日常些細事
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半蔵理髪店(仮名)に散髪に行く。 髪を切ってもらっている最中、以前から気になっていたことを訊ねてみた。 「最近、後頭部がすーすーするんですけど、ハゲてませんかね」 「そうですねえ」 店主は仕事の手を止めてしばらく私の頭を見ていたが、やがて一言、 「大丈夫、でしょ」 と言った。 そして黙って鋏を動かし始めた。 ほんとうか。 ほんとうなのか。 本当にハゲてないのか? 「でしょ」って何だ。 黙ってないでもう少し何とか言ってくれ! 尋ねる前よりもっと不安になってしまったではないか。
2004年01月18日(日) |
歌を読むのはむずかしい |
短歌人新年歌会へ行く。 会場はいつものように神田の学士会館。今年の参加者は160人を超え盛況である。 10時30分に中地俊夫氏より開会の挨拶があり、その後歌会が始まった。 今年提出された歌は156首。これを22首ごと7つのブロックに分けて批評していく。 私は第6ブロックの批評をさせていただいた。 その中の1首
『間口せまき鉄道模型店入りゆきてしましを鋼錆(かなさび)にほふ少年』
生活にくたびれた中年男が足を引きずるように街を歩いている。 ふと見ると鉄道模型を売っている店の前だ。 ショーケースにはD51やC56などの蒸気機関車、先日JR東海から引退した丸いボンネットの0系新幹線・・・ 「なつかしいなあ」 誘われるように狭い扉を開け、店の中に入っていく。 「いらっしゃい」 カウンターに座っている初老の店主は鉄道員の帽子を被っていた。 店の中にはミニチュアのレールが敷かれ、その上を山吹色した四角い電車がかたかたと走っている。 「これは国鉄時代の山手線。昭和49年頃の塗装だ」 男の言葉に、カウンターの店主がゆっくりと立ち上がった。 「お客さん、なかなかの通ですね」 「私はこの電車に乗ったことがありますよ、ほんの子供の頃ですが」 「わたしはこの電車を運転しておりました」 「それはすごい」 「国鉄が民営化されたとき、わたしはこの車両の窓枠にしがみついて最後まで抵抗したものです」 ふたりの鉄道談義が始まった。 そのあいだ、男は住宅ローンの支払いや会社でのリストラなど、現実社会の不安を忘れ、しばし少年時代に帰ることができたのだった。
というようなことをこの歌から想像したので、 「これは鉄道オタクのおやじの歌です」 そう批評したのだが(詠草は無記名なので、このとき作者はわからない)、歌会終了後配られた名簿を見たら永井淑子さんという女性(しかも妙齢の美人)の作だった。 作中に『少年』とあるのですっかり男性の歌だと思っていたのだが、この『少年』という言葉は辞書にも年若い人のこと、とあって、必ずしも男の子を指すとは限らない。 批評丸はずれである。 歌を読むのは難しいのう。 ちなみに永井さんは鉄道オタクではないそうだ。
知り合いの女性が本を出した。 『麻薬の恋』という小説である。 著者は林新(はやしあらた)さん。もちろんペンネームだ。 本の帯には 「高校教師と女子高生の禁断の恋 日記風に描いた幼い愛の行方は?」 とある。 恋愛小説なのにサスペンスもあり、なかなかおもしろい。 私は短歌の結社に入っているため知人が本を出すのは珍しくないのだが、彼女はそういった文芸の集まりには無縁の人である。だから自費とはいえ突然の出版には少々驚いた。旅行関係の会社に勤めるとても忙しい人なのに(家にもあまり帰れないほど)よく執筆の時間があったものだ。根性と情熱の賜物であろう。 本人の弁によると「20代の記念に書いた」そうだ。 私は計画性の無い行き当たりばったりの性格だから人生の節目に何かする、というようなことは一度もない。 年齢に関係なく、こういうしっかりした性格の人は無条件に尊敬してしまう。 きっと30代の目標というものもすでに決めていて、間違いなく実行するのだろうな。
『麻薬の恋』は定価800円(+税)。健友館というところから出版されている。 全国の有名書店に置かれているそうだ。 ちなみに岡山県では紀伊国屋書店と宮脇書店にある。 見かけた方は一度手にとってみてください。
2004年01月06日(火) |
しょうがないか(初詣Ⅲ) |
新年早々不穏な空気の漂う吉備津神社おみくじスタンド前であったが、新聞沙汰になるような惨劇も起こらず(ちぇっ)、グレーコートの男も心なしか嬉しそうにその場を去っていった。きっと良いくじを引いたのだろう。 私の引いたおみくじはというと 『吉』。 「今まで気くろうなりしもおいおい時節きたりて心配なくなる」 「願望おそく叶ふ」 「病気となれど大事にいたらず」 「まちびとそのうちに来る」 と、読みようによっては結構無責任な(「そのうちに来る」ってなんだ)言葉が並んでいる。 まあしょうがないか『吉』だし・・・。 自分の占いでも、今年の高橋浩二の運勢は 『良くも悪くも無いけど、どちらかといえばいいんじゃないですか』 だったしな(これも無責任ですね)。 境内の木におみくじを結んで帰る。 たくさんのおみくじを結び付けられて、神社の木々は一斉に白い花を咲かせたようだった。
2004年01月05日(月) |
おみくじを待つ人(初詣Ⅱ) |
