加藤のメモ的日記
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1925年は25-25=0だから、昭和0年。つまり昭和は無いということだから、大正になる。大正の最後の年は「大正15年」で1926年1月1日~12月24日である。12月25日~31日が昭和元年である。
1926年は大正15年(大正末年)と昭和1年(昭和元年)が同一年であるから、1925年は大正最後の前の年である、大正14年になる。
1925年1月1日~12月31日は大正14年 1926年1月1日~12月24日は大正15年 1926年12月25日~12月31日は昭和元年である。
このことから、平成を西暦になおすには、平成〇年+88で表す。 逆に西暦を平成になおすには西暦から88を引けばよい。 (例) 1991-88=2 で平成2年 2001-88は101-88=13 で平成13年
1988年は88-88=0 つまり平成は無いということで、昭和となる。
昭和の最後の年は昭和64年だが、昭和64年の 1989年は1月1日~6日までの6日間しかなかった。 1989年1月7日~12月31日が平成1年・元年になる。 1989年は昭和末年であり、平成元年である。
1989年は昭和64年(昭和末年)と平成1年(平成元年)が同一年だから、1988年は、昭和最後の前の年である、昭和63年になる。
1988年1月1日~12月31日は「昭和63年」である。 1989年1月1日~1月6日は「昭和64年」である。 1989年1月7日~12月31日は平成元年である。
元号への変換で〇が出た時は、前の元号になる。 昭和と平成は、末年と元年が共有する。ほとんどの元号は共有する。
昭和の場合、昭和に25を足せば西暦、西暦から25を引けば元号。 平成の場合、平成に88を足せば西暦、西暦から88を引けば元号。
………………
もっと簡単は方法は
平成〇〇年を24時の時刻にする。 平成19年は19時。19時とは7時のこと。この7を2000に足せば2007年。
しかし平成12年からしか使えない。
平成12年は、12-12=0で2000年。 平成13年は、13-12-1 2001年となる。
西暦を平成になおすには、西暦の一の位の数字に12を足す。
今年2009年は 9+12=21 平成21年 1989年は 89+12=101 平成1年
2009年02月21日(土) |
念力・予知・テレパシー |
ESP(超感覚的知覚)は透視と予知とテレパシーを総称したものであり、PK(念力)とは区別されるものであるが、超心理学ではこのESPとPKをひっくるめて「サイPsi」と呼び、ギリシャ文字の「ψ」を当てている。ともに現在我々の持っている感覚知覚を超え、運動の機構についての知識の範囲を超えているものであり、それらの現象を総称して「サイ現象」とも呼ぶ。
このサイ現象を研究するのが「パラサイコロジー」(超心理学)である。超心理学の研究がどのような経過を経て現在に至っているかは後述するが、ライン博士が本格的にサイ現象の調査と実験を開始してから70年近くたつ。1980年に没するまでに集めた調査資料と実験データは膨大な量にのぼり、それらのサイ現象を肯定する証拠の一つひとつを否定するためには、今後何万年にもわたって否定的結論を出し続ければならないとも言われているぐらいである。
超心理学は、実験を主な研究とするが、調査・観察も意味ある知識を与えてくれるものとして重視する。それは他の科学の研究領域での研究とまったく同じ考え方に基づくものであって、批判に充分堪えうるものである。超心理学が示すデータが示すところによると、サイ現象はその成立に既知のエネルギーは関与していないらしいこと、また時間の前後や空間距離に影響されないということができるのである。ただそれを説明する理論が未だないのである。
ライン博士は1947年に著した『心理の領域』の中で次のように述べている。「われわれは、感覚機能を超えて知識を獲得する能力の存在を発見した。この超感覚的能力はの存在を発見した。この超感覚的能力は、物についての知識を我々に与えるものであり、時間・空間はこの過程に影響をい与えない。これが物理学的存在とは違うところである。
またPKによって、心が非物理的な仕方で物質に達する可能性が示された。サイの研究により、心が非物理的な仕方で物質に達する可能性が示された。サイの研究により、人の心は ある条件下では、物理的限界を超えることを証明した。」しかしどのような未知のエネルギーが介在しているかは、今もって不明である。
『超心理学』大谷宗司 防衛大学名誉教授
2009年02月19日(木) |
プルースト 「失われた時を求めて」 |
全部で七編からなる膨大な長編小説である。私もこれを全部は読んでいないのだが、読んでなくても十大小説に入れないわけにはいかないという、二十世紀文学の最高傑作なのだ。七編とりあえず並べてみよう。
第一篇『スワン家の方へ』 第二編『花咲く乙女たちのかげに』 第三篇『ゲルマンとの方』 第四編『ソドムとゴモラ』 第五編『囚われの女』 第六編『逃げ去る女』 第七編『見出された時』
プルーストはこの一大長編小説を思いつく前にいくつかの秀作を書いているのだが、それらはほとんど見る価値のないもので、価値のある部分はこの長編の中に吸収されている。つまり、プルーストは生涯かけてこの長編だけを書いた、と言ってもいいのであり、それは文学的な奇跡だと思えるほどだ。
簡単には要約しにくい物語である。こんな長いものを要約してもどうにもならない。しかし、シンプルにいえば、ある語り手によるその人生の記録である。幼いときに母に愛されたとか、こういうことが楽しかったとか、また逆に切なかった、というところから始まり、ゆっくりと成長していく。恋心が芽生えたり、同性愛にひかれたり、様々な人と付き合ったり、傷ついたりだ。
時の流れは記憶によってつながっている。しかしプルーストは、記憶していない記憶まで語ろうとする。それで有名なプチット・、マドレーヌのシーンが出てくるのだ。語り手はあるとき、プチット・マドレーヌという菓子を紅茶に浸して口にする。その瞬間に、言いようのない快感に全身を震わす。その菓子の味が、子供のときに叔母がくれた菓子の味につながっていて、失われていた記憶が一瞬のうちに甦ってきたのだ。
失われていた時間が、そのように取り戻せることを語り手は知る。それを頼りに、少年時代を語り始め、この物語が展開していく。貴族とも付き合い、ブルジョワとも付き合う人生である。運命的な出会いで女性に恋したり、その女性に去られたり。
そういう人生のバックに、フランス史がある。とても大きな全体小説でもあるのだ。古里の村の名はコンブレーだ。そして、散歩道が二つあって、ゲルマントの方とスワン家の方、と呼ばれている。スワン家はブルジョワで、ゲルマンと公爵は貴族だ、つまり二つの方向は絶対に交じり合わない二つの世界を象徴していて、語り手はその両方に関係していく。そして最後の第七編では、二つの家は婚姻で結ばれて、統合するのだ。
