2003年01月31日(金) |
私が古典を選択した理由 |
今日は近代文学の最終講義。課題は永井荷風。 後期でずっと取り上げてきた『あめりか物語』をまとめたうえで、 来年から取り上げる『ふらんす物語』にも触れることとなった。 両作品は荷風が渡米・渡仏体験をベースに作り上げた物語。 ポイントはココで、あくまでも作られた物語であって、 決して荷風が赤裸々に日常を告白した類のもではないということ。 しかし、どうしても「この時の荷風は・・・」云々を 無視してしまうわけにもいかないので、面倒なのである。
その点、古典はわりと作品と作者の距離が大きい。 そもそも作者がはっきりしない作品が多いわけであるし、 近現代小説ほど人物の内面描写が細かくない。 当然、日記文学などで作者の立場を考えることもあるが、 それでもどっぷり作者の人間模様にひたるようなことはない。
私が古典を専攻した理由は、まさにこの点にある。 私はたとえば作者の生い立ち、執筆当時の現状等を 常に考慮に入れながら研究するという作業が苦手なのだ。 だって、どんなに考えても他人は他人。しかも、もう故人。 おまけに相手は文章のプロなのである。 真実のみを羅列するはずもなく、むしろ真実を探すほうが難しい。 それでも、近現代文学を研究する時には作者がはっきりするぶん、 作品の裏には作者の影がちらつかないことはないのである。
もちろん、作品は作品と割り切った研究法もある。 (むしろ、現在はそちらのほうが主流なのではなかろうか)。 さらに、別に作品と作者をリンクさせた研究法が悪いわけではない。 ただ、私が個人的に苦手なのである。本当に、ただそれだけ。 それでも、レポートは容赦なく課されるのであって、 今日の日記は要は愚痴の一言に尽きるのである。お粗末。
追記 M木女史のお土産、「ひよこ」をいただく。 均等に配った後、残り一個をめぐってのひよこじゃんけん。 勝者はT甫女史・・・悔しい!
2003年01月30日(木) |
いい加減にせぇやっ! |
1.ウィルス見参
ウィルスバスターにウィルスがひっかかった。 しかも、駆除できずにパソを侵略。 慌ててトレンドマイクロ社で対策を研究し、 一気に処理しておいた・・・とりあえず無事かな? ちょうどパスを初期化して最近だったこともあって、 ほとんどデータも入っておらず、大胆になれたことが勝因。 つか、本当にもうウィルスなんてなくなってくれ~。 おちおちネットもできません。 あのサイトを開設の方は気づいていないのだろうなぁ。 でも、たまたま踏み込んだ場所だったのでもう覚えていないし。 本人が一刻も早く気づくことを祈るのみ。
2.大雪大雪大雪・・・
私は大学まで片道一時間半かかる。それが標準。 なのに、今日は大雪でダイヤが乱れに乱れていたため、 なんと三時間半もかかってしまった・・・えぇぇ!? 10時半に家を出たはずなのに、大学につくともう14時。 これが最後のK越教授の講義でなければ、 これがK氏の演習発表でなければ、私は自主休校だったろうに。 本当にいい加減に落ち着いてほしい、この大雪。
でも、N尾女史はなんだかご機嫌。 ふかふかに積もった雪にダイブし、人型を作成していた。 やってみたい願望はあったけれど、やる勇気はなかった私達は、 彼女の勇気に大喜びし、吹雪の中を笑い続けていた。
2003年01月29日(水) |
「ハリー・ポッターと秘密の部屋」 |
