鵰日記
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自分や人を大切にするのは本当に難しいことだ。
わけもわからず突然責められて身や心がちじこまること。ちゃんと人や自分を助けてあげられないこと。言い訳も言えないこと。わけのわからない相手に当たってしまうこと。
昔一緒に銭湯に行った女の子を思い出した。
意、情、知、
子供は宇宙についての話というのの講演を聴きに行った。私も行く予定だったが 行かなかった。子供はロケットに乗って無重力を体験したいと思ったけど、そうは 思いたくないところもあった。だってロケットに長い事乗るためには、一日2時間 くらい運動しなくちゃいけないんだって。子供のくせにおじさんみたいだなと 思うが、親がそうだから子供もそうなんだろうな。
2002年11月29日(金) |
大豆カレー@私的忍たま論 |
大豆カレーというのを作りました。大豆の水煮とかトマトの缶詰とかカボチャ、ナス、玉葱、ニンジン、ほうれん草、リンゴなどが入っています。ひき肉を入れましたが。お料理の本にはベーコンを入れるようになっていました。
このところはずっと鍋料理でした。
子供の担任の先生にパソコンで楽しく漢字を覚えられるようにという話をパパさんに伝えたら、また子供用の画面を作ってくれた。
でも、私の画面も変わっていて、メールなどもみんな消えてしまっている。
インターネットはできるけど。
中学の同窓会のお知らせがきました。
中学の頃ってどんなだったかな。懐かしいと言えば勿論懐かしく思い出されるが。 恥ずかしきことのみ多かりきという感。
パパさんが、着ていける洋服買いなさいよ、と言う。
しかし結婚してもいつまでも変わらず若々しくてスタイルのいい人はあるもので、 あれは何だろう?プライドを保ち続けているということかしら?私は即断即決の 人ですから、と語れるところがまずすごいと思うし、自分のウエディングドレス を自分でデザインして縫ってしまうのもすごいと私などは感心するばかりだ。 あ、これは義姉のことだ。
そこで、嘘でも、もし人に対して、この優柔不断な私が(でも結婚は特に迷ったり しなかった)、あたくしは即断即決の人ですから、と断言してしまったらどうだろう?
人が何と思おうと思い込みだ。と思うが、私は即断即決の人か?そういう時も あったと思うがな。
例えば夕飯の買い物でも大掃除でも、これとこれとこれでこうでしょ?これはこうだからこうでこうでこうでこう。あら、私って天才主婦!という気分になれることだってあるのだ。
素晴らしい人はいろいろあるけれど、私は本当にこれだけの人なのだろうか?
自分をこれだけのものだと言ってしまえば、それで終わりだ。
でもそうは思いたくないと思う。
時のたつのが本当に早いです。もうすぐ年の瀬なんだ。
したいことができないと思わない。
心配しない。
とはいうものの。
触手を伸ばして。うーん、つい比喩が自分を小さくしてしまう。
大きくなりたい。のびのびと生きたいなあ。
私には合理的でない部分が沢山ある。
例えば最初に使っていたプロバイダーのブラウザーがなくても、行きたいところに 行こうと思えば他のでもインターネットで行けるのだということをわかっているようでわかっていなかった。メールが消えていたりすることはないのだ。自分が削除しなければ。
元気になりたい。
助かりたいなあ。
子供はまた忍たま乱太郎のアニメに夢中になっている。私だって以前はアニメに 夢中になっていたんだ。忍たまだって見るとけっこう面白かったぞ。
それで忍たま乱太郎というのを検索してみると、私的忍たま論というのがあって、 うちの子もこのくらいのHP作れたら楽しいななんて思う。
で、私だってよ、もうちょっと整理されたHP作れたらいいのにな。頭の中も胸の中ももらもらなの。こういうのって苦しいのよね。結構。
忍たま乱太郎のエンディングの歌がなかなか素敵だ。息子もウイーン少年合唱団的な天使の歌声(?)で口ずさんでいた。
2002年11月28日(木) |
ヨーロッパのクラシック音楽 |
ドヴュッシーの月の光、アルハンブラの思い出、シューベルトのアヴェマリアなどが懐かしくていいと思った。
三輪明弘さんって書いてしまったけれど、確かに美輪明弘さんでも検索できる。 間違っていたら、ごめんなさい。
そうよね。美輪明弘さんって美を追求してらっしゃる方のようにも見えるし。 ってもともとが美形だったからそう見えるのかしら?
