鵰日記

2008年11月27日(木) 何年経っても許せないこと

どうしてこんなに傷つけられなくちゃいけないのかわからない。女である必要なんてない。女が男を許す必要なんてない。夫や子供が子供を望んでいないのに、女であり続ける必要なんてない。家族が頼りにならないから薬を飲むんじゃないか。こんなに心身を傷つけられて尚家族のため世のため人のために耐えて働けというのは理不尽だ。

子供に母乳を飲ませて夫の眠りを妨げないように夜通し子供をおぶって歩き回ってそれで健診で人間以下だとか動物以下だとか医者のボンボンに言われる筋合いはない。

絶対忘れないぞ。死んでも忘れない。あの名前も知らない乳幼児健診の藪医者。15年近く経っても忘れてない。名前は知らないけど、あの憎たらしい顔は忘れてない。子供を生んだこともないくせに偉そうな顔して。あの医者が死んで地獄に堕ちてもかわいそうだなんてちっとも思わない。我が子を殺してしまった母親の方がずっと気の毒だ。

私の子供を取り上げてくれた太っちょの産婦人科のお医者さんには今でも感謝しています。

でも乳幼児健診の時に私に失礼なことを言った痩せっぽちの失礼な若い医者なんか私には絶対必要ない。いくら医者が不足しているからってどうしてあんな医者に耐えなくちゃいけないんだ。私は神様じゃない。いくらうちの息子がぬぼっとした役立たずのぼけでも、あんな医者には絶対なって欲しくない。
同じ乳幼児健診の時にもう一人感じのいい温厚なお医者様もいらしたが、母親付き添いで乳幼児健診に連れてきてもらえる若いお母さんが羨ましかった。
子育てというのはこれは大変なものなんだお母さんは昼寝するくらいにとおっしゃったあの温厚なお医者様は、頭も真っ白でご自分では医師として力不足のように思われることが沢山あったかもしれないけれど、立派なお医者様のようにように感じられた。私の悩みを軽蔑したあの医師は、きっとご自分の人生もうまくいっていっていなかったんじゃないかと思う。

お医者さんだって苦労しているんだと思って一生懸命診察時間とか住所とか調べてやっとのことで行った内科。まるで私が医師の処方した薬を信頼していないかのように時間が無いので事前に私が市販の薬を飲んでいたことをまるで私が医師の処方を信じていないかのような決め付け発言をした近所の内科医院にも二度と行く気にならない。そこの医院のすぐ隣の薬局で別の医院で処方されたお薬を調合して頂いても、その医院には行かない。整った顔かたちをしていても、笑った表情が醜く見えた。その医院はきれいな新しい建物だったけれど、そこのお医者はご自分の医院の経営のことが問題で、私の苦しみは問題ではないように感じられた。ただそれだけのことだ。その医師が悪い人だとは思わないけれど、別の古い建物の内科へ行った。そこはげほげほ咳をした子供たちが満員だったけれど、そのお医者にも大変な人生があることは理解できた。

でも私の人格否定をしたあの乳児検診の医師にどんな苦労があったとしても、私が二度と会いたくないことを神様は許して下さると思う。
私の顔に傷をつけて私を人間以下だと言った兄がガンになって死んでも私が何とも思わなくても、神様は許して下さると思う。

娘が三つの時に彼女を嫁ぎ先に置いて彼女の父親以外の男性と再婚した私は、同じようにではないが娘さんを一人朝鮮に取られたご両親の苦悩を親身になって活動に協力してあげられない。確かに拉致したが自殺したと言われても許せないのはわかる。朝鮮人は汚いと言われて爆薬を持って旅館に立て篭もった在日韓国人だった男性もその母親も同じように気の毒だと思う。

苦しい時に欲しいのはモルヒネ。腹がすいている時に欲しいのは腹を満たすもの。お説教じゃない。人格否定や性格批判ではない。

人間がどこまで小利口に便利な道具を発明しても、その道具を持って他の動物よりも人格的に優れることはない。動物も人間もどうにかして楽になりたいのは同じだ。













2008年11月24日(月) おせち料理

現代では保存がきく作り置きの正月の料理となっている。これは、「神様をお迎えした新年に台所を騒がせてはならない」、という考えによるものである。転じて、煮しめた保存食により女性が正月三が日に休めるように、とも言われる。台所を騒がせず、女性を休めることも目的であるため、家庭での手作りに特別な価値があるわけではない。したがって近年ではデパートや料亭などのおせち料理が購入されることがある。 本来は「年迎え」の膳として、大晦日に食べるものであったが、現在ではほとんどの地方で元日以降に食べるのが普通である。ただし、北海道など一部の地方には、かつての名残りで大晦日に食べる風習が残っている。


