読書日記

2002年03月26日(火) 石崎幸二「長く短い呪文」(講談社ノベルス2001.9.5)を24ページまで。

石崎幸二「長く短い呪文」(講談社ノベルス2001.9.5)を24ページまで。
シリーズの第3作であることを知らずに買った本。裏を見れば「周到な伏線が破天荒な推理へスパークする好調シリーズ、早くも第3弾!」と説明しているではないか。
それにも関わらず少し読んでみた。
主人公らしい青年は工業関係の会社の社員で、名前は著者と同じ。その彼と私立の女子高生とのメールによる趣味的な軽い会話のやりとりのプロローグに続き、その女子校のミステリ研究会の部室での面と向かってのこれもまた軽薄な会話によって物語が展開していく。
最近歳のせいか女子校生が登場すると興ざめしてしまって読む気がしなくなる。
決して面白くないわけではないのだが。



2002年03月25日(月) 出口汪「カリスマ受験講師の論理的に考える、私の方法」(三笠書房知的生き方文庫2001.11.10)を斜め読みする。

出口汪「カリスマ受験講師の論理的に考える、私の方法」(三笠書房知的生き方文庫2001.11.10)を斜め読みする。
副題は、「自分の頭」がもっと賢く使える!
予備校の現代文講義で名高い著者が著した内容はまさしく題名通りの本である。
前半は「論理的に考える」ことの意義・重要性をひたすら説き、なかなか具体的な指南にならないのでじれったかった。中程からやっと実践の文字が現れ、ほっとしたくらいである。
結局は、現代文読解の参考書のようだった。現代文の受験問題を考えることが「論理的に考える」訓練になる。最強の論理トレーニングになると主張している。
最後の自分だけのストックノートを作り、活用すると、有機的な認識力が鍛えられていくという意見も何かしら受験勉強の延長のようである。
熟読し実践すれば身につくとは思うが、期待していたものとは相当違った。
では何を期待していたのかと聞かれても返答に困ることは困る。
それは、受験勉強と関わりのない、または受験テクニックとも関係のない、抱腹絶倒で信じられないほど新鮮な実践例の指南書である。



2002年03月24日(日) ケイ・フーパー(訳=幹遥子)「シャドウ・ファイル/覗く」(ハヤカワ文庫)を52ページまで。

ケイ・フーパー(訳=幹遥子)「シャドウ・ファイル/覗く」(ハヤカワ文庫)を52ページまで。
人の心や思念を読むことができる超能力を持つ女性が犯罪捜査に協力する物語。ここまででは予想外の展開はない。超能力といっても万能ではないのでその思念が誰のものなのかがすぐに分かるわけではないし、条件が揃わないと心を読むことはできない。
今後、捜査が難航しつつ思いがけないサスペンスが生じてくるはずだ。
3部作の第1作目で、世情の評判は結構良い。

またしてもなかなか落ち着いて本を読めない環境になった。
この日記にも時間をかけられない日がしばらく続きそうだ。



2002年03月23日(土) スティーヴン・ハンター(訳=玉木亨)「魔弾」(新潮文庫2000.10.1)を35ページまで。

スティーヴン・ハンター(訳=玉木亨)「魔弾」(新潮文庫2000.10.1)を35ページまで。
言葉にある程度敏感な一人の男が語り手に寄り添って物語を進行する手伝いとなっている。そこはドイツ軍のユダヤ収容所の中でも特別なところらしく随分と囚人に寛容だった。小説家志望だったシュムエルにはそれを謎と感じる常識があった。
ある日、靴屋の親方(マイスタァシュースタァ)が来たと彼は耳にする。しかし、その軍人はとても靴屋には見えなかった。
夜に悪いことがきっと起きるとシュムエルが思い始めたある夜囚人たちは広い場所に連れ出される。薬莢をみんなで拾うためである。拾っている最中に眠って倒れる者が出始めたと思った直後に気がつく。そこは射撃場だと。囚人は狙撃されて次々に殺されていった。一人残ったシュムエルはやっと思い違いに気づく。あの言葉はマイスタァシュースタァではなくマイスタァシュッツェつまりマスター・スナイパー(狙撃の名手)だったのだ。
プロローグとして申し分のない語り口である。
1980年発表、著者の処女作である。「極大射程」の成功を受けての新潮文庫版刊行となる。
昨日の思い違い。
小林信彦の新刊は来月の14日発売であった。
また「妖怪」とかみそり半蔵の対決するコミックは「御用牙」であることを思い出した。


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