人生、つまり時の流れを語ってきた語り手は、文学に野望を持っている人物なのだが、才能がないのだろうかとも心配している。ところが、物語の終わりのほうで、また記憶していない記憶が甦る体験をして、この方法で書けばいいのだと天啓を得る。そして、書くことで私の人生は時間の中に存在することになるんだと、書こうと決めたところでこの大長編は終わる。
つまり、ラストシーンがこの小説の書き出しとつながるのだ。語り手が人生をそこまで達したことによって、この小説は生み出されたのである、という構造になるってこと。お見事!と言いたくなるようなエンディングである。言ってみれば、この長い長い小説には、この小説はなぜあるか、書いてあると言ってもいいのだ。
この十大小説に入れなかったジョイスの『ユリシーズ』(あまりにも前衛に行き過ぎてしまっている、と私は判定したのだ)と、プルーストの『失われた時を求めて』の二作が、二十世紀文学の到達点だと言われているのである。さて、二十一世紀の文学はどこまで行くのであろうか。
『早わかり世界の文学』バスティーシュ読書術 清水義範
宮城刑務所の処刑の部屋は二つに分かれている。右側が立会い室。俗にいう教誨室(受刑者に教え諭す)で壁には仏壇がはめ込まれ、真ん中にイスとテーブル。隣室との仕切りの壁沿いには長いすが並んでいる。末期の酒を飲み、タバコを吸い、この世と別れを告げる部屋である。
左側が処刑室。つまり刑場である。立会い室から仕切りの壁の戸をあけて入ると、3メートル四方ほどの中二階状になった処刑台が目に映る。台に上がる階段は、13段ならぬ4段で、台の上には丸いイスが一脚ぽつんと置かれている。よく見ると、処刑台の中央に1メートルほどの切れ目が見える。外からの操作で、床下の半地下室に向かって、その切れ目が観音開きに開く仕組みになっているのだ。
天井には滑車が仕掛けられ、不気味に垂れ下がっている。ロープの先にはワイヤーに皮を巻いた首輪がつながっている。立会い室と処刑室との仕切りの壁には、視察口と称する横に細長い窓があり、立会い室にいる者がその窓から首を吊られ、ぶら下げられ、あえぎ、もだえ、うめく受刑者の胸元あたりだけが見えるようになっている。その苦痛に歪む形相や、もがき苦しんでバタつかせる足などは見えないように配慮されている。
死刑囚にとっては、この四階段を上がり、処刑台の床がバタンと開かれ、床に向かって落ち、首を吊られたときに初めて刑を受け罪を償ったことになる。つまりそれまでは死刑が確定した未決囚であり、死のお迎えが来たときに初めて刑を執行されるわけだ。
悟りきった死刑囚ばかりではない。最後の最後まで無実を叫ぶ者、死ぬのはいやだ、助けてくれ!と泣き叫ぶもの、あるいは恐怖のあまり泣きわめき、舎房の鉄格子にすがりつき、房内の机やイスを壊して凶器にし、暴れまわる者もいる。まさに死に物狂いである。看守などでは手がつけられない。ついには特別警備隊が出動し、滅多打ちにしてガス銃をぶっ放し、意識朦朧の仮死状態のまま連行し、強引に首輪をかけて処刑したこともある。
死刑執行時刻はおおむね午前十時からだ。午前九時ごろになると、新館一舎の死刑囚棟から刑場まで、完全武装の特警が4~5メートルごとに非常配置される。そして普段は「開かずの間」の「三途の川」と称される地下道の扉が開けられる。この地下道は20メートルほどのトンネルだ。死刑執行のとき死刑囚はこのトンネルの地下道を通っていく。
午前十時前、死刑囚棟の鉄扉がギーとでも開かれでもしようものなら、死刑囚棟は、各房の扉越しに心臓の音が聞こえてくるほど、シーンと不気味に静まりかえる。咳音ひとつなく、息をひそめた死刑囚たちの呼吸音さえ聞こえてきそうだ。ある者は正座し、両手を合わせて神仏に祈り、ある者は体を震わせ、心臓が破れんほどに鼓動を高鳴らせ、必死に死の恐怖におののいている姿が、痛いほどわかる。
鉄扉を開けたお迎え官や特警の靴音が自分の房の前を行き過ぎれば「助かった」とほっとして、全身から力が抜け、ぐったりとした次の瞬間、「今日一日は生きられる」と、満面に狂喜の色が沸いてくる。だが特警の靴音が、とある監房の前で止まり扉を開けようものなら、そこにはほとんどの場合、腰を抜かして立てなくなり、瞳はうつろでよだれさえ垂らし、時には小便を漏らしたり脱糞までしている死刑囚を見る。
それを特警が後手錠をかけ、両脇から吊り上げ引きずるようにして、三途の川のトンネルをくぐり、雑木林の中の処刑場へと連行していく。連行されて行った後には、垂れ流された糞尿が、点々と続いていることもある。
死刑囚は遺書を綴った後、別れの杯とタバコが許される。お供えの饅頭や果物も出される。かっては俺も、若気の過ちからとはいえ、人を殺めて死刑を求刑され、東京巣鴨拘置所の死刑囚官房に拘禁され、東条英機らかって戦犯と同じ舎房に幽閉されていた。
俺も日々処刑の恐怖におののき、罪の意識に怯え、良心の呵責にさいまなれ、生死の境をさまよっていたが、悪運が強いのか、この世にまだ縁があったのか、かろうじて刑一等を減じ無期懲役囚として生きることを許された。そして東北地方唯一の処刑監獄、泣く子も黙る宮城刑務所のそのまた忌み嫌われる死刑囚官房の掃夫(世話係)としてかっての同輩ら死刑囚たちの世話をやくことになったのだ。
……………
処刑するときは後手錠をかけ、首筋まで届く長い白布で顔を覆う。死刑囚に目隠しをすると同時に首を吊られた瞬間、頚動脈が切断されて吹き出す血が、口からほとばしるのを防ぐ役目を果たす。受刑者を処刑台の粗末な木製のイスに座らせるときには、執行官があれこれと話しかけつつ、受刑者の気をそらしながら、ロープが受刑者の肌に触れないよう、気をつけて首にかける。
首輪をかけ終わるや否や、執行官は処刑台を離れ、そっぽを向いて手で合図を送る。処刑室の外では合図を確認すると三人の役人が、三つのスイッチをそれぞれ押す。そのうちの一つに本当の引き金が入っているのだが、お互い、俺のには入っていないと思うことによって、少しでも気を楽にさせるための配慮であろう。
三つのスイッチが押されると同時に、処刑台の床がバタンと二つに割れ、死刑囚はガクンと首を吊られる。「うーっ、うーっ」と、地の底から絞り出すようなうめき声が響き、ギーギーと滑車がきしむ。うーっうーっ、ギーギー。この声、この音が、いつまでたっても耳にこびり付き、悪夢にうなされ「やめてくれー、やめてくれー」とこっちまで気が狂いそうになる。
それでも今はまだましだ。かっての刑場は犬小屋みたいな二間間口の御堂で、死刑囚が吊るされ、あがき、悶えるつど、御堂ごときしみ、揺れ、外から見ていても「ああ、今吊るされている、処刑されているな」と、はっきりわかり、とても生きた心地がしたもんじゃなかったという。