由来
正月元日(1月1日)も、昔から、山に帰った田の神を呼び戻すために祝われる重要な節日とされた。現在では、一般に祝う風習のある節日は正月のみとなった。このため、御節料理とは、前年の大晦日までに作られる、翌年の正月のための料理(正月料理)のみを指すようになった。


起源
「御節」とは、中国大陸から伝わった暦上の節目、季節の変わり目などにあたる節日(せちにち、節句)のことを指す。節日には祝事を行い、祝い膳がしつらえられた。このとき作られるめでたい料理が、「御節料理」と呼ばれた。


内容
御節料理の基本は、お屠蘇、祝い肴三種(三つ肴)、雑煮、煮しめである。地方により、三つ肴、雑煮、煮しめの内容は異なる。

このうち、三つ肴と煮しめは、重箱に詰めて供される。一般的には、御節料理とは、献立すべてを指すのではなく、重箱詰めされた料理のみを指す。重箱に詰めるのは、めでたさを「重ねる」という意味で縁起をかついだものである(同様の意味合いから、雑煮もおかわりをするのが良いとされている)。

ちなみにおせち料理を詳しく記した地図を俗に「おせ地図」という。 一つ一つの料理は、火を通したり干したり、あるいは酢に漬けたり味を濃くするなど、日持ちする物が多い。これは、火の神である荒神を怒らせないため、正月に台所で火を使うことを避けるという平安時代後期からの風習により、正月には台所仕事をしないからである。実際には、女性を正月位は休ませるためという意味合いもある。

現在では、食品の保存技術も進んだため、生ものや珍味など、多種多様な料理を重箱に詰めて供することも多い。 また、お節料理を自宅で作らずに既成の詰め合わせのお節料理を、食料品店、百貨店、インターネット上の店舗その他で買い求める人々も増えている。更に、首都圏の113家庭を対象とした調査では、2004年頃から正月だからといって殊更御節料理にとらわれない人も現れているようである[1]。


主な料理

御節料理(関東風)
上図の解説。1:えびの煮しめ、2:田作り、3:煮しめ、4:蒲鉾、5:伊達巻き、6:肴、7:昆布巻き、8:栗きんとん、9:トビコ、10:鯛の焼き物、11:数の子、12:酢の物、13:菓子、14:肴、15:黒豆、16:伊勢えびの焼き物
[編集] 祝い肴三種
正月の祝に欠かせない三種類の料理で、祝い肴と餅を揃えれば最低限の正月の祝いができる。逆に、どんなに贅沢な料理を揃えても、祝い肴がないと正月の祝い膳の体裁が整わない。「三つ肴」とも言われる。


関東風
田作り(たづくり)
ごまめ(片口イワシの稚魚)を醤油風味の飴炊きにしたもの。田畑の高級肥料としてイワシが使われていた事から豊作を願って食べられた。
数の子(かずのこ)
卵の数が多いことから子孫繁栄を願って食べられた。
黒豆(くろまめ)
黒には魔よけの力が有るとされていたので、まめ(勤勉)に働き、まめ(健康)に暮らせることを願って食べられた。

関西風
たたき牛蒡
形や色が豊作のときに飛んでくると伝えられている黒い瑞鳥を連想させる事から豊作を願って食べられた。
数の子(かずのこ)
関東と同じく、卵の数が多いことから子孫繁栄を願って食べられた。
黒豆(くろまめ)
関東と同じく、黒には魔よけの力が有るとされていたので、まめ(勤勉)に働き、まめ(健康)に暮らせることを願って食べられた。

口取り

紅白かまぼこ(奥)と伊達巻(手前)紅白かまぼこ
祝儀用としてめでたい彩りから。元は神饌の赤米、白米を模した物。
伊達巻
「伊達」の由来は華やかさ派手さを表す言葉で伊達政宗の派手好きに由来することの他、諸説ある。見た目の豪華さで定番となる。巻き物(書物)に似た形から、知識が増える事を願う縁起物。関西風の御節では「だし巻」が代わりに入っていることが多い。
栗金団(くりきんとん)
「金団」とは黄金の団子という意味(金の布団の意味とする地方もある)で、見た目の色合いが豪華で金塊のように見えるところから定番となる。
昆布巻き
「よろこぶ」の語呂合わせから。
お多福豆
文字通り福が多からんことを祈願した。

酢の物

ちょろぎは黒豆と共に盛り付けられる。紅白なます
お祝いの水引をかたどったもの。
蕪の酢の物
ちょろぎ
植物の根をシソ酢で赤く染めたもの。多くの場合、黒豆と共に盛り付けられる。
(すばす)
レンコンの酢の物。

