Shigehisa Hashimoto の偏見日記
塵も積もれば・・・かな?それまでこれから


2002年09月30日(月) 美しいもの、はかないもの

もう5年ほど前になろうか、私が高校生になりたての頃、オリエンテーション合宿と称する行事で岐阜の山奥にまで学年全体で連れて行かされたことがあった。メイン・イベントはそのものズバリ「山登り」で基礎体力が不足している私にとってはおっくう以外の何物でもなかった。本当に行くのが嫌であったがそうも言っておれずしぶしぶ山登りに参加したのであった。

この山の傾斜のキツさといったら半端ではなく、3分の1も過ぎぬあたりで完全にばててしまった。かと言って脱落するという格好の悪いことを出来る訳もなく、野を越え谷を越えあるいは断崖絶壁をも乗り越えてやっと頂きに到着した。とりあえずの安堵感に胸をなでおろしていると、ふと目を遣った岩陰のその先に一輪の名も知らぬ花がひっそりと、しかし誇らしげに咲いているのが見えた。この光景を見たとき私は言いも知れぬ不思議な気持ちに捉われた。こんな高いところでたった一人ぽっちで咲いている花の美しさ、風に吹かれて今にも飛んでいってしまうのではないかというはかなさ。こんな情景を慮っているとこちらの気持ちまで凛として引き締まる思いがした。だがこの気持ちをどう形容していいのかは分からなかった。山をすっかり降りきった時やっとああ、あの時私は感動していたのだなと悟った。今までに味わったことのない、無二の経験であった。

それ以来、感動するということは美しいもの、それも精神的な美しさを感じる時だと考えるようになった。外面の美しさではない、内面の美しさ、強さ、はかなさを感ずるとき、人は心を動かされる―そう考えるようになった。この考察がピントはずれだとは思わない。高橋尚子がオリンピックで金メダルを取ったのを見たときも、寅さんの名作を観たときも、心づくしの美味しい料理を食べたときも、みなあの山頂で一輪の花を見たときと同じ感情へと繋がってゆく。ゆるぎなき境地に達した時のみに湧き上がる感情である。

しかし、今巷にはびこる「感動」の何とやすやすしいことか。受け手のセンチメンタリズムを必死に煽るのが「感動」か。馬鹿なことを言うな。そんなものは「感動」ではなく「感傷」だ。ウソっぱちの感動だ。感動は人の心を大きく動かすけれども感傷は心の内面の世界に深く閉じこもらせるだけだ。感動は涙が流れてくることもあるけれど決して涙主体ではない。あくまで自然の産物でしかない。対して感傷は最初から泣くことを計算している。人の心を弄んでいるのである。あざとい。実にあざとい。

無論、私にも感傷的な気持ちに心惹かれる感性はある。しかし感傷の世界で安寧と身を落ち着かせていると情緒統制的なファシズムに陥る危険があることを見逃してはいけない。涙は時として冷静な目を曇らせてしまう。いつか感情が第三者にコントロールされ、しかもそのことに気がつかぬまま日々を過ごすことになる。例えばテレビのバラエティ番組などで「感動の嵐!」などとテロップ表示されているものに安々と感動してしまう人はもうその傾向があるかもしれない。恐ろしいことである。

やはり私達はもうちょっと冷徹な目を持つべきだ。このままだと「感動」する気持ちは磨耗し、薄っぺらい、平坦な感覚に毒されてしまう。最早なりふり構っている暇はない。何が本物で何がまがい物なのか真剣に選別することが極めて重要な時期に来ているのだ。


2002年09月29日(日) それでも爆笑はこの番組の司会をする必要はないと思う

やってましたねえ、「アニメ名場面ベスト100」。しっかり見ちゃいました。楽しかったなあ。前々回のアニメ特集あたりから私の好きな「ドラゴンボール」や「アラレちゃん」の動画が使われていなかったので、今回出てくるか不安だったんですけど見事な杞憂で済みました。ドラゴンボールもアラレちゃんもランクイン!特にドラゴンボールは優香の個人的ベスト1も含めると4つも入っていました。嬉しいなあ。

他にも一休さんが安國寺から出てゆくシーンやマジンガーZがコテンパンにやられているところに颯爽と登場するグレートマジンガーのシーン、「ハイジ」のクララが立ち上がるシーン、ガンダムのラストシューティングのシーン、「おにいさまへ・・・」で宮様がサンジュストの手に剣山を落とすシーンなどがしっかり入っていましたね!(最後のはウソです)いやあ、満足できました。ただ、少しの不満を挙げるのなら「タイムボカンシリーズ」がひとつも取り上げられてなかったということ。「ヤッターマン」の最終回とかこの間私が紹介した「イッパツマン」の「シリーズ初!悪が勝つ」とかランクインしていてもおかしくないと思うんですけどねえ。あと、上位がいかにも予定調和というか紋切り型っぽいのもちょっと不満です。

とは言え全体的には非常に納得の行くランキングでしたよ!最近アニメを特集する番組なんて滅多にないからこの番組は貴重です。これからも手を変え品を変え、何らかの形で特集を組んで欲しいものです。とりあえず楽しい2時間をありがとう・・・と自分の好きな番組には思いっきり甘くなる橋本繁久でした。チャンチャン!


2002年09月28日(土) キミは知っているか?教育テレビを縦横無尽に駆けずり回った1人の青年を!

その男は黄色いジャンパーに青いジーンズという出で立ちで突然お茶の間に姿を現した。鼻にまでズレ落ちた眼鏡を掛け、目をぎょろぎょろとせわしなく動かす。お世辞にも水もしたたるナントヤラ、とは言えないが愛嬌のある顔と仕草はテレビを見ているチビッコから絶大な支持を集めた。愛車「チョーさん号」にまたがって全国津々浦々の商屋に居候、地図を書くぞと東奔西走。ドジでおっちょこちょいだけど、とっても楽しい男、その名は「チョーさん」!

ご存知の方も多いだろう。チョーさんとはその昔、NHK教育テレビの「たんけん ぼくの町」という番組で大人気を博した「あの」チョーさんのことである。私はチョーさんに対しては特別な思い入れを持っている人間である。教育テレビの番組なのにコントを観ているかのような楽しさ・面白さがあった。

もともとは小学校3年生向けの社会科の番組。私の学校では授業教材としてしばしば教育テレビを見せてくれていた。だから小さい頃の私はよく「どうか私が3年生になるまで『たんけん ぼくの町』が続きますように」と祈ったものだ。 幸いにして「たんけん ぼくの町」は私が3年生になっても放送を続け、5年生になった頃に終了した。何年続いたか記憶が定かではないが、長らく楽しませてもらった。

チョーさんのギャグはとにかく体当たりである。誤って水田に落っこちたり、下り用のエスカレーターを必死に駆け上がったり、その他飛んだり跳ねたりの捨て身の特攻が笑いを誘う。他愛ないスラップスティック・ギャグなのに、それが嫌らしくない。これはコメディアンとして最高の技能を持っていると言えるのではないだろうか(チョーさんは別にコメディアンではないけれど)。オーバーアクションなのにわざとらしさを感じさせないということは生半可な芸人のできることではない。おそらくはチョーさんの生まれ持った天賦の才なのだろうけど実に素晴らしい技能だと思う。最近の若手芸人にも是非とも見習って欲しいことである。因みに私の心の中では渥美清とチャップリンとドリフとチョーさんは等価値として違和感なく存在している。それほどまでにチョーさんの笑いの醸成能力は高いのだ。

「たんけん ぼくの町」が終わって以後もチョーさんは夏休みによくやる「子供電話相談室」といった番組に出ているのを見かけたがいつからかぱったり姿を見なくなった。どうしているのかなと思っていたが3~4年前に近頃は声優業を中心に活躍されているということを知った。あのチョーさんがまさか声優をやっているとは努々考えていなかった。その声を聞く機会がなかなかなかったのだが、この間「オクトパス」という外画を観ていたらチョーさんが切れたテロリストの役を吹き替えていて驚いてしまった。「チョーさん」のイメージがあるだけに、結構ショックであったけど、なにより御健在であることを知って嬉しい限りである。こういう個性的な声が持った声優が最近減ってしまっているのでもっともっと活躍してくれることを心より願っている。

小さい頃の私に喜劇的感覚を決定付けさせた「たんけん ぼくの町」は忘れ得ない作品である。最高の娯楽番組としていまでも心の中で輝いている。これからもきっとそうであろう。いざ歌わんかな、チョーさんの永久なる青春を!


