加藤のメモ的日記
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2010年11月30日(火) 事業仕分けとは

11月15日から始まった事業仕分け第3弾後半。これまでの仕分けが歳出削減に十分反映されていないと、宝くじ普及宣伝事業や生活用塩供給業務など、112事業を再仕分けするという。だが、これ、ある意味ヤブヘビだったようだ。民主党のある地方議員が嘆く。「事業仕分けをしたのに無視された事業が112もあるのか、ってみんな唖然としています。仕分けに強制力がなかったことが、町のおじちゃんおばちゃんにまでバレてしまった」

また、同じく仕分けしたにもかかわらず、名前をつけ替えたり、別の予算に混ぜ込んだりして復活した96事業について関係府省に「通告した」(蓮舫行政刷新相)という。通告のほうが、少しは強制力があるのでは?多少の期待をもって記者会見で蓮舫氏に聞いてみたが、「求めるということです。今までもそうです。求め続けていきます」ときっぱり否定。嘉悦大学教授の高橋氏が言う。「何の意味もないってことです。そんなこと言ったら週刊誌の記事だって、求め続けている」

とりあえず、今回の「再仕分け」と「通告」の違いを事務局に聞いてみると、「振り分けに明確な基準はありません」というからよけいにわからない。ここではたと気付いたことがある。この事業仕分け、対象事業がどうやって決まったのか、いまだかって明確な説明はされていないのだ。

慶応大学大学院教授の岸博幸氏が言う。「対象事業の選定に、明確な基準がない、ということは、この事業仕分けそのものの公平さが損なわれている、と言わざるを得ない」確かにそうだ、と思うが事業仕分け第1弾で対象事業だった義務教育費国庫負担1兆6千億円だ。

少子化で約70万人の教員のうち、担任をもたない教員が16万人もいる、という話は放置されたままだが、今回、再仕分けにも通告にも入っていない。それどころか、小学1、2年生を手始めに現在の40人学級を35人にするため、8300人の教員が新たに必要だと、文部科学省は89億円増額の概算要求を出している。

ヤンキー先生で知られる自民党の義家弘介衆議院議員に聞いてみた。「あのですね、今の小学校一学級あたりの平均児童数をご存知ですか?最多の東京でも30人。高知県なんか17人です。35人学級にする意味ありますか?文科省は1学級に担任を2人配置することもできるといいますが、それでは一人では担任を持てない力不足の教員や組合幹部の指定席が蔓延するばかりです。これこそ実態の検証が必要です」

ところが、この35人学級89億円は、政策コンテストで堂々と「目玉事業」扱いされているのだ。「ねじれ国会だからですよ。日教組が支持母体の興石東参院会長が動いてくれないと、民主党は今、何もできませんから」つまり、事業仕分けは情報公開でやっています、と言いながら、都合の悪いところはテーブルに載せもしない。ご都合主義ではないか!都合の悪い情報を隠す体質は、政治判断のミスを隠すためとしか思えない「尖閣ビデオ」隠蔽でバレた。

衆院予算委員会で「極秘」の資料を「盗撮」されたと主張する仙谷官房長官は、国会内での撮影規制を強化すべしと言いだし、「これからは私的なものとはいえ、なるべく委員会に持ち込まないようにしなければならない」と、もっと”隠す”宣言までする始末。


『週刊朝日』


2010年11月27日(土) 仙谷の”すり替え”

ビデオ流出ばかりに焦点が当たっていますが、問題の本質は、日本が戦後65年間ないがしろにしてきた海の防衛「海防」をいかに強化すべきかという点にあります。今回は、本来なら主権侵害の大罪であり”領海侵犯”を“密漁”とみなして漁業法で対処した。根本的に海洋国家・日本の海の守りのあり方を考え直さなければいけません。

尖閣列島で問題が起きた時、日本の主権をはっきりと主張すべきでした。当時の前原国交相が話していたように、中国漁船が体当たりしてきたのはビデオを見れば一目瞭然なわけですから裁判にかけて、国内法で対処すべきでした。菅内閣は中国と戦わなければならないのに、逆にペコペコして、船長をすぐ釈放し、ビデオ公開もやめてしまった。そうした対応を主導した仙谷長官の判断ミスの責任こそ問われなければいけないのに、船長釈放の時は「検察が全部決めた」と言い、今回は海上保安庁の情報漏洩だと言って、ビデオ流出の犯人探しに問題をすり替えてしまった。

マスコミも菅首相と仙谷氏を追っかけないといけないのに、ビデオを流出した海上保安官を追いかけた。そもそも流出したビデオが国家機密といえるのか。中国船長の裁判上、公表できないという理由を挙げていましたが、すでに釈放され公判そのものが存在しません。また7分間のビデオは一部の国会議員に公開されました。これで事実上、国家公務員法の守秘義務で守られるべき国家機密とはいえなくなっています。

内部告発者を不利益処分としてはならない、とする公益通報者保護法を準用するなら、ビデオを流出させた海上保安官は免責です。私は減給などの行政処分をして、海上保安官の仕事を続けさせるほうがいいと思います。もし辞めさせたら、ビデオの公開を求めた人たちの英雄になって、反民主主義の動きが広がるでしょう。

鎖国を解いて以来、日清戦争、日露戦争と「海防」は日本の国防の基本方針になっていた。それが戦後65年、この概念がパッと消えてしまった、中国は13億人の生存のために、尖閣諸島の領有権を主張して海洋資源を取りに来ます。これを「友愛の海」で防げますか。今こそ「海防」を見直すチャンスなのです。


『週刊朝日』 佐々淳行


2010年11月26日(金) 会社は誰のものか

「会社は誰のものか」が改めて問題となったのは、西武鉄道グループのワンマン、堤義明が証券法取引法違反で逮捕され、表向き失脚すると同時に、ライブドアのホリエモンこと堀江貴文がニッポン放送の株を買い占め、フジサンケイグループを支配しようとして耳目を集めたからだった。興味深いその二つのドラマが同時進行したことで、そもそも、「会社は誰のものか」が改めて問われるいことになったのだが、それは結局「株主のもの」という答えで落ち着こうとしている。

しかし、公害等を考えても「会社は社会のもの」であり消費者(利用者)を含め、監査役、社外重役、そして労働組合党によって、さまざまにチェックされなければならない。その監視役の重要な一つにマスコミがあるが、奇しくも、ホリエモンの奇襲によってフジサンケイグループの旧態依然たる体質が暴露されたように、マスコミはほとんどそのチェック機能を失っているのである。

1986年5月付の「内外タイムス」のコラム「マスコミ唐竹割り」にこう書いてある。「毎年5月の初めになるとユーウツになる。例の堤義明の、知性のカケラすら感じられない「タ」の字面をあちこちの媒体で見せつけられるからだ。なぜ5月の初めかというと、4月26日が堤康二郎の命日で、成り上がり根性丸出しの墓参の模様が毎年いくつかの媒体に紹介されるからである。

今年も「週刊文集」「フライデー」などが、デカイだけの墓にぬかづく義明の写真を意味ありげに掲載していた。自社従業員に自分の親の墓掃除や守りを強要することなど、今日では土建屋といえどもよくしない。ところがそうした方面での経営センスゼロの義明は茶坊主幹部以下社員たちに平気でそれを命じて恬としている。

不愉快なのは、どのマスコミも広告費欲しさにそうした堤をさも大物のごとく持ち上げて見せる風潮だ。まともな人間で堤を面と向かって批判したのは評論家の佐高信ぐらいではないか。あとは、税金を払わぬことを社是としているかのようなこの二代目田舎者をヨイショするばかりである。いやはや後進国ならではの漫画だ」

私がここで評価されているのは、この文章が第一章に収録した朝日ジャーナル掲載の企業探検で批判したからだが、それから20年近くたって、ようやく堤義明の”裸の王様”ぶりが糾弾され始めた。ここに出ている「週刊文春」や「フライデー」もその批判の列に加わっているが、自分たちが「持ち上げた」ことは忘れたかのように手厳しい。

