武ニュースDiary


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目次前の記事新しい日記


2013年08月03日(土) 金城武に嫉妬(宥勝)●エバー航空CMへのコメント

8月になりました。撮影は隠密裏に順調に進んでいるようで、
ニュースが出なくても、少し前とは気持ちが全然違います。

今日のあるニュースでは、長澤雅美が先日北京入りしたそうです。
(記事はここ
あと、出演と言われていた方中信(アレックス・フォン)は他の映画の仕事で、
「太平輪」は辞退したらしいです。動画ニュース

しばらく何もなさそうなので、小さな話題をいくつか拾って――



金城武に嫉妬

台湾の男性芸能人、宥勝(クリス・ウォン)の思い出話?
どういうことでこの話が出たのか、彼が書いたのかわかりませんが、
青春の思い出話に金城武の名が出てくるというだけのことですが。



もし今なら……金城武に焼餅は焼かないと宥勝

もし、今ファンの男性に「ぼくの妻(彼女)があなたを大好きなんです」と言われたとしたら、
ぼくは冷や汗をかいて、こいつは本当はぼくのことが大嫌いなのではないかと心配になる。
というのも、僕自身がアイドルスターに嫉妬して、
恋人とケンカまでしてしまうような若造だったからだ。
高校生の時、下級生の女の子と付き合っていた。
一緒に映画「心動(君のいた永遠)」を見に行ったら、彼女が金城武に夢中になってしまった。
その頃の金城武はいわば国民的�男神�だったが、
ぼくは彼女がぼくの目の前でずっと彼を誉めそやすのが我慢できなかった。
あるとき、ぼくらはファストフードの店に行って勉強をしたが、
なぜだか金城武の話になり、話せば話すほどぼくは腹が立って、
しまいには思わずテーブルをドンとやって怒りを爆発させ、彼女をびっくりさせてしまった。

その結果、彼女は1カ月ほどもぼくに対して冷たい態度を取ったので、
あれが原因で別れようとしているのかと思い、ぼくは辛くて泣いてしまった。
なぜならほんとに長い付き合いだったからだ。
その後、ぼくは彼女に謝って気持ちを落ち着かせてもらうために大いに努力した。
見返りを求めずたくさん尽くし……例えば登校下校に付き添ったり、
彼女のマンションの下でじっと待ったりもした。
そんなとき、彼女のお母さんや姉さんは窓から顔をのぞかせてぼくを見つけると、
びっくりして彼女に聞いたものだ。
「彼はなんでまだ下にいるの?」

もし、あの頃に戻れるなら、ぼくは決してレストランでテーブルを叩いたりしないし、
金城武と彼女に嫉妬するほど幼稚にはならないだろう。
一緒になってファンになるとまではいかないとしても、
少なくとも一緒に話をし、彼女の言うことに賛成するだろう。
なぜなら、金城武が本当にかっこいいことは、ぼくも知っているからだ。
ただ、それでも、もしかしたら、こう彼女に「気づかせ」はしてあげるかもしれない、
「でも、君はやっぱりぼくと一緒にいるしかないんだよ」と。
聯合新聞網 2013.7.31



エバー航空CMへのコメント

ネットに現れたコメントから少し。


You TubeのCM映像へのコメント


城武は男も感服するようなかっこよさがある。それをこそ「かっこいい」と言う。
このような魅力はただファンの女の子にキャアキャア言われているイケメンが比べるべくもない。

れって、金城武のナレーション?
すごいなあ、やっぱり俳優だ。声だけでも演技力がある。
すぐその世界に入り込める。


達達媛児さんのCM評

れは金城武が台湾のエバー航空のために出演したミニムービーCMだ。
彼の全方位死角のないかっこよさは言うまでもないが、映像がひたすら美しく、
流れもなめらかで、高遠な境地がエバー航空にすごくプラスになっている。

家にいる人間は、修行のための旅人を目にすると戸惑うものだ。
「どうして労苦をいとわず、長く苦しい旅をするんだろう?」
旅人はしばし考えて、目を指さす。
「出かけるのは、ただ見るため。芸術を、対話を、意志を、信頼を、ものを、世界を、人々を。
世界の見え方は、人の視点で変わる」

短いフィルムがエバー航空という会社の企業理念を広大な人の文化の隅々に融け込ませており、
壮大で美しい。
(アドレスはここ 微博はこちら 


   BBS   ネタバレDiary  23:00


2013年07月23日(火) エバーCMからいい男のこれまでを振り返る(MF)

Man Fashonというサイトがあって、こうやっていい男になろう、というのでしょうか、
おしゃれのページですかね。
エバー航空CMの金城武をとりあげて、ついでに過去を振り返り、
映画やMVやテレビCM、最後にこれでもか、と写真をいくつも載せています。
暇つぶしには大変いいかと。
説明も少し付いてますが、それはまた後に。

こちら


   BBS   ネタバレDiary  3:00


2013年07月20日(土) 新宿〜六本木へ●物まね

新宿〜六本木へ

今日からシネマート六本木で始まったウォン・カーウァイ特集。
金城さん関係は「恋する惑星」「天使の涙」「初恋「の3本が上映されます。
「初恋」は公開当時に前知識なしで見て、
「????」マークで頭をいっぱいにしながら、見た記憶があります。
後の2本をぜひスクリーンでと、今日誘っていただいたのをチャンスに見てきました。
もう長い長いこと1回に1本しか映画はみませんが、今日は久しぶりに2本続けて。

その前に新宿に立ち寄り、西口のテレビモニターのCMと、
それからメトロプロムナードの巨大ポスターへ。
写真は、もう御上手なのがいっぱい出ていますから、撮らず、
信じられない思いで、幸せをかみしめてきました。
こんな規模のCM(しかも金城オンリー)、今後2度とないのじゃないかと思います。
数も大きさも半端なく、エバー航空、大丈夫かね、とちょっと心配もしてしまいます。
こんなふうなドーンと思いきって仕掛けてくるの、嫌いじゃないですけどね。
近いうち、私もエバーに乗ります。
がんばってください!

