>>> 「渋沢恭子(宝生舞)の名言」 見えてんじゃねーよ、見せてぇんだよぉっっ!(『僕の魔法使い』第6話より)
宝生女史は『僕の魔法使い』第6話にゲスト出演した。 酔っ払うと質が悪くなるキャラの役で、その様(演技)は圧巻だった。 店で暴れ出し、ベッキー扮するキャラに『パンツ見えてるっ!』と言われたその時、渋沢の口から上の名言が飛び出した。
>>> 「太田光の名言」 芸がない。芸がないって言ってやんないとダメだと思うね (BSフジ『ザ・ロングインタビュー』2000年12月29日放映、もしくは『ザ・ロングインタビュー④人は、なぜ笑うのか?/太田光 爆笑問題』扶桑社刊より)
テリー伊藤と八木亜希子の2人が聞き手となり、太田光にインタビューが行われた番組、もしくはそれが単行本化されたものの中の名言である。 その中で太田は、漫才に意味なんてない、という発言から少年犯罪の話題に移り、少年の犯人が犯行の動機を聞かれて『意味なんてない』とインタビューに答えたのが、自分が漫才をやる感覚に似ていると言った。 そして、漫才で人を笑わせることと、少年犯罪を照らし合わせていき、互いの表現方法を比べたときに、明らかに人をナイフで刺すという行為は単純で芸がない、という意見を太田は述べた。 また、そういった少年に人を殺すのはダメなんだ、と言うよりも、芸がないと言った方がショックがあるのでは?という意見の表われが、上の名言に結びついたのである。
殺人がいけないことである、という事実に理由はない。 そもそもそんな事実さえあるのかどうか、不確定だ。 そんなことを想像することはとても不安だけれど。 だが、そういうことだろう。 なぜ人を殺していけないの?と聞かれたら、極端に言えば『え、いけないって誰がいった?』と切り返すことも重要である。 なぜいけないのか?を考えることも大切かもしれないが、そう切り替えされることによって、さらに深く、考えることも大切だろう。
それにしても、誰がそれをいけないと言ったのか? いけない、と言わせるものは何か? それが芸だと思う。 芸を知るものは、殺人という単純な表現方法に、簡単に手を出すことはないだろう。
>>> 「またまた太田光の名言」 人類は絶滅し損ねた (『爆笑問題の日本原論2000』より。文庫版は『爆笑問題の日本原論2』)
これは、ノストラダムスの大予言を受けてのギャグだと思われる。 というわけで、この言葉は2000年以降に言われたものである。 『ザ・ロング・・・』で、八木亜希子女史が、この名言が好きであることを告白していた。
大田は言う。 『人類滅亡っていうのが割と幸せなことだと思ってましたよね。ふつうだったら、そんなこともなけりゃ、みんな一人で孤独に死ぬしかないんだけど』
―END―
2003年08月30日(土) |
情熱の本能と、その一方で面倒だと思う気持ち |
吉本興業のHPを見た。 色んな芸人の人たちがライブのDVDを出していることを知った。 M-1甲子園なる大会が開かれたことを知った。 面白いネタを創る芸人の人たち。 高校生にして舞台へ立とうとする意気込み。 そういうものを感じ、憧れ、嫉妬し、近づきたいと思った。 内容を近づけたいのではない。 そういう姿勢や、創作への情熱を持つ仲間に、僕もなりたいのである。 何も吉本へ入りたいというのでない。 やはり、僕が凄いと思うことの一つには、ネタで人を笑わせたり感動させたりすることである。 それができるお笑いの人たちは凄いと思う。 カッコイイと思う。
―END―
「ゴマの正体」 ゴマっていうのは なんだか飾りのよう 味があるんだかないんだか たまにゴマを奥歯で噛む その感触は感触とも言えないくらい 何やら栄養があるとか何とかテレビで言ってたような気がしたから まぁ色んな料理にかかっていても不満はない
ところが 以前ゴマラーメンなるものをラーメン屋で注文し、食べた これが酷かった ゴマの味とはこんなに個性が強かったのか! そう思わせた きっとペースト状に練られたゴマがスープに溶かし込ませてあったのだろう
今日、コンビニでカップ春雨を買った 最後にペースト状のゴマを混ぜて食べた 量が少なかったからか、そんなにあの悪夢のような味はしなかった ただ、ほのかにはその味が蘇ってきた 最後、残ったスープを口の中へ押し込んだ その時、強烈なあの味が入り込んできた! どうやらスープに溶けきれていなかったペースト状のソレがあったらしい
ゴマの正体はペースト状のものにある 固形のままのゴマは、ゴマではない ゴマの正体は、あの強烈な味にある これが本当のゴマすりなのかもしれない すられたゴマは、酷い味だ
―END―
ついしん 何でも<フェイス/オフ>ベスト1ランキング
・好きなアクション映画ランキング1位 ・好きなジョン・ウー映画ランキング1位 ・好きなニコラス・ケイジの映画ランキング1位 ・明らかにアクションシーンで、スタント使ってる部分が分かる映画ランキング1位 ・本当は凄い映画なのに世間的にはあまり話題になっていない映画ランキング1位 ・実はマイケル・ダグラスが制作総指揮だけど、そうとは知られていない映画ランキング1位 ・手術シーンがうそ臭い映画ランキング1位 ・いちいちアクションがカッコイイ映画ランキング1位 ・よく途中で主役の2人、死なないねランキング1位 ・ビデオパッケージの裏の文句(<今世紀最高の映画!>、<この映画さえあれば他にはいらない!>)は大袈裟過ぎるのでは?という気がしたが、個人的には案外納得のいく文句だと思った映画ランキング1位 ・つまり無人島に一つだけ持っていくとしたら?映画ランキング1位
2003年08月28日(木) |
私的の名言9(太田と田中の漫才つき) |
【漫才】 田中:最近話題になっていることなんかを我々はよく漫才のネタにしますが、最近だけではく、昔から変わっていないことというのもありますよね
太田:変わらないもの
田中:えぇ、例えば女性が美を追求する気持ちっていうのは昔から変わっていないですよね
太田:まぁおまえのかみさんなんか、一生懸命綺麗なカエルになろうとしているしね
田中:何だよ綺麗なカエルって!それは昔のあだ名が<ケロちゃん>っていうだけで、それを実際に目指してはいねーよ!
太田:人間としては諦めたんじゃないの?
田中:失礼過ぎるだろ!俺の悪口はいくらでもいいけど、彼女の悪口は止めてくれ
太田:でもこの前彼女に『お酒飲めないの?』って聞いたら『ゲーコ(下戸)』って言ってたぜ
田中:うちのかみさんは酒飲めるし、第一お前は会って会話を交わしたことないだろ!
太田:でも綺麗なカエルになるのも大変らしいな
田中:まだ引っ張るのかよ
太田:毎日柳の下で垂直飛びなんかして、汗流してるらしいね
田中:そんな絵に描いたようなこと・・・
太田:そんなかみさんの姿をお前が絵に描いたりしてね
田中:もしかみさんがカエルになってたら、悠著に絵なんか描いてる場合じゃないよ!
太田:なんだか夫婦っていうよりも、画家とモデルの関係みたいだな
田中:お前が勝手にそうしたんだろ!
太田:でも、お前って絵描く才能ないからさ、面倒くさがっちゃってね・・・
田中:・・・
太田:何かいい方法はないかな?って思ったら、<ど根性ガエル>のこと思い出したお前はキャンバスをおくさんにぶつけたんだよな?
田中:あれはアニメの世界だろ!
太田:これは漫才の世界だぜ
田中:それ言ったらオシマイだよ!
太田:そんでもって、それからというものの、お前のかみさんはキャンバスに閉じ込められて・・・
田中:人間じゃない上に、絵の中かよ!
太田:最近やけに立体感ないなーって会った時思ったら、そういえばキャンバスに閉じ込められてたんだ、って思い出したよ
田中:お前はその前にキャンバスが目に入らないのかよ!
太田:あまりにもリアルだったから
田中:バカか!
太田:相当綺麗だったしな
田中:カエルとして綺麗だって言われても嬉しくないよ
太田:いや、カエルとして、っていうよりも、よくもここまで不細工なカエルを、綺麗に・・・つまり忠実にキャンバスに写し取ったなーって、お前に感動してるんだよ
田中:人間じゃない上に不細工なのかよ!
太田:お前の写し取りの才能は凄いよ、だって克明に不細工さをキャンバス上に再現してるんだもん
田中:誉められてるのかどうなのかわかないし、第一お前の言ってることに不満だらけだよ!
太田:それにしても、やっぱりカエルとしてでも美しくなりたいっていう気持ちはあるらしいね、おくさん
田中:そりゃ、誰だって自分なりの美しさってものを求めるもんでしょ、特に女性は
太田:え、カエルだって認めたの?
田中:認めてないけど話進まないだろ、そうでもしなきゃ
太田:おれはおくさんのこと、カエルだなんて・・・
田中:さんざん言っといてなんだよ!
太田:やっぱりカエルには見えないよ
田中:そりゃそうだろ
太田:でも本人はカエルになりたがってるんじゃないの?
田中:そんなわけないだろ
太田:だってあだ名が<ケロちゃん>だったら錯覚もするぜ
田中:するわけないだろ!
太田:だってこの前なんかもどうみても人間のようにしか見えない彼女が、顔に泥塗って喜んでたんだろ?
田中:それは泥パックの話だよ
太田;え、田んぼの中に間違えて入っていったんじゃないの?
田中:違うよ!それこそ女性としてのさ、本能として泥パックをしてたんだよ
太田:カエルとしての本能じゃなくて?
田中:なんだよ、お前がかみさんをカエルにしたがってるだろ、一方的に
太田:いやてっきり・・・
田中:だから泥パック!