今日はM木女史、T甫女史、N尾女史と映画鑑賞。 ようやくハリポタ第二弾を観ることができた。 カラオケを二時間半ほど楽しんでからいざ映画館に来ると、 この大雪の中わざわざ映画に来る人間もいないようで、 二十人未満の寂しい上映会となってしまった。
本日の一本: ・「ハリー・ポッターと秘密の部屋」
・・・やっぱり最高ですなぁ。 噂によれば原作をだいぶ割愛してあるのが気にかかるとか。 しかし、原作を読んだのが一年以上前とあっては 細かいエピソードは覚えておらず、じゅうぶん◎ あいかわらず文章だけでは想像しにくい魔法の数々を 見事に映像化してもらえており、ありがたいことである。 ただきつかったのは、ロンがナメクジ吐くシーン。 私の頭の中では原寸大のナメちゃんが大量に登場していた。 しかし、そこはさすが魔法王国・・・想像を超えていた。 つか、ロンよ。そこでリアルに演技するのはやめてくれ。 どうも変声期を迎えているようなロンが痛々しかったけれど。
それにしても、この大雪にはほとほと参った。 行きは駅まで歩いた挙句に30分待ち、 帰りも結局駅で40分待ち、帰宅が22時を回ってしまった。 明日も大学かぁ・・・行きたくねぇなぁ。
昨日に引き続き、必要なソフトをダウンロード中。 たまに妙な警告が出るのでびくびくしている。 だって、昨日直したばっかりなのに何かあったらどうすんの!? だんだんPC恐怖症になっていく自分が寂しい・・・
台湾人留学生がロト6で1万円をゲットしたということで、 運のおすそ分けにシュークリームをご馳走してくれた。 さっそく4コマ目が終了してから食べようとお茶を準備中、 T甫女史が指導教官に呼ばれて席を外してしまった。 なかなか戻ってこない彼女を待ちつづけることしばし、 帰ってきた彼女の腕には見慣れない紙袋があった。
「ごめん、仕事頼まれた・・・」
内容は簡単で、先生の一般教養の講義に出席している 1年生の出席状況を一覧表にまとめるというもの。 ただし、制限時間は30分・・・舐めてる。 シュークリームを横目にいそいそと作業に取り組む5人。 当然、時間内にノルマを仕上げましたとも。嗚呼、なんて優秀。 それにしても、どうしてウチの教授はM2に仕事を持ってくるかな。 もう卒業を間近に控えているうえに、どう贔屓目に見ても、 今のM1のほうが真面目なので作業も早いのに・・・ブチブチ。 K氏曰く、「頼みやすそうなキャラなんじゃねぇの?」と。 納得できたような、できないような・・・微妙だな。
髙村女史の『マークスの山』と久々に『活くら』を買って帰宅。
本日、パソ再セットアップ。 二回目だったのであるが、もう懲り懲りだわぁ。
本日の一作: ・『晴子情歌 上・下』(髙村薫/新潮社)
三日間かけて、ようやくこの大作を読み上げた。 髙村女子が初めて「女性」を書いたということで、 髙村愛読者としては非常に興味深かった作品であったのである。
第一感想はコレ→「能の構成だな、コレは」 一応の主人公である彰之は遠洋漁業の出る船の上で、 母から届けられた膨大な量の手紙を読み続ける。 物語は母が自らの生涯を綴った息子宛ての手紙の文面と、 それを読む彰之の側の日常とが交差するように進んでいく。 しかし、この物語の真の主人公は当然語り手である母・晴子。 能でたとえるならば、彼女がシテ。特に、前シテ。 現在の時間を生きる彰之は完全なる聞き手であって、ワキなのだ。 伴侶を失った時、晴子は突如自らの生涯を語り始めた。 その放出する感情の在り方は、前シテがワキに向かって、 自らの業を語りだす場面とどこかシンクロしているように感じる。