シネマートの壁に張ってあったスチールの数々です。


   


映画はスクリーンで鑑賞できて満足でした。
ご一緒した方たちとも言ってたのですが、「恋する惑星」の後半は
ほとんど(あるいは1回しか)見ていないので、後半が新しい映画を見るような気分で見られました。

しかし、この頃は本当に少年ですね。
その後、日本で急に大人っぽい面を見せ、まだ濃厚な少年らしさとのギャップも魅力で、
今、大人の雰囲気、大人の演技、魅力が出せるようになった金城武が、
やっぱりいいなあという思いを新たにしました。
(全部の時期好きです)




物まね

テレビで芸能人がエバーの金城武のまねをした、というだけの記事ですが、
まねした人がゆかりの人なので、一応。
参考写真。右が九孔。背景はこれは切れて見えませんが、エッフェル塔の写真です。


  


孔がTVBSの「週末熊新聞」で、金城武の「I See You」旅人CMをまねした。
カメラを手に、眉を太く書き、2人とも身長は178センチ、九孔が46歳で金城武は6歳下だ。
ネットユーザーからは「帥哥殺しだ」と書かれたが、
彼は「心の奥底では、金城武よりかっこいいと思っているんだよ」と笑って言った。

彼によると、金城武のまねで一番難しいのはそのとらえどころのない目なのだという。
「20年以上前、ぼくとリッチー・レン、金城武は同じフーロン事務所にいたんだ。
そのころ金城武はデビュー前で、
でも年が若かったが、すごく落ち着いた感じだった。
今は2人とも大スターになってしまったよ!」(後略)
中国時報より 2013.7.20


九孔さんも人気のある人だそうです。



   BBS   ネタバレDiary  22:15


2013年07月19日(金) エバー大広告in日本(追記)

台湾各紙が伝えています。
誰か、写っている人、いそう♪

これを見ると、新宿は21日までのようですね。急がねば。

中央社  中時電子報  これは文章だけの中央社

ところで、「太平輪」は今天津で撮影中らしいです。
天津のファンが仕事の関係で武も見たそうです。
(でも仕事関係だから写真とか詳し過ぎる報告とか自粛してる)


中央社の記事訳です。
  12:45


金城武の広告、東京で通行人「かっこいい」と褒める

スター金城武がイメージキャラクターを務める航空会社の広告が
現在東京、大阪などで張り出され、注目を集めている。
日本で最も多く人が行き交う新宿駅で、今日、広告を見かけた台湾人、日本人は
みな「かっこいい」と賛嘆の声をあげていた。
日本に滞在する台湾人の女性は、巨大広告の前でスマートフォンで写真を撮影、
さらに広告の前に立って「金城武」とのツーショットを撮っていた。
彼女によると、金城武は子どものころからのアイドルで、
今は大人になり、ますます男らしくなってきたが、
やっぱりかっこよく、全然変わらないという。
旅行関係の仕事をしているある日本人女性は、
今日午後、新宿駅で金城武のエバー航空の巨大広告を見つけて大興奮。
金城武はかっこいい、こんな大がかりな広告はとてもいいと思う、
金城武は日本と台湾の交流の象徴だ、と語った。

大広告の1枚に金城武が台東で自転車に乗っているものがある。
この女性は、日本のどこか景色のいいところで撮影したものと思ったと言った。
また、台湾から東京に観光旅行に来ている母と娘も、
広告を見つけると、興奮気味に記念写真を撮っていた。

エバー航空職員の林玄修氏は、15日から21日まで新宿駅に巨大ポスターを張り、
映像を流すと話している。
大阪と福岡でも広告展開をし、金城武によって会社のイメージを高めたいとのことだ。
さらにエバー航空は6月18日にスターアライアンスに加盟しており、
この宣伝が日本人の台湾観光旅行推進の橋渡しとなることを願っている。
「今年の夏はこれまでと違い、日本円が急落したため、
日本を訪れる台湾観光客は大きく増えましたが、台湾に来る日本人観光客が減っています。
ただ、バランスは大きく崩れているわけではありません。
今年の夏には台湾-日本間の観光客数が過去最高になるよう願っています」

金城武の広告の撮影地は、台湾の台東、日本の東京、奈良、そしてフランスのパリである。
撮影期間は37日間にも及び、彼は自らナレーションを担当している。
(中央社 2013.7.18)


   BBS   ネタバレDiary  9:15


2013年07月18日(木) ニュース少し(太平輪、CM調査)

新宿駅という絶好のロケーションでエヴァーの大広告が出現したと情報がありながら、
いまだに行けておりません。1度はじかに見たいもの。

映画撮影は、マスコミ非公開で進められているようです。
順調に行ってくれればそれでよし。
小さなニュース記事を2つほど。

まず、中国経済網に載った、
大監督たち(ツイ・ハーク、、フォン・シャオガン、ホウ・シャオシエン、ジャン・ウェンといった人たち)の
映画が次々と進んでいるという記事の中に、ジョン・ウーの「太平輪」が。
かつて、というのがいつ頃のことかわからないのですが
(カンヌとかしら、全然注目してなかったのでわからない)、
面白いなと思い。抱負が読み取れます。


(前略)
ャスティングや資金の問題であわやお蔵入りだった「太平輪」が
ついに7月6日、クランクインした。
ジョン・ウーはこの狠羚颪離織ぅ織縫奪瓩法長年思いをかけてきた。
彼はこの映画をパニック文芸映画と定義し、かつてこう語った。

「現在に至るまで、我々はまだ1本の真の中国語大作も持てていない」。

チャン・イーモウの「生きる」だけが大作の構えを持っており、
これは時代背景の中での物語だった。

「今日、大作といえば、大軍が出てくればみんな大作だと思っている。
私の『赤壁』も同じ過ちを犯した。
脚本が比較的弱く、大場面に多くを割き、
ストーリーに濃厚なヒューマニズムが欠けていた。力不足だった……」

