乳がんのしこり発見から一ヶ月。 朝からふわふわとした感覚がある。めまいがしてまっすぐ歩けない。 薬の副作用にしては飲み始めて3日経つ。 夜になってひどくなったので看護婦さんを呼ぶ。血圧・脈拍も異常なし。 貧血かもしれないので横になる。頭をつけていたら大丈夫のよう。 入院生活はとにかく「考える時間」が多い。 ささいな思い出ばかりが頭に浮かぶ。 塾の先生を辞める時、頂いた陶器のおひなさまのこと。 近所に住んでいるおとなしいママ仲間のこと。
あんまり考えすぎて時間があることが カエッテ悲しくなってきて、泣いていたりする。
忙しくしている人達をとても妬ましく思ってしまう。 今日はとってもそんな気持ち。 旦那様が楽しく飲み会の話をしたりするから、 タイミング悪いから、いじけて怒ったのだ。 このめまいもこっちから来ているものだったりして。
菌ちゃんに感染していることが分かった。大変だ。 なのでガーゼ交換も1番最後。やっぱり私が菌ちゃんの親玉を飼っているわけだ。 これが他の人にうつったら「院内感染!?」になるわけだ。 なるほど。ガンと闘う前にダウンだなんて嫌だ。 風邪はひかんようにと言われている。 肺炎になったりするのだって。こわい。
まだ傷口見てない。やっぱり恐い。 視界に入る範囲で「あー平らやなあ」とは思うのだけれど (どうせおっぱい作ってもらえるなら、できてから見ようかなあ)と思っている。 看護婦さんは「ちょっとずつ見ていて下さいね」って言う。 もうちょっとしたらね。
看護婦さんや友達には何とも思わないのだが、お見舞いに来ている おしゃれな若い女の人を見るとものすごく腹が立ったりする。 嫉妬なのだろう。 (この人はおっぱいちゃんとあるのね、とか自由に元気に歩けていいね、とか 長生きできるのでしょ、とか)あーみにくい心。 こんな思いを卒業できる日が来るのだろうか。
さっきテレビで海外でも活躍しているモデルさんが言っていた。 「トップになるって思っていた」なりたい、じゃなくてなるって。 そしてちゃんと実現している。この気持ちって大切だと思った。
今の私は「したい」だ。「する」じゃない。
私の今の悩みを解決してくれる目標は「おばあちゃんになること」 そう全てはこれだ。 おばあちゃんになれば、優生の結婚式だって見られるし、 旦那様と老後を過ごせる。
父や母より先に死ぬことはない。 よし私はおばあちゃんになる!!
まだ肩身はなさずにSBバッグを抱えている。 早い人は4日で取れるのに。
このSBバッグは、手術をした場所から出る汚いものを体外に出すために、 右の脇の下から出ているドレーンとつながっている。 むき出しで持って歩くにはあまりにもグロテスクなので、 病院側で布製の可愛い和風の袋に入れてくれている。 トイレなどにはこれを首から下げて歩くのだ。
私は再建のためのバッグを胸に入れているためか感染を起こし、 人よりも長いつき合いになっているのだね。痛みの方はだいぶいい。 横になっている方が痛むので、昼間は起きている。
夜中に見た夢。変な夢見てしまった。 多分高校だと思うけど、そのいくつかの教室に暖房設備を置かなくてはと活動する。 そこには懐かしい人達がいっぱい。元彼も何故か女装で出てきた(笑) 乳がんのことを話すと泣いてくれた。後ろには奥さんになった人。 その後、大きな窓があるロビーのような場所へ。 窓からは真っ青な空。見ていると空から何か大きな物が落ちてくる。 そしてこっちに向かって大きなミサイル(?)が。 もうだめだって思って、横にいた女の人につかまる。 明るい大きな光に包まれながら、横にある小さな光につかまって (一緒に・・・一つに・・・・) でもはじかれて、一つになれなかった。 淡い青い光の中を小さい珠になってものすごい速さで流れた。
