読書日記

2002年03月14日(木) 川上健一「ららのいた夏」(集英社文庫2002.1.25)を一気に128ページまで。

 川上健一「ららのいた夏」(集英社文庫2002.1.25)を一気に128ページまで。
十年ぶりの新作「翼はいつまでも」で注目を集めた著者の1989年の作品。
走るのが好きな天然の天才ランナーとでも呼ぶべき少女の名前がららと言ってもちろん主人公である。高校の校内マラソンで驚異的な走りを見せたかと思うと一般のロードレースに出場して日本を代表するランナー以上の記録的な走りを見せる。
突然天から舞い降りてきた天使のような少女である。
そのららと同じ高校の野球部のエースピッチャー純也との純な恋もららの活躍と並行して描かれる。
現代にはあの「Go」という若者小説の傑作が現れた。あれは男の子が主人公の爽快な話だった。こちらは女の子が主人公の豪放磊落なもっと開放的な笑いに満ちた話である。
読み物という呼称がもっともふさわしい青春読み物だ。2002年度の文庫本第1位はこれに決まり、である。
とはいっても、まだ3分の1しかよんでいないので感想も半分以上当てずっぽうみたいなものではある。



2002年03月13日(水) ジェラルド・カーシュ(訳=西崎憲)「豚の島の女王」(筑摩書房「英国短篇小説の愉しみ1「看板描きと水晶の魚」所収)を読んだ。

ジェラルド・カーシュ(訳=西崎憲)「豚の島の女王」(筑摩書房「英国短篇小説の愉しみ1「看板描きと水晶の魚」所収)を読んだ。
なんとも切ない物語でこういう話は苦手である。
難破、孤島、サーカス、巨人ガルガンチュア、双子の小人、手足のない美女。
孤島に流れ着いた四人がどんな風に行き、そして滅んだかの短い歴史物語である。余分なものが何一つない簡潔さゆえに記憶に残る。渋い。
この作者の名前は見たことがある。「奇想天外」や「幻想と怪奇」といった大昔の雑誌でよく目にしていたような気がする。

雑誌「ダ・ヴィンチ」四月号を拾い読み。その後の浦沢直樹大解析!!の文字が大きく踊っている。



2002年03月12日(火) 岩瀬達哉「新聞が面白くない理由」(講談社文庫2001.9.15)これもまた少しだけ。

岩瀬達哉「新聞が面白くない理由」(講談社文庫2001.9.15)これもまた少しだけ。
たまたま読みやすい軽い読み物とうまい具合に巡り逢うと二、三冊続けて読み終えることができる。そんな出会いがない時には拾い読みや冒頭読みの繰り返しで、いわばこの日記のためにそうしているんすぎなくなる。
この文庫本も33ぺージまで読んだ。

プロローグの最終ページの18ページにはこんなことが書いてあって度肝を抜かれた。
●「国民の知る権利」が、「新聞」によってこれ以上侵害されないためにも、本書において「記者クラブ」のさまざまな問題を検証し、そのあるべき姿について考えてみたいと思う。●

目次を見ただけでも内容は明らかである。
第一部 記者クラブの堕落/国民の税金で接待される新聞記者たち/便宜供与で曲がるペン/
第二部 朝日新聞社の正体/抑え込まれる社内言論/
第三部 消えるジャーナリズム精神/他のメディアの記者を排除する新聞記者/
全国調査 記者クラブの便宜利益供与一覧表

なにしろまだ最初を読んだだけなので目次に見合った論証が展開されているかどうかは断言できない。しかし、ここまででも十分説得力はあった。

今、宅配で新聞を毎日受け取ることに疑問を抱く人は多くない。
今こそ、そういうあり方を疑って違うニュースの読み方・知り方を検討する時なのかもしれない。
現代の日本を知るための実に実用的な本である。



2002年03月11日(月) 丸谷才一「思考のレッスン」のレッスン2を読み、他の本も少し。

 丸谷才一「思考のレッスン」のレッスン2を読み、他の本も少し。
レッスン2のタイトルは「私の考え方を励ましてくれた三人」その目次または見出しは次の通り。
その前に、吉田さんのことを少し/中村真一郎ー文学は相撲ではない/津田左右吉に逆らって/ジョイスとバフチンの密かな関係/山崎正和さんが解いてくれた年来の謎/
ここに上がった人物との関わりを通してこれまでの仕事の跡づけをしているのである。この章の最後のまとめはちょっと大げさで丸谷才一らしくない。大家然としたことは言わないという「趣味」が丸谷才一氏にはあるはずだから。
読んでいる最中に申し上げにくいのですがそんなことは言わない方が、と思わされるところが忘れた頃に出てくる。

去年評判だったよと耳にしている、三浦雅士「青春の終焉」(講談社)を21ページまで読んでみた。「朝日ジャーナル」の事が書いてある。


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