現在は、白亜の立派な鉄骨作りだが、死刑囚を処刑する刑場であることは間違いない。処刑台の床が二つに割れ、かっきり五分経つと教誨師の坊主が「ナムアムダブツ」のお題目を、人一倍高らかに唱え、法務技官の医師が、白衣をかぶせた盆を手に半地下に降りていく。
地下に降りた医師は、まだ揺れている受刑者の足をつかんで、太くて大きな注射器を突き刺し、血管に空気を注入するらしい。巷で言われるような、首を吊られても五分間生き続ければ、罪は償ったことになり、自由放免されるってことなどあり得ない。空気や薬を注入して、否応なしに死刑にしてしまうのである。
…………
俺は、これら死刑囚たちの世話をやくという予想だにつかなかった人生を強いられた。死刑囚監房掃除夫として、死刑囚の世話のみならず、処刑された後の屍の後の始末をしてきた。死刑囚が末期の水を飲み、タバコを吹かして逝ったというのはほとんどなく、立会役人が気を利かせて口元に杯を持っていき、酒を含ませ、火をつけたタバコを口に差し込んでやるのが普通だ。ましてや仏壇備え付けの饅頭、菓子などに、三個も食べられればよいほうで、ほとんどが、手付かずのまま逝ってしまう。
それらを、俺たち掃除夫が役得として頂く。いかに馬飯・小便汁の一膳飯で腹が減り飢えているとはいえ、脱糞の悪臭が漂う中で処刑され、目をむき、舌が垂れた死体の傍らで平気で饅頭をパクつき、果物を食うんだから怖い。まさに地獄絵さながらだが、その一人が俺なんだから、我ながら自分自身が恐ろしくなる。
『そして、死刑は執行された』合田士郎
数年前、イラクのフセイン大統領の死刑執行の様子をインターネットで見たことがある。フセインは両側から黒い布で覆面をしたデカイ男二人にがっちり捉えられ、首にロープをかけられた。フセインは最後まで何かを叫んでいた。画面が消えて次に映ったのは、フセインがコンクリートの床に倒れている映像だった。昼寝でもしているかのような、普通の顔だった。
この寝ているかのような映像は明らかにウソである。死刑の後の人間の顔は目や舌が飛び出し、とくに舌はこんなに長いものかと思うぐらい伸びきっているらしい。よだれ、鼻水など全部出るという。筋肉が弛緩しておさめていたものが全部出るということだ。
2009年02月15日(日) |
ゲーテ 「ファウスト」 |
ドイツに実在したと言われる伝説的な魔術師ファウストが主人公である。ファウストはあらゆる学問をしてみたが、真に知的欲望を満たすことはできないと絶望している。私はすべて知りたいのに、というところであろう。そこへ、悪魔のメフィストフェレスがつけ込むのだ。魂を賭けた契約を結び、若返りの薬を飲んで人生を体験しつくそうということになる。
ファウストは契約をし、若返る。そして純真な少女マルガレーテ(グレーとヒェン)と恋に落ちる。マルガレーテはファウストとの逢引を一瞬でも引き伸ばそうと母に眠り薬を飲ませるのだが、量を誤って殺してしまう。
やがてマルガレーテはファウストの子供を身ごもる。そこへ軍隊から兄のヴァレンティンが帰ってきて、妹を傷物にしたからとファウストに斬りかかるが、逆にファウストに殺されてしまう。マルガレーテは子供を殺してしまい、牢獄に入れられやがて処刑される。そこまでが第一部である。
第二部は話のスケールがぐっと大きくなって天界や、古典世界や、神の領域までが舞台になる。そして簡単にいうならば、天才は何をやってもうまくいき、何をやっても許されるだろうか、という問いの答えを探していくのである。ギリシアの美女へレナとファウストが結ばれて子供が生まれたりもする。
すらすらと読めるとは言い難いのだが、まるで天上界のパーティーに巻き込まれたように、次から次へといろんなものが主張を並べ立てて賑やかな感じである。ギリシア世界や中世のゲルマン社会などが自在に出てくるのも、教養のきらびやかさという感じだ。ファウストとメフィストフェレスの契約は、もしファウストが現世の誘惑に負けて、ある瞬間に対して「止まれ、お前はなんと素晴らしいのだ」と言ったときには、喜んで自分は滅びよう、というものである。
そして第二部の第五幕では、ファウストは大領主となっているのだが百歳で死に、契約に従ってメフィストフェレスに魂を渡さなければならない。しかしそこで、ファウストが昔見捨てたマルガレーテが出てきて聖母マリアに仲介してくれ、魂が救済されるのである。壮大なな話である、と思わざるをえない。
要するにこれは天才が悪魔と契約をして、全世界、全存在の意味を知ろうと人生をやり直して、ついには神に救われるという構造の物語なのだ。それを思いもかけない場面の連続で、とうとう描ききってしまっているのだ。神も悪魔も、古代も現代も、愛も裏切りもすべてが出てきてファウストに何事かを教えてくれる。
『早分かり世界の文学』清水義範
太陽の黒点運動が激しくなると、電磁波(宇宙線)をまき散らす。それが地球に降り注ぎ、その宇宙線を中心にして水の分子がくっつき、雲ができ雨が降る。黒点運動が激しいときは雨が多く、温度は上がらない。しかし黒点運動がおさまると晴れた日が多くなり、地球の温度は上がる。地球温暖化は宇宙全体の環境が問題なのである。
バンアレン帯は成層圏の上にある。成層圏とは地上約10~15キロメートルの部分で、対流圏の上にある。大気が安定しているのでジェット機の飛行に適している。そのバンアレン帯は宇宙からの有害な宇宙線を防いでいる。しかし、オーストラリアとアフリカの間に、バンアレン帯の割れ目ができているという。その地域では有害な宇宙線が降り、皮膚ガンが多いらしい。
しかしこれらはCO2だけの問題ではない。なぜならCO2は大気の0.054%でしかないからである。CO2を悪者にして、排出権取引というビジネスが生まれている。これらを研究テーマにしていた大学教授や研究者が殺された。研究テーマがタブーに触れると殺される。地球にはヤミの権力、我々の知らない権力構造がある。ちなみに磁気が発生するということは、地球が自転しているからである。「コア」という映画があった。
人類誕生は1億8000万年前にクラリオン星人が来て、地球の爬虫類と彼らの遺伝子操作で人間をつくった。クラリオン星人は地球にいる。一部の人間がコンタクトをとっているらしい。
DNAの種はどこでできたか。地球外か、内か。古代人にとって神は宇宙人だった。ネアンデルタール人はなぜ絶滅したか。彼らは現代人とは交配していない。ネアンデルタール人は労働者として、宇宙から連れてきたということらしい。
これらは地球外に話を持っていくか、地球内で解決しようとするかでかなりちがってくる。ローマ法王は宇宙人を肯定したということだ。バチカンは多くを隠している。今年、宇宙人とのコンタクトの可能性が高いということだ。クラリオン星人と交信している人々がいる。発想の転換が必要だ。
「地球の真実」スタイルFM
