umityanの日記
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2007年02月24日(土) 結婚披露宴への旅・完結編

新郎・新婦から両親への感謝の言葉を涙ながらに聞いた。宴もクライマックスだ。興奮さめやらぬまま、最後の章へ突入。追い討ちをかけるように両家を代表して新婦の父親(われわれの友人)が、お礼の言葉を述べた。高校時代は方言丸出しで、挨拶なんて到底うまいとは思っていなかったが、いやああーーー、やればできるものだ。淡々と落ち着いて、一語一句、選び抜いたかのごとく言葉を選択し、見事にやってのけた。予習の効果がまさに発揮された。

われわれ友人一同は、「ほほう、なるほど」と感心するばかり。その後、新郎が二人を代表して、来賓の客にお礼の言葉を述べた。これもすばらしかった。その理由はただひとつ。心のこもったお礼の言葉だったからである。まあ、当然と言えば当然だが・・・・。

めでたく宴も終了した。再び新幹線に揺られて我が家へ帰ろうかと思ったが、友人たちは花嫁の父親がチャーターしたマイクロバスで帰るとのこと。僕も便乗することにした。バスはビルの谷間を潜り抜け、風光明媚な海岸線を北へひた走り。僕たちはバスの中で披露宴の模様を語りながら、用意されていたビール缶の栓を抜いた。

バスから降りるまで、しゃべりっぱなし。飲みっぱなしだった。2時間ばかりで到着。小雨がぱらぱらと落ちてきた。娘を嫁がせた両親の涙かのごとく思えた。まさにグッドタイミングの雨ってところか?。

ここで、お開きにすればよかったが、ビールで勢いが回ったか、この地で再びアルコールにまみれることになる。結局、ホテルに一泊することになった。ま、これも宴、縁である。久しぶりに飲む故郷の酒。酔いたくもあり、酔いたくもなし。そんな心境だった。

翌朝は、早々に列車に乗って、我が家へと急いだ。なんとなれば、仕事が待っていた。あああああ、人は、ゆっくりと僕に時間を与えてくれない・・・・・。「金はいらないから、時間をくれ」と言った友人の言葉を思い出す。僕もそう言ってみたいが、それじゃああ、おまんまの食い上げだ。
すべからく労働にいそしむことにしよう。

なにはともあれ、久しぶりに味わった感動の一時だった。(完)


2007年02月20日(火) 結婚披露宴への旅。③

結婚披露宴への旅、第三弾を記録しておこう。僕たちは「今や遅し」と、新郎新婦の入場を待ち構えていた。と、司会者の声とともに、華麗なる音楽が流れ、係りのものに引率されながら新郎新婦が入場してきた。昔なら、「たんす長持ち歌」とかの尺八の音にあわせて、厳かに入場するのだろうが、今や時代は変わった。リズミカルな音楽にあわせて僕たちも手拍子だ。新郎は羽織はかま、新婦は着物に、鉄砲ゆりの親分みたいな白い角隠しをかぶっていた。「角隠しかあーーーー」。時代とともに、角隠しの形も変わっていくようだ。最近のものはやはり、デザインもしゃれているようだ。

壇上に設けられた席に座ると、司会者の音頭により、新郎側、新婦側の代表者がそれぞれに挨拶を述べた。企業の宣伝文句に始まり、後半の終わり近くに新郎・新婦の仕事の紹介と、期待の星である旨が告げられた。本人たちの賞賛よりも、企業の賞賛が優先するところが、いかにも日本的だと、友人たちともども笑ったことである。

ワインで乾杯の後、祝宴のはじまりだ。昔なら、仲人の挨拶に始まり、まだまだ演説が続いているはずだが、挨拶も30分程度が限度である。そういう意味では仲人なしの結婚も悪くはない。テーブルの隣保者たちと、「めでたい、めでたい」と話しながら焼酎に舌鼓をうった。こういう場所では、ママさんがいるわけでもなく、コンパニオンのお姉さまたちに上品にお代わりを所望するのが精一杯。久しぶりにおめかしした背広に、粗相でもすれば、山ノ神のそしりをうけることは必定。慎重に、慎重に、上品に振舞うは当然のことだ。

