大 将 日 記
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市民ミュージカルの時に味わった懐かしい心地よい疲労感が今の私の身体を占領し ている。
今日は『泣いた赤鬼』の稽古だったのだが、通し稽古ばかりを何回も何回も繰り返 し行った。演出家も稽古途中に止める事無く、細かい演技指導は全て稽古と稽古の 間に行われた。 今回は私は主演なので、ほぼ全てのシーンに登場する。だから当然稽古の回数は一 番多くなるのだが、それにしても本当に疲れた。でも、心地良い疲労感だ。
市民ミュージカルの時は、出番もそんなに多かった・・・・けれど、主役を張っていた 訳では無かったので気軽だったし、出演者も大勢居たので通し稽古をしていても見 ている事も多かった。しかしあの時はほとんど体力勝負の演技が多かった訳で、ド タバタの喜劇シーンでは、親方や若に踏みつけられたり、着ぐるみを着て踊ったり、 田耕い勝負をしたりと、結構汗をかいていた。それも夏だったからと思っていたの だが、今日は念の為ら持って行った5枚のTシャツ全てを使う程、大汗をかく稽古 だった。
さて、実は今日、両親から突然こんな事を聞かれた。
「お前達みたいな若い世代の人は例の問題はどう思うんだ?」
ライブドアがフジ産経グループの中枢とも言えるニッポン放送の筆頭株主になった のは既に皆さんご承知だと思います。ニッポン放送の株を35%持っているだけな のになんでフジテレビの事ばかりが騒がれるのか? それも皆さんご承知かと思いますが、元々ニッポン放送と言うのはフジテレビの持 ち株会社的に作られた会社であり、形上はニッポン放送がフジテレビを数の原理で 牛耳れる存在である訳で、ニッポン放送の株は一部の一般投資家の為に公開されて いる以外はフジ産経グループで所有していたのです。つまり、いくらフジテレビが 作った持ち株会社だとしてもフジテレビの筆頭株主であるニッポン放送は、フジテ レビの親会社みたいな存在であったのだ。 フジテレビは近いうちにニッポン放送株の50%を買い取り、立場を逆転させてニ ッポン放送の親会社になる計画を進めていた。 ライブドアはその隙を抜って時間外取引と言う荒業でニッポン放送株を買収し、事 実上フジ産経グループに対する大きな発言権を得た訳だ。 これに対してフジ産経グループで一番大きなメディアのフジテレビは、ライブドア、 特に社長のホリエモンに対して激しく厳しいバッシングを浴びせている訳なのだ。
これに対してどう思うのかと疑問を投げ掛けられて来たのだが、私を含む同じ世代 の人達はほとんど堀江支持だと思います。
私が野球ファンである事は皆さんご承知かと思いますが、ヤンキースの松井が高校 生だった時の夏の甲子園大会で、対戦相手の明徳義塾は全打席敬遠と言うとんでも ない事をやったんです。 当然、松井は一回もバットを振る事無く一塁に歩いていけたのですが、チームは敗 戦してしまい、明徳には凄いブーイングとバッシングが起こりました。 しかし考えて欲しいのは、この明徳高校は何ひとつ悪い事はしていないのです。野 球では打者はボールを4つ選ぶと無条件に一塁に行けると言うルールがある。そし てそれをわざとする敬遠と言う作戦がある。しかしその敬遠と言う作戦を実行して しまうと、走者が一塁に行ってしまうと言うリスクがある訳なんです。
今回のライブドア問題では、時間外取引と言う合法ルールを利用した作戦でライブ ドアはニッポン放送株を買収。その代わり800億円の借金と言うリスクを背負っ た訳で、何も問題は無いと思うし、自分達が思いつかなかった事を経済界の新参者 にやられてしまい、後で文句を言うのは正にコロンブスの卵と同じな訳です。
堀江社長はこう言いました。
「買収されるのが嫌なら、上場なんかしないで株式公開もしなければいいんだ」
正にその通りです。 フジ産経グループは、大株主に対してとてつも無く失礼な事をしている事に早く気 が付かないと、もっと痛い目にあうと思いますよ。 年上を敬う心は必要かもしれないけれど、あんた達は尊敬されて無いんですから・・・
残念!