地球は太陽を中心とした太陽系の中の一個だが、その太陽系はそれを取り巻く銀河系宇宙の端っこに位置している。ちょうどなべのフタの端っこあたりに位置している。我々の住んでいる銀河系宇宙には数千億個の太陽があり、当然太陽系のようなものも数千億個以上あるだろう、といわれている。その銀河系宇宙のようなものも、この広い大宇宙には、数千億はあるといわれている。夏の夜空の天の川は、我々の住む銀河系宇宙の断面である。
シュメール文明には、地球に飛来した異性人が、遺伝子操作で人間をつくったという記述が石版に書いてある。これをシュメール文字を解読した学者が発表している。
「……ガン患者の八割、約二十五万人は“殺されている”」前著『抗ガン剤で殺される」は、全国に一大衝撃を与えつつある。「なら……どうしたらいいの?」ガン患者、そして家族の方々は途方にくれるはずだ。しかし前著で強調したように、「ガンを治す」のは医者でも、薬でもない。あなたの体に備わった自然治癒力……具体的にはナチュラルキラー細胞(NK細胞)などの免疫細胞の活躍なのだ。にもかかわらず抗がん剤、放射線は味方のNK細胞を殲滅してしまう。
それらの数々のガン代替療法の中で、最良の薬を私は発見した。それが「笑い」なのだ。「笑いは副作用のない妙薬」ともいわれる。そこで「笑いの効用」について内外の文献から、様々な資料を徹底的に調べてみた。笑いの効用は私の予想をはるかに超えるものだった。古代ギリシャの医聖ヒポクラテスは「人は誰でも100人の名医を持つ」と自然治癒力の存在を喝破している。それは体内に自ら備わる“治す力”だ。そして医師の役割は、これらを補助することでしかない、と諭しているのだ。
この奇跡の自然治癒力パワーを最大限に引き出すにはどうしたらいいのだろう。それが「笑う」ことだったのだ。「笑い」と「リラックス」で副交感神経が活性化し、興奮を鎮める神経ホルモンが分泌され、体内のガン細胞を攻撃するリンパ球を著しく増やす。また吉本興業のお笑い番組を19人の患者に見せて大爆笑させNK細胞の変化を観察した伊丹仁朗医師の画期的実験でも、ほとんどの患者でNK細胞が増強するという驚くべき「笑いの効用」を伝えている。
そのメカニズムは「笑う」と脳から快感物質β―エンドレフィンが大量に分泌され、それがNK細胞を大量増強、活性化させるのだ。「笑い」はNK細胞の栄養源。これがガンを治す仕組みだ。ストレス解消効果も同じ。「笑う」とストレス物質が分化され尿中に排泄されてしまう。こうして「笑う」とすっきりする。一方で、免疫細胞が増え、NK細胞などの働きを活性化させ、生命力はアップする。
「笑い」はアトピーもめざましく改善する。またリウマチにも著効があることも立証されている。また、筑波大学の研究では、食後20分笑っただけで血糖値上昇が約4割も抑えられると言う驚くべき結果も出た。「笑い」はインスリンなどの血糖降下剤よりはるかに安全で効果的、そして“安上がりな妙薬だった!”
さらに笑う呼吸は、深呼吸より大量の酸素を取り込み、腹筋などの筋肉の運動効果も抜群。そして見る間に血圧や脈拍も正常化させる。つまり身体のあらゆる数値が正常値に近づいていく。
「笑い」の研究の圧巻は筑波大学、村上和雄名誉教授の「笑いが遺伝子を変える」という実験だろう。世界で初めて「笑い」によって三つの遺伝子のスイッチがオンになる現象を立証した。「笑い」は遺伝子まで変えるパワーを持っていた。専門家は「笑いは人類に備わった究極の防衛システム」と断言する。
「笑い」こそは、偉大なる自然が人類に与えてくれた最大の“癒し力”なのだ。その深遠なる力には地上のいかなる医薬品も及ばない。腹の底からの「笑い」こそが、あなたの生命に奇跡を引き起こすのだ。ガンで悩んでいるあなた……。落語でも漫才でも、友人との冗談でもいい。腹の底から笑ってごらんなさい、鏡を見てにっこり笑顔を作ってごらんなさい。ホラ……なんとなくおかしくなってきたでしょう。だまされたと思ってお笑い番組でも見て、ゲラゲラ笑いをしてごらんなさい。なんとなく体も心もスッキリしたのを感じるでしょう。声を出して笑ってのは、さていつですか?
私は確信する。「笑い」こそは悠久大自然の偉大な力……サムシング・グレート(神)が与えてくれた賜物である。
『笑いの免疫学』船瀬秀介
私の友人は生活保護をもらっていた。ところがある日担当員から、今月と来月の保護費7万円は出ません。と突然言われたそうである。何でですか?と聞いても「計算したらそうなります」と、ろくに説明もなしに言われたそうである。友人は納得がいかないので、借金の債務整理を頼んだ弁護士に事情を話したそうだ。すると弁護士は、保護費を打ち切るときは相手が納得するように説明しなければならない、ということが保護法に書いてあるという。それなら共産党の市会議員に連絡を取るのであなたが事情を話してください。と言われた。2~3日して市会議員から電話があった。
彼は最初区役所に行った日から現在まで、区役所の職員とのやり取りを全部日記に克明に書いているのでそれを伝えた。A4、2枚にまとめて市会議員の事務所にファックスも送った。市会議員は保護課の課長クラスに事情の説明を求めたと思われる。2~3日してから市会議員からの電話では、現在の保護法では仕方がないということだった。つまり”働きすぎ”だったのである。
2~3日してから担当員が、友人のアパートに保護費の書類を取りに来た。その時友人は担当員になぜ保護費が出なくなったなったか聞いたそうだ。専門用語を多用する難解な言葉の担当員からやっと聞き出した理由はやはり“働き過ぎ“だった。彼女は険悪な表情で「市会議員の電話番号を誰に聞いたんですか」というので「知り合いに聞いた」と答えると「誰が聞いても保護費は変わりませんよ」と言ったという。
最初、区役所に行った時は「健康と生活を守る会」という共産党の組織の代表と一緒だったので、すんなり「来月1日に11万円振り込みます」という話だった。ところが友人は、これから一生、月11万円で生活するのか、と愕然とし、保護費をもらう事を取り消し、職探しをした。しかし年齢的にどこも雇ってくれない。結局また区役所に保護費の申請に一人で行った。すると、では月7万円支給します、ということだった。一人で行ったら4万円値切られた。なんの説明もなかったという。
最初の1~2ヶ月は日雇いの仕事が月1日が、まったくない日が続いた。7万円の支給が2ヶ月続いた。月1回、区役所に行ってどんな会社に面接に行ったか、書類に書いて出さなければならない。10月ごろ担当員の女性から「月、5日働くと保護費が1万円増えるんですよ」と言われた。
それで、3ヶ月目は5日、日雇いの仕事をしたそうだ。1万円上がると思っていた彼に彼女から驚くべき言葉が突きつけられた。「今月と、来月の保護費は出ません」だったという。これでこのホームページの最初に戻るのである。それで友人は「あなたは月5日働けば1万円上がると言ったでしょう」と言った。すると担当員から出た言葉に二度驚いた「私はそんなことは言っていません」だったそうだ。「言ったじゃないですか!」「言ってません」「言いましたよー」