経済評論家の奥村宏は日本のマスコミを”解禁待ちジャーナリズム”と喝破した。自ら禁を説くのではなく、あゆのように解禁となるのを待って批判を開始する。その体質は全く変わっていない。ジャーナリズムとは触れてはならぬとされているタブーに挑むことをその本質とするのではなかったか。

「マスコミ唐竹割り」の「税金を払わぬことを社是ととしているかのような」は『日経ビジネス』の「強さの研究」にリポートされた『法人税ゼロ』を目指している。西武鉄道グループの中核会社、コクド(当時は国土計画)の経理は、資金の海外流出を防ぐという点では完璧であり、1979年以降3年間の納税証明書を見ると、法人税を支払った痕跡はない。それについて、ある国税局関係者は「大正9年、先代の堤康二郎氏が国土計画の前身である箱根土地を設立して以来、この会社は法人税を支払ったことがないのではないか」とまで言っている。

1億円でも利益が出ていれば法人税がかかるはずなのに、コクドは利益を出し配当を受けながら法人税はゼロだった。プリンスホテルを含む西武鉄道グループは約70社のうち、上場企業は西武鉄道と伊豆箱根鉄道だけなので、そのカラクリは不明だが、『日経ビジネス』は、さまざまな仮説を立てて真相に迫っていた。

しかし、マンガをマンガでなくするために20年もかかったわけである。私は、今堤義明が叩かれれば叩かれるほど、マスコミの珍妙さをを感じる。無力さ、非力さと言ってもいい。彼らはそれをごまかすために堤を叩いているのではないかとさえ思うのである。

「企業の世襲と独裁」を批判したこの本にはフジサンケイグループの”鹿内王朝”にも触れている。鹿内信隆が長男の春雄の急死の後、女婿の宏明にトップの座を譲り、その宏明の専横を阻止するために、、フジテレビの社長、日枝久らが使った方法が、堀江の突撃を許す羽目になった。それはいかにも皮肉だが、まさ歴史は繰り返すで、その意味では具体的に「世襲と独裁」を追ったこの本が現在でも生きているのである。

私は「世襲と独裁」を防ぐことが企業活性化の条件だと思っている。「会社は誰のものか」と問われて、「株主のもの」と定義してしまったら、株主の独裁を防げない。「社会のもの」として、さまざまにチェックしていくことが何よりも企業を活性化させるのである。



『会社は誰のものか』


2010年11月21日(日) 郵政民営化

それにしても小泉首相、郵政民営化をなぜこうも急ぐのだろう?その売れにアメリカと国際金融資本からの強力な働きかけがあるとみてよい。民営化のメリットは

①いわゆる財政投融資資金の出口を止めるということ。郵貯・簡保の預かり金は財政資金として公共事業や特別会計の原資となってきた。特別会計はさまざまな用途に設定されている。例えば円高防止のための円売りドル介入や株価買い支えのPKO資金、国債の購入、さらには官僚の天下りの温床・特殊法人にもジャブジャブと流れ、高級や高額退職金などの不明朗な使われ方をしてきた。その蛇口を止めるのはとても結構なことだ。

②公的不良債権のあぶりだし
これまで財政資金として国に貸し出したまま焦げ付きになっている公的不良債権、さらには運用の失敗による赤字を洗い出す。これで日本国全体の不良債権が明るみに出る。財務官僚がひた隠す財政赤字の本当の数字を知ることは、日本の財政再建にとっても重要だ。

③政官癒着の利権構造を断つ
郵政族議員がターゲット。政治資金ルートのカットや選挙の集票マシーンとしての関連を断つ。

④公務員数の削減
実は小泉首相の本命はこれではないか。何せ郵政職員の数は常勤28万人、非常勤10万人の計38万人で、国家公務員の3分の1を占める。彼らが民営化とともに国家公務員の身分を離れれば、リストラも思いのままだ。日本の財政再建のためには、国家予算における歳出の抑制が何より効果的だ、そのためには公務員数を減らすの手っ取り早いのだ。しかし官僚のクビを切ることは容易なことではない。

何しろ公務員の削減は終戦直後の財閥解体にも似て抵抗勢力が強く、当時のGHQのような強権をもってしないと実行は難しい。ところが郵政公社を解体するだけでその3分の1を削減できるという。これはおいしい。これにはアメリカも大賛成だ。なぜかといえば、日本政府に「国家破綻を避けるためには保有する米国債を大量に換金売りしたい」などと言いだされたら困るからである。

デメリットは

①同業他社への民業圧迫
郵貯・簡保はもともと「巨大な国営銀行」と言われてきた。その資金量400兆円は大手の銀行や生保が束になってもかなわない。民間の金融機関にとっては強力なライバルの出現になる。簡保では公社である今からむき出しの拡大路線をとっている、生保業界から強い反発を受けながら、定期付終身保険という新商品を売り出した。郵便事業でも、「商売仇」である宅配業者を露骨に締め出す形で「ゆうパック」事業の拡大を図っている。やる気なのはいいのだが、公社のままでもこれだから、民営化したらかなり民業を圧迫することは間違いない。

②資金運用の失敗
実はもっと怖いストーリーがある。民業圧迫どころか図体がでっかいだけに”張り子の虎”に転落してしまう事態である。何しろお役人時代は親方日の丸。コスト意識【費用対効果】もなければ、運用に失敗しても誰も責任を取らない習慣が身についている、もちろん金融商品の運用なんて素人だ。

もともと運用利回りの低い国債中心の資金運用に難があるところに、背伸びしてノウハウのない分野で資金運用を始めたらこれは危険だ。公社の現在でも平成15年度の運用益は前年比で8.000憶円も減少した。民営化となればそこは生き馬の目を抜く世界、強烈な市場競争にされることだろう。


『日本国倒産の13階段』


2010年11月19日(金) また暴言

国会の答弁内容をめぐり、批判が相次いでいる仙谷官房長官が18日の参院予算委員会で、今度は「自衛隊は暴力装置」と発言した。自民党に抗議されその場で撤回、謝罪したが、自衛隊員を装置に例えるトンデモ発言だけに、菅首相もさすがに「自衛隊員のプライドを傷つけた」と、お詫びに追い込まれた。発言内容を何度か陳謝している仙谷氏だが、問題発言癖は直らないようだ。この日は仙谷氏や菅氏以外でも、発言をめぐる閣僚の謝罪が続き、目も当てられない質疑だった。

自民党の世耕議員に、公務員と自衛隊の政治的中立について問われた際「自衛隊は暴力装置、ある種の軍事組織だから、特段の政治的な中立性が確保されなければならない」と答えた。この発言の途中から委員会室内がざわめき「暴力装置とは何事だ」と激しいヤジが飛んだ。

仙谷氏は謝罪要求を受け、暴力装置を「実力組織」と言い直し「法律用語として不適当だった。自衛隊の皆さんに謝罪します」と述べた。ただ暴力装置という言葉の響きに加え、自衛隊を「装置」に例える言語センスに、野党の反発はおさまらず午後の委員会では、菅首相が謝罪を求められた。

菅首相は「やや、適切さを欠いた答弁だが、本人が訂正したので良かったのではないか」と人ごと。「やや、とは何だ、ややとは」「謝って済む問題か」とただされ、「暴力装置は好ましくない表現」「武力と暴力とは違う」と述べた。その後ようやく「自衛隊の皆さんのプライドを傷つけ、私からもお詫び申し上げます」と謝罪した。

中国漁船衝突事件をめぐり、国防のあり方が問われている中での仙谷氏の問題発言。自民党の谷垣総裁は「命がけで国土を守る自衛官への冒瀆だ」と批判した。同党の小泉衆議院議員は「本当にひどい発言だ」とした上で、発言の前段となった防衛省の通達に触れて「もし、外部団体が呼ばれないことになれば、これからは私が自衛隊の式典に呼ばれた時、思いをくんで、民主党の批判をやっていかないといけない」と宣戦布告した。