焼き物
鰤の焼き物
出世魚である事から出世を祈願したもの。
鯛の焼き物
元は神饌。「めでたい」の語呂合わせ。
海老の焼き物
ひげが長く腰が曲がっている様子が老人を連想させる事から長寿を祈願したもの。伊勢海老を使うことが多かったが、高価である為、クルマエビなどが使用されている。
鰻の焼き物
鰻登りから出世を祈願。ごく最近の風潮。

煮しめ

くわい(調理前の物)くわい
大きな芽が出ることから「めでたい」、芽が出る=出世を祈願。
蓮根
孔が空いていることから遠くが見えるように先見性のある一年を祈願。
牛蒡
里芋
里芋は子芋がたくさん付くことから、子宝を願って。
八ツ頭
小芋がたくさんつくことから、子宝、子孫繁栄を願って。また、漢字の八に「末広がり」の意味をかけて。
トコブシ
節句の神饌の一つ。別名「フクダメ」。福が溜まる事を願って。
昆布

重詰め
伝統的な御節料理の重詰めには五段重を使うが、近年では省略され三段重が利用される場合が多い。重箱に詰めるのは、めでたさを「重ねる」という意味で縁起をかついだものである(同様の意味合いから、雑煮もおかわりをするのが良いとされている)。 重箱は上から順に一の重、二の重、三の重、与の重、五の重と数える。四段目が与の重(よのじゅう)と呼ばれるのは四(し)が死を連想させ縁起が悪いと考えられているためである。詰め方は地域や家風によっても異なるがおおむね以下のようになっている。なお、四段重が正式であるといわれる場合もあるが、これは控えの重(五の重)を省略した形である。


五段重
一の重 - 祝肴
二の重 - 酢の物、口取り
三の重 - 焼き物
与の重 - 煮物
五の重 - 控え(何も詰めない)
五の重が空になっているのは、現在が満杯(最高)の状態ではなく将来さらに繁栄し、富が増える余地があることを示している。

三段重
一の重 - 祝肴、口取り
二の重 - 焼き物、酢の物
三の重 - 煮物



2008年11月21日(金)

生き物であるということ。人間であるということ。物質でできているとうこと。生きているということ。女であるということ。母親であるということ。
仏教で、人間に生まれてきたことを喜びなさいという教えがあったような気がする。儀式の言葉の中に、人間に生まれてきたことを喜ぶという言葉があった。得難い人身を得たとこを喜ぶという文章があった。でも女に生まれてきたことを喜びなさいとは言われてないと思う。母親であることを喜びなさいと言われた?言われていないですよね?男になりたいと願わないと成仏できないのか?自分が女であることを否定しないと成仏できないのか?人間に生まれてきたことを本当に喜べる?



2008年11月17日(月)

疲れを知らないくらしをしたい。でも
こんなにも疲れが私を覆っている時
ン眠くて欠伸もできるし、

やっぱり睡眠が一番かな



2008年11月13日(木) 立春について

立春(りっしゅん)は二十四節気の1つ。2月4日ごろ。および、この日から雨水までの期間。

太陽黄経が315度を含む1日で、春の初め。正月節。『暦便覧』には「春の気たつをもつてなり」と記されている。 冬至と春分のほぼ中間にあたり、昼夜の長短を基準に季節を区分すると、この日から立夏の前日までが春となる。九州など暖かい地方では梅が咲き始める。

立春の前日は節分である。立春から数えて88日目を八十八夜、210日目を二百十日、220日目を二百二十日と呼ぶ。

立春以降初めて吹く南よりの強風を春一番と呼ぶ。

立春の早朝、禅寺では門に「立春大吉」と書いた紙を貼る習慣がある。

旧暦と立春
旧暦(太陰太陽暦)では元日が立春前後に置かれる。中国暦で立春の次の雨水を含む月を正月(一月)としたのは、立春の頃を年初にし、春の始まりと年の始まりを一致させるためである。これを夏正(かせい)(古代中国、夏の正月)と云う。

節切りにおいては、立春が年初となる。四柱推命や風水などの占いでは、節分までは前年に属し、立春をもって年が変わるとしているものが多い。節分の豆撒きは立春を年初として、新しい年の幸運を願っての昔からの習慣である。

