『人生、一度きりよ』

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七倉 薫 /MAIL


2001年10月16日(火) そういえば、21世紀だよね

そういえば、21世紀ももう半年以上が過ぎましたが、みなさんいかがお過ごしですか?

いや、ふと重松清のエッセイを読んでたら、小学生時代に21世紀の絵を何枚も書かされた、というくだりがあって、それで思い出したんだけどさ、小学校の1年か2年のとき、学校の図書室で「21世紀はこうなる」っていう絵本を読んだんだよね。そこには空飛ぶエア・カーや、カプセル型のベッド、ボタンを押すと魔法のように料理が出てくるレンジ、などなどが紹介されてた。つまり「フィフス・エレメント」みたいな世界ね、もっと牧歌的だったけど。
思いこみが激しかった自分は「2001年の1月1日の朝から、突然こういう生活が始まるんだ!」と、当然のことのように思いこんだ。

で、その絵本を読んでワクワクした自分が最初に何をしたかというと、そのときに自分が何歳になっているかを指折り数えはじめたのですよ。
でも、なんど数えても30歳を超えていた。
悲しかった。
20代じゃなきゃ、未来は楽しめないよ、ちくしょう。
まじめにそう思っていた。

そのころの自分にとってみれば、30代はもはや中年で、「生活としがらみに縛られた、ひどく窮屈で夢も希望もない人々」のように思えていた。じっさいまわりの30代はそんな感じの「大人」だった。

それがまあ、どうでしょう。自分が30代になってみたら、なんとまあ、楽しいことか。でもまあ「彼ら」とは土俵が違うよな。生活者としての重み、ってやつ?
わしなんて扶養家族のひとりもいないもんな(扶養しなくていい家族はいるけど)。

ついでにいえば、当然のことながら、21世紀になってもそんな未来の生活は始まらなかったし、その頃と現在で違う点といったら、テレビのチャンネルがリモコンになったことと、携帯電話が普及した、ってことくらいしか思いつかない(いや、もっとあるだろうけど)。

ちなみに、小学生だった自分が、当時その「21世紀には30代になってしまう自分」という事実に、どうやって折り合いをつけたかというと、

21世紀は1997年から始まる

と勝手に決めたのだった。


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