続々・不良主婦と呼ばれて@USA
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米国在住数十年国際結婚美人妻<←嘘>自堕落日常日記
2016年07月17日(日) |
ソフト派?ハード派? |
夏休み恒例の、眼科検診。 保険でカバーされる検診は全て受けなきゃ損でしょ、何で使わないの、だって払ってるんだから、受ける権利がある、だから毎年受けるのだ!! という考えのもと、さらに旦那を除いた家族3人共視力に問題があるので、眼科へ。 3人分のメガネの処方箋と(こっちはメガネ屋さんで無料で検眼してくれない!)、私のハードコンタクトレンズの処方箋を。 受付の女性に、「ここで働き始めて、ハードコンタクトレンズをしてる人はあなたが初めてよ!」と化石を発見したかのような言われ様。 さらにドクターには「前回のハードの処方箋が無いと新しく出せない」と言われた。 なんだ、それ。。。とにかく、今どきハードコンタクトレンズを使ってる人なんかいないよ、今回を機にソフトに変えたら?ということ。 0.01というド近眼に加え、片目に乱視がある私にはハードの補矯力が一番良いと勧められ、そのまま25年。 きっとその間にソフトレンズも進化したのだろう。 でも、私はハードじゃなきゃダメなのだ。 いいもん、今度日本に行った時に眼科に行くから。
wisdom teeth。 こちらでは、百害あって一利なしの親知らずは、歯の成長も終わって根が深くならないうちの、17、18歳頃に抜いてしまうことが多い。 なのでいとこや学校の友達なんかも、結構皆この親知らず一気抜きを体験している。 うちの子も今回、上下4本一気に抜いた。 麻酔のために、前夜から食事と水分を抜いて病院へ。 施術自体は15分程、前後の麻酔でトータル1時間ちょいで帰途についた。 今まで大病も手術も、虫歯の治療さえもした事が無い上に、痛みや注射が大の苦手な子なので、もう大袈裟な位に麻酔や抜歯を怖がっていた。 結果的には、麻酔でノックアウトされて、目が覚めたら全てが終わっていたと。 抜歯後の経過も良好で、3日後の今日からは食べ物や運動など、普通の生活に戻った。 2,3年後に今度は下の子の抜歯があるけど、今回で色々経験したので、大丈夫!
2016年07月07日(木) |
人種の闇、無意識の差別 |
白人警官による黒人殺人が続いて2件。 両方動画が流れまくっているけど、これは警察の任務とか正当防衛などではなく 殺人、射殺としか見られない。 これが白人だったら。。白人警官はあんなにも簡単に、至近距離で銃を放つだろうか? 人種の坩堝のアメリカで、自身がマイノリティー/有色人種として、以前より 自分たちが特別に差別されているという黒人の主張には全面的に同意出来なかった。 「黒人だから」はいい言い訳、責任転嫁だ、と心中思うことも多かった。 そういう黒人だってアジア人をさらに下の人種と思ってるでしょ。 日本人だって、「日本人はアジアで一番」「他のアジア人と一緒にされたくない」 っていうのが意識の中にあったりするでしょ。 だけどやっぱり、、、白人は得なのよ。人種で卑下されることはないしね。 日本でも、白人を見る目、黒人を見る目、例えば中国人を見る目、パキスタン人を見る目 。。。同じじゃないよね。 やっぱ無意識になぜか「白人は上」なのよ。 ロシアやドイツの白人女性がつたない英語を話したらセクシーとか言われるけど、 アジア女性がブロークイングリッシュ話せば、嘲笑される。 。。。もうこうなったらただの嫉妬か? 20年アメリカに暮らして仕事して子供を育ててきて、いちいち「人種差別だ」だの 「アジア人だから」と騒いていたら、きりが無い程色んなことあった。 明らかな差別に泣いたり、体が震える位の屈辱を感じたことだってあった。 でも差別する人の意識は変えられないし、それが無意識だったらさらに何も出来ない。
2016年07月04日(月) |
時差ボケ、夏休みボケ |
2週間の日本滞在から戻って約1週間、まだ時差ボケから立ち直れない。 こんなにも長く時差ボケを引きづったことは今までなかった。 旦那はすぐに普段の仕事時間に戻ったから大丈夫みたいだけど、私と子供二人は どうにも夜眠れない。 朝まで全く眠れない。 電気を消してbedに入って眠気を待つも、午前2時。。。午前3時。。。午前5時まで 起きたまま時計を確認する日がもう5日続いている。 子供たちが夏休みに入ってもう1カ月以上、夏休みボケということもあるんだろう。 意識して昼間は太陽にあたったりしているんだけど。 夜10時になると眠くなっていた日々に戻りたい!!
成田空港=悲しい場所 それが私の中でずーっと変わらない。 沢山の人にとってはきっと、海外旅行へ出発する前のワクワクする場所だろう。 今回も成田空港から帰ったけど、どうしても今までの記憶ばかり蘇って、 なんか泣きそうになった。 結婚してすぐ、アメリカに引っ越す=出発する日は祖父のお葬式の翌日で、 姉だけが空港に来てくれた。 成田を離陸した飛行機の中で一人ボロボロ泣いた。1997年。 姉の結婚式のために、妊娠4カ月で一人帰国した翌年。 上の子がまだ4カ月の時も、一人で赤ちゃん連れで帰国した。 それから何度も帰国しては、成田でさよなら。 母がおにぎりやおいなりさんを作ってくれて、展望デッキでみんなで食べたり、 噴水の前で写真撮ったり。 成田で撮った写真が沢山あるけど、やっぱりその写真には別れの悲しさが見てとれる。 セキュリティを通った後、ガラス越しに下りのエスカレーターから手を振って。 家族の前では涙を見せたくないから、毎回努めて笑ってさよならした。 私が泣きたかった様に、成田から帰る車の中ではきっとみんなも寂しく思ってくれたんだろう。 いつも車で送り迎えしてくれる義兄さん、ありがとう。 両親はもう年だから、実家でさよなら。成田空港まで見送りには来なくなった。
やっぱり日本がいいな。 アメリカに帰って来たら来たで、まぁ自宅に着けば落ち着くんだけど、 成田から出発する日のあの、後ろ髪を引かれる、寂しい思いは言葉に出来ない。 次はいつ来れるんだろう。。。 次に来るときはどんな状況だろう、子供達も一緒かな、両親はどんなかな。。。
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