加藤のメモ的日記
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○前原氏の急転出馬は後見役の仙谷官房副長官(65)が後継にもくろんでいた野田氏の支持が広がらないことに慌てて、一年後に控えていた手持ちのエースカードを切ってきた形です。
●前原氏は人気があるといっても自らの取り巻きだけの人気で勘違いをしているのではないか。5か月前に政治と金の問題で外相を辞めた人間がどうして出られるのか。前原氏は外国人献金問題で責任をとったとしているが、自民党の西田参院議員(52)が国会で追及したのは暴力団のフロント企業からの献金疑惑。外国人献金問題はついでに聞いたことで、メーンの暴力団献金は無視され、いまだに解明されていない。芸能人が暴力団にメールを送って、引退に追い込まれるのに政治家の場合は献金を受けていても、総理大臣になれるのか。すごいマフィア国家ですよ。
○島田伸介さん(55)の話は、政治に絡めると枝野官房長官(47)や橋本大阪府知事(42)らテレビ仲間の擁護発言に驚いた。伸介さんは前から暴力団との話はあったわけで、トラブルをヤクザに頼んだ瞬間にアウト。擁護はこれまでの付き合いを自己正当化したいがための詭弁。政治家の質の低さを痛感させられました。
●暴力団からの献金は完全にアウトです。期ズレが問題となっている小沢氏の資金管理団体をめぐる政治資金規正法違反事件と比べ、どちらが悪質かといえば断然、前原氏。首相になっても持たないのではないか。暴力団フロント企業からの献金やパーティー券購入は前原氏だけでなく、野田氏も同じ構図です。
○大手マスコミは前原氏を大本命と書き立てたが、いつもながら見当外れでしたね。本欄ですでに指摘しましたが、代表選で最大のカギとなる小沢氏は、前原・仙谷両氏を全く信用していない。当初、前原氏が仙谷氏を切り、寄り添ってくれば担ぐ選択肢もあった。ところが自信過剰の前原氏は、前回の代表選と同じ脱小沢路線で対抗する姿勢を見せてしまい、、それならばと小沢氏は対抗馬擁立に動いたわけです。
●乱戦模様だった代表選も小沢氏自らが一本化調整に乗り出し、小沢鋭仁元環境相(57)が引っ込み、海江田氏の擁護を表明しました。
最後までわからない
○これも前から指摘してきたことですが、前原氏が蹴ったときには「野田首相―鹿野幹事長」が小沢氏の有力選択肢になるとみていましたが、乗らなかった。
●野田氏は意外に頑固で融通の利かない性格。小沢氏が党員資格停止処分となった際、菅首相よりも野田氏と仙谷氏が強硬論を先導した過去があるだけに絶対に許すわけがありません。
○仙谷氏からハシゴを外された野田氏が小沢氏に寄り添っていれば、前原グループを孤立させ、仙谷氏の牙を抜けた。党内にはこれまで日の当たるポストを独占してきた前原グループへの反発もありますし、前原氏や枝野氏ら40代の極端な世代交代を嫌うベテラン議員の不満もある。中間派の鹿野氏を幹事長に担げば、小沢支配の批判もかわせたものを。
●海江田氏は原発事故対応に失敗した重大な戦犯の一人なうえに経産相にコントロールされた原発推進派の一人。そんな人間を押す小沢氏はセンスがなさ過ぎる。
○前回の代表選は投票のギリギリまで態度未決定が100票もあり、票読みがむずかしかったが、今回は基礎票で勝る小沢―鳩山陣営が推す海江田氏が圧倒的に有利です。
●小沢氏が支援するといっても海江田氏は党内で信頼があるかというと微妙。鳩山グループも含め、全部が乗っかるかは厳しいのでは。05年の代表選では菅氏が圧勝といわれていたが、投票前の最後の演説で前原氏が自殺した父親の話や母子家庭で育った苦労話で同情を買い、わずか2票差で逆転勝利した。最後まで何があるか分からないのが代表選です。
『九州スポーツ』
2011年08月28日(日) |
9月の大暴落に備えよ |
暴落の足音
アメリカの債務問題を契機に世界中で高まる米ドル不信。その先駆けが「米国内」で起きていたことはあまり知られていない。アメリカ西部に位置するユタ州。2002年にオリンピックが開催されたソルトレイクシティを州都に持ち、スキーリゾートの一大拠点として知られる土地だ。豊かな風土と治安の良さを売りにする一方で、近年はIT産業が集積、非在来系資源として注目されるオイルシェールの産地でもある。
そんなユタ州が今年5月、”異例の措置”を決定した。ドル以外に金貨と銀貨を「通貨」として認める法律を制定した。これを定着させて州内のスーパーマーケットやガソリンスタンドなどでドル紙幣に加えて金貨や銀貨で支払えることを目指しているというものだ。
コンビニのレジで1000円札ではなく金貨で清算している人を想像してほしい。事の異常さがわかるだろう。言うまでもないが、ユタ州の対応は、ドル安を放置し続けるワシントン当局への「身内からの反乱」にほかならない。「ドルはもう信じられない」そんな不安がアメリカ国内でじわじわと広がっているのは「財政のひっ迫」を国民が肌身に感じ始めているからだ。
市役所などでは週に5日間開くことができなくなり、毎週1日は職員を無給で自宅待機させている。サンフランシスコ市役所では職員の40%がレイオフ(一時解雇)されたという。こうした公共サービスのカットや停止が全米各地に広がっていることから、米国民は一層ドル不信を強めているのだ。