太田:泥パックになりたいって?
田中:意味不明だよ!更に人間から遠ざかったよ
太田:お前のかみさんは、そんなに自分が人間であることに不満なのかな?
田中:お前がしてるんだよ!
太田:でも、結局は人間の・・・
田中:ずっと生まれてこのかた人間だよ!
太田:まぁ人間のかみさんがさ、泥パックをしてたんだろ、美しくなりたいからって
田中:知ってんじゃねーかよ!
太田:でもさ、一旦泥を顔に塗ったら、剥がしたくなくなったらしいね
田中:・・・どうせブサイクだから、剥がすのが恥ずかしくなった、とでも言いたいんだろ?
太田:違うよ
田中:へぇ
太田:何へぇ?
田中:その<へぇ>じゃねえよ!ならどういう意味でうちのかみさんは泥パックを剥がしたくないんだよ?
太田:いや、そりゃ、ああいうのってさ、時間かければかけるほど綺麗になりそうな気がするんだろうな
田中:まぁね、すぐはがすよりは、効果が望めるだろうね
太田:だからお前のかみさん、付けていれば付けているほど綺麗になれるんじゃないかって思って、とうとう剥がさずに近所のスーパーに買い物に行ったってよ
田中:それは意味ないし、バカすぎるだろ!
太田:近所じゃエレファント・マンって言われてるみたいだぜ
田中:映画のやつだろ?顔を隠していることしか繋がってないじゃねーかよ!
太田:やっぱりお前のかみさんって、普通の人間じゃないんだな。
田中:・・・
太田:ゾウなの?
田中:カエルや絵や泥やゾウになって、うちのかみさん忙しすぎるだろ!
太田:でも俺は、お前のかみさんはカメレオン・マンだと思う、いろんなものにころころ変わるから
田中:それも映画のだろ?そもそもお前がころころ変えてんだよ!
太田:そんな俺はまさにお笑い界のスーパー・マン!
田中:いいかげんにしろ!!
(終)
>>> 「太田光の名言」 すべての恋愛が片思いだと思いますよ
恋愛っていうのは、やっぱり美しき誤解だと思います (両方とも、8/25放送『爆笑問題のススメ』より)
ボケない太田も、それはまた一種のボケでありました。 そして、真面目なことを言わせても、一流なこと言うなぁと思いました。
上の名言は、恋愛は互いに相思相愛であっても、同じくらいってことはなくて、やっぱりどちらかが上回っている、という考えによるものらしい。
下の名言は、上の名言を受けたものだろう。
特に、上の名言は言い当て妙だと思う。
>>> 「またまた森博嗣の名言」 だから、大人は基本的に恥ずかしい(『森博嗣のミステリィ工作室』より)
その<恥ずかしさ>を自覚するかしないか、が重要だと思う。
>>> 「宝生舞の名言」 私は言葉のコミュニケーションが苦手だからこの鈴を「チリンチリン」と鳴らして、心地よさを感じてもらえればウレシイなと思います (『Dreamers』8月号インタビュー記事Web版より)
この鈴、とは、足に付けるアクセサリーで、アンクレットというらしい。 彼女は街中の雑音の中にも、心地よいトーンの人の声を発見するという。 心地よい音を発する、ということはいいな、と思い、自分もその鈴を足に付けて街を歩いているらしい。 さぞかしいい音色がするのだろう。 音でコミュニケーションをする、という発想が凄い。
―END―
ついしん 【言葉の欠片たち】 あこがれ 思い込み ニャー バカ 気持ちのギャップ ウヒャヒャヒャ! ふざけた人々 お決まりのポーズ
ついしんの追加(9/30) 【お詫び】 8/28分(今日)の日記の漫才は、爆笑問題が発表した作品ではなく、ダーZオリジナルのものです 爆笑問題のものだと思った方にはお詫び致します え、つまんないからどうせお前の考えたやつだと思ったって? そりゃどうも・・・
【ニュースその1】 昨日、最近オープンした名古屋初のドン・キホーテ(ディスカウント・ショップ)にて、DVDデッキを購入!! 早速『フェイス/オフ』(洋画)のソフトを購入。 今一番欲しいのは、『松本人志のスーパー一人ごっつ』シリーズのソフト。
【ニュースその2】 『爆笑問題のススメ』(日テレ系にて月曜0:28より放送中)のHPに応募したプレゼントが当たる!! それは『Deep Love/Yoshi』シリーズ4冊である。 サイン入り(1冊にのみ)である。 実はそれほど欲しくなかった。 3名様にプレゼント、とあったので、確率的には凄いのかもしれない。
―END―
ついしん 過去にも、『号外!!爆笑大問題』のHPに質問を投稿したら、2度ほど掲載され、グッズが送られてきたことがある。 あと、中谷美紀、竹野内豊主演『真夏のメリークリスマス』のHPにプレゼントの応募をしたら、番組特製クリアファイルが当たった。(3名様) 他には、ナイナイのオールナイトニッポンで3回ほどネタが採用され、チャッピーが計4枚送られてきた。 それに、爆笑問題カーボーイというラジオにFAXを送ったら、どうやら採用されたらしく(聴いていなかった)、田中バッジなるグッズが送られてきた。
>>> 「ある大道芸人の名言」 人生は厳しい、しかし芸術は楽しい!
これは、ホテル・ニューハンプシャー/ジョン・アービングの小説の中に度々登場するフレーズである。 ちなみに<ある大道芸人>というのが実在の人物のか、ストーリー内の架空の人物なのかはわからない。 そういえば、このフレーズはこのウェブ日記でも何度か登場していたような気がする。
<厳しい>と聞くと、さもそれがマイナスイメージを内包しているように思うかもしれないが、こうも考えられる。 人生が厳しいからこそ、人は歩く楽しみを知っている。 そうでなければ宇宙空間に裸のまま放り出されたような気分になるだろう、と。 そして、<歩く楽しみ>を感じることは、<芸術は楽しい!>と感じることと同義である。 そうは考えられないだろうか? ちなみに僕は、普段はそんなことを思わない。
>>> 「森博嗣&冨樫義博の名言」 文系は理系の一部と捉えることができる(森)
私の定義では、『理系』とは『この世のすべてのもの』を指す そして『文系』とは、『理系』の中の特に『人と人との関わりによって生じる事柄』を指す 殺人は『文系』だ 凶器は『理系』 トリックは『理系』で、それを使った者と見破ろうとする者との駆け引きは『文系』なのである(冨樫)
あとの方が長くなってしまったが、冨樫氏が『文系』『理系』をこうもわかりやすくミステリーに関するものに例えているのに感動した。 感動し易い性質なのである。
この両者の名言は、『地球儀のスライス/森博嗣』の解説内から引用した。 ちなみに、『幽々白書』(字合ってる?)、『ハンター×ハンター』で有名な冨樫氏は、その作品の巻末の解説を担当している。 どういう経緯で解説の依頼が来たのか? 前々から森作品のファンであることを誰かに言いふらしていたのか? 謎である。 解説文によると、森氏のデビュー作(「すべてがFになる」)を、たまたま店頭で手にしてからのファンであるらしい。 僕も、全く同じパターンのファンだ。 それにしても、森博嗣モノから名言を拾い過ぎだ。
いいな、と思うのは、大抵自分が文系であると思っている人は、理系の人を敬遠するものだが(単なる思い込みかもしれないけど)、冨樫氏はずばりそんな自分を宣言している。 その潔さがカッコイイと思う。 以下に再び彼の言葉を載せる。
文系人間(と思い込んでいる人)は、理系人間を含めた理系の匂いのするもの全てに対して大なり小なり劣等感を抱いている 本人が言うのだから間違いないのである そう、私は文系人間だ 理系全般に対し、憧れと嫉妬と畏怖とが入り交じった、負い目に似た薄暗いものを感じながら生きてきた 大袈裟に表現してみた
なんだ、大袈裟なんかい!とつっこみたくなるが、その後を読んでいくと、軽いジェラシーのようなものはやはり持っているらしい。
ちなみに僕はどっちなのだろう(自問)。 理系人間だと信じる文系人間、といったところかもしれない。
>>> 「目白カウンセラーの名言」 これじゃ目覚めませんねえ
これは、バルバラ異界/萩尾望都という少女漫画に登場するキャラクターのものである。 実は萩尾作品は、森博嗣の影響で・・・
これのどこが名言なのか?
この物語には、ある事件をきっかけに、夢から覚めない少女(女性かもしれない)が登場する。 ある事件とは、その少女の両親が殺された、というものである。 彼女はそのショックから逃れるように、夢の中へ入っていったのだと、医師に診断されている。 物語の設定は未来で、そこでは夢の映像をスキャンできる装置が登場する。 そのスキャンされた彼女の見ている夢の映像によると、その世界は平和そのものである。 それを見た現実の世界の目白カウンセラーが言ったのが、上の言葉である。 夢の世界が現実よりもずっと平和なら、どうして夢から覚めようか? だから、人は大抵は悪夢を見るのかもしれない。 そして気分のいい夢ばかりを見過ぎると、現実に戻って来れなくなるのかもしれない。 そんなことを僕に想像させる言葉だった。 実に深い言葉でないだろうか?