すると担当員は「水掛け論になりますね」と落ち着き払って言い放ったそうである。騙されたと感じた友人は市会議員にも弁護士にもこのことは話したそうである。彼女はこの手法を何度か使ったような慣れた風だった。保護法では、健康保険料、厚生年金保険、所得税、住民税、下水道代、NHK受信料、病院代が免除される。一円も払わなくてもよい。
現在彼は職探しをしている。先日面接に行った三社のうちの残りの一社から月曜か火曜日に結果の電話があるという。もしダメでもあとしばらくしたら、年金も入るし裁判の過払い金がそろそろ入るのではないか。生活保護はまだ取り消しになったわけでもないし、このまま働かずに無収入でいれば保護費は支払われることになる。過払い金が先か、生活保護の支給が先かというところである。
過払い金が入ったら保護は取り消せばよい。担当員と話すときには小さな録音機か携帯で録音しなければならないという教訓も得たのである。
このような生活保護受給者を騙してまで保護費を削ろうとする担当員がいるから、福岡市は政令指定都市でホームレスが一番多いと言われているのである。この担当員に、相手をホームレスに追いったという心の痛みはないのだろうか。ホームレスは毎日の食事にも事欠き数年で死ぬといわれる。ホームレスは福岡県で約1400人。福岡市では940人ぐらいだと先日NHKで放送していた。共産党はこれら弱者に対して援助の手を差し伸べている。また友人が頼んだ弁護士もどうやら共産党と思想を同じくする人だったのかもしれないのが幸運だった。
2009年02月09日(月) |
淡色野菜からの重大発見 |
野菜がガンを抑制するということについては、主として緑黄色野菜がビタミンやカロチンを持っているという側面ばかりが強調されるようだが、もう一つ、野菜が白血球活性化物質によって白血球の働きを活性化し、それによってガンを抑制しているという側面にも目を向けてほしいのだ。ガンだけに限らず他のさまざまな成人病にも、予防に対して効果を発揮しえるということである。
ここで、淡色野菜→白血球を活性化する→ガンなどの成人病を予防できる、という図式ができあがる。これこそが本書の一大テーマでである。だから淡色野菜を多く食べなさいということになる。淡色野菜とはキャベツ、ナス、大根、たまねぎ、キュウリなどをいう。ただ、緑黄色野菜をないがしろにしているわけではない、淡色野菜は緑黄色野菜に比べると、やや日陰者的存在であったのだが、そこに日の光を当てたいというのが私の意図である。
淡色野菜については、いまや医学、薬学の世界で大いに脚光を浴びているところであり、ガン防止効果も認められている。しかもガンのみならず、動脈硬化や糖尿病などの多くの成人病にも及ぶ。万病に効く薬こそ淡色野菜なのである。毎日野菜を食べていない人のガンにかかる危険率を一とした場合、毎日野菜を食べている人のがんにかかる危険率は0.784となる。毎日野菜を食べていれば100人中、20人はガンにかからないということである。ちなみに多くの漢方薬の約8割には生姜が入っているということである。
白血球は大きく分けると、リンパ球とマクロファージ(大食細胞)からなっている。このうちマクロファージが、脂質やコレステロールの代謝に大きな働きをしていることがわかった。このマクロファージという白血球を刺激して活性化してやれば、脂質の代謝が盛んになり、動脈硬化になりにくくなると考えられる。白血球が発見されたのは、100年ぐらい前のことだから、歴史はまだ新しい。それだけまだまだ研究すべき点も多く残されているということだが、とりわけここ10年ほどの間の研究成果には目覚しいものがある。
白血球が生み出すサイトカイン(人間の身体のさまざまな生理機能を活性化する物質)には、TNFというものがある。これはガンなどの腫瘍を殺す物質ということである。マクロファージがガンなどの腫瘍を殺すときには、このTNFが必ず出現してくる。
TNFはガン細胞を殺すだけではなく、正常な細胞に働いてさまざまな調節作用をしていることもわかっている。TNFが体の中で正常につくりだされていれば、健康であるということである。そこでTNFが順調に作り出されるためにはどういう条件が必要なのかというと、野菜、果物、海藻の摂取である。
例えばキャベツ、ナス、大根などの淡色野菜がマウスの実験においては、TNFを非常に多く生み出したのである。果物でいえばバナナ、スイカ、パイナップルが、それと海藻類である。薬として使われているインターフェロンと同程度かそれ以上というからすごい。淡色野菜がいかに重要な存在かがわかる。
キャベツ、ナス、ダイコンなどの淡色野菜は白血球の働きを強める作用を持っている。一方、シソや生姜は、白血球が過剰に活性化しているときに抑制する働きを持っている。いずれにしてもこれらの野菜を食べることで、あらゆる病気の予防が可能になる。ガンをはじめとするさまざまな成人病を予防することができる。野菜、中でも淡色野菜こそがその鍵を握っている。
『大病をしない免疫体質をつくる本』山崎正利 薬学博士
イスラムにはシーア派とスンニ派という二つの教派がある。エジプトやサウジアラビアなどはスンニ派が多数を占める国で、イランはシーア派が多数を占める。イラクは北部ではスンニ派が、南部ではシーア派が多数を占めているが、政治・社会の実権はスンニ派が握っている。シーア派の国・イランと、スンニ派が実権を握る国・イラクの間で、1980年から1988年まで、8年にも及ぶ戦争が勃発した。一見この戦争は、スンニ派とシーア派の宗教戦争のように見えるが、本質はまったく別のところにあった。
1925年に成立したイランのパフラヴィ王朝は、英米の協力の下、イランの近代的な大国化を目指して、イスラム文化の排除、軍備の増強、経済開発、婦人に参政権を与えるなどの白色革命を推し進める。
そんな国王の政策を「イスラムの敵」として糾弾したのが聖都コムのマドラサ(イスラムの高等教育機関)で教えを説く宗教指導者、ホメイニだった。ホメイニは度重なる国王批判のため国外追放となるが、イラク南部のシーア派の拠点ナジャフに居を移して、国外から国王批判を続けた。
イラン国内でも、1975年以降学生デモが激化する。1978年のデモでは学生70人が死亡して、戒厳令布告の事態になった。ホメイニはイラクから「王政打破」の命令を出し、ついに国王は国外に脱出して、革命が成立した。帰国したホメイニは「イスラム法学者による支配」を目指して「イラン共和国」を結成し、世俗民族主義グループとの権力闘争の末、1981年には、イラン共和党が単独政権を獲得した。
この動きに脅威を感じたのが周辺の世俗国家だった。特に自国にシーア派を抱えるイラクは、イスラム革命が自国に浸透することを恐れ、他の中東諸国の後押しも受けて、イラン攻撃に踏み切った。