2002年09月27日(金) アニメ思い出館 第3回 「パーマン」 の巻

さてさて、アニメ思い出シリーズ第3弾です。今回は藤子不二雄アニメのなかで私が一番好きな「パーマン」を取り上げたいと思います。因みに私が書くのは83年・シンエイ動画版のほうであって白黒版のことではないのでご容赦を。では、早速いってみましょう。

簡単あらすじ
須羽みつ夫は特技「何もなし」のさえない小学生。しかしある日突然やってきた異星人バードマンによってパーマン1号に選ばれてしまった!マスク、マント、そしてバッジをつければあっという間に力は6600倍、時速119キロで自在に空を飛び回る正義のヒーロー誕生!・・・のはずなんだけど、どこかどじででおっちょこちょいなパーマン。チンパンジーの2号・ブービー、正体不明の少女3号・パ-子、関西人の切れ者4号・パーやんとともに日夜事件に立ち向かうのだ!

個人的解説
「ドラえもん」の大ヒットによって80年以降、様々な藤子漫画がアニメ化されることになった。「パーマン」もその波に乗って、ご多分に漏れず2度目のアニメ化を果たすことになる。この「パーマン」、他の藤子アニメとは少々毛色の違う雰囲気を持っている。これは本放送当時まだ3~4歳であった私でも感じることが出来た。どことなくライトでポップな匂いを感じる。それこそ80年代的なアニメだと言うことも出来るのだが、他の藤子アニメが落ち着いた雰囲気をもっている中で「パーマン」は確かな異彩を放っていた。
これは何故なのか、と長年疑問に思い続けてきたのだが、最近作品のスタッフを確認して2人の人物にその理由を見出すことが出来た。一つ目は音楽がたかしまあきひこである、ということ。藤子アニメというと音楽は菊地俊輔が手掛けることが多かったのだが(ドラえもんをはじめとして忍者ハットリくんやキテレツ大百科も担当している)、明確な違いを出すためか「パーマン」ではたかしま氏が受け持っている。たかしま氏は「8時だヨ!全員集合」などドリフの番組に多くの楽曲を提供しているだけあって素直にノリのいい曲を書かせたら天下逸品である。この人選が功を奏し作品の底辺を軽く、弾んだものにすることに成功している。(決して菊地俊輔が悪いと言っている訳ではない。作品の毛色を考えるとたかしま氏が適任であったというだけである。因みに聴者に強烈なインパクトを与えた「Dr.スランプ アラレちゃん」の主題歌「ワイワイワールド」は 菊地俊輔作曲・たかしまあきひこ編曲という布陣である。)あと、これは音楽に関係のない話であるがバッヂが鳴る時の効果音が個人的に大のお気に入りである。あの擬音では説明不能の音はいかにも地球外のテクノロジーによって作られたアイテムである、という説得力を付与することに成功している。
閑話休題。作品の雰囲気を軽妙なものにしたもうひとつの理由は総監督が笹川ひろしであるということである。ご存じない方のために注釈しておくと、この笹川氏はタイムボカンシリーズの監督でもあるのだ。つまり無類のギャグの名手であり、演出の「間」の取り方において天才的な勘を持った人間がスタッフの1人として参加していたのだ。これでは面白くないわけがない。「パーマン」の登場人物がずっこける時「へコ!」と言うが、この軽妙さこそ笹川氏の真骨頂ではないだろうか(「へコ!」を考えたのがっ笹川氏本人なのかは知らないのだが)。同じ笹川氏が担当した「忍者ハットリくん」でもずっこけるときに「ズコ!」というギャグを使っていたが、「ズコ!」は言ったあと少々重苦しい感じがするのに対して、「へコ!」はなんとも軽やかで小気味良い印象を与える。「へコ」は「ズコ」の改良版でありプッシュ・アップのギャグと言えるのである。

しかしこれだけではない。「パーマン」がその他の藤子作品と違った雰囲気を持つにはもうひとつ重大な理由があった。「パーマン」が再アニメ化された83年という時期は、「うる星やつら」を筆頭とする、どたばたラブコメアニメが隆盛を極めていた。その流れに乗って図ったか図らなかったかは定かではないが「パーマン」もその要素を取り入れることになる。とにかく登場人物の恋愛関係が極めて複雑なのだ。まず、みつ夫はクラスメートのみち子に惚れているがみち子はパーマン1号まっしぐらである。もちろんみち子は1号の正体がみつ夫だと知らないからみつ夫は大変歯がゆい思いをしている。そんなみつ夫を密かに思い偲んでいるのがパー子ことアイドル・星野スミレである。みつおは星野スミレの熱狂的ファンであるが、しかしパー子の正体がよもやスミレであることを知らない。マスクを通して見るスミレをみつ夫は当初ただのお転婆でヒステリーな娘、ぐらいにしか考えていない。しかし時が経つにつれ、二人の仲はまんざらでもないものになってくる。作品の趣きも徐々に変わり始め、アニメの後半は1号とパー子の痴話げんか的ギャグの応酬、といったパターンが多くなる。事実上の最終回はパー子がみつ夫に好意を寄せていることを暗に認め、それを逆手に取ったギャグを描いて終わる。
またこの二人を軸にして、その他の人物も恋に恋することになる。ブービーはアラスカ在住のビリコに熱を上げているし、パーやんはみち子にべたぼれしている。カバオは文通相手に憧憬を感じている。「ドラえもん」ではせいぜいのび太としずかのロマンスがある程度であることと比べれば、「パーマン」の恋愛のウェートがいかに高いかが分かるだろう。対象年齢が極めて低いはずなのに恋愛物語に強く傾いてしまったのである。とは言え、ラブコメ路線を主流には決して置いてはいないのはさすがである。数々の色恋エピソードをあくまでさらりと処理し、その結果かえって新鮮な印象を残すことになるのである。

キャスト
主人公・須羽みつ夫役は白黒版と同じく三輪勝恵が務めた。数ある藤子作品の中でも旧作版とリメイク版の主人公をを共にこなしたのは彼女だけである。どこか軽く、ひねくれた面も持っているみつ夫を伸びやかに演じていた。彼女の「へコ」は絶品である。
ブービーの大竹宏もまた、白黒時代からの連続登板。一言も人間の言葉を喋らずに(いや、正確にはパー子に向かって「ブス」と言っているような描写もあるのだが)あそこまで表現できたのは凄い。実は「パーマン」の登場キャラクターの中で私はブービーが一番好きなのである。パー子役には「ルパン3世」の峰不二子で有名な増山江威子が演じた。パー子の声を聴いただけではとても不二子の色香溢れる声を想像できない。とてもお転婆で、かつ可愛らしい声を演じきった。パーやんには声優界の大御所の1人にして、藤子アニメの常連である肝付兼太が演じて安定感を醸し出すし、他にもカバオ・サブの掛け合い漫才のごときを演じた鈴木清信と千葉繁のコンビも面白く、あるいはみち子の三浦雅子もぶりっ子声も上手かった。だが、この作品において1番の役得と言うか、もうけ役だったのはバードマンの安原義人ではないだろうか。この人の軽さ、軽妙さは秀逸である。同時期に「キャッツ・アイ」で主人公・瞳の恋人、俊夫役も演じていたがどこかバードマンに通じるものがある。ドジでたよりないけどやさしい男を演じたら日本一と個人的に思っている。

