鵰日記
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2011年02月28日(月)

それとも栄養過多で不要な血が出るのかな。

自分の理想の冷やしタンタン麺を作るのに、どれだけ空腹に耐えられるかと思って水道の水を飲んでいる。

夫をトマトを頼んだが、葱とアスパラ菜はある。アスパラ菜を茹でてお浸し状態。ゆで卵も作った。

昼に鮭そぼろと海苔でお茶漬けを少し食べた。

夫に電話したら、胡瓜もあることがわかった。もう我慢できない。一人でも食うぞ。

子供はテスト期間中で早かったが、ラーメンとお茶漬け食べて眠ってしまった。

できれば冷やしタンタン麺は夏の暑い時に食べたいが、諸般の事情があるのだ。今日は比較的寒くなかった。これから春なんだ。

ちょっとたれがしょっぱいな。

自分でたれを作るという手もあるか。

中東のデモに関心がないわけではありません。無事を祈っていますが。

しかし私自分もこんなに明日が不透明でも、無職でも、デモに参加したことない。安田講堂の安保闘争の時だって、うちでニュース見ていただけだもの。

実際トイレが近すぎて、外出心配なのよね。二院制の国会のやり取りもうんざりしちゃうけど、だからって自分が政治家になる元気も土台もないもの。
工事現場で働く元気もデモに参加する元気も近所のスーパーまで好きなもの
買いに出る元気もお金も持ってないもの。

でも最善を尽くしてきた。



2011年02月27日(日)

やっぱりかなり更年期障害気味で、快調とは言えません。どうしてこんなに出血多量なんだ。いくら鉄分取ってもすぐ流れ出てしまう。

でも少しパニックから抜けたかな。

それにしてもおもうごとたすくとぐることきはめてありがたし。。

北半球は木の芽時だし。


2011年02月26日(土)

誰も自由になんて生きていないよ。勘違いはやめてくれ。


2011年02月23日(水)

みなたすかりますように。

クライストチャーチっていいところなのに。

復興する復興する

how is he doing ?that taxi driver with big belly and good reddish face


あーやっぱり私はハッピーエンドのお話が好き。コメディがいいな。


2011年02月22日(火)

ああゆうべは参りました。食べすぎたのかな?

今日一日苦しかったけど、やっと治った気がします。旦那さんも子供も関係ないということは、神経性かな。

しかし、ほっとすると、久しぶりに友達にしゃべることがあれやこれやとりとめもなくなるので、相手は困るかな。許されたい。


そういえば、最近うちの旦那さんは、@@食べたいな、じゃ、あ、そう、で終わってしまうから、@@買ってきて、といいなさいよ、と申されたことがございました。
しかし、それが、鯛焼き買ってきてよ、だったら、旦那さんは対処できますが、しかし、色々と、今は、苦しいです。何か一つ片付けるにしても、順序とか算段とかいうものが必要です。

私の今回の胃腸炎は、今回は、ポカリスエットとビオフェルミンとガモファーとビスケットと、それから、イブと、お蔭様で治りました。

今閉経前なせいか、何だか半月もしないうちにくるんですよね。それとともに上からも下からもけぽけぽ出てくると、三つの穴からの反乱で、参りました。ああ、痛みが治まるということは、有難い。


2011年02月16日(水)

デモに参加する情熱があるのは健康そうでいいな。私も以前はチョコを買いに出るくらいの元気はあったのに。

傷つきたくない気持ちとか、落胆を怖れるあまりに期待すまいとする気持ちもないわけではないが、これから何をしても駄目だと決め付けたくはない。

この元気のなさは、あの頃やあの頃に似ているかなと思う。

どんな風に充電しようか。


2011年02月10日(木)

 私の父は、一台も車が走っていなくても、信号が黄色や赤だと青になるまで横断せずにずっと待っている人だった。その人の家で暮らすことがどんなに幸せなことだったか私は知らなかった。

 父はまったくかっこいい人ではなかった。お洒落でもなかった。話がうまくもなかった。もてるタイプでもなかった。母のほうがもてただろう。

 車の運転をするのでも、一番左側の車線で、例えば時速40kmで走るべきところでは、どんなに空いている場所でも、他に車が一台もなく人がいなくても、それ以上に速度を上げたりしなかった。

