moonshine エミ |
2002年08月31日(土) どろよっぱらいの夜 | ||||
よし、書いちゃおう。 ゆうべは部署の飲み会。歓送迎会。その顛末。 酒がイケるとわかっているので、のん兵衛の間に座らせられた。(部長と課長) 最初は、ちびちびビールをやっていた。 やっぱり会社の飲み会で乱れてはいけません。 けしかけられて、ちょっとだけと思って焼酎に手を出した。 ら、すごーく美味!!「九曜」という芋焼酎。 なんだかすごく濃くつくられてるのに、おいしくて何杯も飲んだ。 陽気になってしゃべりまくった。 その頃からの記憶が断片的。 気が付いたら店の外に出ていて、後輩の女の子に抱えられて歩いていた。 (しかし、歩けていなかった。) タクシーに一人で乗せられた。 ここは全く記憶に無いが、先に部長が運転手さんにお金を渡して、私の家の最寄の駅かなんかを、伝えていたらしい。 タクシー乗っている間の記憶がゼロ。 どこでどうやって降りたのかも覚えてない。まあまあ家の近くで降りたっぽいが。 でも、ほんとの悪夢はここから先。 降りた後およそ2時間半ほど、家の近所を徘徊した(ようだ。解散が11時前で、飲み会の場所からうちまでタクシーで15分たらずなのに、家に帰ったのは2時くらいだったらしい)。 しかもあちこちで転がって寝た。近所のマンションの駐車場や、なんと踏み切りでまで! まだ貨物列車とかが走ってる時間。死ぬぞ。 なんとか帰ってベッドに。ソッコーで寝た。寝る前に吐いた。 しかも、人間って前かがみに吐くものかと思っていたら、仰向けになったままで吐いた。 そして、吐いたら満足して、そのまま寝てしまっていた。 危ない! 吐いたものが喉に詰まったら死ぬんだぞ。 3時間ほどして起きると、吐いたモノが顔や体やベッドに。やや固まり気味。 「やべえ・・・」と呟きつつ風呂場へ。 シャワーかかりながら、断片的な記憶を探ると、我ながら空恐ろしくなる。足にはたくさんの擦り傷や切り傷ができている。 外で寝てたことを思い出し、いやな予感がして、バッグを点検。 財布とMDウォークマンがない! 寝てる間に盗られたのか。自分で落とすにしては、カバンのほかのもの(文庫本、定期券、家のかぎ、携帯、制服、化粧品など)は全く無事だ。 でも、どう考えても自業自得。 財布の中身。現金2万2千円。クレジットカード1枚。銀行・郵便局のキャッシュカード1枚ずつ。運転免許証。名刺。多数のポイントカードや割引券、などなど・・・。 この時点で朝5時半ごろか? 凹みは最高潮! 思わずしんちゃんに電話する。 うっすらと覚えているのだが、酔っ払って徘徊しつつも、しんちゃんに電話をかけていた。 しんちゃん曰く、 「泣き出したかと思うと、突然笑い出したり、会話も全く要領を得ない。『じゃー切るね~ばいばい』とか自分で言うのに、電話を切る様子が一向に無い。そして、踏み切りがものすごく大きな音で鳴っていた。電話をかけてきた時間を思わずメモったよ」 とのこと。そう、思い出した。そのとき私は鳴っている踏み切りの中に居た。線路脇に座っていたんだ。 電話してカード類を止めてもらう。 母親に告白。さんざ罵倒される。「だけん、いっつもあれほど、飲みすぎるなって言いようやろ!!」 2時間ほど寝て、またしんちゃんに電話。 9時過ぎたので、後輩にも電話して謝り、ゆうべの状況を聞く。 「足元はふらついてたけど、そんなにマズい言動は何もなかったですよ、絶対に!」と言ってくれる。でも怪しい・・・。 そこはかとなく頭が痛み胃が気持ち悪いが、おちおち二日酔ってもいられない。台風の中、徒歩で交番まで行って紛失届けを出す。 けーさつのおじちゃんに、「これこれこんなふうに・・・」なんておもしろおかしく(もうネタにするしかない。)愚痴ってたら、急に吐き気。 「ちょ、ちょっとトイレ貸してください」 といってトイレにて吐く。吐いてまた、続きをしゃべる。酒のせいで吐いた場合、吐いた直後でもニッコリ笑って会話が出来るのは私の特徴です。 はー。 すごいです。人としてダメです。 「酒は飲んでも飲まれるな」はい、わかってます。 しょっちゅう外で飲むけど、飲まれることはほとんど無いんですよ。だからこそ、周りに絶対「強い」って言われるし、自分でも時々、過信してしまうときがあるんだろうね。 きのうは、私の酒人生で5本の指に入る失態です。 でも、飲んでる最中、「もうここらでやめよう」という自制心が全く働かなかったのがコワイ。いつもはちゃんと、あるのに。 凹んだときって、やっぱり周りの温かさが身に沁みる。しんちゃんにはいろいろ注文もあるが、彼はとにかく心ばえが本当にすばらしい。人間としてとても大事な、あったかい心を持っている。誰に対しての目線もあたたかい。そしてもうすぐまる5年の付き合いの私への優しさも、全然変わらない。 私もしんちゃんを大事にするからね。と、言う。 過去の、その他の私の酒での失態についても語り合う。 3年ほど前か、中洲の雑居ビルで飲んでて、ふらっと非常階段かなんかのほうに出て、電気がついてなくて正真正銘まっくらで、昇降できないように閉鎖されてて、狭くて、ドアを押しても引いても開かなくなって(というのは、当然、酔っ払った私がそう思い込んだだけだった。)閉じ込められちゃって、警察に電話したこともある。でもまともに喋れず、警察は取り合わなかった。そのときも、しんちゃんに電話してた。 「今どこにいるかわかんな~い」「通報した」「死ぬかも」なんて泥酔して言ってた私。しかも、私のPHSにかけ直したら電源が入っていない。さすがにしんちゃんはビビり、当時は免許を持ってなかったので、友達に頼み込んで原付に二人乗りをして、どういう手を使ったのか、私が飲んでる場所を探し当てて、迎えに来た。原付はすごく飛ばして、逆走とか信号無視とかもしたという。エツジにもすまんかった! トイレで寝たりもしましたね。(このときも心配したしんちゃんが女子トイレまで迎えにきたような・・・) 路上で横になりながら3回吐いて、友達におんぶされて家まで帰ったこともありました。 でも、そんな程度(?)で、だいたい月に10回前後外で飲むので年に120回。平均して1年に1回くらい、こういう大失態をしてしまう。あとの119回は、人に迷惑はかけてません。ほんとうです。 あーそれにしても、財布とウォークマンだよ。これは痛いよね。「酒には飲まれるな」てのを学ぶには、あまりにも高い授業料だよ。はー。 でも、あんなに深夜徘徊して、転んだ傷くらいで無事に帰れたからまだよかったものの、ほんとに何があっても不思議じゃなかったことしてる。 わたし、ロクな死に方できないんじゃないかな~、て、ふと、不安がよぎったりして。更生します。しなきゃ。 |
2002年08月29日(木) リップスライム『TOKYO CLASSIC』 思わず目を見開く聡明さ | ||||
リップスライムの最新アルバム『TOKYO CLASSIC』。会社の先輩にもらったMDだ。お盆明けてからこっち、はや2週間も私のMDウォークマンに入っている。 チャートの1位を取ったということ。「おめでとう!!」と叫んで、やんややんやと喝采をおくりたい。おひねりも投げたい。そう、私、このアルバムがいたく気に入ってるのだ。 ヒップホップは元々あんまり好きなほうじゃない。ましてJラップっていうのかね、トラックといい詞のセンスといい、ダサくて。 それを鮮やか~に打ち破ってくれたのがこの人たち! このアルバム! まず、始まり方がカッコイイ! 音楽も文学も、最初はかなり肝心です。 タイトでファンクで都会的。最初に聞いたとき、この部分でもう、「このアルバム、いいに違いない!」と確信しちゃうくらい。 アルバム全部通して、とにかく音がいい。凝っているけど凝りすぎず、練れていて、しつこくないけど何度聴いても飽きない。 それを象徴するのが「MANISH BOY」のカバーが入っていることで、コレはブルースの巨匠マディ・ウォーターズが'60年代に歌った有名曲。ジミヘンはじめ、様々なアーティストがカバーしてるわけだが、このリップスライムバージョンほどあっさりしたのはあんまりないんじゃなかろうか(笑) 湿り気、粘り気を帯びて、絡みつくようにやろうと思えばいくらでもやれる曲、実際そういうふうにカバーされがちだと思うんだけど、なんともまあ至極明快なサウンドとボーカル処理。でも原曲には忠実です。 この、マニアックさを覗かせつつもあくまでキャッチー、凝ってても独りよがりにならない聡明さ、自分たちが楽しみつつも、いい意味でリスナーを意識してる感じ、これこそがヒットの秘密なんじゃないでしょうか。 