少し前暴露されたスケッチを見ると、チャン・ツーイーら6人の出演者は3組の恋人を演じるが、
作中にはジョン・ウーが得意とする戦争の大場面もある。
「生き延びるための苦闘、人間悲劇」などのような言葉もまた、
当然彼の野心の小さからぬことを暗示している。(後略)
精品购物指南より 2013.7.18



次はどのCMの印象が一番強かったか、という台湾のアンケートです。


能人がいくつのCMに出演しているかは人気の象徴である。
ある市場調査会社がネット調査したところによると、
2013年第2シーズンのCMキャラクターとCMの印象をネット調査したところによると、
最近国内の航空会社の年間イメージ広告を撮影した、金城武が、
「最も印象に残った」イメージキャラクターのトップを獲得した。
また金鐘奨主演女優賞獲得の林依晨と最近ドラマ、CMで
引っ張りだこの郭雪芙が2位、3位に入り、互いに人気を譲らない。

有効回答数2664のこの調査で、金城武はたとえ台湾での作品が少なくとも、
最近国内の航空会社のために世界各地でイメージDMを撮影、
メディアの注目を惹き、報道されたことで、435票を獲得し、
その他の男女の人気スターを下して一躍1位となったものである。(後略)
中国時報より 2013.7.18
 


   BBS   ネタバレDiary   23/30


2013年07月16日(火) 「太平輪」製作のいきさつおさらい

「太平輪」という映画についての確かなことは、
製作発表会があるときにはっきりするのでしょうが、
一応、この映画のこれまでの経緯のおさらいになりそうな記事がありましたので、
前半をご紹介します。
(後略)以降は、前に事務所を盗撮してキャスティングを暴露したときの、
配役についての記事とほぼ同じなので省略。
ということは、前半部分も出所はどこか別の記事なのかもしれないですが……。



狹賤里離織ぅ織縫奪當惜廚鮑童修垢

大監督ジョン・ウーは「赤壁」以後、新作を手がけていない。
版権の問題、そしてジョン・ウーの病気により、「太平輪」のスケジュールは
たびたび延期され、出演者も何度も変更になった。
先日、製作会社はついに確かな情報を伝えてきた。
「太平輪」は7月6日、北京で正式にクランクインした。
チャン・ツーイー、ソン・ヘギョ、長澤まさみ、金城武、
トン・ダーウェイ、ホアン・シャオミンの6大中日韓のスターが参加する。

出資会社の説明によると、「太平輪」は史詩大作と位置づけられ、
従って予算も3億元前後となる。
ある事情通が明かしたところによれば、製作費が大きすぎるので、
ジョン・ウーの前作「赤壁」にならい、2部作として上映されるという。

この映画にはたくさんのCGが使われる。
今回全てのCG処理を大監督ジェームズ・キャメロンが創設した会社――
デジタル・ドメインが手がける。
この会社はかつて「トランスフォーマー」シリーズや
「ハリー・ポッター」のシリーズなどの制作に参加をしている。

出資者、作品名、出演者は何度も変更

「太平輪」はジョン・ウーが初めてメガホンを執る戦争パニック物の映画である。
2008年の発表から2013年の正式撮影開始までに、出資会社が変わり、
作品タイトルと出演者も何度か替わった。
それにジョン・ウーの病気で、この「太平輪」は猊埀紳海瓩箸いΔ海箸できる。

2008年、ジョン・ウーはカンヌ映画祭で、ある特殊な時代の複数の恋人たちの
生死離別を描く「1949」を撮影すると発表した。
(タイトルは後に「太平輪」「生死恋」と改められる)
このとき発表された主演男優は台湾のチャン・チェン、主演女優はソン・ヘギョ、
アンディ・ラウも出演可能というものだった。
「赤壁下」のポストプロダクションに忙殺され、この映画の撮影開始は延期となる。
2009年3月上旬、ジョン・ウーは映画のタイトルを「太平輪」と変更。
この月の下旬に、長く準備されて来た「太平輪」が頓挫したと伝えられた。
この映画の脚本の版権を所有していた亜士影業が突然、
プロデューサー張家振(テレンス・チャン)グループとの交渉が成立せず、
これからふさわしい監督を別に捜すと声明を発表した。

転機は2011年に訪れた。
ジョン・ウーとテレンス・チャンの会社獅子山(ライオン・ロック)
スタッフが明らかにしたところでは、
淅江のある会社がこの映画の版権を買い取り、
「太平輪」はその年の秋にクランクインが決まったというのだ。
以前のストーリーと比べて、映画の構想は大きく変わらず、
ただ、細部のみ調整されたとのことだった。

その年の夏、張涵予もまた、自分が「太平輪」でソン・ヘギョと共演、
夫婦役を演じると語った。
この映画について、彼は非常に気に入っていることを隠さず、
これまで見た中で最良の脚本だと述べ、
「期待できる」「歴史詩編のような」など美辞麗句で表現している。
この年既に、ジョン・ウーは舟山に撮影基地を建設する計画でいた。
「太平輪」というタイトルは版権に触れるので使用できず、
「生死恋」とまたしても変更された。
また、チャン・ツーイー、ソン・ヘギョと契約を済ませ、
年末にはクランクインと予想した者もいた。

ところが犒弉茲変化についていけない瓩箸いΔ海箸砲覆蹐Δ箸蓮
テレンス・チャンが明らかにしたところによると、
クランクインは「2012年2月」とはっきり決まっていたのだが、
最終的に、ジョン・ウーが病気になったことで、またもや中止となったのである。
2012年5月、ジョン・ウーの病気は喉頭がんで、既に4か月入院中であるとすっぱ抜かれ、
「生死恋」は無期限延期となった。
そして、スケジュールの空いてしまったチャン・ツーイー、ソン・ヘギョ、チャン・チェンらは、
他の映画に出演していった。
その後、ジョン・ウー自身によって、ただの扁桃腺の腫瘍であると明らかにされた。
このように、「生死恋」という矢は弓につがえられながら、放たれないでいた。
チャン・チェン、張涵予、ルイス・クー、アンディ・ラウらは、
みなスケジュールが合わなくなり、降りて行った。