 私は母が羨ましいと思う。死期が近づいた時、二人とも幸せだったと言えた。

 人は何故急ぐのだろうか?人より先になることがそんなに重要なことなのだろうか。確かに待ち合わせをしたら時間に間に合うように着こうとするが。五分おきに電車がくるなら、走って早く乗り込もうとするより、次の電車を待つ。

 わが子を応援したいというのは親として当然だが、先生に自分の子供を不当に優先させろというような親の子供が本当に幸せだろうか。分相応のペースが保てないでずっとお尻をたたかれて追われるように生きなければならないなら、本当の幸せなんて見つからないだろう。誰もが最優秀選手になるわけでもないのに。

 それにしても、子供の学校から授業料の催促がきてしまった。

 今年度の授業料。どうするんだろうか?まだ来年に受験を控えているのに。

 大学受験に受かったのに、お父様が病死されて就職した友達を思い出した。

 なんだったっけな。ハッピーバニーというのになりたいと思いましたが。
にこにこしたうさぎさん。そういううさぎさんの出てくるお店を思い浮かべたら、前向きに生きる女の子のお店だったのかと。

 なかなか真似はできないけど、苦しい時ほど真価が問われるのだと思って明るく持ちこたえたいものですね。
 


2011年02月08日(火)

仏教の五戒とか十善というのは、不殺生、不邪淫などだが、モーゼの十戒や
コーランだと、それ以外の神を拝んではならないというのがまずくるので悩む。トルストイ夫妻みたいな深刻さで冗談も言えないかと。

でもこういう詰め寄り方をする神様というのも、自分が明らかにされることになっていいかもしれない。

私が夫と神社に詣でたりすることについて、ある回教徒の人は、私が光を求めているのだからそれでいい、アラーの神を求めるのと同じことだという。
カトリックにプロテスタント、上座部に対して大乗、比叡山や高野山に対して在家仏教が出てきて、既存の寺に対して創価学会などが出てくるように、
時とともに変わっていくものはある。

学生の頃、倫理社会の教科書にはいろいろな思想家が出てきたが、実際学校で教育を受けても、成績や身だしなみなどのほかにそんなに善悪などについて教えられているわけではなく、みんな仲良く、とか、いじめはいけないとか、係りの責任とか、人気のない道を一人で歩くと怖いことがあるかもしれないとか、その程度のことが漠然としていた。母は幸せを願いながらいろいろ気をもんだに違いないが、なかなかこれだけおさえておけば安心と
いうようなものを私にすらすらと教えられたわけではないだろう。私が二十歳くらいの頃、母は時折自分が若い頃のことをぽつりぽつりと語ることがあった。なかなか自分が学んだもの経験によって得たものを上手に子供に伝えるのは難しくて思っていることの十分の一も語りつくせなかったんじゃないかな。
江戸時代の庶民はおおらかだったということだが、明治の祖母の頃は男女七歳にして席を同じうせずだった。母は学徒動員で男子学生とも一緒に働くこともあったようだが、母は戦後自由になってから家庭を持ったのだから、親に言われて結婚するのが当たり前だった祖母からは、離れていってしまった娘だったのかもしれない。離れていってから結局祖母より先立ってしまったんだから、祖母にしたら親不孝な娘だったかもしれないが、母にしてみれば精一杯だった。私も自分の花を咲かせて実をつけたい。

インドの映画ってブロードウェイのミュージカルみたいな感じかな。

境界線でぴりぴりしたりしないで、協力できればいいのに。一つの星に暮らしているのに。


2011年02月07日(月)

そうだ。ホットミルクココア飲みたいと思ったんだ。

ニーチェって暗いイメージだったが、そうでもなかったのか。

今朝はゆうべ沸かした烏龍茶。冷やし中華。お昼カレーピラフ作って食べました。

雲は少なくないですが、水色の空が広がっている。風通しています。

三日ぶりに今日は風呂に入れて、頭も洗った。

中国で同窓会怖い人が増えているということだが、私も同窓会って一度行って懲りた。
そういえば、娘の父親も、昔、学校卒業した後同窓会に行っても友達より収入が低いので面白くなかったと語っていた。
私は収入というよりも、再婚の後だったかな。同窓会などが楽しいばかりでなくなったのは。別に誰も意地悪じゃないんだけど、何か感じてしまったり
してしまうことがあったんだな。

今日は夜胸焼けするのでガモファーというのを一錠飲みました。

やっぱりピラフは脂っこいかな???