ただ流れてくる音に身を任せても楽しい! それでいて、ツウっぽく咀嚼する人たちにも満足感を与えることでしょう。 ヒップホップではたいてい、マイクを握るのは二人、多くて3人やない? しかしリップは4MC! これはどう考えても多いはず。なのに全然くどく感じない。4人の違いも明確で、よくできてるよ。 詞もJラップにありがちなダサさがない。言葉の選び方も韻の踏み方もおしゃれで気持ちいい。私が好きなの、「あみだ~クジ、おとなり、アタ~リ」っていうとこ。耳がここを待つ! かといって、上っ面に流れていくだけじゃなくて、一曲を通してちゃんと、伝わってくるものがある。 「それぞれ一つのLIFE それぞれが選んだスタイル」 ってフレーズばっかりしか聴いたことが無かったヒットシングル「One」も、最初から聞くと普遍的な切ない前向きさにジンとくる。 音作りの中心になってるDJの人は、もちろん、相当いろんな音楽知ってるんだろうな。遊びのフレーズも多彩です。 リップスライムって、よく「遊び心」の部分がクローズアップされてるけど、私はこの人たちのベースは真面目さだと思うなあ。 奔放にやってるみたいだけど、もちろんいい意味で、かなり真面目に音楽に取り組んでいる印象。あたま良さそう。少なくとも、ドラッグとかとは無縁の人たちでしょう。一生懸命さも空回りせず、最高と思われる方向をちゃんと向いてる。 でも、そんな賢そうな臭いの消し方が抜群にうまいんだよねえ。聡明さや真面目さが鼻につかない。イマドキな感じで洗練されてるけど、親しみやすい。明るく楽しく若々しく、時々切なく、爽やかにエッチ。すごい! こりゃ売れるわけだ。こんな人たちが出てくるとはねえ。瞠目したよ。 「One」「FUNKASTIC」「楽園ベイベー」3つのシングル曲の驚くべき出来のよさ、それぞれの色のくっきりした違い、そしてこのアルバムの完成度からして、もう息長く上質な音楽を提供してくれるのはほぼ間違いない。楽しみ楽しみ。 ほんと、毎朝これを聴きながら通勤するのが楽しくて、いちいち感心しっぱなしで、少しでも長く聞くために、駅から会社までの道を朝っぱらから遠回りしていた私でした。もーびっくり。 |
2002年08月28日(水) 「揺らぎ」を愛おしむ | ||||
財政難の昨今(←私の財布が。)、出費は控えようと思いつつも同僚を誘って飲んでしまう水曜日。まだ新しいアイリッシュ・パブに行く。パブなので食べ物はまあ、ついでといった感じでもあったが、お酒のおいしさは本物! 早く帰ろうと思いつつ、4杯飲んでしまう。おいしいお酒と、気心の知れた友達、楽しいおしゃべり。この魅力には抗し難い。 さて、「ら抜き言葉」という言葉を耳にしたことがある人は多いだろう。 “可能”の意を表す動詞を、「見られる」ではなく「見れる」、「起きられる」ではなく「起きれる」というふうに言い表すことで、主に若者を中心に、現在ではかなり広がっているもの。 「♪ あれから僕たちは 何かを信じてこれたかな」 と、SMAPの代表曲「夜空ノムコウ」でも、正面きって恐らく意図的に、使われていますね。 往々にしてこういった場合、ひとくちに「若者を中心に」とはいっても、辛抱強くたくさんのデータを集めると、同じ人が同じようなシチュエーションでも、「見れる」といったり「見られる」と言ったり、語彙にバラツキが見られることがあります。 これを、言語の「揺らぎ」といいます。一人の人の語彙でも、まだハッキリとは定まっていないのです。 「ら抜き言葉」のような現代言語現象に対して、やれ「日本語の乱れ」だのといって嘆く向きも多いとのコトも、ご存知の方は多いと思います。 不肖ワタクシめ、いたってたいした研究成果は残さない不真面目学生だったものの、大学では応用言語学というのを専攻したのでありますが、言語学においての大局的学説では「言語の経済性」というものがありまして、古文を引き合いにすれば分かるように、話し言葉にせよ書き言葉にせよ、言葉というものは時代に応じてわかりやすく、またシンプルに変わっていくものだ、と言われております。 美しい日本語を受け継いでいきたい気持ちは勿論ワタクシにもあるものの、自称良識ある大人が眉を顰めようと口を酸っぱくしようと、言葉もまた時と共に、変節していくのを免れはしない、というのが、人間科学にもとづいた言語学の立場であるということを習ったとき、私はある意味、希望を感じたものだ。 人間たるもの、たくさんの人と接し外界の様々な刺激を受けながら、自己を確立させ時には考えを変えていく。変わるまでの間には、当然、葛藤があったり、ゆらゆらとした「揺らぎ」が生じたりする。 ある組織、ある社会で定められ、当然とされる考え方も、全部を絶対的なものだと決めつけるのはある意味怖いこともある。先入観、偏見といった類のものに捕らわれて動けなくなることも、然り。 自然の流れで、あるいは意志をもって変わっていくことを拒絶せずに、受け容れたい。 恋に落ちるスピードも、 仕事とプライベートとの比重のおきかたも、 好きな洋服や音楽だって、人によって違う。当然ながら。 それに自分にしたって、自分の生活に満足したり、何かを追いかけたり、道を見失いそうになったり、他人を羨んだり、その繰り返しだ。 だけど、そんなことだって生きて生活してる以上あたりまえのことで、迷ったりわかんなくなったりする自分を、それでもいいんだよ、と受け止めたい。 結局、自分と違う環境にいる人を理解するのはとても難しいことで、それを「私にはわかんない、そんなの」と見切って思考停止に陥ることも避けたい。 迷ってしまうくらいにいろんなものを見て、考えて、ゆらゆら揺れながら、ゆっくり自分の答えを選び取っていきたい。 ・・・などと、最近つらつら考えていたんだけど、友達と話してて再確認した、今日という日だったのでした。 |
2002年08月27日(火) There's a Riot Goin' on(暴動) | ||||
私の部屋のコンポは、CDが3オートチェンジャーになっています。Victor(マークがかわいいよね)。今、ちょうど、買ってまる4年。調子はよろしくないです。それでも、もちろん毎日鳴らします。 今、3枚のアルバムに何が入っているかといいますと、 Disc1.『満ち汐のロマンス』EGO-WRAPPIN'(2001) Disc2.『3years 5months and 2days in the life of…』(邦題:テネシー)ARRESTED DEVELOPMENT(1992) Disc3.『There's a Riot Goin' on』(邦題:暴動) SLY&THE FAMILY STONE(1971) ということになります。 EGO-WRAPPIN'はもはや売れっ子になったし、洋楽2枚も、とびきり有名なアルバムなのでご存知の方も多いでしょう。 いー感じの3枚だよ。耳を澄ましたり適当に口ずさんだりして聴いてると、時間が過ぎていくのが、楽しくなる感じ。 Disc2『テネシー』には、Disc3のグループ、スライのカバー曲が入ってるし、そのほかにも随所に、スライからのフレーズが散りばめられています。 ヒップホップ、と括るには、このアレステッド・デベロップメントはあまりに大きくて、なんというか大地のイメージ。 そしてDisc3のスライ&ザ ファミリーストーンは、大のお気に入りのグループ。黒人のブルースとファンク、白人のロックンロールを融合した最初のビッグ・グループと言われますね。'60年代後半から’70年代前半にかけて活動したグループだけど、今聞いても、ハッとするほどのグルーヴです。 だって、もう30年以上前のアルバムだよ! この音。すごいなあ。すごいよ。 この「暴動」というアルバムは、彼らの全盛期の晩年の作品で、『Dance to the music』や『Stand!』に比べると華やかさに乏しいし、そのぶん知名度も低いってことになるんだろうけど、好きです。黒人と白人の融合、友好化を信じて煽るように見せた、'69年ウッドストックでの圧倒的なパフォーマンスから数年、“融合は幻想だった”という絶望、シニカルなメッセージが織り込まれたアルバム、だということだ。 そう、確かに、このアルバムは、イッちゃうような恍惚とする音、解放感にあふれてはいない。あくまでシニカル、どこか冷ややか。 それに私は歌詞を聴いて意を汲み取れるほど英語に長けては全然いないし、当時のアメリカ社会のこともよくわからない。 それでもこのアルバムが大好きなのって、やっぱり、音楽の凄さだな。何か心にグッとくるものがあるもんね。 全体的に暗い色彩、まして歌詞も自分の力で聞き取れるわけではない、ていうアルバムで、ただ聞くだけでこんなに好きになれるってのは、多くはない。 ぱっと思い浮かぶのっていったら、レッド・ホット・チリ・ペッパーズの前作『カリフォルニケイション』だなぁ。あれも、どう考えてもアルバム全体を貫くトーンは暗くて重いのに、本当に大好きだ。 |
