林檎を煮た。三温糖、バター、シナモン。
食欲はある。いくらでも食べられるというわけではなく、消化力も強くないが、腹八分目にしておきたいとも思わない。
みかんが美味しい。今が一番美味しい時かな。
昔むかしおばあさんは川に洗濯に行ったのに、今でもどこかでは川で洗濯している人は沢山あるでしょうけど、なかなか川で洗濯するライフスタイルは 持てなくなってしまったなぁ。
今朝も相変わらずしょうもないさえない夢を見て目が覚めた。
もしこんな夢を見ている人が私自身でなく、他の人だったら、私は憐れに思う。
自分がこんな夢を見るのは、情けないと思うかな?夢の中でまで人を恨むなんて。人って、肉親のことなんですけどね。何故今になってこんな夢を見るの?
中学の時に席が隣になった男の子のことを思い出した。私に学生服のボタンをつけてくれと言うので、おかあさんにつけてもらえばいいじゃない、と 言ったら、おかあさんいないんだ、りこんしちゃったの、どうしてだろうね、おかしいね、とその子が言ったのは、私にとって非常にショッキングだった。
りこん、という言葉を知ったのは、中学の時だ。その子が語ったりこんという言葉の意味を、私はその時即座に理解したのだろうか? 確か、英語の先生についても、りこんしたんだって、という噂を聞いた。 私はその先生の授業が嫌いじゃなかった。リズミカルで。その先生はにこやかな時でも目は笑っていなかったような気もする。でも何かこうでなきゃ いかんという信念のようなものを抱いているように見えた。それに駆り立てられた情熱のようなものを生徒たちにぶつけてきていたような。その先生は 日教組の闘争についても生徒たちに理解を求めたことがあったと思う。
私が学生服のボタンをつけてあげたR君のおかあさまは、案外R君が会いに行けるところに住んでいらしたようだったが、R君はその頃お父さんと暮らしていたんだろうなと私は想像している。おとうさんもいないんだとは 言わなかったし。で、おかあさんにも時折会いに行っていた。 R君も結婚したと聞いたけど。、
私の父と母は母が亡くなるまで離婚はしなかった。喧嘩はよくしていた。 年取ってからも父が母にりこんするといきまいていた姿を見たが、母はそんなことできるわけないじゃないとため息をついていた。母にももう帰るところは無かったのかな。
娘は高校生の頃、私に、おとうさんとの喧嘩について話せと言ったことがある。携帯で。彼女も、R君のように、どうしてだろうと疑問を抱いたのだろうか。だが、私が彼女の父親との結婚のきっかけを話そうとした時点で娘は激怒した。あんたのお父さんは私の兄貴に、俺は女を不幸にするぞって言ったんだって、と事実を話しただけで。羨ましいなあと思った。怒れるなんて。私はまだ自問している。どうして自分自身の大事な問題だったのに、兄に勧められたくらいでいいよなんて承諾してしまったのだろうと。もう親権も失って再婚までしているのに。離婚しても何度も何度も彼女の父親や元姑に再会する夢に追われてきたの。
祖母は水が合わなかったんだと言った。水はおいしいと思ったが。
私は父に兄二人でやめておけばよかったんだと言った。私だって生んでくれって頼んだわけじゃない。結婚させてくれって頼んだわけじゃない。
どうして生まれてきたんだろう。何のために生まれてきたんだろう?亡びるために?違うよね?
