白月亭通信別記
老い先短い残照の日々、
おりふしの所懐を、
とりとめもなく書き留めて…

2001年12月31日(月) 年末特番

 年末のテレビ特番の花は紅白だが、クリスマスのころから各局が特番で妍を競っているのでついつい見てしまう。昨夜は日テレの「時空警察捜査一課」がおもしろかった。内外の歴史から風説・仮説をもとに意外史を描く。ケネディの暗殺犯は彼に疎んぜられたCIAの幹部だった、タイタニックはニセ船だった、ヒトラーは南極大陸の秘密帝国に生き延びた、義経はエゾから大陸に渡ってジンギスカンになったなど。とくに面白かったのは明智光秀は家康のブレーンであった南光房天海和尚であったという話。日光東照宮には明智家の家紋桔梗がいたるところに装飾されているし有名な「見ざる言わざる聞かざる」の三猿像はこの秘密を暗示しているのだという。歴史書にも光秀が京都小栗栖で百姓の竹槍で刺し殺されたという話に確かな証拠はないと書いてある。



2001年12月29日(土) アニメ年賀状

 親しい知人にアニメーション年賀状を出す。有名検索エンジンがサービスとして実施しているもので出来合の年賀状をアニメーションにしたてたもの。オリジナルなものでなく子供だましのようなものだが元日に不意打ちをかけようとするのがねらい。しかし1日につくという保証はありませんとちゃーんと断ってある。



2001年12月28日(金) 裁判列島

 今朝の新聞の社会面は全部裁判関連。サッチー保釈、田原元騎手に執行猶予、オレンジ共済の友部被告懲役8年、宇都宮宝石店放火は死刑の求刑、捜査情報漏洩の山下前検事は不起訴。なんといっても読ませた記事は池田小事件の宅間守被告の初公判。この裁判における冒陳が別頁全面を使って載っているが読み上げる検事が涙を流したと伝えられるだあってまことにおぞましい内容。事件の全貌はすでに報じられているとおりだが一年の終わりをこういうニュースでしめくくらねばならぬことが不幸である。



2001年12月27日(木) 餅つき

 ふたりぐらしの高齢者、餅つきも難儀だと出来上がりの鏡餅でいいかと考えたが意外と高価。雑煮の分まで買うとなると大変な値段になる。仕方がないのでことしも餅米を買って餅つき。4キロ2000エン。昔と違って電気餅つき器だからアッという間にできあがって正月準備完了。



2001年12月26日(水) リュミエール兄弟作品集

 リュミエール兄弟の作品は映画の歴史を語るとき断片的に紹介されてきたがほぼその全作品と思われるアーカイブをきのうのWindows Media Playerが公開した。1865年(慶応元)から1900年(明治33)の間に世界の街やひとびとの暮らしを撮影した記録映画がそれ。日本からは「剣術」。見たい方はHollrwood Party(www.arcstarvideo.com/hollywood/)で見れます。ただし全部見ると1時間近くかかりますから「ご用とお急ぎのない方」むき。



2001年12月25日(火) Web版立ち読み

 出版がインターネットに取って代わる時代になって新著のWeb版がちらほら出始めたが文芸春秋が新刊の「立ち読み」をさせてくれる。ただし10分間だけだから佳境に入るころからスクランブルがかかって読めなくなってしまう。「後はお代をはらってのお楽しみ」というわけ。「2ちゃんねる宣言~挑発するメディア~」(世界一の巨大掲示板といわれる「2ちゃんねる」の世相学的分析)もこれからというところで切れてしまった。Web版は書籍版より500円ほど安い。



2001年12月24日(月) まるごと都城

 きのうの「おーい、ニッポン~今日はとことん宮崎県」(NHKBS)でわが郷土都城もまるごと全国に紹介されたが巨大養豚場やジャンカ馬(花かざりをつけた馬が三味線に合わせて踊る)やネッタボ(サツマイモと餅をつきあわせた食べ物)やなんこ(酒席で数合わせをする遊び)といった超ド級の田舎風ばかりでわれわれのくらしはこんなものだったのかと認識を新たにさせられた。



2001年12月23日(日) XP無惨

 XPのアップグレードに挑戦したが見事に失敗。マイクロソフトのサポートとおよそ1時間電話をつなぎっぱなしにしてあれこれ指導を受けたがうまくいかなかった。最後にはCDのドライブが動かなくなって万事窮す。「やめといたほうがいいですよ」という先達の忠告は正しかった。



2001年12月22日(土) 映画「十五才」

 映画「十五才(学校Ⅳ)」を観る(日テレ・21日)。不登校に悩みながら屋久島の縄文杉を見るためにヒッチハイクをしながら冒険旅行をする十五歳の大作少年の自己発見の旅。旅のおわり、屋久島で出会ったシベリア帰り(捕虜として抑留されていたこと)の老人とのふれあいで自己を確立したクライマックスで涙。