仙谷は今国会で問題発言が相次ぎ、衆参両議院で謝罪に追い込まれている。それでも直らない問題発言。自民党は仙谷氏への参院での問責決議案を提出する方針だ。

一体まともな閣僚はこの内閣にはいないのか。とにかく舌禍事件が多いし閣僚発言の撤回が多い。政権は安部内閣の末期にも似た様相だ。そして法相の国会軽視発言で菅内閣が追い込まれている。14日、広島での法相就任を祝う会での柳田法相の発言。「法相とはいいですね。二つ覚えておけばいいんですから。『個別の事案についてはお答えを差し控えます』と『法と証拠に基づいて、適切にやっております』。使うたびに野党からは責められて、政治家としての答えじゃないとさんざん怒られています」

今、法相がどんな立場に置かれているか理解していれば、こんな軽口は叩けないはずだ。「元党代表・小沢一郎と検察審査会の問題。検察のあり方も問われている、加えて海保保安官の扱い。裁判人裁判の死刑求刑問題も省内ではさまざまな検討事項があるはずだ。また、中国の温家宝首相との対談では、菅首相は官僚の書いたメモを棒読みで質問した。一国の首相が自分の言葉をもたないとは、国民は情けなさすぎる。菅首相は市川房江氏の運動員だった。つまり”籠を担ぐ人”なのだろう。

……

蓮舫行政刷新担当相は参院予算委員会で、国会内でのファッション誌撮影問題で、「参院事務局から、議員活動のためにと申請するよう示唆された」としていた発言を撤回し、「示唆はございませんでした」と初めて認めて謝罪した。元祖必殺仕分け人とは思えない、か細い声だった。

撮影を許可した経緯をめぐり参院事務局との間で見解が食い違っていたが、蓮舫氏はこれまで
「示唆された」発言の正当性について、曖昧に答弁していた。赤いスーツに身を包んだ自民党の丸川珠代議員に「事務局という弱い立場の人に責任をなすりつける発言で、人間性を疑う」と非難された。白ジャケットを着た蓮舫氏との「紅白対決」は、丸川氏に軍配が上がった。


『日刊スポーツ』


2010年11月18日(木) 暴力団予備軍もブランド志向

山口組の中堅幹部はこう断言する。「抗争がわしらを取り締まるチャンスという警察の理屈は確かにその通りかもしれん。そやけどわしらからいえば、抗争こそ力なんや。抗争なくして組織を大きゅうすることなんて、でけへん、勝ったら確実に組織は大きいなる。その代り負けたら組はないもんと思わないとしゃあない。

あの一和がええ例や。なんぼ5000人や6000人や言うたかて、負けたら今はゼロ。惨めなもんや。その代わりヒシは倍になっている。その上に組織を引き締めるためには、抗争ほどええ材料はないんや。いまんところ抗争に関する限り警察の論理により、わしらの論理が確実に勝っている。抗争で山口組が大きくなることはあってもつぶれることは絶対ない、そやから誰が抗争を避けて素通りするねん。やるだけやるに決まっとるんですわ」

確かに2万人以上が膨れ上がった組織が、まなじの戦争で負けることはもはやありえない。指定三団体のどれかとでも抗争を起こさない限り、組織が疲弊することもない。加えて山口組の場合、この人手不足の時代に、若年の組員は増える一方なのだ。警察庁の調べでも全国の組織暴力団のうち昭和60年には20歳未満の組員は全部で1500人と見られていたが、最近では3000人を超え、20代の組員を入れると、全暴力団の3分の一は若手組員だという。

しかもその若い暴力団の大多数が山口組。若者の間でもブランド志向が強く「どうせ極道になるならヒシ」という傾向が強く、他の組織には見向きもしない。おかげで山口組は、人材確保に四苦八苦の一般企業を尻目にずっと買い手市場を維持しているという。その証拠に最近の抗争事件でヒットマンとして動いている組員は、21、2歳がほとんどなのである。

ヒットマンは山ほどいる。加えて武器には不自由しない。それが今の山口組を取り巻く状況なのだ。かっては「チャカ(拳銃)一丁は組員10人に匹敵する」といわれたものだが、今組員一人に拳銃一丁の割で流れているということは警察白書でさえ認めている。加えてバズーカ砲から手りゅう弾、機関銃まで用意している組もあるといわれている。

かっては模造拳銃が幅をきかせ、警察もマブチャカ(本物の拳銃)を押収したら、それなりの成果があったとして喜んでいたものだが「今じゃ模造拳銃なんてみっともなくて使われへん。あれは銀行強盗専用」と若い組員でさえ言ってのける。

別の山口組組員はこんな解説をしてくれる。「はっきり言って今のヒシは盤石の構えと言っていい。組織的にはここ数年なかったほどしっかりしている。一つには、あの四代目の実弟である姫路の竹中さえ、少しでも組織を外れるような言動があれば徹底して切ってしまう。そうやって身内でも容赦なくやってしまうところに今の山口組の強さがある。そやから一つ抗争が起きると、戦争したくてジリジリしとった連中が上の命令なんか待たずに、鉄砲玉になっていきよるんや。それが強さなんや」というのである。

しかもこの話をしてくれた組員によると、山口組は組織人員2万数千人にも膨れ上がってしまった。そうなると下の者はなまじのことでは出世できない。勢い若い連中は出世への切符を手っ取り早く手に入れるために、懲役覚悟でいくらでも鉄砲玉になって行くというのである。

恐ろしい話だ。組では「抗争こそが力だ」と言い、ヒットマンになる若い者も、チャカも腐るほどある。言うなればここ10年ほどの間、山口組を壊滅させるどころか、抗争という最大のチャンスを生かせず肥大化するに任せてきたツケがまわってきたのだ。その結果、山口組はやりたい放題、町中をのさばっているのである。



『警察が危ない』


2010年11月17日(水) インプラント治療の危うさ

歯科インプラントは、欠損した歯を補うためにチタン製の人工歯根(インプラント本体)をあごの骨に埋め込み、それを土台として人口の歯を取りつける治療法だ。適切に治療すれば、天然の歯と同じように噛むことができる優れた特性をもっている。しかし、民間のセミナーに教育を頼っていることが、トラブルが多発する要因の一つとされている。

歯科業界関係者によると、インプラント市場には大手から中小まで、30社とも50社ともいわれる企業が参入している。不況の影響で今年は落ちるとみられているが、昨年までな2ケタ台の成長が続き、市場は推定で「200数十億円」規模まで成長。年間の販売本数も40万から45万本と推計されている。歯科医師にとっても、メーカーにとっても魅力的な市場であることは間違いない。

しかし規模が大きくなればなるほど、トラブルに見舞われる患者は増える。九州インプラント研究会が87年から05年までの期間で、10年を経過した患者1000人を対象にした調査によると、約5%に合併症が発生。なかでも「インプラント周囲炎」(周囲の歯茎が炎症を起こし、インプラント本体が見えたり、抜けたりする)例が157件と突出して多かった。

不十分な説明がトラブルを生む

また、同じく前回のケースにあった「知覚麻痺・しびれ」も33件と多い。これは下あごの骨の中を通る神経をドリルで傷つけて起こる障害で、唇の半分、下あごの皮膚、口の粘膜などの感覚がなくなる。このため、食べこぼしや飲みこぼしをしてしまう。

死亡事故が起こることはまれだとしても、埋め込んだはずのインプラントが抜けてしまったり、合併症が起きたりすることを、どれだけの歯科医師が治療前に患者に説明しているだろうか。「患者にインプラントを受けさせるためには、いい面ばかりを強調する。そのことがあとでトラブルを引き起こすもとになっている」と、指摘するしか医師も少なくない。

「『簡単ですよ』『安価ですよ』と業者にすすめられて講習を受ける歯科医師が多いようですが、基本的な歯科治療を会得してから、有力な治療の選択肢の一つとしてインプラントを学ぶべきです。100%の成功は絶対ありませんが、最善の結果が得られるように治療を完遂するのが医療者の責務のはず。失敗は必ず患者さんに被害を及ぼすことを肝に銘じる必要があります。