そういえば、先日観た宝生舞出演の『はりねずみのハンス』という舞台では、主人公の見る夢の世界で繰り広げられるものであった。 物語は冒頭で眠りに就いた主人公、つまりハンスが、終わりで目を覚ます、というものだった。 ハンスの見た夢は、悪夢であった。 そうか、だからハンスは夢から覚めたんだ!と、『バルバラ異界』の上の名言を読んだ時、思った。
―END―
2003年08月25日(月) |
入団理由(過去の映メモつき) |
こうも暑いと、NOT FOUND/Mr.Childrenの歌い出しが<僕暑い・・・>に聞こえてくる。 ただしくは<僕はつい・・・>。
「変化の理由」 変わらない自分が怖いのか それとも飽き性なのか いづれにせよ変化する
「不安定な存在(着せ替えケータイ)」 僕のケータイは一部分が着せ替えできる 今はその部分が青色だけど、銀色のやつも持っている
たまに、その青い部分を本体から外したくなる そう、実はその青い部分は本体ではない でも、付いているときは、さも本体の一部であるかのよう それともそれは元々本体の一部なのか 本体でないのか 何なのか
僕の持ってるケータイは どこまでが一台なのか 着せ替え部分の青いのが 付いていて一台なのか 付いてなくてもそうなのか
何か本体なのか どの状態が一台なのか 実に不安定な存在だ
「どこまでが偽造なのか」 そっくりであれば偽造なのか そっくりでなくても偽造なのか
また、何をもってしてそっくりなのか 特定の人物の目を騙せればそっくりなのか
本気で騙そうとすれば偽造なのか そうでなければ違うのか
子供銀行のお札でレジにいる店員に商品を買おうとするのは偽造なのか 違うのか
「入団理由」 僕は人を楽しませるために入団したのではありません 自らが楽しむためです
「幻想」 人は自分が一人だと思うから ないものねだりで他人を求めようとする
そうして人は安定を求める まるで一人であることが不安定であるかのように
しかしその一方で 人は不安定な状態の中にしか安定を見出せないでいる よって安定など幻想に過ぎない
いや 不安定なものには安定が存在するのかもしれない
そう思えるのが救いなのか それは救いなのか
そして救われたと思うことによって また人はそれに安定を見出そうとする 感じようとする
安定とは一体何 人は安定を求める生き物だ、と思うのが救いだと思いたい そう思うことが救いであることを祈る ただ救いによって救われることを前提とする もしくは救われることが救いであることを前提とする
そもそも救いって何
―END―
【映メモ30】 2003年8月5日 「レッド・ドラゴン」を観た シリーズ中一番凡庸
【映メモ31】 2003年8月8日 「ボーン・アイデンティティー」を観た ネタは面白い 現在記憶喪失中の元国お抱えの殺し屋が主人公の話 記憶喪失の人間の苦悩をもっとだしてほしかった おまけに、予告編ではアクション映画?と思わせておいて、アクションの要素がなさ過ぎる 中途半端な感じがした 後半は特にあっけない 原作があるらしいが、そちらの方がきっと面白いだろう 演技(マット・デイモン)はうまい
「季節の話」 前にも季節の好き嫌いを言ったように思うが、再びこの話題。
結論から言うと、夏と冬が好きである。 ただ、暑いのも寒いのも嫌いである。 夏のクーラー、冬の暖房という環境がいいのである。 厳密に言うと、夏で言えば、クーラーの効いた部屋に入り浸った体を、太陽の照る外気に晒した瞬間がいいのである。 実に贅沢な現代人。
そして春と秋は嫌いである。 春はボーっとする。 秋は風邪をひく。 秋は特に辛い。 中途半端に寒いではないか。 だからといって、暖房を出すのも違う。 肌寒い。 身悶えるわ!! 秋のバカヤロウ。
「真鍋姉妹の名言」 お姉ちゃん、サナダ大学って難しいのかな? & それも読めないような人は絶対早稲田には入れない (8/22オンエアの「ごきげんよう」より)
上の言葉の<お姉ちゃん>というのは、真鍋かをりのことである。 真鍋かをりには妹がいるらしい。 その妹は現在高校生 姉に言わせると、勉強嫌いで遊んでばっかりいるらしい。 また、東京という土地柄にも憧れているらしい。 そんな妹がある日姉にこう尋ねた。 <お姉ちゃん、サナダ大学って難しい?そこ、学部とかもいっぱいあって、なんか良さそうで・・・> <サナダ?> 姉はそんな名前の大学を聞いたことがなかった。 <わからないなぁ、パンフレット見せて> そう言われた妹は、姉にそれを見せた。 姉は驚いた。 そこには早稲田大学、という文字が記されていた。
そんなエピソードを「ごきげんよう」にて話す姉。 そして締めのセリフ。 <それも読めない人は絶対早稲田には入れない>
「明石屋さんまの名言」 浮気しても電気ショックだけで許してくれるでしょ?
彼は『うる星やつら』のラムちゃんが好きらしい。 そして好きな理由が上の名言であるらしい。
「ジミー大西の名言」 あれ、誰かが英訳まちごうてんちゃいますか? 僕は99%の遊び心で1%の閃きや思うんです 誰が99%も努力します? 僕しませんよ
上の名言には間違いがある。 たぶん、<英訳>は、和訳と間違えたのだろう。
それにしても、名言である。 これをテレビのドキュメンタリーで聞いた瞬間、久しぶりに痺れたような気がした。 小学生の頃、きんとき虫と呼ばれていた虫に刺されたとき以来の痺れである。 <あれ>というのは、かの有名なエジソンの名言のことである。 名言を疑う、という発想故に名言であると思う。 やはり彼も、ある種の天才なのだろう。
「冷たい密室と博士たち/森博嗣のカバーに載っている名言(文庫)」 面白ければ良いんだ 面白ければ 無駄遣いではない 子供の砂遊びと同じだよ 面白くなかったら 誰が研究なんて するもんか
この名言は、本文にも載っている。 誰のセリフだったか、それともセリフでなかったのか、忘れた。 ただ、これが今まで出会った名言の中で、一番印象深い。 どんな歴史上の偉人の名言よりも、深い。 当たり前のことを言っているようでも、誰がこんなことをかつて言っただろう? 勇気のある名言だと思う。 実に自由な発想だ。 これは、上のジミー大西氏のものと似ているとも思う。
「笑わない数学者/森博嗣のカバーに載っている名言(文庫)」 起源は忘却され 伝統の手法だけが 取り残される たとえ 神のトリックであっても
好奇心とロマンにあふれる名言である。 最近、ことあるごとにこれを思い出す。 時に、起源なんてそんなものか?と絶望したり、反対にそれが大したものでないことに感謝することもある。
たとえば、人類誕生の起源に意味があるのだと、人は思おうとする。(今時いないか) でも、本当はひょんなきっかけで、偶然生まれたのだとする。 じゃあ、何のために生まれてきたのか? そんなことを一瞬でも思ったことはないだろうか? 実際、おそらく意味はないだろう。 ただ、昔の人は意味を求めたが、現代人はそれに意味がなくても、むしろ意味がない方が楽だ、と思うだろう。 起源が科学の力によって解明されていく今、人は起源と伝統の手法の間にあるギャップを埋めようと日々努力しているのだろう。
―END―
ついしん アメリカのことを<人種のサラダボール>と言うが、サラダより鍋だろ、鍋 鍋の方が具は多いぞ! というわけで・・・ アメリカは、<人種の鍋>である
ついしん2 初めに<泣いてなんかいない。目にゴミが入っただけ>と言い訳をした人は凄いと思う。
2003年08月23日(土) |
ヒッチコックとスピルバーグ |
「ヒッチコックとスピルバーグ」 あまりにも有名な監督同士である。 2人とも天才であると言っていいだろう。 ただ、私的には、ヒッチコックの方が天才であった時期が長い、と思うけど。
ところで、彼らの作品、それぞれ「鳥」と「JAWS」は、人間以外の生命体が人間を襲うという点で類似している。 簡単に言うと、「鳥」は鳥が人間を、「JAWS」は鮫が人間を襲う話である。
私的には、どちらが面白いかと聞かれれば、迷わず「鳥」と言いたい。 どちらもパニック映画と称さそうな映画だが、すでにタイトルが、つまり<鳥>という名前が、<JAWS>より勝っていると思う。 鳥、と聞いて、(この映画を見る以前の人に限る)その対象を怖れる人がどれほどいるだろうか。 対してJAWSはどうだろう? JAWSの意味がわからなくても、公開当時さえ、何が主役の映画かは、見る前の観客も知っていただろう。 少なくともポスターに鮫の絵が載っていたはずである。 つまり、JAWS=鮫、という公式が、世間には知られていたハズである。 鮫、と聞いてそれが恐怖の対象であると感じる人は、鳥の場合よりも多いだろう。
朝日グラフ別冊生誕100年「映像の魔術師」ヒチコック、という雑誌をめくると、当時の「鳥」のポスターを目にすることができた。 それには、<それは或る日、突然起こった!>というキャッチコピーと共に、手を頭の上にかざしているようなポーズをした金髪の女性と、それに重なるようにプリントされたカラスのような一匹の鳥、そしてそんな鳥の群れが描かれていた。 鳥が人を襲う。 都会ではある話かもしれない。 現に東京のカラスはひどいと聞く。 でも、襲うことは希だろう。 問題なのは、この映画のタイトルから連想する鳥と、映画で人を襲う鳥の集団のギャップである。 このギャップこそがJAWS=鮫にはないもので、それ故に「鳥」はよりショッキングで、サスペンスフルとなったのだろうと思う。 「鳥」は、タイトルの時点で既に「JAWS」を凌駕しているのだ。
しかも、「JAWS」で終盤に登場する鮫の人形は、どうみても作り物にしか見えない。 比べて、「鳥」のエンディングに登場する、主人公らを見つめる鳥達は、風景と溶け込んでぞっとするほど美しい。
ただ、<JAWS>というのは訳すと<顎>であり、「鮫」もしくは「顎」というタイトルよりは相応しかったと思う。
それにしても、この映画はサスペンスであると言えるのか? サスペンス映画の王様である彼の映画の中でも「鳥」は例外的であり、他の作品ではいずれも<犯人>というものの姿が最後まで現れない、というストーリーのものが多い。 普通、それがサスペンスを盛り上げる要素となる。(世間にはコロンボ、古畑型のサスペンスもあるが)
だが、「鳥」では犯人が出ずっぱりである。 「JAWS」でさえ、なかなか姿を現さなかった。 犯人は<鳥>達である。 犯人が鯛焼きにおけるアンコのように初めから最後まで詰まっているストーリーなのに、なぜ人はこの映画に感情を揺さぶられるのか? それはひとえに、カメラワーク、演出の冴えによる。
そういえば、「JAWS」では一匹の鮫が次第に姿を現していったが、「鳥」では 鳥達の群れの意志のようなものが、次第に本格化していったように思い出される。
さきほど言った、カメラワークや演出の<冴え>を知りたい方、感じたい方は、どうぞ「鳥」をご覧になってください。 特に「JAWS」で満足しているあなた。
「森ミステリと理系」 森博嗣のミステリは、理系ミステリと呼ばれる 何が理系なのか? 骨格が理系なのである ただその骨格が成すものに 数学の問題のように答えは用意されていない ただ、その問題とは高校までのそれで 大学で問われる数学の問題には 答えが出ないものの方が多い つまり、高校までの数学の問題が 今までのロジカルなミステリであり 大学の数学の問題が 森氏のミステリなのである ちなみに彼は大学の助教授である
―END―
「欠陥のあるシステム」 欠陥のあるマシンと 完璧だと思われているマシン どちらがより完璧だと思う?