2001年12月21日(金) 美月ちゃん

 おととし私たち夫婦が月下氷人の役をつとめた若夫婦にめでたく第一子が誕生。敬宮愛子さまと同級生の栄に浴することになった。そして「美月」と命名された。私のハンドルネーム(号)が「白月」だから仲人さんへの義理かと思ったら「そんな名前を持っていらっしゃるなんて知りませんでしたわ」。ちなみに美月という名前は2000年度、さくら,優花などについで7位にランクされているほど人気のある名前らしい(「朝日新聞」12/7)。



2001年12月20日(木) ゴーマン慎太郎

 ホテル税をめぐって石原慎太郎と島根県の片山知事とのケンカが話題になっている。「東京へ来るなということではないか」という批判に対して「テメエが恥をかくだけだ」とか「(税金のかからない)安い宿に泊まればいい」と言いたい放題の慎太郎。品のないことばだ。石原知事の地方蔑視の姿勢が気になる。



2001年12月18日(火) 新庄はどこだ?

 きのうからきょうにかけてのビッグニュースは新庄選手の電撃トレード。ビンラディンの行方よりも大きく報じられているが新聞にもテレビにも肝心の新庄クンのコメントがない。彼はどこにいるのだ? 西海岸には日本人も多く住んでいるから新天地としてすばらしい環境が与えられたという論評だけれど、やっとつかんだニューヨークでの生活をたった一年で手放さなければならないくやしさが行方をくらましている理由なんだろな。



2001年12月17日(月) 換気扇

 草むしりからエアコンの清掃までハウスキーピングを引き受けてくれる業者はたくさんあるがなんとも高額の料金だからついに意を決して換気扇の掃除にとりかかかったカミさん。長年手を入れていなかったので油ギトギトでだんだんふきげんになっていった。取り付ける段階になると部品ひとつひとつの位置がわからなくなってイライラも最高潮。「なにしてんのよッ」と小取りをしている私が怒られてサンザンな日曜日でした。



2001年12月16日(日) 聖徳太子

 NHK(BS-hi)の「聖徳太子」を見る。一二部あわせて三時間の大作。髻(みずら)に結った髪と神代衣装の歴史時代劇が珍しかった。聖徳太子の名前はおなじみだがその歴史的背景は実はよく知らなかったので勉強になった。「和を以て貴しと為す」ではじまる十七条の憲法が自らの実戦体験から生まれた平和主義にもとづくものであることが作品のテーマ。遣隋使の小野妹子はなんと今田耕司クン。



2001年12月15日(土) 誘致の実情

 今朝の朝日を読んでやっぱりねと思ったことはW杯出場国のキャンプに自治体がアゴアシ付きの誘致合戦をしていること。つまり税金で選手団の旅費宿泊費を負担することだ。宮崎も二カ国が来ることになっているが他の自治体と同じように巨額の補助金が公費からまかなわれることになるのだろう。朝日の記事は最後に外国チームに皮肉たっぷりに「日本の自治体は交渉下手で助かる」と言わせている。



2001年12月14日(金) SSP-TV

 SSP-TV.comは映像作家を目指す若者たちの作品がアーカイブとなっている。テレビや劇場での公開のチャンスをねらって意欲的な映像がギラギラしている。ただビューアーが小さいので(フルスクリーンにすると粗くなってしまう)せっかくの作品の迫力が欠ける。チューナーで見るテレビなみのサイズと画質がほしい。



2001年12月13日(木) おなかがへった

 銘酒「月桂冠」のCMで旅館の仲居に扮した風吹じゅんが料理を配り終わったあと一息ついて「ああ、おなかがヘった」と叫ぶ。いまどきの若い女の子のハチャメチャな日本語には驚きもしないがCMまで世俗に迎合しないでもらいたいものだ。メジャーな会社だから美しい日本語を使ってほしい。



2001年12月11日(火) 執行猶予

 肝臓ガンの疑いで6月CT検査を受けたカミさん、その時は疑い晴れて青天白日の身になったが半年たってこんどはMRIで精密検診。その結果がきょうわかって「まあだいじょうぶでしょう」という診立て。それでも1年たったらまた検査が必要というわけで1年の執行猶予となった。やれやれ。



2001年12月10日(月) 北条時宗最終回

 昨夜8時45分北条時宗氏は兄の時輔氏や祝子(のりこ)夫人に看取られながら自宅で死去した。享年34歳。時宗氏は18歳で父時頼氏の死後鎌倉幕府の8代執権を継ぎ国政に当たったが特に元寇という国難に遭遇、外敵の侵略から国を守るために全力を尽くした。このために外因性ストレス障害を発症し命を縮めた。墓は自らが建立した円覚寺(鎌倉市山ノ内)。