場も架橋に入り、定番の日本舞踊や、余興が始まった。会社の同僚たちが、あの手この手で新郎・新婦を祝った。こういう光景はいつも楽しく、ほほえましく思える。と同時に、結婚という人生にとっての大きなイベントを同じ釜の飯を食う同僚たちが、心より祝ってくれるその思いやりに、日本という国もまだ捨てたものではないなと思えた。

さあ、いよいよ、新郎・新婦が両親への感謝の言葉を述べる時間がやってきた。一番苦手な場面。新郎側は父親がすでに他界しており、母親への感謝の言葉を涙ながらに告げた。会場から「がんばれ」という言葉が飛んだ。なんとか気を持ち直して終了。僕も友人たちもハンカチで目頭をぬぐった。次は新婦の番。さすがに、女性。女性は強しとはこのことだ。冷静なる口調で、淡々と両親への感謝の言葉を延べ、最後の章になり突如、涙ながらに今日に至るまで、けんかしながら協力してくれた両親へ、心からの感謝を述べた。いやああ、お見事。経験のない僕とはいえ、ぼろぼろと泣けてしまった。友人たちも同じだ。会場はもちえろんのこと。

泣きの続編は後日にしよう。


2007年02月19日(月) 結婚披露宴への旅。②

忘れないうちに、「結婚披露宴の旅」の続編を書いておこう。駅へ降り立った僕は、初めて見る駅周辺の光景に見とれながら、周りを探索することにした。早くに家を出たので、腹は結構すいていた。軽食をと思ったが、それじゃあ披露宴の料理がはいらなくなる。とりあえず喫茶店でコーヒーでものむか?と歩いていると、折もよし、コーヒー豆を売っている店員さんがいて、試飲を勧めてくれた。

わたりに船とはこのことか?。すかさず「いただきます」と紙コップに入れて差し出されたコーヒーを受け取った。「たたより高いものはない」というが、丁寧に豆の購入を断り、ポッカポッカとあったまり、先に来ているらしい友人へテルをいれた。

案の定、友人はホテル三階の喫茶室兼待合室で待機しているとのこと。僕はタクシーに乗り会場へと赴いた。僕は本質的に、一人でタクシーに乗るのは嫌いである。なんとなれば、まず密室であること。ドライバーさんの人格が話してみないとわからないこと。さらには道不案内なため、どこを走っているのか認識できないこと。会話をすべきか黙しているべきか、気を使わねばならないこと。まあ、そんな理由により、近ければ歩いていくのだが、今回はそうもいかない。

結局は、黙することが多いまま、ホテルへと着いた。代金四捨五入男の僕は、感謝されつつ車を降りた。久しぶりに「決まったぜ」といいたくなるような背広とネクタイで身を固めた僕は緊張した面持ちで、ぎこちなく歩きながら友人の待つ喫茶室へ急いだ。

友人は高校時代の同級生である。数名の同級生がこの披露宴に招待されていた。僕たちは「いかほど包むか?」と、何回か打ち合わせを行い、片手にするか三本にするか?と迷ったが、「三本でいいんじゃない」ということで結局は三本で決まりだ。旅費をいれれば結局は片手になるから、それでいいのだろう。あまり詮索はすまい。

程よく受付を済ませた。「えええっつ?」と驚いた。二百名近くの出席だった。「こりゃまた。すごいぜ」と、名簿からわが席を探した。いやああ、なかなかの席。「エメラルド」と銘がしたためてあった。なるほど、テーブルの銘は全部宝石をあてがっているわけだ。これじゃああ誰も不満はいえまい。宝石名に優劣があるわけもないだろう。別の友人とも合流し、僕たちは「今や遅し」と開宴を待った。紙面が長くなった。続きは後日にしよう。


2007年02月13日(火) 何が買いたかったのかわからない今日。

冬らしくない冬が去ろうとしている。時は春。はぐくまれた生がいっせいに顔を出すころ。そんなこの頃が好きである。僕の心まで若返ったみたいにはしゃいでしまう。

そんな中、先日は、田舎の駅から都会の駅に降り立った。あまりの人、人、人にびっくり。幾多の人とすれ違った。無表情のままに。そこには当然、人間関係はない。まあ、それはいい。男性の顔はあまり凝視しないが、女性の顔にはいちおう視線を投げる。、女性たちの美しいことよ。みなみな、スラッとして、さっそうと歩いている。初老の僕に一瞥をくれる人もいない。さびしい限りだぜ。