でも、落ち着いて考えてみると、美輪明弘さんは美形タイプだから真剣なお話が お似合いだけれど、私は違うから、やっぱりお多福さんのように笑っているほうが いいかもしれないな、と思ったけれども、笑えない時は笑えません。わけもなくにやにや笑っているのも気持ちが悪いような気がします。
天才柳沢教授の生活というのはけっこう楽しく笑えました。
しかし、本当に弱っています。私はどうして入院しないのでしょう。家にいるほうがいいんでしょう。
個人面談に行きました。
私の母は私の内気な様子を心配して本を読むよりも外で友達と遊びなさいと言ったことがあったけれども、だからといって、母が読書を軽視していたと考える必要はない。例えそうだったとしても、私が読書を軽視する必要はない。それが母に反するように感じる必要はない。
私は読書家と言うほど沢山読書し尽くしたとは言えないと思う。もっと読んでもいいと思う。もっと楽しく読書して、自由に自分の感じたことを感じればいいと思う。
世界うるるん探訪記だったか、テレビ番組で、中国のヤオ族の女性が夫や夫の家族に尽くすことは女の幸せだと語っていたけれども、これはヤオ族に限ったことでは なくて、人に尽くすことを喜びとするような生き方というのは、どこでも通用する 尊敬せざるを得ない最高の幸せだと思う。
人のためになることが自分のため。ただ、何が人のためになるか何でも人のためになるかもしれないし、何でも自分のためになるとも考えられる。
ふと、般若心経の、けいげなく、くふあることなし、という言葉があったか、思い出された。
チャットで二十歳くらいのフリーターだという女の子とけっこう二人だけで長い事 話し込んでしまったのが、とても楽しかった。いい人に出会ったという気がする。 お互いけっこう落ち込んでいたところだったかもしれないけれど、なんだかビタミン剤を飲ませてもらったみたいだった。
しかし相変わらず日曜日の晩はパパさんにご飯作って頂いてしまった。ちんじゃおろーすー美味しかったです。これじゃヤオ族には嫁にいけないか。って私はもう既婚者だっていうの。きな粉餅も好き。
ところで、個人面談っていつだろう。確認事項が沢山。
今日も一日真っ暗だった。子供と一緒に眠ったが、でも、何とか起きて、玄米入りのご飯を炊いた。楽な生活とは思えないけど。笑い話に時が変えるか。みんな幸せになりますようにと願う。
こうなったら、やっぱり自己暗示だな。私は元気。私は幸せ。私にもできる。欝でも構わない。
新聞の中に瀬戸内寂聴さんの講話とかが書いてあって、少し読んでみたら腹が立ってしまった。
三輪明弘さんが肺炎で寝込んだ時に看病してくれた人の作った目玉焼きが美味しくて3杯もご飯をおかわりしたという話のほうが素直に聞けたけど、
見にきてよ見にきてよ、と子供が言うので、水泳を見に行った。
老いては子に従うという感じだった。
見にきて欲しいというのは、少し自信が出てきたのだなと思う。
何ヶ月か、続けてきて、ほんの一つ級が上がる。上達というのは、 この上に、果てしない段階があるんだなあと思うが、子供がただ 一心に、上達したいと思って自分から通っているのだから、続けさせて やりたいと思う。
苦しい苦しい苦しい、それしかなくなってしまうから、とにかく鎮痛剤を、と 母は頼んでいたらしい。
苦しい。
しかし、他に方法はないのだろうか。
自由でいいじゃないかと旦那さんは言ったけど、何が自由なのだろう。
どうして生きているのだろう。
ふざけたい。
愛する人を驚かせるために、後ろから目隠ししてみたり。
だーれだ?とか言って。
高いところに登って喜んでみたり。何やってるんだって呆れられたい。
出会った頃のように。
自然に。
大事にしすぎないで。
元気になりたい。
もう一人子供生みたかったな。いつもがっかりする。
子供は、妹がいいな、と言ったことがある。とっても嬉しかった。 一瞬私の味方のような気がした。
その前に、主人は、ふざけるな、と言っていました。
私はまったくふざけていませんでした。
どうして主人はふざけるなと言ったのでしょうか。
ところで、肥満をマックのせいだと本気で言えるとは。
疲れているなあ。目が疲れる。
夢を見ました。娘とか、娘の父親とか、どれから学生時代の友達とか夢の中に 出てきました。夢と現実とは違うんですよね。
こんこんと湧き出る無限の泉でありたい。
乾いた喉を潤す人、乾いた心を潤すもの。
おかあさんはやっぱりだめだ、と言うと、旦那さんは、誰も駄目だなんて言ってないと言いました。でも言ったことあるよ、旦那さん私に、本当にだめなんだね、って。 何がだめだと思ったのか、尋ねてみたかったけど、もう彼は覚えていない。
だからみんな忘れて、さて、どうしよう。
子供は、お天道様の明るさを地に撒くひとになりたい、と。
おかあさんはお花を咲かせる人になりたいかな、と子供に私は言いました。
私は土になるのかな。泥のように眠っても。
シンプルでありたい。
楽しく生きたい。
それにしてもひどいなあ。
そうだ。嬉しかったことを書こう。子供の水泳が昇級したこと。
ゆうべ夜中にはっと目がさめて、とても心細かった。死にたくない。 お化けの夢を見たというわけでもないのに。 子供の向こう側に寝ている主人を呼んだ。私の隣にきてくれた。 お父さん、怖いよ、と言って手にしがみついていた。何もわからず 眠っている彼を藁のようにして。溺れるものは藁をもつかむ。
何が怖いの?どうして死ぬと思うの?人は永遠の命に帰るんだって。 だから怖くないよ。
生まれる時も死ぬ時も一人だと聞いた事がある。
娘が生まれる時私は一人で怒っていた。
息子が生まれる時、私は、頑張ろうね、とお腹に向かって呼びかけていた。 息子に向かって。
私の母も子供が生まれる時怒っていたらしい。それが恥ずかしくて次兄や 私の時は、お産婆さんに家まできて頂いたのかな。
頑張ってどうするんだろう。
お父さんは怖くないの?知らないお兄さんだったのに。
あなたには生きている人も死んでいる人もみんな宇宙の中なんだなという人が あった。でも、死んだ人を呼んでも死んだ人は私に何も答えてくれないよ。でも 助けを求めてしまうんだ。無意識に声を出して呼んでしまう。
生きている人がまわりにいるのに、私は亡くなった母を呼んでしまうので、 主人が私に、お父さんって呼んでよ、と言ったことがある。
それで、ゆうべは、主人を呼んだの。蓑虫のような寝袋に寝ていた主人の 手は冷たくはなかった。こんな妻ではなあ。ん?なに?こんな妻もあり。
亡くなった母の体はもう温かくはなかったな。
かぐや姫というバンドのアルバムがあって、多分兄が持っていたのだと思うが、神田川という歌があったのを思い出した。
明日からは、食事日記にでもしようか。それとも、音楽日記。それとも、子育て日記。それとも、闘病日記。それとも、ガーデニング日記とか。
闘病日記はパス。病気と闘う気なし。孤独と闘う気もないし。子供と闘う気もないし。
家事をやっつける?ええい!にっくき家事め、どうしてくれよう。。。。って。
家事のエキスパートになる?それとも、プロの料理人になる?