インプラント治療にたけた歯医者を探すには、口コミやインターネット、医療雑誌などのさまざまな手段を使って歯科医院の情報を集める。その中からここぞと思う歯科医院に何軒か電話をかけて、スタッフにいろいろ質問してみる。反応が良かった医院に直接出向き、歯科医院の説明を聞く。ここまでは無料でやってくれる歯科医院がほとんどですから、少しずつ絞り込んでいきます。

情報集めをする際には、歯科医院というハコではなく、「歯医者」に重点をおいて調べることです。例えば歯科医の略歴には「OO学会認定医(専門医)」というものがよく書かれています。一般に認定医と聞くとその道のプロフェッショナルと思うかもしれませんが、実は認定をしている団体や基準はバラバラ。メーカーが自社製品を買ってもらいたくて開く一日講習を受けただけの認定医もあったり、客寄せの看板が欲しいために、書類とお金を出すだけで認定を受けられるケースもあったりします。かなりインチキな認定医がいるのも事実なので「認定医」をそのまま信じてはいけません。

ではどんな認定医なら大丈夫か。私がお勧めするのは「日本口腔インプラント学会の専門医」です。国内最大の学会で、専門医になるには100時間講習などの厳しい基準を設けています。歯科医院の待合室には医者としてもキャリアの展示場です。過去の学会や勉強会、講習会などに参加したという証明書や認定症などが額縁に入れて飾ってあります。

それを見ればいつ、どこでどんな勉強をしてきたか、どんな学会の認定医なのかもわかります。日本口腔インプラント学会の100時間講習の終了証なのか、それとも、メーカーが自社製品を買ってもらいたくて開いた一日講習の終了証なのか、そのあたりを見抜いてください。インプラントの素材や技術は日進月歩ですから、勉強を続けている歯医者は信用できるといっていいでしょう。


『週刊朝日』


2010年11月16日(火) 転落するデトロイト

いまだ米国は、金融危機から立ち直れないでいる。オバマ大統領が相次いで打ち出す「バラマキ」経済政策が全く効果を見せない中、多くの都市が瀕死の危機にあえぎ始めた。中でも「最も死に近い都市」といわれているのがかって自動車産業で栄えたデトロイトだ。デトロイトは今、かっての喧騒がうそのように荒れ果てています。街の中心部では、長い間テナントが入らず空き室だらけになったオフィスビル、操業停止で廃墟のようになった巨大工場が朽ち果てた姿をされしている。郊外の住宅地に行っても、人はまばら。

自動車メーカー、工場を解雇された人たちが、家を売り払ったり、放置したまま出て行ったのでしょう。ワンブロックに建っている家は数軒。それも3軒件に2軒は空き家という状況で、火事になった戸建てが取り壊されることなく放置されています。デトロイトの街は、まるで「大恐慌」時代の様相を呈している。

このトリガーを引いたのは、金融危機に耐えられなかったゼネラルモーターズ(GM)など自動車メーカーにほかなりません。GMをはじめとする各メーカーは、リーマン・ショック後に55%の雇用をカット。自動車関連産業の労働者が一人解雇されると、ハンバーガー屋、不動産屋、運送業など周辺産業で9人から10人が職を失いました。結果、最盛期に約200万人を誇った人口が今では80万人ほどに激減し、街はゴーストタウン化したのです。

残っているのは、この街を離れたくても離れられない老人と子供。それに家を売っても住宅ローンを返せないので仕方なく住んでいる人たちです。彼らはただでさえお金がない。その上、働き口が見つけられないため、貧困にあえいでいます。実情を数値で見るとよくわかります。同市の失業率は約23%。年収が200万円にも満たない貧困層の割合は約34%で、全米で最悪水準となっているのです。

最近では治安の悪化も深刻化し、殺人事件の発生率は東京の30倍~40倍となっています。仕事にありつけない若者たちがギャングになり、ドラッグが蔓延した結果です。警察を呼んでも殺人事件でない限り、その日のうちに来てくれることはありません。栄えている産業と言えばストリップ、バー、そして薬物売買。

政府が貧困層の救済のために配布している100ドルのフードスタンプ(食品購入券)の多くは現金20ドルに還金され、コカインの購入代金に当てられています。アルコールや麻薬に侵された人々を救済しているデトロイト市内の教会の牧師は、私にこう言いました。「街がここまで荒れてしまうと、人間の復興から始めなければならない」そしてデトロイトを中心とする半径30Kメ-トル圏内は、ゴーストタウン化した街が8割ほど、安心して暮らせる住宅地が約5%しかない状況になっているんです。

そもそもデトロイトの自動車産業が最初に危機を迎えたのは70年代、トヨタ、日産など日本の自動車メーカーが格安で燃費のいい車を開発して米国に進出してきたときのことです。これに対抗するため米国側の経営者がやったことと言えば、関税の引き上げや日本バッシング。やたらと大きくてガソリンをがぶ飲みする「アメ車」の欠点を棚に上げ、力で抑え込もうとしたのです。

さらに80年代後半になると、メキシコの自動車産業の規制緩和が進み、第二の危機がやってくる。時給4ドルのメキシコ労働者が、時給18ドルの米国人労働者と同じ水準の車を作れるようになり、工場流出の懸念が高まったのです。しかしここでも労働組合は現実を直視することなく、経営側が出した12ドルという妥協案を無視して、時給18ドルを要求し続けた。ある会社の経営者は交渉を打ち切り。メキシコに工場を移転。この時、25.000人を解雇したそうです。

こんな惨状を目のあたりにしながら、デトロイト市はその場しのぎの景気対策を10年も20年も続けています。そのほとんどが「無駄な公共事業」。例えば、働き口がないから人口が減っているのに、新興住宅地を整備して、住民を呼び込もうとする。もちろん誰もそんな所に住みたくない。市が7万ドルかけて建てた家が3.000ドルでも買い手がつかないでいます。

さらにほとんど人が通らない歩道を整備し、清掃もさせている。これらをデトロイト市は「再開発計画」と呼んでいるのですが、どれも抜本的な再建策とはいえません。同士を再興しようと頑張っている米国人企業幹部もこう言っています。街のメンテナンスだけで年間3億ドルの赤字が出る。こんなカネの使い方をしても何も産まれないのだが」



『週刊現代』


2010年11月15日(月) 毛沢東の死

私が初めて華国鋒に会ったのは、1959年、「大躍進」の最中で、生地の湖南省沙譚県を訪れる毛主席に同行した際である。当時、華国鋒は主席の生地も含む湖南省の党委員会第一書記で、毛沢東は彼がいたく気に入った。2年後、大躍進が国を経済的な破綻に追い込んでいたのに、地方の党官僚が食糧生産は増加していると嘘を言い続けた際でさえ、華国鋒はこう断言してはばからない勇気があった。「人民は体重を失い、土地まで痩せてきている。どうして食料の増産などといえるだろうか」

その時毛主席は私に「華国鋒のように真実を語るものは一人もいない」と言ったものだった。華国鋒が党、政府の要職についたのは1976年4月でまだ半年とたっていなかった。主席の死が近づくにつれ展開し始めた権力闘争における素早い勝利だった。同年1月、毛沢東はガンで死んだ周恩来の後任に華国鋒を首相代行として指名する。

4月上旬、数万の民衆が天安門広場に集まり、周恩来の死を追悼すると同時に毛沢東夫人の江青、その仲間である上海出身の張春橋、桃文元、王洪文ら極左派リーダーたちの政策に抗議すると、反極左派のデモは「反革命的」と宣言された。毛主席は極左派グループをなだめるために、騒ぎを助長させたとして弔辞を読んだ穏健派の鄧小平副主席を追放した。

しかし常に人事バランスを忘れない毛主席は、党中央委員会第一副主席に華国鋒をを指名することで極左派を失望させる。こうして華国鋒は政府の最高責任者、また、毛沢東が選んだ党主席の後継者として追認されたのであった。私はうれしかったし、毛はまさに間違いのない人物を党、政府の最高指導者に選んだと思った。現に江青の料理長でさえ喜び、主席はやっと賢い決断を下したと言った。所が極左派は彼を右よりと非難するようになった。

