読書日記

2002年03月10日(日) 丸谷才一「思考のレッスン」(文藝春秋1999.9.30)の最初の章を読んだ。

丸谷才一「思考のレッスン」(文藝春秋1999.9.30)の最初の章を読んだ。
レッスン1「思考の型の形成史」はものの考え方や見方の成長を少年時代かを振り返って語ったものである。
文筆家の努めとは「正しくて、おもしろくて、そして新しいことを、上手に言う」ことだと語る丸谷才一がいかにしてそういう考え方を身につけたのか。丸谷フアンまたは支持者だったら泣いて喜ぶ企画である。
この部分の目次を書き写す。
丸谷少年が悩んだ二つの謎/読んではいけない本を乱読する/わが鶴岡ーただしお国自慢にあらず/俗説を覆す言論に喝采/「白玉クリームあんみつ」を排す/
最近は文壇の親分などと呼ばれ鼻持ちならない存在であるかのように扱う人もいてもの悲しい気分になることもある。
「梨のつぶて」や「遊び時間」は新しくかつおもしろい書評集であり、エッセイ集だった。今まで誰も気づかなかったことをうまい文章でわかりよく解説しているので、読後「これは正しい」を何度も思ったものである。
しかし、最近のものはやや色あせて見える。年相応に老けてしまったのだろうか。才気煥発、縦横無尽の風が最近は吹いて来ない。
革新がいつのまにか保守に変貌していたわけではないだろうが。

「インターネット書斎術」今日も読んだ。繰り返し読まなければならないほど難解な本ではないのだが、紀田順一郎氏久々のパソコン本ということがうれしくて持って歩いて繰り返し読んでいた。
言い過ぎを覚悟で言うと、この本はまだまだ現役のプロの文筆家の手になる名著である。



2002年03月09日(土) 待望の紀田順一郎「インターネット書斎術」(ちくま新書2002.2.20)登場。

待望の紀田順一郎「インターネット書斎術」(ちくま新書2002.2.20)登場。
待ちに待った本がやっと出てきた。ワープロ専用機も98(あのdbaseを駆使していた)も使うのみならずマックで蔵書票なども作って楽しむ先進機器のヘビーユザーがこの手の本を出さないわけはない。いや早く是非だしてほしいと思い続けて10年以上である。この空白を「パソコンをどう使うか」の諏訪邦夫氏がかろうじて埋めていた。失せ物と幸せは忘れた頃にやってくるの言葉の通り嬉しい不意打ちを食った。
隣の人が読んでいる本を何気なく見た。形と活字の並び方からちくま新書と判別できた。次に紀田が見え、次に書斎の文字が見えた。
すぐに本屋に寄った。幸いに見つかり、すぐに読み始め、読了。
もうこの分野で目新しいことは書けないことは分かっていても納得の内容だった。読み物としても実用的な指針書としてもさすが紀田氏というべき工夫と独創があり、充実した本になっている。
しばらく手元において繰り返し味読し、手元から離れたら忘れた頃に取り出してまた読む。



2002年03月08日(金) 「SFマガジン」「ミステリマガジン」「ちくま」「図書」「波」「本」を拾い読みの日。

「SFマガジン」「ミステリマガジン」「ちくま」「図書」「波」「本」を拾い読みの日。
「SFマガジン4月号(552号)」の看板は、北野勇作「イモリの歯車」グレッグ・イーガン「愛撫」小林泰三「空からの風が止む時」田中啓文「あの言葉」の短編四作品。
「ミステリマガジン4月号(554号)」の顔は、日本人作家インタヴュー(ミステリアス・ジャム・セッション)第16回の戸梶圭太(インタヴュー&文=中村貴史)の巻頭ページ。毎回これを読むとその作家を読みたくなるくらい快調なシリーズである。
おなじようにいつも面白く楽しみなのが、小熊文彦「彼らもまた忘れられた」第37回「ロアルド・ダール(その一)」と都築道夫「読ホリディ」第157回「また春が夏が」の二大連載エッセイ。
特に「読ホリディ」は西村京太郎の作品を話題にする暴挙に出てこちらを大いに驚かしてくれた。驚くべきエッセイとなった。
今日はあまりよめなかった。



2002年03月07日(木) 安原顯「へそまがり読書王」(双葉社)をやっと入手。

安原顯「へそまがり読書王」(双葉社)をやっと入手。今までは近所の書店に行き現物を見てああもうでたのかとわりに簡単に買うことができた。いつも一冊だけなぜか入荷していた風で苦労しなかった。それなのに今回はこちらからコーチャンフォーなどに打って出たにもかかわらず全く出回っていず、今日に至った。
さすがに紀伊国屋書店。押さえるところはちゃんと押さえていたのか、すぐに見つかった。
ザーッと流し読みしたらやはり安原氏は一味違う。意表をつく意見が必ずある。
川上弘美の「センセイの鞄」を酷評している。贔屓の作家だったはずなのにこの小説については散々である。かつて村上春樹にもそうだったように手厳しい。村上龍だってそうだ。
「センセイの鞄」は高い評価ばかりでいい作品だという声が多かったので大事に取っておいてあるのでこの意見には驚いた。「へそまがり」というタイトルは伊達じゃない。
取り上げている本の大半は自分とは縁の薄いものだが、筆者がどう裁いているかを知りたくてつい読んでしまう。
安原顯の2001年度版の書評集は出た。小林信彦の文春連載の2001年度版もそろそろ出ないか。


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