京のいけず日記 もくじ|前の日|次の日
![]() 見舞いに行った時のこと。余命を宣告されている父が、 「わしの癌は方々に散っていて自然消滅することはないだろう」 と、さも飄々と他人事のように言ったので。 私も調子を合わせて。美容院に置いてある雑誌の記事でも読むように、 「いや。でも。ほら。奇跡的に消えていたって話もあるやん」 と、無責任に口を滑らした。 その時、見せた父の顔が痛々しい。 しまった、と、すぐに後悔した。 今までにも何度となくそんな話を慰めに聞いただろうに。 「そうか? そんなことが実際にあるんか?」 初めて耳にするかのように目を見開き、期待の籠った視線を寄こす。 レントゲン写真の幾つかの黒い影を見せられても。骨川筋衛門になっても。 手術は不可能だと言われても。三ヶ月の命と言われても。 父は、完治するかもしれない、…その思いを捨てきれないのだ。 傷口が塞ぐように、自然治癒すると誰かに言ってもらいたいのだ。 煙草や、酒が呑めなくなったら、そんな人生なんて終わりだと言いながら、 欲しくもなくなったその体を半ばあきらめ、半ば愛しく思っている。 奇跡。それが真実かどうかなんてどうでもいい。 「せやで。お父ちゃんも頑張りや。笑ろてたら癌も退散するんちゃうか」 骨と皮の背中をバシバシ叩いて笑い飛ばす。 そんな簡単な芸当が、私にはどうして出来ないんだろう。 縋るような父の視線から逃れて話題を変えた。 本人が捨てきれないでいる思いを、親不孝な娘はどこへほかしてきたんだろう。 自分の番でもないのに、人はいつか死ぬのだと聞いた風な口を叩いてる。 何も分かっちゃいない。 簡単になど死ねないのだ。 近所のお喋りなおばちゃんが見舞いに来て、父に向かってこう言った。 「あんたな。あきらめも肝心やで」 80も超えれば、病気になれば、同じようにはいかなくなる。 しんどくなるような欲は捨てろ、そういうことだ。 亡くなった母も仲良くしていた。けして悪い人じゃない。 だけど 「もう帰ってんか」 腹の中で毒づいた。 悟りも、達観もクソ食らえ。 子どものように居心地悪そうにしている、痩せた父が可哀想だった。
Sako
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