その欠陥が 欠陥であることを君は知っているのか? もしくは疑ったのか?
「対象と観察」 自分以外の対象を 完全に観察することはできない しているつもりでも していることを証明はできない
「孤独」 1人でいるときより 大勢の中にいる自分が孤独に思えるのはなぜ? 1人でいるときのほうが充実しているから ではずっと1人でいればいいじゃない 否 充実することが怖い 充実の先に何がある? 何もない だから怖い だから孤独になろうとする
「ものがなくなる、ということはない」 なくなるものなどひとつもない ひとつたりともない ものがなくなるだって? あたまがおかしいんじゃないのか? それはぶつりてきにありえない ありえない なんにもなくなりゃしない なくしたがっているのは むしろきみじしん きみがそうおもうから なくなったようにみえるだけ それはげんそうにすぎない げんじつにはなにもなくならない じつはきみだってしっている なくなったようにおもっていたものが どこにあるのかを
「崩れると形」 何かが崩れたと思ったけど 気のせいだった それはそういう形であった
「恐怖のストッパー」 世の中の様々なものに対して恐怖を感じ この先やっていけるのだろうか、と思い 何かから逃げるようにして実は突き進んでいる
「太田光代の名言」 爆笑問題太田光の妻であり、事務所社長の太田光代女史の本『爆笑!夫婦問題』から、彼女の名言を探そうとしたが、どうもピンとこない。 名言だな、と思うフレーズが見当たらなかった。
その本では、主に太田光との関係について語られており、彼との様々なエピーソードに彩られていた。 2人はよく喧嘩をするらしく、光代女史は夢の中で夫が浮気をすると、朝起きて彼に問い詰め、謝らせるほどの女性だ。
それほど嫉妬深い光代女史の彼に対する心情は余すことなく描かれている本書を読むと、夫婦というものを知らない僕(僕は結婚生活を知るどころか、生まれてこのかた彼女さえいない。そして生まれてこのかた父親というものも知らない)にとっては、それがいいことなのかどうか、初めはわからなかった。 ただ、本の帯の裏に書かれている言葉に力強さを覚えた。
それでもやっぱり、彼と結婚してよかった!(強いて言うなら、これが名言)
この言葉だけを見ると、無理をしてるんじゃないか?という気にもなるかもしれない。 が、そんなことは、本書を読めば思えなくなる。 夫婦という不思議な共同体の一例を知ると共に、夫婦というもののメリットが垣間見れたような気がして、私的には結構バイブルな本となった。 そして一つ思ったのは、他のことにも言えることだが、夫婦生活を過ごすには、想像力なしには無理だろうということだ。 結果、夫婦というものはどういうものなのか?を知りたいと思わせてくれる本になった。 ありがとうございました。
―END―
2003年08月21日(木) |
自己補正機能搭載型マシンの憂鬱 |
現在、短期のバイトをやっている。 某出版会社での採点の仕事である。 ある友人も同じバイトをしており、毎度、帰りは途中まで同じ道を辿る。 今日も仕事が終わり、ほとんど無言で自転車を走らせていた。 そんな中、彼は言った。
「あの会社(某出版会社)も普通に人を雇ってるんかな」
確かそんな発言内容だったと思う。 思わず「え?」と反応してしまうようなアバウトな問いかけである。 独り言だったのかもしれないが、無反応では失礼だと思い、僕はこう聞き返した。
「普通に、って?そもそも普通の定義がわかんないよ。」 「面接とか受けて・・・」 「そりゃ他の企業と同じ様に面接試験とか行って雇ってるでしょ」 と、そんなふうに自分の考えを言った、次の彼の言葉に驚いた。
「そんなん定義とかいわいでいいよ。」
<いわいでいい>とは方言なのか?という疑問を片隅に残しつつも、瞬間、それを言われても困るな、と思った。 だからつい、「言わいでもいい、って言わんでもいいでしょ」と返してしまった。 多少大人げない気もしたが、いつもの事なのでよしとしよう。 この2人の間ではよくあるパターンの会話である。
あとで思ったのは、彼が初めに「あの会社は・・・」と言ったのは、ギャグのようなもので、突き詰めた返事を期待していなかったのか、ということである。 つまり、本当は、あの会社は所謂普通に雇うのでなく、誰でも気軽に入社できそうな雰囲気の、たいしたことのない所だ、と彼は言いたかったのかもしれない。 よって、普通の定義を自分で予測し、なお且つ「面接なんて行わず、いつのまにか入れちゃうかもね」とでも言っておけば良かったのか、と思う。
真面目に返事をした僕は至らないのか、彼が分かり難いギャグを言うのがいけないのか、よくわからない。
―END―
ついしん 今日、「ごきげんよう」に乾貴美子が出演していたらしい。 実は前からいつ頃出演するかは知っていたのだが、そのことはすっかり、今朝頭の中から抜け落ちていた。 思い出していれば、外出する際に予約録画していたろうに。 もしくは外出中に思い出していれば、外出先から家族に録画を頼んでいただろう。 残念無念。 だが、明日明後日も出演するのが救い。
確信犯、の意味を覚えたはずだったが、また忘れてしまいました。 あとで調べます。
>>> 「森博嗣の名言1」 重要なことは答えることではない、問うことである (臨機応答・変問自在/森博嗣より抜粋。以下の名言も同じ)
今までのいくつかの面接と言われる機会で、面接官に<何か質問は?>と言われても、ほぼ<今のところありません>としか言っていない自分としては耳の痛い名言である。
>>> 「森博嗣の名言2」 『今日は休みます』と言ってユーザが大喜びするような商売は他にない
これは学校の、特に授業に対する意見のものである。 前提として、森氏は教育というものは幻想に過ぎない、という考えの持ち主である。(この辺りの詳しいことは割愛) その点には僕も同感である。 そしてこの名言でいう<商売>とは学校の授業の事である。 もしくは<学校に通う>ということそのものの事である。
>>> 「森博嗣の名言3」 百科事典が世界で一番偉いと思っている人はいない
森氏は言う。 生徒の質問に答えるにはテクニックが必要。自分(教師)が知らないことを質問されたら困る、という教師もいるかもしれないが、知らないことは恥ずかしいことではない。自分が何を知らないかを認識していればいい。 (一部、再構成個所あり) その証拠のようなものが、上記の名言なのだろう。
>>> 「森博嗣の名言4」 だが、心がけていることがある。子供が勉強している以上に、自分は仕事をしようと思う。子供が遊んでいる以上に楽しく遊んで、『早く大人になって自由に遊びたいな』と彼らに思わせよう、と考えている
大人は子供の為にいるのかもしれない が、子供は大人のためにいるわけではない 僕(ダーZ)はそう思う
>>> 「森博嗣の名言5」 『近頃の若者ときたら・・・』という人には、いったい昔はどれくらい立派な若者がいたのかとききたい
なぜそういう文句が世間に蔓延しているのか、の訳には、マスコミの存在がまずあげられるだろう
―END―
ついしん 食後に飲む薬を食前に飲むと、効き過ぎるのだろうか?