大正から昭和という時代を、一人の女性がどう生き抜いたのか。 力強く、真摯に生きた日本の女性像がまざまざと描かれている。 私達の世代がもはや昔話のように聞きかじってきた時代が、 膨大な量の言葉をもって、目の前に蘇るのである。 これまでとはガラリと視点や内容が変わったが、 さすが髙村女史、期待は裏切らないのだなぁとつくづく感心。
そうえいば、『マークスの山』待望の文庫化。 明日、大学で買ってこようかと思う。
昨日、今日と続いた院試終了。 一年間頑張ってきた中国人留学生をはじめ、 タイ人留学生、アメリカ人留学生もきっと大丈夫。 後輩ができてようやく私達も巣立てるのであるから、 皆には本当に頑張ってほしいなぁと素直に思う。
さらに本日、ようやくN尾女史が修論を提出。 彼女が終わるのを待っていたのである。 これでようやく大手を振るって遊べるわけだ。 しかし、昨日彼女に応援メルでもしようと思ったところ、 何度やっても繋がらなかったことを伝えると、 料金滞納で携帯が止められていることが分かった(爆) さっさと連絡取れるようにしておくれ。
夜、皆でオムライスを食べに行く。 N尾女史の終了記念も兼ねて行ったのであるが、 店のおばさんには「ファンの集いなの?」と訊かれる。 一瞬何のことかさっぱり分からなかったのであるが、 よくよく考えてみると、K氏とそのファン4人ということらしい。 確かに当たり前のように、男1人、女4人でつるんでいるが、 全然知らない人から見ると、不思議な集団なのかも。 K氏が非常に困った笑みを浮べていたことが印象的であった。 でも、ハヤシオムライスはハヤシが濃厚で美味。
帰りは皆に送ってもらう。 N尾女史は私の地元に来るのは初めてなはず。 いよいよ4人勢ぞろいで見送ってもらうハメになり、 ありがたいやら、恐縮するやら・・・ おかげさまで、「千と千尋の神隠し」を観れたわけで。
本日、私の大好きなバンドBUMP OF CHICKENが来る! 昨日その情報を仕入れた私はギリギリまで迷っていた。 どう転んでもバンプファンは若いであろう・・・ この年で年甲斐もなく交ざっていてもいいものか。 しかし、時間が経つにつれ、そんな葛藤は消え失せた。
今見逃したら、次にいつどこで見るのだ。
やや遅刻して公開ブースのあるスタジオに向かうと、 すでに小さなヒトダカリが出来ている。 天候の悪さと田舎という二つの条件により、 拍子抜けするほど少ない・・・余裕である(苦笑) 特にヒールの高いブーツを履いていた私は、 図々しくもぐいぐい食い込み、何とか居場所を確保した。 そして、ブースを覗くと・・・升君&増川君がっ。 藤君とちゃまはちょうど死角に入っているため見えないが、 とりあえずこの二人は見れる~~、感動~~~。 升君はずっと落書きをしており、増川君は何度も欠伸をしていた。 話している間中、曲がかかっている間中、全然落ち着かない。 それがまたリアルで、同じ空間を共有している感動を覚えた。
放送が終わり、控え室に移動する4人。 ここでようやくちゃまと藤君を拝見。 つか、ちゃま。可愛い! ちっさい! たまらんね。 一方、藤君はめっちゃ落ち着いていたので驚く。 でも、ちゃんと外にいる私達に手を振ってくれた。紳士だ。 4人は本当に仲良しさんらしく、控え室でもずっと固まっていた。 そういうところもまた魅力的である。 バンドは仲良しであってほしい。最低限の絶対条件。
嗚呼、本当に本当に行ってよかった。 これで4コマ目に一人で版本読まされたことも帳消しである。 あからさまなK越教授の嫌がらせにも耐えられるさ。 今度は是非ライブを見てみたいなぁ。マジで来てくれ!