今年1月から、「生死恋」の撮影開始の情報が絶えず聞こえてくるようになった。
チャン・ズーイーは、ジョン・ウーの健康が完全に回復したと明かす。
そして、初期に伝えられていたトニー・レオン、ダニエル・ウー
(この2人の名前は出ていましたっけ?)
ルイス・クー、チャン・チェンらのスターは、
おそらくはスケジュールの問題でこの映画を逃すことになるのである。

4月23日、病で1年間休んでいたジョン・ウーが姿を現し、
自ら「生死恋」は今年6月撮影に入ると宣言。
5月、カンヌ映画祭に、「生死恋」の最初のイメージポスターと
英語タイトル「The Crossing」がお目見えする。
7月3日、制作会社はジョン・ウーのこの新作の中国語名を
また「太平輪」に変更したことを正式に認めた。

「太平輪」の早世を再現

「太平輪」のストーリーは実際の歴史上の事件に基づいている。
「太平輪」とは、中聯輪船公司の豪華貨物船であった。

第二次世界大戦の後、1946年から49年までの間に、
大勢の移民が台湾の土を踏み、台湾の新住民の列に加わった。
もともと毎週定期的に上海−基隆間を往復していた「太平輪」は、
そこで人々が上海から台湾へと逃れるための船になったのである。
彼らは台湾は一年中春のようで、甘いバナナとパイナップルが生るとのみ聞いて、
多くの人が家産を売却し、親類家族を抱えて何とかこの南方へ向かう船に乗り込み、
平和な生活を得ようと手立ての限りをつくした。

1949年1月27日、大晦日の前日、上海から基隆へ向かう途中、
荷の積み過ぎと明かりをつけずに夜間航行していたことから、
一艘の台湾からやってきた石炭船と衝突、
1000人近い、有力者や著名人、難民が上海の沖40里あまりの舟山群島で遭難した……
この事件は狠羚颪離織ぅ織縫奪瓩噺討个譴討い襦
それゆえ、「パニック」は「太平輪」の大きなセールスポイントの1つと言っていい。(後略)
東南快報 2013.7.14



ここで大晦日と言っているのは、旧暦ですね。

最後に「短評」というのが付いていて、太平輪と1949年という時期、
台湾に移った人々のその後に関し、短く書かれていますが、
これが、書いた人の個人的な思いか、映画と関係があるのかが判然としないので、これも省略。

それにしても、上記文中の太平輪で台湾へ渡ろうとした人の動機が
あまりに単純化されている気がします。

白水社から去年出された『台湾海峡1949』のことは、
まず原題『大江大海一九四九』の名をピーターさんが版権を取ったというので知って、
だから、翻訳が出された時からこれがあの本だとわかりました。
何度も店頭で手にとっては置いてくるということを繰り返しておりました。
やっぱ、年とったせいか、辛そうなものはだめなんです、避けちゃうんです。
でも、いずれ読まなくてはならないとは思っていたものですから、
今回「太平輪」がまさにこの時代のど真ん中に起きたことで、
しかも本にも書かれているというので、ついに購入、400ページを3日で読了しました。

これを読むのと読まないのとでは、「太平輪」「1949年」に対する理解というか、
姿勢というかがもう全然違ってきますね。
先程触れた文章みたいな記述は、なんかごまかしているんじゃないかと思いたくなるくらい。

それと、「投名状(ウォーロード)」が、いかに今に生きる反戦映画か
ということもよくわかりました。

張涵予が激賞したこの映画の脚本は「グリーン・デスティニー」
「ラスト、コーション」の王恵玲(ワン・ホイリン)の作ですが、
この人はまた、ピーター・チャンが金城武の次回作のために
考えているという映画の脚本の人でもありますよね。
ピーターも、映画開始前のものとしては過去最良の脚本と言っていました。



   BBS   ネタバレDiary 1:30


2013年07月13日(土) やっぱりもう少し(男神回来了)

年とった云々の話題はもう終わり、と書きましたが、
少しずつ違うのがあるので、やっぱり載せちゃいます。
この本人による猜簑説明瓩辰討覆鵑覆里なあ。
マネジャーの名前出してるから、でたらめではないのかもしれないけど。



スターの声

ネットの声「男神が帰ってきた!」
マネジャー「彼はずっとこんなよ、変わってない」

ジョン・ウー監督の新作「太平輪」は、先日北京でひっそりとクランクインした。
主役級では金城武のみが参加した。
黒のTシャツにカーキ色のズボン、左手にはあの数珠という姿の彼は、
待ち時間に輝くような微笑を見せ、少なからぬ女性スタッフを瞬殺した。
少し前、金城武が出演したCMの写真は、ファンの両極端の反応を引き起こしたが、
今、やっと状態甚だ良好なアイドルの姿を見て、ネットでも安心の声が聞かれた。
金城武のマネジャー、張漢菁は、こう猜簑説明瓩魏辰┐討い襦

「ぼくは今はもうクラブにあまり行かないし、悪友から離れることも覚えました。
それに仕事の面でますます向上しているので、遊んでいる暇もありませます。
ぼくは自分が何を望むかを知っている。どんなことでもしっかりやるべきです」
南方都市報 2013.7.10



男神が帰ってきた!
大陸メディア「金城武のかっこよさは凄まじさきわまりない」と


金城武は航空会社のために撮影したCMで、頬が垂れているかのように見え、
少なからぬファンを、青春は戻らないと大いに嘆かせた。
だが、この数日、北京でジョン・ウー監督の新作に参加した彼は、
明らかに一回り痩せ、ネットでは男神がまた帰ってきたとの声が上がって、
大陸メディアの記者は「凄まじさきわまりなくかっこいい」と形容した。