そうだ。ウォーキングはどうなったの?英語のテストは?
夫婦仲も親子仲も悪くないけど、片目が真っ赤。
パパさんが作ってくれたおにぎりなどを食べる。
昔おばあちゃんが転勤先に遊びにきた。水前寺公園。菊地温泉。とっても楽しかった。 でも夜台風がきて、お父さんもお兄ちゃんたちも屋根の上で奮闘。おばあちゃんは お腹が痛くなってうなっていると、お母さんもおばさんも大袈裟なんだから、と 笑っていた。そうしたら、胆石だったと後で知った。
宇宙に比べたらこの銀河系も存在がないみたいなものだね、人間なんて点にもならないね、と息子は言う。宇宙は何メートルか知ってる?無限メートル。と言う。
帰命じんじっぽうむげこうにょらい、とか、ふかしぎこうにょらいとか、無量寿っていうのは、寿命が無量なの?智恵の光は無限大?
無限という言葉には惹かれるが。自分の分限をわきまえることの大切さ、とかいう話もあった。限界ってあるのかな。夜中にまた頭にきた。限界だって?
自分の限界への挑戦?
パパは2分間くらい息を止めていられる人があるって言ってたよ、でも、僕は 18秒くらい、と言う。子供にそう言われて息をとめてみると、30秒だ。
信頼。安心。明朗。
元気になりたい。楽しく生きたい。
ふと、私の言葉はつい文章の勢いで、実際の記憶とちょっと違っていることがある、と反省。
例えば。
=ご本人は俺は鬼瓦だとか肥満なのが自然なのだとか言っているのにつきあっていたら私も肥満の鬼瓦になっちゃった=
そうとう勝手な言い草だ。ともかく。
前の亭主の実際の言葉は、俺はこのくらいの体重の方が体調はいいんだ、だったと 思うんだけど、また何をいまさら牛のように反芻しているのだろう。
偽証ってほどのことでもないし、個人情報の流出ってほどでもないんじゃないかな。本名もニックネームも出してないよね。
それはそれとして。
ゆうべはパパさんがいつもより格段に早く帰ってきたので嬉しかった。たまには早く帰ってもいいと思って、とテレながら(?)言う。従姉妹の@@ちゃんのご主人は7時半頃帰ってみえるらしいことをうわさしたからかな?それだったら、嬉しそうな顔もっとすればいいのに。豚汁を食べながら、さといもが入っていたら、昔芋煮会というのがあって、それはさといもだった、ふうん?さつまいもじゃなくて? とかいう会話で、私がイメージするものは実際の場面と本人の話とはずれているだろうけど、とにかく、うちの旦那さんはさといもを喜んで食べたのであり、今日のところはこれでバン万歳ということに。
ため息ついてないで。
ええい!今日は髪を切る。
美容師さんにお任せと言って多少カット。再会した時の娘と同じような髪型に なる。軽くなったでしょ?という美容師さんの笑顔を否定せず。
私って女として最低なんだって。次兄が言ってた。自慢の妹だったんだぞ、と 長兄が言ったのを思い出す。そんなことは知らなかった。
ニュージーランド産のキングサーモンをタルタルソースでと思って買う。先日は チリ産の甘鮭を買ったら、それにはタルタルソースはかけないのだそうだ。
私そんなに鮭が好きだった?子供の頃に言われたのはたらこ娘に豆男。車で住宅地の中までたらこや金時豆なんかを売りにくるおじさんがあって、そのおじさんが、 たらこの好きな私をたらこ娘を呼んだのだ。豆男というのは長兄のことだったと 思うのだ。
結婚するまでたいのこの煮付けって知らなかったかも。
どうすればよかったのかわからない。
子供と一緒にお風呂に入った主人が、ゆうべ、息子の事を、詩人だね、と言いました。え、詩人?