二十四節気の「立春」は、『暦便覧』では「春の気立つを以って也」とされるが、時候的な解説では、「大寒から立春までは一年のうちで最も寒い季節であり、立春を過ぎると少しずつ寒さが緩み始め、春の気配が忍び入ってくる」 とされるのが一般的である。ただ注意が必要なのは、このような気象的事象の故に 「立春」 が定められたのではなく、冬至から春分への中間点として、暦法上の要請から定められたものだと云うことである。春の区分は、西欧では習慣的に暑くも寒くもない季節、つまり『春分から夏至まで』を"Spring"とするのに対し、古代中国では昼夜の長短のピークとなる二至(夏至、冬至)と、昼夜の長さがほぼ同じとなる二分(春分、秋分)を各季節の中心とし、これらの中間に各季節の区切りとして四立(立春、立夏、立秋、立冬)をもうけた。ここに中国暦法の1つの大きな特徴がある。

中国式陰陽暦(中国暦)には3つの大きな特徴がある。1つは、西欧では春分起点(天文学として)であるのに対し、冬至起点であること。 2つ目は、二十四節気を用いた 『歳中置閏法』 であること。 最後は、二至二分を季節の区切りとせず (西欧では季節の区切りとする)、二至二分を各季節の主体として季節の真中に定めたことである。
前述のように、中国式陰陽暦(中国暦)の二十四節気では、『立春から立夏まで』を『春』とする。従って欧米での習慣的な天文的区切り(春分から夏至まで)とは、おおよそ1.5ヶ月ずれている。明治以降、日本では陰陽暦(太陰太陽暦)を廃止し太陽暦とし、気象学も欧米より学んだ。気象学的には、これも習慣的ではあるが、3月~5月が春、6月~8月が夏、9月~11月が秋、12月~2月が冬とされる。明治以降、欧米的四季感覚に慣らされたこんにちの日本人とすれば、2月4日(頃)の立春に対し、季節感のずれを感ずるのは否めない。


年内立春
旧暦では、年によっては年が明けるよりも先に立春が来ることがある。これを年内立春(ねんないりっしゅん)という。古今和歌集の巻頭に以下のような歌がある。

年のうちに 春は來にけり 一年(ひととせ)を去年(こぞ)とやいはむ 今年とやいはむ 〔在原元方〕

現代語訳:「年が明けないうちに立春が来てしまった。年が明けてからは、同じ一年のうちである立春から大晦日までの間を去年(こぞ)と言おうか、今年と言おうか」

このように歌に詠まれるくらいの年内立春であるが、実はそんなに珍しいことではない。ここ数年の立春の日附を列挙する。

新暦 旧暦
2000年02月04日  1999年12月29日
2001年02月04日  2001年01月12日
2002年02月04日  2001年12月23日
2003年02月04日  2003年01月04日
2004年02月04日  2004年01月14日
2005年02月04日  2004年12月26日

その後は2007年、2008年、2010年、2013年、2015年(いずれも新暦)が年内立春である。

立春の翌日から雨水までの半月の間に朔があればその日が元日となり、年内立春となるので、だいたい2年に1回は年内立春になることになる。
これをわざわざ「年内立春」と呼ぶのは、年が明けてからの立春よりも春らしさをあまり感じないなあという感慨からきたものと推測される。

立春の期間の七十二候は以下の通り。

初候
東風解凍(はるかぜ こおりを とく):東風が厚い氷を解かし始める(日本・中国)
次候
黄鶯睍睆(うぐいす なく):鶯が山里で鳴き始める(日本)
蟄虫始振(ちっちゅう はじめて ふるう):冬蘢りの虫が動き始める(中国)
末候
魚上氷(うお こおりを のぼる):割れた氷の間から魚が飛び出る(日本・中国)
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今日は木曜日。



2008年11月12日(水) 立冬 小雪 大雪 冬至 小寒 大寒

立冬(りっとう)は、二十四節気の1つ。11月7日ごろ。および、この日から小雪までの期間。

太陽黄経が225度のときで、初めて冬の気配が現われてくる日。十月節。『暦便覧』では、「冬の気立ち始めて、いよいよ冷ゆれば也」と説明している。

秋分と冬至の中間にあたり、昼夜の長短を基準に季節を区分すると、この日から立春の前日までが冬となる。


[編集] 七十二候
立冬の期間の七十二候は以下の通り。

初候
山茶始開(つばき はじめて ひらく) : 山茶花が咲き始める(日本)
水始氷(みず はじめて こおる) : 水が凍り始める(中国)
次候
地始凍(ち はじめて こおる) : 大地が凍り始める(日本・中国)
末候
金盞香(きんせんか さく) : 水仙の花が咲く(日本)
野鶏入水為蜃(やけい みずにいり おおはまぐりと なる) : 雉が海に入って大蛤になる(中国)

ウィキペディアより

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11月七日は過ぎました。もう冬なんですね。そういえば、お山は雪だというお話もあったし。立春の前日までが冬。小雪っていつでしょう?