2005年02月17日(木) |
Key Station 稽古場の風景 |
今日の日記は、昨日の稽古場の風景ビデオを紹介したいと思います。 まずは、稽古前に船橋中央公民館の喫煙所で珈琲を飲みながら一服している姉さん。 そして稽古途中の休憩中にまたまた一人で喫煙所にいた姉さん。 更に続いては、休憩を終えて姉さんのご案内で稽古場に入ると、早口言葉を練習す るメンバー達。
サンタマリアがうまく早口言葉を言えなくてもがいてる姿が見物です。 まあこんな感じで和気藹々とやっておりますです。はい。
昨日はたまたま先日退会した彬も遊びに来ていましたので、一緒に稽古に参加して います。
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太宰府天満宮の梅は見頃を迎えているのだろうか・・・
私はさだまさしが大好きである。今日の日記タイトルを見てさだまさしを思い出し た方はかなりの通である。『飛梅』とは、さだまさしの代表的な歌のタイトルだか らだ。
先日私は、最近新しくなった西船橋駅構内に出来た本屋に立ち寄った。駅構内と言 うのが凄いでしょ? 駅ビルとかでは無くて駅構内なんですよ。つまり、入場券や 切符・定期を使って駅に入場しないと入れない本屋があるんです。その本屋もそこ らの百貨店の本屋に負けてない程の図書が並べられており、連日通勤通学の電車利 用者で賑わっている。 本屋だけで無く、喫茶店やドラッグストア、ケーキ屋さんに写真屋さん等、本当に チョットした商店街が出来あがっている。
「たまには本でも読むか」
と思った私は、その本屋で読みたくなりそうな本をいろいろ探していたのだが、と あるタイトルの本を手に取った。
私は昨年一年間、NHKの大河ドラマ『新撰組』を見ていた。 何故このドラマを見始めたかと言うと、新撰組と言う近藤勇を中心にした団体が居 たのは勿論知っていたのだが、新撰組がどんな団体だったかと聞かれると、恥ずか しながら池田屋事件の事しか知らなかったので、これを機会に知っておくのもいい だろうと思い見始めたのだ。自分でも感心する程、毎週良く見ていたものだったの だが、今でも残念なのは、最終回を見られなかった事だ。 何故見られなかったかと言うと、八王子に『多摩ふるさと物語』を見に行っていた からだ。近藤勇の最後を近藤勇の生誕の地に居て見られなかったとは皮肉なものだ。
で、この『新撰組』を見て、幕末のいろんな事をそれなりに学び、年明けには山﨑 姉妹が携わった劇団POPの『また逢おうと竜馬は言った』を見て、益々激動の幕 末を学びたくなったので、その本を手に取った。
その本のタイトルは・・・
『その時歴史が動いた』
NHKの人気番組のひとつ、『その時歴史が動いた』の取材班が調べあげた歴史の 真実を紹介していく本なのだが、その第一巻の第一話が新撰組だったので買ってみ たのだが、それは小説とかでは無くコミックだったのが誤算だった。 それでも買ってしまったものは仕方が無いので、読み始めたらこれが面白いのなん の。ウチは今現在訳有ってNHKを見られない状態なので(只今抗議中)今はこの 番組を見てはいないが、なかなか面白い切り口で歴史を紐解いて行くのが好きで、 昨年までは良く父と一緒に見ていたものだ。
第一巻には新撰組の他、高杉晋作、坂本竜馬、土方歳三、大久保利通、陸奥宗光の 事が取り上げられていたのだが、これが実に面白く興味深い物であったので、続け て読もうと、第二巻を買って来たら、そっちが本当の第一巻で、第一巻だと思って 読んでいたのが第二巻だった事をその時知って恥ずかしくなった。