1パーセントの奇跡という韓国ドラマを見ていて、いいなあと思う。親が子供を苦労させたくないとあんなに結婚に反対してくれるのって羨ましい。元気でいいなあと思う。 だから私は思い切りわからずやの母親になって、子供の結婚に大反対したい。でもまず子供が自立せざるを得なくならなくては、反対もできないか。
でもね。本当に私が恨んでいるのは、兄でも元夫でも今の夫でもない。 名前も知らないあのおじいさんだ。既婚で娘さんもあった。とまた責任転嫁してみる。責任転嫁じゃないよ。本当にあのおじさんは逃げおおせたのだろうか?信じられないね。
あんなおじいさんが存在するのだから、私が儒教を奉じることはできかねる。年長者の言う事は尊重したい。お年寄は大事にしたい労わりたいけれど、それは年取った人が信頼できるちゃんとした人格者になっていればこそだ。あんな勘違いじいさんからは絶対に毅然として遠ざからなければいけなかったんだ。だけどあの頃は、ああした勘違いじいさんたちを許してあげなくちゃいけないのだろうかという悩みの中にいた。
ところで、ハリーポッターに出てくるヴォルデモートだったかは、名前を言うことをはばかられていた。
アメリカ人の神父さんは許さなければいけませんとおっしゃった。何故?何故私に罪を許す力があるの?何故私が許さなければいけないの?私は許しちゃいけない立場じゃないの?何故私は許せないの?許そうとしたからおかしくなったんじゃないの。
癒しのなんとかとか、メンタルヘルスとかには、自分を許す、自分を愛するということがよく言われてきた。ありのままの自分とは一体どんな自分なのか。何でも許せる私なんて私じゃない。どうして私に許せるんだ?私は神様じゃない。
神父さんが独身を通すことが建前なのは、きっと家族の問題について第三者としてより客観的な判断を下したいがためだろう。お坊さんの出家もそのためだろう。でも神父さんにも身びいきはあり得る。
例えばあの自称カトリックのおじいさんが(あの頃はおじさんだったが)、私に対する酷いセクハラと誹謗を懺悔したとして、神父さんがお許しになったとして、それですっかり罪は許されて私のことは忘れて晴れ晴れと暮らしているのだろうか?そうだとしたらカトリック教会なんていんちきだと思う。彼があのままで教会の信者であり続けられたとしたら。我が身を疑わなかったとしたら。
私はあのおじさんに会わなければ自分が離婚せずに済んだと思うのだろうか?離婚しなかった方が幸せだっただろうか?
いんちきなのはクリスチャンのおじさんだけじゃなかった。お坊さんもだ。
一生独身だった方が幸せだったろうか?死んだら神様に会えるんです。 神父さんやマザーテレサのように。
覆水が盆に返らないという諺は教わった。
しかしながら閻魔さんやらイエスさんやらアラーの神さんやらは、また私を突然わけもわからず血の池地獄やら何やらに放り込むおつもりなのだろうか?もしマザーテレサの言われるように私も神に望まれて生まれてきたのなら、神にはどんな意図があって私を生かしているのだろうか。どうして私は生きているのだろうか。何のために生きているのだろうか。と自問してしまう。どうして私が自分の大事な人格やわが子を失って名前も知らない他人それも陰で寺の悪口を言って嘲笑していたいんちきカトリックの娘さんを守らなくちゃいけなかったの?どうしてこんな理不尽に耐えなくちゃいけなかったの?納得がいかない。
相変わらず世の中にはくだらない説を唱える人がある。
ああ眠い。
そういえば、上の子を出産の陣痛の夜私は怒りに燃えていたが、下の子の時も酷い目に遭ったけど、頑張ろうねって子供に話しかけてた。
天職あるいはライフワークというものを持てたらいいなあと思っている。
それにしても私はもう50歳になろうとしている。
昔信長は人生50年と言いませんでした?
でも私は鳴かぬなら殺してしまえというよりは、鳴かぬなら鳴くまで待とうという方が好き。でも夫やわが子を自害させるなんて嫌。兄弟姉妹の旦那さんや奥さんを殺してしまうなんていうのももってのほかだ。 内政の不満を外に向けさせて外国を武力で侵略するなんてこともこれからの日本は絶対しないで欲しい。 ペンは剣より強しじゃないの? 天に宝を蓄えるってどういうことなの?