なんだか胃が気持悪い・・・ 別にプレッシャーかかるようなことはないはずなのに。 過度に緊張したりすると、よく胃をやられるのであるが、 最近は結構治まっていたので油断していた。 眠れないほどではないが、寝づらいことは寝づらい。
本日の1枚: ・「君は僕の宝物」by.槙原敬之
なんだかとっても懐かしい1枚がどうしても聴きたくて、 ちょっと家探ししてしまった。 自分で所有している唯一のマッキー・アルバムである。 このアルバムの中にはかの有名な「遠く遠く」が入っており、 大学に入りたての時にはよく聴いていたものだ。 (別に遠くに来たわけではなかったが、要は気分である)。 でも、私がこのアルバムの中で密かに気に入っていたのは、 「三人」という1曲である。コレはイイ曲だ。
最近、「はちみつとクローバー」という漫画にはまっており、 その中の登場人物と妙にシンクロするので思い出した。 男二人と女一人(要はカップルと友人)の奇妙な共同生活は、 傍から見れば不思議であるが、非常に楽しそうで羨ましい。 ただし、私には絶対無理だ(断言できる)。 自分の性格があまり共同生活にはむかないことは、 中学生の頃から重々承知なので、羨望はあるが欲求はない。
久しぶりに聴くと、やっぱり染みた。 イイ曲はイイ曲だとあらためて実感する。
2003年01月21日(火) |
『スノウ・グッピー』 |
昼、きっと大学に揃っているであろう友人を思い、 家から携帯にメルを打った。「今から昼食べるわ」 即刻、K氏からの返事。「誰も来ねぇ」とさ。 なんて気の毒。でも、なんか笑える・・・
本日の一冊: ・『スノウ・グッピー』(五條瑛/光文社)
今度は自衛隊にまつわる話であった。 そして、主な舞台となった地はなんとも因縁深い・・・ こういう感覚は大都会で生活している人にしか味わえない、 どこか特権的なものだと思っていた。 聞き知った土地を小説の主人公が縦横無尽に駆け巡る。 それはなんとステキな空想だろうと溜息がこぼれる。
話の内容自体もたいそう面白かった。容量もちょうどいい。 話が中だるみしないし、意外性も詰まっている。 自衛隊問題はこれからますます活発になるであろう。 どれが理想的な形なのか、今の時点ではやはり分からない。 しかし、もう立ちどまっているわけにはいかなくなった。 何十年後かに振り返った時に、どれだけ変化を遂げているのか、 この国の将来が楽しみでもあるし、恐ろしくもある。
自分の夢をかなえるために自分の手を汚す事さえ厭わない。 夢の大小はどうあれ、手段の内容はどうあれ、 それだけのバイタリティがなければ、人生はつまらないのかも。
今日は三日ぶりの大学。 先週末は毎年恒例のセンター試験だったので、 大学に近寄ることさえしなかったのである。 で、実は木曜の帰りにカップ麺・・・と申しますか、 最近ちょっと流行のスープパスタを置いて行った。 本当は昼食にしようと思ったのが食べられなかったので、 月曜に食べようとわざと置いて行ったものである。
が、本日月曜日。 自分の机でいろいろと作業をしている間、 ふと自分の視界がやけにすっきりしていることに気付いた。 「・・・ないじゃん」 即座にパクられたのだと判断した。 なぜなら、年末にちょっとした盗難が流行ったからである。 その時はM木女史の雑炊がパクられたのであるが、 あの時の彼女の気持ちが今更ながらよく分かった。 怒りのやり場がないのである。 喚きたてるほど単価が高いものではないのであるが、 かといって、黙っているのも気分が悪い・・・ せめて書き置きの一つでも置いてけば許すのにね。 「飢えて死にそうなのでいただきました。すみません」とかさ。
結局、昼食はパンを買ったけれど、やっぱり気分悪いや。
今日はずーっと家にいた。 しかも自分の部屋ではなく、居間に。 普段は部屋に引篭って出てこない私であるだけに、 両親は訝しげな顔をしていた。たまにはそんな日もあるさ。
本日の一作: ・『夢の中の魚』(五條瑛/集英社)
『プラチナビーズ』『スノーアゲーツ』といった いわゆる鉱物シリーズの姉妹編とでもいうべき作品。 今回は韓国の工作員の物語である。