2002年08月26日(月) テレビを殴り書く。 | ||||
突発性の残業でビビったけど、何とかマイクまでにご飯とお風呂を済ませることが出来た。ふー、やれやれ。 今日の見た人、いかがでした? 監督も作風も一話ずつ違うわけで、好き嫌いも割とはっきり分かれるドラマだろうけど、私は今日のはかなり好きでした。 先週は「・・・・・」という感じだったもんね。いや、ドキドキして見たこたぁ見たんだけど、「これでいいのかなァ・・・」と思った。妙に説明が多いのに、説明しきれてない。しんちゃんは、「サブカルチャーの悪いとこを集めた感じだった。」と言った。なるほど。でも、劇中劇(?)の、“マイク、普通の社会人の夫”の数分にはコーフン。 今週は「そう来るか!」という笑いどころがいっぱいあったな。音楽も好きな感じだった。勝村政信・・・さすがだ・・・。彼がかなり持ってったね、今日は。 このドラマ見てもやっぱり思うのは、バランスだ。 どの週、どの監督も、セオリーからのある種の自由さ。と言いますか、「説明しすぎない」「話の筋こだわりすぎない」ていうのを大事にしてるとこは共通してると思うんだけど、その自由さが消化不良みたいになってる話も、今までいくつかあったような気がするな。 今日のは、最後の撃ち合いとその後の収拾のシーンなんかは、きっと趣味に走った部分で、「あー、この監督、こういうのを撮りたかったんだろーなー」て思ったけど、50分通しての一貫性は、まあまあ、あったと思う。いくら後でDVDが発売されてそっちが完全版になるとはいえ、やっぱりテレビだけ見ても納得できるようにつくってほしい。奔放で実験的なのはいいけど、一つの作品として破綻してるように感じると、私はつまんない。と言いつつ、毎週楽しみにして、楽しんでますが。 実際、「これ見よう!」て決めてテレビの前に座るのは、一週間でこのドラマだけだ。もともとテレビっ子じゃないけど、磨きがかかる一方。私、テレビがなくても、けっこう平気で暮らせると思う。だってたいてい、面白くないんだもん。もう、地上波に私が見たいものを求めてもダメなのかな。いちばんイヤなのは、お昼休みに会社の食堂で付いてる、主婦向けのテレビ。なんていう番組だろ? とはいえ、大学生のときは、昼間、よくテレビ見てたなあ(←オイオイ学校は?)。昼ドラは面白いのもあるからいいとして、ワイドショー。あれも、つい見てしまうんだけど、見た後で、なんともいえない疲労感というか、自己嫌悪があったね。こんなもんばっか見てどーすんだろ、あたし・・・という感じがどこかにあった。「亭主改造計画」とかね。バッカみたい。でも、見てたんだよねー。そんな自分がイヤだったけど、当時は気づかないふりしてたな、自分で自分に。もちろん、人それぞれ、好き好きとはいえ、ああいうのを嬉々として見るようにはなりたくないな、あたしは。 来週は浅野忠信だね。 |
2002年08月24日(土) (ソウル+ハート)フル | ||||
金曜日の夜は夜更かしして読書。幸せのひとときだ。気づいたら3時だった。 案の定土曜日は寝坊しつつ、また読書にいそしむ。 17時、しんちゃんと待ち合わせ。西新の町を徘徊。喫茶。ラーメン屋「しばらく」で腹ごしらえ。 19時半すぎ、JAJAに入る。大学時代の先輩が来ている。変わっていない。しかしこっちもそう思われているだろう。 今日のライブは「博多 THE ブリスコ」、福岡の名だたるアマチュアバンドでこの人たちと対バンやったことのないバンドは無い、と断言してもいい!久々に見た。ベースはこれまた大学の先輩だった。 熱いロックショー。盛り上がる。ジャガーさんの歌はなんて心をつかむんだろう。メンバーを変えつつ、もう14年もやっているバンドだ。なんていうエネルギーだろう。ビール片手にいい気分で、見る。 |
2002年08月23日(金) 金銭負担ナシ | ||||
いちんち遅れの金曜日の日記。 夕方、半期償却の準備がひと段落して、「ふー。今日はこれまで・・・」などと心中で呟き、取引先から貰った福砂屋のカステラを甲斐甲斐しく切り分けて配ったりなどしてると、新たな仕事を言い渡される。しかもけっこう荷が重かったり。ううう・・・来週、会社行くのいやンなるかもしんない、とちょっと暗くなりながら仕方なくフォーマットについて考え始めると、あっという間に会社を出なければいけない時間。先輩らに「下で待っててくださいね!場所わかんないから。地図見てもわかんないから!」と哀願してダッシュで着替えて降りる。飲み会です。会計士(将来の・・・を含む。)との決算の打ち上げです。いまごろ・・・。 社外との公式飲み会(?)はあんまりないので、けっこう楽しかった。中洲のホテルの中のお店で、落ち着いた感じで料理がいーっぱい出てきて、食べ切れなかった。当方5人プラス先方7人。部長の飲み方は相変わらず鷹揚で気持ちがいい。しかし、酒で顔色が変わってないのは私だけだった。驚くほど酔わなかったなぁ。 それで一次会で終わればチャンチャン♪だったのに、カラオケへ連れて行かれる。あんまり気心しれてない人たち(しかも世代バラバラ、しかも仕事のつながり、しかも中途半端に大人数。)で行くカラオケって、どうだかなー。普通の飲み会よりも気を使うし動きにくいし。 部の人とカラオケに行ったのは初めてだったので、皆さんの歌いっぷりも選曲も楽しませていただきましたがね。部長は予想通りにうまかった。でも一曲しか歌ってくれなかった・・・。ほんとは歌いたいくせにィ、と心で突っ込む私。 |
2002年08月22日(木) あったら嬉しいこんなサービス | ||||
今日はお給料日でございます。 なんだか仕事に夢中になって計算してたら、18時近くになっていたので慌てて近くのATMに行く。実家に住んでいるので家に生活費を入れているが、必ずお給料日に渡すようにしています。ズボラなたちだが、こういうことは何となくきちんとしたい。 ATMといえば、前回の直木賞受賞作家・山本一力さんが、週刊誌(文春か新潮かのどちらかのはず。)でやっている連載エッセイを立ち読みして強く強く共感したこと。 銀行よ、ATMのクイックレーンを作ってくれ! ATMの機械がたくさんあっても、昼休みやお給料日などには列ができますよね。しかも、「やっと次だわアタシ」なーんて思ってると、自分の直前の人が何やら、振込みやら記帳やらを延々と行っている・・・。 ああ、私はたった1回、引き下ろしをしたいだけなのに・・・。 ああ、昼休みはもうあと少しで終わってしまうのに・・・。 こんな経験って、誰しもないですか? そこで、クイックレーンですよ。 横文字使ったからって、何も難しい設備投資がいるわけじゃありません。 残高照会とか1度の引き下ろしや預け入れなど、短い時間で済むオペレーションがしたい人だけが並ぶATMを、いくつかつくる。 作るっていっても、ATMの機械は、まったく同じものですよ。ただ、立て看板ひとつ、ポスター何枚かでいい。 現に、外国の大型ショッピングセンターなどには、このクイックレーンってあるらしいです。1週間分の食糧を買い込む人、切らしたミルクだけを慌てて買いに来た人、いろいろ居ますからね。意外とスムーズにいくものみたいですよ。 金融機関も競争激化、各社いろんな商品を打ち出してるけど、こんなサービスもいかがでしょう。これを浸透させてくれた銀行に、私は口座を作ります。(とは言っても預金をいっぱい持ってるわけじゃありません)。 銀行も利用者の目線に立つのが必要な時代、クイックレーンがあったら、便利だと思いませんか? みなさん。 |
2002年08月21日(水) 選ぶ喜び | ||||