それは仕方がない。すでに、笑うセールスマンの時代は終わったのだ。短い足をちょこちょこ運んで、にんまりと歩いていれば、まさにとっちゃんぼうや。おまけに無芸大食ときたら致命的。そういうキャラクターがもてはやされた時代は終わった。やはり、すべてがスマートになったのだろう。

思うに21世紀は女性の時代かもしれない。90歳ちかくまで、平均寿命を伸ばし、この世の春を謳歌するのは女性達だろう。願わくば、世界を震撼させる存在ではなく、心優しい女性達であったほしいものよ。それが気が弱くなった男性達の願いかもしれない。


2007年02月11日(日) 都会と田舎のギャップ。

一月にさよならして2月を迎えた。すでに10日がすぎた。あれやこれやで多忙の毎日だった。そんな中、昨日は近郊の大都市で同窓会が催された。ここ数年、欠席していたが、昨日はとりとめた用事もなく出席することに。

車で行くのは面倒なので、ひさびさに電車で行くことにした。「電車かあーーーー」。もう何年も乗ったことがない。切符を買おうと、全自動販売機の前に立った。「ありゃーーどうやって買うんだったっけ?」と一瞬たじろいだ。乗車券と特急券は別々に買うのか、一緒になっているのかわからなかったので、隣で買っている二人ずれの女性に尋ねた。彼女らも最近電車に乗ったことがないらしく、わからない様子だったが、見事、乗車券と自由席特急券が一体と判明。「良かったぜーーー」ということで、僕も購入。

さて、次は切符を自動吸入機へ入れ、自動搬出口から取り出すことになる。以前、どこそかで、これをやったら、入場口の開閉扉が固く閉ざされたまま開かない。要するに切符の投入ミス。これが恥ずかしいんだよなあーー。周りの視線が「田舎者だー」と告げている。この屈辱もなんとか笑いでごまかして、そしらぬ顔。まああよくある光景だ。さすがに、昨日はそんなことはなかった。

民営化になってからの、座席や車内は結構きれいだった。「なるほどねーーーー」と変に感心しながらすいているシートに陣取った。駅の本屋で買った単行本を読みながら目的地を目指した。ほんの40分程度の列車の旅だ。

車窓から見える風景が印象的だった。緑の田んぼや山々。クリーク。木造建築から、鉄筋コンクリート造りの諸々の建物が近ずいては遠ざかった。毎日、列車で通勤している人たちにとって、この車窓からの眺めは、なんの変哲もないものかもしれないが、僕にとってはすべてが新鮮だった。近々、湯人の娘さんの結婚式がある。列車で行こうと思っている。

同窓会には100名以上が参列していた。その中で我々はほぼ中堅ってといころか?。年々、同窓会も高齢化に向かっており、若い人の参加がめっきり少なくなった。今一度、同窓会の在り方を検討すべき時期に来ていると、執行部の役員が呟いていた。

僕の同級生たちも7人程度来ていた。久しぶりに顔を合わせたが、皆、元気な様子。これが何よりだろう。僕たちは一つの円卓テーブルに陣取り、たわいもない話で時を過ごした。僕は例によって、焼酎を飲みすぎたようだ。二次会は同窓生が経営するスナックへ。ここで、僕は完全に酩酊。後は、野となれ山となれで、タクシーやさんに連れられて行ったホテルで爆睡だ。

昔ほどの深い感動を残さないまま、同窓会も幕を閉じた。僕は再び、列車に揺られながら田舎の駅へ無事に辿り着いた。いやああ、それにしても、田舎は人がいない。車も少ない。いったい人はどこへ行ったのだろう?。つい先ほどまでいた都会のざわめきは一瞬のまぼろしだったのか?。そう思わせるような都会と田舎のギャップに僕の心はたじろいでいる。



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