さて、今日は10日。
夕方になると欠伸が出る。
神との対話という本があったと思う。著者は男性だった。
ある人は、娘の母親は娘の事を考えるべきだけれども、いつもいつも娘の事ばかり考えない方がいい。むしろ、もっと宇宙の創造主とコンタクトした方がよいと言われる。そして宇宙の創造主が主人だと。そしてその創造主は唯一絶対の存在。
お釈迦様は神が存在するともしないともおっしゃらなかったと聞く。
宇宙の創造主とコンタクトするというのはどういうことだろうか?神様とお話しする?
神様というのはまず自分を超えた存在のような気がする。神は愛であるという言葉もあった。
仏様と言うのは、真理に目覚めた人という意味ではなかったでしたっけ? 悟りの境地というのが理想だが、悟りにこだわることもないというような。
私は夫のことをうちの主人と呼ぶ事があるが、アグネスチャンさんは、日本の既婚女性が旦那さんの事を主人と呼ぶのは抵抗を感じるとおっしゃっていた。 中国出身の女性は、夫は我的愛人だと語っていた。いいなあと思った。しかし、日本的な感覚だと、いわゆる愛人というのは正妻ではないという雰囲気があって、私はどう考えていいのかわからなくなることがある。 私の結婚が決まった時に、中学のクラスメイトは私はお嫁さんになりたいと言っていたと婚約者に語ったが、私自身はそうだったっけ?というような感じで、そう言った記憶がないのだ。その時は婚約者に関心があったから、そう言われて否定もしなかった。私が覚えているのは、歩いて旅をしたいと思ったことくらいだ。それから怖いものに追いかけられるような夢はみないようにして欲しいと毎晩神に祈ったこと。
お嫁さんになりたいなんて言ってなかったと思うなあ。だってベルサイユのバラのヒロインのオスカルちゃんだって、アンドレと結ばれた途端に結婚式も出産もせずにあの世に旅立ってしまったのだ。それを何とかして死ななかったことにして、アンドレとの間に子供を。。というようなことを乙女心に夜な夜な考えたが、結婚式を挙げるなどというようなことはその筋書きに入っていなかった。結婚は婚姻届を出せばいいんじゃないかくらいに思っていた。 しかし長兄は割合早くに結婚した。 何故かというと、母は私が小学生頃に子宮筋腫で子宮を摘出し、きっと体力に衰えも感じていたのだろう、私は中学3年くらいまでは前から数えて二番目くらいに体が小さくて幼い雰囲気だったし、母は先行きに不安を感じて、 自分に万一のことがあった場合に家のことを任せられるお嫁さんが欲しかったのだ。だから長兄が惚れた女の子を連れてきて可愛いと思ったら、まだ長兄は学生だったのに、父と二人で彼女の実家に結婚の申し込みに行った。そして結婚式というのをした。神道式だったと思う。向うのご両親にしたら、 まだ若いのに早々と可愛い娘を盗られてしまったように思われたかもしれない。東京砂漠に吸い取られてしまったのか?しかし私の実家にはその頃若者が沢山たむろっていたのだ。彼女の弟さんも受験や進学などで上京し、遊びにきていた。
長兄は男友達は親友でも外で会っていて、実家の自分の部屋に男友達を毎日連れてくるというようなことはあまりなかったが、次兄の友達は沢山遊びにきた。文化祭で映画を作る作業だの、文集を作る作業だの。
私は年齢がずっと下だったので、おみそという気もしたが、年上のおにいさんおねえさんたちの団欒を結構聴いていたかもしれない。いろいろな青春があったのだ。
私は平凡だし、紆余曲折もあるし、いろいろ馬鹿なこともしたが、でもみんな懐かしい。いろいろな顔が思い出される。そして、今まで歩いてきた道を否定はしない。
やっぱり私は幸運だったと思う。
ある人は一神教でも多神教でも問題はある、と言っていた。今その人がオンラインなようなので、あ、生きてる生きてると思って嬉しい。この人と知り合ったことも私に影響を与えてくれた。それはいい影響だったと私は感謝している。
幼かった頃からの自分を思い返してみると、今でも沢山幼いところはあるが、それでも私は一人で生きてきたわけではないと思う。
今月もお誕生日の人親戚にもいろいろあって、おめでとうと直接言いたい です。
あ、そういえば今日は亡くなった父の誕生日だし。 懐かしんじゃいけないかな~。笑顔のおじいちゃんに抱かれていた小さな男の子の写真を思い出す。白黒写真だったけど。
師走って先生でも走るくらい忙しい時期らしいですけど。
そんなに急いでどこへ行く。
どうして子供を生んだんだろう?生まれてきて幸せかどうかもわからない子を。
亡くなった母に、父に、どうして私を生んだの?と聞いたら、どう答えるだろう? 生みたかった、と母は答えるのではないだろうか?