大勢の人間の中に現れた、この1人の優れた容姿の人影が、多くのファンの目を輝かせた。
この行儀よく人々にお辞儀をして挨拶をする若者が、なんとなんと、金城武なのだ。
その締まった体つきと恥ずかしそうな笑顔を見て、現場の中年女性たちの心はとろけてしまった。
人々の中を行ったり来たりしている彼の長身、がっしりした方、大きくたくましい腕、
それに締まった腹部を見ると、まるではにかみやの青年に見える。
現場の大勢の女性の視線は金城武に集中。
このような無敵の青春の様子は、少し前のCMのおじさんイメージとは別人のようである。

ネットでは、この2人の金城武は、まるで親子のように見えると言い、
彼が若返りの能力を持っていることを絶賛している。
ファンとなると、ネット上で男神が帰ってきたと書き込みしまくっている。
これに対し、金城武のマネジャーは、実は彼はずっとこんなふうで、変わっていないのだと言う。
今回、彼は北京でジョン・ウー監督の新作に出演する。
この映画はホアン・シャオミン、チャン・ツーイー、ソン・ヘギョなどの大勢のスターを網羅しているが、
それでも外部の注目の焦点は、ほぼ金城武だ。
こうして姿を見せたからには、それでもまだ彼が青春を失ったなどとは誰も言えまい。
東森新聞 2013.7.8


でもねえ、青春は留められないし、返らない。本来そういうものですよね。
今、一般人もアンチエイジングばやりで、
その年齢なりに一番きれいにしていられるのはとてもいいことだけど、
外見だけ若い振して張り合おうとするのは、ひとごとだけど、痛々しい。
アンチエイジングを盛りたてる美容業界、ファッション業界だって、
その痛々しさは十分知ってるはず。

そういうことに、きちんとした考えを持って、実践する金城武は素敵です。
(あ、でも、普段のヒゲは年齢以上に見えるし、顔を隠してるみたいだから、
そうじゃないほうがいいな←これは個人的好みの問題)



   BBS   ネタバレDiary  0:10


2013年07月12日(金) 蔡康永と太平輪

太平輪を所有していた船会社があの蔡康永の父親のものであったということは、
すでにあちこちのニュースで触れられていますが、
当の蔡康永がこのことについて書いた文章がアップされていたので、読んでみました。

どうも2009年以前に書かれたものらしいのですが、出所がまだわかりません。

ここで読みましたが、これは台湾の女性作家の書いた『太平輪一九四九』のレビューのページに引用されています。

百度の蔡康永吧のスレッドにも本文が張られているけれど、
スレッド主もネットを見ていて見つけた、とあり、ある新聞では、
蔡康永は太平輪について決して話したことはない、と書かれていると言っています。
でも、いつの映像だか、記者に問われて答えているので(望遠鏡のこととかも)、
やっぱり本人がどこかに書いたものなんでしょう。

蔡康永は作家でもあるんだけど、私たちが知っているのは、
「左右」のときのインタビュアー、金馬奨の司会者、
そして小Sとコンビを組んだバラエティ番組「康熙来了」ですね!

テレビ番組でもとりあげられているんですね。
映画の雰囲気がなんとなく想像されてくるような……
これとか




わが家の爛織ぅ織縫奪
蔡康永

どものころ、家にこんなものがあった。
船から持ってきた品々で、その中に木枠に革を張った肘掛け椅子があった。
革を張った縁は真鍮の鋲で留めてあり、とても座り心地がよかった。
「それは蒋中が私たちの船に乗るとき、一番気に入っていた椅子だよ」と父は言った。

また、ものすごく重い望遠鏡もあり、本当に遠くまで見ることができた。
私はときどき窓辺に立って、この望遠鏡で道路3本以上遠くを
歩いている人たちの表情を見たりした。
しかし船用の望遠鏡をしばらく支えていると、手が痛くなるのだった。

革の椅子と望遠鏡は、「私たちの船」から持ってきたものだ。
「私たちの船」とは?
いわゆる「私たちの船」とは、実は数十年前、父が上海で創立した船会社の船のことだ。
この会社が所有した船の中で一番有名な船は、名を「太平輪」という。

「太平輪」、中国の「タイタニック」

1949年、国共内戦が始まった年。
この年の大晦日、急いで上海を離れようとしていた富裕な人々は、
急迫する状況を察知し、年末であることなどかまっておられず、
既に満席の太平輪に乗ろうと必死になっていた。
これらの人々は、金の延べ棒を持っている者はそれを席と交換した。
先客から強引に席を買ったのだった。
コネのある者は、私の父や他の仲間から最後のいくつかの席を手に入れた。

当然、これらの太平輪の最後に乗り組んだ乗客中には、
当時上海で最も富裕な人々や、また父の最も親しい友人たちが含まれることになった。
戦乱ですみかを追われる時代に、運命の神は
自分自身コントロールできないひねくれた気持ちになっていたかのようだ。

太平輪、航路半ばで事故で沈没

生還者はいなかった。
船上に散らばって流れ着いた宝飾品や仏像などが、
多くの漁民を驚かせ、悲喜こもごもの思いにさせた。
父は私に太平輪沈没の原因を1度も語らなかった。
口にしたのは、ただ、当時父の会社は
全ての船にヨーロッパの保険会社の保険をかけていたということだ。
唯一、太平輪だけが、就航の前、上海の親友が保険会社を興したことから、
お祝いの意味で、手持ちの船で一番大きい太平輪の保険を頼んだのだという。