初詣といったらおみくじである。 境内には大勢の参拝客を当てこんだ臨時のおみくじスタンドが数箇所設けられていて、いかにも高校生のアルバイトといった感じの若い巫女さんがお客を捌いている。どのスタンドもおみくじを求める人が列をなしていた。 そのうちのひとつに私も並ぶ。 並んでいる人の表情は様々だ。 私の5人前にいた初老の男性は家から一杯ひっかけてやって来たらしく、赤い顔をしてご機嫌である。家族らしい、少し離れて立っている4人連れの男女(奥さんと娘と長男夫婦といったところか)に大声で話し掛け、ひとりで笑っている。 4人の方はこのお父さんを連れてきたことを少々後悔しているようで、話し掛けられても他人の振りをしてそっぽを向いていた。 対照的だったのは私のすぐ前にいた男性。年は40代半ばぐらいか。使い込んだグレーのコートのポケットに両手を入れ、首をすくめるようにして立っている。時々大きな溜め息をつく。いかにも 『生活に疲れました』 といった後姿である。 行列はなかなか進まない。 すこしいらいらしてきたころ、ようやく赤ら顔のお父さんのところまで順番がまわってきた。 ここのおみくじは、直径20センチほどある8角形の箱をしゃかしゃかと揺することから始まる。箱の中には番号のついた木の棒が入っていて、揺すると箱に開けられた小さな穴から棒が1本出てくる。その棒に書かれた番号のおみくじを巫女さんが渡してくれるという仕組みだ。1回100円。 赤ら顔のお父さん、酔った勢いで猛烈に箱を揺さぶっている。その時間が結構長い。周りを笑わそうとしているのか、おみくじの箱をカクテルシェーカーのように振ったりもする。 お父さんの家族はいつのまにか居なくなっていた。 おいおい。早くしろよな。 うんざりして私がそう思った時、 前に立っているグレーのコートの男が、小さく唸るように、 「はよせいやー(早くしろよ、の岡山弁)」 と言うのが聞こえた。 その声は、まるで地の底からふつふつと湧き出る熱い溶岩みたいに怒気を含んでいた。 男の前に並んでいる善良そうな老夫婦がぎょっとしたように振り返ると、また慌てて前を向いた。 ふたりの背中がありありと緊張している。 おとーさーん。早くおみくじ引いてくれ。 にわかに緊迫してきた行列の先頭で、しかし相変わらず赤ら顔のお父さんはうれしそうに箱をしゃかしゃかさせているのだった。
2004年01月04日(日) |
お酒が多いぞ(初詣Ⅰ) |
ようやく休みが取れたので、遅ればせながら初詣に行く。 向かうは吉備津神社。ここは四道将軍のひとり大吉備津彦命を主神に祭った、岡山県を代表する神社のひとつである。 近所にも小さな神社があるにはあるのだが、 『従業員4人、うち社長の家族3人』 の零細企業よりも 『東証1部上場従業員1万人』 の大企業の方が、一般的にお給料がよろしい。 同様にしょぼい神社より全国的に名の知れた由緒正しき大社にお参りする方が御利益ありそうではないか。 そう思っているのは私だけではないらしく、もう正月3ヶ日を過ぎているというのに結構な人出である。 大きな鳥居をくぐり抜け、急な階段を登ると正面に拝殿が見えてきた。 お供えの酒の量が半端ではない。でっかい賽銭箱を取り囲むように 1升瓶1升瓶1升瓶1升瓶酒樽酒樽酒樽酒樽1升瓶1升瓶酒樽1升瓶1升瓶 と、びっしり奉納されている。 それがオブジェみたいに並べられていて壮観である。 こんなに呑んじゃったら、いくら神様でも酔っ払っちゃうんじゃないか。 願い事、ちゃんと聞いてくれるんだろうな。
私「神様。どうか願いをかなえてください」 神様「よっしゃよっしゃ。なーんでも叶えちゃる。ヒック」 私「ほんとですか」 神様「ほんまや。ほんまや」 私「ぼ、ぼくお金持ちになりたいんです」 神様「おお。まかしとけ」 私「うれしいなあ。絶対ですよ」 1年後。 私「ちょっと神様。ぜんぜん願い事叶ってませんよっ。お金持ちにしてくれるって言ったのに貧乏なままじゃないですか。どうなってるんです」 神様「ん?そんな約束したかな。あの日は酔ってたから何も覚えてないのよ」
なんてことにならないだろうな。 いささかの不安を抱きながらお祈りしたのだった。 まあ大吉備津彦命なんだから間違いないだろうけど。
届いた年賀状の整理。まだこちらから出していない人がいたら返事を書くためである。一枚一枚確認する。 「山田さんには出した。鈴木さんにも出している。保険屋は放っておいてよし。田中さんには出した」 どうやら発送漏れは無さそうだ。よしよし。と思った矢先、 「あれ。この人・・・」 岩玉兵助(仮名)氏から年賀状が来ている。 氏は昔私がお世話になった人だが最近は疎遠になっていて、年に1度会うかどうかの関係である。 「たしか年賀状、送ったよな」 どうも確信が無い。 ここで返信を出して、万がいち年賀状が2枚届いてしまうと失礼だ。岩玉氏はもう高齢だが結構プライドの高い人なので、 「高橋の奴、また年賀状を送ってきおった。最初に出したのを忘れておるな。わしは忘れられるほどの存在かっ」 と怒るのは間違いない。血圧も高い人なので脳溢血をおこすかもしれない。 それなら出さないほうがいいが、しかし1枚も届いてないと 「わしが年賀状を送ったのに返事もよこさん。けしからん」 と怒るのは間違いない。 こんなことで関係が悪化するのも困るし。 正直に書いてみようか。 『あけましておめでとうございます これが2枚目の年賀状だったらすいません 実は岩玉さんに年賀状を送ったかどうかよく憶えていないので とりあえず出してみました』 ううむ。余計怒るかもしれん。 どうしようかなあ、年賀状。
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