次の瞬間、目の前に緑が広がる。私は珠のまま漂う。 (私は人にはなれなかったの?) そこは大学のキャンパスだった。 掲示物で「平成5年」だって分かった。
それでおしまい。 きっと毎日「生と死」とかを大げさに考えてしまっているから、 こんな<生まれ変わり>みたいな夢を見るのだろう。
夜もう一つ夢を見た。これもまた現実からかけ離れた世界で、 街の主要な建物が破壊されていく夢。 ベランダから見ていたら遠い所で火柱があがっていた。 何本も。目の前の建物が爆発して、残骸が飛んできた。やばい。 幸いガラスの破片が降ってきただけだった。
家には小学生の弟と2人。他の家族は無事なの? あちこちで人々の混乱する声が聞こえる。火柱もまだいくつも。 お隣の若い夫婦の所へ行く。この人達は何も知らず夜ご飯を食べていた。 そこへ「ピンポーン」チャイムが鳴る。 除き穴から母の姿が。無事だったのだ!ほっとした。
そしたら突然母が包丁を壁の向こうから突き刺す。 嘘やろ?!慌ててドアを開けると母が「刺された刺された」と叫ぶ。 どこにも刺された後なんかないよ。 そしたら母がこんなこと言った。 くっくっくっ。
「タコウインナーが刺したのよ」
冗談みたいだけどこれでおしまい。 見た夢で分かったのは(一人で死にたくない)って思っていることと, そしてまだ笑えるらしいってこと(笑)
昨夜は久しぶりに熱が出なかった。良かった。 しかしトイレに立ったら寝られなくなって5時から起きていた。 今日は優生来られないかなあ。。電話で優生は来られないと聞いた。 ちょっとへこんだ。やっぱり会いたい。 早く退院して家に帰りたい。剛くんと優生のそばにいたいよ。 病院にある本を読んでみた。「超吸収アガリクス」についての本。 アガリクスにもいろいろあるらしい。 ネットで調べてみると結構高い。 やっぱり高い方が効くのだろうか。
世の中命もお金かあ。ふとそんな悲しいことを考えた。 母には私が病気になってお金ますます苦労かけているのだろう。ごめん。 保険が入ったら返すから。ごめん。 ああ今回ばかりは本当にお金がほしい。 お金があったらガンも治る?なんてね。
いやいやお金なくたってガン治してみせる! 貧乏でもガンが治るっていう本書いてやるさ(笑)
今日突然剛くんがやってきた。全然知らなかったから嬉しかった。 会社の人が気を利かせてくれて休ませてくれたみたい。ありがとう。
今日剛くんと話していて不安になった。 自分が長く生きられないのかもって。優生の顔見たら泣けてきた。 インターネットで調べて自分のガンはステージⅢbだろうなって思ったら 急に頭がポーっとしてきて、手先がしびれてきた。 倒れるって思った。やばい。 すぐ剛くんに電話。仕事中だった。やばいやばい。
そこへタイミング良くリハビリの先生がやってきた。 よかった。話はほとんど覚えてないけど・・・少し落ち着いた。
鏡で自分の顔を見る。メガネで変な顔。 家から持ってきた今年の年賀状を手に取る。 笑っている剛くんと優生の顔。頑張らなくちゃ。 2人のためにも。応援してくれているたくさんの人達のためにも。
夜テレビを見て大笑いした。 傷が痛いくらい。これだけ笑えたら大丈夫.