本筋の主人公である葉山が陰であるとすれば正反対に近い。 今回の主人公はもっと強かで計算高く、なによりも陽的性格を持つ。 そんな彼が自分とは逆に何物にも執着しない相棒とともに、 異国でどのように立ち振る舞うのかが描かれている。 祖国のために働けば働くほど、祖国から遠ざかる自分。 それでも祖国のためだと思うから頑張れるという矛盾。 「我が同胞」の一言に集約される韓国の強い絆が、 日本の裏側で着々と根を張っていくのである。 うむむ、迫力だな、コレは。
さらに、この作品はかなり面白い。スリリング。 読みやすいというのもあるし、「へぇ!」と感心する。 嗚呼、そうやって〈情報〉を集めるのか、使うのかと溜息。
あと、今日は「はちクロ③」を購入。 これもまた面白く、そこはかとなく切なく・・・最高★
一雨来る前にさっさと図書館に行っておこうと思い立つ。 しかし、借りようと思っていた本がなくてガッカリ。 しかも二巻だけある・・・嗚呼、ニクラシイ。 どうせなら両方なければ諦めもつくのにねぇ。
でも、別のお目当ての本はしっかりレンタル。
本日の一作: ・『幽霊刑事』(有栖川有栖/講談社)
いわゆる「アリスシリーズ」で大人気、アリスガワ氏の中編である。 私も学部生の頃に友人から借りてひととおり読んだ。 作家特有の軽めの文体は非常に読みやすいのであるが、 硬めの文章が好みの私にはやや物足りなかったのも事実である。 よって、私の本棚には一冊しか入っていない。
今回の小説は題名のとおり、主役は幽霊。 理由も分からないまま上司に殺されるハメになった神埼氏が、 幽霊となって、唯一彼の姿を見ることのできる後輩刑事とともに、 事件解決に向けて奮闘していく物語である。それが縦糸。 そこに横糸として、同僚であり結婚間近であった恋人が絡む。 面白いと思った点は主人公は幽霊なのに何も出来ないこと。 空腹はないし、飛べるし、壁もすり抜けられるけれど、 物理的な〈この世〉との接触は、何一つできない。 たとえば、本の頁を捲ることも、引出しを開けることも。 そのほうがリアルで(幽霊自体がリアルじゃないか)いいなぁ。 ミステリとしてよりも、お話として面白かったかな。
2003年01月16日(木) |
『詩歌の待ち伏せ』上 |
今日は修論提出後の初授業。 久々に読むこととなった近世の版本に少々てこずる。 こういうものはやはり慣れてナンボのものである。 いったんコツをつかめばスラスラ読めるのであるが、 ブランクを置くと咄嗟に浮かんでこない文字もいくつかある。 そんな中、翻刻本もミスし、教授も読めなかった部分を解読。 おおいに誉められ、非常に気分がよい(笑) ダテにココで歳を取っていたわけじゃないからね。
本日の一作: ・『詩歌の待ち伏せ』上(北村薫/文藝春秋)
やっぱりこの人は凄い人なのだと思った。 作家としてはもちろん、国語の教師として。 日常生活の中でふと目についた詩、情況に応じて思い出した詩を、 「コレは詩のほうが自分を待ち伏せしていたのだ」という感性を 私は羨望の眼差しをもって見つめるしかない。何とステキなのだろう。 しかも、この一冊の中には北村氏のすでに他界されたご両親への愛が 本当にこれでもか、これでもかとめいいっぱい詰まっているのである。 特に、石垣りん「悲しみ」の項は、胸に迫るものがある。 私は電車の中でこの本を読み進めていたのであるが、 この項を読んでいる間は涙を堪えるのに必死であった。
悲しみ 石垣りん
私は六十五歳です。
このあいだ転んで 右の手首を骨折しました。
なおっても元のようにはならない と病院で言われ 腕をさすって泣きました。 お父さんお母さんごめんなさい。
二人とも、とっくに死んでいませんが 二人にもらった身体です。 今も私は子供です。
おばあさんではありません。
これから年を重ねていくにつれ、いっそう胸に染みるに違いない。 北村氏がふと耳に留め、心に留めておいたこの詩は、 今また、私の心の奥にそっと息づき、未来の私を待ち伏せている。
2003年01月15日(水) |
『スリー・アゲーツ』 |