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小雪(しょうせつ)は、二十四節気の1つで11月22日頃。また、この日から大雪までの期間を指す。

太陽黄経が240度のときで、僅かながら雪が降り始めるころ。十月中。『暦便覧』では、「冷ゆるが故に雨も雪と也てくだるが故也」と説明している。


[編集] 七十二候
小雪の期間の七十二候は以下の通り。

初候
虹蔵不見(にじ かくれて みえず) : 虹を見かけなくなる(日本・中国)
次候
朔風払葉(きたかぜ このはを はらう) : 北風が木の葉を払い除ける(日本)
天気上勝地気下降(てんき じょうとうし ちき かこうす) : 天地の寒暖が逆になる(中国)
末候
橘始黄(たちばな はじめて きばむ) : 橘の葉が黄葉し始める(日本)
閉塞而成冬(へいそくして ふゆをなす) : 天地の気が塞がって冬となる(中国

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小雪は11月22日頃。今日は12日。後十日くらいで小雪。

大雪はいつでしょう?

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大雪(たいせつ)は、二十四節気の1つ。12月7日ごろ。および、この日から冬至までの期間。

太陽黄経が255度のときで、雪が激しく降り始めるころ。十一月節。『暦便覧』では、「雪いよいよ降り重ねる折からなれば也」と説明している。

鰤などの冬の魚の漁が盛んになり、熊が冬眠に入り、南天の実が赤く色付くころ。


[編集] 七十二候
大雪の期間の七十二候は以下の通り。

初候
閉塞成冬(そら さむく ふゆとなる) : 天地の気が塞がって冬となる(日本)
鶡鳥不鳴(かっちょう なかず) : やまどりが鳴かなくなる(中国)鶡は{喝-口鳥}
次候
熊蟄穴(くま あなに こもる) : 熊が冬眠のために穴に隠れる(日本)
虎始交(とら はじめて つるむ) : 虎が交尾を始める(中国)
末候
鱖魚群(さけのうお むらがる) : 鮭が群がり川を上る(日本)鱖は{魚厥}
茘挺出(れいてい いずる) : 大韮が芽を出し始める(中国)

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大雪は12月七日頃。

冬至はいつでしょう?

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冬至(とうじ)は、二十四節気の一つ。12月22日ごろ。および、この日から小寒までの期間。

太陽黄経が270度のときで、北半球では太陽の南中高度が最も低く、一年の間で昼が最も短く夜が最も長くなる日(実際には数日ずれる。詳しくは昼を参照)。『暦便覧』では「日南の限りを行て、日の短きの至りなれば也」と説明している。

日本では、この日に柚子湯に入り、冬至粥(小豆粥)や南瓜を食べると風邪をひかないと言われている。中国北方では餃子を、南方では湯圓(餡の入った団子をゆでたもの)を食べる習慣がある。

秋分から春分までの間、北半球では太陽は真東からやや南寄りの方角から上り、真西からやや南寄りの方角に沈む。冬至の日にはこの日の出(日出)・日の入り(日没)の方角が最も南寄りになる。また南回帰線上の観測者から見ると、冬至の日の太陽は正午に天頂を通過する。冬至の日には北緯66.6度以北の北極圏全域で極夜となり、南緯66.6度以南の南極圏全域で白夜となる。

なお、1年で日の出の時刻が最も遅い日・日の入りの時刻が最も早い日と、冬至の日とは一致しない。日本では、日の出が最も遅い日は冬至の半月後頃であり、日の入りが最も早い日は冬至の半月前頃である。

また、南半球では昼と夜の長さの関係が北半球と逆転するため、天文学的な冬至とは別に、慣習的に「一年中で一番昼が短く夜が長い日」のことを冬至と呼ぶことがある。すなわち、南半球が慣習的な意味での冬至を迎える日は本来の夏至である。

朔旦冬至
古代には、冬至を1年の始まりとしていた。その名残で、現在でも冬至は暦の基準となっている。中国や日本で採用されていた太陰太陽暦では、冬至を含む月を11月と定義しているが、19年に1度、冬至の日が11月1日となることがあり、これを朔旦冬至(さくたんとうじ)という。太陰太陽暦では、19年7閏の周期を「章」と称し、古い章から新しい章への切替となる年を新しい章の最初の年という意味で「章首」と呼んだ。章首の年にはまず前の章の締めくくりにあたる7番目の閏月を迎え、その後に到来するその年の冬至をもって新しい章の開始とされた。そして、その章首における冬至の日は必ず朔旦冬至となるように暦法が作られるのが原則とされていた。

