2002年03月18日(月) |
岡本賢一「ワイルド・レイン2 増殖」(ハルキ文庫2000.10.18)「ワイルド・レイン3 覚醒」(ハルキ文庫2000.11.18)を続けて読む。 |
岡本賢一「ワイルド・レイン2 増殖」(ハルキ文庫2000.10.18)「ワイルド・レイン3 覚醒」(ハルキ文庫2000.11.18)を続けて読む。 2では前回の敵以上の強い力を少女がまず登場し、レインを苦境に追い込む。その少女との戦いをクリアした後にさらに強大なパラ能力を持つ敵が誕生し、と小説版『ドラゴン・ボール』化していく。超人同士のすさまじい闘争がはてなく続く印象を受ける。日本の忍術合戦のような趣もあり面白い。 3では場面が一転する。謎がまずあり、次にもっと大きく根源的な謎が示され、最後のこれも驚くべき壮大な結末へと向かっていく。 あらすじを書くと、(日記だから書いてもかまわないはずだが)(しかし、内容を忘れた未来の自分の楽しみを奪う可能性はあるわけで)これから読む人の「感動」を妨げることになるので、あの安原顯さんのようにはできない。もう何も書けない面白さである。 ヨコタカツミ氏の表紙絵は雰囲気があっていいものだが、物語の終わり方はそういう雰囲気ではない、とだけ書いておこう。 『ワイルド・レイン』全3冊は、いまさら言うのも遅いとわかっている上で言うと、私の2000年度日本SFベストである。今頃読んだ自分を悔やんでいる。
*宮部みゆきの「ドリーム・バスター」を時折り思い出したが、何か理由があるのだろうか。
2002年03月17日(日) |
岡本賢一「ワイルド・レイン1 触発」(ハルキ文庫2000.9.18)を読んだ。 |
岡本賢一「ワイルド・レイン1 触発」(ハルキ文庫2000.9.18)を読んだ。 朝日ソノラマの文庫で何冊か読んでいたので、主人公のレインはワイルドな筋肉マンでスペースオペラのような宇宙を駆けめぐるSFアクション小説だとずっと思っていた。表紙のヨコタカツミという人の絵を見てもこれが主人公の姿とは思っていなかった。敵方の肖像だろうと思っていた。 ところが、読み始めてレインという人物の描写があり、表紙絵と見比べると、思い違いに気がついた。一応これはレインなのだと気がついた。 それにしても、裏表紙にある「スペース・アドベンチャー」は誤解を生む。全然「スペース」じゃない。全然「アドベチャー」じゃないじゃない。確かにそういう場面はあるにはあるが、全編を覆い尽くすほどのものじゃない。(というほどでもないじゃないが) 人智を超える神のようなパワーをめぐる超能力対超能力の戦いの物語だった。 全約270ページはちょうどよい、いわば節度ある長さで、面白さとほどよく調和している。 26世紀の未来。人類最高のパラ能力者レインは最愛の女性を失った「過去の事件」から逃れられず鬱々とした日々を送っていたが、現実は彼を自由にして置かなかった。超強力なパワーを手に入れるために邪悪な意志がレインに関わりのある家族を誘拐したのだ。急速にレインは己の意志とは別に全ての事件の渦中に引き寄せられることになった。 久々に迫力あるエスパー物を読んで満足した。 単純で読みごたえのある佳作である。
2002年03月16日(土) |
丸谷才一「だらだら坂」(文藝春秋「日本の短篇 下」1989.3.25所収)を読む。 |
丸谷才一「だらだら坂」(文藝春秋「日本の短篇 下」1989.3.25所収)を読む。 もともとは短編集「横しぐれ」中の一篇。酒の席で壮年の男性が若い同僚に向かって喧嘩の極意らしきものを口にした後、若き日の回想を一人語りを始めるのが冒頭である。 一年浪人して大学に入学できた若者が手頃な空き室を探しにだらだら坂を超えて周旋屋野前で部屋を物色しているといつのまにか二人の男に挟まれているのに気づく。 二人は金を巻き上げようとしているらしい。 隙を見て逃亡できた彼がだらだら坂を下って街中に戻ると彼のあせりや不安、恐怖が嘘のように見える光景があった。 気がつくと彼は新宿の遊廓を歩いていた。 思いがけない成り行きで真面目な道を踏み外した若者が主人公であるが、それにしても一人称の語りの調子が見事で、内容よりもこの語り、文章が主人公といえるのではないか。十五、六ページ程度の短さの中で戦後すぐ当たりの雰囲気をよく練り上げている。
2002年03月15日(金) |
竹下節子「不思議の国サウジアラビア(パラドクス・パラダイス)」(文春新書2001.7.30)を36ページまで読んでみた。 |
竹下節子「不思議の国サウジアラビア(パラドクス・パラダイス)」(文春新書2001.7.30)を36ページまで読んでみた。 かつてないほど大量の新書が毎月どこからか吐き出されるように出版されている。否定的な側面があると同時に肯定的に考えられる側面もある。 とりあえずは未知の著者との邂逅である。 何であれ普段頼りにしているのは既知の情報である。安定した生活にこれは欠かせない。時に安定を打ち破りたくなる。 小説類だと情報が多すぎる。売れそうな本についても同様だ。文庫本もかつての評判作だった。 新たな探検の裾野は新書から始まっている。目をつぶって最初に触れた物を買って読み始める。聞いたことのない著者が一番良い。 未知の著者とその著書との思いがけない出会いが既知の自分を打ち破る契機となることがあるから。 この著者は一人の立派なチャレンジャーである。 冒頭はこう始まる
「サウジアラビアには行ったこともないし、知り合いもいないよ」 突如としてサウジアラビアに行ってみたくなったのは兄のこんな言葉を聞いてからだ。(5ページ) この兄とはイスラム思想の研究者で日本では第一人者らしい。その兄の言葉によって、普通なら逆の反応になるはずのところをその妹たる著者はサウジアラビア行きを楽しみにしかつ決意するのである。 この著者自身がまずパラドキシカルな人間のようで面白い。 そんな著者のサウジアラビア紀行文集である。 日本人の常識から桁外れに遠い国サウジアラビアの不思議さ、面白さ、意外さ、平凡さなどを具体的に語り、返す刀で日本を切る豪快な本である。
|