人と話してて「あっそういうことなんだ!」と初めて気づくときがある。 昼休み、他愛ない同僚とのおしゃべりから、 「そうか・・・。映画でも本でもビデオでも、そもそも『選ぶ』って行為が好きなんだな、私は」 と思った。 本屋さんもレンタルビデオショップも大好きで、毎週必ず行く。 表紙とか、背表紙、パッケージ、ジャケット、見るの大好き。 選ぶ基準はそのときそのときで、タイトルがいいな~と思って手に取るもの、ジャケットや表紙に惹かれるもの、キャストや作家名で決めるときもあるし、本だったらじっくり立ち読みしてから決めたりもする。 友達のオススメや雑誌・ネット等のレビューを心に留めていて決めるときもある。もちろん、売れているもの・宣伝されているものには、自然と目が行くに決まってる。 とにかく本屋にしろビデオ屋にしろ、無数のモノが置いてある。 そして今の私たちには無数の情報がある。 無数のものたちの中から、「これ! これ、読んでみよう、見てみよう!」て選ぶまでが、もう、楽しくて仕方がない。 いろんな情報を受け容れて、自分のアンテナにピピッと引っかかるものを選び取る、その行為。 それが快感だ。 時にはハズレることもある。 「あ、これ、あんまし好きじゃない・・・」 でも、それでも、時間を無駄にした、とはあんまり思わないんだよな。それって何でだろ、と考えたら、やっぱり、その作品を選んだ自分に、とりあえず満足してるからなんだ。 自分で選んだものだから、期待と外れてても、まあOK。 逆に、どんなに宣伝されてて、みんなが「いいよアレ」「見たほうがいいよ」「面白かったよ」って言ってるものでも、まだ自分のアンテナに引っかかっていないものは、手に取らなくても全然平気。ま、みんなそうだろうけどね。 ただ、再発見して嬉しかったということだ。選ぶのが楽しい私を。 お金をかけて作られて、宣伝されているもの、いま旬のものには、いいものがたくさんある。あたりまえだ。 でも、時の洗礼を受けて息づく古いものや、ただただ奔放に純粋な情熱でつくられてポンと置かれてるもの、棚の隅っこで静かに呼吸をしているようなものにも、いいものはたくさんある。 いろんな選び方を、自分らしく楽しくできたらいいな、と思う。 |
2002年08月20日(火) メンター:頼れる人 | ||||
本日は、我が社の数少ない役付きの女性に、飲みに連れて行ってもらいました。 部署も違うし、毎日お話しするようなこともないし、年齢も私より15歳以上(!)離れているけれど、とても楽しかった。 共通点は、文学部出身ということ。 有名どころであれば、どんな作家の名前を出してもジャンジャン話が通じて広がっていく!! シアワセだ~! 周囲に本が好きな人はあんまり居ないのだけれど、お酒の肴に本の話。っていうのも、たまにはいいモンだなぁと思った。 一番イヤなのって、「本を読む」という行為を、何か堅苦しく、賢くなるためのお勉強のように思われることなんだよね。 私にとって本は基本的に娯楽なので、「本が好きで。。。」なんて話をしようとすると、「へえっ、エライねえ」なんて反応をされたときが一番つらい。エンターテイメントです。ただの。“ただの”というところがポイント。 大人の女性だけあって、いいお店をご存知。 春吉の路地裏の、1軒目のイタリアぽいバーでご飯を食べながらワインを1本。 赤坂の暗がりのバーでウイスキーのロックを三杯、いただきました。 どちらも、自分たちの世代だけでは絶対に行かないような大人っぽいお店だった。 「ここは、私のとっておきのお店だから。 めったな人には、教えないのよ」 と言いながら、連れて行ってくれた。 毎回ああいう店に行く年齢ではまだないけれど、やっぱり楽しい。そして、味もサービスももちろん文句なし! また一つ、年を重ねる楽しさを知ったという感じ。 「メンター」という言葉、ギリシャ語からきてるらしいけど、実務的にも精神的にも頼れる先輩のことをいうんだって。前に本で読んだのだけど。 そんな人に、これからも出会えるといいな。 私の人生を、そしてそれを取り巻く世界を、もっと愛せるように。 |
2002年08月19日(月) ほしいの・・・。 | ||||
とちゅう、登校日(?)もあったものの、約10日ぶりの出勤。 朝、明らかに空気が違ってちょっとびっくり。 烈夏は、去っていったのか・・・? 関東、台風はどげんやったっちゃろ。 今のわたしは、本が読みたい病。(当人、平常時比3倍くらい) 今日も帰りに本屋さんに寄って物色。 ああ・・・欲しい・・・アーン・・・ と、思わず色っぽくねだりたくなるくらいに欲しい。本が。 でも、生活と財布の破綻を防ぐために、とりあえず耐える。 給料日前で、私のお小遣いはギリギリ・・・文庫本1冊でさえ・・・。 昨日の日記を読み返すと、ますますヒートアップする。ああ、私ってなんて本を楽しんでるんだろう。と、思いませんか、昨日の日記。 いま読みたいのは、山本周五郎と小野不由美。高村薫もそろそろかも。 それと、沢野ひとし。 でも今からは、濱マイクの時間です。 |
2002年08月18日(日) 夏やすみ恒例、読書感想文 | ||||
今日で、私の夏休みはおしまい。 あーあ。「毎日が夏休み」状態の連れを見てると、憎らしくなるのはこういうときだ。働かざる者食うべからず! これが資本主義の原則だ。早く大人になってくれ。 さて、夏休みの宿題と言えば、読書感想文ですね。ここで私が夏休みの1週間に読んだ本を、小学生の感想文ふうに、一挙紹介。 長いようで短かった夏やすみ、わたしはいっぱい本を読みました。 まずは氷室冴子「銀の海 金の大地」シリーズ 全部で11冊もあったのですが、おもしろくてあっというまに読んでしまいました。高校生の頃に買っていて、今でも一年に一回くらい、夢中になって読みかえします。 卑弥呼の時代と大和朝廷ができる間の、「幻の4-5世紀」といわれる時代の日本が舞台です。信仰する神さまやくらしの習慣が、部族によって違います。たたかいもあります。王子さまやお姫さまもいれば、奴婢もいる時代です。けれど、みんな雄雄しく、誇り高く生きるさまが描かれています。わたしは、人間の尊厳、ということについて、ちょっと考えてしまいました。そして、作家さんの想像力って、すごいなあと思いました。 それから、花村萬月のエッセイが文庫で2冊、今月発売されたので読みました。「萬月療法」と「あとひき萬月辞典」です。 わたしがこの人のエッセイを好きなのは、あの文、この文すべてから、羞恥心と自己批判のにおいが立ちのぼっているところです。この人の小説はエロかったり、グロかったり、ナルシスティックなところもいっぱいありますが、この人はちゃあんと、自分のナルシストさをわかっていて、それを恥じているということがエッセイを読むと再確認できます。 特に心に残ったのは、「あとひき萬月辞典」の中で小説家になりたいという人たちに向かって、 “あなたの味わった人生の痛み苦しみは、他人にはまったく通じない。関係ねえや、の一言でおしまい。あなたにも私にも自己愛があり、自尊心がある。だが、それは他人にとって、じつに鬱陶しいものなのだ。自己憐憫。いやな言葉でしょう?” と書いてあったところです。わたしは、自分が今まで書いてきた文章の数々を、ちらっと振り返ってみました。そうしたら、恥ずかしい気持ちになりました。わたしは抑制されたもののうつくしさを、今までもじゅうぶん愛してきたつもりでした。それでも、自己愛を抑制するのは、やっぱり難しいです。 藤沢周平「橋ものがたり」。これは、わたしがいちいち書かなくても知っている人はみんな知っている(あたりまえです。)とおり、すばらしい作品です。短編小説集で、ぜんぶ、「橋」が出てきます。 江戸時代の橋は、今でいう駅みたいなもので、たくさんの人びとが待ち合わせたり、すれ違ったりします。その橋をキーポイントに、人生の喜びや哀しみ、出会いや別れを、あざやかに切り取って描いている小説集です。 藤沢さんの本を読むと、そんなことは直接書かれていないんですけれども、いつも「しあわせって何だろう」とわたしは思ってしまいます。何か大きなものを手に入れられる人生だけにしあわせがあるわけじゃなく、日本人の多くが貧しかった頃の、ささやかな日々に充足するしあわせ、その心の豊かさを思います。 それから、わたしはこの文庫本の井上ひさしさんの解説が大好きです。この本はずっと前からいつか買おう、買おうと思ってなかなか買わずにきていたのですが、この解説はもう何度も、買う前から本屋さんで立ち読みしていたのでした。 吉田修一「最後の息子」。新芥川賞作家です。はじめて、この人の本を読みました。たまたま、文庫で新刊が出ていたものですから。わたしは単行本はあんまり買いません。単行本のほうが早く新刊を読めますが、それを始めると私のお財布も本棚も時間もめちゃくちゃになってしまいます。買わないのは、自分へのいましめです。 それで、この本はというと、「すすすす、すごい!」という感じです。さすがです。現代的でしゃれているのに、ちっともいやみがありません。それでいて、きちんと純文学の風格があります。 3つの小説が入っていて、どれもわたしは泣きそうになりながら読みました。哀しい気持ち、けれど文学たるものこういうことを描いてほしい。