イラクの指導者、サダム・フセインが率いるバアス党は、民族主義と社会主義を合体させたような世俗政党で、その政治姿勢は反イスラム的だった。イスラム革命の波及を恐れる米英は、フセインのイラクに武器を援助するなどして肩入れし、イランを押さえ込もうとする。しかし、この援助が独裁者・フセインを太らせ、怪物として育ててしまったことが、後の湾岸戦争を引き起こす遠因となってしまった。
アフガニスタンでも、英米は当時のソ連と対抗するために、アフガンゲリラを援助したが、その中にはエジプトから義勇兵として参加していた「ジハード軍」「イスラム集団」の過激派やオサマ・ビン・ラディンも含まれていた。
イスラム問題を複雑にしている背景には、宗教的態度や思想に関係なく、その時の都合に合わせて諸勢力を利用してきた英米こうしたご都合主義が影を落としている。
『世界の宗教の謎』
2009年02月07日(土) |
保険料の減免、猶予の条件がある |
Q 夫が長期入院して収入が激減し、介護保険を払えなくなってしまいました。よきアドバイスをお願いします。
A 災害や病気、事業の廃止など特別な事情によって収入が下がってしまった場合、介護保険、医療保険などには保険料の減免、徴収猶予が受けられることがあります。国民健康保険では保険料を払えなくなってしまった人を救済する措置があります。滞納後一年経過すると、保険証の返還通知が来ますが、代わりに短期保険者生を発行してもらえます。これは6ヶ月間使用できます。とにかく困っていることを市町村役場の窓口に行って、お話してください、救済措置は特にアナウンスしていないため知らない人が多いですが相談に乗ってくれるはずです。
2009年02月06日(金) |
日本の深海探査船・ノチール号 |
ノチール号はチタンの合金である。チタンは一番丈夫な金属である。船の壁の厚さは4センチメートルで、圧力に最も強い球形につくってあるので、6000メートルの深海の水圧でもつぶれることはない。6000メートルの海底では、6000メートルの海水の柱を背負っているのと同じ水圧を受ける。
水の密度は1立方センチメートルあたり1グラムだから、6000メートルの海水の柱は1平方センチメートルあたり6キログラム。ノチール号の上に、機関車を6台積み重ねたほどのすごい水圧である。
ノチール号は、こんなすごい圧力にも耐えられるように設計されている。試験運転で、人を乗せず巨大な実験用の水圧機の中に入れ、8000メートル以上の深さと同じ水圧をかけてみた。しかしチタンの球はびくともしなかった。
深度3000メートル。しかし、球の中はのどかなものである。内部の圧力は地上とほとんど同じに保たれている。乗務員がはき出した二酸化炭素はすべて薬品に吸収され、球内はいつも清潔である。酸素は少しずつ、備え付けのボンベから補給される。
操縦士も、副操縦士もフランス人。この潜航計画のため日本にやってきたのである。もう何回も潜水船に乗って深海に下りているので余裕タップリである。潜航を始めてから一時間半たった。副操縦士が下向きソナーのスイッチを入れる。海底まであとどのくらいあるか、超音波の反射を利用して測るのである。
海水は光はほとんど通じないが、音をよく伝える。特に超音波は遠くまでよく伝わる。遠くが見えない海水中では、この超音波がいろいろな目的に使われる。船の底から下向きに超音波を発射し、それが海底にぶつかってはね返り、船に戻ってくるまでの時間を測り、海底との距離がわかるのである。
2009年02月04日(水) |
ガンのワクチンが誕生した |
今日、テレビで九州の久留米大学の「先端ガン医療研究センター」で世界が注目する夢のガンワクチンが開発された、という報道があった。これはペプチドワクチン療法といい、理論的には初期のガンから末期がんまですべてに使えるというものである。ワクチンを注射するだけである。今後は近くの診療所でも投与可能であるとのことだ。約40種類のワクチンの中から、その人に合ったワクチンを投与する方法である。理論的には全てのガンに適用できる。副作用はない。
このワクチンは、免疫細胞を活性化させそれがガン細胞を殺す免疫療法である。この大学ではリンパ球がなぜガンを認識できるかという研究が行われた。その結果ガン細胞のまわりにある、ガンペプチドというタンパク質のかけらを、リンパ球が目印にして攻撃しているということを突き止めたのである。このガンペプチドを目印にして攻撃するためのワクチンを注射し、免疫細胞・リンパ球の司令塔である樹状細胞に指令を与え、リンパ球にガンペプチドを認識させる。活性化されたリンパ球は増殖を続け、ガン細胞を見つけて攻撃するという治療法である。
今までは、全てのガン細胞の特質が異なるため一つの治療法でガンを完治させることは難しかった。しかしこれから将来的にはガンを撲滅することができるかもしれないということだ。ペプチドワクチンは何種類もあり、四種類のワクチンを組み合わせる。皮下注射一本で入院しなくてよい。免疫力がアップするので、元気になる。
しかし、従来の手術や、放射線や抗がん剤などの化学療法で治るものはそれで治療し、それでも治らない場合の第四の治療法という位置づけが久留米大学の方針である。マスコミの報道で問い合わせが殺到しており、一日二万件の問い合わせがあったという。それで今は受付はストップしている。
今年の四月から久留米大学の「ガンワクチン外来」でこの治療を始める。費用は厚生労働省に認められた薬ではないので、自由診療のため保険は適用できない。週一回の注射を六週間継続し、六週間後に免疫の応答を評価するということだ。六回投与コースで50万円前後である。事前予約は受け付けていない。四月から久留米大学のホームページなどで連絡先を公開するとのことだ。
2009年02月03日(火) |
映画「宮廷画家ゴヤは見た」 |
舞台は18世紀末のスペイン。ある裕福な商人の娘イネスがレストランでの食事で豚肉を食べずに残してしまう。嫌いだったから食べなかったのである。ところがこれが豚肉を食べない習慣のユダヤ人であると、密告されてしまった。そして異端審問にかけられ、両手を後ろ手にしてロープで吊るされるという拷問にかけられる。
拷問の苦しさから逃れるため、先祖がユダヤ人であると嘘の告白をしてしまい、牢獄へ入れられる。わが娘を救うため、父親はカトリック教会の神父・ロレンソに莫大な寄付金を申し出る。
しかしロレンソにはそんな権限はなく、異端審問所長はイネスの釈放を許可しなかった。やがてイネスはロレンソの子供を身ごもる。ロレンソは国外に逃亡した。時は流れフランス革命が起こり、ナポレオンのフランス軍がスペイン侵攻する。そして異端審問は禁止され、牢獄に繋がれた多くの人々は解放される。イネスも解放されたが、長い間の拷問と悲惨な牢獄暮らしで、廃人のように変貌した。その演技は息を呑む。ちなみに彼女はハーバード大学をオールAで卒業したということだ。