ついしん2 確信犯:道徳的、宗教的もしくは政治的義務の確信を決定的な動機としてなされた犯罪 (広辞苑 第二版補綴訂版/岩波書店より) う~ん・・・ 確信犯(2):犯す罪を(社会的に)悪いことであると認識しながらも、故意にそれを実行する犯人をいう また、愉快犯ともいう (ダー辞典/Z出版より) こちらの方が、しっくりするのになぁ。
「最後に何が残る?」 いらないものを捨てよう いらないと信じるものがいらないもの
残るはいるもの そうか これが僕の形なのか これだったのか そう信じる
「スノーウィの名言」 人間ってこれだからやあさ ひとつやふたつのちがいが なんだってんだい 宇宙の広大さを知らんのかね ・・・ったく (「タンタンの冒険旅行 ふしぎな流れ星」より)
先に言っておくと、スノーウィとは、犬である。 暑い夏の夜、その犬の主人は星空を観察していた。 すると、北斗七星の近くに大きく光る星が見えた。 <あれじゃ北斗八星だよ まいっちゃうな> それに対しての上の名言である。 もちろん主人には聞こえていないだろうこのセリフ。 こんなセリフが聞ける読者は運がいい。 このスノーウィのセリフを通して主人のセリフを見ると、人間らしさが浮き彫りとなるのがグー。
「田中(爆笑問題)の名言」 ボクと太田の関係を説明すると、夫婦が一番近いかもしれない でも男女の愛情はないし、友達というようなノンキなこともいってられないし(以下略)
これはある雑誌のインタビュー記事より抜粋したものである。 まさに芸人とは例外的な職業である。 ボケの太田は、その役割上、誰かにボケを引き立たせてくれる存在が必要である。 ピンの芸人は共演者にそれをしてもらうわけだが、コンビの場合、ボケがボケれば相方がツッコミと言われる作業をし、ボケを引き立たせてくれる。 そして、ピン芸人より得なことが、コンビのいるボケの芸人にはある。 マニアックなボケをしても、突っ込んでくれるということだ。 野球で言えば、太田の相方田中は、名キャッチャーなのである。 田中がいることによって、太田は思い切って(時には事前にサインを使い)ボールを投げられるのである。 時には、太田はカーブやフォークを投げることもあるだろう。 そんな太田の構えやボールの握り方を見て、田中はどんなボールが飛んでくるかを予想し、いち早くキャッチしようと努めているのかもしれない。
仕事上、2人がコンビであることは、必然であり、都合がいい。 夫婦というのも、生活していく上で、2人が組むことが、都合がいいのだろう。 ただ、どちらの場合も都合の良さだけで成り立っているとは思えない。 人間関係とは複雑である。 ただ、小人数で構成されたチームほど複雑であるのは、必然だ。
「坪内ちたんの名言」 愛をくださいなんて傲慢だね
これは、久米田康治著の漫画『育ってダーリン(A巻)』の特別ふろくより抜粋したものである。 確かに、としか言いようがない名言である。
―END―
「映画『ゴスフォード・パーク』より使用人の名言」 (※ネタバレ注意!) ・パーフェクトな使用人に人生はないの
この言葉、重みがありました。 映画のストーリィの舞台はある富豪の館。 そこに様々な招待客がやって来て、パーティが催され、その夜一つの殺人が起こった。 実は(若干ネタバレですよ)、このセリフをはいた使用人が犯人なのですが(犯人であることが探偵役のキャラにバレてからのセリフなので、あまりネタバレにならないかも。それでも使用人が犯人である、と絞られるわけだが。ただ、登場する使用人多し。でも<パーフエクト>の一言で特定できるかも。やっぱりネタバレだsな、これは)、この犯人である使用人にこのセリフを言わせたくて脚本を練った可能性大である。 それだけ、このセリフがこの映画では重要なものとして響いていたということ。 確かに、尽くすだけの人生なんて・・・ それも仕事で。 あぁ、かわいそうな犯人。
「小説『笑わない数学者/森博嗣』の第4章のタイトルの副題の名言」 ・残念ながら、観察者と独立に存在するものは、定義できないゆえに、存在しない
実に哲学的な表現だと思う。 <独立に存在する>という部分が曲者である。 どうやってそれを<定義>するのか? それを言ったらお終いである。 僕としては、どういうものが観察者と独立していると言えるのか?を想像するのが面白い。 ソレが見えなければ独立しているのか? 触れなければ独立しているのか? そんなこと考えるのが面白い。 そしてそれを考えさせるからこそ、この言葉は名言なのだ。
「同じく小説『笑わ・・・の第11章のタイトルの副題の名言」 ・十万桁まだ計算されたパイに人間性がないというのですか?人間以外に誰がします?
これを読んだ時、何かからの開放感があったような気がする。 その<何か>をあえて言うなら、それは<人生>である、とでも言っておこう。 人間にしかできない事、そして自分にしかできない事があり、それをする事が人間の存在価値であるのだ、と言っている気がする。 それにしても、なぜ己の存在価値(またの名を<生き甲斐>とも言う)を人は求めようとするのだろうか? 楽しい、とか面白い、と思えることを求めるのが本能だとしたら(これも、一つの定義)、存在価値を認識することは、そういった感情を持てるかどうか、ということとイコールなのか?
―END―
「期待」 俺がお前に何を期待しているかって? 何もしてないよ それを期待してるんだろ?
「ザラザラ」 ザラザラのものの方が書き易い 白板より黒板の方が書き易い 広告のちらしの裏より和紙や新聞紙の方が書き易い 摩擦係数が大きいからかしら 実は私の彼は鮫肌 ちなみにわたしはもち肌 だから私は彼にしがみつく なかなか抱き応えがあってよ その感触・・・たまらない なんて抱き易い体 私は彼に刻まれていく
「溶けた世界」 この世のほとんどが溶けている 溶けていないものなんて少数 それなのに 溶けていないものは 周りがとけていることに気づかない そして自分が溶けていることに気づかずに さも溶けていないふりをしている 想像以上に この世は溶けている 何が溶けていないのかわからない ただ 溶けていないという意志だけが 溶けていないのかもしれない
「割愛と勇気」 割愛するには勇気が必要である 割愛することは矛盾である 割愛という言葉の中には愛がある
「ユーモア返し」 美空ひばりは、持ち合わせのお金を持たずにタクシーに乗った 降りる際、彼女は運転手にこう言った <私は美空ひばりです。お金は必ず返します> つまり、自分の名前で運転手に信用させようとしたのだ だが、運転手は信用しなかった そっくりさんである可能性もある、と思ったのだろう そんな運転手の態度を見たひばりは考えた <では、一曲今から歌います> 彼女は歌った 運転手1人のために歌った 歌い終わった彼女は言う <これで信用して下さいました?お金はお返しします> すると運転手 <いえいえ、滅相もない。私1人があなたの歌声を独占しました。こんな贅沢なことはありません。お金は結構です> 僕は歌ったひばりも凄いと思うが、気の利いたこの凄い運転手のことを、是非<ユーモア返しの人>と呼ぶことにしたい (このことは事実であったらしいが、会話部分に脚色あり)
>>> 「竹本健治の名言」 ここにあるのは精妙な計測装置だ 我々は計るのではなく、ただひたすらに計られる (冷たい密室と博士たち/森博嗣・新書版の推薦文)
この文章を理解するには、このミステリを実際に読むしかない。 読んだ上で、この推薦文を噛み締めることがどれほど心地よいことか・・・
>>> 「立川談志の名言」 あの、宝生って子は美人ですね(というような表現)
あの談志が美人というのなら、それは本物だろう、という気にさせる談志、もしくはその対象の宝生舞は、どちらも素晴らしい。
>>> 「太田光の名言」 お前、その前の記憶あんの? (爆笑問題の日本史原論/爆笑問題より)
この文句は、太田自身の発言に起因するものである。 太田はまずこう言った。 <日本の歴史については、俺は詳しいよ> そうすると、田中としてはこう質問せざるをえない。 <とくにじゃあどの辺の時代が?> それに対して太田はこう返す。 <長嶋引退からこっち> <最近じゃねえかよ!お前が物心ついた後だろうが!> そして上の名言である。 <お前、その前の記憶あんの?>
この名言の凄いところは、漫才で言うところのボケかツッコミかの判別がし辛いところであり、あえてどちらかに落ち着こうとしないところである。 どちらにも取れるのだ。 確かに、自分の意識を持ってして現実に体験した時代の方が、伝聞によって、資料によって知った(という気になっている)時代よりも詳しい。 実に爽快な指摘だ。 ただ、同時に、この文句がボケであると仮定し、簡単にツッコミを入れるとしたらこうなる。 <そういう問題ではないだろ!>(by田中)
―END―
ついしん どうせなら、部屋の片付けは楽しみながらやりたい(効率性は無視できるものとする)
僕は、実際に会ったことのある人よりも、本やテレビで知った人に尊敬している率が多い。 実際に会ったことのある人に尊敬する方が、道理にあっているような気もするが、だが、そんな単純なものではないと思う。 実際に会ったことのある人の方が実感できるというのは、単に三次元的な空間内で相手と接近している状態なだけである。 たとえ二次元であろうとも、想像力をもってすれば、相手が自分にとって強烈な人であれば、尊敬できる。 むしろ、本やテレビに登場する人たちは、やはり何らかの能力が他人より秀でている。 よって、二次元的に人を尊敬し易いのは、自然なことである。 少なくとも僕にとっては。
>>> 「淀川長治の名言」 ウディ・アレンはみんないい。(中略)あの人は頭で面白く映画作ってる。そこがえらいところなの。 (対談の七人/爆笑問題他)
この何気ない文章を読んだとき、頭の中で豆電球が点灯したような気がした。(古いな) この部分が、その本の中で覚えている唯一であるくらいだ。 それだけ印象深い。 頭の中で作る、というのはどういうことか。 それは想像するということだろう。
プロの建築士は、設計図を書き上げた段階で、もう自分がそこに住んでいる姿を想像できるという。 それと同じだろう。 もちろん、映画は現場で作り上げていくものである。 頭の中で完成しても、それを客に見せられない。 しかし、現場、というもの自体は、現実そのものであり、それは映画ではない。 ノンフィクション、フィクションに関わらず、映画とは現実のものではない。 それは創作の末のものだ。 よって、頭の中で作り上げてから現場で作らないと、それは現実に近いものになってしまう。 それは映画とは程遠い代物であろう。