=私と小鳥と鈴=という金子みすずさんの詩が小学校の国語の教科書に載っているのですが、子供はそれをお友達と一緒に発表会で朗読しました。それを聴きに行ったのは私だけでパパさんは行っていないけれど。その詩を読んで、感じるものがあるんだって、感じやすいんだな、俺は子供の頃詩なんかわからなかったな、と主人は申します。私もそれほど詩がわかるというタイプではなかったです。
私も彼に負けず劣らず親ばかですから、え?駄目だよ、私の子が詩人になんかなっちゃ、John Keatsっていう詩人だってまだ20代のうちに。。ま、でも、詩人がみんな金子みすずさんみたいに早死にってわけでもないからな。。などとぶつぶつ独り言。若き詩人キーツの肖像画などもけっこうかっこいいと思うのですが、うちの息子の容姿が全然血のつながりのない昔の亭主の高校時代の風貌に似ている(アイスクリームを舐めている姿が不二家のぺこちゃんの兄貴みたい。ご本人は俺は鬼瓦だとか肥満なのが自然なのだとか言っているのにつきあっていたら私も肥満の鬼瓦になっちゃった)ような気がして気の毒になったりする私の連想は一体なんだ。 なんとかしなくちゃ。
それにしても不思議なのは、朝目覚めた時に爽やかで自ら今日も一日頑張ろう!という気持ちの人もあるとしたら、それは今の私には大変な不思議だ。とにかくちゃんと夜早く寝て早く目覚めても、私は朝目覚めの時この世の理不尽にこの上なく気が重くてやるせなくて苦しくて、今朝など早々とPCの画面の前に座っている主人の前に土下座して、お父さん頼むよ~頼むよ~などとうめく私は見苦しいこと極まりないと思うが、主人は仕方ないなきっと不調なんだろうと思ってまた5分10分ほど寝床に戻ってくれると、私はびっとりと主人にくっついたまま世迷いごとをぐだぐだと言う。離婚なんていう話を子供に言うのはやめてよ、心配するから、と主人は言う。しかし私は冗談で言っているわけではない。親元を離れて東京砂漠で20年足らず頑張って、そのうちの半分私が現れたのは10年足らずなのだが、いつのまにか割れ鍋に閉じ蓋となってしまったのだったら、いつか訪れる別れの辛さなど 想わず、ただ今に彼に尽くさなければ。
またしてもバッファリンを2錠飲んで少し楽になるがほとんど何もしていない。 でも今の私はどうもここにはまってしまう。自分の気持ちを吐き出したい。それだけか?
世の中には経済的にも精神的にも自立した存在など有り得ない、どんな形であれ共存しているのだから、ただ私は主人の仏心にすがっているだけだ、精神的な自由とは何か、精神的な自立とは何か、自分が隷属した存在だなどと思い浮かべるのはやめて、ただ自分にできることを自由に喜んでせよ。と私自身に向かって今語る。
で、夕飯の買い物と、主人がわざわざ電話してきたシャンプーとを買いに行く。
主人がハリーポッターみたいな先生だね、と評した精神科の医師の診察の予約を キャンセルした。昨日は主人が一緒に行ってくれると言ったのだけれど。
自分のことを大丈夫だと言ったり駄目だと言ったり左右に気がふれる。ため息が 出る。不調な事は不調だが、死ぬほどじゃない。 それにしても煙草を断って5ヶ月。なにかよくなったことはある?人並みの生活 って無理なの?ううん、これが最高なの。だっていい方が私のこと素敵な人だって おっしゃってくださったから。そのまま素直に受け取って。 いいことばは受け入れて。 気に入らない言葉は忘れて。
久しぶりに中村もんど(うーん、漢字はなんだっけ?)の仕事人を見た。目黒祐樹 さんだったかが、将軍の弟で乱暴非道な男の役。どんなに金を積まれても、相手が悪いと仕事を断っていたもんどが、とうとう意を決して松平なにがしかをやりに行くと、いい人に会った、俺を殺してくれる人、葵の紋に逆らうもの、と言ってその強そうだった男は母を想いつつ死ぬ。生みの母親は、母親であることを忘れろと言われた、どのようなお仕置きを受けようと構わぬ、と数珠を握り締めていたが、間際になって、息子を諌めに会いにやってくる。が、追い返されて路傍で倒れてやはり死ぬ。
しかし、気に入った女は嫁入り前の娘だろうと人妻だろうと犯してその親も夫も殺してしまう葵の紋の狼藉者の噂を聞き、そのものたちを道で見かけた中村もんどの妻と姑が、操を守らねばと自決の覚悟で身構えると、目黒祐樹扮する男たちは、俺にだって選ぶ権利はある、などと笑って通り過ぎる。これが中村もんどの妻とその母には許せない。二人が憤る姿のユーモラスな愛らしさが作品全体のトーンを救っている、と思うのだが、中村もんどはこの二人が敵だとつぶやくところがまた深い溝であるな。
深い溝があるのはアメリカとイラクの間だけじゃないかもね。
でも世界は一つ、人類みな兄弟、お父さんお母さんをたいせつにしましょう、って 笹川会長は、きっと多分冗談でもなんでもなくて、大真面目に語っていたんだ、と 今何だか信じる。 でも、私、若い頃、笹川会長って何かの黒幕か悪徳商人か悪い事いろいろした人なんじゃないか、って、あやしんだことあるわ。