ただ理解しあい助け合えるなら、分かち合えるなら、何かを確保しよう独占しようなどとやっきになる必要もないのに。

傷ついて不安になっている時は、身を硬くして、自分を助けようとしてくれる人からさえ保身し、敵に対するように無意識に身構えてしまう。おかしいね。

そういえば、ゆうべ、トルストイとその妻ソフィアのお話の番組があった。
二人ともすごく真面目に愛し合っているのに、お子さんだってこれでもかっていうほど沢山こさえてすごい結びつきなのに、最後までそれが精神的な結びつきでないように感じられて苦しむなんて、とても気の毒。夫の子供の母親は全て自分なのに、夫が女遊びしたわけでも男色に走ったわけでもないのに夫の信奉者に嫉妬を感じてしまうなんて女親って憐れ。財産も地位も名誉も才能も人徳も家族も愛があってもこんなに悲壮に生きなくてもならないなんて、もてない人も苦しいが持てる人も苦しむという御釈迦さんの言葉を地でいっておられるみたい。明日のことはわからないけど、我が家は庶民で幸いか。でも夫婦ってどこでもこうしたすれ違いはあるかと思う。私の父と母も生きたい方向が違っていた。もし母がトルストイ夫妻のものを知ったら、母にはトルストイの妻の気持ちが痛いほどよくわかっただろう。母のほうが父より先にいってしまったけれど。母もソフィアのようにごく平凡な幸せを望むことが悪いとは思っていなかった。どんな父親にも崇高なところがあるように思われるが、母親は、子供のために、その崇高さの足を引っ張ってしまわざるを得ないところがあるのが、夫婦というものの悲しいところだ。
どうしてこんなに苦しめられるのかと問いたくなるが、それは、イブのせいなのか?笑ってしまおう。神様ちょっとひどいですわ、智恵の実を食べるななどとわざわざおっしゃらないてそっとほっといておいてくだされば、苦労なしでしたのに。


2011年02月06日(日)

今朝は主人が朝早かったので一度起きましたが、午前中は聖書などを読もうとしても眠くなって横になり、うとうとしてました。

午後はジャケットのボタンつけをしたり。


2011年02月05日(土)

 ゆうべは海苔巻きにした。かに風蒲鉾、卵焼き、胡瓜、それから、主人が
お野菜などの直売所で買ったらしいオータムポエムという青菜とベーコン炒め、マヨネーズでサラダまき。古代米をちょっぴり入れて炊いたご飯。

 このところ少し生活を立て直そうと頑張ったせいか夕べは結構疲れて、ちゃんと眠ったのだが、トイレで目が覚めた今朝私は心身不調だった。でもおねしょじゃないし、もよおしたらトイレに行って用を足せる。介護は不要だ。主人は水曜に病院に連れて行ってやると言った。肺炎じゃないかと言う。熱はない。でもまだ死にたくないとか会うとほっとするようなお医者さんじゃないと嫌だなどと主人に言って私はおいおいと泣いた。子供みたいかな。でも弱っている時にしごかれるようなことを言われると本当に言うこと聞かないと死ぬぞと言われてもどうしようもない。朝は爽やかに目覚めたいな。
 私は大概のお医者さんは努力家で真面目で良心的でいい人だと思っていますが、何だか子供の頃に出会ったお医者さんたちに対する安心感を失ってしまいました。お医者さんも人間だなどと思いやれるほど元気でない時があるんです。お医者さんだって非難したくなる時はあるでしょうけど。
私が具合悪くても病院を頼れなくなったのは、それはお医者さんたちのせいではなくて、私の傷のせいでしょうけど。
誰だって神様じゃない。だから、こちらから求めたりしなくてもいい、全てお見通しの存在に、このままで愛されているようなほっとする時がなければ
気が休まりません。

 そういえば、ゆうべは寝る前に、Bread of Lifeというののお祈りを音読した。
 聖パウロの娘たちというアメリカ方面の団体みたいだ。

 米国に渡った友達が今世紀になって最近は毎週教会に行くのが楽しみだと語っていた。彼女の神様はどこの神様かはわからなかったけど。

 私のこの本も今世紀の本だけど、どうも購入したのではなくて、頂いたような気がする。
 これは英語だけど、もともとはイタリアの団体みたい。カトリック教会から送られてきたのかな???
 
