読書日記

2002年04月03日(水) 牧野修「呪禁官」(祥伝社2001.9.10)を29ページまで。

牧野修「呪禁官」(祥伝社2001.9.10)を29ページまで。
城山三郎の本を書店や図書館で物色してなかなかイメージ通りの物が見つからない。まだ小説の方には興味がわかないせいもあってか望みの本が限定されているのでこうなるのだろう。
意外に少ない。新潮文庫のイメージが強いのでまずそこを探したが数冊しかなかった。
朝日新聞社の新刊文庫に「無所属の時間で生きる」を発見。文庫になって題名が連載中の題名に戻っている。
牧野修がホラー作家に化けてからは何か気味の悪いものを感じて興味は少しあっても読めずにいた。今回手にとる気になったのは表紙裏の東雅夫が書いた「こんなにも爽やかで痛快無類なオカルト青春アクションを書くなんて」を読んだからである。
「爽やか」「青春アクション」この言葉で決断した。
B級SFサスペンス映画のように快調な幕開けは文句なし。そのあとはやや滞りはその次に予定されている大ジャンプのための助走として読んだ。
荒俣宏「荒俣宏のデジタル新世紀探検」(日本経済新聞社2000/04/11)を飛ばし読みしてみた。基本はしっかり押さえた上での「デジタル礼賛」なので醒めているところは醒めている。読みどころはやはり「礼賛」の部分ではなく「基本」の部分である。新しさはすぐに古くさくなるので時流に乗らないものの見方・考え方を身につけることが最優先なのだろう。



2002年04月02日(火) 城山三郎「この日、この空、この私(無所属の時間で生きる)」(朝日新聞社1999.10.5)を読了する。

 城山三郎「この日、この空、この私(無所属の時間で生きる)」(朝日新聞社1999.10.5)を読了する。
久々の一冊に納得。納得の一冊。
今、この著者のエッセイは新しいものが一番おもしろいと確信している。
その日、その時をより深く生きる。その実践の書である。
確かあの変な小説「トリストラム・シャンディ」の作家がスターンだったはずで、本当にこんなすばらしいことを言ったのか、「形式にこだわるには、人生は短か過ぎる」というスターンの警句を城山三郎氏は「我が身に言い聞かせるようになった。」と引用している部分(81ページ)でぐっときた。
講談社の「本」に連載中のエッセイ「この命、何をあくせく」が俄然注目の的になった。妙な感じで人生の書に出会ってしまったというところ。



2002年04月01日(月) 明石散人「アカシックファイル(25)」(講談社「イン☆ポケット」3月号所収)

明石散人「アカシックファイル(25)」(講談社「イン☆ポケット」3月号所収)
今回は非常にまともで当たり前すぎるが、ここまで事の真相を把握してしっかり意見を言える人が少なくなってきている。
新聞社の人は売れる新聞作りと上に好かれる新聞作りの矛盾する二本柱を核としているからまっとうな主張を書けるわけがない。
外部に発注して代替わりしてもらうのが精一杯のところである。
それにしても時の首相たる者の批判がこんなにぴたっと決まる明石散人は、偉い!
多くの政治家はカネを求めて右往左往している。これが真相なのだ。
何日か前から城山三郎氏の本を拾い読みしている。
今日はエッセイと伝記の中間をいく面白そうな本を見つけた。
「花失せては面白からず」(角川文庫)が題名で副題があってそれは「山田教授の生き方・考え方」というもので、昨日読んだエッセイ「お叱りの手紙」の理論経済学者の山田雄三教授のことを書いたものである。(変な文章になった)
かつての恩師が九十三歳。著者が六十八歳。教授の晩年の三年間ほど著者は教授と元日に二人だけのゼミナールを開くという関係だった。山田教授の真摯な探究心と人となりに崇敬を抱いた著者がその生涯と二人のゼミについて語った本である(らしい)。
他に「わたしの情報日記」(集英社文庫)「打たれ強く生きる」(新潮文庫)も。



2002年03月31日(日) 分裂読書症候群の一日

分裂読書症候群の一日
こうなってしまった理由はないこともないにしても、最近は本当に一冊の本を読み通す気力がない。つまみ食いばかりでは実にはならないし、身にもつかない。
たまに時間に余裕があると今日のようなことになる。
城山三郎という人の随筆の方に興味が湧いたので、わりと新しいと思われる「この日、この空、この私(無所属の時間で生きる)」(朝日新聞社1999.10.5)と今までの随筆の総集編のような「嵐の中の生きがい」(角川春樹事務所ランティエ叢書2001.5.18)を読んでみることにした。何か心の安定の糧を求めるような読書になっていて少しさもしい読み方かもしれない。
前者から「お叱りの手紙」「日帰りの悔い」「子猫とナポレオン」「慶弔積立金なんて」の四篇をさっと読んだ。
次に戸梶圭太という売り出し中の小説家の「牛乳アンタッチャブル」(双葉社2002.2.15)に移り、例によって最初の方だけ読んでみた。
牛乳にあたったらしい老人の苦悶から話は始まり次に牛乳会社のサービスセンターに問い合わせや文句の電話が殺到してんやわんやになる場面に続いていく。
牛乳会社の名前が雲印乳業というあくどさでもし雪印乳業が通常の状態であったらクレームまちがいなしである。
そして久々の富樫倫太郎で、新作「MUSASHI!(巻之壱 蜘蛛塚)」(光文社カッパノベルス2002.1.25)をほんの少し。宮本武蔵が13歳の弁之助という名の少年だった時の物語の開始である。テンポがよくて押さえるべきところは押さえている面白さの壺を心得た作家の作品は今回も面白そうだ。
そしていまのところ今日の最後となる松永真理のエッセイ集「なぜ仕事するの?」(角川文庫2001.2.25)は話題の人の生き方や考え方を知りたくなって読もうと思った本である。
そういうわで腰のすわらない読書がまだまだ続いて積ん読本をいっぱい残してこの世を去ることになるのだろうか。
反省の言葉も出ない。


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