そんな私の恥じ話はどうでもイイ事なのだが、本当の第一巻の方には、織田信長、 豊臣秀吉、徳川家康、前田利家、細川ガラシャ等の話しが紹介されており、本当の 第二巻が幕末物だとすると、本当の第一巻の方は戦国時代物でまとめられていた。
いろんな本や映画やドラマ等で歴史物は見ているが、やはり時代が動いた時の物語 と言うのは飽きない物だと痛感させられた。
で、今日は第三巻を買って来たのだが、この三巻は主に改革者と言われる人達が紹 介されていた。私が尊敬してやまない我第二の故郷・米沢藩主の上杉鷹山や、徳川 八代目将軍・吉宗等、いろんな改革者達が紹介されている中、この人が紹介されて いた。
西暦901年1月25日。右大臣の要職にありながら藤原時平の陰謀によりその職 を解かれ、都から今の福岡県太宰府市に左遷を命じられた、現代の学問の神様。 そう、菅原道真である。
菅原道真は、幼少の頃から大切に育てていた梅の木があった。左遷が決まった時、 その梅との別れを惜しんである歌を詠んだ。それに感激した梅が一夜のうちに都か ら太宰府に飛んで来て、太宰府に着任した道真は大層驚いたと言うのが、有名な 『飛梅伝説』である。
さだまさしの『飛梅』と言う歌は、別に菅原道真を唄った物では無いのですが、こ の歌を初めて私が聞いた中学生当時、九州地方と言う縁遠い地の事に興味を持つの に充分過ぎた歌であった事は事実で、それ以来、この飛梅がある太宰府天満宮に一 度行く事が私の夢になっていました。
強い夢と言うのはいつか必ず叶う物で、お蔭様で私は近年2回も太宰府天満宮に行 く事が出来、2001年の正月は、元日に初詣に太宰府まで行ってしまった程でし た。
初めて私が太宰府天満宮に行ったのは、2000年10月5日。暦だけは冬が始ま ろうとしていた、九州の残暑厳しい時だった。 さだまさしの歌の通り、私は心字池にかかる3つの赤い橋を渡り、梅が枝餅を食べ、 そして大吉が出るまでおみくじを引こうと思っていた。
太宰府天満宮のおみくじには、いろんな和歌が書かれていて、それを読むのもまた 楽しい物なのですが、私は菅原道真が歓迎してくれたのか、何と都を左遷される時 に梅の木に詠んだ歌の記された一番くじを引き当ててしまい、大感激をしたのです。 もちろん大吉です。
梅の木よ、たとえ私がいなくなっても春になったら忘れずに咲いておくれ。 そして東風が吹いたのならその匂いを風に乗せ私の元に届けて欲しい。
そんな事を詠った歌です。
 太宰府天満宮の飛梅です。2000年10月5日撮影
今日、その菅原道真の物語を初めて真剣に読んで、改めてあの時の太宰府を思い出 しました。 2度も行った太宰府天満宮ですが、残念な事に梅の時期にはまだ行った事が無く、 これはまたいつかまでのおあずけ状態になっていますが、強い夢はいつか必ず叶い ます。きっと私も満開の梅の元で、その歌を身体で感じてみたいと思っています。
私は南風。南風を『はえ』と読むように、東風は歌の中で『こち』と読まれていま す。『はえ』と『こち』、うん、いい響きです。
菅原道真が左遷が決まった時に梅との別れを惜しんで詠んだ歌。 それを今日の格言として提出致します。 『今日の格言』のコーナーも是非お読み下さい。
2005年02月13日(日) |
やっぱり義理でも嬉しいよね |
昨日の『エンタの神様』で、だいたひかるが
「杉田かおるは結婚して勝ち組みに入ったが、旦那さんは負け組み入りしたと思う」
と言うネタを言っていたのだが、不覚にも大笑いをしてしまった。 更にだいたは
「菊川怜は、もう少し場の空気を読めるようになって欲しい」
とも言っていたが、今日の『バンキシャ』を見ていて、確かにそうだと思った。
更に今日、テレビ朝日でいろんな芸能人に一般常識クイズを出してる番組があり、 それに菊川怜も解答者として出演していたのだが
