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2025年07月22日(火) 東京体育館が歓声に包まれる

私が生観戦した心に残る凄い試合第5弾です。1995年11月5日に東京体育館で行われた第6回全世界空手道選手権大会の準々決勝、数見肇vsグラウベ・フェイトーザです。これは生観戦したと言ってもお客さんとしてより一緒に稽古をしたり食事に行ったりさせて頂いている、数見先輩の応援に行っていたという感じでした。この試合は私が東京体育館で歓声では1番大きな歓声でした。大げさではなく東京体育館がワーッと言う歓声で包まれた感じでした。あんな事はこの30年で起きた事は1度もありません。それこそK-1やPRIDEで聴いた歓声よりも大きかったです。試合は試合の中盤にグラウベ・フェイトーザ選手に数見先輩がボディを効かされ、グラウベ・フェイトーザ選手のパンチと膝蹴りの猛攻撃をくらい、劣勢ながら下段回し蹴りを合わせ続け、なんとか凌いでいる状態で本戦が終わりました。結果は引き分けで延長戦に入りました。同じような感じなら、さすがに延長戦はグラウベ・フェイトーザ選手に旗が上がるだろうと、わたしは必死に声を出して数見先輩を応援していました。延長戦でも数見先輩は下段回し蹴りを蹴り続けました。だんだんとグラウベ・フェイトーザ選手が下段回し蹴りでグラついて来た所に数見先輩の下段回し蹴りが足払いになりグラウベ・フェイトーザ選手が転倒しました。技有りでも良いタイミングでしたが、主審は認めずで流しました。その後も数見先輩か下段回し蹴りを蹴り、遂に技有りを取りました。そのあとグラウベ・フェイトーザ選手は数見先輩の下段回し蹴りに戦意を喪失したように後ろを向いてしまい技有りになり、数見先輩の1本勝ちとなりました。私は数見先輩が勝った瞬間、立ち上がって泣きながら叫んでいました。私はあの時の数見先輩が極真空手最強の選手だと思っています。真を極めた強さだったと思っています。私達の世代の空手家で最強は数見肇先輩だと思っています。


2025年07月21日(月) 私が生観戦した心に残る凄い試合第4弾

私が生観戦した心に残る凄い試合第4弾です。2002年12月7日に東京ドームで行われたK-1 WORLD GP 2002 準々決勝で行われたアーネスト・ホーストvsボブ・サップです。この2人の戦いは約2ヶ月まえのGP1回戦で行われました。その時はボブ・サップ選手が大番狂わせを起しアーネスト・ホースト選手に1ラウンド終了時TKOで勝利をおさめました。なのでこの試合はアーネスト・ホースト選手のリベンジ戦と言う事になります。私は格闘技はやはり圧倒的になら身体の大きい方が強いと思っています。圧倒的な体力差の前では技術は通用しないと思っています。よく大山倍達総裁が力の中に技があると言っていましたが、力がなければ技は使えません。なので圧倒的に体格差と体力差があれば圧倒的に技術があったとしても負ける事があると私は思っています。だから私は体重制限のあるボクシングやキックボクシングではなく極真空手を選びましたし、力を付ける事や身体を大きくする為に食べて食べてウエイトトレーニングをして力を付けて身体を大きくしたのです。ですが私も当時は素人に毛が生えたボブ・サップ選手にミスターパーフェクトや精密機械と言われた技術力の塊であるアーネスト・ホースト選手が負けた事はとてもとてもショックでした。本当に圧倒的な体格差と体力差の前にはアーネスト・ホースト選手ほど完成された技術力を持っていても通用しないのか?その答えを見たい気持で東京ドームに足を運びました。1ラウンドにアーネスト・ホースト選手がボディブローでボブ・サップ選手からダウンを奪ったものの、結果は2ラウンドでボブ・サップ選手がKO勝ちをしました。私はアーネスト・ホースト選手がボブ・サップ選手に負けるのを見て呆然としました。やはり圧倒的な体格や体力を持つものが強いと言う事を思い知らされました。東京ドームから帰る時は本当にがっかりして帰りました。何故そんなにがっかりしたのかと言うと、このあとボブ・サップ選手が次の試合を棄権した事によりアーネスト・ホースト選手が決勝戦に出場となりました。そしてなんとなんと逆のブロックから決勝進出したジェロム・レ・バンナ選手に勝ってアーネスト・ホースト選手が優勝してしまったのです。ボブ・サップ選手に1回戦と準々決勝で2回負けたアーネスト・ホースト選手がジェロム・レ・バンナ選手に勝ってしまったのです。もう何とも後味の悪い大会でした。でもそれだけに心にも大きく残りました。