手術の日。今日で右のおっぱいともさようならする。 さようなら。さようなら。 個室から回復室と呼ばれる部屋に移り、剃毛や点滴をして時間が経つのを待った。 右胸にマジックペンで印をつけられる。この部分がなくなるのか。
その間にお見舞いの人がいっぱい来てくれた。 親戚、友人。みんなの顔を見ると泣きそうだ。 遠くは長崎・佐賀から大学時代の友人が来てくれた。ありがとう。
14時に手術室へ。皆が「がんばっておいで」と声をかけてくれる。 エレベーターにはだんな様が一緒に乗ってきてくれたよ。 BGMがタイタニックの主題歌が流れているものだから、余計に泣きそうだった。 もっと明るい曲にしてほしいな。
手術室に入ると、手術の説明をしに来てくれた女の人が声をかけてくれた。少しほっとした。 手足をがっちりと固定され、緑の服をしたマスク人間たちに囲まれているとちょっと怖い。 天井には目玉のようなライトライトライト。 いろんな処置をして、麻酔のマスクをあてられてからは覚えていない。
気づいたら回復室。みんないた。麻酔が切れてくると痛い痛い。 体を少しも動かすことができない。鉄板が胸に入っているような感覚。 今まで感じたことのない痛み。痛み止めの注射を何度も打ってもらった。 朝まで座薬や注射で乗り越える。痛い。痛い。
夜は母が付いていてくれた。 隣のベッドでいびきかいていて笑っちゃった。 疲れていたのだね。ごめんね、ありがとう。
今日から病院へ入院する。明日は手術だ。 剛くんがついてきてくれた。 まだ家族がついていてくれたときには安心していたのだが、 1人になると不安が押し寄せてくる。
明日の手術で私のおっぱいはナクナル。 まだ実感は湧かない。 私はもとが見てくれを全く気にしない主義(?)だったために 「おしゃれ」という文字からはかけ離れた暮らしをしてきた。 胸は大きいと昔から言われていたが、 それが逆にコンプレックスになっていた時期もあったので あまり胸に執着はなかった。
しかし、今、私の胸は「優生に母乳をあげるための」おっぱいになっていた。 6月に優生を生んでからずっと母乳を上げてきた。 しかしミルクもあげていたので、先生から「母乳を中断してください」 と言われたときもそこまで困らなかったが、気持は辛いものがあった。 優生におっぱいをあげる瞬間は、母の喜びをかみしめるひと時だった。 それがもうあげられない。 おそらく治療も始まるので私が元気になる頃には、 優生は乳離れしているだろう。ごめんね、優生。
私が病気になることで我慢させることがたくさんあるだろう。 入院も1ヵ月近くなるみたいだし、その間抱っこしてあげることもできない。 ごめんね、優生。お母さん、がんばってくるからね。 家を出るとき、優生を思い切り抱きしめてから出てきた。
部屋は個室にした。 大部屋と迷ったのだが、 術後に自分が人と話せるか自信がなかった。 1人になっているところへ、まず手術室の看護婦さんが見えて、明日の説明をしてくれた。 手術の手順がわかり少しほっとした。 また別の看護婦さんは術後始まるリハビリについての説明に来てくれた。 ありがとう。いよいよだな。
手術前の検査はたくさんあった。 本当は入院してから行うものがほとんどだが、 私は子どもが小さいということで、通院で検査を終らせた。
まずは内科の先生に診てもらう。 気になることと言えば、島で1ヵ月くらい前に お腹の右下の激痛で病院に運ばれたことがあった。 結局外科の先生に診てもらい「盲腸の疑い」という結果。 その旨を伝えるが、問題なし。
血液検査、尿検査。肺活量・心電図。高校生の頃の健康診断を思い出す。 肺活量の検査で「スポーツしていないですね」と言われた。はい、運動不足です。
術前の検査で一番心配だったのが「肺」「肝臓」「骨」の検査。 リンパに転移があることは超音波などでわかっている。 ネットで調べると、乳がんは骨に転移しやすいらしい。
「骨シンチ」という検査を初めて受けた。 鉄板の上に横になるだけで終った。 右胸のMRIも。うつぶせになっておっぱいを型にはめて、身動きがとれない。 音楽が鳴っているはずだったが、「ゴーゴー」という音で聞こえなかった。 しかし検査室が霊安室と同じ階にあるのはどうかと思う。 あの暗くてヒンヤリした空間は嫌でも悪いことを考えてしまう。
検査の結果を聞く日は、剛くんの両親が来てくれた。 私が検査している間、優生の初節句の張子の虎を買いに行ってくれた。 アガリクスも買ってきてくれた。ありがとうございます。 1人で検査の結果を聞きに行く。診察室に呼ばれる。 優しそうな先生が微笑んでいる。
「検査の結果ね、見させてもらったけどね。 リンパ以外の転移はなさそうだね。肺も肝臓も骨もきれいだったよ」 ああ、良かった。遠隔転移はなかった。 その旨を家族に伝える。喜んでくれた。よかった、、、よかった。 あとは入院と手術。がんばってこよう。
まだ「乳がん」告知されたことを現実のように 受け入れられていない気がする。
友人達に電話をしまくって、乳がんだったことを伝えた。 みんな驚いている。言葉を探すのに困っているようだったので、 あまり長くは語らなかった。
午前中、昨日の病院へ。剛くんと2人で話を聞きにいく。 昨日と同じ説明を受け、剛くんは「治るなら胸を全部取るほうがいいです」と言った。 先生に「伯母から紹介された病院へ行きたい」と伝えた。 自分の体のことなので遠慮している場合ではないのだ。 少し気を悪くされたようだったが、承諾してくれた。 しかし検査内容の貸し出しはしてくださらなかった。
午後からもうひとつの病院へ。 入るとそこはホテルのロビーのような明るさだった。 ソファー1つにしてもおしゃれ。受付に名前を書いて待つ。
2階にある診察室に呼ばれ、先生に会う。 優しそうな先生。これまでの経緯を説明して、視診と触診。 もう一度検査のやり直しだ。前の先生は紹介状しかくれなかった。
超音波とマンモグラフィー。 同じ内容の検査だったが、すべて女性による検査だったので気持ちも違う。
お昼を食べているときに、剛くんがこんなことを言った。 「さっき置いてあった本にステージってのがあって、 それが5だったら末期なのだって。 綾ちゃんのは5だって昨日言ってなかった?」 そういえば昨日告知されたときに、がんが「レベル5」だと言われていた気がする。 え???私はもう末期なの??