また、<現実>と<リアル>というのは違う。 この辺を勘違いしている監督が、日本には多いと思う。 現実のニュース映像より、映画の中にリアルさがあるのは、それが人が映画館の中へわざわざ入っていくことに起因する。 つまり、ある程度の<覚悟>を持って、映画の中から<リアル>を見つけようという姿勢を、観客は持っているからだ。
ニュース映像は、現実であるにも関わらず、それが本当にあったことの様に思えないことがある。 それは、自分にとってあまりにも唐突な出来事であるからだ。 前後関係が、はっきりわからないうちに、ニュースとなり得る衝撃映像が目に飛び込んできても、それは作り物の、リアリティの欠けたものの様に映る。
ではリアリティとは何か? それは、もっともらしさ、のことであろう。 映画の中には、故意にその<もっともらしさ>の姿が映っている。 観客は、それを自らの意志で見つけようとする。 比べて、現実の方には、信じがたい光景が多い。 それは、現実が常に進んでいるものだからと思われる。 今までにないことが、予測できないことが起こり、それが現実的でない、リアリティの欠けたものの様に思えるのもむしろ自然であるだろう。 しかし、映画とは常に現段階の人間が現段階から見た視線で作られたものである。 そして何かを推測して作られたものである。 基本の<今>、<現段階>にいる我々があってこそ、そこで推測されたものが他人のフィルタにかけられ、認識される映画と違い、現実には一部の人間を除いた多くの人間の想像を超えた、今までに関わりのない様に思えることが起こる場合がある。 ただそれも、時間が進につれ、細かい事象が解明されることによりリアリティを持つようになるけど。
リアリティが映画の中に見つかり易いのは、それが作り物であるから、と言える。 また、しっかりとした<作り物>を作るには、またバリエーションに富んだ作品が作られる為には、淀川さんが言ったように、<頭の中で作った>ことが、いかに現実の役者、セット、小道具、カメラ、照明、編集、演出によって、それに近いものが作られるか、という点が重要であろう。 ただ、頭で作られたものが、オリジナリティにあふれ、センスのあるものであれば、の話だが。 逆に、頭の中で作られたものがオリジナリティ、センス共にじゅうぶんでさえあれば、とりあえずはいいのである。
テレビでよくやる2時間サスペンスが同じもののように映るのは、予算がないのもあって、例えばイメージどおりの小道具が使いたくても、使いまわしのものですませるからであろう。 もしくは、代わり映えのしない作品が、反対に安心できると信じている視聴者が、そういう作品を作らせているのかもしれない。 ただ、そういう作品は印象に残らない。 単なる消化物になってしまう。 ただ、印象が残ることがいいことがどうかは、また別の話。
まとめ つまり、淀川さんのたった一行二行の言葉でここまで考えた僕が凄い。(半分嘘)
>>> 「松本人志の名言」 ・腐ってもスピルバーグ(現在発売号の日経エンタ!参照) ・60%のものを100%で作りました
淀川Verが長くなったので手短に。
まず上の方の言葉について。 それはスピルバーグへの誉め言葉であろう。
下の言葉について。 これは、松本が某番組企画でアメリカ人に受けるコメディ映画を作った時の発言である。 60%のもの、というのは、つまり観客に受けるもののことをいう。 仮に100%のものが受けないとふんだのは、自分(松本)にとって100%であっても、アメリカ人には受けないと判断したからであろう。 ただ、100%のものを見たいのは、日本人で、さらに松本ファンに限ってであろう。
合わせて言うと、スピルバーグは、60%のものを100%で作れる天才なのである。 ただ、100%のものを100%で作れるかはわからない。 また、なにをもってして100%のものとするか、は難しいところである。 人によって見解は分かれるだろうし。
ただ、スピルバーグというのは、恐ろしくバランスを取るのがうまい。 よって、完成度が高いように思える。 どんな内容のものでも、そう。 ただ、例外的に「A.I.」は、彼らしくないテンポで作った結果、後半が緩い演出になったが。 「マイノリティ・レポート」はいいよ。 松本は星10満点中7と言っていたが、私的には8。 最近気持ちよく8といえる面白い作品はない。 そして、映画としての芸術面を抜きに、エンタテイメント作品として評価する場合、9はあげられる。
まとめ 松本のスピに対する評価は、実に的確。
―END―
ついしん 幽霊に気づかない男、というストーリィを創りたい
2003年08月15日(金) |
寒空と蝉の音(過去の映メモつき) |
「本の感想」 Vシリーズ第6弾『恋恋蓮歩の演習』、読破 Vシリーズ第6弾のこの作品ですが これまでの中で最高のストーリィだと思います 第5弾と一部ストーリィが繋がっているので そちらを読んでいないと半分価値が下がります そもそも、主人公らのキャラクタの 深みを知るためには 第1弾から読むことをオススメします
※Vシリーズ 瀬在丸紅子を始めとするキャラクタの登場する 森博嗣著ミステリ作品の一連のシリーズ Vシリーズは10作で完結している
―END―
ついしん 何故<パソコン>なのか <パーコン>なのではないのか
【映メモ28】 2003年7月28、29日 「グッド・フェローズ」を観た。 マフィアもの ロバデニ出演 完成度隆(高し) 誰一人として嘘に見えない 演技凄いよ 淡泊な映画でした 別にマフィアに興味なくても 客観的に描かれているので よろしいかと思います
【映メモ29】 2003年8月2日 「陰陽師」(邦画)を観た なーんか、軽いんだよな 無理にCG使ってる気するなぁ ところで宝生のこの映画における使い方はいかがなものか? ちょい役過ぎて、笑ってしまった ちょい役だからこそ、彼女なのか それは名誉なことなのか ただ、ファンとしてはガッカリだ
ただ、ファンとしてはガッカリだ
2003年08月14日(水) 留意
「短期」 今、短期のバイトをやっている。 ここ最近それが続いていたが、明日から間が空く。
バイトが毎日続くと、これがいつまで続くのか?という気分になる。 具体的にいつからしばらくは休みになる、ということは知っていても、それが近づいてこない限り、途方に暮れるような気分になる。
毎日 やっていると、次第に慣れる。 慣れると仕事を行う面では都合が良くなる。 ただ、慣れてしまったことに飽きる。 そんな状態になると、いつバイトが休みに入っても、いいような気分になる。
今回のバイトは、一旦明日から数日間休みに入る。 今日もバイトをしたけれど、僕は私用で昨日は休んだ。 よって、1日間が空いたことが影響し、今日の1日のバイトをメリハリを持って挑めた。 つまり、ずっと休まずやっていた人より、今日という1日の仕事が濃いものに感じられたのであろうと推測できる。
バイトの昼休み、一緒にやっている友人のA氏に僕は言った。 『今日で一旦終わりか。丁度いい頃合いだね』 すると彼は言った。 『それは昨日休んだからだよ』 (完)
「許容」 変わってしまうことが怖い 今の自分が正しいのだと思いたい
変わってしまえば怖くない 前の自分が間違っていたのだと思いたい
人は自らの意志で変わることはできない だから許容する
「区別」 誰もが<大人>という概念を認識し始めたときから 自らの中に<大人>と<子供>を育て始める
誰も大人ではない 誰も子供ではない どちらにもなりきれない
僕らはモールス信号のように いくつかのパターンを組み合わせることによって 一つの意味のあるメッセージをつくり出す様に いくつもの大人や子供を組み合わせ なんとか1人の人間になろうとしているのかもしれない
常に流動的 大人を知っている者は 誰もが大人である 誰もが子供である
―END―
ついしん 夜中、3つほど絵を描いてみた。 ただ、ノートにエンピツでやっただけだけど。
それぞれタイトルは「あそこへ行きたい」、「ほぼ二つの直方体に閉じ込められた男」、「スリット婆さん」である。 ここに載せられないのが残念。 載せられるのだとしても、僕の能力では今のところ無理。
2003年08月11日(月) |
様々な解決を問題してみせましょう |
「交互」 知らないことを知ろうとするのは 恐怖を取り除く作業に等しい 同時に それは知的好奇心を満たす行為ともいう 人は恐怖と好奇心とが 交互に並ぶ仕切りを跳んでいるのだ それは何かから逃げているようであり また何かを追い求めているようでもある
「認識」 似ているものを見ると 何だか怖い もしかして その似ているものが 僕の一部かもしれない そう錯覚するからだ 自分以外に自分がいる そんな気がして不安になるのだ
だから 人は人が嫌いだ ただそれは 人を人だと認識しているからだ 今まで<人>だと思っていた存在が <君>になり 君は僕とは違う存在になる 君は僕ではない よって安心なのだ
そして僕は僕でない 僕は誰? だから僕を知りたいのだ
僕は君が嫌いではない そして僕も嫌いではない そう認識している
「歴史」 僕が生まれる前にも この世の中は存在していたらしい
色んな事があったらしいけど 詳しくはわからない わずかな記録はあるけれど
僕は大人になったけど そういえば子供だったことがあるらしい
色んな事があったと思うけど 詳しくはわからない わずかな記憶はあるけれど
それらのわずかなものらに 意味はあるのだろうか いや 僕はそれらに 意味を見出そうとしている
それが無意味であろうとも どんな意味であろうとも こびり付いて離れない だからそれに意味を求めている
「分割」 ○○時代 ××時代
時代
時代
名前
『平安時代』 『はい!』 『室町時代』 『・・・』 『今日は欠席か、室町は。ん、室町?いるんじゃないか。昨日と違って、お前少し顔が違うな。整形でもしたのか?気づかなかったぞ』 『気に入らなかったもので』 ・・・
人が生まれる前にも 後にも 現在に至るまでの一続きの時間があって それを人は細かく区切って見るようになった
天皇が変わる度 時代は変わった 本当に変わった?
誰が時代を変えた? 名前が変われば変わった?