その結果、華国鋒はこれ以上やっていけないと決意した。4月30日、彼が毛主席のもとを訪れて、こんないわれなき攻撃にさらされてはとても責務を果たせないと訴えた際、私は主席邸のプールサイドにいた。会談後、華国鋒は私に主席とのやりとりを打ち明けたばかりでなく、毛沢東の直筆指示まで見せてくれた。

3点ほどしたためてあった。「君がやってくれれば、私は安心だ」となぐり書きされていた。「決定に即して行動せよ」「余計な心配をするな。気楽にやるがいい」。その時分にはもう、毛沢東の話し方はろれつが回らず世話係の張玉鳳に解読してもらうか、筆談でしか意志の疎通がはかれなかったのである。華国鋒はその直筆を政治局の面々に見せた。毛主席のお墨付きは、後継者としての華国鋒の地位を合法化する証文となったのである。

……

9月7日、毛沢東が重態におちいり、死期は近いと医師団が判断した時、江青はやっと私たちに会いにきた。部屋の中を歩き回って医師や看護婦と一人ずつ握手を交わし、めいめいに同じ挨拶を繰り返した。「これであなたもご満悦でしょう」。江青は夫の死後に権力を握り、その指導下に入ることを私たちが喜ぶだろうと、信じ切っているかのように見えた。

はじめて江青に会った他の医師たちは、主席夫人の無神経さにあっけにとられてしまった。「なにも不思議なことじゃないよ」と、江東興は私に言った。「江青は確信しているんだ、究極の権力を手に入れるのを邪魔だてしているのは自分の夫だけだ、とね」。彼女は毛が死ぬのを待っていたのである。権力闘争は主席が死の床にあった時からも弾みがつき、体が冷たくならないうちから激化していったのだ。

江青は「四人組」として知られた指導者であり、上海系の張春橋、王洪文、套文言、そして毛主席の甥・毛遠新らに支持された。張春橋は上海を基盤にした左派の理論化であり、文化大革命の指導的な提唱者になった。「社会主義の雑草は資本主義の小麦よりずっとましだ」というのが口癖だった。江青が感情を爆発させた今、張春橋は両手を後ろに組み、顔を伏せたままそこいらを行ったり来たりしはじめた。



『毛沢東の私生活』


2010年11月14日(日) 無縁社会

「生活保護を受けていて自殺する人のうち、9割は誕生日の前後になくなるそうです。普通の人の人生には発展や成長がありますが、仕事もなく、家族など人間関係もない人は、ただいつまでも同じことを繰り返していくだけ。その中で誕生日という区切りを迎えると、何も変わらない人生を思って絶望し、自ら命を絶っていくのでしょう。

生活保護を受けると、毎月約13万円のお金がもらえ、医療費もタダ。下手に勤める人より収入が多くなる場合もあるが、死んだ場合は20万円前後しか葬儀費用が出ない。(都道府県によって若干の違いがある)その金額だと、遺体の火葬はできるが、通常の葬儀も、戒名をつけることもできない。

「つまり、火葬をしても遺骨を納めるところがないのです。通常は霊園の納骨堂に置いておくのですが、各地でどんどん数が増えてきて、急いで建てたプレハブの建物や、廃校になった学校の元校舎などにどんどん遺骨が山積みになっています。どれも身元の分からない無縁仏。

自治体の中には葬儀会社に対し、「そっちで持っていてくれ。代わりに仕事を発注するから」といって遺骨を押しつけているところもあります。生前も骨になった後も、ここまで縁に恵まれないとは哀れとしか言いようがない。しかしこれからの時代、誰に降りかかってもおかしくない運命なのもまた事実だ。

藤井氏によると、多くの女子学生は「死ぬまで独身でいるのはイヤ」「結婚しても離婚したらまた一人ぼっちになる」と怯えている半面「結婚して家という共同体に組み込まれるのに抵抗があるけれども、そういう場に入らなければ無縁は避けられないのか」という絶望感も感じているのが現状。要するに皆、「一人にならないための結婚」をしたがっているのだ。

「以前、自殺が多いことで有名な富士山麓の樹海を探索したことがあります。たった一人で死んでいく人も、樹海では最後に『日だまりの下』を死に場所に選ぶんです。鬱蒼と茂った森の中で頭上がぽっかりと空いて空が見えるところ。私は死体こそ見ませんでしたが、あちこちの日だまりの下に、簡易ベッドや薬の空き缶があった。すべての縁を失って自殺する人も、なお光を求めていたと思うと、本当に切ないものがありました」

自殺の名所の類型としてよく見られるのは、断崖絶壁や深山幽谷で有名な観光地である。これらの観光地では、仮に誤って転落や遭難したとしたら、生存の可能性はほとんどないような場所にいとも簡単に近寄れる。このような場所を本能的に恐怖を覚えたり忌避する人もいるが、そうであるがゆえに、逆に自殺志願者にとっては「確実に死ねる場所」として格好の立地条件となってしまう。

これらの観光地は本来の意味でも名所であるために、もともと人が集まりやすくその場所で自殺が多発して「自殺の名所」として有名になると、全国各地から自殺志願者を引き寄せてくるという悪循環が生じてしまう。原因としては、自殺志願者の多くが「多数の中の一人」という思いが強いという心理的な影響もあるといわれる。「あそこなら楽に死ねる」「多くの人が亡くなっているのだから寂しくない」という心理学的な影響を指摘している研究者もいる。

日本の自殺の名所としては、青木ヶ原樹海(山梨県)東尋坊(福井県)天ケ瀬ダム(京都府)三段壁(和歌山県)足摺岬(高知)華厳の滝(栃木県)中央線快速(東京都)八木橋(宮城県)高島平団地(東京都)などがある。


