白い木蓮の花の下で ~逝くときは白い木蓮の花の下で~ 目次|過去|未来 【検索からお越しの方へ】
今日は、昨日の話の続きをば……とても昨日は書ききれなかったので。 昨夜はレスリー・チャンの大ファンのN嬢と電話をして思ったことなど。 当たり前といえば、当たり前のことだがN嬢のショックは大きかった。 「事故とか、病気だったら、ともかく自殺というのがショックで」 「そんなに辛いことがあったなら、逃げ出したらよかったのに」 N嬢は悔やんでも悔やみきれず……といった風情だった。 ハッキリ言って自殺は数ある死の形の中で、特別な形だと思う。 人の死というのは、いつだって突然だし、突然であるがゆえに受け入れ難い。 だが自殺の場合は、その突然は「故意」のものだ。 そして完璧に、この世を拒絶して行ってしまうのだ。 残された者としては「はい。そうですか」と納得できる道理などない。 自殺は卑怯である。自殺する人はズルイ。自殺する人は弱い…… なんてことが言われるけれど、確かにその通りかも知れないと思う。 「なんかズルイ」って気持ちは、どうしても持ってしまうのだ。 だが……だからって、それを責める気にはなれないんだな。私は。 身内に自殺者がいるからかも知れないが、それだけではなくて。 私は自殺なんてアカンと思っている人間だけど、それは、それとして 「そうするしかなった」あるいは「それもまた生きる上での選択」だと思うのだ。 生きていると、自分の度量では、とても理解できないような人や考え方に出会う。 しかし自分が理解できないから、それが間違っているとは言えない訳で。 そう思えば「自殺」というのも理解できないまでも それはその人の選択であり、生き方だと思うのだ。 結局は、受け入れていくしかないのだと思う。 そんな選択だったのだ……と。 そうするしかなかったのだ……と。 思えば、人の死に限らず、人間はたくさんのことを受け入れなきゃいけないのだ。 嬉しいことも、哀しいことも、楽しいことも、嫌なことも。 自分の感情とは、まったく関係のない次元で、それらはやって来るのだから。 N嬢には「色々思うことはあるだろうけど、受け入れるしかないと思う」 ……なんてことを言ってみた。気休めだってことは百も承知だったけど。 それにしても、自分で命を絶つ瞬間って、どんな感じなんだろうなぁ。 想像してみるだに、かなり淋しい。 自分とは、なんら係わり合いのない人だったとしても。 人として。一切を捨てていくのは淋しくなかったのかな……と。 あるいは。淋しいというよりも、楽になる瞬間だったのか? そんなことは他人の知るよしもないことなのだが。 まとまりもなく、つらつらと思ったことを書いてみたところで 今日の日記は、これにてオシマイ。 |