2025年07月20日(日) 記念すべき第1回のイベント

私が生観戦した心に残る凄い試合第4弾です。1993年4月30日に代々木第一体育館でフジテレビ主催のLIVEUFO内で行われた。記念すべきK-1グランプリ第1回目のイベントK-1 GRAND PRIX '93で行われた。当時立ち技最強と言われたモーリス・スミス選手と数カ月前に18歳の若さでそのモーリス・スミス選手を破ったピーター・アーツ選手を1回戦で破って上がって来たアーネスト・ホースト選手との準決勝戦のモーリス・スミスvsアーネスト・ホーストです。試合中ずっと主導権を握りモーリス・スミス選手をコントロールしていたアーネスト・ホースト選手が右のハイキックで失神KO勝ちでした。時代の流れが変わる瞬間を目にした事に興奮しました。この時のアーネスト・ホースト選手はとても凄いことをしたのですが、馬鹿みたいにはしゃいで喜ぶ事もなく相手に対しても尊敬と感謝の気持を感じました。私は極真会館に属していましたが、これは正道会館とK-1のブームが来るなと思いました。ですがやはりその頃のK-1はヘビー級の化物の闘いという感じでした。私は無差別の闘いに興味があり極真空手を始めたのですが、やはり感覚的に拳での顔面への攻撃がある競技では自分より身長が10センチも20センチも高く体重が20キロも30キロも多い外国人選手には勝てないどころか殺されてしまうと感じたのだと思います。プロレス同様やはり自分とは違う次元にいる怪物のような人達の闘いに感じていたのだと思います。なので日本人としてK-1で戦っていた佐竹雅昭選手や武蔵選手などの日本人選手は本当に凄いと思って見ていました。


2025年07月19日(土) フランシスコ・フィリョ選手

私が生観戦した凄かった試合の第3弾です。東京体育館で1991年11月4日に行われた第5回全世界空手道選手権大会最終日の4回戦で行われたアンディ・フグvsフランシスコ・フィリョです。4年前の世界大会で外国人初の決勝戦進出者で準優勝したアンディ・フグ選手と20歳の新鋭ながら前日の3回戦外舘慎一選手との試合をカカト落としで1本勝ちしたフランシスコ・フィリョ選手の試合は試合前からとても良い試合になるのではないか?とワクワクしていました。驚いたのはアンディ・フグ選手のカカト落としを蹴ってきた足に前蹴りのカウンターをとっていた事、何度もアンディ・フグ選手の顔をブラジリアンキックがかすめていたこと、試合の主導権をずっとフランシスコ・フィリョ選手が握っていた事です。そして延長2回で左上段回し蹴りでアンディ・フグ選手を倒し、フランシスコ・フィリョ選手が1本勝ちしたのは衝撃でした。歳も私と2歳しか変わらない選手があのアンディ・フグ選手を倒したのです。私はその試合を見て、自分はかなり出遅れている、自分も頑張らないといけないと本気で思いました。あの衝撃は今でも心に残っています。