しかも、抑えた乾いた筆致でえがいてほしい。お涙頂戴ふうには書かないで欲しい。わたしはいつも、エラそうにもそんなことを思っているのですが、まさにこの本はそうでした。さすがです、芥川賞作家。わたしはこの1-2年で、芥川龍之介と芥川賞をものすごく好きになったのですが、この本を読んでまたその思いを新たにしました。 3つのうち2つは、現代の長崎が舞台です。この作家は長崎出身だということです。わたしも長崎には時々行きます。好きな町です。方言で書かれていて、とてもうれしかったです。付け加えると、この本は、表紙の絵も、すっごくかっこいいです。 ジョーエレン・ディミトリアス「この人はなぜ自分の話ばかりするのか 応用編」。けっこう、はやっている本です。 わたしはこういうハウツーものとか、直球!自己啓発モノはあんまり読まないのですが、たまに買いたくなります。こういう本には、もちろん正しいことが書いてあります。でも、こういう本ばっかり読んでる人とは、あんまりお友だちになれそうにありません。 だからといって、こういう本の存在を頭ッから否定する人間にもなりたくありません。売れていて、読むと実際おもしろいです。なにごとも、バランスが大切です。 群ようこ「別人 群ようこのできるまで」。読んだことなくても、群ようこ、という人の名前は知っている人が多いでしょう。わたしは、かなり前に3冊くらい読んで、それ程のめりこまずに、ずいぶん時が経っていました。 そうして、今年に入って椎名誠の本を読んで、椎名誠が20年もやってる「本の雑誌社」のはじめての社員が群ようこで、その昔、彼女のペンネームを社長の目黒孝二がつけた、ということを知りました。 そういえば、わたしはかなり昔に、「本の雑誌社」から出た本を持っていて、「おもしろい出版社だなあ」と思っていましたが、その編集長が超・有名な椎名誠だということも、今年になって彼の本を読むまで知らなかったのでした。世の中には、まだわたしは知らないけれども、つながっていることがたくさんあります。 このエッセイは、いくつもの会社に勤めた群ようこさんのOL時代と、「本の雑誌」という雑誌に出会ってそこで働くようになって、作家として独立していくまでの自伝的なものです。軽い読みごこちですが、なかなかヘビーな年月だったはずです。こういうことを、カラッと笑えるように書くのが、この人のいいところなんだろうなあ、と思います。 そして、これを読んで再び、椎名誠「本の雑誌血風録」を読み返したわたしでした。 ほんとうは、夏やすみに見た映画やビデオ、買ったCDのことも書こうと思っていたのですが、長くなってしまったので、この作文はこれで終わりにして、また明日かあさってくらいに書こうと思います。 なんといっても、明日からは学校です。あ、まちがえた、会社です。 明日の準備をして、また規則ただしい生活に戻れるように、早く寝ようと思います。楽しい夏やすみでした。明日からも、がんばろうと思います。おわり。 |
2002年08月17日(土) ブルースとセンチメンタル | ||||
休みというのは駆け足で去っていくものだなあ、とありきたりな感想を持つ土曜日。漱石・諭吉も私のもとから続々と旅立っていく。 しんちゃんとハートビートで後輩のライブを見ようかという話だったが、だいぶ考えてやめにして、ひとり大橋へ。 49っていうライブもやってる小さなバーがあって、そこに本日出演するはMagic Rockersていうバンドなんだけど、そのギター&ボーカルのハリケーン湯川さんは、私がもう一度見たい!て思ってた人の一人なのだった。 21時半前、早く着いてしまってチンザノ・ロッソを頼んで飲みながら、こういうこと一人でやっても、別におかしくはない年になったんだなーとちょっとしみじみした。来月で24歳ですからね。大人になってこその楽しみってもんも、いっぱいあるはずなのだ。 この49には5年前(!)に一度来たことがある。そのときも一人だった。大学一年生だった。そのときにここで、初めてブルースを聴いたんだった。生のバンド演奏で。そりゃあ衝撃だったよね。かっこよかった。程なくマディ・ウォーターズのCDを買いましたよ。 スリーコードとシャッフルのリズム。ブルースの魅力を知るには、生演奏を聞くのが一番早い気がするな。CDで聴くより先に、うまくてかっこいいブルースやるバンドを見て欲しい。コード進行にもリズムにも、すぐに体が馴染む。ある程度のパターンが決まってるから。その中で、どれだけカッコイイ数々のフレーズが生まれてきたことか。(こういうかっこいい奴のあとでGLAYとかきくと、「こんなフレーズ弾いてて楽しいのかなァこの人たち」といつも思ってしまうんだけどまあこれは言わずもがなネ。) ハリケーンさんのギターは気持ちいい。堪能できるしコーフンもするんだけど、一言で言ったらとにかく「キモチイイ」。快楽だ。あの太い音! 指使いは男らしくも優しく。ステップー!! ある曲の途中で、ベースの人にボーカルが交代、面白い前フリがあって、彼が歌い出したら「Mr.Pitiful」だった。そして1コーラス歌ったらまた元の曲に戻る。こういうことできるのもブルースの楽しさ。 marbleさんとひろのぶくんらしき人がいたので勇気を出して話しかける。人違いでなくて一安心。ふたりともやさしくて一緒に飲んでくれました。またよろしくね! さて、家では父親が夏風邪というのか扁桃腺を腫らして寝込んでいる。母親はやや看病に疲れてきた様子。最近じゃあ、両親はどっちかがあそこが痛い、ここが悪いと言いながら働いている。しかたがないとは思いつつも哀しい。そんな二人を刺激しすぎないよう、終電くらいの時刻に帰ることにする。 49から我が家まで、自転車で飛ばさなくても約20分。暑い暑いとはいうものの、お盆頃から夜風が吹いている。気持ちいいまま自転車こいでたら、また大学の頃のこと思い出した。バイトの帰りもいつもこのくらいの時間で、毎日天神と箱崎をチャリで往復してた。その感触、帰り道にある店の電飾とか、九大病院前のちょっと怖い感じとか、はっきり思い出せるのにやっぱり遠い。 お盆休みが早いのなんて当たり前なんだなあ。 |
2002年08月16日(金) 突撃☆自分インタビュー | ||||
ご無沙汰しております、エミです。生きてま~す。 ちょっとぶりの日記は、チクと趣向を変えまして、「まさに自問自答」自分インタビュー形式でお送りします。バカだなあ。 ちなみに、この手法は、元THE YELLOW MONKEYボーカル、吉井和哉がロッキン・オンで連載してた『吉井和哉のおセンチ日記』の、'96年5月分のパクりでェす。 ◆ここんとこ何してたんですか?会社は休みでしょ? 「休みですよ、でも15日だけ出勤。あとは、いつもの友達やいつもの彼氏(あたりまえだ。)やちょっと久々の友達と遊んだり飲んだり。本を読んだり映画を見たり買い物したりと、普通の日々でした」 ◆の割には、珍しく日記書いてなかったね。 「うん、いろいろ考えるところがあって・・・」 ◆と言うと、日記を書くという行為に疑問が? おやめになるんですか? 「・・・・・(沈黙)」 ◆そんなァ、なぜか読んでくれる人だって結構いるし、書いたらいいじゃないですか! ていうか、あんだけ嬉々として書いてたやん! こんな短期間に、どうしたっていうんですか?! 「テヘ。嘘です。やめませ~ん」 ◆(インタビュアー、無言で帰り支度を始める) 「ちょちょっ、ちょっと待ちんしゃいよ、ふざけてみただけやーん。いや、でもね、書かなかった理由はあるんですよ」 ◆・・・・・ほんとですか~? 「ほんとほんと。それはね、休みに入ってすぐ、部屋の整理をしてて見つけたものがきっかけ」 ◆ほう?(と、再び、マイクを向ける) 「本棚をね、抜本的に整理してて、そんで出てきたのよ。高校生のときに書いた小説が」 ◆ほうほう? 小説なんて書いてたんだ? あんた、病的に読み散らかしてるみたいだけど、やっぱり自分でも書いたりしてたんだね? こっぱずかしくて、今まで黙ってたんでしょ。 (ほのかに赤面しながら)「ま、まーね。そりゃ恥ずかしいサ。小説なんて、根が暗くないと書かないよね~。内緒にしてね」 ◆はいはい。で、どんな話? 「話っていうかね、スケッチみたいなもんですよ。気の向くままに、プラっと書いてはすぐ飽きる。基本的に才能もなけりゃ努力もしてないのね。しょっちゅう書くわけでもなくて、そりゃー面白いもん書けるわけじゃないし、売られてる面白いもん読むほうがよっぽど楽しいからね。私のは、話なんて、あってないようなもん。でも、そういう書き溜めのゴミ溜めみたいなの、捨てちゃうのもかわいそうだけど、全然大事にしてもなくって、本棚の奥ゥゥゥのほうとかに埋まってるわけ。