「パーマン」は良作ぞろいの藤子アニメにおいてポップなセンスを前面に押し出した点で強く記憶に残ることになった。そして円熟の域に入っていた藤子アニメの黄金期の幕開けを鮮烈に表明する役を果たした作品ともいえるだろう。<第3回 終わり>


2002年09月26日(木) チンカラ峠のお馬がホイ

▽昨日録画しておいた「ナイナイ・爆笑問題の誰か司会をしてください」を見ました。この番組、今期の特番の中で最も期待していたんですけど、実際の内容は今ひとつでした。ナイナイと爆笑ってどうも根本的なところで合わない気がするなあ。笑いの切り込み方がね、ずれているんだと思うんですよ。OPで岡村が「キャイ~ンとやりたかった」と言っていたのはあながち冗談だけじゃないのかも。

司会をした人たちもなんか小粒な顔ぶれ。どうしてこんな人選になってしまったんだろう。スケジュールが空いていて、なるべくギャラが安い人を選んだのであろうか。石塚とかユン・ソナとかの出る幕じゃないぞ。いや、面白ければ別にいいんだけど、さにあらざるからなあ。トリの志村も精彩を欠いていたし、唯一輝いていたのがメインの4人を置いてきぼりの高田純次じゃあ問題あるわな。一応ナイナイ・爆笑の番組なんだし(別に高田純次を貶しているわけではないですよ。あれはあのままでいて欲しい)。う~ん、なんとも期待はずれで肩すかし喰らっちゃったなあ。これをパイロット版として割り切って、第2、第3弾を作っていけば段々面白くなるかもしれないけどね。

▽最近、寝る時間が遅くなって起きる時間が早くなるという奇妙な事態を引き起こしています。よって常時眠いです。キーボードを打っている最中の今でもちょっと気を抜くと眠りの世界に誘われそうです。こんな経験したことないんだけどなあ。年やろか?・・・ってやっと20代に片足を突っ込んだわしの言うセリフじゃないな。しかし、わしも脆いなあ。社会に出た時どうなるんだろう。就職すれば残業・早番なんて当たり前な訳だし、これを機に徹夜できるような体に鍛えておくか。とは言ってみても、ふぁぁ~あ眠気が止められないとまらない、全く困っちゃうわ。


2002年09月25日(水) We love Rallkyou!

わしが1番好きな食べ物は実はらっきょうであったりします。程よい歯ごたえ、噛むと口中にジュワっと広がる酸味の効いた味、鼻腔へと消えてゆく、儚い香り・・・ああ、わしの心はちぢに乱れてしまいます。らっきょうの前ではハンバーグもハヤシライスも揚げ餃子も小龍包も隣りのアッコちゃんも全部かすんで見えてしまいます。

我が家は全体的にらっきょう好きが多く、ひとたび食卓に上れば父・母と熾烈な争奪戦を繰り広げる事もしばしばです。わしの場合、まず最初にご飯が盛ってある茶碗にらっきょうを乗せられるだけ乗せて最低限の取り分を確保してしまいます。その後は折りを見て、こっそり鉢からとります。1回の食事で食べる事の出来るらっきょうの個数は決まっているのでこちらも命懸けです。一見馬鹿馬鹿しくみえる所作ですが、知略を駆使しなければらっきょう・ライフは安定しないのです。

こんなにも好きならっきょうですがひとつ気に入らない点があります。それは食べられる時期がある程度決まってしまっているという事です。通常らっきょうは春に採取した後一括して漬けるのですが、この春にしか取れないという理由からいくら多く漬け込んでおいても冬になるとらっきょう鉢の底が尽きてしまうという大変忌まわしい事態が起こってしまうのです。わしは冬は「らっきょうを食べる事が出来ない」ということを除けば結構好きになるはずですが、この「らっきょうを食べる事が出来ない」ことこそわしの人生にかなりの負担をかけるマイナス要因になるのでやっぱり嫌です。春が訪れて、らっきょうを食べられる時期と言うのは、実はわしが花粉症にかかり始める頃なのですがそれでも冬眠から覚めたカエルの如く軽やかな足取りになります。そして今年こそは冬までらっきょうが残るように節約することを家族一同心に誓うのですがこの誓いは未だに守られたことがありません。現に今年のらっきょうの現存量もかなり危うくなってきました。「最後のひとつのビンは絶対死守せよ!」の号令を胸に今年もらっきょうを賭けたくだらない一大決戦が始まろうとしているのです。


2002年09月24日(火) 或る男と女の顛末

男がいた。女がいた。二人は憎しみあっていた。男は怒り、女は表情を為していなかった。これには訳があった。男がつかみかけていた希望の光を女が奪ってしまったのである。夢を失った男の憤りは計り知れないものがあった。憎しみのドグマが男の体からふつふつと湧き上がる。女が「無」の中に微笑みを浮かべると、男は耐え切れなくなり、ついに拳を振り上げた!間一髪、女はよけることに成功した。だが、今や空間には「怨念」の2文字だけが渦巻いている。おぞましき雰囲気の中、男は肩を震わせながら言った。
「何であんなことしやがったんだ!」
「さあ、ね。勝手にそうなってしまったのよ。」
女は冷ややかに言い放つ。男の怒声は止まらない。
「お前は冷血動物だ!いや、悪魔だ、それも飛びっ切りのな!!」
「何とでもおっしゃい。私は私さえ良ければいいの・・・」
フフ・・と笑いながらささやく女。
「チクショウ!チクショー!!」
男は握った拳を地面に叩きつけながらそういった。何度も、何度も・・・

その刹那、ただならぬ気配を嗅ぎ付けてもう1人の女がやってきた。
「何やっとるのー、また兄妹ゲンカして!」
男は重い口を開いた。
「だって、こいつが・・・タイマー録画しておいたミンキーモモを勝手に消しやがったんだよぉぉぉ」

哀れなこの男、名前を橋本繁久と言ったそうな・・・アーメン。


2002年09月23日(月) アニメ思い出館 第2回 「逆転 イッパツマン」 の巻

足掛け8年にもわたって放映された人気作品「タイムボカンシリーズ」。今回はその中でも一際評価の高い「逆転 イッパツマン」を取り上げたいと思います。語るに尽くさぬ魅力溢れるこの作品、果たして上手く書けるでしょうか。少々不安を感じつつ、第2回のはじまりはじまり・・・

簡単あらすじ
時代を超えたレンタルリース業を経営する業界№1のタイムリース社をあの手この手で妨害する№2のシャレコーベリース社。シャレコーべ社のクリーン悪トリオがタイムリース社のラン達を付け狙うとき、どこからともなく現れる白き影。「鳥だ!飛行機だ!いやタケチャンマンだ!」いやいや違う、この男こそ正義の使者イッパツマンだ。逆転王を駆り敢然と立ち向かうイッパツマンの勇姿、ここにあり!2つの企業の社運を賭けた一大決戦が始まる。

個人的解説
「逆転 イッパツマン」はタイムボカンシリーズの6作目、82年の作品である。ボカンのシリーズ終了が83年の9月だから時期的には終りがけの部類に入る。だが今作にはそんな暗い影を微塵にも感じさせないパワーに満ち溢れている。スタッフ・キャスト共、今までに培ってきたノウハウが開花した感がある。知名度では「ヤッターマン」に大きく劣るものの、熱烈なボカンファンには「イッパツマン」を最高傑作として推す人も多い。かくいう私もその1人である。