2001年12月09日(日) 追悼小松崎茂

 今朝の新聞が小松崎茂さんの死を報じている。「S.Komatszaki」という筆記体の署名の入ったまるで写真のような細密画は子供心に驚異だった。波濤をけたてて進む軍艦大和や白雲を背に飛ぶ零戦など鋲の一本一本を丹念に描いている絵は人間業とは思えなかった。高校にはいってからは縁ががなくなったが小松崎さんの画業は近年まで続いていたという。芸術作品というより職人芸という評価だったがたぐいまれな腕前だった。



2001年12月08日(土) ケンカ野球

 去年の5月6日、中日対横浜6回戦で判定が気に入らないとして星野監督は審判に暴力をふるいろっ骨を折る重傷を負わせた。審判が被害届を出さなかったので連盟からの処分があっただけで終わったが、これを不服としてファンの有志が刑事事件として告発したが結局不起訴処分で事件は終結した。名古屋のPTAも子供の教育に悪い影響を与えると星野監督に反省を求めた。闘将といわれる星野監督の野球はこのようなケンカ野球、暴力野球である。ことしの不成績の責任をとって辞任したのでせいせいしていたがまたゾンビのように生き返ってしまった。おまけに阪神だから来年の巨人戦は流血必至だ。



2001年12月07日(金) お遊戯会

 埼玉に住む孫の保育園のお遊戯会のビデオが送られてきた。テープですむものをCD-ROMに焼き込んであるから手間も金もかかったビデオレターだった。こんなことにゼイタクしていてはいかんと息子に小言のひとつもいいたいのだが懸命に所作をおぼえたであろう孫のかわいらしさにお説教もでずじまい。



2001年12月06日(木) 小沢一郎論

 平成8年の総選挙で、新進党の党首であった小沢一郎は三顧の礼でサッチーを候補者に立てた。その選挙で新進党は選挙区と比例区の並立立候補をみとめなかったのにサッチーだけは当選をめざして例外をもうけた。サッチーもコロンビア大学卒業という経歴で有権者の目をくらまそうとしたが落選した。さて年移ってことしサッチーは脱税疑惑で逮捕された。いまは自由党の党首になっている小沢一郎に記者団がこのことにに関して感想をもとめたところ「悪いことをすれば法の裁きを受けるのは当然です」と答えた。そんな事じゃないだろう。当選第一主義で政治思想や信条をのぞむべくもないただのオバサンを候補者にするという安直でご都合主義の候補者選びを反省し謝罪するべきではないのか。記者団も通り一遍の答えに満足しないで追及してもらいたいものだ。



2001年12月05日(水) サッチーお縄

 サッチーがついにお縄を頂戴した。悲しい過去を持つ彼女の精一杯の虚勢がいままでの行為のすべてだと考えるているが彼女をとりまく男たちが彼女の暴走にブレーキをかけなかったのも今日の逮捕につながった。その男のひとりが野村克也。夫として一言「やめろ!」と一喝しておけば悲劇は生じなかったはずなのに忠告を忘れたばかりか悪行に手を貸し出処進退を誤ってしまった。野球一途の人生で世知に疎かったといういいわけは許されない。



2001年12月04日(火) ジンジャー

 「ジンジャー」のコードネームで開発が進められていた新発明はやはり電動スクーターだった。初売りは37万円だという。走行するには6時間の充電が必要というから実用的な使い方はできなさそう。それよりもSMAPの中居クンが使っている空中浮遊機のほうがほしい。あれはいくらするんだろう。



2001年12月02日(日) 韓国主導

 一部の掲示板で昨夜のW杯組み合わせ抽選会が韓国一辺倒ではなかったかということが議論になっている。いわれてみるとたしかに共催国日本のかげの薄かった演出になっていた。しかしこの大会はもともと韓国主導の共催という性格が強かった。たとえば名称にしても「World Cup KoreaJapan」とJよりKが先に来るという不自然な優先順位。漢字表記にしても「日韓」はダメだとして「韓日」をゴリ押しした韓国の強引な姿勢などがその例だ。これらは日本側が隠忍自重すべてを譲歩したから問題にならなかったが抽選会もマスコミが抑制した報道をして国民感情を刺激しなかったのも大人の態度がとれたと思う。



2001年12月01日(土) 皇子誕生

 皇室の慶事で国中が沸いている。皇子誕生は何兆円かの経済効果を産むともいう。この不況下何でもいいから景気回復のきっかけになるものがほしい。雅子さんの出産にあたっては東大教授をはじめとして十数人の専門家医師団がつきっきりの体制だという。国王の世継ぎの誕生だから当然といえるのかも知れないが万全の保護のもとで生まれる子がいる中でアフガンでは病院も薬もないなかで無数の新生児が死んでいく現実がある。


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