朔旦冬至が正確に19年周期で訪れることは、19年7閏原則に基づく暦が正確に運用されているということである。暦の正確さは、政治が正しく行われていることの証であるとして、朔旦冬至は盛大に祝われた。中国では古くから行われ、659年に偶々遣唐使が唐の都・洛陽に滞在中で儀式への参加が許されている。日本では唐風儀式の取り入れに積極的であった桓武天皇の784年に初めて儀式が行われた。なお、11月1日は元々翌年の暦を天皇に奏進する御暦奏も行われていた事から、非常に盛大な行事となった。

ただし、破章法を採用している暦では19年7閏が守られない場合があり、その場合新しい章の最初に朔旦冬至が到来するとは限らず、逆に章の途中で偶々朔旦冬至が到来してしまう事態(臨時朔旦冬至)も生じた。日本ではこのような状況を放置する事は不祥ととして、暦を人為的に操作して朔旦冬至を到来させたり回避させる事(「改暦」)が行われた。なお、後には章の最初以外の朔旦冬至も祝われるようになった。なお、1768年の光格天皇の時に朔旦冬至の儀式が行われたのが最後であり、次の1870年の朔旦冬至の際に明治政府は古い因習として、以後こうした儀式は行わない事とした。

これまでで最後の朔旦冬至は1995年、次の朔旦冬至は2014年である。


[編集] 七十二候
冬至の期間の七十二候は以下の通り。

初候
乃東生(なつかれくさ しょうず) : 夏枯草が芽を出す(日本)
蚯蚓結(きゅういん むすぶ) : 蚯蚓が地中で塊となる(中国)
次候
麋角解(びかく げす) : 大鹿が角を落とす(日本)
麋角解(さわしかの つの おる) : 大鹿が角を落とす(中国)
末候
雪下出麦(ゆきわりて むぎ のびる) : 雪の下で麦が芽を出す(日本)
水泉動(すいせん うごく) : 地中で凍った泉が動き始める(中国)

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冬至は12月22日頃。

小寒っていつでしょう?

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小寒(しょうかん)は、二十四節気の1つ。1月5日ごろ。および、この日から大寒までの期間。

太陽黄経が285度のときで、寒さが最も厳しくなる前の時期。十二月節。『暦便覧』では、「冬至より一陽起こる故に陰気に逆らふ故、益々冷える也」と説明している。

この日を「寒の入り」、この日から節分(立春の前日)までを「寒(かん。寒中・寒の内とも)」と言い、冬の寒さが一番厳しい時期となる。この日から寒中見舞いを出し始める。

小寒の期間の七十二候は以下の通り。

初候
芹乃栄(せり すなわち さかう) : 芹がよく生育する(日本)
雁北郷(かり きたにむかう) : 雁が北に渡り始める(中国)
次候
水泉動(すいせん うごく) : 地中で凍った泉が動き始める(日本)
鵲始巣(かささぎ はじめて すくう) : 鵲が巣を作り始める(中国)
末候
雉始雊(きじ はじめて なく) : 雄の雉が鳴き始める(日本)雊は{句隹}
野鶏始雊(やけい はじめて なく) : 雄の雉が鳴き始める(中国)

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小寒は1月5日頃。

大寒は1月20日頃??

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大寒(だいかん)は、二十四節気の1つ。1月20日ごろ。および、この日から立春までの期間。

太陽黄経が300度のときで、寒さが最も厳しくなるころ。十二月中。『暦便覧』では、「冷ゆることの至りて甚だしきときなれば也」と説明している。

寒の真ん中で、一年で最も寒い時期である。武道ではこのころ寒稽古が行われる。


[編集] 七十二候
大寒の期間の七十二候は以下の通り。

初候
款冬華(ふきのはな さく) : 蕗の薹(ふきのとう)が蕾を出す(日本)
鶏始乳(にわとり はじめて にゅうす) : 鶏が卵を産み始める(中国)
次候
水沢腹堅(さわみず こおりつめる) : 沢に氷が厚く張りつめる(日本)
鷙鳥厲疾(しちょう れいしつす) : 鷲・鷹などが空高く速く飛び始める(中国)厲は{勵-力}
末候
鶏始乳(にわとり はじめて とやにつく) : 鶏が卵を産み始める(日本)
水沢腹堅(すいたく あつく かたし) : 沢に氷が厚く張りつめる(中国)

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そうだ。大寒は1月20日頃。

立春は2月4日頃??