2025年07月18日(金) 市原海樹選手

私が生観戦をした凄かった試合シリーズ第2弾です。THE WARS '93、1993年7月8日に後楽園ホールで行われた市原海樹vsヤン・ロムルダーです。市原海樹選手は大道塾の選手です。大道塾は極真会館の全日本空手道選手権で優勝された東孝師範の団体です。なので極真空手の選手同様に大道塾の選手からもたくさん影響を受けました。その市原海樹選手がキックボクシングルールでオランダの強豪ヤン・ロムルダーと対戦しました。たぶん身長は10センチぐらいは市原海樹選手の方が小さかったと思います。普段のルールとは違う不慣れなキックボクシングルールに挑む市原海樹選手はとてもカッコ良かったです。入場時に入場曲を流す事を拒否し、入場曲無しで入場して来た市原海樹選手に武士道の精神を見せられました。ヤン・ロムルダー選手はキックボクシングの強豪なのに対し、市原海樹選手はキックボクシングの試合は2戦目なので、この試合も市原海樹選手が勝つのは難しいだろうと思いながら応援していました。市原海樹選手は身長差もあるためかなり苦戦していましたしダウンも先に取られてしまいました。そこから粘りに粘って大逆転の5ラウンドKO勝利でした。私は勝手に大道塾の選手も極真魂を持っていると思って見ていたので、市原海樹選手が勝った時に極真魂は混戦に強いんだ!と思いました。現在のUFCがアルテミット大会と言われ素手素足金的攻撃頭突きありだった時代に日本人で初めて出場しホイス・グレイシーに負け、インタビューに答えることもなく雑誌にも出ることもなく、そのまま格闘技界から去って行きました。その去り方にも武士道を感じます。私は今でも市原海樹選手を尊敬しています。


2025年07月17日(木) アンディ・フグ選手

私が会場で見た格闘技の試合で凄かったと思う試合を書きたいと思います。K-1 CHALLENGE 1994年3月4日に日本武道館で行われたアンディ・フグvsブランコ・シカティックです。この試合はキックボクシング3戦目のアンディ・フグがこの前年に行われた第1回K-1グランプリチャンピオンのブランコ・シカティックに挑むという無謀な試合に思われましたが、なんとなんとアンディ・フグが勝ってしまったと言う試合でした。日本武道館に凄い歓声があがりました。1ラウンドの序盤ででアンディがダウンを奪われた時は「あ〜あ、やっぱりそうだよな〜!」と思いましたが、アンディが根性で大逆転しカカト落としや左フックが入るたびに私は立ち上がって歓声を上げていました。グローブを付けて顔面ありの極真の試合を見ているような感じの試合でした。極真の選手は根性比べなら絶対に負けないんだと思いました。アンディ・フグの勝利が極真空手の勝利のように思いました。たぶん私が本当にファンと言うか格闘技の素人のような気持で観客の1部になって大声を出して、格闘技の試合を観戦したのはあれが最後なんじゃないか?と思います。あの試合を生で観れた事は本当に幸せでした。諦めない精神と言う物のカッコ良さと素晴らしさと大切さを見せてもらいました。自分とは全然タイプは違う選手ですが、アンディ・フグ選手みたいになりたいと思って稽古していた時期が有りました。因みに私の極真でのデビュー戦はカカト落としで1本勝ちでした。


2025年07月16日(水) 子供達には負けたくない

次男はあと少しで妻の身長を追い越しそうです。長男は私の身長をだいぶ前に追い越しました。私が帰宅した時に長男がいたので「まだ背は伸びてるか?」と聞いたら、長男は「伸びてると思うよ」と言うので、2人で並んでみたら、前よりさらに長男の方が私よりも背が高くなっていました。このまま伸びて行けば、180センチぐらいにはなりそうです。でも腕ずもうは長男も次男も妻にも勝てません。おそらく2人とも私には一生勝てないだろうと思います。そして私の1番得意な喧嘩だけは絶対に2人に抜かれたくないので、これからもしっかり身体を鍛えて精進したいと思います。


2025年07月15日(火) 7月も半分が終わろうとしている

今日で7月も半分が終わろうとしています。15日なので鷲神社へ参拝し、大森道場の神棚の榊と酒と米と塩と水を替えて掃除をし7月後半も無事に過ごせる事を祈願しました。6月から始めた掃除の仕事も順調です。1日のペースや1週間のペースがだんだんと身に付いて来ました。今週末からは忙しくなるので気合いを入れて頑張ろうと思います。


2025年07月14日(月) 国宝

「国宝」の下巻を読んでいます。映画とはまた違う感じでとても面白いです。映画では、ほとんど出て来なかった徳次や、映画には出て来なかった弁天や赤城洋子や荒風とのエピソードや映画出演のエピソードなどが好きです。