異端審問という不条理な制度により運命を狂わされた少女と、彼女と関わりを持ったことで波乱の人生を歩むこととなったカトリック神父。時代に翻弄された二人の男女の数奇な運命が、宮廷画家ゴヤの目を通して描かれる。映像はすべてスペインで撮影されたという。ナポレオン軍によるスペイン侵攻や、広場での処刑シーンが生々しい迫力を感じさせるのは、スペインの歴史的町並みや、建造物を駆使したロケによるところが大きい。
情熱と野心に溢れたロレンソには「ノーカントリー」のハビエル・バルディム、正気を失ってもなおも一途な愛を抱き続けるイネスにはナタリー・ポートマンが扮し、共に圧倒的な存在感を発揮している。スペインの天才画家・ゴヤの置かれた状況などが描かれる。筆一本で宮廷奥深くまで入り込む。晩年は耳が聞こえなくなり、この頃から「黒い絵」と呼ばれる評価の高い絵を描くようになる。その絵も出てくるが異様である。
……… なぜ異端審問所でユダヤ人であることを自白させられたのか。―かってスペインやポルトガルにはローマ帝国支配時代から多くのユダヤ人が住んでいた。キリスト教徒の支配下に入ってからは迫害されたこともあったが、イスラム教の支配下に入ってからは、ある程度の自由が保障された。
このイスラム時代はユダヤ人の黄金時代と呼ばれたほど、スペインのユダヤ人社会は繁栄した。ユダヤ人最高の哲学者マイモニデスも出た。商業のみならず文化の面でも大いに盛り上がった。ユダヤ人の学者たちがアラビア語に翻訳された古代ギリシヤ・ローマの古典をヘブライ語、ラテン語に翻訳したことで、近世ヨーロッパのルネッサンスの下地を作ったことである。
しかしこの繁栄はキリスト教徒の国土回復(レコンキスタ)で終わった。イスラム教を駆逐したスペイン国王は宗教的情熱からユダヤ人追放を命令した。1492年のコロンブスアメリカ発見と同じ頃である。多くのユダヤ人がポルトガル、オランダ、ポーランドからオスマントルコ帝国に逃れた。
しかしかなりのユダヤ人がキリスト教に改宗して、密かにユダヤ教を信仰しスペインにとどまった。この人々は「マラーノ」と呼ばれた。このマラーノを摘発するために設置されたのが異端審問所である。この異端審問所はこの映画に描かれたように残酷な拷問でマラーノを摘発し、火あぶりの刑にした。
画家・ゴヤも作品の内容が反キリスト教的だと異端審問にかけられたことがある。この映画は宗教の自由、表現の自由、言論の自由を抑圧し、恐怖で人々を支配した異端審問所がどんなものであったかが描かれている。
2009年02月02日(月) |
ビタミンCでガンが消える |
「ガンに対するビタミンC大量点滴方法」。私が初めてこの治療法を知ったとき、なんともいえない運命的なものを感じました。私がこの治療法を知ったのは、2005年のことです。その当時私は、アンチェイジング医学を学ぶために、アメリカの学会に参加したり、アンチェイジングの専門病院で研修を受けたりしていました。
生死を賭けたガンを診る現場にいて強く感じたのが、「いかに健康が大切なものか」ということでした。そして、病気にならないために何をすればいいかということを目指すアンチェイジングにたどり着いたのです。
ガンに対するビタミンC大量点滴方法の特徴は大きく分けて三つあります。 ①ガン細胞を選択的に死滅させ、正常細胞にはダメージを与えないメカニズムが解明されている。 ②従来のガン治療に見られるような患者さんにとってつらい副作用はほとんどなく、むしろ抗がん剤や放射線治療による副作用を軽減する可能性がある。 ③もう治療の方法がないといった末期の患者さんに対しても、栄養状態や全身状態の改善、すなわちクオリティーオブライフ(QOL)の改善が見込める。
この本で紹介したビタミンCによる治療も、代替療法のひとつという位置づけになります。しかし、ビタミンC療法の評価すべき点は、代替療法の科学的裏づけを重要視する米国衛生研究所や米国立ガン研究所などのグループにより、ガン細胞を死滅させるメカニズムや治療の安全性について、すでに著名な医学雑誌に論文として報告されていることです。
私はこの療法を学ぶために、アメリカのカンザス州ウィチタにある国際人間機能改善センターに行ったときのことです。がん患者さんたちが実際に点滴を受けている部屋を見学させてもらいました。病院の治療室というイメージとはほど遠い、明るくリラックスできる雰囲気の部屋の中で、患者さんたちは読書したり、お互いにおしゃべりしながら点滴を受けています。
患者さんの一人、彼女は40代の乳がんの患者さんでした。30代半ばのとき乳がんの宣告を受けたそうですがその時はすでに転移もあり、「もう打つ手はありません。もって半年でしょう」と医師から言われてしまったというのです。諦めきれずにいくつもの病院を回りましたが、どこでも同じことを言われたそうです。
そんなとき、ビタミンCの大量点滴療法のことを知り、ここに来て治療を受けることを決意しました。そこ結果、半年どころか7年半も、元気に暮らし、仕事もしているということでした。そう話す間も彼女の表情はいきいきとして、全身から生きる喜びが伝わってくる感じがありました。彼女の話の中の「この治療法を知らなかったら、私は今、もうこの世にいないでしょう」という言葉が、私の心に深く残っています。
「ビタミンC大量点滴療法」とは、文字通り、点滴によって一回に50グラム以上の大量のビタミンCを、血管中に投与する療法です。私が院長を勤める三番町ごきげんクリニックでは、2005年の設立直後から、肺ガン、胃ガン、前立腺ガン、乳ガン、子宮ガン、悪性リンパ腫などさまざまなガンの患者さんに対して、ビタミンC大量点滴療法を行ってきました。そして、すでに多くの臨床効果を経験していますビタミンCの点滴ですから、大きな副作用の危険がないどころか、非常に画期的な治療法であるといえるでしょう。
現在、日本でもこの療法を取り入れているクリニックは急速に増えています。全国で100を超えるクリニック行っています。ビタミンC大量点滴療法は、がんそのものにたいする効果のほか、、標準的ながん治療である放射線、抗がん剤などの治療の効果を高め、副作用、合併症の頻度をできるだけ少なくすることを目的とします。ビタミンC大量点滴療法は、標準治療と並行していくことで最大の効果が得られると考えているからです。
ビタミンC大量点滴療法の期待される効果は、文字通り、ガン細胞を攻撃しガンそのものを死滅させる効果です。しかも、ビタミンC大量点滴療法は、これまでの抗がん剤による治療や放射線治療につきものの深刻な副作用がほとんどありません。
ビタミンCにこのような効果があることは、ノーベル賞を受賞したライナス・ボーリング博士らが、すでに1970年代に、有名な医学雑誌に論文を発表していましたが、その直後にアメリカのメイヨー・クリニックというところからその効果を否定する論文が出てしまったために、アメリカの医学界からほとんど黙殺されてしまい、改めて注目されるようになったのは2005年のことでした。