 私はちょっと間違えてしまったところがあって、悩むところもあるが、でも間違えようとしたわけではないし、だまそうとしたこともないし、私が出会ったどんな人にも、私は基本的にだまされたことはないと思う。私は時々
教会の日曜日の集会などに参加したくなる。何に惹かれるかというと、ほかの人と一緒に歌を歌う時間が幸せなのだ。仏教のお寺さんでお経を一緒にあげるのも嫌いじゃなかった。
 というか、私は本当に間違えたのだろうか。綴りの間違いとかいろいろするし、先日も番号を書き間違えたか、老眼で読み間違えた。
 でも、子供が生まれてきたことを、間違えとは言えない。自分の人生を否定はできない。だから神父様がおっしゃるとおり、許しあわなければ生きていけない。

 子供の頃ピアノを習ったが、ピアノの先生は教会などにも馴染みがおありだったのではないだろうか?よくわからないが、ピアノは西洋の楽器だ。
 私の両親は私が子供の頃教会には出かけなかった。でも終戦の頃などに
洗礼を受けたくなったことがあったということは父も教会のミサに参加したりしたことがあったのだ。
 でも父が言うのに、彼はある時何かが冷めた。それは何か当時結構流行っていた宗教団体の責任者にスキャンダルがあったりして、そうしてみると、
宗教団体は両家の子女に懺悔をさせてその親たちから多額の寄付金を集めている、などというような見方に陥ることもあり、そうしてみると、それまでぼおっと憧れて見つめた神父様の衣装もなんだかけばけばしく色褪せて見えてしまうというような、信仰や信頼がないと、同じものが全然違って見えるのだ。

 それから父は神棚に手を合わせていたが、もしかすると、戦争に負けて
苦しかったからやおろずの神々を見限ろうとしたという自分もちょっとずるかったような気がしたりしたのではないかと想像したりする。
 
 ただ、私は、人は本気で奉仕したい福音を伝えたいという純粋な気持ちなしに、聖職者の道に入ることはできるものじゃないと思う。人にものを贈るのだって、それをいいものだと思っていなければ贈れるものではないと思う。イエス様の勧められる主の祈り、時々、祈ってしまう。御仏の慈悲も有難いと思う。

 今日は土曜日だが、子供も朝から学校。

 生活していれば、お隣近所というものがある。
 子供の頃お隣に茶道の先生がいらして、母について袱紗などを持って少し習いに伺ったりした。
 そちらにも我が家にも若いお嫁さんができて、兄夫婦に赤ちゃんができて
小さな姪甥などが遊ぶようになり、お隣にも同じような年頃の子供たちが育ってほかにも子供たちがあって一緒に遊ぶ姿が見られるようになって、そうして若奥さんたちのお茶の会がにぎわったりすると、別に騒音だの境界線の問題だのということはそんなに出てこないし、出ても話し合いで収まる。
 というような楽しい時代があった。私はまだ独身だったが。そして自分も結婚すればまたそこでご近所づきあいも自然にできるのだろう、などと考えることもなく、どうでなくてはいけないと思うこともなく、足の向くところへ行き、興味を持った講義を取り、読みたい本を読み、やってみたいアルバイトをし、惹かれる言葉の辞書を購入した。
 無理があれば続かないし、ご縁があればまた楽しい出会いもあるだろう。

 午後お野菜を炒めてビーフンを作りました。父は台湾で生まれたし、祖母はそのせいかビーフンを作ることがあったようで、それで父も時折懐かしがって作っていました。それで私も好きなのです。