ポールマッカートニーとジョンレノンだって、最澄と空海だって、うまくいかないこともあったように聞いた。
ところで、息子は、水戸黄門を見ても、心を躍らせて狭い家の中をうろちょろしてしまうのだ。
で、私もそうだが、人というのは、見たもの聞いたもの、経験にとても影響されるのですね。当たり前のことだって?時代劇って最近あまり見ていなかったのですが、夕べの水戸黄門だとめでたしめでたしというハッピーエンド。今朝は仕置き人だって。やっぱり私は呪われているのかもしれないとも思う。子供から離れて暮らしていた母親が野垂れ死にする物語とか見せられたりして。
でも現実はいつも私の想像を超えるの。だから物語と同じように子供が悪さをするようになるんじゃないかと心配する必要はないと思うの。だってお任せしたんだからね。
今朝はてっきり小学校やっているものだと思っていたら、土曜日に発表会だったので振替休日なのでした。ランドセルと帽子を被って出かけたら、今日は小学校はお休みだよと教えて頂いて途中で帰ってきたのでした。
こういうの、うち、多いです。土曜日も息子水泳の帰りに駅でお財布を落としたし。でも駅員さんのところに届けられていたので助かりました。どなたか、どうも有り難うございます。
気をつけなくちゃね。
今日もお天気。
鬱病でも、総合失調症でもかまわない。人でなしでも甘ったれでも構わない。 自虐的になってしまうのも、助けてくれようとする人に敵愾心を抱いてしまう 過剰防衛も、責められると逆切れしてしまう身勝手さも、藁をもすがってしまうのも、足ることを知らずに欲張ってどつぼにはまる阿呆も、時はすべてを包んできたのだ。悪い事もしたとも思うし、背伸びもあった。
自分で自分の生死をどうにもできないなら、かっこ悪くても私は自分を軽蔑しない。
ここまでは何だか大仰なことを書いていましたが、すっかり忘れていましたが、 今日は月のもんで腹痛です。これは計算してみると、実に順調で、健康なんですね。でも、女って損、とかぶちぶちと、ゆうべもべそべそなきながら旦那さんと日本酒などを飲みながらちょっとだけ管を巻いておりましたが、一応川の字でぴとっとくっついて眠りました。で、今朝も体調も欝もすこぶる悪かったのですが、パパさんは息子と平和島のなんとかというところに行く約束だったので、またソーセージ野菜鍋などをつついてから出かけ、おかあちゃんも行きたいなあと行って、行く?と待ってくれたけど、やっぱり洗濯物があるからいいや、ということで、二人を見送り、暖房を消して、外の快晴を恨めしげに眺めながら、洗濯に取り掛かる気持ちも起きなかったのですが、
バッファリン。
風邪薬と、これを朝2錠、で、昼過ぎに2錠飲んだら、何と洗濯物がはかどることはかどること。 悔しいが薬って効くのですね。風邪の鼻詰まり(泣いてたからだっけ?)も喉の痛みも胸のふたがりも欝も吹っ飛びました。ただ、ガンで亡くなった母は、バッファリンも煙草もよくのんでいたので、バッファリンの飲みすぎはいかんと教わったのですが。
しかし、機嫌よく仕事がはかどれば、ま、いいかな。やだけどなあ。薬に依存するのは。でも、セルシン1錠じゃぜんぜん効かない。やっぱりバッファリンは効くのだ。私には。
後ね、葛根湯も飲んだし。それから、風邪薬飲んだのね。うーん。悔しいが薬って 効くのね。
2002年11月09日(土) |
金子みすず(テル)さん |
今朝は主人に日曜日におかあさんに子守唄を歌ってと泣いて頼んだら、朝から おかしなこと言わないでよってパパさんは怒る。やっぱり鬱病かもしれないけど、薬なんて要らない。私は、また、離婚する、とか言う。そんな元気はないのに。
そういえば、入院していた同じ病棟(私は出入りできたんだけど、何と鍵がかかっているのね。病棟に。)に、やっぱり離婚する離婚するって言ってしまうという 女性がいた。無表情な美人だった。仕事もそこそこできていたらしいが。
子供の学校の発表会は見に行った。見にきて欲しいって言うから。でも、高学年のお子さんの発表会まで見てやろう、というほどは元気じゃなくて、うちの子供が 出てくるものだけ見て帰った。
去年か一昨年の学芸会のときよりも、ちゃんとはっきり聞こえる声で詩も間違えずにちゃんとしていた。やっぱり涙もろくなっているのか、少し目頭があつくなった。
どうして昨日まで元気だったのにまた突然おかしくなるの?ってパパさんは言うけど、おかしいかな。だってお金かかるわけでもなし、よしよしして子守唄くらい歌ってくれてもいいじゃない。
デリカシーの問題だな。
金子みすずさんは戦前に、みんな違ってみんないい、って詩を書いたのに。
OKOK
どんまいどんまい
たのしまなくちゃそんだよってべつにいいんだ。わたしがとくすりゃそんする ひとがある。わたしがそんすりゃとくするひとがある。だからわたしがそんしたっていいじゃない。
でも、損得の問題じゃないのよね。
watashigaikiyoutoshinoutodoudemoiinnda
issaikaiku so what?
