「生きていくのに大切なこと」こころの日記
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2015年10月02日(金) アブノーマルさ

先日「人間性」のクラスで「普通と言われる人と普通でないと言われる人」について講義がありました。クラスでは、多様性のあるこのアメリカでも、普通である事の条件の殆どはあるデーターの平均値によって決められている事を知りました。それから、多くの人々は普通であるよりも普通でないと言われる方を好むけれど、普通でないその範囲はあくまで普通から少し超えている程度であり、普通から大きく逸脱しているような状態を人々は好まないということでした。
私は自分の事を思いました。私は折に触れて「普通でない」と言われます。その事に違和感はありませんし、普通でない事はいい事だとさえ感じています。しかしそれでも時々、「こんな風にするとあまりにおかしい」と世間でいう普通の程度と比較している事が稀にあると気付きました。どんな時も基準にするのは私の気持ちなのですからそんな時の私は少し本来の生き方から少しずれているのです。そして、気づいたところから修正していくのが私が自分にしてあげられる仕事の一つです。

ところで、授業の一環として、自分の思うアブノーマル(普通ではない)と言われている人を二人挙げるというグループディスカッションがありました。私は一人目に日本人の乙武さんをあげました。彼は手足のない状態で生まれた自分を丸ごと楽しんでおり、そんな彼の生き方を綴った彼の著書は日本に古くからある、乙武君のような体の構造を持った人々を障害者と呼び特別視していた日本の固定観念を変えたと思います。(私も心の事を勉強する以前には、彼のような人々を特別視していた時期がありました)

二人目には私自身の名前を挙げました。理由は、私自身の物事の捉え方と現在暮らしている状況は、通常日本やアメリカで暮らす同年代の女性の状況や考え方とは異なる、と思うからです。ちなみに、一般に人々が思う50代の女性は家庭を持ち家族を手伝っている。仕事を持っているということです。話の話題としては主に家族の事、両親の事、仕事の話、健康障害や加齢に伴う体の変化などだと思います。ところが私の場合は、家族ではなく友人と外国で暮らし、語る話題は自然の事や心の事、健康の事。将来何をしたいかなどなどが基本になっています。将来できれば英語で本を書きたいという夢も持っていますし、そのために今外国で英語を勉強しています。それから、自給自足の生活がしたいとか心を語れる友達をもっと作りたいとか、これからしてみたい事を挙げると後を尽きません。

クラスメイトの殆どは、アブノーマルな人として、功績をあげたりや何かで世界で有名になっている人を挙げました。私は功績はありませんし、有名でもありません。しかし私は、アブノーマルである事と優秀さや有名度は無関係であっていいはず、と自分の名前とともに付け加えました。そして基本は、世間から見てアブノーマルであるかどうかという事よりも、私は自分のために何を求めているか、自分にどうしてあげたいか、によると思います。


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