『郵政三事業とは、郵便、簡易保険と後もうひとつは何でしょう』
と言う問題に対して
「配達」
と答えていた。 こんな奴が報道番組をやっていていいのだろうか? 当然答えは『郵便貯金』です。
さて今日は、風邪もほぼ完治に近い状態となりましたので、思う存分に稽古をして 来ました。と言っても、今日は自主練習と言う形で、演出家も誰も来ない、つまり 出演者のみが集まって午前中の3時間、『泣いた赤鬼』の稽古に励んで来たのです が、本当にたまにはこう言う時間が必要だなぁと思いました。 出演者同士でいろいろ気が付いた事を言い合って流れを作って行くのって凄く大事 なんですよね。そうする事で産まれる疑問だとか新しい演出だとかって言うのも多々 ある訳で、午前中の3時間だけでしたが本当に有意義でした。
そんな今日、自主練が終わって帰る時に共演者である岩崎結衣ちゃんが私と西葛西 にチョコレートをくれました。そう、明日はバレンタインデーなんですねぇ。 忘れていた訳ではありませんが、突然予期せぬ人から渡されると、昨日の親方の格 言ではありませんが義理だと解っていても嬉しくなるものです。
その後、一応自主練が無事に終わった事を報告に、劇団空飛ぶひつじのスタジオに 行ったのですが、同時上演の『ピノキオ』の稽古がそちらでは行われていて、出演 者である劇団員の宮沢浩さんにチョコの事を話すと
「私達が子供の頃は、そんなにあげたり貰ったりはしなかったよねぇ?」
と言って来たので
「えっ? 宮沢さんモテなかったんですねぇ」
と言ったら首を絞められそうになりました。 いや、事実私は中学時代は相当貰いましたよ。義理ですけど・・・
さっ、明日は何個持ち帰る事が出来るのでしょうか!!
 市民ミュージカルの打ち上げの時の岩崎結衣ちゃんの写真です。 チョコレート、本当にどうもありがとうね。
先週の『泣いた赤鬼』の稽古の時に、汗をかいたままのTシャツ姿で外の喫煙所で タバコを吸っていたのが原因である事は明白なのだが、とにかく今週は風邪でほと んど寝込んでいた一週間だった。
しかし、仕事が出来なかった事もそうだが、なんと言っても医療費の高さに驚いた。 月曜日に一度行って、貰った薬が全然効かなかったのでその病院に再度木曜日に行 ったら休診で、翌日の祝日も当然休診だったので、ネットで違う病院を探してそこ に行って、点滴して貰って薬を貰って、一週間でかかった医療費が・・・
9785円。
健康のありがたさを改めて知る事となった訳だが、健康保険料3割負担ってキツイ ねぇ。国民健康保険の時はそんなに医者に通う事は無かったのに、最近は多いなぁ。 それに最近は調剤薬局とか行って病院の外で薬を貰うようになっているでしょ? あれって別に病院の敷地内にある薬局じゃ無くてもいいんですよね。俺が行った病 院の薬局は、その日人が少ないとかで1時間以上も待たされた。
病人をそんなに待たせるなよなぁ。
てな訳で、まだ本調子では無いので、今日はこの辺で。 以上生存表明でした。
2005年02月06日(日) |
『泣いた赤鬼』追加公演中止のお知らせ |
今日は『泣いた赤鬼』の稽古が有り、姉さんが稽古場に顔を出してくれました。 市民ミュージカルに参加した子供達は、夕鶴みきとの久しぶりの再会に大喜びして おりましたが、私は些か緊張をしていました。 毎週顔を合わせ、しかも昨日は一緒に親方とサンタマリアのお芝居鑑賞後の午後4 時から西船橋で呑んでいたのにも関わらず、なんで緊張したかと言うと、やはり稽 古後のダメ出しに何を言われるかが不安でした。
姉さん、やはり流石でした。
痛い所をドンドン突いて来ます。しかも優しく・・・・そして更に身振り手振りを交え て、船橋駅前のさくら水産で演技指導をして頂きました。