『週刊現代』


2010年11月12日(金) 気功健康法

●こうすればだれでもたやすく「気」が出せる。
①手のひらを36回こする。
②ほんの少しだけ、手のひらの間を広げて見る。
③もう少しだけ、広げてみる。なんとなく粘りがあるようなもの、ムズムズする、ピリピリする、暑さ、反発感、重だるさ、ゴムのようなもので引っ張られるような感じが味わえる。これが気である。
④手のひらに、ふわふわした大きなシャボン玉のような、ねっとりとした気の球ができていると想像し、その球がだんだん大きくなるよう練ってみる。
⑤壊さないようにしながら、気の球を大きくしていく。
⑥どんどん大きくしていく。気が感じられる間は大きくし続ける。
ガンにかかりやすい性格については、まだ一致した見解はありませんが、ほとんどン研究者は病気になる以前からの「憂鬱感」を報告しています。呼吸を整えて、こうした精神的な抑圧を排除していくことができるから、ガンを含めて病気になりにくい心身をつくりあげていくことが可能となるのであろう。正常な生理機能が働いていれば、いずれガン細胞は活発化できなくなってしまう。こうした自然治癒力による回復は、多数報告されているにもかかわらず、まだきちんと解明されていない。
横臥、正座、座禅式の坐り方などスタイルは何でもよく、リラックスできる姿勢をとる。目を閉じゆっくりと深呼吸をする。呼吸は鼻から吸って口で吐くのが気功法の原則。体の中の悪いものを全部吐き出すつもりで息を吐く。息を吸って、もう一度吐く。数回吐いて、悪いものを悪いものを吐ききったと思ったら、ゆっくりと吸い始める。その時、対地から。みずみずしい気が体内に流れ込んでくるとイメージする。体の中を良い気が循環して、老廃物が吐気と共に体内に出ていく。これを10分ぐらい続ける。
ガンで伏していた母の痛み苦しむ背中を、私は少しでも楽になるようにと、気持ちを集中させてさすっていた時、母の痛みがとても和らいで気持ちが落ち着いてくるということがよくありました。その時私は気のせいかもしれないと思いながらも、自分の中に何か不思議なエネルギーを感じていました。
その後、気功というものを知り、気功の指導を受けました。そして長年のアレルギー性鼻炎が治り、足のしびれが治り、頭が痛いといったような身体的なトラブルから解放されました。これは魔法でも何でもなく、人間は自分の体をうまく使えば、それだけのエネルギーを内在できるのだということを教えられました。
型なんかなくてもいいのである。万人に合う型などあり得ないし、昨日の自分に合った型と今日の自分に合う型はまるで違う。胸を張るなど姿勢を整えることは基本ではあるが、寝ころんだままやるの気功法もある。型ではなく気の流れ方である。だから最後には型を捨てよと教えている。気を感じてめぐらすことこそ、気功と呼ぶに値する。繰り返しているうちにやがて気の流れがつかめ、気をコントロールすることができるようになり、最後には型を捨てればいいのである。
ゆっくりと息を吐きながら、肩を2~3度上下させながら力を抜く。吐く息とともに体の悪い気が外に出ていくことをイメージしながら、毛穴が開かれていくのを感じる。吸う息とともに毛穴から邪気が出ていくのを感じ取る。
吐く息とともに、体の力を抜き、リラックスさせる。そしてゆっくりと呼吸しながら大地のまわりの空気と一体化していくイメージをもつ。自分がまわりに溶け込んでいくような感じが持てればいい。自分の体に流れ込み出ていく一つのエネルギーのようなものが、感じられるようになるだろう。これが気である。流れる気は重かったり、また乾いていたり湿っていたりとさまざまである。慣れてくると誰でもほんの1~2秒で、大自然のエネルギーである気を感じ取れるようになれる。
そして50才の「天命を知る」というのは解脱したいということであり「70にして矩をこえず」という言葉は、70になって初めて、意識しなくても天の法則どおりに生きることができるようになった、ということである。
呼吸をするにつれて、大地の気が自分の体の中に入ってくることを想像する、入ってきていることを肌で感じ取ろうとする。そしてその気が血液の中に入り体をめぐり、そして体の老廃物が気となって、吐く息に乗せられて体外にでる。というふううに想像しながら行うとわかりやすい。私たちは天地のリズムに従って生きている。天地の一部であるといってもいい。私たちの中にあるリズム、そういったものはすべて一体となっている。
この息を吸ったり吐いたりするとともに、自分の気を体の中に入れ、吐きながら気を出していくということさえ忘れなければいい。とても簡単でだれでもできる。要は、心を込めて癒そうとすればいいのだ。気は心なのである。
呼吸は、気功においてとても重要である。鼻から吸って口から吐くこと。吐くときは、唇を「フ」の音を出す形にして思い切り吐く。吸うときに大地から気が入ってくるというイメージをもち、吐くときに体の邪気が体外に出ていくというイメージをもつこと。腹式呼吸のほうがよい。



『「気」には無限の力がある』


2010年11月11日(木) 民主の隠ぺい体質

野党から批判続出

初めて予算員会で質問した小泉新次郎氏は海保側から政権中枢への報告が遅れたことについて、委員会終了後「ひとことでいえば、民主党の隠ぺい体質が出たのではないか」と指摘した。「官僚は、何を言っていいか悪いかがわからず、言ったらクビになるかもしれないとビクビクしている。恐怖政治みたいなものだ」と強調した。

「もとをだたせば、映像を早く公開していれば、流出事件も起きなかったし、中国側の非を国際社会に分かってもらえた」と映像を公開しなかったこと自体が問題の根底にあるとした上で、「この責任は政治家が取って、しかるべきだ。総理が『二つ責任があると』言ったことが、形として現れることを期待したい」と、責任問題に向き合うべきだと述べた。野党側は、参議院で馬淵氏らの問責決議案を提出することも検討しており、今後仙谷氏の責任も追及する方針だ。


「日刊スポーツ」

日本人はいつも危機意識の欠如が指摘されている。


2010年11月09日(火) 商才民族の素顔と実力

どこにでもいて、いつも話題になりながら、それでいて本当の姿が容易につかめない集団。それが華僑、ユダヤ人、印僑である。共に外からはうかがえない同族性、強固な団結力を持ちながら、一方で融通無碍な浸透力、土着性とすばやい行動力を持っている。このうち華僑は東南アジアを中心に2000万人から2500万人。住む国、経済力、社会的地位はさまざまだが、目まぐるしく変転する世界でしたたかに生きている。

インドネシア華僑財閥のヤン・ダルマディ、シンガポールの大立者、胡文虎、タイ・バンコク銀行の創立者ソンポンパニット、そして香港の国際金融センターを牛耳る馬景喜の各氏ら……。いずれも、経済の世界で華僑の実力を遺憾なく発揮している。経済の世界に限らない、リー・クアンユー・シンガポール首相を筆頭に、ネ・ウィン・ビルマ大統領。過去の世界では、南北ベトナムのゴ・ジンジェム、グエン・バンチューとホー・チミン、そしてカンボジアのロン・ノルの各大統領と東南アジアの政治は、華僑の存在を抜きにしては語れない。

華僑は実は、日本経済にとっても欠かせない存在だった。第二次世界大戦でアジアの植民地経済体制が崩壊したとき、貿易で再生を目指す日本はアジアの華僑をパートナーとした。刻苦勤勉、勤倹貯蓄の儒教精神を共通して持つ日本人と華僑のタイアップこそ、日本がアジアで今日の大をなした秘訣にほかならない。

そういえば、日本でも作家・陳舜臣、経済評論家・邱永漢、日清食品会長・安藤百福、囲碁・林海峯、ソフトバンク前監督・王貞治の各氏、女優・范文雀、元宝塚・鳳蘭、歌手・ジュディ・オング、アグネス・チャンらはいずれも華僑といっていい。華僑は、我々の親しい「お隣さん」でもあるわけだ。
「海水の至る所に華僑あり」という。華僑は、印僑、ユダヤ人と並び、国境を越えて生きているだけに、その国、人によってさまざまに語られてきた。ある人は「祖国なき哀れな棄民」という。

1978年春以降、ベトナムを追われた華僑の群れは、ボートピープルとなって南シナ海を漂流し、、国際社会の涙と同情を誘った。「憐れな棄民」と見る人に対して「こざかしい商人」とまったく反対の華僑像を思い浮かべる人もいる。たしかにインドネシアでは押さえこまれているとはいいながら、大は財閥から小商人に至るまで、主に穀物を中心とした流通部門に食い込み、華僑なしではインドネシアの経済が二進も三進もいかないのも現実である。

総じていえば、ごく少数のエリート華僑は別として、大多数の華僑は現在も多くの国において政治から疎外されており、その社会的地位も決して高いとはいえない。居住国政府が華僑の活動を経済分野に押しとどめているため、華僑も経済分野で懸命に活路を開こうと志し、これが特異な存在として当該国民から一層警戒されている事実を無視できない。有名華僑は、名もない大多数の華僑の上に頭を出した氷山の一角である。

華僑は東南アジアはもちろんのこと、カナダ、スペイン、ポルトガル、そしてアマゾンの奥地にまで入り込んでおり、その行動は万華鏡のように多彩である。「出世華僑」は実業の面では意識的に華僑社会から脱しようとする半面、華僑社会への奉仕、恩返しを絶えず心がけている。故周恩来首相は、1922年から3年間、パリの下町13区の木賃宿で、鄧小平副主席と共に明日の中国を熱っぽく語りあった。13区は、今日も中華街として、パリのベトナム人と張り合っているのは歴史の皮肉だろうか。

シンガポール、香港、ベトナム、サンフランシスコ、福建、広東両省といった華僑の拠点も時代の流れとともに大きく変貌し、いわゆる既成の華僑像ではつかみ切れなくなっている。5万人余の日本人華僑は2000万人を優に超える世界華僑の中では、まったくの少数派だが、ルーツ、業態、組織も極めてさまざまでユニークさをもって一派をなしている。日本華僑が横浜、神戸の華僑街から抜け出し東京、大阪といった大都市で近代的なビジネスに参画しつつあるのは注目すべきだ。中国、台湾に次ぐ「第三の中国」とささやかれるシンガポールで、時代を狙う超エリートの呉作棟商工相が、「私は中国語ができません」と率直に言って見せたのは、示唆に富んでいる。