夕方のお天気番組。 「明日の朝は今朝に引き続き、依然冷え込むようですが、 午後は元気よく気温が上がって、全国的に今日よりも温かな・・・」 キャスターの溌剌とした声に、ふっと読書の手が止まった。 「元気よく気温が上がる」、はてそんな言い回しがあるのかいな? 初めて耳にしたが、とても分かり易い表現ではある。
本日の一作: ・『スリー・アゲーツ』(五條瑛/集英社)
昨日に引き続き、五條作品続編を読破。 今回のキーワードは〈家族〉である。 逞しい家長、献身的な妻、そして元気な子供達で構成された家庭。 お互いがお互いを思いやり、お互いのために励む家族。 本来当たり前とされる家族の形は国や民族を超えるものだと、 この作品では一貫として主張されているのではないか。
何のために危険を冒してまで、任務を遂行するのか。 最後の最後まで家族のために自らを捧げた父親の生き様に、 深く頭を垂れるしかないような思いが込み上げる。 だからといって犯罪が許されるわけではないのであるが、 それぞれに背負った宿命の重さと言うものが確かにある。
ラスト、少しだけ泣いた。
2003年01月14日(火) |
『プラチナ・ビーズ』 |
大学へ行こうかと思いつつ、だるいので取りやめ。 ずっと部屋にこもって本を読んでいた。 信じられないぐらい余裕のある生活である。 こんな日がずっと続くものだと錯覚しないように気を付けねば。
本日の一作 ・『プラチナ・ビーズ』(五條瑛/集英社)
巷でなにかと話題になっていた一作を読む。 キーワードは〈情報〉とでも呼ぶべきであろうか。 人から人へと流れる情報を一手段として用いながら、 国交の裏側、世間の裏側を赤裸々に描く。 髙村薫好きにこの作家のファンが多いのも納得である。 とにかく細かい。描写が詳細なのである。 そして、もう一つのキーワードが〈北朝鮮〉。 現在、さまざまなマスコミで耳にしない日がないこの国と、 日本を含むアジア、そして、アメリカ合衆国。
この本を読んでいると、日本はなんとマヌケな国かと思う。 もちろん全てが事実ではないと分かってはいながらも、 良い意味でも、悪い意味でも、私達はおマヌケさんである。 否定はできない。現実は時として小説より奇なのだから。
私達は日本を母国だと理解してはいるけれど、 祖国としての日本を実感して生きてはいない。 それを実感する必要性が日常生活の中ではないからだろう。 しかし、祖国を失った人間も確かに存在しているし、 失った祖国を何よりも乞い求めている人間も存在するのだ。
秀逸なのはタイトル。 このタイトルの意味を最後の最後で知った時、 私は〈ある物〉の見方が完全に変わった。
2003年01月12日(日) |
やっぱり気持がいいもんだ。 |
昨日、まるまる一日を使って部屋の大掃除をした。 大晦日でさえ掃除の「そ」の字もしなかったために、 悲惨な情況になっていたのである・・・ はっきり言って、人の住む場所ではない。
ということで、床に散乱しているあらゆる物を 本来あるべき場所に戻すところから始まり、 普段は見ることもないベッドの下に至るまで大掃除。 掃除すれば掃除するほど、こんな場所にいたのかと愕然した。 特別清潔好きというわけではないが、汚いのも好きではない。
現在はほぼ片付いた部屋で生活できる。快感である。 とはいえ、毎日ココで生活という行為を営む限り、 ホテルじゃあるまいし、完璧な部屋などありえない。 親に言わせれば、「オマエの部屋は本当に変わったのか」らしいが、 掃除といっても、物を捨てるわけじゃあるまいし、 あるべき場所に納めるわけだから、根本的には変わるまい。
今日はM田女史の家にお泊まりである。 クリスマスもそう言って遊んでいたのであるが、 今度は私の修論完成を打ち上げてくれるらしい。 喜んで、招待に甘んじることにした。 まだ観たことがないというので、ハリポタDVD持参で。
本日11:30をもって、修論は私の手元から離れた。 まるで娘を嫁に出す気分である。 ふつつかな論文ですが、どうかよろしくお願いします>教授
その後、久々に揃ったM2五人で昼食を食べに行く。 お蕎麦屋で、蕎麦とカツ丼のセットを頼んだ。 何を話しても面白い。 修論が終わったこともそう。 5人揃ったこともそう。 何もかもが楽しい。
