日々のカルテ
There is no accounting for tastes.

2001年10月28日(日) お絵描き論 〜久々の何々論です(笑)〜

 例によって例のごとく、読んでも苦情は受け付けません日記。
読んでしまっても、それは自分の責任と肝に銘じてください。
 




                足りないモノが 山ほどあるから


                      言葉で補う


                    確信に変えた




                  10月 の 終わり。








伝えたいことや



描きたいものが惜しみなく込められた絵や文には


あとがき


なんて、要りません。


必要最小限の言葉だけで良い。


謙遜なんて、要らない。







大切な言霊。






************

と、↑これは結構前から感じていたことなんですけどね(一部、発言がまずいので削除してますが・苦笑)


自分を省みての反省みたいなもんです。


ここでこうやって補足説明をすることも上で私が「要らない」としてることだから正直呆れ返るでしょうけど、その辺はよしなに。
人間、臨機応変に生きましょう(笑)

パブリックイメージが描いたもの(ある限りは不変に感情をずっと留めるモノ)及びサイトだとしたら、日記は変化のある思考(感情)を持った人間が書くとこなんで。
人間味の溢れるとことして(どんなだよ)
前者に区切りよりも上のことが当てはまります。






足りない腕を補うモノが言葉。


イヤ、自分の画像部屋を整理してたらいかにコメントが長くて、ウザいか(自分のモノがね。他人のはむしろ好きです)

それを目の当たりにしてしまったもんだから(自分を「斬る」ような批評と言うほど大層なモノでもないですが)あとがきの書き方を変えようかな、と。


勿論、人様とのエピソードだとかを斬っちゃいけないですよ(失礼だよ、それは)


自分個人のモノだから何処までも斬ることや、縫う(修復)ことが可能なんですよね。


まだ、全ての伝えたいモノ(切なさだとか、とにかく与えられる感情と印象。そこから端を発して付随していく思考)を描(書)ききれるほどの腕じゃないのですがね。


やっぱり、見苦しく見えると思う。

「お前、本当にそれ思ってるのか?」って

そりゃ、よそ様ではキチンと礼節をわきまえなければならないし。

だけど私が良く描き込みをする某所でのコメントは全部本当です。


人は、それをどう取るか知らないけど。


描いたものを自分で「ここがおかしい。ずれてる」とか、「この角度から見てこんな形にはならない」だとか分かるから「お目汚しですみません」のコメントを付ける。

「じゃぁ、描くなよ」

って話なんですけどね。

でも、人間とは欲深いモノで・・・人間というか、私は貪欲な生き物で。

やっぱり、描いたものを人に見てもらいたいと言う気持ちが強いから、ああやって描いてしまう。



 そこ。  ここ。  どこ。


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