何故それほどまでに支持されるのだろうか。まずをもってストーリーがしっかりと練りこんで作られている事が理由のひとつとして挙げられるだろう。タイムボカンなのだからもちろん基本はギャグストーリーなのであるが、物語が中盤にさしかかったあたりから徐々にシリアス傾向へと変化を見せ始める。それが頂点に達するのがなんと三悪側がイッパツマンを倒してしまう、いや正確には倒したつもりになってしまう「シリーズ初 悪が勝つ」の回である。このシリアステイストは後半以降も続くこととなり、特に最終回間際は息をつかせぬ怒涛の展開で見るものを魅了させた。これはシリーズ構成を手掛けた小山高生氏の手腕によるところが大きいといえるだろう。「はじめはコミカル、終盤はシリアス」という展開は同じく小山氏がチーフライターを務めた「魔神英雄伝ワタル」にも引き継がれる事になる。
またキャラクターでははじめて善玉のライバルらしいライバルとして登場した隠球四郎の存在も忘れられない。イッパツマンを倒すことだけを生きがいにひたすら邁進する彼の姿はその悲劇的な結末とあわせて作品をよりシリアスな香りを漂わせることに貢献していた。三悪がいくら「打倒イッパツマン」を掲げてもギャグにしかならないのとは好対照である。とにかく作品全体がシリアスな雰囲気に包まれているのが他のボカンシリーズと一線を画しているところである。

だからといってボカンシリーズの生命線であるギャグをおざなりにしている訳ではない。今作は企業間の争いをテーマにしているだけあって三悪が演じるサラリーマンの悲哀の描写はうら寂しくもとても冴え渡った味を見せることになった。コスイネンは副業として立ち食いそば屋を経営しているし、失敗するごとに大ボスに給料カット、ボーナス抜きとどやされるのはまさしく三悪のキャラクターにぴたりと当てはまって笑いの効果を抜群にしていた。「人間辞めて何になる?」のくだりは三悪を担当した声優の表現力の巧さも手伝って最高の出来に仕上がっている。一発ギャグも「おろか、ブ」や「ビックリたまげたもんざえもん」など笑えるものぞろい。なにより三悪がしくじったりボケたりする度に「シビビーン」と飛び跳ねるのが軽快でテンポが良かった。文字で表現するといまいち面白さが解らないかもしれないが実際の映像作品ではこれらのギャグを絶妙なタイミングで出してくるからたまらない。

作品の魅力はまだまだある。ヒロイン・放夢ランの一途さ。最終回は彼女のためにあったといっても過言ではない。第四の敵、ミンミンの正体も見どころのひとつだ。また善玉側のメカ「逆転王」と「三冠王」のデザインは大河原邦男が担当。その重厚な存在感が絶品であった。

キャスト面について。シリーズ皆勤賞の三悪は最早大安定。それどころかさらに磨きのかかった掛け合いを演じてくれる。前述したように窓際サラリーマンの悲壮感を実に完璧に表現しきったと言えるだろう。この3人がシリーズに与えた功績は本当に計り知れないものがある。特にコスイネン役の八奈見乗児のノリの良さには驚嘆してしまう。
主人公の豪速九役にはナレーターとして今までシリーズを陰で支え続けた富山敬が満を持しての登板。シャイで大人っぽい豪をとても好演していた。入れ替わりにナレーションは鈴置洋孝が担当。独特の甘い声で富山氏の抜けた穴を違和感なく埋めることに成功している。放夢ラン役に選ばれた原えりこはその初々しい魅力を存分に発揮しているし、少々生意気なハル坊役につかせのりこはまさにうってつけ。山本正之は今までの二枚目役とは違うロボットの役を得て水を得た魚の如く強烈な個性を発揮している(余談だが同氏が歌うEDソング「シビビン・ラプソディー」は屈指の名曲である。全体的に良い曲ぞろいのタイムボカン・ソングのなかでも1,2を争うほどの出来として支持されることになる)。他にもコンコルドーの肝付兼太、ミンミンの土井美加や後半登場する今市を演じた千葉繁など本当に実力者ぞろい。翻って考えてみると良いアニメというものは必ず良い声の役者(ここではあえて声優と呼ばない事にする)が揃っているという事が分かる。

「逆転 イッパツマン」は緻密なストーリーと強烈なギャグが同居した不思議な作品である。このシリーズの集大成的作品としてこれからも人々に語られ続けてゆくに違いない、最高のエンターテインメントなのであった。<第2回 終わり>


2002年09月22日(日) 心をゆらして

なんとはなしにドラえもんの映画が観たくなったので借りてきてしまった。どの作品にするかだいぶ迷ったけど、ここはドラ映画ファンの中でも最高傑作の誉れ高い「魔界大冒険」を選択した。
この作品、今までに何遍も見ているのだけれど改めて見直しても「面白い!」って思えるから凄い。まずをもって伏線の張り方が秀逸。そしてそれがラストに向けて収束してゆくさまがお見事。初期のドラ映画によくみられる「怖さの描写」も冴え渡っていて、涙を流すドラえもんやのび太の石像やメデュ一サのおどろおどろしさは特筆ものだ。一度映画が終わったと見せかけるフェイントも面白くスタッフもノリにノッて製作している感じが見て取れる。
魔界大冒険に限らず80年代のドラ映画は無敵レベルに面白い作品が多い。話のアラを探そうと思えばいくらでも出てくるのだがそんな弱点など吹き飛ばしてくれるほど他の魅力であふれているのだ。人によって多少の差異はあるもののドラ映画の最盛期は大体この時期だというのが大方の見解である。私自身、90年代以降の作品は自分の年齢が上がってきたことも手伝ってほとんど観ていない。

そんなことを考えていたらドラ映画についてあれこれ語りたくなってしまった。思いつくままに個人的にベストの5作を挙げてみたい。

1位「のび太と鉄人兵団」
何を隠そうこの作品こそが私がはじめて劇場で観たドラえもん映画である。やはり原体験は強烈で大画面のスクリーンに映し出された迫力あるシーンの数々は今でも強く記憶に焼きついている。もちろんこれだけの理由で1位に推したわけではない。とても魅力的なキャラクターであるリルルやザンダクロスの登場(ゲストキャラが当初敵方なのも珍しい)、兵団とのメカ戦の高揚感、鏡面世界のリアリティーある描写、その他その他、いくらでも挙げることが出来る。なによりロボットの、そして人間のあるべき姿を求めて消えてゆくリルルの姿がはかなく印象に残る。ラストに救いがあるのもいい。作品のハードさを予感させる、「鉄人兵団」という古めかしくも重厚感漂うタイトルも好き。

2位「のび太の魔界大冒険」
先のところで語り尽くしてしまったのでひとつだけ。のび太と美夜子の友情とも愛情とも取れる心の交流が清々しい。2人の別れは寂しいながらも爽やかな余韻を残すことになった。美夜子は印象深いゲストキャラとしてリルルと双璧をなす。

3位「のび太の宇宙開拓使」
名曲「心をゆらして」をBGMに描かれる別れのシーンが出色の出来。くっいていたのび太の部屋とコーヤコーヤ星がだんだん離れてゆく中でそれぞれがお互いから学んだ文化を披露しあう様は異文化交流のひとつの理想的な姿を表していてとても心に残る。現実の地球でもこのように異文化と接することが出来たらなあと思ってしまう。

4位「のび太の恐竜」
歴史的誕生というだけでも意義深い作品。まだストーリーはレギュラー放送の延長という感じであかぬけていないが冒険色がかなり強くハラハラドキドキさせてくれる。そして、やっぱり挙げなければいけないのはピー助との別れのシーンである。ただただ別離のつらさを登場人物に涙させることで描写するのはいささか感傷的ではある。しかしそれを差し引いてものび太のピー助を思いやる気持ち(ラストまで丁寧に描かれている)の美しさをには心を打たれてしまう。

5位「のび太の日本誕生」
「10周年記念」と銘打たれ、大々的なキャンペーンが行われた作品。全編に渡っていかにも大作っぽい演出(引きの多用など)が施されており、それだけでもわくわくさせてくれる。適役のギガゾンビはその容貌の怖さもあいまって存在感が抜群。

大体こんな感じであろうか。とは言えドラ映画は観る度に印象や感想が変わる不思議な作品である。今日と明日とでは映画の評価が変わるかもしれない。観る側の主体的な体験や価値観の変化によって評価はいかようにも逆転する。それほどこのシリーズ映画は味わい深い。優れた作品は多面的な解釈に耐えうる強靭な体力を持っている。だから何遍でも観ようという気持ちが湧くのだ。これは寅さん映画にもあてはまることである。
私はこれからも何年かのサイクルでドラ映画を観続けることになるだろう。こんな懐の深い作品に出会えた私はなんとも幸福者ということになる。藤子氏をはじめとしたスタッフ諸氏に敬意を払ってこの項の結びとしたい。


2002年09月21日(土) FANCY NIGHT

今日、学校で試験の答案を返されたんだけど思いもよらない高得点で be surprised! おまけに先生に褒められて be astonished! それで私はbe pleased.とーってもfancyな気分。勉強のことで褒められるなんて何年振りかしら。Honor is superior to gold.今度の試験も頑張っちゃおっと!