太平輪の事故が起きると、親友の保険会社は、すぐに倒産を宣言した。
すべての賠償は、船会社自身が負担しなければならなかった。
だが、太平輪で遭難した乗客は、非常なお金持ちや高官だったので、
どんなに賠償しても家族を満足させることはできない。
訴訟は終わりを見ることができず、太平輪以外の会社のすべての船が、
台湾の高雄港につながれたまま、錆びて廃船となっていった。

「私たちの船」は、このとき、一切合切地球上から姿を消したのである。
1対の革張りの椅子と、1丁の望遠鏡を除いて。

太平輪はなぜ沈んだのか? 私は父に尋ねたことがない。
1つには、思い出させて愉快にはならないということがわかっていたからだ。
特に何もないのに父に聞きただすのは、やはりよくないことだったろう。
もう1つには、この事件はぼくにとって、実際すごく遠い話だった――
いわゆる「我が社の船」を、ぼくは1艘だって見たことがない。

ただ、1度だけ太平輪のことを持ち出したことがある。
中学校のとき、新聞で「船舶王・董浩雲」のニュースを見た。
父はすぐ、太平輪がまだあったころ、
董浩雲の会社はまだ創立したばかりだったんだと言った。

そこで、私は新聞を置き、非常につまらない質問をした――
「父さん、もし太平輪が沈没しなかったら、ぼくも船に乗って
海を見ながら朝ごはんを食べたりできていたんだよね?」
「そうさ」と父はにこにこしながら答えたが、それ以上の話はしなかった。

私がこの間抜けな質問をしてから10年後のこと。
当時、私はUCLAの映画制作研究所で1年目を終えたところだった。
突然小説家の白先勇氏から手紙が来て、もし興味があるなら、
カリフォルニア、サンタバーバラの彼の家に車で来て、
映画の脚本の手直しを手伝わないかというのだ。
その映画のストーリーは、白先勇氏の名作『讁仙記』を原作にしたもので、
監督は中国の重鎮、謝晋だった。
ちょうど映画撮影を勉強していた私は、もちろん大喜びで行くと返事をした。

『讁仙記』のヒロインは、名門の娘である。
小説では、父親が中国の駐米大使だと書かれている。
すべて世の悲嘆と共に話は進み、戦乱が訪れると、
駐米大使夫妻は「太平輪の事故で亡くなる」のだ。

私が白先勇氏の家に着くと、
白氏はものすごく分厚い関係資料を、参考にと私に渡した。
その中に、新聞記事の切り抜きの写真があった。
太平輪事件のときの、上海の大新聞「申報」の報道だった。
私はその切り抜きを読んだ。
記事には「太平輪の船倉には積載量をはるかにオーバーした荷物があった……
昼日中、ほかの船と衝突し、沈んだ……」とあった。

これは実に困惑させられる記事だった。「貨物の積み過ぎ」はわかる。
船会社の決定か、あるいは船のスタッフが私的に取引をして載せたのだろう。
しかし、「積み過ぎ」と「日中の衝突」はどんな関係があるのだ?
たとえ荷を積み過ぎたことで太平輪の動きが遅くなり、
さっとよけられなかったのだとしても、
それが日中、別の汽船と衝突する理由の説明にはならないではないか。
航海士が酔っ払っていたのか? 
それとも内戦がもたらした懲らしめだったのか?

「申報」の記事は、それ以上突っ込んで調査することに興味がなかったらしく、
紙面という紙面を埋め尽くす戦乱と痛ましい災害の中で、
太平輪の沈没も、ただの見出しに終わっていた。
白先勇氏は、私がどうしてこの、物語とはあまり関係のない切り抜きに
こんなに気を取られているのか知りたがった。
「なぜかというと、太平輪は私の父の会社の船だったからです」と私は答えた。

『讁仙記』は後に映画になり、タイトルは「最後の貴族」と改められた。
「貴族」がどうして「最後」の、なのか?
白先勇は運命の神の合図に従って、太平輪を死刑執行の隊列に加わらせたのだ。

白先勇は「廣西王」白崇禧(中華民国の軍人)の息子で、
当然ながら典型的な「最後の貴族」だったのである。
そして私はと言えば、「最後」が行ってしまった、
さらにずっと後になって生まれた。
たとえその気があったとしても、とっくに関係はないのである。
革張りの椅子に座ってみた、とてつもなく重い望遠鏡を除いてみた、
そんなところだ。

1つの時代を、大火がすっかり焼き尽くした。
私が見たのは、あちら、こちらでくすぶっている燃え残りだ。
私の子ども時代は、いつも、このかすかにくすぶる火の中に覆われてある。


補足・生還者は少数ですがいたそうです。
それと、夜の航行だといわれているのに、昼間とあるのも不思議ですね。



   BBS   ネタバレDiary  16:30


2013年07月09日(火) 男神回來(続き)●Elle台湾エッセイ・もう1つ

さんざん太った、老けたと煽った後に、「復活〜!」とは、
えげつないネタ作りかと思わせられますが、
やっぱり、素敵な人には外側もずっと素敵でいてほしいんですよね、と思います。

これもそんな内容で、捜狐の動画ニュースを使っていますが、
金城さんの部分を繰り返し映してくれるのは、うれしいかも。
昨日の台湾の非凡新聞です。



link


この種のニュースはあとこれ1つで終わりにしましょう。


城武が事実によって老けてはいないことを証明した。
先に撮影された「I SEE YOU」のCMは人々をまさしく魅了し尽くし、
台湾の美しい景色に浸りながら、大勢のファンが彼のこぐ自転車に乗りたいと願ったのだった。
現在、彼は今度は国際的な大監督ジョン・ウーの新作映画「 太平輪」に出演する。
聞くところでは、彼はかっこよい扮装でカメラに収まり、
依然として非常な姿の良さ、かっこよさを維持しているのを人々に知らしめたという。

この新作「太平輪」は6日北京でクランクイン、
金城武、ホアン・シャオミン、チャン・ツーイー、
韓国スターのソン・ヘギョら大スターが集結、こ
のキャスティングだけでも見る価値はある。
金城武が好きな人は決して見逃さず、
彼が老け込んでいないことを絶対確かめに行くべきだ。