2002年11月08日(金) |
ボランティア 事前に浮かぶ事 |
ボランティアというのをしようかということになりました。先日少し書きましたが、脳性麻痺で身体障害者だという人です。その人いた施設で働いていた人が一緒に会って下さるそうです。
主人は自分だったら気の毒で正視できないな、と言います。おかあちゃんは出来るの?と言われてみると、お会いしてみないとわかりません。でも私は、その人を 気の毒だとは感じないです。今のところ。
やはり、甘いぞ、という気はします。マイペースでいけないのだったらしないほうが安全だと思います。大変なことなのだと思います。そうかなあ?ほんとに?
それができるんだったら、パートにでも出て、どんなに辛くても働いてお金を 稼いだ方が正しい道かもしれません。私はお金持ちではないのです。自分の 薬代を払うのも嫌なくらいです。違う。私は主人に払ってもらっているというわけです。払って養ってやっているから無関係だというわけにはいかない。でも障害者手帳をもらえば医療費がただになると言われて医療費をただにするために障害者手帳は要らないと思って払っているわけですが。それを、私の主人が払った税金で養われている人と、同じく扶養家族の私が一緒にお散歩する。私も障害者と変わらないのだ。ただ気の向いた時だけ家事をしているだけで。本当?おかしいな。重度の 障害者は家事はできないし、おしっこだって一人ではできない歩けない。私は歩けるし、おしっこを手伝ってもらったのはぎっくり腰の時だけ。あれは恥ずかしくも 快感だったので、私はその障害者の人が羨ましいと思ったのだが、それは一時の感情であって、永久に続く感情ではないだろう。とてもいい加減なものなのだ。私はとても自己中心的。ただの物珍しさ、単なる好奇心。私は重度の障害者ではない。でも、重度の障害者にもいろいろな感情があって、それは私とまったく変わらない。自然な感情だ。希望や落胆や感謝や嘆きや切望があるから、パソコンもできるようになったんでしょう。石ならできない。これって失礼な言い方? だからその人は50音をお母さんに教わって、それからワープロやパソコンにも 自己表現できるようになってきたのでしょう。ご両親があって羨ましいな、なんて 言っちゃったんだけどね。
お約束したので、一度はお会いしたいです。ただ働きは嫌だとか思うと思います? お金をつぎ込むにはやめてね、と主人は言うので、やっぱり難しいですね。だって 電車賃とかお茶代とかかかるし。でもどうしてこの間のマクベスはチケット取って くれたのか、それは相手が女友達だったから?そうか、すると、その人が女の子ならば構わないわけなのね。でもその子は男の子だから。心配だって。
そう考えてみると、もしパパさんが障害者の女の子にはまってしまったら、そりゃ 心配だと今思った。
きっと、その人が最近お会いした方のように、私も一回だけで、無理です、ということになるのかしら?一つは、経済的な問題。引きこもりがちになるのは、お金を 使いすぎずに済むようにするためもある。
でも、何のために生きているのかよくわからなくなる。確かに主人が養ってくれるから食べていられるのだけれど。
でも、でもね。
私はこれからこれでもかこれでもかと何かを思い知らされなければならないことが 沢山ある。
あ、忘れてはいけない。
明日は、朝から息子の学校の発表会がある。
諸外国の人と仲良くしよう。みんな違ってみんないい、っていうのよね。北朝鮮人民民主主義共和国でも、韓国でも中国でも、日本人は酷い国だって教えているのに?
でも、酷い人だと聞いていて、会って見たらそれほど酷くもなかった、というほうが、仲良くするべきと教えられてもなかなか難しいという人生を歩むより、ラッキーだよね。そんなことない?思えばたいがいの人は酷い目に遭ってきたんでしょう?
息子が帰ってきたので、諸外国すべての人と仲良くするのは難しいんじゃないの? って聞いたの。でもそのやりかたも教わるんだって。
そう言えば、ひっぽっていうのがあったっけね。
やっぱり私はTake it easy!で行こう。
疲れが出なければねえ。パート週に何回かして、自分のこずかいでって、それよりも、按摩でもしてパパさんの心を安らげた方が得策よ。そうは思わない?