な~んて浮かれていたら、歯医者で衝撃の宣告。何と矯正が必要なんだって。ああ、happyな1日がたちまちblow up.落ち込んじゃうわ。矯正歯科に通う暇もお金もありゃしないのに、これはちと困った。私のふところときたら、あからさまにWinter.すきま風ピューピュー吹いちゃって お~さむっ!これ以上出費が増えたら家計大変、大弱り。まさにまさにfire car!・・・ってそんな言い方しないか。

そんな気分で歯科を出たら、mysteriousな光が顔を直撃!見上げてみれば full moonが雲にかくれんぼ。そうか、今日は十五夜なのだ。月夜の街をchild robberが大暴れ。縦横無尽、無数のlightがゆらめいて きらめいて見え隠れ。ああ、やっぱり今日はfancy night.なかなか寝付けれそうにないけれど、brightなお月様眺めながら fall asleep望みます。そんなことを夢見つつ、それではみなさん good night.


2002年09月20日(金) エチュードは早く切り上げて

学校再開で意気消沈。またまた宿題とレポートの日々が待っていると思うと悪寒がする。嗚呼、大学生。汝の行く手にあるものは悲劇が絶望か、それとも希望なのか。パッショーネをかいくぐり、オーバーチュアの苦しみに耐えられるかしら?結局わしもエトランゼ。流れるままに生きてゆきます。

CSで「あしたへアタック」という番組を放送しているがなかなかいい感じ。スポコン物なんだけどね、泥臭くないんだよなあ。すっごい爽やか。毎回ハッピーエンド。いいなこういう雰囲気。こういう作品が作られる土壌を持った70年代後半って大好き。最近の作品っつーと映画にしろドラマにしろあるいはアニメもそうだけど即物的というか場当たり的というかとにかく安易なんだよなあ。俳優もとりあえずパーセント取れるやつを揃えました、みたいな感じで肝心の中身がよろしくないものばかり。視聴率第一主義は今も昔も変わらないと思うけどやっぱ最近は極端だよなあ。あと感動の押し売りね。これも大嫌い。日本人はどうしてこうも情緒べったりなシチュエーションを好むのかな。演歌嫌いっていう若者も多いけどそこいらの安ドラマで感動している人は結局演歌好きな人と変わらんのじゃないかと思う。演歌の全てが悪い訳ではないけど。やっぱり日本人の気質として「演歌的」なものに惹かれる感性はあるみたいだなあ。

ちょいと話ずれるけど「北の国から」って実際どうなんだろう。レギュラー放送はおろか、その後の特番も全く観ず、今回の最終作だけ視聴したわしが言うのもなんだけど個人的にちょっと好きになれんなあ。ストーリーには文句を言わんよ。前述したように全部の作品観てない訳だし、わしがスジについてあれこれ言う資格はない。ただ、あの無節制に浴びせ掛けられるナレーションがいやだなあ。これでもかって感じだものねえ。倉本さんがいくらナレーション技術に長けていたとしても発表媒体が映像作品である以上ナレーションやセリフに頼るのは得策でないと思う。これは映像に説得力のないことの裏返しになるのではないか。ラストもラスト、吉岡秀隆が田中邦衛に「父さん、あなたは素敵です」なんてセリフを言うシーンがあったけどそうやって「素敵です」とセリフとして言わせるよりも映像で田中邦衛の「素敵さ」を描写した方が格段にいいと思う。いかにも説明臭いセリフやナレーションには興ざめしてしまう。そこらへんが「北の国から」の大弱点のはずなのに今回も視聴率がいいんだよねえ。う~ん、納得できん。
こんなわしだけど「寅さん」は超がつくほど好き。よく「寅さん」と「北の国から」を同系列において批判するひと結構いるけど両者の毛色は全然違う。「男はつらいよ」には作者の冷徹な目が光っている。いわば落語みたいなものだから。だからこそ情緒べったりに陥らずにいられた訳だし。作劇に対する姿勢が根本的に違うよ。

あ~あまた悪口ばかり書いてしまった。どうにも文句をつけたいことが多すぎる。わしもつくづく性根がひん曲がっているなあ。


2002年09月19日(木) ネイティブ名古屋人限定でお願いします。

あのよー よーするによー きんのー 「千年女優」っちゅう映画観に行ったんだけどよー 結構面白かったで感想書こうと思うんだわ。

ピカデリーっちゅう小さい劇場で見たんだけどよー 入ってみたら人よーけおると思っとったのに全然いなくてびっくらこいたわ。人気にゃあのかなあって悲しくなったけど満員でわやだがやってのよりはましだわ。ばんけに行こうかなあとも思ったけどこっすい気がしたもんでよー でぁーがくせいの特権で平日昼に行かしてもらったんだわ。

わしの前にすわっとったヤツがよー 菓子をくちゃくちゃ 食っとらっせるでよー どえりゃあ癇にさわったけどよー ほんだけど まーあとがおそがいでよー だまっとんだわ。
でもよー おまけに カンスまでいらっせるでよー おうじょうこいたわ。

肝腎の内容だけどよー 最初はちんたらしすぎだがやっておもっとんだけどよー 段々テンポがよくなってきておもしろかったわ。虚構と現実が入り混じってよー えもいわれぬ雰囲気だったわ。主役のネエさまがよー 一途で可愛らしくってよー途中まで感情移入しとったんだけど ラストのセリフがめちゃんこおそぎゃあでかんわ。あんなセリフ言うとは努々おもっとらんだわ。 ほんだけどよー 全体的に絵もきれいだしよー 観に行く価値はあると思うんだわ。あんまり人気にゃあみたいだでよー これ読んで面白そうだと思った人は観にいったってチョー。

※筆者がいきなり無理のある名古屋弁で書いたのは感想を上手くかけないのをごまかすためです。


2002年09月18日(水) アニメ思い出館 第1回 「戦国魔神ゴーショーグン」の巻 改訂版

この間書いた「戦国魔神ゴーショーグン」の感想ですが自分の文章表現に少し気にいらない部分があることとロマンアルバムでの再考証を踏まえて若干書き直して見ました。第一回を見た人はできれば見直してくださると幸いです。

簡潔あらすじ
古来より歴史の陰で暗躍する巨大結社ドクーガは21世紀初頭には絶大なる勢力を振るうまでになっていた。これに対抗できるのはゴーショーグンを持つグッドサンダーチームだけだ。謎のエネルギー「ビムラー」をめぐり両者の激しい戦いの火蓋が切って落とされる・・・

個人的解説
初見から5年近くの歳月が流れようとしている。実はそのとき以降私はこの作品を全く見ていない。それでも私の中では鮮烈なイメージが脳裏にやきつけられた。星の数ほどあるロボットアニメの中で私はひょっとするとこの作品が一番好きかも知れない。それほどインパクトの強い作品である。

