**Secret**..miho
運命と死
2005年11月05日(土)
自分が選ばれたのは、
「運命」だなんて、たった一言で、
片付けられるものではない。

それでも…
この世に生き延びる人、死する人、
その差は、運命としか考えようがない。

お父さんの従弟は、事故死によって、
一瞬にして、この世を去った。

4月から始めたばかりのお仕事だった。
不況の現代、以前の職場は縮小により閉鎖され、
長男である彼は地元を離れられず、未経験
であるにも関わらず、工場で勤める事になった。

彼は不景気な時代の犠牲者になったんだ。

これも、彼に巡り合わせた運命なのかもしれない。

運命を、信じる、信じない、は、
個々人の意志によるけれど、少なくとも、
運命は、信じられ得るものだと思う。

人為的に未来を予知する事は不可能なので、
たいてい後付けの結果論になってしまうけれど、
人間の意志に関わりのない、人間の力を超えた
変更不可能な絶対的な作用であるからこそ、
運命という実体が存在するのではないでしょうか。

揺るぎない確かなモノだから、
信じられ得る対象となれる。

どんなに不条理な運命であっても…

でも、人間には感情の流動があるから、
運命を受け入れられるかどうかは、
その人の価値観や受け止め方にもよる。

例え、運命が、天の神様による、
命(めい)だとしても…。


他人の「死」によってもたらされるもの。
それは、死に対する恐怖だけでなく、
存在そのものが「消えてしまう」という、
言葉では言い尽くせない無常な儚さであろう。

それは、例えば、目の前で、一瞬にして
消えゆくシャボン玉のような儚さとは違う。

それは、例えば、美しく咲き誇っていた花が、
徐々に枯れゆくのを目にする儚さのようなもの。

「生」あるものが、「無」になるのだ。
ただ、存在するものが、姿を消すだけではない。

「生」が意味するものは、
そのものに力が宿っているという事。
それを感じ取る事ができるから、
人間は、そのものに感情を抱くのだ。

愛情だとか、憎悪だとか、他にも様々な想いを…

人間であれば、発話や行為などの言動のような、何らかの
働きかけがあり、その放たれる全てのものを受け止める事によって、
その人自身がその人であるという存在を確認する事ができる。

「死」は、それらを、全て皆無にする。
最も怖いのは、相手の死によって、
相手との関わりが、一切、絶たれる事。

事物の根底に関係が成り立たない実体は、
そのものの存在すら、無きに等しい。

もう、何を言っても、伝わらない。
一緒に何かをしたくても、できない。
その人から感じ取れるものもない。

完全に一方通行。
通じ合えない。

そのうち、その人という実体すら、
過去の思い出と共に、だんだん
遠ざかっていって、消えてしまうんだ。

最初から存在しなかったも同然に…

そうやって、真実も何もかも、運命という
言葉によって、幻想に摩り替えられていくんだ。

それでも、
それを、浄化と言うの??




m a i l



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