私ってやっぱり恐ろしく不精者。また昨日も国産の一枚600円のウナギなんて買っちゃったからうな丼でおしまいよ。でも、アレルギーにリンゴを一日一個食べるのが効果あるんだってどこかに書いてあったので、紅玉リンゴ買ったら、美味しいんだけど、高いね。あ、あと、ベーコンとほうれん草の炒め物と味噌汁。味噌汁は パパさんの買ったインスタントね。肝吸いはあるつもりだったらもう使ってた。
別に不精じゃないじゃない。冗談じゃない。そういうふうに思うのはやめなさい。 ただ。何か。問題というか。そうだ。中国の人が褒めてくれた。自信がなくて消極的というよりは控えめな性格なのね。あ、それは日本の中学生のことね。 私は一時大胆と言われたこともあるけど、今では昔の話だわ。
他の人のことはわからないけど、今回思ったわ。私は働き者とは言えない。働いて ないわけじゃないけどね。人に言われる前に人がして欲しいと思う事をさっさと するような人のことを働き者って言われるんじゃないの?でも、そんな人があったら豊臣秀吉か松下幸之助さんになっちゃう。なかなかいないわね。そんなひとは。
それから。
やっぱりスケジュール。計画的に。今日出来る仕事を明日にまわさない。あ、今まで働き者だった人に言っているわけじゃないの。私自身に言っているだけなのよ。 だって割とのんびりさせてもらったからねー。外国旅行ってわけじゃなくても、 けっこうゴージャスな休暇だったもの。億万長者だけが豊かってわけじゃないかもねー。けっこうよく眠ったわ。
それにしても、うちの玄関(なんてもんじゃないですが)入ったところに、マック のパソコンがでんと居座っているんですよね。で、主人は、これはいつかもっと 広い家に引っ越した時に。って言うんですが。おかあちゃんはもう家は諦めたよって言ったんだけど、このパパさん発言は、まだこれから広い家に住むつもりでいる んですね。そう解釈します。私が引っ越す話すると、無理だ無理だ無理だ無理だって言うんだけど。まあね。いまのところは。
おそらく私はとても聞かない人なんではないでしょうか。きかんぼってよく子供の事をいいますけど。
それが、脳性麻痺の人の発音する言葉を聞き取れるだろうか?と思っている。 無理かなあ。
しかし、あのメールやホームページが本人が書いたものだったら、あの人は感情も 学習能力も想像力も良識もあるのに、運動能力が麻痺している?動ける部分はある?あるんですよね。そのペースにあわせられるか?ということかな。
それにしても、私のおばあちゃん、口聞けなくても、ものすごく怒ったのは、あれは、自分が情けなかったという爆発だったのかな。
入院している伯母に会ってみるか。
多分私は何かが弱い。これは遺伝?それとも強過ぎ?
そういえば、娘はイージーウェブっていうのだったけど、イージーな女と思われたら面白くないと思って携帯変えたのかしら?難攻不落の女になったりして。
湯豆腐。これで行こう。タルタルソースの鮭も美味しそうだけど。ミルクをあっためて飲もうかなあ。
違う違うって。ぽよよんさん。別にいいんだけど、何か認識がずれているのよね。きかんぼはあなたの夫もけっこうそうよ。そこがチャーミングだったのよね。 ぽよよんさんは聞きすぎなの。言い返さないと駄目よ。
と思ってて、大丈夫かなあ?とこの頃自信ないんですけど。まそれはいいです。
ただ、やだ!!って何度もはっきり教えているのに、息子はおっぱいをどうしても 諦めない。セクハラで訴えられたらどうするんだ、と心配しながら、しかし今日は 標語を作った。息子は学校では人のおっぱいを求めたりしていないというが。とにかく我が家の家訓その1.
おっぱいは、忘れた頃にやってくる
なんで?と息子が聞くので、
そのことばかり考えているとうまくいかないってことさ、と言ったのだけど、 この教育は間違っているだろうか?一つの事を念じていると岩をも通すとか いうことなかったっけ?どっちにしろ、今日はとても疲れた。
鍋の材料だけは買ってきたけど。眠る。
私は何を求めているのだろう。今さっき、もう私は子供を生むこともなく、ただ食べて寝るだけ、と思ったら、涙が流れた。どうしたの?人生ってもっといろんなことあるでしょう。そうだ。仕事もしなきゃいけないし。眠る。
2002年11月07日(木) |
お部屋の模様替え♪おんぷつきタイトル |
今日は寒くて曇っているのですが、私は機嫌がいいです。
なぜかと言うと、昨日、主人が部屋の模様替えを手伝ってくれたからね。全部してくれなくても、ほんの少し手伝ってくれるだけでとても助かりますね。 それで今日はその延長線上で、仕事するのがとっても楽しいんです。
そういえば、コタツを出しました。このコタツ、10年以上、きっと15年は 使ってます。主人が独身の時からですもんねえ。
だからというわけでもないのですが、今日はジャンルを旅と放浪にしました♪
家事よりウォーキングのほうがずっと運動量少ないですね。
それにしても理不尽なことって多いですね。弱肉強食の草原もジャングルも砂漠も人間社会も。人道的な見地って、やっぱり欲しいですよね。
今まで寝床が狭くってね、布団しいても。主人と子供が、寝袋買ってきたりして。 これがけっこう楽しいんですが。
死亡リスク、夫のいる女性、妻のいない男性、とかっていう研究成果がありますが。でも実家の父は妻がいても亡くなったもんなあ。
それにしても男でも女でも子供ってやっぱりかわいいですね。ははは。こんな 日もあるわ。明日はきっと後悔すると思うよ。子供なんか生んだあたしが馬鹿だったとか言って。ね?それってすごくありそうよね?でもないかもしれないな。 だって欲しかったんだもんね。どんな子供でも欲しかったんだもん。
2002年11月05日(火) |
さて今日は精神科の診察だけど、何をどう話したものか |
今日もけっこう寒くなってきたけど、お天気です。
冬の朝、寒いよ~~、って、足をたじたじとしながら、ごみ捨てに出るのも、 一つの庶民主婦の幸福な風物なのでありますが、できるだけできるだけ短く 済ませたい。そしてこの頃は息子に頼んだりすることも出てきたのだけれど、 これでいいのかなあ。。。銀行に後いくら残ってるの?とか、お財布に後どのくらいお金残ってるの?とか心配するような息子にしてしまった私って愚かな母。
清掃局のおじさんたちって何て崇高な仕事(おい!職業に貴賎なしだろぽよよん)に携わっているのだろう、と頭をたれながら、時折、ああ、人生ってくる日もくる 日もごみ捨て作業、私ってなんてみにくいあひるのこ(白鳥になるつもりでいるのかいおばはん)、王子様を待つ事も許されない灰だらけ姫。。。なんて思って いるわけではないんですけどね。。あ、でもやっぱり清掃局の人に頭をたれて いるのは本当です。