話に大きな魅力があるわけではない。基本プロットもどちらかというと凡庸であるし各話を見渡してもそれほど秀逸な話もはないと思う。さらにはロボットアニメなのに肝腎のゴーショーグンがあまり目立たないという致命的な弱点も持っている。それでも私がこの作品に惹きつけられるのは何といっても登場するキャラクターが個性に満ち溢れていることと、製作者達のよい意味での「お遊び」が功を奏したことに尽きる。

「善」側のグッドサンダーチームも「悪」側のドクーガの面々も実に魅力的なキャラクターが揃っている。特にレオナルド・メディチ・ブンドルとレミー島田は出色のキャラクターであることは間違いないだろう。
ブンドルはその耽美的な性格を徹底的に具現化したという点でロボットアニメ界において記念牌的キャラクターとなった。彼の行動原理は常に美しい・美しくないというふるいによって分けられ、従って組織に体をしばられることはない。ただひたすらに己の美学を追求する姿はこの時点においてかなり革新的であり多くの人間が衝撃を受け、さらには魅了されたのだ。ゴーショーグンの人気の第一人者は彼にあるといっても過言はなさそうだ。
また対するレミー島田の描写も秀逸である。コケットリーな一面を覗かせながらも決して同僚の真吾やキリーに秋波を送ることのない気さくであっけらかんとした態度が魅力の大人の女性である。彼ら3人がつかずはなれず(さらにはブンドルのプロポーズをも歯牙にかけず)、玉虫色の関係を保ち続けたのも大人の洒落た雰囲気を醸し出すのに一役買っていた。これは全くの推測であるが女性にも好かれるキャラではないかと思う。
この二人を中心として繰り広げられるキャラクター同士の掛け合いは見ていてとても楽しいものであった。セリフがいかにも軽妙でとても洗練されているので観れば観るほど作品世界の魅力に引き込まれること請け合いである。

「お遊び」の方は言うまでもなくメインスタッフ・首藤剛志の得意とするところで「ゴーショーグン」でもその才能は如何なく発揮されている。ただしこれがその後の小説版や劇場版になってくると話は別でスタッフの思い入れがありすぎるせいか、なんとも暗い話になってしまったのが残念・・・と最近まで思っていたがこれには少々誤解があったようだ。確かに暗い作品が多いことに間違いはないがロマンアルバムから察するにそれだけに断じるのは無理がある。私は映画版「時の異邦人」は観たが小説のほうは古本屋でたまたま目にした「狂気の檻」を立ち読みした程度である(この時はレミーらのあまりの変貌振りにショックを受けてしまってすぐに読むのを止めてしまった。キャラクターに愛着があるからなおさらである。)ところが小説版はこれで終わらない。まだまだ先の話があるのだ。ひるがえって私の不勉強であることがわかり大いに恥ずかしい限りである。

キャスト面ではやはり先にあげたブンドルとレミーをそれぞれ演じた塩沢兼人、小山茉美の功績が大きい。特に塩沢にいたっては同氏が演じた数々の作品のキャラの中でもこれが一番のはまり役といえるほどの演技の冴えを見せた。ブンドルはスタッフの用意した設定に塩沢氏が「命」を吹き込むことによってさらなる輝きを得た、いわば相乗効果で生まれた奇特なキャラクターである。彼が若くして鬼籍に入られたのは本当に残念でならない。名優ほど早折するのは昔からの因縁であろうか。
閑話休題。小山氏の演技もまた素晴らしかった。レミーの匂い立つような色気とは違う、さばさばとした健康的な女の魅力を実に的確に表現していた。この時期すでに「アラレちゃん」でトップ・プロとして活躍していたがこの人ほど声質と演技力に幅のある人を私は知らない。前出の塩沢氏が特徴のある声によってスターとしてのステイタスを確保したすると、小山氏はその対極に位置する人と思われる。ロマンアルバムで脚本の首藤氏が「時の異邦人でのレミーは小山の演技を想定して作った」という趣旨の発言があるが、これは脚本側が小山氏にあわせたというより小山の力量を読み込んだ上でのキャラクター造形と言うべきであろう。それほどまでに小山氏の演技のレベルは高い。塩沢氏が濃厚に演じ、小山氏が軽妙に受け返すから芝居はとりわけ弾んだものになる。
その他でも鈴置洋孝氏や田中秀幸氏、郷里大輔氏など(ドラマの作劇上)脇を固める声優も芸達者ぞろいで声優面でもこの作品は非常に恵まれているのがよく分かる。

「戦国魔神ゴーショーグン」はリアルロボット隆盛の時期にあえて「バラエティ・アニメ」ともいうべき多角度的な魅力とスタッフの熱意が結実した稀有な作品であった。資金面でDVDは買えないが機会があるならばぜひもう一度観てみたい作品の筆頭である。<第一回・改 終わり>


2002年09月17日(火) 永遠のエトランゼ

北朝鮮の拉致問題について色々思ったことを書こうと思いましたが私のような甘ったれでぬるま湯の中で育った人間が、ああだこうだと論じるのはさだめしおこがましいこと限りないと感じ、ここはあえて沈黙に徹することで哀悼の意に代えたいと思います。


昨日古ビデオを整理していたら何年か前に撮った「伊勢湾台風物語」を発見しました。懐かしい!もう何年見てないだろうかなあ。この映画、東海3県に住んでる人はそこそこ知っていると思うんだろうけどそれ以外の地域の人には恐ろしいほど知名度が低い作品なんだよね。いい話なんですよ。いや、ストーリーは悲惨以外の何物でもないけど、よく丁寧に作りこまれているんです。変に教訓めいたこともないし。ただ淡々と台風の恐ろしさを追いかける。台風の描写なんか圧巻です。主役は女の子なんだけどその子のボーイフレンド的存在の子がかわいそうでねえ(主人公一家もものすごく可哀相ですが)。これ見る度に普段台風が来ると「学校が休みだわ~いわ~い」などと言っている自分のバカさ加減が身にしみます。EDの曲も秀逸で切ないというより胸が張り裂けそうな感じになるんですよね。音楽聴いていてこんな気持ちになるのはこの曲と「ロマンティックあげるよ」ぐらいだなあ。


この間「戦国魔神ゴーショーグン」についてごちゃごちゃと書きましたが、昨日古本屋をぶらぶら散策しているとなんと「戦国魔神ゴーショーグン 時の異邦人(ETRANGER)」のロマンアルバムを発見!滅多にお目にかかれない逸品を目の当たりにしてあまりのことに胸が高鳴り、思わず小躍りしてしまいそうでした。(実際にはしてませんよ、念のため)もちろん即刻購入です。この本はこの間も書いた私があまり好きでない映画版のムックなんですが改めて見直すと「ゴーショーグン」の新たな魅力を感じ取ることが出来ました。自分の解釈能力の低さが恥ずかしく、でもちょっと嬉しかったり。とにかく旧知の作品の新しい一面を見つけるのはとても楽しいことです。希少価値という点ではそれほどでもないと思いますが間違いなく私の宝物になると思います。


夏休みももうちょっとで終わり。今年も枯れた青春を送ってしまった私ですがさして気にしておりません(そこが一番の問題!)。とはいえこのまま夏休みが終わるのを指をくわえてみているのは何となく勿体無く思い、最後のイベントとして映画を見に行くことにしました。題目は「千年女優」。あの「千と千尋の神隠し」と何かの賞を(何だったか忘れた)同時受賞したことでひそかに話題の作品です。どんな映画なのか楽しみです。明日観に行きます。このわくわくした気持ちを残したまま今日は眠りたいと思います。


2002年09月11日(水) 青二才が偉そうに語ります

※水がまずい
最近、水道の水が極端にまずくなった。いや、臭くなったと言ったほうが正しいかもしれない。何と言っていいか解らんがまるで藻が張った池から汲んできた濁水のような味がするのだ。特に宵の口に入ってくると口に含むのも嫌になるほどひどい具合になる。名古屋市近辺は木曽川を水源としているため大都市でありながら水の味が東京や大阪に比べて格段に上手いというのが定説であったのにこれは一体どうしたことだろう。愛知県に住んでいながらミネラルウォーターを買わなければならない日がいずれやってくるのだろうか。考えたくない話である。