 エジプトって、一院制だったのか。二院制に移行してみるとどうなのかと思う。首相や大統領などになった人たちが、別に私欲のためや権力のために
なったとは思わない。留まって頑張ろうとするのも辞任するのも自分のためとは思わない。一院制の方がよかったこともあったのかもしれないけど、シーザーだって素直に人気に乗じて権力を掌握してしまったからあんなことになったとすれば、やはりアウグストスのように遠慮することも必要なのかなと思います。
 誰でも大任はおいそれとは負えないところで、大衆に認められたら思う存分世のため人のために尽力してこられたことでしょうが、二院制三権分立といった制度の中でも運営されていくのは大変なことでしょうが、しかし、やはり独裁だと、責任の重さもカリスマの一人の人に負わせるのは重過ぎるでしょうし、権力を掌握してきた人が人々の動向や激しい反発や情勢などに押されるのと別に、自分の才覚だけに頼らずに自分のかわいい子供には旅をさせて、民主的な選挙や二院制などの制度の構築を成し遂げられたら、実に偉大だと思う。

 ところで、今日は個人的に(別にいつもそうですよね、何言ってるんだか)非常に驚いたことがありました。
 子供が音楽を聴いていたのですが。そのオケは。そうだったのか。あの指揮者の先生も。そうでしたか。


2011年02月04日(金) forever and for always lyrics

私って結構あれよりあれが好きかも。

でも朝から食欲あるなぁ。

Forever And For Always lyrics

In your arms I can still feel the way you
want me when you hold me
I can still hear the words you whispered
when you told me
I can stay right here forever in your arms

And there ain't no way--
I'm lettin' you go now
And there ain't no way--
and there ain't no how
I'll never see that day....

[Chorus:]
'Cause I'm keeping you
forever and for always
We will be together all of our days
Wanna wake up every
morning to your sweet face--always

Mmmm, baby
In your heart--I can still hear
a beat for every time you kiss me
And when we're apart,
I know how much you miss me
I can feel your love for me in your heart

And there ain't no way--
I'm lettin' you go now
[ From: http://www.elyrics.net/read/s/shania-twain-lyrics/forever-and-for-always-lyrics.html ]
And there ain't now way--
and there ain't no how
I'll never see that day....

[Repeat Chorus]

(I wanna wake up every morning)

In your eyes--(I can still see
the look of the one) I can still see
the look of the one who really loves me
(I can still feel the way that you want)
The one who wouldn't put anything
else in the world above me
(I can still see love for me) I can
still see love for me in your eyes
(I still see the love)

And there ain't no way--
I'm lettin' you go now
And there ain't no way--
and there ain't no how
I'll never see that day....

[Repeat Chorus (2x)]

I'm keeping you forever and for always
I'm in your arms

these lyrics are last corrected by gerdine zevenbergen

朝からシャナイアトウェインなんて私って元気だ。

と思ったけど、もう11時過ぎ。

今日は節分か。

女優さんとか監督さんって結構離婚している人多いかな

ああ、眠くなってきた。紅茶って眠気覚ましになるかしら?

カフェオレにした。ネスカフェの顆粒最後の一匙。




2011年02月03日(木)

ああ、もうお昼だ。
*********

メタボ検診の問診表のとっかかりに、一日一時間以上の歩行あるいはそれと同等のカロリー消費という項目がある。そして週に2,3日一回30分軽く汗をかくこと。
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午後。30分は歩行したと思う。45分かけて。汗はかいていないが、少しからだの冷えや寒さは感じず、体が温まった気がする。
*********

Most of the youngsters who will be starting college this Fall were born in 1992. To help professors bridge that generational chasm, Beloit College prepares an annual list of cultural and technological touchstones for incoming freshman. Man, kids are weird.

Every year since 1998, Beloit has compiled the list as a "catalog of the rapidly changing worldview of each new generation." And what a strange worldview it is. Here are a few of Beloit's sorta-amusing, sorta-frightening findings that are relevant to our purposes:

1. Few in the class know how to write in cursive.

2. Email is just too slow, and they seldom if ever use snail mail.

10. A quarter of the class has at least one immigrant parent, and the immigration debate is not a big priority…unless it involves "real" aliens from another planet.