先日彼が老けた姿で写真に写っていると流されたことで、人々は驚愕した。
なぜなら彼は子ども時代から大人になるまで、ずっと憧れ慕ってきたアイドルだっただからだ。
だが、年を取らない者はいないのだから、ファンは厳しく見てはいけない。
しかし、数日前、金城武は老けて太ったというバッシングに対し、こう返した。
「見た目に時間や労力をかけるより、社会のためになるよう努めるほうがいい」
洪素津・文 Yes娯楽新聞中心 2013.7.9)


写真のキャプションには、

城武は今でもやはり多くの人の不滅のアイドルである」
とあり、やっぱり愛されてるんだと思います。



Elle台湾のエッセイ・もう1つ   23:40

7月2日にリンクを張った「ELLE台湾」サイトの、Friendの方の訳です。


金城武と、私たちみんなで追いかけたあの頃

「I SEE YOU」の一言が、
ある日突然私のフェイスブックを覆い尽くす話題となった。
若い人は、なぜこの、もう完全な美しさとは見えない男性が、
私たち70年代生まれの人間にとって、かくも抵抗しがたい魅力を持つのか
理解できないだろう。

私たちが彼らと同じような、まだ青く若々しかった頃、
それは高雄の墾丁に行けるだけで有頂天になっていたような年齢だ。
当時、ウォークマンで「標準情人」「多苦都願意」を聞いていた私たちは、
親友とイヤフォンを半分ずつ耳に差して、そのころまだあった区間急行に乗っていた。
それはある種の、ゆっくりと時間をかけて楽しむことを許されているという快楽だった。
時間をたっぷりかけてどこかに行ってよく、アイドルに夢中になっていてよかった。
その頃、私たち誰もが好きだったのがこの男性、金城武である。
私の金城武体験はT18から話し始めねばならない。

あの年。
男の子はみんなエリクソンに夢中になっていた。
CMの金城武のように、携帯に向かって「ラーメン!」と言えば
自動的に通話できるというのをしてみたくて仕方なかった。
携帯のふたをパチンとあける動作も魅力的で、
T18さえあれば、金城武みたいに、少なくともかっこいい扱い方はできる。
当時、ソニーといえばウォークマン、エリクソンといえば携帯、
金城武といえば若い男女すべてのものだった。

あの頃、彼はまだ明るいビーチボーイで、
私はサメ機は小海豚機より落下や衝撃、水に強いと思っていた。
その時代の携帯電話はそんなに多機能を求められておらず、
両親からかかってきたら切れて、
好きな女の子からの電話はつないでくれればよかったのだ。

その後、携帯のせいで、私たちはいろいろと気をもむようになった。
あの、いつも留守電を確かめる習慣については、
私たちは金城武のあとについて「恋する惑星」に行ってから、
彼と一緒に道に迷ってしまったようだ。
5月1日を迎えること、あるいはパイナップルの缶詰を見ることに、
みんな意味があるようになった。
その年、毎日T18で電話をかけていた彼女は、今も何かを思い出すたびに、
また期限が切れてしまったと感じる。
また1年経った、また1年経ったと。

例えば金城武。
たくさんの人がいろいろな金城武を知っている。
しかし、こちらが察し、感じ取らないと、はっきり主張してこない金城武もある。
かつて陳昇の録音スタジオの助手を務めた金城武には、
実は音楽の天分もあったのだが、ある種の、いわれなき世間の偏見と同じで、
美と才能は同一人の中に存在しないはずだといつも言われていた。
それゆえ、彼はこの方面ではきわめて控えめで、ほとんど口にすることがなかった。

独自の炯眼を持つ陳昇もまた、この道理をわきまえており、
歌を世に問うた後、作曲者が誰かはすぐに明らかにせず、
ただ、「これは少年が作った曲」と言っただけだった。
陳昇は音楽自身におのれを知る者を選ばせたのだ。
この歌が1997年リリースのアルバム「六月」に収録されたときになって、
ようやく金城武の3文字が歌詞集に記された。
大声で言いふらすことのない英雄が英雄を惜しみ、
意図的に話題として盛り上げることをしなかった。
わかる者だけが分かればよかったのだ。

このように、野心と成功は、実はあまり直接的関係ないことがわかる。
こんなふうに理解して注意深く守ることこそ、実は真の完璧さであると、
この歌を愛する者たちに、静かな愛とは何かを理解させたのである。

金城武との再会は、再び記憶のさざ波を起こさせた。
あのころについて、あの、一緒にいたのに、別れの言葉を言い忘れた人たちについて、
私たちにもう1度、些細だが深い過去を思い出させる。
あの、急いで成長しようとしていたことを、T18を手放せなかったことを、
イヤホンの片方で曲を聴く習慣を。

「I SEE YOU」の一言は、70年代生まれの私たちにとって、
1つの広告にとどまらない、記憶の巡礼なのである。
映像の中で金城武が1人街を歩いてゆく姿が、私たちを再び追憶の交差点に導く。
ようやく「命はもうぼんやりした若さでは」なくなり、
たくさんのことを忘れ去ったとき、私たちはやっと成長したのだ。
唯一の違いは、すなわちこうだ。
昔は、自分が急いでいた、今は急がねばならなくなった、ということだ。
幸い、交差点は依然として交差点である。
依然として沈黙し、依然としてあわただしい。

*この文を最愛の携帯ブランド、エリクソンに――
私のように大人になりたくなかった者たちに寄り添い、
私にこの歌を教えてくれたあなたに捧げる。


ここで「歌」と言っているのは「路口」をさしていると思います。
歌詞の一部が引用されてもいます。



   BBS   ネタバレDiary 13:00


2013年07月07日(日) 「太平輪」クランクン、捜狐の記事+動画●台湾りんごの記事(更新)