例えば A時代のあとにB時代があって AからBになって何が変わった? とにかく天皇は変わっただろう
時代は分割され それぞれに名がつけられ 時代毎に特色をもたされる
さもそれぞれの時代が 個性を求めるかのように
「冗談だと言って」 真実なんて知らなくったっていいの 冗談だと言って
そんなこと今まで知らなかったから 現実を現実として見ていたの というよりも現実を冗談のように見ていたの 現実が現実でも冗談でもいい 要は真実でなければいいの
だから冗談だと言って それが冗談でもいいから
冗談の中で泳ぐ私 それとも現実の中で泳ぐ私 さぞかし哀れでしょうね でもそれはあなたから見た私
違う私はちゃんといるの それが冗談の中の私 それは真実を知らない私 きっと誰も敵わないわ 誰もが私に敵わない 私もあなたに敵わない お互い虚空な存在になりましょう
あぁきっと清々しいでしょう そして優しくなれるでしょう 強くなれるでしょう そんな気持ちが冗談であっても
―END―
2003年08月09日(土) |
きっと君とはセパレイション |
「野菜の証明」 野菜は 自らが野菜であることを知らない 野菜の証明は 人が人の為にしたこと
「総合司会」 うちのお父さんは総合司会者なんだぞ 凄いだろう 何がって? そりゃ、なんたって総合なんだから 一番さ あんまり出番はないらしい でも出番がないからって 何もしていないわけじゃないらしい そう、出番なんて関係ないんだ 君が目を瞑ったら 世界は消えてしまうのだと思う? 思わないだろう それと同じさ お父さんの出番でないときも お父さんは凄いんだ
「きっと君とはセパレイション」 君と 僕とは 同じでないのか 2人で 1人ではないのか 1人とはなにか 体が1つで1人なのか なぜなのか わからない でもきっと 君と 僕とは セパレイション 既に 僕は意識している 君と 僕と言って 本当は1人なのかもしれないのに 僕の中から君と取り出している
「仕掛けのクラクション」 押せば鳴る 鳴れば存在する 存在していれば安心 安心は何 何はわからない わからないから押す 押せば鳴る
「逃れられない」 もし仮に すべてから逃れられたとして 何がうれしい?
「対照実験」 実にわかりやすい 違いがあれば安心する 同じものでないとわかる 区別したい これはあれとは違う 違うからこれはこれ これをこれとする これはそうして独立し 一つの形式となり 願いが叶ったと喜ぶ どうにか 自分と違うものとの違いを 自らに見出そうとする その違いそのものが自分になる 自分になる 自分を際立たせようとする この先も きっと 何故か そうして離れていく 自分でないものから 離れていく きっと 離れたいのだろう 自分を知りたくて 離れて離れて そうしてどうなるのか きっと自分が孤独であることを知るのだ 自分以外の存在を永遠に知ることができない できない きっと 知ってはいけないのだ 知ったら 自分は自分でなくなる そう思うから 知ることができないのだ
「両極に同時に存在」 天秤の両端に 同時に自分がいられたら 人は悩みを持たないだろうか
―END―
2003年08月08日(金) |
この軽々しさはただ事ではない! |
「個人時間午前6時」 国によって時間が違うように、人1人によっても時間が違ってよいのでは?という疑問を持っているわけではないが、もしそうなったらどうなのか? 時間というものが国によって違うのは、簡単に言えば太陽が昇る時間、沈む時間が違うからである。
我々は知らず知らずのうちに、午前6時と言えば早朝である、という既成概念を植え付けられている。 早朝というのが太陽が昇った頃のことを言うなら、例えば日本国内で時間が統一されていることには意味がある。 国内では時差があまりないからである。 むしろ、時間が統一されていた方が、便利である。
大抵の人は朝起き、夜寝る。 そういう習慣が定番である。 ただ、そうでない人もいる。 夜の間に起き、正午の頃に寝る人もいるだろう。 そんな人たちのとっては、自分達がそういった面でマイノリティな存在であることから、時間は鬱陶しいと感じるのではないか? つまり、差別である。
きっとそんな人達は、朝起き、夜に寝るのが健全であるような世間のルールに不満を感じているだろう。 だから、彼らが、個人時間を自分に設定してもいいのではないか?と思うのである。(誰もダメとは言ってないが) マイタイム、とでも言えるか。 そんなタイムが、時間に縛られたくない人達の間で流行っても可笑しくないと思う。
そして次第に、午前6時というものが、早朝(太陽が昇る頃)を意味するのでなく、自分が起きる頃の時間を言うようになるかもしれない。 ただ、今度は別の疑問が湧いてくる。 午前6時を何故起きる頃に設定するのか? やはり以前の慣習から逃れらていないようにも思える。
何かから逃れたと思っても、次に違う何かが自分を縛る。 無重力の空間では生きられない人間らしい話である。
「この軽々しさはただ事ではない!」 今日、いくつかCDを借りた。 近所のレンタル屋が期間限定のセールを行っていたので、CDアルバムも安く借りられた。
アルバムはホワイトベリーのファーストとブリグリの同じくファーストを、シングルはIZAMの「恋してクラ☆クラ」とダンディ坂野の「Oh!Nice GET's!!」を借りた。
両者のアルバムは、それぞれシングルの曲が目当てで借りた。 だからMDにはシングル曲しか落とさない。
ところで、IZAMの曲は、とっても気に入った。 もともと某番組のエンディングで聴いて一耳ボレしていた。 なんで売れていないのだろう? きっとプロモが下手なのだろう。 いい曲なのに。 まぁいい曲が売れるとは限らんからな。 ま、いいや。
もちろんホワベリの「夏祭り」もブリグリの「There will be・・・」「冷たい花」もいいが、ダンディの曲は素晴らしい♪ この軽々しさはただ事ではない。 軽いノリの曲は軽視されがちだが、それはそれでセンスが問われるのである。
最近ので言えば、サザンの「涙の・・・」も素晴らしい出来だと思う。 結局は好みの問題なのだが、要は、軽い曲にもいいものはあるのである。
悲しそうなメロディがいいのか? 悲しそうならいいのか? そんなことはない。 人は理屈で作品を評価しがちになる場合がある。 気をつけなければいけないことだと思う。
―END―
※中には、TVや雑誌などで誰かが言った言葉、表示されていた言葉を部分的に頂戴したものもあります
替え人形(こけしっぽいやつ) 着せ替えられない人形 着せられない人形~意思をもつ~ 悪魔さん 髪手(かみて) 加工食品 冷めている弁当はいかがですか? 上書き保存 形と便利 この軽さはただ事ではない 超理屈っぽくない人 好きならいいのか 欠伸の出る仕組み 向こうは意味がわからない 学芸会との類似 対岸の外人 天使と悪魔に分けたがる! 趣向、歌、お前はこういう曲に耐えれて偉いな、うまい下手ではない PVはCMか 記念さん リズムに乗った文句 形のみ 壁の中 ミニチュア家族 隠し笑い 容器を奪う カウンター越しの目撃 君らしい 錆の行き場 嫌な表情 どこまでが私なのか 眼鏡真似 人違い バカの利用法 未来予報 ミネストローネ生かし 二度生まれ 参考写真 思い出し殺人 原作面白いからby関根 投げ笑い スプリット・スクリーンの要領で うつ向き笑む恵美子 すっ豚胸 おまけ 既成 浮袋 空き巣 忍び込み 防犯強化地区 狭い空間 落書き 両極 タイムスリップ 体験談 変わるのが怖い 動暇 野球中継2 威嚇 拘束時間 オーケストラの一人 意味を知らない 第一印象 泡はビール カブトガニの抱える矛盾 死んだらフリスビーになりたい 幸せの覚え 髪が多すぎる 進出 許容 舞台仕様 スリット婆 舐め上げる 後ろ姿 待合室 人事(ひとごと) 視線 折りたたみ傘 機能 今どき(今どきこんなの着てる人いないよ) この傾きを求めよ 楽がいいのか 神隠し 人口密度との戦い 軽々しい 選択 助燃性 慣性 仕事 ないブランド ミスター 状況証拠 足跡 遺伝子から操作 変わらないようにできている 緊張感 寝ている場合 夢をもっているの? 似ているね(だから君といたいんだ。成長なんてしたくないんだ。安心。完璧主義。コントロール) 誰の為の成長か 本当に見たのか 想像力の支払う代償は恐怖だ 君は夢を見るの? 手が止まる 気が咎める 青春映画 思い出 潔い 僕を知っている 壊れそうな装置 冗談のよう 直後~おなら~ そっくりさん 好き嫌いの問題 南極 容赦 便利がいいのか 信じられるのは自分だけ 人がわからない 本のデザイン 断崖 存在しない 三大感情(面白い、気分がいい、面倒くさい) ぱかぱか 抜く 打ち合わせ はずかしい 人を観察 安心ストライザ 無駄 乙葉 働け! 方式 正体不明 勘違い 高い買物 一発変換 コント(中川家、アンジャッシュ、爆笑問題) 振爆 接近 インパクトがないというインパクト 形(フォーム)とデザイン 腕組みしながらの歩行 スティックシュガー 人気 つなぎ トゥルーライズ 出る 診察 見て見ぬふり 怪しい 再現VTR 回転の後に ペット 誰も見てない 意味 アフレコ やっほー 絵:しんご 似合う パターン 恋ですね コイン 動物系 偉そう 絶賛のあらし ものまね 魔王 毛 立場 添え物 急にスピン クールダウン 芝居 正解です 壁紙 かすれている 初めて知った 偽ビール インプット アウトプット 思考 疑惑 直方体 内へ 気持ちいい 耳 しわ 改行 廊下 ダイエット 天才 偏見 システム トラップ 色紙 新品 待ち時間 破壊 選択 名前と自由
―END―
「野球中継2」 今宵10時から放送するはずだったドラマが、野球中継が延長した。 一体何分押しなのかわからず、半を過ぎても始まりそうになかったので、おそらく11時からだろうと思い、その時間に録画予約して三洋堂へ行った。 帰ってきてから巻き戻してみると、頭の15分くらいが欠けていた。 45分押しとは思わなかった。 朝、テレビではどの局も時刻を表示させているが、それなら野球中継の影響でどれだけ押しているのか、というメッセージも表示させて欲しい。 たまに出るが、それでは困る。 ずっと表示させておいて欲しい。 え、Gコードにしたらいいって? 面倒です。 今のビデオには、番組名をインプットさせておけば、どんなに野球の延長が伸びても自動的に録画されるのだろう。 でも、そんな機能、うちのそれにはないのねーん。 では、電話で何分押しかがチェックできるようにするのはどうか? え、直接局に電話して聞けって? 面倒です。 ところで、時刻の表示なんて、どうせ各家庭には時計があって、移動中でも携帯電話があり、意味がないような気がするのだけど。
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ついしん 歯が痛いです。 なんとかならんかな。 歯並び悪すぎるのが原因か。 どうなる、僕の歯。
「『魔剣天翔/森博嗣』の感想」(紹介文より抜粋) ミステリとして意外性があったけど そもそもこの著者は 作品中に独特の哲学を展開する 今回も天才の哲学が流れていた その点も興味深かった それどころかこの作品は 哲学的な部分にこそ芯があり ミステリは添え物のような気がする
「還元されるもの」 夏は暑い 汗をかく 気持ちいい 夏はクーラー 汗がひく 気持ちいい 夏の夜は仄かに涼しい 蝉の音 気持ちいい
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それ(上記タイトル)が、ベッキーのあだ名だそうです。(昨日放映「笑う犬の・・・」参照) 確かに。
「Magical Box」 知らない人がいっぱいいる 次から次へと現れる なんだかみんな楽しそう なぜ僕はあちらに行けない?