私は子供が生みたいからと思って結婚したわけではないが、子供ができた時生みたくないとは思わなかった。生まれてもいいじゃないかと子供の父親に言った。俺は知らないぞと彼は言った。
まったくどうしてこんな苦しい思いをして、子供を生まなくてはならなかったのだろう?本能?
娘の父方のお祖父さんが、自分たちは親に言われて結婚したとおっしゃった時、私は、親に言われて結婚を決めるなんて嫌だと言った。親の決めた結婚だったから自分はその被害者だなんて。その頃はそれがいいと思っていたんだとお祖父さんはおっしゃった。 その時私は娘の父親、つまり彼の息子さんと、好きだから結婚したと思っていた。兄に勧められて結婚したという意味では、私もあのお祖父さんと同じ弱さを持っている。でも、兄に勧められたから結婚したんじゃない。好きになったから結婚したんだと思っている。あのお祖父さんだって親が勧めたからだけじゃなくて、ご本人にも良さを感じていたのではないだろうか。 だが私顔に痕の残るような傷をつけて私に謝りもしなかった兄の勧めに従ったなんて、一体どういう神経だったんだろう?私は。あまりにも自分をないがしろにしてきたのではないだろうか。私は次兄が故意に私を傷つけたとは思っていない。だから許した、忘れたつもりだった。実際顔の傷のために私を嫌った人はいないと思う。高校生の時バレンタインデーにチョコをあげた男の子も私と仲良くしようとしてくれた。次兄はその子は一本気だから おまえとは合わないなどとけちをつけたが、だからって何故それ以上交際できなくなったのだろう?何故次兄の思惑に左右されなければならなかったんだろう?私が生まれてしまったのは私のせいではない。次兄が里子に出されたのは私のせいではない。 一体全体私が兄たちの好きになった人にケチをつけたことがあったか? 私はいろいろケチをつけられたよ。歯磨きのチューブの蓋が開けっ放しだとか、野良犬みたいだとか、狸だとか、きちがいみたいだとか、人間以下だとか。まるで自分たちは歯磨きのチューブを開けっ放しだったことがないかのように。まるで自分たちは私みたいにきちがいみたいだったことがないかのように。まるで自分たちは末っ子の私よりも我がままではなかったかのように。
息子の父親と結婚したのは何故だったんだろう? 信じられるものが見つかったと思ったんだよ、と息子の父親は言った。 私が信じられない私を信じられるという人は貴重な人のように思われた。不思議だった。お酒を飲んでにこにこ笑っている人というのも珍しかった。 しかし、一体どうして私の中に信じられるものが見つかったと思ったのだろう?訊ねてみなければ。確かに私は自分が悪人とは思えない。でも不注意ではある。
一体どうすればよかったのだろう? これからどうすればいいのだろう?
あの頃、別に私はまだ適齢期でもなく、売れ残りというような年齢でもなかった。そんなに急いで結婚する必要はなかったのに、また、取りやめるチャンスだってあったはずなのに、どうして私は娘の父親に惹かれてしまったのだろう?どうして結婚してもいいなどと言ってしまったんだろう? どうして夫が子供を欲しがっていたわけでもないのに、私は避妊つきのセックスを嫌がったのだろう?本能?