16. Korean cars have always been a staple on American highways.

19. They never twisted the coiled handset wire aimlessly around their wrists while chatting on the phone.

20. DNA fingerprinting and maps of the human genome have always existed.

26. Unless they found one in their grandparents' closet, they have never seen a carousel of Kodachrome slides.

27. Computers have never lacked a CD-ROM disk drive.

28. They've never recognized that pointing to their wrists was a request for the time of day.

31. The first computer they probably touched was an Apple II; it is now in a museum.

43. Russians and Americans have always been living together in space.

48. Someone has always gotten married in space.

62. Having hundreds of cable channels but nothing to watch has always been routine.

65. They first met Michelangelo when he was just a computer virus.

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なるほどねえ。。うちの息子は1993年生まれだ。

今朝はマルタイラーメンにベーコン、ホウレン草、卵などを入れて食べました。緑茶。パブロン苦い顆粒一袋飲みました。鉄50mg。




2011年02月02日(水)

本日はお日和もよく、朝も何故かすんなり目覚めて、片付けたい仕事、一日一回はやりたいことなどを始めて、何だか久々に結構働いたような気がするんですが、まだ全然終わってないんです。

ああ、でも今日はお天気なので、布団を干せたり風を通せたりして、気持ちがいいです。

かなりなまっているけれど、めげずにリハビリしていきたいと思います。


2011年02月01日(火)

 やっぱり私って変な人なのかなあとボランティアの希望を伝えながら思ってしまった。
 自分が何かをできるかどうかにこんなに自信がないなんて。
 でも、思いがけなく道に迷ったり、不測の事態があると、やはり何があってもできますとは言えなくなる。
 でも変というほどでもない。緊張しただけ。

 でもとにかく、人に迷惑をかけないように、人の助けになりたい、大袈裟に言うと、何かに貢献したい、というか、楽しみを分かち合いたい、という
いうなれば人としてごく当たり前の願望を持っているに過ぎない。どうということのない雑用であっても。
 それは、家庭にあってもそうだ。どうということのない雑用であっても、
そういう素直な願望は人に好感を抱いていれば自然にある。
 ただ、時には、真心が傷つけられたようなことに陥ってしまうことがあって、そうすると、恐れが生じるのだ。それは、一種の事故だ。
 覚えていることが今までのようにスムースには進まずに、時には足枷のようであっても、別に忘れなければいけないというようなことはない。
 例えば年配の人が昔のことはよく覚えているが最近のことはよく忘れるというようなことがあるとしても、それはやはり当然のことで過去のことは忘れなさいとは言えないしむしろ時間があればどんなだったか伺ってみたいくらいのものだ。これからの自分の幸せのためにありったけの自分のエゴをもって過去をすべて忘れようとしても忘れられるものではない。
 だから夫だって主人の祖母だって私に忘れろとは言わなかった。
 まあ、子供には私のような目には遭わないように願うところはある。

 母は空襲に遭ったことあるけど、私はなかったか。

 そういえば、韓国の人も大学芋って作るんですね。薩摩芋を揚げてシロップをからめるの。それに黒胡麻を絡めたりするの、大学芋ってよく見かけるけど、中国とか朝鮮半島でもこういうの定番なのかな。

 パンの恵方巻きっていうのもあるのか。ふむふむ。

 雪の日に自分の夏の水着姿などを見るとひゃあと感じるものだ。

 摩擦に慣れていかないと、自分は磨かれないと思うが、それにしても私慣れてないので。。やっぱり怖いですが、でも行く。

 しかしどうということのない雑用というのが一番むずかしいかも。

 子供に頼んで洗濯物を干す時の子供の文句と態度。正体はこんなものだと思うが、この態度を学校の先生や上司に対したら、あまりかわいい部下とは思えないかな。この子も一人暮らしは難しいだろうか。

 今、離婚したいとは思わないが、自立したいとは思う。でも全然なってない。

 助け合っていないとは思わないけどな。

 ただ、ちょっと韓国ドラマ見せられただけで、どうしてこんなに疲れてしまうんだろう。

 この時間から出かけるのってどうだろう?

 うちの息子は優しい男だけれども、これからずっと私の期待通りというわけにはいかないだろうし、またそれでは困るのかもしれないな。

 もし私が若い頃休日などに友達と渋谷原宿などに出かけていってがんぐろメイクしたりしていたとしたら、それは私がとても元気な子だったからじゃないかな。そんなに元気じゃなかった。

 

 


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