日々是迷々之記
目次


2005年05月30日(月) 先生の言うことには

今日は2週間に一度の通院日だ。見舞いではなく、自分自身がメンタルクリニックに通っている。一月ほど前に増やした薬がよく効いているようですねと先生は言った。

仕事探しや、母親の老人ホーム探しで往生してることを話しつつ、以前この日記にも書いた、「母親がもう死んでしまった父親に金を送ってもらえという話」を先生にした。なんかもうぼけが始まっているみたいなんですよ、という言葉に続けて。

すると先生は、痴呆は必ずしも不幸ではないと言った。神様の贈りものであると考えられるそうだ。本人が倒れる直前直後のことを忘れて、人生の幸せだったころのことを考えているというのは、本人にとって幸せなことに違いない。なおかつ周りの人間も、幸せそうにしている姿を見て、責めたり責められたりという気持ちにはなりにくい。そう言う意味では、神様の贈りものであると考えたら気が楽になるんじゃないですか、と言った。

母親はなんだかんだ言って父親と結婚している時期が幸せだったのだろうか。まだ小さかった私は毎日毎日けんかする二人を見て、何で結婚したの?と聞きたかったが、「あんたがいたからよ。」と言われるのが怖くて聞けなかった気がする。両親が結婚したのは妹が生まれた年だからだ。

ボケてしまった…と一度は軽く落胆したが、動けるわけでもないので、本人が幸せならばまあいいかと思うことにしよう。

ほんとにあの人はいつも思い通りにできて幸せだと心から思う。その分周りの人間があたふたしているわけだが。


nao-zo |MAIL

My追加