2008年11月10日(月)

この頃は自分からお風呂に入りたくなるから、元気だ。光熱費は少し心配だけど。



2008年11月04日(火) ファーレンハイト温度目盛

ファーレンハイト温度目盛は、ドイツの物理学者ガブリエル・ファーレンハイトが1724年に提唱したもので、その名前を取って呼ばれる。ファーレンハイト度は、他の温度目盛と同様「度」(記号:°)の単位がつけられ、他の温度目盛による値と区別するためにファーレンハイトの頭文字を取って"°F"と書き表される。「32°F」は、日本語では「華氏32度」、英語では"32 degrees Fahrenheit"、または、"32 deg F"と表現される。

ファーレンハイト温度目盛では、水の氷点を32度(32°F)、沸点を212度(212°F)とする。水の氷点と沸点の間は180度に区切られる。よって、この温度目盛によって計った温度Fは、セルシウス温度目盛による値(セルシウス度、摂氏度)Cと、以下の関係にある。



華氏⇔摂氏早見表 華氏 摂氏
-40.0 -40.0
-30.0 -34.4
-20.0 -28.9
-10.0 -23.3
0.0 -17.8
10.0 -12.2
20.0 -6.7
30.0 -1.1
40.0 4.4
50.0 10.0
華氏 摂氏
50.0 10.0
60.0 15.6
70.0 21.1
80.0 26.7
90.0 32.2
100.0 37.8
110.0 43.3
120.0 48.9
130.0 54.4
140.0 60.0
華氏 摂氏
140.0 60.0
150.0 65.6
160.0 71.1
170.0 76.7
180.0 82.2
190.0 87.8
200.0 93.3
210.0 98.9
220.0 104.4
230.0 110.0


セルシウス度に対するケルビンに対応するものとして、絶対零度を0としてファーレンハイト度の目盛りを振ったランキン度がある。


歴史
ファーレンハイトがこの温度目盛を作った時の話には、いくつかの説がある。

1つ目の説は次のようなものである。ファーレンハイトは最初、彼が測ることのできた最も低い室外の温度を0度、彼自身の体温を100度としようとしたと述べている。彼は1708年か1709年の冬の大変寒い日に、ダンツィヒ郊外の彼の自宅において「0度」を計測した(これは-17.8℃である)。後に同じ温度を、氷、塩化アンモニウム、水を混ぜることで実験室環境で作り出している。当時使われていたレーマー温度目盛では、日常的に使われる温度にマイナスの値が出てきてしまっていて不便であったので、彼はこれを避けたかった。彼の体温(彼は37.8℃と計測したが、正確には37℃であった)を「100度」と固定した。この元の目盛を12等分し、さらに8等分して、96度の目盛を作った。これにより、水の氷点が32度、沸点が212度になり、その間が正確に180度に区切られることになる。

2つ目の説では、「0度」を同量の氷と塩の混合物(寒剤)によって得られる温度(この温度が人類が作り出せる最も低い温度であるとファーレンハイトが思っていたともいう)としたとしている。そして血液の温度を96度とした(彼が温度目盛を調整するときは馬の血液を使った)。当初は12等分しかしていなかったが、後にそれぞれを8等分して96度とした。彼は、この目盛によって純水が32度で凍り、212度で沸騰することを観測した(それまでは、物質が凍ったり沸騰したりする温度は一定であるとは思われていなかった)。

3つ目の説は、レーマー温度目盛で水が凍る温度が7.5度、沸騰する温度が60度であることから、小数をなくしスケールを大きくするためにそれぞれを4倍して30と240にしたというものである。それから、水の氷点と人の体温(彼はこれを96度とした)の間が64度(64が2の6乗であるので)となるように再調整した。その結果、水の氷点は32度になった。

日本では1番目と2番目の説を合わせたものがよく知られているが、アメリカでは3番目の説が有名であるようである。

彼の計測はまったく正確であるというわけではなかった。彼が作ったオリジナルの目盛によって計った水の氷点、沸点は32度、212度と異なっていた。彼の死後、その値が32度、212度となるように再調整された。その結果、人の体温は96度ではなく98.6度となった。


使用
1960年代まで、多くの英語圏の国でファーレンハイト度は気候、産業、医療における温度の基準となっていた。1960年代後半から1970年代にかけて、メートル法への切り換えの一環としてセルシウス度(摂氏度)の導入が政府によって行われた。しかし、切り換えのための努力にもかかわらず、現在でも多くの英語圏の国では非科学分野での温度計測にファーレンハイト度が広く使用されている。

ファーレンハイト度の支持者は、これがファーレンハイト度が利用者によって親しみやすいからだと主張している。世界における大部分の居住可能地域の気温は、おおむね0°Fから100°Fの範囲に含まれており、ファーレンハイト度は生活感覚に直結した温度目盛であると主張している。