これは昨日のですけど、新浪のとは違った写真に付けられた記事本文です。
写真は最後の出典記事のリンク先にあります。



年では最も大々的なキャスティングの映画「太平輪」が、
昨日ホワイロウでクランクインの儀式を行なった。
本紙は現場でジョン・ウー、張一白、趙非、金城武、林保怡、愈飛鴻ら、主な面々の姿を目撃。
この日の北京は大変暑く、撮影隊の�老リーダー�たるジョン・ウーは青いズボンに白シャツで、
早くに現場に来て、スタッフと様々なことについて打ち合わせをした。
非常に真剣で、リンゴなどのお供えの仕方まで目を配っていた。

狎┐泙犬偽砲泙蠅覆き瓩曚匹っこいい男金城武は、もう何年も顔を見せていなかったが、
黒いTシャツとカーキ色のズボンという姿で人に混じり、線香を上げる時を待っている。
そのはにかんだ笑顔は、現場にいた中年女性たちを瞬殺した。
ジョン・ウーはこの愛弟子を大変気に入って、現場でもう役柄の細部について意見を交わしていた。

それに比べると、チェックのシャツを着た香港スターの林保怡は見たところ本当に普通で、
本紙は危うくスタッフと間違えるところであった。
張一白とジョン・ウー、カメラマンの趙非が一緒にカメラにかけた幕を取りはらうと、
金城武ら出演者が1人1人前に出て線香を上げ、撮影が無事に進むよう祈った。
儀式が終わると、それまで出演リストに名前のなかった愈飛鴻がやってきたのだ。
張一白がワンピースを着た彼女を急いで壇の前に連れていくと、
ジョン・ウーが線香を上げるように身振りで示した。
その後、愈飛鴻は張一白のバンに乗ると、一緒に帰って行った。

聞くところでは、早くも2008年に、
ジョン・ウーが「太平輪1949」の撮影を発表したというニュースがある。
当時のタイトルは「1949」で、後に「太平輪」を仮題とし、
主演男優を台湾のチャン・チェン、主演女優をソン・ヘギョと発表している。

この映画は1949年1月に起きた「太平輪事件」を題材とするもの。
大陸から台湾に向けて出発した中輪船公司の汽船「太平輪」は、積載量をオーバーしていたこと、
夜間航行中にライトをつけていなかったことから、衝突沈没事故を引き起こしたもので、
1000名近くの乗客が遭難した。
この事件は�中国のタイタニック�と呼ばれている。

しかし、映画は版権の問題で一度は暗礁に乗り上げた。
2011年、ジョン・ウーは淅江のある会社と連合して舟山に撮影スタジオを建設、
ところが病気になったためにまたもや手をつけることができなくなった。
今年の1月、この作品にまたもや3月クランクインという情報が伝えられ、
出演者にはアンディ・ラウ、ルイス・クーの名が加わっていた。
好事魔多し。今、「太平輪」はついにクランクインしたのである。
捜狐娯楽迅 2013.7.6)


この内容の動画がこれですね。
ナレーションは、上の記事の「一緒に帰って行った」までと同じ文章。
  18:40

link



台湾りんごの記事   19:40

昼過ぎに台湾のりんご日報も写真入りで報じました。


「生死恋」クランクイン 金城武、男神復活

監督ジョン・ウーの新作「生死恋」は金城武、ホアン・シャオミン、チャン・ツーイー、
韓国スターのソン・ヘギョら第一線の大物をそろえ、昨日北京でクランクインした。
儀式にはジョン・ウー夫妻のほか、
いつもその所在が謎の金城武もひっそりと姿を現し、礼拝した。
写真で見る彼の、黒いぴったりしたTシャツを着て両手をズボンのポケットに突っ込み、
輝くような微笑を見せる様は超クールで、まるで、絶頂期に「若返った」かのようであり、
ネットでは「ものすごくかっこいい、まさに男神の復活だ!」との驚きの声があがっている。
(台湾りんご日報 2013.7.7)


はい、私、ずーっと読みました。
「痩せた!」「すごく若い」「かっこいいーー」「誰だ、太ったと言ったのは?!」
「これを中年太りって言うの??」「やっぱりかっこいいじゃないか」……
この連続ですわ。
どこかの新聞の記者が写真載せてそう書いていて、
「言ったのはあんたたちマスコミでしょ」と突っ込まれてましたけど。

「男神」というのは、最近ネットでよく見る言葉で、
普通のハンサムとかかっこいいとかを、次元を超えたいい男を指すようで、
芸能界では(他については知らない)金城武とダニエル・ウーぐらいしか言われてないような気がします。

ところで、映画そのものに関してもう少し。


(前略)
番関心をそそられるのは、ジョン・ウーのここ数年の映画の傾向の変化である。
観客の心にあるのは、暴力美学の代表的人物である彼だが、
ここのところ、歴史的な壮大な題材を好んで撮っている。
「赤壁」がまさにそうだし、準備中の「飛虎隊」も「太平輪」も、
歴史の狭間で人間の運命に目を向ける試みである。
ここ数年の彼の映画はどれも製作費が巨額で、大がかりで、豪華キャストであり、
このような高い製作費は、自ずから大ヒットと芸術との二重のリスクを引き受けることになる。
しかし、それでもジョン・ウーを信頼する者は少なくない。
「最近の内地の市場は中小資本の映画が流行しており、大作は求められていない。
だが、「太平輪」のような題材はやはり少ないので、ジョン・ウーに奇跡を起こしてほしい」
東莞時報より 2013.7.7

そして、監督は――

(前略)
督は、映画のストーリーは人々の困窮と流浪を描くものだが、
それでも希望と光に満ちた映画であり、たくさんのアクション、ドラマ性、
そしてユーモアの要素をもった作品だと明かした。
京華時報より 2012.7.7

ということなので、監督が何を描きたいのか、その挑戦を楽しみに見守りたいと思います♪



   BBS   ネタバレDiary  2:15


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