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2025年07月05日(土) 生きた証を

私は高校1年生の夏前に退学になりました。その時は人生が終わったと思い絶望しました。自分が悪い事をしたのですが、社会はこんなに厳しいのか?と思いました。そして働いたら、さらにさらに社会の厳しさと労働を厳しさを感じさせられました。何のために1日のほとんどの時間を働くのだろう?住むため食べるためだとしたら、働かなくては生きていけません。でもそれだけのためにこんなにつまらない事を毎日毎日やって四苦八苦して歳をとって行くのか?とも思いました。だったら生きている事に意味はあるのか?人間って何のために行きてるんだ?そもそも何のために生まれて来たんだ?と思いました。生きていくために毎日こんなにつまらないのなら生きていく意味はないんじゃないか?と思いました。どうせ1回は死ななければいけないのであれば今死んでも同じなんじゃないか?本気でそう思いました。でも本気で死のうと思えば思うほど、死ぬ事が怖くなりました。自分は一生懸命に生きる事も出来なく、死ぬ事すら出来ないんだと思いました。そんな時に出会った言葉が「カルペディエム」「たとえ明日世界が滅びようとも今日、僕はりんごの木を植える」でした。私はお金のためだけに働くのは嫌です。働くのなら自分が成長したいし楽しみたいです。そうじゃなきゃ時間が勿体ないと思います。どんな仕事をしていてもその瞬間を一生懸命に過ごして自分を成長させていきたいです。死ぬまでには自分の生きた証を残したいと思っています。


kanno

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