DiaryINDEX|過去の日記|未来の日記
「ひとくず」3回目を見ました。何回見ても泣いてしまいます。この作品を見ていて本当に昭和を感じます。作品の中に出てくるエピソードは私の身近にたくさんありました。金政を見ていると私の父と少しダブってしまいます。長男もこの作品を見ましたが、長男も感動したと言っていました。
当たり前の事ですが、今という瞬間は今しかありません。私は時間と言う物がどう言う物なのか?は分かりません。もしかしたら時計のようにグルグルと回っているのかも知れませんし、螺旋階段のようになっているのかも知れませんし、一直線のようになっているのかも知れませんし、もしかしたら時間と言う物は無いのかも知れません。私には分かりません。分からないのですが、やはり漠然とですが、自分の生きている時間は生まれた所から死ぬ所まで一直線だと思っています。何故ならば自分にとっては同じ年も同じ日も同じ時間も無い訳で、毎年が新しい年で毎日が新しい日で一瞬一瞬が同じではない大切な物だと思うからです。どこを切り取っても私にとって無くてはならない大切な一瞬です。死ぬ時だって私にとっては自分の最期という大切な一瞬です。その大切な一瞬を同じような物にならないよう一生懸命に生きたいと思っています。私が死ぬ時に人生を振り返り、自分の人生にしっかりと起承転結があって欲しいなと思います。
私は何かを始める事に早いとか遅いとかと言う事はないと思っています。たとえそれが死ぬ前の日だったとしても私はやりたい事があるならやるべきだと思いますし、始めたい事があるなら始めるべきだと思います。死ぬ前の日にやりたい事があるなんてそれはそれで素晴らしいのではないかと思います。私の好きな言葉に「たとえ明日世界が滅亡しようとも、今日私はリンゴの木を植える」と言う言葉があります。何かを始める時に、始めるには遅いからと言い訳をして始めなかったら自分も未来も変わりません。結果を考えてしまうから始めるのが遅いなどと思ってしまうのです。結果など考えないで始めて見ればよいのです。今の自分はこれからの自分の人生で1番若い自分なんです。何かを始める事には希望があります。何かを始めれば必ず自分も変わって行き、そして未来も変わって行きます。そんな希望を持って結果の事なんて考えないで勇気を出して一歩踏み出して何かを始めて見て欲しいと思います。始めたいと思った自分の素晴らしい情熱を無駄にしないで欲しいと思います。私も6月から新しい事を始めました。自分のために、妻のために、長男のために、次男のために、道場のために、生徒達のために、自分の未来のために、私は毎日汗水をたらしてりんごの木を植えて行きたいと思います。
昨日、ボクシングの試合を観ていました。増田陸選手の試合がとても凄かったです。1ラウンドの87秒で左ストレート一発ノックアウトと凄かったのですが、試合の前や試合中や試合の後の振る舞いが本当に素晴らしかったです。勝ったことに浮かれるような態度も見せず、相手に対する尊敬や感謝の気持ちも見えて、試合場を降りると試合場に礼をし、花道ではお客さんに礼をして帰っていきました。とても好感が持ててファンになってしまいました。格闘技が好きな人には、選手のそう言う立ち振舞までをよく見て、称賛を送って応援して欲しいなと思います。私は堤聖也選手も好きなので、2人の対戦が実現したらどちらも応援したいと思います。
長男とも次男とけっこう大人の会話が出来るようになって来ました。プロ野球の事を話したら長男にいろんな事を教えられるし、映画の話をすると次男の方が私より内容を理解していて、いろんな事を教えられたりします。もう2人ともすっかり大人です。叱る時も頭ごなしにものを言っても理屈で返されてしまいます。特に長男はもうそれなりに大人のあつかいをしてあげなければ行けないんだろうと思います。でもやっぱり長男も次男もまだまだ子供のバカさズルさダラシなさがあるのでそこは親としてしっかり叱ってあげなければいけないと思います。
妻と少し言い合いになり、プチ家出をして六郷神社のお祭りに行き、そのあと居酒屋で1人でお酒を飲みました。帰りに疲れてベンチに座っていると長男と次男が私を迎えに来てくれました。とても嬉しかったです。長男と次男と歩いている時に「俺は幸せだー!」って思いました。
新しい仕事を初めてから1週目が終わりました。なかなか大変だなと言うのが感想です。仕事の内容は葬儀場の1階から5階までの男子と女子のトイレを掃除すると言うものです。なので10個のトイレを掃除します。男子は大の便器が1つ小の便器が3つです。女子は大の便器が3つです。そして洗面台が両方2つづつです。4階のみ障害者用の個室トイレがあります。そこも掃除します。床も掃除をします。ゴミも捨てます。消毒もします。最後に使った掃除用具を洗います。1階を約30分で終わらせないと全てのトイレを掃除する事は出来ません。なかなか大変です。でもやって出来ないほど大変ではありせん。コツを掴めばもっと要領良く正確かつスピーディーに出来るはずです。先ずは3年頑張ろうと思います。
私が選手として引退したのは、自分の心も身体ももう限界だと感じたからでした。その頃は疲労で朝起きると毎日ダルい感じでした。そのダルい心と身体を引きずるように毎日頑張っていましたが、ゴールを決める事で自分に残っている力を全て出そうと思い引退をかけて最後の年を頑張りました。ですが自分の思い描いた結果を出す事は出来ませんでした。その時に思った事は「こんなに自分は頑張ったけどダメだったのだから、もう思い残す事はない、でも最後と決めた日から最後の試合まで自分には負けなかったのだから悔いはない、これからは自分が幸せになれるように頑張ろう!」でした。そんな時に疎遠になっていた人と一緒に遊びに行く事になりました。それが私の妻でした。それから連絡を取り合うようになりました。私は現役時代は携帯電話を持っていませんでしたが、妻と連絡を取り合う為に携帯電話を買いました。そして忘れもしない2007年10月28日(日)に妻に告白をしました。その時は車の中でした。次の信号が赤になったら告白しようと決めていました。そして信号が赤になって車が止まった時に妻に「もし良かったら付き合って下さい。」と言いました。その時、車の中はシーンとしていて、自分の心臓の音がドキンドキンと聴こえていました。そして私は今とても幸せです。叶えたい夢が叶わなかった私に頑張ったご褒美を神様がくれたものが妻と長男と次男だと思っています。この幸せを失わないよう頑張って行こうと思います。
新しく始めた仕事の研修が終わりました。もともとは研修は4日間の予定でしたが3日間で終える事が出来たので、自分でも頑張ったなと思います。人や物や事の縁と言う物は本当に面白いと思います。今回の仕事で面接をして頂き仕事を教えて頂いた方が極真空手が大好きで、面接の時に極真空手の話で盛り上がりました。そして働く場所は私の師匠の廣重毅師範の葬儀が行われた場所でした。何か縁があるなと思います。私は人との縁と言うてんに関しては本当に運が良いと思います。修行だと思って頑張ろうと思います。
私は食べる物や健康にはかなり気を使っています。それはやはり健康で長生きしたいからです。子供達が二十歳になるまで、出来れば結婚するまでは見たいなと思っています。でも凄く長生きしたいか?と言われたらそうでもありません。妻や子供達より長生きしたいとは思いません。妻がいない世の中に自分が生きているなんて考えただけでとても寂しいです。そうなったらそうなったで頑張らなくてはいけないとは思いますが、やはり家族の中では1番最初にこの世に生まれたのだから、その順番で去って行きたいと思います。そのためにも頑張って働いていて、それなりの物を妻に残してあげなくてはいけないと思っています。
kanno
|