※クレヨンしんちゃんの映画が嫌い
ここ数年、クレヨンしんちゃんの映画版に対する評価はうなぎのぼりに上がってきている。最初はもともとのしんちゃんファンか一握りの映画マニアが持ち上げていただけだったがいつからか一般人にも浸透し始めて評論家の評価も上々になり、去年の「オトナ帝国」でその熱が一気に噴出した感がある。しかしこの世間の傾向に私は違和感を持ち続けていた。
今春、例によって大絶賛の嵐の「オトナ帝国」がテレビで放映されたので見てみたのだが私には琴線に触れるものが全くなかった。題材が万博の話なので万博よりはるか後に生まれた私には何の感慨もノスタルジーもなかったのが第一の理由。よく「あの万博のシーンがリアルっぽくてよく出来ていた」なんて声を聞いたがそんな小ネタでしか興味を沸かせれない映画なんて失格だと私は思う。ネタ元が分かる人には自分だけが知っているという優越感込みで楽しめるかもしれないが分からない人には何の感慨も沸かないのだ。これは一般映画としては大問題であるだろう。ま、対象が30代以上限定とかそういう趣きならわからない話でもないが「クレしん」は思いっきり子供向け映画だ。子供向け映画ででこんなことをやって欲しくない。

なぜしんちゃんがあんなによいこぶらなければならないのかということも不満でしょうがなかった。「クレヨンしんちゃん」はこんなよい子ちゃんアニメじゃないぞ。そもそも「しんちゃん」はもっとアングラで、アウトローで、変人だけれも子供のしんちゃんが大人の社会の欠落部分を鋭く、しかし的確についたからこそ面白かったんだ。今の映画はストーリーや演出が優れているかも知れんがしんちゃんらしくない。しんちゃんの香りがしない。私は妹に付き合ってテレビ版の黎明期から「しんちゃん」を見ているから今の優等生ぶりに困惑してしまう。どうせ映画を作るのならもっとバカでハチャメチャなものにして欲しい。どっちにしても私は観に行かないけどね。

※お笑い界に秋が立つ?
最近顕著に思うんだがテレビにおける「お笑い」というジャンルは明らかに衰退しているのではないだろうか。いや、「この番組は落ち目だ」とかそういうレベルではなく全面後退というか、なにかのっぴきならないところまで来ているような気がする。おわらい界の大不況、あるいは氷河期というべきか。どの番組もつまらないというか「ぬるい」のである。これは90年代後半以降の似非バラエティ番組の粗製濫造しまくっていた時代のつけであろうか。まだあの頃は「お笑い」の土壌がしっかりと固まっていた上、次代をになう若手達も情熱に溢れていたから量産されるバラエティ番組の中で出ては消えてゆく幾千ものお笑いタレントの中でめでたく濾過されなかった人間が名実ともに力をつけて行くことが出来た。しかし今は「こんな程度でいいや」みたいな変な妥協というか安易な決着をつけようとしている感じがする。どこかハングリー精神が足りない。面白い番組を作ろうという気概がない。そこそこ稼げればいい、食いっぱぐれなければいいという空気が充満している。芸人のサラリーマン化という表現が一番正しいかな。年功序列で終身雇用。これじゃあ面白いわけがない。芸能界は実力勝負が魅力なのではないのか。実力よりもいかに大御所に上手く取り入ることができるかが売れる・売れないの境界線だなんて悲しすぎる。

長年テレビのお笑いを支え続けた「名人」のパワーダウンも大きな原因のひとつである。ドリフや欽ちゃんは年齢的な面で仕方がないとしてとんねるずやダウンタウン、ウッチャンナンチャンは老け込むにはまだ早すぎる。ところが3者とも、自らの安全圏でしか仕事をしていないような気がする。同年代で奮闘しているのは爆笑問題だけだと思う。だがこちらも今こそ売り時だとばかりにテレビに出まくっているのが気にかかる。不遇期が長かったので仕方のないことかもしれないがもうちょっと仕事を選んだ方がいいと思う。

そして未来を嘱望される若手の伸び悩みも深刻である。今若手で個人的に面白いとおもえるのはナインティナインだけである(そのナイナイにしたって疾うに30歳を越えており若手と形容するには憚る年齢になってきている)。それ以外は成長不足か何でこんなのが売れているんだと疑問を感じるより他のない芸人ばかりである。ファンのひとには申し訳ないが私はネプチューンのどこがいいのかわからない。単にウンナンに気に入られているだけのような気がする。こういうゴマスリ芸人が蔓延っていることが諸悪の根源である。テレビに出るんだったらもうちょっと芸を磨いて欲しい。

このようにお笑い界に対して絶望感しか抱いてない私であるが一方でお笑いはもう
終わりだと決め付けるのはまだはやすぎるような気もしている。これから先、彗星のような輝きを持った新人が現れてくるかもしれない。そんな日が一刻も早く来て欲しいと願っているのは無論である。

※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※

さて、思いつくままにさんざん言いたいことを偉そうにのたまってきたきましたがもしかしたらお気を悪くされたかたがいらっしゃるかもしれません。どうか年端のいかない青二才の雑言だと思って聞き流してください。ではでは。


2002年09月10日(火) アニメ思い出館 第1回「戦国魔神ゴーショーグン」の巻

ちょいとばかし自分の好きなアニメについて語りたくなりました。理由は・・・特にないです(わしはいつもその日暮らしで行動しているのだ!)。上手く書くことが出来たら今後、日記の合間にぽつぽつ「アニメ思い出シリーズ」を挟むことになるかもしれません。どうかご容赦を・・・ま、前置きはこの辺にして早速行ってみましょう。第一回は「戦国魔神ゴーショーグン」です。

簡潔あらすじ
歴史の陰で暗躍する巨大結社ドクーガは今や絶大なる勢力を振るっていた。これに対抗できるのはゴーショーグンを持つグッドサンダーチームだけだ。謎のエネルギー「ビムラー」をめぐり両者の激しい戦いの火蓋が切って落とされる・・・

個人的解説
初見から5年近くの歳月が流れようとしている。実はそのとき以降私はこの作品を全く見ていない。それでも私の中では鮮烈なイメージが心に植え付けられた。星の数ほどあるロボットアニメの中で私はひょっとするとこの作品が一番好きかも知れない。それほどインパクトの強い作品である。

話に大きな魅力があるわけではない。基本プロットもどちらかというと凡庸だし各話を見渡してもそれほど秀逸なものはないと思う。それでも私がこの作品に惹きつけられるのは何といっても登場するキャラクターが個性に満ち溢れていることと、製作者達のよい意味での「お遊び」が功を奏したことに尽きる。「善」側のグッドサンダーチームも「悪」側のドクーガの面々も実に魅力的なキャラクターである。特にレオナルド・メディチ・ブンドルとレミー島田は出色のキャラクターであることは間違いないだろう。ブンドルはその耽美的な性格を徹底的に具現化したという点でロボットアニメ界において記念牌的キャラクターとなった。彼の行動原理は常に美しい・美しくないというふるいによって分けられ、従って組織に体をしばられることはない。ただひたすらに己の欲望を追求する姿はこの時点においてかなり革新的だったのだ。対するレミー島田の描写も秀逸である。コケットリーな一面を覗かせながらも決して同僚の真吾やキリーに秋波を送ることのない気さくであっけらかんとした態度が魅力の大人のキャラクターである。彼ら3人がつかずはなれず、玉虫色の関係を保ち続けたのも大人の洒落た雰囲気を醸し出すのに一役買っていた。これは全くの推測であるが女性にも好かれるキャラではないかと思う。この二人を中心として繰り広げられるキャラクター同士の掛け合いは見ていてとても楽しいものであった。
「お遊び」の方は言うまでもなくメインスタッフ・首藤剛志の得意とするところで「ゴーショーグン」でもその才能は如何なく発揮されている。ただしこれがその後の小説版や劇場版になってくると話は別でスタッフの思い入れがありすぎるせいか、なんとも暗い話になってしまったのが残念。