2025年07月13日(日) スーパーマン

妻と次男と3人で川崎のTOHOシネマズに「スーパーマン」を観に行きました。小さい子がスーパーマンに助けを求めていて、そしてスーパーマンが助けに現れた時の小さい子の顔がとても良いです。困っている人を助けに現れたスーパーマンを見る時のあの喜ぶ顔が、私が小さい頃に強くなりたいと思った原点だと思います。強ければ人を助けてあげる事が出来ます。それは力だけではなく技術や能力や資格もそうだと思います。疲れている人がタクシーを待っていたら、タクシーの運転手はスーパーマンだし、病気で困っている人には医者がスーパーマンだし、警察も弁護士も司法書士も税理士もみんなスーパーマンになり得るのだと思います。自分の持っている力で困っている人を助けてあげられたらスーパーマンなのだと思います。


2025年07月12日(土) 最近は

7月もあと少しで半ばです。最近は有難い事に仕事も忙しく、読みたい本もたくさんあります。今は「国宝」の上巻を読んでいます。国宝の下巻を読み終わったら、その次は細田昌志著「力道山未亡人」を読みたいと思います。その後は吉田修一作品を読み漁ろうと思っています。


2025年07月11日(金) 次男の帰宅と長男の空手復帰

次男の真白が移動教室から帰って来ました。移動教室での楽しい話をたくさん話してくれました。ナイトウォーキングでは暗い道を歩いていて、みんなビッビってたそうです。次男が作った2つのクルミ細工の1つを女子のお友達が次男の好きな女の子に渡してくれたそうです。自分で渡せなかった理由は、女の子は1人になる時が少ないという事と、緊張してしまった事らしいです。でも何はともあれ好きな人に自分が作ったクルミ細工を渡せたようです。そして帰宅するとその子からLINEでありがとうと連絡が来ていたそうです。部屋では枕投げをして先生に怒られたそうです。青春しているなと思いました。長男が今日からカラテに復帰しました。頑張って稽古していました。久しぶりなのにさまになっていました。なかなかセンスあるなと思いました。


2025年07月10日(木) 家族の愛情

次男が移動教室でいなくなって2日目です。長男は「真白いねーとつまんねーなー!俺、1人っ子は無理だわ!」と言っていました。妻は次男の写真を見て「この真白の顔見たら、寂しくなった」と言っていました。私も次男の「パパ、お休み!」が聞けなくて、とても寂しいです。1日会えないだけで、こんなに愛おしく感じると言うのが家族と言うものなのかな?と思います。「真白ー!早く帰って来てくれー!」


2025年07月09日(水) 移動教室で

今日から移動教室で次男がいません。夜は巨人戦を観ながら過ごしましたが、次男がいないと家の中が静かです。良くしゃべる可愛い次男がいないと家の中も少し寂しい感じになります。「パパおやすみ!」と言ってくれる次男がいないと寂しいです。早く帰って来て欲しいと思います。


2025年07月08日(火) 妻は幸せの象徴のような人

妻は私にとって幸せの象徴のような人です。ある意味では私よりも強さを持っている人だとも思っています。私が膝の手術をしたり、アキレス腱を切ったり、股関節を人工関節にする手術をしたり、私が悩んでいたり、落ち込んでいたりする時もいつも笑顔でいてくれます。妻と話していると心が軽くなります。子は鎹と言いますが、菅野家では妻が家族の鎹になってくれていると思います。子供達も妻といる時はゲラゲラ笑っています。妻だって大変な事はたくさんあるはずですが、そんな事は周りには全然感じさせません。そういう人が本当に強い人なんだろうなと思わせられる時があります。妻と一緒にいるようになってとても心が軽くなりましたし幸せになりました。だから妻は私にとって幸せの象徴のような人です。


2025年07月07日(月) 国宝

今日は七夕でした。あまり七夕だと言う実感が無いままに1日が過ぎてしまいました。吉田修一の「国宝」を読んでいます。昨日映画を観たのですが、理解出来なかった部分や疑問に思った部分に合点が行きました。映画の方は本当に映像が綺麗でストーリーもスッと入って来ました。でもやはり登場人物の心情を理解するなら小説に限るなと思います。小説もとても面白くて文章に引き込まれるように読んでいます。国宝を読み終わったら、吉田修一作品を読み漁ろうと思います。