「夢のつづき」 映画が好きな人にとって それを観ることは 夢の続きを見る行為に等しい
それが好きでない人にとって そんな行為は 虚しいことのように思うだろう
ただ その人たちは知らない 映画を観るということが
知っていたら 虚しいとは思わないはず
だが 知って欲しいとは思わない 映画を観ることは たとえば机で頬杖をつくかどうかに等しい 頬杖をつかない人に 頬杖をつくようには言えない 言う気もない
本当は思う なぜ観ない人は観ないのか、と 不思議に思う バカみたいな疑問だけど
夢のつづきを観られるなんて 人にしかできない贅沢だ いや 既にそれが当たり前のことに 成り下がっている
毎朝起きたらコップ一杯の水を飲むように 僕は気がついたら映画を観たくなる そして観る
そして 映画を観ない人のことも 映画を観ることが贅沢なことも すべて忘れ 当たり前のように映画を観る そう どんどん成り下がればいい 成り下がって成り下がって 次に起る事象を待てばいい
―END―
「夏の夜」 特に好きな季節ってない どの季節にしても1兆1反で 常に心地いいと思えることはない
ただ 夏の夜は例外だ
今ではクーラーの効いた部屋があって とても気持ちがいい でもそれは 太陽の照りつける中を歩いたあと クーラーの部屋に入った瞬間が頂点で その後急速に気持ち良さは逃げていく
そんな冷たい密室に閉じこもった僕らにとっては そちらがメインステージになりつつある 夏は暑い そんな常識も今では通用しない
そんな今の時代 環境を自在にコントロールでき 昔とは比較にならないほど 僕らは都合のいい空間に身を置いている
ただ 時折懐かしい記憶が蘇る それは夏の夜のこと そういえば日中は太陽が 過剰なまでに熱を地に這わせているんだっけ 今はもう夜だけど 少し太陽の匂いがまだ残っている 今まで冷たい密室にいたせいもあって 久しぶりに外へ出てみると温かい なぜか懐かしい そして心地よい あんなに嫌だった太陽なのに 今はもう名残惜しい そして太陽は 僕に夏の夜の夢を残して隠れてしまった
―END―
2003年08月02日(土) |
仲間由紀恵、貧乳キャラ確定! |
今日の「Stand UP!!」(第5話)、鈴木杏扮するキャラが、あそこ(御想像にお任せします)で、ああいう(御想像にお任せします)相づち打ったのがセンスあるなと思いました。 自分で打ってて、後でココ見たらわけわからんだろうなーと思います。
「裏切り」 裏切れば 今まで裏切れなかった何かを 知ることができる
「野球中継」 初めに宣言しておきます。 僕はプロ野球に興味がありません。 また、プロ野球ファンに喧嘩を売るつもりはありません。 そしてこの文章に関する意見、文句は一切受け付けませんのでご理解の程よろしくお願い致します。
なぜ、野球中継の放送は延長するのか? それを放送しない方が、球場に集まるファンも増えていいのではないか? とは言っても人気があるから、視聴率があるからそこまで放送するのだろう。 それでは、生放送はやめる、というのはどうか? わかりますよ、生の醍醐味ってのも。 でもね、それなら衛星で放送するか、球場で観るかにしてほしい。 多すぎるねん、野球中継。(何故か大阪弁) 『笑っていいとも!』や『Mステ』は生でも決まった放送時間内に終了するぞ! あと、なぜ映画は地上波で放送していて、芝居はほぼやらないのか? 意味が不明である。 野球中継を減らし、芝居を地上波で是非! なに、スポーツの方が健全だって? それなら観ずにやれってーの!! 観るための芝居を観る方がよっぽど健全だっちゅーの! おっと・・・少しばかり口調が乱れましたわ、オホホホホ(これも通常から比較すれば乱れている)
「虹」 虹になりたいと 人は言う
虹を晴れた空に見れば それが希望の象徴として 目に映るのだろう
だからといって 自分が虹になってしまえば もう希望を持つことはできない
だから 虹にはなりたくない
ただ 虹は 心の中にあればいい
「選択権」 お前に 選択権などない
お前に 勇気などない
その証拠に お前は自分の意志で 生まれてきたのではない
勇気のないお前に 選択権などない
悔しかったら 自分の意志で生まれてみろ
「真夜中のダンスパーティー」 夏は蝉の鳴く季節
蝉を怖いとは思わない だから蝉の鳴き声も怖くない
蝉のそれが聞こえたら 真夜中も揺れて踊り出す そして僕も皆もが踊り出す
ただ ダンスパーティーの会場に 意外な相手が潜む気配 永遠に その相手から逃れられない
そして僕は 踊るフリをする きっと皆も そうしている
だから 相手の見分けなどつかない それは 自分のせいではない 蝉の鳴き声のせいである
世の中ってのは 真夜中のダンスパーティーの会場に等しく 神は そこで奏でられる蝉の鳴き声に等しい
―END―
2003年08月01日(金) |
一連のメニュー盗難事件 |
「現在」 今までがすべて現在である という考え方をすれば 僕は何故だか楽になる
時が偉大な理由も わかる気がする
選択肢が増え 常に間違いは最善のものへ修正される
今までがすべて現在ならば 何も今に拘ることはない
「冷たい密室」 ちょっと温かすぎたね 今までの環境は
理屈抜きにボーっとするね まるでスポイトで脳が吸い取られていくように 変わりに丸められた新聞紙が詰められていったように だから僕の頭の中は新品のシューズのようなもの
何かこのままではいけないような気がしたり そうでもない気がしたり 本当のところがいまいちわからない わかる気がしない そもそもわかろうと思っていない
別に現実でなくてもいい だって現実でないものを 現実であるかのように感じられる僕らだから つまり役者の芝居は現実?と聞かれたら 僕は現実だと言うだろう 芝居が虚構の空間におけるものだって 誰が言いきれるだろうか? 彼らは芝居を現実にしているのである だから この世のすべてが現実でないかもしれないけれど この世のすべては現実
冷たい密室を創った それは自然に形成されたものではない 明らかに故意的なものである それが現実のものでなくてもいい それを現実だと僕は思える 冷たいと感じ 誰も入ってこられないこの空間 貴重だ 素適だ なによりも純粋で なににも代え難い そこで僕は頭を冷やす 鍵をかけ 1人になり 同時に複数になり 増えていく この僕が 適度な温度に合った 適度な複数の僕が
やがて 冷たい密室は壊れた 壊した? どちらでもいい 結局はなくなった 冷たい密室 外は明るく 温かい ちょっと冷たすぎた 今までの環境は 温かい 生きている 死んでいる わからない どちらでもいい そう思っている それが現実
どうやら昔 僕は虚しいという感情を持っていたようだ その証拠に 現実でないものと現実の区別を 意識していた事を覚えている 今でも現実という言葉を使っているし でもそれは思わず使ってしまっている程度で ほとんど無意識である 昔は現実でないものを差別し 現実を尊重していた 独自の方法で 現実を現実と見なしていた そして現実でないものに対して虚しさを覚えていた ということをおぼろげに思い出せる 何で虚しかったのだろう?
やはりここは温かい 温かい 前よりも温かく 心地よい なぜかホッとする 懐かしい気もする なぜだろう? 最近、なぜだろう?が口癖だ それにしても 何だか眠い 溶けるように眠い 次第に自分が1人になっていくような 孤独を覚える 眠りそうで 眠れない 気持ちが悪い そんな気持ち あぁ 眠りたい 眠りたい 心地よく 眠りたい 頭がボーッとしている 1人だ きっと 周りに皆がいるけれど 1人のような気がする ボーッとしていることだけが鮮明で それ以外はボーッとしている 眠りたい なぜ眠りたいのか? 何か原因があったように思うんだけど 思い出せない そして思い出せないことを思い出している
あぁ なぜか昔 この辺りに<冷たい>密室があったという そんなことを思い出した ただ なぜ思い出したのかはわからない きっと 理由などない
―END―
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