その後、K氏とM木女史とカラオケへ。 4時間ほどを三人で熱唱。 途中で疲れて帰るのかと思いきや、 結局フリータイム終了20:00ギリギリまで粘る。
さらに、その後、卒論が仕上がっている後輩K口氏を呼び、 4人でファミレスに夕飯を食べに行く。 論文制作中の苦労話も全て笑い話である。 この幸せをどうかみしめればよいのだろうか。
結局、終電を逃し、自宅まで送っていただく。 一緒に着いてきてくれた後輩君、 新駅におおいに感動してくれた模様。 満足、満足。
全て満足、嗚呼、生涯最良の一日よ。
終わりました。 もう日付変わってますが、
平成15年1月9日(木)23:53 40字×40行設定、113枚 原稿用紙換算枚数・・・約430枚相当
これが私の大学院生としての二年間です。 はじめは200枚超えればいいなぁと思っていましたが、 終わってみたら倍以上、1.5cmもの厚みがあります。 自分の生涯において、こんな量の文章をまとめて書くこと、 もう絶対にないのでしょうね。
明日(今日)、提出してしまえば終わりです。 そうしたら、たくさん本を読もうと思います。 映画も観たいし、美容院にも行きたい。 やめとこうかと思っていたバーゲンにも ちょっと顔を出したい気分です。 他人に比べれば、結構遊んでいたつもりなのですが、 それでもかなり我慢していたんだなぁと今は思います。
終わった・・・とパソの前で思った。 最終章、―了―の一文字をようやく打てた。 もっと感慨深いものかと思ったのに、意外とあっさり。 そりゃそうだ。 まだ更正が残っているし、註も完璧じゃない。 序章・終章も一応付けないと締まりが悪いし、 そもそも表紙さえできていない。
でも、ようやくココまできた。 後もう少し。
全てが完成した暁には、涙の一粒も流そうじゃないの。
2003年01月06日(月) |
初デビット>大出費だよ、全く。 |
今日は2日になくした左眼コンタクトを作りに外出。 コレ作ったの去年の五月なのだがね・・・とぼやいても、 なくしてしまったものは仕方がない。戻ってこない。 もう飲み会には眼鏡で参加しようかしら、とほほ。
目医者に行って事情をアレコレ話すと、 「うーん、右眼ももうやばいよ」と渋い顔をされた。 ハードの寿命は2~3年。私のレンズは2年半。 そういえば最近やたらゴロゴロすることが多かったなと思い、 もういっそ両眼作り直してしまうことにした。
今はハードも革命的。 ハードのくせに、たわむ素材でできているものもあるらしい。 ハードとソフトの中間というべきか。 傷つきにくく酸素透過性も高い、といえば値段も高い。 今私が使っているタイプよりもさらに諭吉1枚分アップするという。 ちきしょう、いいなぁ。社会人になったら買ってやる。
ということで、私は今のタイプと同じ物で作り換えた。 が、まさか両眼を作り直すハメになるとは思ってもいなかったため、 お値段を告げられたところ・・・200円不足が判明。 えー、格好悪い、どうすべ、どうすべと焦っていると、 「当店ではデビッドカードサービスを行なっておりますので」 とにこやかに告げられた。え、デビット? あのデビットか! ニュースなどでは何度も見ていたが、実物を見るのは初めて。 世の中、便利になりましたね、ホント。 でも、いまだ現金主義の私としてはドキドキであった。 やっぱりダメだ、肌に合わないこのテのシステム。
つうことで、コンタクトリニューアルで視界がクリアなのだが、 もう10日の提出日まで外出する予定もないのでなんだかなぁ。 しかも、財布があっという間に淋しくなったために、 バーゲンの文字を見るだけで泣けてくる。もう行けないや。
吹雪の中、弟帰省。 一方、私はもう完成間近の論文をいまだ引き摺っている。 さっさと終わらせてしまえばいいものを。
今日も年賀状が2枚きた。 1枚は教授からのお返事、もう1枚は・・・幼馴染じゃん。 とはいえ、彼は小学校6年生の途中で引越して、 それから何度か手紙を交換していたのだけれど、 お互いが大学進学を決めたあたりでパタリと音信不通になった。 だから、もう6年ぶりですか。
