ふうこの日記
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2005年04月22日(金) |
書かないって!言ってたのに(笑) |
政治と宗教のことは書きたくない!と数日前にえらそうに書いてるくせに 昨日もとぼけた事書いてるし…。
今日も少しばかり政治のことを。
中国で暴動が起こっているけど、 なんか中国と日本が話し合って、 両国で使える教科書を作ろうじゃないか!という動きがあるらしい。 それはよいのではないだろうか。
本当のことを教科書に書けばいいんだよ。 日本が認めたくないこと、中国が認めたくないこと。 反対にどうしても主張したいこともあるだろう。 書き加えて欲しいことやかき直して欲しいことがお互い山のようだろうって。 何とか話し合って納得できる教科書を作り、両国の小中高で使えばいい。 ず〜〜とこれから何百年と使っていけばよい。
ただなぁ…。 出来上がるまでに長い年月が必要だろうなぁ(笑) 悪い方に転んだら、戦争の一つぐらい起こりそうな予感(大笑)
アメリカに住んでる時、 メモリアルデーには町々で戦争で亡くなった人たちを称える記念行事があった。 私たちが住んでた町でももちろんあった。 遺族達が招待され、街中のパレードもある大きな年間行事の一つだ。 夜は花火大会もある。 そこに行くと今までの戦争で亡くなった人達の名前を1人ずつ読み上げ、 鎮魂のためのラッパ(トランペット)をたった一人が吹く。 ラッパを吹くのは選ばれた高校生の事が多かった。
私たちが住んでいる時にそのラッパを吹いたのは…、 すごく仲良かった近所に住む公文(公文式)の先生の息子。 つまり日本人ってことですよ。
そんなことにはこだわらないのか?と不思議でねぇ。 戦争に勝利したものはここまで許せるのか? アメリカという国のために戦死した人を称え鎮魂するラッパを 日本人に吹かせるなんてぇ…。
日本人だということで小さく後ろに居た母親を 「お前の息子の大舞台じゃないか、前列に出ろ!」と 皆が押し出し、大拍手で称えてくれてた…。
多民族が暮らすアメリカだから有り得るのかなぁ…。
その数年前に住んでいた徳島の田舎の町では 私たちのような転勤族で「よそもの」が神社の掃除をしたら 「よごれる!」「たたりがある!」としつこくいわれ、 年2回の町内一斉清掃のときも「入るな!」と監視付きで見張られ 決して神社の中の掃除をさせてくれなかったなぁ〜〜。
社宅の奥さん達には毎年、神社から遠く離れた鳥居の外の草ぬきをあてがわれ 別にそれは楽でよかったのですが、あほらしかったですわ。
あの街に未来はない!と今でもおもっとります。
いろんなことに「こだわり過ぎる」のはあまりよいことではないのではなかろうか。 「こだわる」ぐらいに留めておかないと…、 過去の亡霊しか愛せなくなる。
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