『華僑』


2010年11月08日(月) 石油をつくる微生物

今中教授の研究は他の極限環境に生きる生物にも及んでいるが、その中で最も驚くべきことは、石油を作る微生物を発見したことである。極限微生物の一種に、石油の中に住み、石油を分解する微生物がいることは前から知られており、将来は石油で汚染された環境をそれで浄化することができるようになるのではないかといわれていた。

今中教授も、はじめは石油を分解する微生物を探していたのだが、静岡県で見つけた石油分解菌「HD-1」はある条件下では、石油を分解するのとは正反対に、二酸化炭素と水素から石油を作ることができるということを発見したのである。これは世界で初めての石油を作る微生物の発見である。これまで石油は、太古代の生物の死骸が堆積したものが、地質学的作用によって変成してできたものだといわれ、石炭と並んで化石燃料と呼ばれてきた。

しかし、微生物が作るものだとすると、これまでの石油の見方を全く変えなければならない。石油は今でも微生物がどこかで作り続けている、生きた燃料なのかもしれない。そして、石油を作る微生物のDNAを解析してその遺伝子を取り出し、バイオ技術で石油をもっと効率的にさせる方法を考え出せば、もう石油枯渇=エネルギー不足に悩まなくてもよくなるのかもしれない。

しかも、二酸化炭素を原料として用いるのだから、二酸化炭素による地球温暖化の恐怖からも逃れられ、一挙両得になるかもしれない。この一事をもってしても、バイオ技術の持つ恐るべきポテンシャルの大きさが解るだろう。

さらにもう一つ不思議な現象ある。それは大爆発の後に起きた、生物学的な異変である。一つは、爆心地周辺で起きた植物の異常成長である。爆心地以外では木が7メートルしか成長しない間に爆心地では同じ木が20メートルも成長するというようなことが起きた。もう一つは突然変異の多発である。例えば松の木の松葉は普通Vの字型の2本だが、それが3本になったり、4本になったりした。

植物学者として1961年以来調査に携わったトムスク大学のチャストコレンコは、爆心地でたくさんの草花類の変異を発見した。その多くの標本を見せてもらったが、「え、これが同じ植物ですか」と驚くほど、違う姿形になってしまった植物がたくさんある。松葉の2本が3本になったなどというのとは全く違うレベルの変化がたくさん出ているのである。姿形がそれだけ変わったものになってしまうということは、遺伝子レベルの変異が起きているということである。

案の定、花粉を採取してその細胞分裂時の染色体を観察すると、普通なら、きれいに染色体が倍になり二つの娘細胞に別れていく最も大切な有糸分裂の中期と後期に大きな変異が生じて染色体がぐしゃぐしゃになってしまったりする。彼女はこのような突然変異が起きやすい場所として、化学物質で汚染された場所、放射能で汚染された場所を選んで比較してみた。すると圧倒的にツングースカの変異率が高かったのである。

何がこのような変異をもたらしたのかはよく分からない。あのような大爆発はX線を発生させるという説がある。又彗星の核がX線を発している例も観察されているが、それをこの変質と結びつけてよいのかどうかわからない。しかし、驚くべき変異の発生率である。このデータを見ているうちに、私はダーウィンでは小進化は説明できても大進化は説明できないという進化論の有名なテーゼを思い出した。そして、大進化のカギはここにあると思った。

ツングースカ大爆発のような環境上の大異変があると、生物はかくも変貌をとげるのだ。進化史を過去にさかのぼってみても、恐竜が死滅した中世代の末期に大隕石、あるいは大彗星が地球に衝突して環境の大異変をもたらしたことが知られている。そのほかにも、進化上の大異変があった時期に大きな天体衝突の記録が地質学的に残っていたりすることがよくあることが知られている。

恐竜の死をもたらしたような大衝突は数千万年に一度というような確率でしか起きないものも推定されているが、ツングースカ大爆発程度の衝突は、2,3世紀に一度の割合で起きるはずだという。私はツングースカ大爆発の跡を、ヘリコプターをチャーターして2回にわたって上空からじっくり観察しながら、不思議な感慨にとらわれていた。

現場に行くまでは、専門家から、どうせ行っても大爆発の面影なんかいまさらとてもうかがえないよと言われていた。爆発以来、もう90年以上もたっている。その後に育った植物で山は覆われているから、昔の倒木なんかそれに覆われて見ようたって見えないというのである。

ところがが見えたのである。くっきりと見えるのである。山は全山雪に覆われていた。それほど深い雪ではないがあとで降りてみると20センチぐらいの雪に覆われていた。しかし雪の下に、たくさんの倒木が転がっているのが、まるでレリーフのように見えるのである。雪のない季節だったら森の緑や、地面の茶色に隠れて見えなかったであろうが、緑も茶色も雪が隠してくれて、かえってレリーフ状の倒木の存在だけがくっきりと見えるのである。降りて倒木に近づいて見ると、逆に意外に分かりにくい。しかし、ずっと空の上から引いてみると、見えないものが見えてくるのである。


『21世紀知の挑戦』 立花隆


2010年11月06日(土) 思いがけない逮捕

「今日、逮捕する」その日の朝、取り調べのために出頭した地検の検事室で言い渡された時、私はびっくりして、「何の罪ですか?」と、聞くと、「出資法第3条違反の容疑だ」と。そう言えば、この前、総務部の担当者が「こんな法律もあって、山下さんのしたこととそっくりだけど、こんな法律は現在の銀行の営業姿勢が変わっているのだから、いわば死文化した法律で、まったく無視していいですよ」と、言っていた罪だ、と即座に思いだしました。

こんな罪で逮捕だなんて考えられないし何かの間違いだろうから、きっと勾留48時間で釈放される程度のものだろう、と内心思いつつも、時間がたつにつれ、だんだんと不安になってきました。

その夜は、薄っぺらい布団の中でほとんど寝付かれず朝を迎えました。翌日は、6時30分に起こされました。その後しばらくすると、独房を出るように言われました。「やっぱり何かの間違いだったんだ。これから釈放されるんだろう」と、思ったのですが、とんでもないことで、両手には手錠をかけられ、他の収監されていた人たちと一緒に青い腰ひもで数珠つなぎにさせられて、バスに乗せられたのです。勾留裁判でした。

約1時間バスに揺られて地裁に入ると、また地下室経由で独房に入れられました。2時間ぐらい待たされた挙句に勾留裁判が始まりました。私は容疑事実を全部否認し、「なぜ私が逮捕されたのか、理由が解らない」と、強く訴えました。判事のような人が、その内容を紙に書きサインするようにいわれました。その時だけは手錠をはずしてくれました。

勾留裁判が終わると、Y弁護士が面会にきてくれました、弁護士が手にしていた新聞の切り抜きを見て、びっくりしました、私が拘置所に顔を隠しながら入っていく写真が一面トップに掲載されていたからです。裁判が終わって、拘置所に戻ると検事の取調べが待っていました。

「おい。勾留裁判で不当逮捕っていったって?冗談じゃないぞ。今までの取り調べで全部認めたではないか」と、怒鳴りつけられました。しかし、私は、一度も検事から「出資法違反」で調べられているとは聞かされていないし、小谷氏の「証券取引法違反」の関連で調べられていると思っていたので、事実と違うことを検事が調書に書いていても、あまり逆らわずに小谷氏がいかに巧妙に私を利用したかが分かればいいと思ってサインしたのですから、私そのものが罪に問われるのならば、それなりに調書を書き直してもらわなければ事実関係が明らかにならない、と主張しました。

すると、検事は、「もう長いこと取り調べをしたんだから、改めてやり直すなんて大変だ、迂回融資の事実が11個もあるんだから、いっぺんに起訴するつもりでやっているので、一回で起訴できればすぐにでも釈放されるだろうが、一つ一つ起訴していくとなると、再逮捕、再逮捕で、いつになったらここから出られるかわからなくなるぞ。それでもいいのか」と、鬼瓦のような顔をして怒鳴りつけるのです。