それを見つけちゃったんですよ。ひっさびさに」 ◆前フリ長いよ。だからどんなもんなの? 「ごめん、だって恥ずかしいっちゃもん。そう、レポート用紙に2~5枚くらいずつ、全然違う話が書いてあるんだけどさ、その中の一つがさ・・・。愛しあう二人が初めて結ばれるシーンと、そのあとのシーンなわけですよアータ」 ◆(呆れながら)高校生のくせに。勉強しなさい! 「ほんとにねー。でもそれがさ、凄いんよ」 ◆すっ、すごいって、事細かに、コトの様子が書いてあんの? 「馬っ、馬鹿な!! 確かに中学生の頃シドニィ・シェルダンや『マディソン郡の橋』が流行って、マセガキらしく読んではみたけど、エッチなシーンに衝撃を受けて話の本筋そっちのけ、“大人って汚い・・・”て感想だけが胸に残ったという私ですよ。そりゃ好奇心旺盛な頃だけど、少女らしい潔癖さは持ち合わせてました」 ◆じゃ、凄いって何さ? 「や、潔癖で未熟で、読んでてもう、顔から火ィ噴きそうなほどに恥ずかしかったんだけどさ。“それを通して書きたかったこと”ていうのが、もうはっきり伝わってきたんじゃよ」 ◆伝わるっていうか、自分が書いたもんでしょ。覚えてただけじゃんねー。 「その通りスー。そうなんだけど、“書きたいこと”ていうものが、その頃から基本的に変わってないことにびっくりしたの。 それで、これからも多分、当分変わらない。いや、今現在、書いてるってわけじゃなくて、自分の頭の中の考え方の中心っていうか、そういうことがね。 勿論それから新しい出会いも経験もあって、時間の分だけ相応に変わった部分もあるよ。 でも、核は、自分が思ってるよりもずいぶん前から決まってて、たぶんこれからも、当分変わらないんだなー、って思ったんです」 ◆(うつら、うつら、舟を漕ぎかけていたが) ・・・で、それと日記とどう関係が? 「だからね、もう、日記を毎日書く必要もないかな、って、ふと思ったんです。 私にとって日記って、今日はアレしたコレした、っていう記録の部分もあるけど、最近の自分がどんなこと考えてるか?ていう、自分の気持ちの確認作業というのもあって。 それももう1年半以上続いてて、自分のことだいぶ見つめなおしたし、わかったし、その上こんな高校生のときのもんとか出てきて、それでも変わってないことに意味を見つけたんだったらさ。もう、いいやん。新しいステップに進んだら?エミちゃん。 と、思ったということです」 ◆なるほどね。わかったようなわからんような、と言うよりどうでもいいような。じゃ、やめるんですね? 「いいえ」 ◆ハ? 「たぶんしばらくはやめません」 ◆なんで? 「だってこの問答、全部自分で書いてるんだよ~。自分、日記書くの、すごい好きなんやん! こりゃーまだまだ書くんじゃない? 懲りもせず」 ◆あっそう・・・。何か、不毛なインタビューだったね。ま、もういいや。 「おつかれさまでした」 ◆ほんっと、おつかれさまでした。 |
2002年08月10日(土) タブーに踏み込め! | ||||
まず、昨日書いた、西日本新聞の記事「ナガサキの断層」についてなんですが、私がヘタな要約なんてするまでもなく、全文、西日本新聞のサイトに掲載してあったのでした。 もうこれまでに何度となく貴重な情報をくださっているQさまが、今回もまた教えてくれました。ここにもリンク貼っときますね。コチラです、「ナガサキの断層」への入り口。上・中・下、ぜーんぶ読めます。 この連載が私にとって衝撃的だったのは、やっぱりある種のタブーに踏み込んでるからなんだよね。たとえば政権のこととか、産業界の不正事件とか、「公然と権力のあること」に対しての批判をするのはマスコミのお得意な分野。 “罪のない”“善良で力弱い”一般市民が原爆という人類未曾有の被害にあった。それが言葉に出来ない悲劇であるからこそ、悲劇以外の言論に踏み込むのはある種のタブーになる。カタカナで“ナガサキ”と書けば、それは世界をも黙らせる、ある種の歪んだ権力さえ持っている。 けれど同じ被害に合ったもの同士が、信仰の違いや人為的に定めた身分の枠の中で差別しあう。広島では原爆ドームが今もあの日の怒りを伝えているのに、長崎は廃墟の浦上天主堂を壊してしまった。平和記念像にも世俗の思惑が絡み合う。 そういう、本当はしっかりと受け止めなければならないことであるにも関わらず、“弱い被害者”を鞭打つ行為と澄ました人々が眉を顰めかねないことがらに、マスコミにはもっと踏み込んでほしい。人間は弱い。弱く醜い心を誰でも持っている。被害者がある場面では加害者なのだ。社会にも歴史にも光と闇の側面は必ずある。その、暗いほう、醜い部分に蓋をしたままで、どうやってそれを克服していけるだろう。 私が好きな言葉に“羞恥心”があるって書いたことがあるけど、そのほかに“批判精神”という言葉もある。誤解しないでね、やたらと粗探しをして揚げ足をとることが好きなわけじゃない、本当に美しいもの、つよいものや正しいことを追求していくためには、必ず現状の問題点を探さなければならないでしょう? 温かい心、優しい言葉や善意を重んじるのも必要だ、でもそれだけじゃ。 素直な気持ちで大きく目を開いて世界を見る。胸の隅には絶えず批判精神を宿らせて。 こんな私なので、筒井康隆の『家族八景』という小説を去年読んだときは厳粛な気持ちになった。筒井さんのこと特別よく知ってるわけじゃないし、著作も4-5冊読んだだけなので偏愛してるわけじゃないけど、『家族八景』に始まる七瀬シリーズのパワーには慄然とさせられましたよ。 まだの方は、是非。・・・と、「読み日記」らしく(この"moonshine"は、そういうジャンルで登録してるんですね)たまには本も紹介してみる。 本といえば昨日、本棚の整理をまた行う。 はっきり数えたわけではないが、この3月からこれまで、350冊ほどBOOK OFFへ里子に出した。昨日ざっと数えると蔵書は(雑誌、専門書等は含めず)750冊ほどになっていた。 こざっぱりした本棚を眺めて、だいぶ減ったなァと、晴れやかながらもやはり寂しい気持ちにもなる。もっとも、我が家で読書を愛するのは私ひとり、家の本の9割9分は私のもので、母親などには「いったいどこが減ったとね」と言われる。 ああ、でも、今のところこれが限界。もう残りは手放せない。きびし~気持ちで思い出のあの本、この本も売りに出してきたけど、これ以上は無理。もっと減らしたいのに・・・。ぐすん。 まあ、半年か1年ごと、定期的に蔵書を見直す作業は今後も続けたいと思う。そのココロについては、また今度。 お盆休みではあるけれど、普通に飲みに行ったり買い物したりビデオを見たりという予定のこの夏。家に居れば、やっぱり本に手が伸びる。 しかも大物。長編シリーズですね。去年の夏は、やっぱり『竜馬がゆく』文春文庫の全8巻を読み返していた。 きのう、氷室冴子の『銀の海 金の大地』シリーズを手にとってしまった。・・・が最後、怒涛のように読み進んで今、6巻まで読み終わったところ。いくらジュニア小説だからっていって、これは我ながらハマりすぎ。 でも、この小説ねー、すごいのよ。古事記くらいのヤマトの国、つまりニッポンが舞台でね。14歳の少女が主人公なんだけど、地方ごとの神々に対する信仰、領土争いの権謀術数、はたまた幾多の恋人たち。ありとあらゆるものを描きつくす壮大さは、とても子供だましなんかじゃァありません。 文章も、集英社コバルト文庫にしては小難しいけれど、豊かな情景描写や細かい背景のディテールが生み出す格調高さ、迸るような登場人物たちの台詞やモノローグ、すごい迫力です。 氷室さんといえば、私たちの世代では「なんて素敵にジャパネスク」がマンガ化されたこともあって有名だけれど、この「銀の海 金の大地」は「ジャパネスク」後に氷室さんが全身全霊を込めて書いた11冊の、まぎれもなく「ジャパネスク」以上の傑作。 作家で、小野不由美さんているでしょう、新潮文庫の人気投票でもかなり上位にきてる人。彼女の「十二国記」というシリーズが、当初は少女向けの講談社X文庫だっけ? そこから出てたけど、あまりの壮大さと大人が読んでも充分大満足の本格的さのために、今は一般の講談社文庫での出版もやってるという・・・。いや、小野さんのは読んだことないんだけどね、この氷室さんのシリーズも、一般の集英社文庫で通用するよ~。出せよ、集英社! でも、氷室さんて、断筆したのかなあ。本を出さなくなって久しいんだよね。「ジャパネスク」が、去年くらいに装丁を変えてコバルト文庫から出してたので、出版社とモメてるとも考えにくいんだけど・・・。