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空手での不思議な体験をもう少し書こうと思います。これは試合での体験なのですが私が25歳の時に1998年4月の千葉県大会で野地竜太と対戦した時に起きました。延長戦2回目の時に私は限界だと思うぐらい苦しくなり「あ〜もう限界だ。」と心のなかで呟きました。そしたら自分が自分に話しかけてくるような感じで「こんなチャンス2度とないぞ!ここであきらめたら何のために東京に来たんだ!もう一息だ!頑張れ!」と自分が自分に言って来たのです。それが試合中に何度もありました。自分と自分がずっと会話していた感じでした。自分が自分に励まされながら戦っている感じでした。そしてその自分と自分の会話をもう1人の自分が眺めているような感じがしました。とてもとても不思議な体験でした。でもその後9年試合に出ましたが、そんな事は2度と起こりませんでした
私は空手をやっていて不思議な体験をした事があります。先ずは失神した体験です。私は完全に失神した事が3回あります。試合で1回で稽古で2回なのですが、3回ともケースが違うのですが、1回は失神したあとに長い長い夢のようなものを見ていました。その夢ようなものは暗い所を迷いながら出口を探してずっと歩いていました。何故、夢のようなものと書いたのかと言うとそれは夢とは思えないぐらいリアルな体験だったからです。しかも遠くで自分を呼ぶ声が聴こえて、その方向に歩いて行くとどんどん声が大きくなり、目を開けるとみんなが私の名前を呼んでいました。1回は失神したあと気が付くと、失神している自分を少し遠く上の方で見ていて「何で自分は稽古中に寝ているのだろう?」と思いました。みんなが私の周りを囲んでいました。目を開けると同じ感じでみんなが私の周りを囲んでいました。1回は試合で上段回し蹴りをもらい失神しました。急に一瞬意識が途切れて気づいたら試合場で起きたのですが、何故自分は試合をしているのか?がよくわからない感じでした。たぶん前の日ぐらいからの記憶が消えていた感じだと思います。起きたあと医師からいろいろ説明を受けて時分が負けた事を知り、体育館の天井を見ながら泣きました。そしてこれも不思議なのですが、試合場を降りてから1時間ぐらいの記憶が全くありません。相手に挨拶をし控室で1人で座って黙っていたそうですが、道場生とは時折話したりしていたそうです。その記憶が今だに全くありません。ハッと気が付た所から私になりました。道場生から聞くとその間は寝たり失神したりはせず普通に話したり考え事をして何か呟いたりしていたそうです。今考えるとこれが1番怖いなと思います。その小一時間の自分はいったい何だったのだろう?誰だったのだろうと思います。もしかしたらそのまま自分として生きていた可能性もあります。本当に怖いです。残された人には申し訳ありませんし悲しませる事になりますし迷惑をかけますが、意識を失って死ぬのは死に方としては悪くはありません。頑張っている中で一瞬で意識が途切れて終わっているので、怖さも痛さもありません。でもそのあとに自分じゃない自分で生きて行く事になったり、自分が誰なのかよく分からずに生きて行く事になったり、それまでの記憶が全部なくなり大切な人まで思い出せなくなったりして生きて行く事は本当に怖いです。私はそうならなくて幸運でした。今も健康で稽古出来ている事に心から感謝です。選手は死んでも良いと思って頑張っているのだと思います。でも現実は残酷です。選手を辞めてからの人生のほうが全然長いです。選手の皆さんには自分を大切にして欲しいなと思います。
人間関係において自分のルールを人に押し付ける事は出来ません。それは自分が正しいと思う事もです。それが相手のためになると思う事もです。ですが自分の中に譲れないルールがあるなら、それは最初に伝えた方が良いと思います。そうすると妥協するのか、決別するのか、少し距離をとって友好的にするのかを先に決めて付き合っていけるので、喧嘩になって絶交する事はなくなります。それは組織も同じです。その会社や道場やジムや施設には最初からルールがあるのだから、それを守りたくない人はそこに入るべきではないし、途中で守りたくなくなった人はそこを去れば良いだけです。もし妥協してでも続けたいと思うなら妥協して守れば良いだけです。でも個人の人間関係においては最初に自分の譲れないルールを伝えあって、お互いに相手の譲れないルールを妥協していけば上手く行くと思います。そしてなるべく人とは協調し合って行きたいと思っています。
私は6月から仕事を始めたので朝は6時20分に起きています。私は52歳にして開眼した事があります。それは朝起きた時に「眠いな〜、起きたくないな〜。」と思わなくなった事です。じゃあ朝はシャキッと起きて元気いっぱいなのか?と言うとそう言う事ではありません。ぶっちゃけて言うと眠いです。私は52年生きて来た訳ですが、眠くない朝は1度もありませんでした。起きる時はいつも多少なりとも眠いです。なので眠いのは当たり前だと思うようにしました。何時間眠ろうと起きる時は眠いものだと思うようにしたのです。そしたら、朝起きるのがキツくなくなりました。またいつも通りに眠いだけだから、今日もいつも通り頑張ろう!と思って、サッと起きれるようになったのです。朝は眠くて当たり前、朝はダルくて当たり前、そう思ってしまえば、朝もそんなには嫌ではなくなるものです。結局は気の持ちようと言う事だと思います。