結果を聞きに行く。 やはり右の乳房にはいくつもしこりがあるらしく、 脇の下のリンパにも転移の可能性が大きいので全切除になるらしい。 (やっぱりだめか)そんな気持ちが伝わったのか、 先生が「右胸の1/4にしこりが集中しているみたいなので そこだけ取る方法が可能かを調べてみますか?」 可能性が少しでもあるならと返答。 剛くんは全部取った方が安心といった。明日から手術前の検査が始まる。
念のため細胞診もする。 超音波をしながら胸を取ることよりもショックを受けていたことを聞いてみる。 「もう赤ちゃんは作れないですか?」 「それは一昔前の話であって妊娠出産は可能です。 ただがんばって産んでもお母さんが小さい頃になくなる可能性を考えたら すすめられないという社会的理由だけですよ」
2人目をと考えていたところだったので、可能性はゼロじゃないとうれしくなった!
そしてさっき剛くんが言っていた「レベル5」「末期」の話を聞いた。 先生が説明してくれた。 私が「5」と言われたのは、ガンの悪性度なのだそうだ。 これが「5」だということで、100%取った細胞が ガン細胞だということを表しているらしい。 「末期」とかいうものは「ステージ」と呼ばれる。 私の場合はまだリンパ節にいくつ転移しているかわからないので 病理の結果が出てから説明がある。
また乳房再建の話も聞いた。 ここでは同時再建をしてくれるそう。 生理食塩水を入れる方法で、1年後くらいに福岡で中のバッグを 入れ替える手術をしてそこで乳首も作ってくれるらしい。 そっか無くなっても作ればいいのだ。
この病院に来て本当によかった。 実はそれまでお先真っ暗のように感じていたものが、 ぱーーーっと明るくなった。
市内の大きな病院の外科へ紹介状を持っていく。 外科の「乳腺外科」と書かれた部屋へ。気持ち程度にドアが1枚あった。 優しそうな年配の先生が視診をする。胸を見せるのは少し恥ずかしい。 「右の乳首が少し横を向いていますね」と言った。 触診の後、胸のしこりの細胞を注射で取る。 大きな注射だった気がしたのだが、あっという間のことで痛みも少しで終わる。 注射の前だったか後だったか、 取った細胞を研究材料として使ってもいいという許可書にサインをした。 研究材料などといわれると、自分の今取った細胞は がん細胞だと決められたような気がした。 結果が出る間に別の検査室で超音波検査を受ける。 暗がりの中で検査の人の手がしょっちゅう止まるので 画面を見てみると大きなしこりの他にも小さなしこりがたくさんある。 「それ、できものですか?」と聞くと 「あちこちあるねーなんでだろうね」との答え。
その時は(やっぱり乳腺にお乳がたまっているのだ)と思った。 しこりがいっぱいあるわけない。
そしてマンモグラフィーという乳房のレントゲン。 おっぱいをビヨーンと伸ばされて機械にはさんで押しつぶして 乳腺内のしこりまで見る検査。これが痛かった!はさまれる瞬間は思わず声が出た。 おまけに検査はオトコの人だし、まだ授乳中だからおっぱい出るし勘弁してほしかった。 配慮がほしい。すべての検査が終わってお昼からの結果を待つ。 私のこのときの気持ちは(小さな小さなガンでそこだけ取る手術だったら保険金も出るしいいな。 中途半端な病気だったらお金かかるだけで嫌やなあ)という軽い気持ちだった。
お昼を院内のレストランで食べたあと、約束の時間に病室へ。 待合室で母と「どきどきするなあ」と話をする。 名前を呼ばれる。「お母さんも一緒に」優生と3人で中へ。 先生が「坊やはいくつ?」と優しくたずねる。 私の目を見ない先生。母に向かって話しをする。
「細胞診の結果、悪いものだったのです」すまなそうに言う先生。 一息ついて「リンパにも転移している可能性があるので、 若いからかわいそうだけど右のおっぱいを全部取ることになると思います」と言った。 (え?おっぱいを全部?) 予想もしていなかった結果にとまどう私。