私は、「それほど違っていなければ、裁判で争えばいいかな」とも思い、早くここを出たいと思っていたのでやむなく承知をすると「協力すれば、早く出られるんだ」と、捨て台詞のようにいわれました。今思えば、その時もっと心を強く持って、あくまで事実と違うところは修正すべく頑張ったほうがよかったかなと反省しています。

でも、いろいろな状況の中で、自分の心を鼓舞して頑張るのは大変なことだと、今でも思い出します。検察には検察側の筋書きがあり、その筋書き通りになっていかないと検察は困る点があるのです。そのことは、あとで理解することになるのですが、その筋書きとは、銀行のトップクラスを逮捕することであり、できればそのころ話題になっていた「イトマン事件」との関わりも引っ張り出すことができるのではないか、と考えているのが窺えました。

「西副頭取もここに呼ぼうよ」といって、小谷氏が相対売買で行った株取引のファイルを1枚1枚見せ、副頭取の関係者がいないかどうかを調べられたのです。連日の検察による取り調べは、朝から夜まで続き、何回も同じことを質問され、自分たちの都合のいい供述だけを調書に取っていくのです。

拘置所にはいって、最初の3日間くらいは全然眠れませんでした。厳しい取り調べがこの後もずっと続くのかというのと、家族に申し訳ないとか、親父やお袋はどうしているんだろうかとか、考えると絶望的な気持ちになりました。自殺を真剣に考えたのもこのこの時期でした。

しかし独房には首つりができるような突起物は全くなく、しかも入所するときに、金属のものとか長い紐のようなもの、ネクタイなども一切持ち込ませてもらえません。それでも自殺したという、つい最近のニュース中の北茨木市長の事件も、私には解るような気がします。新聞の報道でよくある「えん罪」事件も、それまでは、「そんなこと言ったって、本当はやってんだろう」なんて思っていたのですが、自分自身でこういう取り調べなどを経験すると、「えん罪」もあっても不思議はないと思うようになりました。


『住友銀行支店長のの告白』


2010年11月04日(木) 臨死体験

私は15年前、交通事故に遭って瀕死の重傷を負いました。33歳の時でした。骨盤骨折、頸椎損傷、手首は粉砕骨折、その他骨折多数……。文字通り全身がバラバラ。担当の救急医師が「死んでも何の不思議もない」というほどのひどい状態でした。意識不明が続きました。

その間私は不思議な体験をしていました。ベッドに横たわっている自分を病室の天井から見ていたのです。それからあちらの世界にも行きました、私は大きな光に包まれて至福の長い時間を過ごしたのです。そして奇跡的に意識が戻ったときには、未来の記憶を持って帰って来たのです。そして過去
の記憶も失われていませんでした。

例えば、10年後にソ連が崩壊し、20年後にアメリカが崩壊し、40年後に世界が崩壊することを知ったのです。そしてその通りに歴史は進んでいます。今も……。絶望的な気持ちで毎日を過ごしていました。と同時に、知ってしまったことを確かめなければならないし、もし本当なら何とか伝えなければならないと強く思いました。そしてある日、閃きました。”自分は生かされているだけ”と気付いたのです。

一瞬にして価値観が変わり、生きているだけですばらしという事実を理解したのです。その時自分の生きる道がはっきりと浮かびました。私が事故に遭ったのは15年前。そのころは環境問題といえば公害を指す場合が多く、まだ地球環境など、ほとんどの人が関心を持っていない時代でした。ところが、オゾン層の破壊、地球の温暖化、森林破壊、酸性雨、人口爆発など、世界的な規模で解決に取り組まなければならなくなる環境問題のことをはっきりと知っていたのです。

どうすればいいかもはっきりと知っていたのです。それから、「共生や調和が大切なんだ」と思うようになっていたのです。事故に遭う前の自分とは、別人になっていたのです。それまでの私は、環境問題とは全くの無縁でした。しかし、将来の地球の姿がわかってしまった以上、自分がなすべきことは何なのかは明らかでした。不思議なことに、わずか1年で社会に復帰しました。ありがたいことに、現在は車椅子とは全く無縁の生活をしています。


『地球大予測』


2010年11月02日(火) 海兵隊グアム移転

北朝鮮の核開発が進み、中国が軍事力をどんどん拡大し続ける中で、普天間飛行場の移設なしには米海兵隊は沖縄を去ることはできない。北朝鮮や中国の脅威は単に日本だけの問題ではない。韓国、シンガポール、オーストラリアなど他の同盟国の安全保障にかかわる問題でもあるのだ。

特にオーストラリア、シンガポール、インドネシア、ベトナムなどは軍備増強を続ける中国に対する懸念を強めている。普天間飛行場の代替基地をつくらないまま8000人の海兵隊をグアムに移転すれば、米軍は今の軍事力を維持できなくなる。米国にはそのようなリスクをおかす軍事的・政治的な余裕はない。この点をよく理解していない日本人が少なくないようだ。

例えば北朝鮮や台湾などで全面戦争が起こった場合、沖縄の海兵隊の役割は陸軍、空軍、海軍などよりは比較的小さい。航空母艦やミサイルなどを使って攻撃するわけではないからだ。しかし、その他の面で海兵隊は非常に重要な役割を果たす。

海兵隊は陸軍や海軍とは異なり、どんな危険な状況、場所にも48時間以内に出動でき、2~3ヶ月間の戦闘に必要な物資を自給できる。そして陸海空軍の機能を発揮しながら、安全で安定した場所、避難先を作ることができる。つまりさまざまな緊急事態に対応する”110番”のような役割だが、これができるのは海兵隊だけである。

陸軍部隊は大きすぎてこのような役割を果たすことはできない。安全保障を強化するには大規模な軍事力を備えるだけでは十分ではなく、さまざまな状況に対応できる海兵隊が必要なのである。特に東アジアは地理的に広く、潜在的な不安定地域から海上通路に至るまでさまざまな問題を抱えている。

このような地域で異常事態が発生した場合、柔軟に対応できる海兵隊の役割は非常に重要となる。その力を低下させることは抑止力の点でも大きなマイナスとなり、米国の同盟国や潜在敵国に対して誤ったシグナルを送ることになろう。

日本のメディアがこの海兵隊の役割についてあまり報じていないのは非常に残念である。だから「8000人の海兵隊をグアム移転すれば、普天間飛行場を移設させなくても問題ないだろう」と考える人が少なくないのではないか。



『潮』


2010年11月01日(月) 最高検VS大阪地検

大阪地検が壊滅した。10月21日、前言・現検事正など幹部3人が懲戒処分を受けて辞職した。起訴された大坪弘道特捜部長、佐賀元明前副部長の2人が懲戒免職とされた。これで、先に処分された前田恒彦被告と合わせて、検事正から主任検事に至るまで、すべてが検察庁を去った。

法務・検察の狙いは明白だ。事件を「関西検察の特殊性」に貶めることで、検事のシステムと人事を守ろうとしている。最高検が自ら操作にあたり、法務省が早々に厳しい処分を下した。そこへきて大物ヤメ検(検察OB弁護士)が、「関西で人事を回し、現役とOBとマスコミが癒着。それが腐敗の温床だ」とマスコミに情報を発信し、最高検に助け船を出した。

そんなものは嘘っぱちである。シナリオ捜査も強引な調書の作成も癒着構造も全国すべて同じ。特捜部を温存させるためには、大阪と名古屋を切って東京に一本化。同時に政界からの「総長に民間人の起用を」という人事圧力をかわすには、大林宏検事総長に責任をとらせてはならなかった。

それを承知している大坪被告らは、「スケープゴートにするのか」と反発、容疑を否認し、最高検との全面戦争に突入した。最高検VS大阪地検の戦いに勝者はいない。正義もなければ大義もなく、自己保身があるばかり。こんな組織に国民は何の期待も抱けない。


『週刊ポスト』


加藤  |MAIL