今の自分を変えなければ、おそらく未来の自分はそんなに変わっていなく、自分の未来も今とそんなに変わっていないのだろうと思う。今だけのために頑張るのではなく、未来のために頑張らなくてはいけないと思います。今の自分が1番輝いていると常に言える自分でいたいと思います。今の自分が過去最高の自分だと常に言えるように頑張りたいと思います。だから昔の自分になんて絶対に負けたくありません。昔の自分に今の自分がもし負けるのなら、その時から今まで生きて来た自分の人生はいったい何のために生きて来たのだろうと思ってしまいます。だから常に頑張って生きて行きたいと思います。その気持はたぶん60歳になっても70歳になっても80歳になっても90歳になっても100歳になっていたって変わらないだろうと思います。これからが本当の戦いだと思っています。
人の人生は身の丈にあっているのが1番だと思います。私の人生はまさに身の丈にあった人生を歩んでいると思います。身の丈にあわない物を身の丈にあわない時期に手にしていたら、それを失ってしまうか、もしくはその事で身を持ち崩していたか、大きな失敗をしていたと思います。そう考えると私は本当に運が良いと思います。大きな物を手にしたいなら自分の身の丈を大きくしていかなくてはいけません。私は今でも自分の身の丈を大きくしようと頑張っています。
今日は15日なので 鷲神社に参拝し道場の神棚の榊、米、塩、酒、水を変え神前に手を合わせ、個人レッスンを行いました。自分のトレーニングや稽古もしました。休みの日は自分のやりたい事に時間を使える貴重な日です。休みの日も空手の指導をしていると言う事は空手の指導は私にとって自分のやりたいことなのだと思います。
やりたい事はやれば良いと思います。やろうと思って行動をすればやりたい事は必ずやる事ができます。でもそのやりたい事をやるためには、やりたい事の倍以上やりたくない事をやらなければいけなくなります。やりたい事だけをやって上手く行った事は私はありません。そのやりたくない事を倍以上やる事が出来る人が自分が本当にやりたい事をやるという事を実現させられる人だと思います。私が今、恐ろしいと思う事は日々の日常やらなければ行けない事に追われて自分が本当にやりたかった事を忘れてしまう事です。やりたい事のためにお金を稼ぐ事はとても良い事だと思いますが、贅沢をしてお金が無いために身を粉にしてお金を稼ぐだけで1日が終わり、自分が本当にやりたかった事をやらずに人生が終わってしまうなら、その人の人生に、生きた意味はあったのだろうか?生きた証は残せたのだろうか?と思ってしまいます。十数年前に親友化から「貧すれば鈍する」と言う言葉を教えてもらいました。貧乏になると、精神的な働きが鈍くなる、と言う意味です。お金がないと幸せに生きる事は出来ません。やりたい事も出来ません。だから必要なら身を粉にしてお金を稼ぐ必要があります。でも仕事に疲れて残っている時間を無駄にしてしまっては生きている意味が無くなってしまいます。貧しても鈍しないように心がけたいと私は思っています。やりたい事のためにやりたくない事を頑張って、残った時間は本当にやりたい事の準備をして、お金を無駄遣いしないでしっかりとお金を貯めて、いつか本当にやりたい事を実現させたいと思います。
「たとえ明日世界が滅亡しようとも、今日私はリンゴの木を植える。」という言葉が好きな事を少し前に書きました。この言葉とセットで私は「カルペディエム」と言う言葉も好きです。この2つの言葉は私の中ではセットです。「カルペディエム」とは今を生きるとか今を楽しむとか今と言う時間を謳歌して生きると言う事です。りんごの木を植えると言う事は私の中では今を生きると言う事です。今という時間を一生懸命に生きる事が後にその一生懸命に頑張った事が実りりんごなるのだと思います。今、一生懸命に頑張っている自分を未来の自分が、あの時、頑張って、りんごの木を植えた自分がいたから今、自分はりんごを手にしているんだ、そしてそのりんごのおかげでたくさんの人が幸せになっているんだと、りんごの木を植えた時の自分に感謝していたいです。今という時間を一生懸命に頑張って謳歌する事でりんごが出来ると思っています。そして今を楽しみたいと思います。今を一生懸命に頑張るという事は今を謳歌する事は決して楽しい事ではありません。じゃあ「カルペディエム」じゃないじゃないか?!と思うかもしれません。たしかに今を一生懸命に頑張るという事は苦しい事も辛い事もあります。でも頑張っている時は充実していますし希望があります。これを頑張ればいつかこうなれる!と言う希望を抱いて頑張っていれば、それはとても楽しくなります。今日は朝7時半から10時半まで仕事をし、11時10分から13時までウエイトトレーニングと柔軟体操と呼吸法と瞑想を行い、14時30分から15時20分までランニングをし、16時から20時50分まで通常の指導を行い、21時から22時30分まで個人レッスンを行いました。本当に今日を頑張ったと思います。今を生きたしりんごの木を植えたと思っています。今を一生懸命に生きる事が今を楽しむ事です。それが私のカルペディエムです。
「ひとくず」3回目を見ました。何回見ても泣いてしまいます。この作品を見ていて本当に昭和を感じます。作品の中に出てくるエピソードは私の身近にたくさんありました。金政を見ていると私の父と少しダブってしまいます。長男もこの作品を見ましたが、長男も感動したと言っていました。
kanno
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