからよく詩の交換日記みたいなのになったなぁ。
今から考えると中学生の頃が一番色々な事に敏感だったり 沢山の事を感じてたり、考えてたんだろうなぁと思う。 感動屋さんだったんだろう。 それを自分なりの言葉で置き換えて また違った大切な物として覚えておきたかったんだろうと思う。
けっこうロマンチストだったのかなぁ? 私は小さい頃から自分の事を表現するのが苦手だった。 特に言葉にして言うのが苦手だった。 恥ずかしかったんだと思う。 それを言葉に置き換えて、書いて伝える もしくはただ自分の中にとっておくのが好きだったんだろうね。
それを考えた。 詩とかを書くのって、ある意味感動とか感じる心がないと できないものだと思う。 私はいつの間にかその心をどこかに置いてきてしまったみたい。 違う友達にも書いてみれば?って言われた時 本気で書いてみようとも思ったけど、書けなかったのだ。
ただただ過ぎてく毎日の中で私は何も感じず ホントだただた生きてたみたい。 その日その時の事で精一杯でゆっくり感じることを 忘れていたみたい。 悲しくなった。 何か大切なもの失したみたいで。
この情報世代の中、物凄い勢いで新しいものや情報が 入り交ざって、それについて行くのに精一杯。 ちょっとゆっくり立ち止まってみたくなった。 また昔みたく感動屋さんになりたくなった。 時間と周りだけにとらわれたくない。 そう思った。 また書けたら書いてみようと思った。
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