キャスト面ではやはり先にあげたブンドルとレミーをそれぞれ演じた塩沢兼人、小山茉美の功績が大きい。特に塩沢にいたっては同氏が演じた数々の作品のキャラの中でもこれが一番のはまり役といえるほどの演技の冴えを見せた。ブンドルはスタッフの用意した設定に塩沢氏が「命」を吹き込むことによってさらなる輝きを得た、いわば相乗効果で生まれた奇特なキャラクターである。彼が若くして鬼籍に入られたのは本当に残念でならない。閑話休題。小山氏の演技もまた素晴らしかった。レミーの匂い立つような色気ではない、さばさばとした健康的な女の魅力を実に的確に表現していた。この時期すでに「アラレちゃん」でトップ・プロとして活躍していたがこの人ほど声質と演技力に幅のある人を私は知らない。前出の塩沢氏が特徴のある声によってスターとしてのステイタスを確保したすると、小山氏はその対極に位置する人と思われる。声優面でもこの作品は非常に恵まれていたのだ。

ともあれ「戦国魔神ゴーショーグン」はリアルロボット隆盛の時期にあえて「バラエティ・アニメ」ともいうべき多彩な群像とスタッフの熱意が結実した稀有な作品であった。機会があるならばぜひもう一度観てみたいものである。<第一回終わり>


2002年09月08日(日) 何事もほどほどに・・・

どうにもこうにも広井王子が嫌いなわしである。なぜ彼はあれほどまでに日本を愛しているのだろうか。いや別に愛国心自体は悪いことでもないし個人の思想に文句をつけることはさもしいことなんだけど、彼の日本に対する思い入れというものは単なる愛国心という範疇を越えて偏愛というか異常というか、とにかくそのような言葉が当てはまってしまうような危険性を孕んでいるのである。

わしはほぼ毎週「ファミ通」という雑誌を購入しているがこれに彼のコラムが載っている。そこに書かれていることのほとんどが日本万歳(それもいわゆる古き良き時代と讃えられるころの日本)であり、西洋諸国の徹底批判であり、あるいは近代化政策への憎悪であることに終始している。その論理は自文化中心主義者のエゴイズムと重なる。客観的に見ると非常に気味が悪い。

わし自身だって日本は大好きであるし世界に誇ることの出来る文化・慣習も沢山あると思っている。しかし自文化と他文化を相対化しそこに日本の優越性を鑑みようとするのは行き過ぎである。そのような観点では自文化が最も正しいという結論に行き着くのは必至である。考えが浅いし甘いと言えよう。さらに広井は欧米諸国が「列強」と呼ばれた時代の近代的・合理的に特化した政策を忌み嫌っている節があることを指摘しなければならない。あまり風呂敷を広げすぎると収集がつかなくなるので手短に述べるが確かに欧米の政策は、それをもっとも端的にあらわした植民地政策や戦争主義に見られるように数々の悲劇を引き起こした。しかし、それと同時に科学の発達による様々な繁栄をもたらしたことも忘れてはいけない。わしは別に科学万能主義者ではない。むしろ欧米列強の政策を否定的に捉えている。植民地や戦争に反対なのは言わずもがなである。しかし一連の政策はいわば「諸刃の剣」であることは把握しておかねばなるまい。歴史のうねりの中でまさに今、わし達は生きているのである。「文化のイイとこ取り」は許されない。

自文化では当たり前のことが他文化では当てはまらないことは多々ある。だからといって「他の国はおかしい」とか「それに比べて日本は優れている」というのは人間として成熟していない(まったくもってまだ未成熟のわしが言うのもなんだが)。ここにおいて広井はバランス感覚が決定的に欠如している。日本文化を守るのはとても良いことだがそのために外国をけなすのは止めてもらいたい。同じ日本人として品格が傷つく。これでは協調も世界平和もくそもあったものではない。平和を望むのなら自文化と他文化の違いを認識し、そしてその違いを受け入れることをしなけらばならない。国際人とはこれを出来る人のことを言うのだと思う。

いつのまにか個人的に考えている国際人としての心得を話す場になってしまった。最後に広井についてもう一言。自分のことを広井「王子」と名乗るのは恥ずかしくはないのでしょうか。その辺の感覚が麻痺している時点で既に人間的にアウトのような気がしますよ。


2002年09月07日(土) 怖~いアニメ「おにいさまへ・・・」

先日、近所のレンタルビデオ屋にて特に当てもなくふらふらとDVDを物色しているとやおら「おにいさまへ・・・」の文字が目に飛び込んできた。背中に稲妻が走った気がした。

もう10年以上前のことだと思う。「ウルトラマン」目当てでNHK衛星放送に加入した私が交通事故的に観てしまったのがこの「おにいさまへ・・・」というアニメ作品である。その時ははっきり言ってどういう趣旨のアニメなのか全く分からなかった。記憶には少女漫画張りの美形女がわんさかでてきて宝塚の舞台のような寸劇を繰り広げるといった印象しか残っていない。ただ、作品全体に流れるおどろおどろしさ、ドロドロとした雰囲気に漠然と「怖い」と感じたものだった。そして、この作品の不思議な魅力を何となくだが感じとっていたと思う。今、時を経て再び「おにいさまへ・・・」を目の前にした私に当時の懐かしい気持ちがよみがえってきた。怖いもの見たさという心情も手伝って私はこのDVDを借りることにした。

果たして「怖い」という感想は10年を経た今でも変わらなかった。もっとも初見のときの訳のわからない怖さと違って今回はこの作品にのめり込むとアブナイという意味だが。舞い落ちるさくらの花びら、響き交うピアノの音。奈々子、マリ子、蕗子、薫の君、そしてサンジュスト、複雑に絡み合う登場人物。愛と憎しみのドラマ、めくるめく甘美な世界・・・

まるで昼のメロドラマを見ているかのような濃厚さ。こんな趣はそうおいそれと出せるものではない。いろんな意味で凄い。ヤバイ。そして怖いのである。こんな内容のアニメをよりにもよってNHKが放送してよいのだろうか。全くもってかの局のやることは分からない。何故この企画が通ったのだろうか・・・
それはさておき、もしこの作品を見ることの出来る環境にいるのならばぜひ、一度観てみることをオススメする。ただしあまりのめりこまないようお気をつけて。


2002年09月04日(水) 3日坊主を上回るヘボさ

バイト二日で挫折・・・腰をぶっ壊してしまった。何とも情けない。自己弁解の余地なし。

それにしても何でこんなに体力ないかなあ。ここ2年間目立った運動してないのがたたったか。他の人がさも当たり前にしていることが出来ない。ついていけれない。汗はもちろん、鼻水まで滴り落ちてくる(汗は目に、鼻水は口にスルーしてえらい目にあった)。隣りで働いている人に「大丈夫?」と言われるほど顔を真っ赤にさせても構っている暇はない。どんな顔だったのか、自分で見たわけではないがものすごい形相だったと推測する。ひじ・ひざを始めとする各種関節は上手く廻らなくなるし筋肉はこれ見よがしに乳酸たっぷり(かどうかは分からないが)の疲労困憊ぶり。さらに2日目には途中で瞬間的に目の前が真っ白になるという現象までおきてしまった。あれは気絶する寸前だったのか。そして腰をとどめにやられてあえなくTHE END。たかだか3時間のバイトを2日間続けただけでここまで体が変になるとは。

ともあれ、バイト先の皆様や一緒に働いている友達には大変迷惑をかけました。ここに深く陳謝いたします。今後はこのふがいない体力を強化させつつ、もうちっと自分の身の丈にあったバイトを探してみようと思います。


橋本繁久

My追加