って事は2日続けて姉さんと呑んでいた訳で、更に今日はそこに劇団空飛ぶひつじ 所属で私達とも仲の良い菅野あずささんが来たもんですからタッグを組んで優しく 私の弱点を突いて来ました。
本番まで稽古日数の足りない中、何処まで二人の期待に応えられるか解りませんが、 やれるだけの事は一生懸命にやるつもりです。 皆さん、どうぞ観に来て下さいね。
さて、ここでタイトルに書いた事の詳細をお知らせ致します。
誠に残念なんですが、4月10日(日)に行われる予定だった『泣いた赤鬼』の追 加公演は共催者である船橋西武百貨店の都合により中止となってしまいました。 確かに別会社とは言え、ここの所の西武は新聞紙面を賑やかしておりますから、こ のような文化事業に協力している場合では無く、当日は劇団空飛ぶひつじの宮澤さ んと言う男性の役者さんによる一人芝居をこじんまりとした舞台で発表するだけで、 西武百貨店の催事場は子供服のセール会場として使われる事になったそうです。
とりあえずご報告でした。
【追記】 今年は折角、千葉マリンスタジアムで千葉ロッテが開幕戦を、しかも対楽天戦で行 えると言うのに、この『泣いた赤鬼』のリハーサルで行けなくなりました。トホホ・・・
2005年02月02日(水) |
2005年度船橋市民ミュージカル |
今日はKey Stationの定期稽古日。船橋中央公民館で行われたのだが、とても残念 なニュースが飛び込んで来た。それは来年度の船橋市民ミュージカルの話しだ。 仕事が休みの日はいつもより余裕を持って公民館入りをして、次回の公民館使用料 を支払ったりして事務作業等をしているのだが、あまりにも早く着き過ぎて今日は 2回の喫煙所でタバコを吸っていた。そこに船橋市民ホールの館長さんと呼んでい いのだろうか、肩書きは良く解らないがその人がやって来てこう切り出した。
「Key Stationさんは毎週水曜日が稽古日でしたね」 「はいそうです」 「去年の市民ミュージカルで貴方はご活躍でしたもんねぇ」 「いえいえ、みんなが私を引っ張ってくれたからいい役を頂けたんですよ」 「Key Stationとしての公演はまだですか?」 「そうですね、したいと言う気持ちは有ってもまだまだ先ですね」 「あの舞台に立った人達でもなかなか難しいですか」 「はい、なかなか厳しいものです」 「それはそうと、来年度の市民ミュージカルは中止が決まったんですよね」 「えっ? その話しはまだ聞いてませんね」 「そうでしたか、人手が集まりそうも無いらしくてやらなくなったみたいですよ」 「残念ですね・・・」
思わぬ所から来年度の市民ミュージカル中止を聞かされて驚いてしまった。それと 同時に、また来年も逢おうねと約束していた子供達がこれを知ったらショックだろ うなぁと言う思いもよぎった。
Key Stationは演劇ユニットであって劇団では無い。つまり個人個人がそれぞれ本 職を持ち、気の合う仲間が集まってひとつの舞台を作っていけたらいいねと言うコ ンセプトでスタートしたので、協力はしたいけれどそれなりの人数が集められる程 の力は持ち合わせていない。いや、例え持ち合わせていたとしても、ボランティア で来てくれる人の数をすぐに用意しろと言って集められる訳でも無い。 もちろん、姉さんや親方や山﨑姉妹が動けばそれなりの人材は確保出来るだろうが、 それよりも自分達が参加出来るかどうか解らない段階で、人に物は頼め無いのが現 状だ。
これはあくまでも私個人の考えだが、あれだけの子供達が舞台に立つ喜びを味わい、 ほとんどの出演者が最後の挨拶で「また来年もやりたいです」と言っていた市民ミ ュージカル。きっと観に来てくれていたお客様の中にも、来年は出たいと思ってい た人は多かったのではないだろうか?