この年、アメリカ国立衛生研究所より、ビタミンCを大量投与することでガン細胞が死滅するメカニズムについての研究論文が発表されたのです。その論文では、抗酸化物質であるビタミンCが、むしろ強い酸化作用を誘導してガン細胞を殺すこと、さらに、正常細胞には何のダメージも与えないことが示されました。
がん治療の専門家の間では、ビタミンCを併用することは、抗がん剤治療の妨げになる可能性があると考えられていました。なぜならば、抗酸化物質であるビタミンCには抗がん剤の酸化的メカニズムと相反する作用をすると考えられていたからです。
しかし、実際には、抗がん剤と併用してビタミンCの大量点滴療法を行うと、抗がん剤の副作用を減らしつつ、抗がん剤によるガン細胞の死滅作用を高めることができるのです。また、ビタミンC療法には、がん患者の痛みを和らげる作用が、臨床的に確認されています。
点滴の頻度は、治療を始める時点では週に2~3回が標準です。抗がん剤や放射線治療と併用される方にたいしても、あるいはこの治療法を単独でされる方にたいしても、同じ頻度で点滴治療を行います。ビタミンCの投与量によって、点滴時間は変わります。たいていは1~2時間です。
ガンが完全に消滅したという段階になったら、半年ほどは週1回の治療を続けます。その後は、半年あるいは三ヶ月ほど、週に一回、その次の段階では月に一回、といったように、だんだん頻度を減らしていきます。治療費は実施医療機関によって幅がありますが、私たちのクリニックではビタミンCの量により一回の点滴が2万~2万5千円です。(2008年8月現在)
放射線治療を行った場合、程度の差こそあれ皮膚障害はほぼ必死です。ビタミンCを併用することにより、その程度は軽減され、回復も早まります。女性の場合病気に加え、コスメティックな部分が精神的な負担になることがあります。そういったものを少しでも軽減できるのであれば、併用する価値は充分あると思います。
また、ビタミンCを併用することで、食欲の低下も軽減される可能性があります。これは栄養状態や全身状態の低下を防ぐという意味で大きな意味を持ちます。というのは、栄養状態や全身状態の悪化は、抗がん剤の量を制限せざるを得ない原因になりますし、場合によっては治療をスケジュールどおりに遂行できない原因にもなるからです。
つまり、がん治療の足を引っ張る原因となるのです。逆に言えば、栄養状態や全身状態を保つことは、より強いがん治療を受けられる条件でもあるのです。
『ビタミンCはガンに効く』澤登雅一
今朝のテレビに、15年前に亡くなったテレビ司会者・逸見正孝氏の奥様が出演された。正孝氏が亡くなってまもなく、奥様に子宮頸ガンが見つかったらしい。治療法が納得できる病院を探して、三軒目に入院した病院ではビタミンCで治療し、無事ガンを克服した、ということを話しておられた。
正孝氏の場合も、奥様は他の病院でも検査を受けるようにすすめたが、正孝氏はガンとして受け入れず、そのまま亡くなった。当時テレビで、10キロの内臓を摘出したと言った執刀医の誇らしげな顔が思い出される。ちなみに私の知人も十年ぐらい前、ガンで亡くなった。彼も、「この病院の先生がガンを見つけてくれた」と言って見た目にもパッとしない病院で亡くなった。
2009年02月01日(日) |
ニュートリノ 星をつくるもの 暗黒星雲 |
1987年のこと、大マゼラン星雲に超新星が爆発した。大マゼラン星雲は我々の銀河系のお供とも言える銀河で、20万光年先の小マゼラン星雲同様、銀河系のすぐ近くにある小型の銀河である。大マゼラン星雲までの距離はおよそ16万光年。したがってこの星が超新星爆発をしたのは、16万年前のことになる。隣の銀河で起こったこととはいえ、この現象は天文学者たちが待ちに待った大ニュースだった。
なぜなら超新星の理論が正しいものなのかどうかを確かめるチャンスだからである。大マゼラン星雲を観測可能な南半球の天文台のすべての望遠鏡があらゆる観測手段を用いて、全力でこの超新星を観測した。そこ結果は大まかには理論家たちの予想通りだった。
実はこの時、世界的に注目された観測結果が大マゼラン星雲の見えない日本から発表された。超新星爆発によるニュートリノの検出である。岐阜県の神岡鉱山の地下1.000メートルに作られた巨大な水タンク、これがニュートリノ検出器「カミオカンデ」である。ニュートリノはその姿が詳しくわかっていない謎の粒子なのだが、核融合反応で作られることがわかっていた。そこで、超新星爆発で大量のニュートリノが放出されることが、理論的に予測されていた。
事実、ニュートリノは予測どおり放出された、地球の裏側から進入した大量のニュートリノのうちの11個が地球を貫く直前にカミオカンデの水の分子にぶつかって一瞬わずかな光を放った。超新星からのニュートリノの検出は史上初である。しかも理論家の予測どおりの結果だった。
ニュートリノは質量があるかのかないのかもわかっていないほど、まだ謎のモノである。星の内部で起こっている現象を解き明かす手がかりとして現在、多くの科学者がニュートリノの振る舞いに注目している。
…………
物質は細かく分解していくと元素に分けられる。元素は一つだけ単独では原子と呼ばれ、原子は陽子、中性子、電子から出来ている。陽子は電気的にプラスの性質、電子はマイナスの性質を持っている。
陽子と中性子は原子核をつくり、そのまわりを電子が飛び回っている。陽子が一つだけならその元素は水素と呼ばれ、陽子が2つだとヘリウムと呼ばれる。自然界で最も重い元素ウランの原子核の中には陽子が92個含まれている。
宇宙空間にある元素は、圧倒的に水素が多い。水素や酸素などの気体や液体の多くは原子が2つ以上くっついた分子と呼ばれる形で存在している。例えば酸素分子は酸素原子が2個くっついたもので、酸素原子だけが単独で一つだけで存在することはない。水も水素原子二つと酸素原子一つがくっついた分子という形をしている。
……… 1931年、ジャンスキーは初めて宇宙から来る電波をとらえることに成功した。電波は見えない電磁波だが波長が長いので、光と違い暗黒星雲の中のガスやチリにぶつからないで、地球まで届く。電波望遠鏡なら暗黒星雲の中を覗くことができる。
電波で暗黒星雲を見てみると、ところどころに特にガスの密度の濃い部分が見られる。そこには水素分子などが集まった場所で分子雲とも呼ばれている。この分子雲をさらに詳しく見ると、どんどんガスが集まってできる丸い塊がいくつも見られる。ここから星が誕生しているのではないかといわれている。
『宇宙の歴史』山縣明産
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