2002年02月18日(月) |
隆慶一郎「見知らぬ海へ」(講談社1990.10.25)は面白かった。 |
隆慶一郎「見知らぬ海へ」(講談社1990.10.25)は面白かった。 最近また時代小説を読むようになって思い出すのは隆慶一郎の作品だ。すべてが傑作だった。今あらためて読み返してもその魅力は減じていないだろう。 「見知らぬ海へ」は未完の作品の中でも短い方だが、勇壮な面白さに富む物語である。 海賊奉行向井正綱が率いる向井水軍の破天荒な物語でこれからというところで途切れていながらも名場面が多い。 病によって閃光のようにこの世から飛び去った隆慶一郎の絶筆のひとつである。 あの頃、集英社の「青春と読書」に隆慶一郎の闘病記のようなエッセイが掲載されてからしばらくしてその死を知って驚愕したことを覚えている。 予想だにしなかった死だった。
2002年02月17日(日) |
「SFが読みたい!2002年版」(早川書房)を購入、すぐに熟読した。 |
「SFが読みたい!2002年版」(早川書房)を購入、すぐに熟読した。 熟読とはいっても、この手の本の読み方には慎重さが必要だ。読んでいない本の粗筋や批評をうまく避けながら、たとえ目にしても記憶に残らないように読んでいかなければならない。読んでいない本の方が圧倒的に多い場合は、だから熟読できない。 結局、読んでいいところだけの熟読となった。 最近は時代劇を中心に読んでいるので、「時代劇が読みたい!弐〇〇弐年番」(時代書房)を購入すべきだった。 国内編ベスト20で読んだのはたった一作品。 海外編ベスト20にいたってはゼロ。 なんともはや。 かえってこの本の読者としてふさわしいのかもしれない。少なくともほとんど読んだ人は買う必要がないように思える。 62ページのSFマガジン読者が選ぶベスト2001国内編では2作品。海外編はやはりゼロ。34年間SFマガジンを買い続けてきた者としては、情けない次第である。 裏表紙の過去10年のベストSF国内編でやっと四作品読んでいた。海外編でも三作品読んでいる。よかった。しかし、これで考えてみると1995年くらいからSFに対する粘りがなくなったようだ。日本のSFはその年に評判になり本当に面白そうな作品のみ。外国産はダン・シモンズの「ハイペリオン」四作品のみとはっきりしている。 ジャンル別のまとめ、対談もあるファンタジー編、ビデオ紹介、書籍目録と内容的な充実度も高いだけでなく、読み物としても十分面白かった。
2002年02月16日(土) |
有栖川有栖「紅雨荘殺人事件」(「本格ミステリ01」講談社ノベルス所収)を読む。 |
有栖川有栖「紅雨荘殺人事件」(「本格ミステリ01」講談社ノベルス所収)を読む。 冒頭の不思議な書き出しが気になって読み始めた。ある意味での遺産目当ての殺人事件を描いた本格ミステリで、チェスタトンの「ブラウン神父」ものに通じる世界を構築している。この著者については、冗長という先入観があった。今回、その予想は覆された。60ぺーほどの長さの中編を苦もなく読み通すことが出来た。 語り手の有栖川有栖と探偵役の火村英生助教授のやりとりを中心にその他の人物たちもよく描かれている。 本日購入の本。 小林信彦「オヨヨ城の秘密」(角川文庫) 川上健一「女神がくれた八秒」(集英社文庫) 五味太郎「大人問題」(講談社文庫) クライヴ・カッスラー(訳=中山善之)「アトランティスを発見せよ上・下」(新潮文庫)
2002年02月15日(金) |
テッド・チャン「七十二文字」(SFマガジン2002年3月号)を読む。 |
テッド・チャン「七十二文字」(SFマガジン2002年3月号)を読む。 粘土の人形が名辞を使うことで動き出す。七十二文字のヘブル文字を書いた紙を人形に差し込むだけでその人形が動く。その七十二文字のヘブル文字を名辞といい、文字の組み合わせ方や使い方によっては驚くべき力を秘めている言葉の配列を言うらしい。 そういう、いわば魔法の言葉の存在が当たり前の世界の物語である。 人間自身も小さなホムンクルスとして既に誕生していて、卵子と出会って大きくなるのを待っているという世界である。人類がすべて実験室のビーカから生まれてくような印象を受けた。そうであれば、人間はネズミように増える一方ようだが、実際には五世代経る中で不妊症の卵子ばかりが生まれ、人類全滅まであと五世代ということが判明しているのだ。 主人公は自動人形の手先を器用に動かす名辞を獲得している気鋭の命名学者。さまざまな事件を経て彼は人類を絶滅から救う方法のヒントを得る。 日本で言うと今流行の陰陽師が科学者や研究者と同様の存在として認知されているのと似ている。 物語の展開そのものに独創性はない。設定と表現・描写に新しいものがある。結末を楽しみにするのと同じように描写と表現をじっくり味わうのがよい中編小説である。 「あなたの人生の物語」に続いてこれも現代人にふさわしい慈雨のごとき作品。 翻訳者は、嶋田洋一。
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