母を見るとショックを隠せない様子。笑っている優生。 「右側に大きなしこりがあり、リンパの硬さからいって 転移の可能性が高いので全部摘出になる」という結論。
正直ショッキングな事実だった。 20代の乳がんは稀だし今は乳房を全部切除する手術は少なくなってきていると思っていた。 自分がガンになるなんて思いもしなかった。 でもこれが現実。 先生からの告知が終わると、母は優生にミルクをあげるために部屋を出た。
1人になると頭がぼーっとして手先がしびれてくる。 何も考えられない感じ。 先生は「手術と入院の予定を決めましょう」と言った。 私は「主人にも話を聞いてもらいたい。明日島から来ますので、説明をお願いします」と伝えた。
そこへ看護婦さんがやってきて、入院の際に持ってくるものや スケジュールを淡々と説明し始めた。はっきり言って何も頭に入らない。 まだ血が全身に巡りきっていない感覚で、頭もぽーっとしている。 あとから思えばだが(そのときは余裕なんてない)告知っていうのは もう少し心細やかに行われるべきものじゃないか。 看護婦さんからは「大丈夫?」の一言もなく、 最後に「まあ今は気が動転しているでしょうから、 これ読んでおいてください」と言って、紙切れ1枚を渡されただけだ。
部屋を出るときに、ふうーっと一息吐いて外に出る。
すぐに母が父に電話する。そして私も剛くんに電話。 仕事中だった彼にガン告知のことを伝える。ショックを受けた様子。 そして明日の朝1番で島から来てくれると言ってくれた。 電話が終わって外に出ると、母とさっきの看護婦さんが話をしていた。 「娘さんのことですからね。お辛いでしょうが、がんばってください」 そんな言葉が聞こえてきた。
病院を出るとこれでもかというくらいにいい天気。不思議だ。 ここにたった今ガンだと告知された人間がいて、 でも世の中は何一つ変わらず動いていて太陽だってこんなに降り注いでいる。 帰りの車の中、落ち込んでいる母を励ますために精一杯笑った。 そうしているほうが自分の気持ちが落ち着いた。 みんなのためにもガンバラなくちゃ
告知された夜、1人になる時間があって考えた。 ネットで「乳がん」を検索してみると、いろんな病院で診てもらったほうがいいとのことだった。 いわゆるセカンドオピニオンというやつ。 友達や親戚からすすめられた乳腺科がある病院に早速電話。 診療時間がとうに過ぎた病院には、警備の方がいただけだった。 私はその方に胸のうちを語った。 「今日乳がんだと言われたのだけれど、納得がいかない。 なのでそちらで診てほしい。お願いします」。 しかし、その方は受付の方でもなく看護婦さんでもなく、 警備の方だったので困惑され 「ここの病院は予約制なのだが、今から明日の予約は取れない。 なので直接病院に来てお願いしてみてください」と優しく教えてくれた。
明日の午前に今日の病院へ行って、午後セカンドオピニオンをとることにした。 ネットでいろいろ病気のことを調べるとちょっと怖くなった。 でも自分の病気のことだから全部知っておきたい。
乳がん患者のML(メーリングリスト)があったので、すぐに入会する。 「今日、告知を受けました」と書いたメールを送った。 夜、弟やその彼女も心配してきてくれた。 おじちゃんはガンにいいという電解還元水とアガリクスを持ってきてくれた。本当にありがたいことだ。
明日の朝来るはずだった、剛くんが夜行の船で来てくれた。 この夜は優生と剛くんと3人で並んで眠った。 剛くんが手を握って寝てくれた。ちょっと泣いた。
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