10度台 -- 厚い霜が降りる。
20度台 -- 薄く霜が降りる。
30度台 -- 寒い。氷点に近い。
40度台 -- 寒い。厚い衣服が必要。
50度台 -- 涼しい。適度な厚さの衣服で十分。
60度台 -- 暖かい。薄手の衣服が必要。
70度台 -- 適度に暑い。夏服が必要。
80度台 -- 暑いが耐えられる。少なめの衣服
90度台 -- とても暑い。過熱に対する予防措置が必要。
100度台 -- 危険なほど暑い。
しかし、そのような温度と生活感覚の相互関係は、単に習慣から生まれるものである。日常摂氏を使用している人であれば、マイナスの温度では霜が降り、0~10℃は寒い、10~20℃は適温、20~30℃は暖かい、30~40℃は暑いということを知っている。

アメリカ合衆国とジャマイカでは、メートル法への置き換えが生産者側・消費者側の両方で大きな抵抗に遭っているため、ファーレンハイト度は様々な分野で広く使われ続けている。同様に、イギリスの一部では、低い温度はセルシウス度で表されるが、日常的に使われる温度はファーレンハイト度で測定されている。カナダでは、メディアではセルシウス度で温度が報じられているが、年配のカナダ人は今でもファーレンハイト度で温度を表す。

また、ファーレンハイト度での人間の平熱が98.6度であることはよく知られていて、体温が華氏100度以上になると治療が必要とされる。


参考
SF作家レイ・ブラッドベリの『華氏451度』 -- 華氏451度(摂氏233度)は紙の燃焼点(または引火点)である。(未来世界で本が規制され焚書されているという設定から)
マイケル・ムーア監督の映画『華氏911』 -- 華氏451度と9月11日をかけたもの

関連項目
国際単位系
単位の換算一覧
温度の単位の比較 ケルビン セルシウス度 ファーレンハイト度 ランキン度 ドリール度 ニュートン度 レオミュール度 レーマー度
絶対零度 0 −273.15 −459.67 0 559.725 −90.14 −218.52 −135.90
地球表面の最低気温
(南極・ヴォストーク基地、1983年7月21日) 184 −89 −128.2 331.47 283.5 −29.37 −71.2 −39.225
ファーレンハイトの寒剤 255.37 −17.78 0 459.67 176.67 −5.87 −14.22 −1.83
水の融点(標準状態下) 273.15 0 32 491.67 150 0 0 7.5
地球表面の平均気温 288 15 59 518.67 127.5 4.95 12 15.375
人間の平均体温 309.95 36.8 98.24 557.91 94.8 12.144 29.44 26.82
地球表面の最高気温
(リビア・Al 'Aziziyah、1922年9月13日) 331 58 136.4 596.07 63 19.14 46.4 37.95
水の沸点(標準状態下) 373.15 100 212 671.67 0 33 80 60
チタンの融点 1941 1668 3034 3494 −2352 550 1334 883
太陽の表面温度 5800 5526 9980 10440 −8140 1823 4421 2909

うーん。この感じを把握するのは私にはまだ難しい。



2008年11月03日(月) ディワリあるいはディーパヴァリについて

Diwali (or Deepavali) is a major Hindu holiday, and a significant festival in Hinduism, Sikhism, Buddhism, and Jainism. [3] Many legends are associated with Diwali. Today it is celebrated by Hindus, Jains, and Sikhs across the globe as the "Festival of Lights," where the lights or lamps signify victory of good over the evil within an individual. Diwali is celebrated on the new moon day (approx fifteenth day) of the month Kartika.

 Excerpts from Yahoo UK and Ireland

 ヤフーUKとアイルランドからの抜粋

光の祭典。ディワリあるいはディーパヴァリは、ヒンズー教徒の一般的な祝日であり、ヒンドゥー教、シーク教、仏教、そしてジャイナ教では重要な祭典である。ディワリには沢山の伝説がある。今日では、世界的に、光の祭典として、祝われる。灯りやランプなどが、個々人の内面における悪を超越した善なるものの勝利を表すものとして、カルティカ月の新月の日、だいたい
15日目に祝われる。

Kartika月って?

Kartika is an uncommon feminine name, derived from the name "Kartik" or "Kartikay" which was the name of Lord Shiva's Son. "Kartika" is also commonly known as the month of November in Hinduism.

シヴァ神の息子Kartikの名前から派生した、女性の名前。ヒンズー教では
11月として知られている。

ふうん。Kartika月。November。11月。あら?神無月って10月?11月は。

霜月か。お山は雪と聞きますものね。


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