鵰日記

2024年01月28日(日)

足るを知る



2024年01月17日(水)

私はあの頃自分の年齢を意識はしていなかったが、私が二十二の時だとすると、娘の叔父様が亡くなったのは、今から40年前か。
震災は、29年前らしい。息子は二歳だったと思うが、今は三十になったところ。
種違いのお姉ちゃんは十歳だったのか。
彼女が二十九の時、二人が並んで歩いているあとをついて歩いている時に見たら、弟の方がだいぶ背が高くなっていた。彼女のお父さんほどではないが。

小人の大マラゆうてな、いいんだいいんだ、と息子の父方の曽祖母が語ったことがある。
夫の祖父は、戦争で片足を失ったが、子供は七人。
うめよ増やせよという時代だったそうだ。私の両親の両親も子沢山。私は祖父たちには会えなかったが。
避妊なんて考えなかったんだな。

夫の祖母はやはり子沢山に苦労したから、そんなに大きいマラが良いとは思えない時もあったのかな。
次兄の奥さんが、子供産んでいいよ、って言うのは、優しいつもりなんですよね、とお怒りだった。
核家族の上に、転勤族だったし。大変だったろう。家督というのは、戦後の法律では、無いようだけど、日本の保守層が所帯を持つには、一度は考えざるをえないことだ。

私はまさか自分が結婚や出産が可能とは思っていなかったので、子供が生まれたのはとても嬉しくて、独身の頃のニヒルな?気持ちは霧散していた。しかし、知らないことは山ほどあったし、これからもそうだ。

日本に貧しくても子沢山な家庭が沢山あった頃には、おじさんおばさんも沢山あったが、一人っ子が多くなると、おじさんもおはさんもなくなってくるみたいだ。
娘は甥も姪も居ないうちに、自分のことをオバサンなのではないかと思っていた。
彼女が姉であって、私が妹に生まれたことも、彼女がオバサンでなく、私が早くから叔母にされたことも、人に決められたことではなくて、天命なんだ。

最近、ロシアで、若い女性たちが、兵士になるような子を沢山産めみたいなことを言われているらしいというニュースがあった。



2024年01月08日(月)

母が私の成人式をしなかったのは、自分の成人の時、空襲や終戦で、できなかったので、思い至らなかったんだろうな。でも着物を着たお見合い写真はあったな。あれは成人式だったのかな?
嫁ぎ先が欲しがったわけでもないのに、余裕ができた時に着物を作らせたのは、きっとしてやりたくてしていなかったという母の気持ちだったんだろうな。塾の先生の持ってこられたお見合い写真の人とお会いすることもなく、お断りしてしまったことに対する申し訳なさもあったかな。
私は私が頼んだわけじゃないと思っていたが、では売ったり捨てたり人に差し上げたりすれば、と思っても、それをする元気がない。



2024年01月06日(土)

友達だと思っていた人が、そうではないとわかった。
彼女たちには私の気持ちはわからないんだ。ただそれだけのことだ。

私だってわかってない。
私は元々のろまなのだから、大事な事は、もっとゆっくり時間をかけてきめたかった。

私のような女の子は、きっとこの地球上に沢山居る。

学校に行って、勉強してみたかったな、と言った少女もあった。

自分の思い通りに道を選べた女性ばかりではない。

私のような女の子だって。笑っちゃうね。私の心は女の子か。

幾つになったの?



2024年01月05日(金)

卑下してはいけない、と言われたり、思ったりも、するんですが、しかし、私は、本当に、頭が良くないですし、身体も強くないですし、性格もいい加減なようです。
性格が良過ぎるって言われたかな?娘の父親がまだ独身の頃。
私は、そんなに性格は良くないと思います。
 寂しがり屋なんだ、って言われたかな?
 気づいていませんでしたが、私は確かに寂しがり屋です。
しかし、さびしい、と人に伝えることができませんでした。
亡くなった母に、さびしいよ、と言えなかった。その前に泣いてしまったのかもしれません。幼い頃は特にね。しかし、泣かずに言葉で伝えたかった。
 さびしく感じていても、それをあまり自覚していなくて、さびしいと言うのは、悔しかった。
 しかし、さびしいという言葉を教えてくれた人があった。
 例えば、息子のお父さん。さひしいね。と言ったことがある。そりゃね。亡くなった母は私にとって最愛の人だったかもしれない。

 例えば、エジプト人のヨセフさん。例えば、イタリア人の息子さんがある、クロアチア出身のジャナさん。
 ヨセフさんが、妻が実家に帰ってしまったのでさびしい、とおっしゃるのを聞いて、長兄が奥さんが実家に帰っていた時に、さびしくて仕方なさそうだった事が思い出されました。でも、兄はさびしいって言ったかな?言おうとしなかったかもしれない。でも傍目には、さびしくて仕方ないのは一目瞭然でした。
 だから、私も、自覚がなかった頃も、さびしがりやなのは明白だったかもしれない。
 でも、意固地でしたね。
 そういうところも、頭悪いと思う。言えばいいのに、なかなか自分では気がついていない。
 私は不器用だ。
 私は人が好きなのかな。
 実家に、人が大勢住んでいたので、それが普通だった。だから二人三人はさびしい感じがします。
なずなさんというハンドルネームの方も、さびしいと言って下さった。
何だか悪い事言ってしまったと思っているのだけれど、どうしておられるかな。良い人見つかったかな。


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