ゆうべは大根と油揚げの味噌汁と(ありあわせというところが味噌)、青紫蘇 ソーセージと若芽の和風ドレッシング和え、それから、私の結構好きな、太刀魚 のムニエル。ご飯も今は奮発して新米さ。おいしい事おいしい事。
太刀魚っていうのは長兄の奥さんのお父さんが、お好きだと言う事だったんですよねー。そんなにもうまい魚か???と刷り込まれていたんですよね。そしたら 本当に美味しいのです。これはやっぱりムニエルです。塩コショウをふんだんに 裏表にふりかけて、片栗粉でお化粧して、バターを溶かして、でも、昨日はバター がなかったから、マーガリンをぼたぼたじゅわじゅわ~ととかして、焦げ目をつけて、それから料理酒(ワインとか買ってなかったもんなあ)じゃばじゃばっと入れて、強火で中身が少し透明に見えるふたをして、ことこと蒸すのだ。そして、結構 片栗粉をケチらずに、塩コショウも辛すぎかというほどのその焦げ目は、白身が 淡白なので実に美味なのだ。で、カリカリにしっかりとこげた衣(とはいえ一応真っ黒は×茶色系でね)を裏返して、このときおどおどしていてはいけない、毅然として裏返すのだ、そしてまたマーガリンを足して焼く、そう言えばゆうべはそれに 酒も足して弱火でことことしたので、皿に乗せる段になって、魚のしっかり具合が 危うかったのだ。やはり裏側も先にこげ目をしっかり固めにつけて、あとで、酒を 加えて、ことこと水分がなくなるまで蒸した方がよかったかもと思う。でも味はよかったよ。
息子は骨を気にしていたが、鯛の骨ほど気にすることはない。はもほどでもないし。淡白な白身魚で美味よね。
ところで、えっと、あの難波の作家、だれだったか忘れたけど、その人の本に、紀伊国屋文左衛門のお話があった。あ、そうだ。藤本義一さんだわ。ごめんあそばせ。本当にあるつのみちを一直線ですよね。きっとうちの旦那さん、徳のある旦那さんとして、きっとこれからいいことあります。それはそれとして。
紀文さんは、神主の娘か何かでぜんぜん美女とは言えない人と結婚して、そして その奥さんをこの上なく大事にしたんだって。そうしたら、その奥さんは何と かわいい奥さんとなって家内安全。それでかどうかしらないけれど、紀文さんは 大金持ちになったのですってね。何?うちの嫁は美人だったけどこの頃かわいくないって?あらそうなの?私と同じ??
今の私機嫌いいね。でもそれって別にお月さんのご機嫌てわけじゃないの。 私の日記を好きだっておっしゃってくださった方があったからね。
気の向いた事をしてみるか。
私は相変わらず情緒不安定だが、元米兵の恩赦が実現しそうなのはよかったなあと 思う。
夢を見た。自分の正体ってあまり見たくない。その夢の中には愛らしくてほがらかな女の子が沢山でてきて、私はいいなあと羨むのだが、愚の骨頂でしょう。何故人を羨む?
私より美しい人は勿論沢山あっても、愛らしい人も沢山あっても、私はあまり羨んだことはなかった。取れなかった葡萄を酸っぱいと言った狐のように?
その人たちだって別に楽していい気になっているわけではないと思う。
ただ、羨ましいと思う。何か無心に生きがいに打ち込める人とか。でもけっこう 私にだって生きがいってあるんじゃないの?
そういえば思い出した。
音楽家でも声楽家でも、それは何かに捧げるものだって。そんなふうにインドの人が語っていたな。
私は心を石にしなくちゃ。
いいじゃん、こころころころでも。どうぜお見通しされてるんじゃない。
身体障害者の人とお話したりHPを見たりすると、彼らはとても健康的な精神を 備えているように見えたりします。ぽよよんもじゃないの?夢見てるんだなあ相変わらず。
オフしてみたいけど、無謀かしら?
また現実を突きつけられてがっくりしたりするのかしら。いいじゃないの。気楽に 行きましょう。
Take it easy!
I love this words.I do not like to take things harder than really they are.
Really? I thought you might not be able to enjoy life, rather taking things much more difficult than they really are,Poyoyon,don't you think so?
I decided to take it easy again.I am not a sage. I want to enjoy my life as it is.
Lovely weather today outside.
I am awfully depressed today and my husband saw me crying and told me to take a bath. I wonder why I am not fed up with my such silly sobbing I lost a considearable number of tear drops and yet my family are quite able to be both happily laughing.
My husband says he wants to go shopping to buy some shirts for business and this desire of his might be lovely.
but I want to go to Africa. This is lovely too isn't it?
My God may not exist but I need him.He must exist for me. He is with me. He is mine. He is always with me.He is not for others but only for me.He loves me. He really knows me.I can be relaxed with him.I love him.I cannnot see him because I am blind but He is really with me. He is fullof love and serenity.
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