2025年07月06日(日) 急遽予定が空く

いろいろなアクシデントがあり急遽予定が空いたので観、前から観たいと思っていた「国宝」を観に行きました。とても良い作品でした。とても美しい作品でした。とても考えさせられる作品でした。小説も読んでみたいと思います。


2025年07月05日(土) 生きた証を

私は高校1年生の夏前に退学になりました。その時は人生が終わったと思い絶望しました。自分が悪い事をしたのですが、社会はこんなに厳しいのか?と思いました。そして働いたら、さらにさらに社会の厳しさと労働を厳しさを感じさせられました。何のために1日のほとんどの時間を働くのだろう?住むため食べるためだとしたら、働かなくては生きていけません。でもそれだけのためにこんなにつまらない事を毎日毎日やって四苦八苦して歳をとって行くのか?とも思いました。だったら生きている事に意味はあるのか?人間って何のために行きてるんだ?そもそも何のために生まれて来たんだ?と思いました。生きていくために毎日こんなにつまらないのなら生きていく意味はないんじゃないか?と思いました。どうせ1回は死ななければいけないのであれば今死んでも同じなんじゃないか?本気でそう思いました。でも本気で死のうと思えば思うほど、死ぬ事が怖くなりました。自分は一生懸命に生きる事も出来なく、死ぬ事すら出来ないんだと思いました。そんな時に出会った言葉が「カルペディエム」「たとえ明日世界が滅びようとも今日、僕はりんごの木を植える」でした。私はお金のためだけに働くのは嫌です。働くのなら自分が成長したいし楽しみたいです。そうじゃなきゃ時間が勿体ないと思います。どんな仕事をしていてもその瞬間を一生懸命に過ごして自分を成長させていきたいです。死ぬまでには自分の生きた証を残したいと思っています。


2025年07月04日(金) 次男は癒し役

次男の真白は本当に可愛い所があります。菅野家では真白は癒し役です。私が入浴している時に妻も長男も次男も寝てしまいますが、次男は必ず私の所に来て「パパお休み!」と言ってから寝ます。もうそれだけで1日の疲れやストレスなんて吹っ飛んでしまいます。いつも本当にありがとう!


2025年07月03日(木) 理不尽?

今は理不尽と言われてしまう事が多いなと思います。本当に理不尽な事は私ももちろん良くないなと思いますが、私が生きた青春時代には理不尽がたくさんありました。極真空手の世界には理不尽はありました。理不尽なんて言う言葉では現せないぐらい、いろんな事がありました。妻や子供達や友達に話すと爆笑が取れるぐらいの理不尽エピソードがたくさんあります。でも私はその時代に生まれて良かったと思っていますし、あれを耐えた事が勲章ですし、今では自分の大きな財産になっています。だから恨みなんて本当にありません。今に生まれてたら本当につまらないなと思うぐらいです。あの時代にあの世界であの先輩達と一緒にいれた事を光栄に思っています。極真空手理不尽エピソードも笑い話として教訓と言うか昔話的に書きたいと思うのですが、こちらは恨みもなく感謝していて面白おかしく書いているつもりでも、読む人が読みと悪口や批判や恨み節と捉えたりするので難しい時代になったなーと思います。


2025年07月02日(水) 訃報

極真会館の第1回全日本空手道選手権大会の優勝者の山崎照朝師範が6月22日に亡くなられたと訃報を聞きました。山崎照朝師範とは五反田のワークアウトで1度だけお話をさせて頂いた事がありました。山崎照朝師範は空手バカ一代にも出ていたので、もちろん私もファンでした。何年か前にも山崎照朝師範の著者を読みました。とても寂しく感じますし、時代の流れを感じさせられます。でも悲しんでばかりはいられません。私達の番が来るのだってそう遠くの事ではありません。毎日を情熱を持って、いろんな事を感じていろんな事を考えていろんな事を思って一生懸命に生きたいと思います。


2025年07月01日(火) 今日から7月

今日から7月です。2025年も後半に入りました。朝の仕事を終えてから、鷲神社に参拝に行き、大森道場の神前の榊󠄀、米、塩、酒、水を替え、神前に手を合わせて感謝と発展を祈願して、稽古やトレーニングをしました。7月は本当に忙しくなります。自分の未来の為にしっかり頑張っていこうと思います。


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