実はチョットだけネットで千葉県内の市民ミュージカルについて調べてみたのだが、 我孫子市はかなり力を入れて毎年公演をしている。船橋市の両隣の市川市や習志野 市でも公演はしていて、特に市川市は最近メキメキと頭角を現していて、昨年度は 船橋市と公演日が重なったものの、翌日の朝日新聞の千葉版で記事として取り上げ られていたほどだ。
千葉県では千葉市と言う政令指定都市があるが、それに続く中核市と言うのは船橋 市だけなのだ。(近年中に木更津市が中核市になる予定)つまり千葉県第二位の位 置にある船橋市で、市民文化の象徴とまではいかないが、文化的要素が強い市民ミ ュージカルが行われないのは非常に寂しく思う。
私個人の力ではどうする事も出来ないが、なんとか来年度も市民ミュージカルを子 供達の為にでも実現させてみたいと思っているのだが、難しいだろうなぁ。
今日から2月。私は今月から4月までの3ヶ月間、最近はすっかりテレビでその顔 が売れてしまった細木数子の六星占術で言う所の【大殺界】に突入した。季節と共 に正に冬の時代の到来である。
しかし、こんな私にも最近新しい友達が出来た。名前も知らないし話しをした事も 無い。だが確実に二人は知り合いで、お互いに存在を意識している。
毎朝私は東武野田線を利用して船橋まで出ているのだが、ラッシュ時は10分間隔 で電車が来るものの、船橋駅に近付くにつれ身動きも取れない、正に立錐の余地も 無い状態になって来る。特に馬込沢・塚田と言う住宅街の駅では、駅員さんが乗客 を押し込むと言う状態になる。私は変に少しの余裕があるよりは、この方が乗り心 地が良い。更に言わせて貰うと、私は船橋駅に付くと少し急がないと西船橋駅で武 蔵野線との乗換えが出来ない状態になるので、塚田駅ではいつも一度降りて駅員に 押し込まれながら入りなおすのだが、最近は慣れて来たもので自分が背中で他の乗 客を押し込んで乗り込めるようになった。私に押し込まれたら、大抵のラッシュ乗 車でも余裕が出来ると言うものだ。
そんなある日、その子は私の前に現れた。
いつも同じ電車に乗っていたのだろうか? はあはあと息を切らせて階段を駆け下 りて来て、階段から一番近い扉に飛び乗った。正に掛け込み乗車と言うやつだ。 どこかの私立小学校の3年生くらいだろうか? いつもはもっとすいてる車両に乗 っていたのだろうが、その日は寝坊でもしてギリギリに駅に到着したと考えられる。 制服姿にランドセル。私が無理やり入ったその扉に彼女は躊躇せず飛び込んで来た。 しかし、子供の力では大人を押し込む事が出来ず、持っていたカバンが扉に挟まれ てしまい電車の扉が閉まらなくなった。慌てた彼女は一生懸命にカバンを引っ張る が、なかなか取れない。そこで私が扉をこじ開けて、更に背中で乗客を奥へ押し込 めてなんとか彼女は電車に乗れたのだ。
「ふぅ」
と溜息をついた後、私の大きな顔を見上げ、発車する電車の音にかき消されるよう な小さな声で
「ありがとうございます」
とお礼を言って来た。 私は微笑みでそれに応えるしか無かった。
船橋駅に着くと彼女はJRのホームにまっしぐらに走って行った。そして私の乗る 一本前の上り電車に乗り込んで走り去って行ったのだが、窓越しに私を見付けもう 一度小さく頭を下げていたのだ。なんともいじらしい女の子だった。
翌日、いつも通りに塚田駅は人が溢れていた。一度降りて最後に背中から乗り込も うとすると、彼女が私の前に居た。これではこの子を押し潰して入らなくてはなら ないと、とっさの判断で彼女より先に乗り込んでスペースを作ってあげた。すると 彼女もそれに気が付いたのか、少しだけニコっとして私の前に来た。
正直言ってある意味迷惑だった。
扉の所にそんな子供に居られては、電車の発着やカーブの時に自然に身体が傾くの に、彼女の方には絶対に寄り掛かれなくなってしまったからだ。むしろ他の大人が 傾いて来るのをこっちが支えてあげなければならなくなったのだ。
そんな日が1月の新学期からずっと続いていたのだが、今では言葉は交わす事は無 いが、毎日目だけで「おはよう」の挨拶をしている仲になった。 彼女が乗って来ない日が2日位あったのだが、その時は特に意識はしていないのに、 翌日マスクをして電車に乗って来ると
「ああ、風邪で休んでいたんだなぁ」
と思い、それからは乗って来ないと逆に心配になる。 私は平日の休みが多いから、私が電車に乗って来ないと彼女も同じように思ってい るに違いない。
たった2駅の区間だけの付き合いだが、新しい友達が出来たのが少し嬉しいです。
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