私が赤ん坊の時、この子はべっぴんさんにはなれないんじゃないかと心配になったことがあったの、と母は言った。 確かに私はべっぴんさんではない。
私の娘もべっぴんさんとは思えないが。
生まれてきた時は嬉しかった。そして幸せになって欲しいと願っている。だけど幸せって何だろう?人生は苦しいのが当たり前だというのに。
愛という言葉は嫌いだった。愛情なら少しはましだ。愛憎と言う言葉も嫌だ。友愛という言葉も何だかなあと思う。 そんなわけだから、夫をダーリンなんて恥ずかしくて呼べない。
娘の父親は、愛は煩悩だと言った。でもそれでもいい。苦しくてもいいと。
新約聖書には、愛は情け深いとある。英訳では、ラブではなくて、チャリティということになっている。
チャリティって子供の頃の私には胡散臭い言葉だった。母がまずそうしたものに警戒心を持っていたように思う。今私は、災難に遭った時、もし困った人を助ける事ができるなら、お金持ちっていいな、才能に恵まれた人って羨ましいと思う。
子供の頃ご近所のおば様は洗礼を受けていた。お子さんたちにも洗礼を受けさせた。 私の母は私を教会には連れていかなかった。父は大晦日から元旦にかけて近所の小さな神社に参拝に行く時、私がついていくのを止めなかった。
今私は神社に参拝したくても教会に行きたくてもそれを一人で実行する体力がない。
でも甥の結婚を祝福したいと思っている。 そして、わが子の誕生日も。
彼女は今でも生まれてこない方が幸せだったと思っているのだろうか。
彼女の父親は俺はいい人じゃないと言っていた。すると彼は悪い人なのか?
一パーセントの奇跡という韓国ドラマで、ヒロインが関わってしまった男性のことを大魔王と呼んでいる。
私の娘も魔王の子どもなのか。
私の娘は財閥の娘ではないが、でも普通の家とはいえないかもしれない。
確かに私の実家と私の娘の家とは大きく違っていたが、その違いをよく知らないうちに私は承諾してしまった。
それにしても宗教法人が税法上優遇されなくてはいけない理由とは一体何なのか?
何故私たちは生まれながらにして平等でないのか?生まれながらにして背負っているものが違うのか?
金正男氏や正恩氏も普通の家に生まれたとは思われないだろう。 しかし、正男氏が権力を持ちたがっているとは思えないし、正恩氏も人民のことを真面目に考えていないようにも思われない。それでも人民は苦しいと正恩のせいだと考えたりするものらしい。私たちが鳩山さんや菅首相を頼りなく感じたりすることがあるように。
兄を信じた私が愚かだったのだ。この世に信じられるものなどないのが本当だ。信じるから裏切られるのだ。信じなければ裏切られることもない。 そうして気をつけていても、本当に思い通りにはいかないものだ。自分の心さえ思い通りにならないのに、まして自分以外の人の心など思い通りになるはずがない。私には超能力も予知能力もないし、いまだに飼い犬と同じくらい世間知らずだ。
しかし私の子供が生まれてきて欲しかったのは私だけだったのだろうか?
私に生まれてきて欲しかったのは母だけだったのだろうか?
どうして私の下には弟も妹も生まれなかったのだろうか?
もっと生んで欲しかったのにな。私は弟も妹もいらないなんて言わなかったのにな。どうして諦めちゃったんだろうか?お金か?
あんたは傲慢じゃないよ、と祖母は言った。祖母はモンスターペアレントだったかもしれない。うちの子は前の学校で級長だったんですよ、と学校の先生に言って、それが恥ずかしくも何ともなかったんだよ。
母は級長さんだったのか。私は学級代表だったことなんてない。
同じ母親でも、親子でも、母と私とは違う人だ。
だから娘も私と血は繋がってはいても、違う人だと思う。
成功した自分をイメージしましょう、と占いにある。
私にとって成功って何だろう?
私にとっての成功が人にとっての失敗でなく、他人の不幸の上に私の幸せがあったりしないためには、どうしたらいいんだろう?
みんなが幸せになるって不可能なことだろうか?
どうしたらいいんだろう?と思いながら布団に入る。
トイレに目が覚める。お腹もすく。
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