あいかわらずヒョロヒョロとした文字で、 今年の4月からいわゆる学園都市の大学院生になると書いてある。 ・・・は? マジで? 確か、教育方面を専攻していたはずであったが、 まさかまさかの展開に思わず葉書を凝視。 別に私が院生だってことを知っているわけでもなさそうだが。 類は友を呼ぶというか、なんというか。 まだまだ世の中への浸透率が低い大学院生であるが、 私の周りはまたちょっと人口密度が上がった気分。
とりあえずアドレスがあったので、メルしておいた。 近況を書いた返事がくるのを、今は心待ちにしよう。
結局、昨日一日は二日酔いで潰れていたのであるが、 さすがに今日気張らねばやばいでしょってことで、 今日は一日中パソの前に陣取っていた。 どうせ外は吹雪いているのでどうしようもないし。
でも、今日でようやく第4章完成ーー。 めっちゃ嬉しいーーー。 これで一応10日には間に合いますがな。 あとは第5章のまとめ章を書き、 目次(コレは完成)、凡例、文献一覧(コレが厄介)を 一気にがばっと仕上げてしまえば、終了。 頑張れ、頑張れ、私よ。
現時点で結局400枚、超えました。 本当はもっと減らせるはずなのであるが、 今から減らすことすらちょっと面倒・・・もういいや。 N村教授、すんません。 やる気だけ買ってください、今のところ。
昨夜、テレビを観ていたところに1本の電話。 なんと高校時代の吹奏楽部の同窓会もどきが。 一瞬、躊躇したが結局は行くことにした。 (ほぼスッピン・・・またかよっ)
自分の同期はたったの二人。 でも、その二人は実はかなり因縁のある二人で、 半ば喧嘩別れのようになっていた二人だったのである。 今回、参加しようと思ったのはこの二人に会うためだ。
お酒の力というのはすごいもので、難なく再会。 シラフだったら絶対顔を合わせることさえ避けたかも。 でも、ちゃんとかつてのことを謝って仲直りもできた。 むしろ、高校時代だったら想像できないぐらい 打ち解けて話すことができたことが嬉しい。 ちなみに、この二人はそれぞれのミュージックシーンで夢を追っている。 (それぞれ、まぁかなり有名になってるんですがね) 一応、ウチの高校も進学校だったのであるが。 おまけに、二人ともめちゃくちゃイイ大学出てるし。 でも、そういうところで冒険できる格好いいヤツラなのだ。 チキショッ、負けるかって思った新年の誓い。
ただ、今日は二日酔いがひどかった・・・ 結局、同期三人だけが最後まで残るハメになったのであるが、 (一人始電待ちするので、付き合ってやったわけ) 酔い覚ますことなくビール飲んだのが決め手かなぁ。 でも、5:30に十字路の真ん中に座り込んで、缶珈琲飲んだこと、 絶対忘れないな。すごくバカバカしかったけど、楽しかったから。 マイナス2℃だったのにね。馬鹿だなぁ、ホント。
2003年01月01日(水) |
御来光を拝むということ |
新年を大学で迎えた私はそのまま初日の出まで頑張る。 (いや、終電がとっくになくなっていたので否応が無く) 結局、帰る手段があるK氏さえも引き止め、 最終的には後輩K口氏も巻き込んで、三人で初日の出を待った。
予想では7:05が初日の出らしいが、どうにも暗い。 10分過ぎから外で待っていたが、とにかく寒い。 でも、もはや後戻りができない我々はひたすら震えながら、 太陽が山際から昇ってくるのを待ち続けた。
うっすらと明るくなる蒼白い空と清浄な朝の空気、 下から照り付けられ、黄金色の染まって行く雲。 早朝の神秘を体験したうえに、太陽が昇った時の神々しさといったら! ちょっと明るくなるたびに「あれか、あれか」と迷ったが、 本物の太陽の眩しさはハンパなく、目を刺してくる。 しかも、本当に太陽は丸いのだ(当たり前)。
7:57、御来光。
思わず手を合わせてしまったのも致し方ない。 K氏が「さすが神様になるだけあるね」と言うのも頷ける。 天岩戸神話の天照大神のように、なかなか出てこないところもそう。 とにかく圧倒されっぱなしの新年の真の幕開けであった。 今年もイイ一年になりそうだなと仄かな予感が芽生えた一瞬。
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