情報あったら教えてください。 大人が読んでもじんとくるような、すばらしい児童文学家がいるように、氷室さんは、すばらしい少女小説家やもん。マジで。 長いな。今日の日記・・・。「エンピツ」の文字制限、オーバーしないといいけど。(いま、確認。一日に、原稿用紙20枚分までだって。なーんだ、まだまだ余裕やん! でも、もうここまで読んでる人かどれだけいることか・・・) えっと、本屋さんといえば音楽雑誌のコーナーもチョコチョコ覗いてんだけど、けっこう対談を巻頭記事にしてるのって多いよね。どっちのファンも喜ぶし、やっぱりオイシイ企画よね。 いま店頭に並んでる「BREaTH」は、河村隆一と北川悠仁(ゆず)。 これはまァ、おいとくとしても、「bridge」は奥田民生と草野正宗。 こちらは思わず立ち読み。民生が、 「自分をスポーツ選手にたとえると?」とかいう質問に、「中山ゴン」と答えていたのがおかしかった。 『ゴンってやっぱりどこか特別視されてて、今回のワールドカップで、ゴンが出るまでは観客は「ゴンを出せ! 出せー」て騒ぐけど、いざ出ると、そこまで活躍すると期待してるわけじゃないんだよね、みんな』 というように答えてた。うますぎる・・・。 はあ、もういい加減、やめろってね。今日は福岡はひどい風雨で、私は女の子らしく体調が悪かったので、外出はとりやめてずっと家に居たんです。書きたいことはいくらでもあるが、この辺で。また明日~! と、最初とは打ってかわって、軽い調子で終わる今日の日記でした。バイチャ。 |
2002年08月09日(金) ナガサキの断層 | ||||
日本人なら忘れてはならない日というのがある。 その一つが原爆記念日だ。 一昨日から3日間、西日本新聞で 「ナガサキの断層」 という記事が掲載された。コラムというのか、ちょっと違うな・・・。 新聞社の方が書いたようだが、これは、私の新聞史(?)でナンバー1に輝いたといってもいいほどの、衝撃の連載だった。 「長崎の平和運動が、広島ほどに団結し高揚しないのはなぜか?」 ということについての連載だ。 以下、エミによる記事の要約。 原爆投下中心地の浦上地区(浦上天主堂で有名)には、12,000人のカトリック信徒と1,300人の被差別部落民が住んでいた。 江戸時代の禁教令以来、部落民はキリシタン監視の役割を担わされ、歴史的に両者は共に差別されるがわにありながら、互いを憎しみあってきた。そうした状況を原爆はさらに悲劇的にした。 浦上地区と長崎市街地とは山で隔てられているため、市街地では被害は比較的軽かった。市街地ではなく浦上に落ちたのは天候の条件のためだが、一部の市民は 「市街に落ちなかったのはお諏訪さん(市街地の諏訪神社)が守ってくれたため」 「浦上に落ちたのは、お諏訪さんにお参りしなかった“耶蘇”への天罰」 と言って憚らなかった。長いキリシタン迫害の歴史の中で醸成された、一般市民の異教徒への差別観。平時の心優しい善人が、極限状況に遭遇すると悪魔のような差別性を剥き出しにする。 平和記念像は、犠牲者への冥福は当然としてもそれだけで建立されたのではない。観光長崎の新名所を作りたい市当局と、像制作で永遠に自身の名を残したい彫刻家の自意識。 「なぜ長崎の人はもっと怒らないのか。原爆まで妙な観光にしてしまって」と、『差別と原爆』について書き続けた作家は嘆く。 ああ、できることなら、全文を掲載したいくらいです。 原爆という人類の最も悲惨な出来事、それがもたらす様々な形での新たな悲劇。人間が免れ得ない差別意識を明確にしたこの記事。胸に迫った。 歴史にも人の心にも、必ず闇は存在する。それを克服しようとするために、教育とか言論が必要なのだ。 そして長崎の原爆は二発目だ。 いかに戦争終結のために原爆投下が必要だったとアメリカが主張したって、広島のわずか3日後に、違う種類の(ウラン型とプルトニウム型でしたっけ・・・。曖昧な知識で申し訳ない)原爆を落としたことに、戦争終結のためという言い訳が通用するだろうか。 私たちはもっと知らなければならないと思う。 小中学校では戦争の悲惨さを平和学習という形で習うけれど、たとえば高校生や大学生、そして社会人と大人になっていく過程で、戦前戦後の歴史的背景や、こういった人間の心の病理といったものを、日本人全員がもっと深く学んでいくような教育の在り方を、考えなければならないと思う。 もう私たちの世代では、親だって戦争体験がないんだから。親から子、祖父母から孫へと口移しで伝えていくことに限界が近づいているんだから。 |
2002年08月07日(水) その目に映る世界は? | ||||
敵と味方をはっきり分けたがる人って、時々いるなぁと思う。 敵と決まったらトコトン悪意で受け取る。 でも、そういう人に限って、いったん味方と決めたらものすごく寛容で思いやり深かったり。 うーむ。 あさってからお盆休み。 明日一日、気を引き締めて仕事しよ。 最近、誤差に慌てなくなってきた。落ち着いて原因を発見することができるようになってきたかな? 小さな進歩。 |
2002年08月06日(火) 表情筋 | ||||
あちこちであってるね、花火大会。 仕事帰りに浴衣姿の女の子を見かけることもしばしばだ。 私の夏休みは土日を含めて9日間。社会人としてはけっこう長いほうかもしれない。ま・・・普通かな。 1年目だった去年ほど、「たった9日しかないなんて!大学の頃は2ヶ月もあったのに!」と、思っていない今年だ。やっぱり人間、慣れてくもんなんでしょうかね。 それに、ハードバイトマンだった私は、学生時代にだって9日間も連続で働かないのは年に1回もなかったかも。高校生のときからだ! そう、社会人になって何が変わったかって、仕事(これが社会人の生活のメインだよね。少なくとも時間的に。)が休みの日には働かなくていいことだ。 学生時代はほとんどが接客のアルバイトだったので、OLになって(しかも、会計やってる今の部署に来て)から、すっかり大きな声を出したりニコニコする時間が減ったなあ、と思う。 頭を使う仕事もやぶさかではないが、体を動かす仕事の気持ちよさも知っている。それに、Face to Faceって、仕事の基本だと思う。どんな仕事であれ、いかに顧客(と大雑把に言おう)を満足させるか?ということを考えなければならないはずだが、接客は直接相手の顔が見えるので、怖い部分もあるが反応がすぐに返ってくるという利点もあるわけで。 会社でトイレに行ったとき、時々鏡に向かって「アエイウエオアオ」の口とかやってみる。 表情筋を衰えさせないようにしたい。 |
2002年08月05日(月) コッココー(Cocco考)、マイク | ||||
あまりに暑いのでCoccoのアルバム「ラプンツェル」を久々にMDウォークマンに入れてみた。 これ、私の中では「夏」のアルバムなんだけど、夏に聴いてひんやりするためのアルバム。 ちょっと怪談ぽい。 それはまあ、歌詞もそうなんだけど、なんというか、アルバム全体に、ビューッと、また時にはヒューッと、冷たい風が吹いている感じ。しかし夏のイメージだ。 Coccoという人のことはあんまり知らないが、沖縄出身だよね。 でも、海というより山の雰囲気。というか・・・森? 原始林? かなりロックな音がたくさん入ってる。 ロックを歌う女の人ってまあいろいろいるわけだけど、 さかのぼれば浜田麻里とか、渡辺美里とか、パーソンズのJILLとか、中村あゆみとか、基本的にハスキーボイスの人が多いやん。 外国でいうともちろん、ジャニスとかね。 それか、YUKIちゃんみたく、ヘタウマ系(←これ、褒め言葉ですから。)か、椎名林檎みたいな個性を前面に出す系。 でも、Coccoは、かなり透明な声。かなりオーソドックスな、ロックとか聴かないおばちゃんとかが聴いても、「あら。上手ね。いい声ね。」ていうような声と、歌い方。 こういう声で、こういうロックやってる人って、けっこう珍しいんじゃないかと思う。それが、この妙な「冷風」っぽい雰囲気の理由かな。 だからって、寒い感じじゃなくて、季節は夏なんだよね。 うーん。 これが、音楽ライターなんかが書きそうな、Coccoの「シャーマン性」というものなのでありましょうか。 で、一通り聴いたら何となく満足するのがこのアルバムで、私はあんまり深入りしないんだよね、この人には・・・。 なので、さっき、明日用にMD入れ替えました。 明日は、ディジー・ミズ・リジーです。これまた久々。 ★ 今日の濱マイク。 鈴木京香って特別に好きじゃないけど、すごい女優だなあ。 一声めの「ようこそ」が、何かすごかった。 私、先週の窪塚の演技、それほど感銘受けなかった。 窪塚て、俳優という職業に対して、そいで俳優という職業を選んだ自分の人生に対して、かなり真面目に取り組んでるってのは、わかる。 その姿が、私にはまだあんまりかっこよく見えないんだけど、一生懸命なのはすごいと思う。たぶんこれからもっと上手くなるんだろうと思う。 あのキレ演技には、その一生懸命さと、役者やってくぞ!ていう覚悟は感じだけど、それ以上のものはまだ感じられない・・・。 鈴木京香って人はもう、好きとか嫌いとか関係なくて、女優としての意志みたいなものすら匂わない。 大塚寧々とちゃんとエッチしたのも、私としてはポイント高かった。 あそこでしないとダメでしょう。 しかしあのラストは・・・あのさ、ヘンテコな展開、ヘンテコなラストってのを、安易に賛美するのもけなしまくるのも、どっちも違うと思うんだけどさ、あのラストはちょっと傲慢な感じがしたなァ。 DVD見ろっつうことかいな。 ということでお休みなさい。 |
2002年08月04日(日) axis | ||||
私、本が好き。たくさん持ってる。 音楽が好き。たくさん聴いてる。 お酒が好き。お気に入りのいい店、いくつかある。 友達と会うの好き。女の子同士でおしゃれなカフェに行くの好き。 洋服とか買うのも、やっぱり好き。 仕事、もちろん楽しくてしょうがないってこたァないけど、 まだまだ興味は尽きない。やる気もそこそこあったり。 好きなものはたくさんある。 好きなものをもつのは、きっといいこと。 でも、肝心なことを忘れちゃいけんなーと思う。 たくさん知ってること、たくさんの場所があること、 それで、自分がどう感じたか? なに考えたか? どういうふうに動いてるか? 伝えてるか? そういうのが大事なこと。 場当たり的に過ごさないようにしよう。 もう大人になってしまった。多分これからつらいこともいっぱいある。 自分で自分を導いていかなくちゃ。 と、こんなことをいつも考えてるわけじゃないけど、 時々は考えてます。 月を見るのけっこう好きだと前にも書いたけど、撮るの、何だか難しいね。街灯のほうが圧倒的に明るく写っちゃったりして。 そんな月が何だかいたいけで、また好き。 |
2002年08月02日(金) 詳説:FB9ライブ | ||||
先週に味をシメて、またフラッシュバック9のライブに行くことに。 ライブハウスJAJA。 ひっっっっっさしぶりに行った。 ごちゃごちゃした西新の、なんかタイとかベトナムっぽい(行ったことないけど)、狭くて車はおろか自転車すら乗ったまま通れやしない、それでいてハンパじゃない数の人が行きかう路地に小さな階段が伸びている。 なんだか不思議だなあ、と思った。こんなこと、前は思わなかったけど。 地下鉄を降りて家路につく人、買い物袋手にいっぱいぶら下げたおばちゃん、制服の学生、あらゆる人が肩ぶつけあうくらいすごい密度で通る場所に口をあけたライブハウス。 いろんなライブハウス知ってるけど、こんなところ珍しいんじゃないかな。1970年からやってるんだって。 24時間仕事をやってるようなイメージさえあるゆうきちゃんも何とか合流して、まりちゃんと3人で踏み込む。 うけつけのみわちゃんが全然変わらない雰囲気で座ってた。「もう卒業してるよね?」と尋ねられて、みわちゃんと初めて会ったのは大学に入学して20日目くらいだったはずだなあ、と思い出す。 そして久しぶりに行ったJAJAでは司会がなかった。ナルトさんは当たり前みたいにいたけど、司会がいるライブハウスってのが一つのウリだったJAJAなのにね。 一組目の合田裕子さん。事前知識は、東京の人ってことと、いろんなイベントに参加しているみたいでかなり歌がうまいらしいってこと。 大きな男たちが4人も出てきて思いきり重い音で演奏はじめて、セミプロぽい、と思ったらボーカルの合田さんが出てきた。 あたしとドッコイドッコイ?!みたいに小柄で、金色でまっすぐな髪で、お化粧は薄くて白いTシャツにジーンズで裸足だった。 楽器4つでものすごい音、鳴らしているのに歌は全然負けてなくて、力強い。 あんまりしゃべらないで、どんどん曲やってく。演奏陣はおそろしく正確で、サウンドはかなり激しいロックで、ボーカルはエモーショナルだった。 怒涛のように6曲くらいやって、30分くらいで終わった。本当に嵐みたいだった。 対バン良かったときってやっぱり嬉しいんだけど、どうも、この合田さんたちを見に来てた人々、終わったらすぐ帰っちゃってたみたい、みんな。(合田さんバンドも含めてだ!でも、私の気のせいだったらスマン) それが何か、力抜けた。対バン見ようなんて気、ないのかなァ。 そいで嵐の余波をあさめるためか、フラッシュバック9ショーが始まるまではけっこう間があって、メンバーは常連さんらしい女の子や男の子とおしゃべりしてた。私らはその間に、お菓子食ってた(笑) DJの音が止まって、暗幕の中で初期のサンタナみたいにエロく妖しいギターが鳴り出して、ナルトさんの影が怪しく躍りだしてひとしきり続いて、幕が開いたら先週とおんなじ衣装の3人組。赤、青、黄。 先週の2倍くらいの音でオープニングテーマが始まって、両手首に衣装とおんなじ青いポンポンつけたナインさんも思う存分叩いてる。 あっという間にフラッシュバック9の雰囲気に巻き込まれてく。と思ったら、フラッシュさんの弦が切れてた。1曲終わって弦はりかえるフラッシュさんを待ちながら、スポーツ狩りにしたバックさんが低いテンションでぼそぼそしゃべっておかしい。 あんな曲、こんな曲、おなじみの曲に懐かしの名曲とやらも披露された。 ポップに弾けるけど全然軽くない、ピシャリのリズム隊と伸びいいボーカル。 きちんと歌詞が聞こえて伝わってくるのもこのバンドの特徴で、甘い印象だけどピリリと山椒がきいてるような詞の世界も魅力の一つ。 詞の音への乗り方も絶妙だから、 「宇宙船の曲」 「眠れないのに目ェつぶってる曲」 「ビールの曲」 「チュッチュしたい曲」 「メガネの曲」 とかいうふうに、タイトルとか知らなくても、ちゃんと印象に残る。 「いい夢を見たいのなら トイレはすませておきましょう けっこうこれは肝心よ」 という憎らしいほどにかわいい歌詞で始まる『いい夢を見たいなら』でこの日のライブは終わりで、この曲を聞くとほんとに、「いい夢見たなァ」と幸せな気持ちになる。 明るく楽しく心に響く。 そんなシンプルな形容詞がぴったりのバンドだなあと思う。 ゆうきちゃんとまりちゃんとおいしいお酒を飲みながら、近況について話す。話すことで新しく気づいたり、うなずきあったり、深まっていく感じが好き。たくさん話しても、もっと話したいような気持ちになるのが好き。 タクシーに乗って、運転手さんに褒め殺しにされながら帰宅。 |
2002年08月01日(木) 盛夏 | ||||
8月1日、人事異動の発令。 けっこう動きが激しくて、さっそく同僚と社内メールにてお上の思惑について推測しあう。 7月は局所的な残業もあったけれども、やっぱり基本的に穏やかだった。 今週に入ってまだ飲みにいっていない。 先月はよく飲み遊んだので、残業が少なくてもキツかったりしたけれど。 早く仕事が終わって、ちょっと本屋とかドラッグストアに寄り道して、まっすぐ帰って、という日々だと、なんて今の生活は安定しているんだ!と思う。 仕事に胃が痛くなるような重大な責任はないし、でも適度にやりがいがあって、7時くらいには家に着いて、決まったお給料がもらえて。土日は休みで。 こんなんじゃァ、収容人間になってしまうかもしんない、という恐れさえ出てくるほどに穏やかだ。 これに甘んじてはいけない! まー、中間決算の時期になったら、否が応にもいそがしくなるわけなんだけど・・・。 8月は出歩くのを控えて、公私にわたって自己啓発したいと思います。 とはいえ、誘われたら出て行く性分ですので、誘ってください(ああ、既に破綻している・・・) 昨日だったか、「ズームイン!スーパー」で、女子アナがナンバーガールとシャカラビッツが一緒に作った曲を紹介したときの、福澤アナの 「へえ~」 といういかにも!気のなさそうな相槌が何だかおかしかった。 何がきっかけだったかわからないが、今日ふと、「風は海から」という曲を思い出して鼻歌。岡村孝子です。 「♪風は海から海へとかえるもの」 すごくいい歌で、この歌きいてたのは小学校の頃だったけど、本当に好きだった歌というのは、今でも1番くらいは歌詞を覚えていてスラリと歌えるもんですね。 |
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