ニクソンショックを契機に世界は変動相場制に突入し、米ドルは基軸通貨として君臨し続けてきた。あれから40年。「アメリカの権威」が暴落の瀬戸際まで追い込まれている。さらに欧州ではギリシャ危機に端を発したユーロ危機が再燃し、中国の成長にも陰りが見えてきた。今世界同時不況の警告サインがうなりを上げ始めている。一体、世界はこれからどうなってしまうのか。
「投資家がドルを売り浴びせるのは、アメリカ経済が大きく後退するとみているから。アメリカはリーマン・ショック後に大胆な財政政策や金融政策で市場にカネをばらまいて景気を下支えしてきたが、これが効かなくなってきた。そこへ債務問題や米国債の格下げ問題が発生し、緊縮財政へ舵を切ったため、米国経済の低迷は必至だと考えられるようになった。
国内外から突き付けられたドルへの「ノー」に対して、オバマ大統領ら連邦政府は「米国債は安全だ」「格付け会社は2兆ドルも計算間違いをしていた」と火消しに躍起だが、それも”無駄足”ということ。世界はアメリカの「成長性」に疑問を抱いているからだ。
職も貯金もないアメリカ人
深刻な不況、失業の背景にあるのは産業の衰退である。デトロイトで自動車を作っていた時代は遠い昔。リーマン・ショックで「ビッグ3」は事実上崩壊した。今やデトロイトのダウンタウンはドラッグと犯罪に汚染された一大治安悪化エリアになり下がっている。「アメリカの小売店を歩けば、『産業不在』の実態はよりわかる。売られている日用品から家電製品までほとんどがメイド・イン・チャイナ。一方で中国国内を見渡してもメイド・イン・USAの製品など全く見当たらない。中国からは毎年『調達団』という買いつけ代表団がアメリカを訪問するが、買いたいのは航空機ぐらいしかない」(拓殖大学教授朱炎氏)産業がないから雇用は生まれない。借金に下支えされた「大量消費」が限界を迎えた今、新規産業を育成してこなかったツケが回ってきている。
アメリカ人自身がその「ぬるま湯」につかり、汗を流してせっせと働くエネルギーもパワーも失ってしまった。一部の金融マンが、マネーゲームだけで数十億円の儲けを稼いでいたのはやはり異常だった。
このままいけば英国で起きているような暴動が起こるかもしれない。最悪の場合、2008年のリーマン・ショック、つまりは”ブッシュ恐慌”が再来することになる。アメリカ経済戦略研究所のクライド・ブレストウィッツ署長もこう語る。「政府は軍事費を削減すべきなのに、経済刺激に必要な支出を削っている。消費が減少、貿易赤字の増加が続けば、アメリカ経済は景気の二番底に向かっていく。それは世界的な不況へ波及していくかもしれない」3年前に世界中が苦しんだ「同時不況」が目の前に近づいているのだ。
さらにそれに拍車をかけているのが欧州の惨状である。アメリカと同じく市場から「不信任」を突き付けられており、世界の「ユーロ離れ」が止まらない。欧州では経済規模も成長性も異なる国々が同じユーロという通貨を共有したことで、実態以上の信用力を持つ国が出てきた。ギリシャ危機を契機にこれがイリュージョン(幻想)だったことがバレて、ユーロバブルが崩壊し、投資資金が逃げ出し、スペインからフランスまで各国の国債が売られ、国債を多く保有する欧州銀の株が急落する事態にまで発展している。
アメリカが金融工学なら、欧州は通貨統合という幻想でマネーを集めていた。その実態が見えて、市場の信頼を失っている構図はまるで同じだ。違うのは欧州はまだ産業が力を維持しているように見えること。ただフォルクスワーゲンなどほんの一部の有力企業を除けば、折からのユーロ安にもかかわらず輸出を大きく減らし、業績悪化に苦しむ企業が急増している。
庶民が”スレスレ”の自己防衛を始めている。それはフランスでは「ノワール」と呼ばれているもので、請求書と受領書なしの取引が横行。例えば街の水道工事会社に修理を依頼した場合、普通は請求書と受領書が交換されるが、書類は一切交わされない。そうすることで税金支払いを逃れている。イギリスで起きた暴動の原因の一つに、民族問題があるが、より重要な点は若者の失業率が高止まりしていることである。ロンドンでは若者の失業率が20%に及ぶといわれており、その不満が暴動につながった。かっては移民の天国といわれていた地が、不況によって暴動の地に堕ちた。
ユーロの崩壊は近い。それは間違いない。ユーロを最終的に支えられるのはドイツしかないが、今ドイツの学識経験者や議員の一部がユーロ諸国への支援は「財産権などの権利の侵害にあたる」として訴訟を起こしている。もしこれがドイツ国内で認められれば、ドイツはユーロから脱退する可能性もある。そうなればユーロ圏は空中分解して、通貨ユーロは崩壊することになる。ドル、ユーロが信用力を失墜し、一時的に円が買われているが、それも長くは続かない。国内産業が衰退し、今後長期にわたって人口が減少し続ける日本も、いずれ欧州と同じ道をたどるのは火を見るより明らかだ。先進国の失墜、そしてマーケット関係者の間では「1937年の再来」が語られ始めている。
中国とアメリカの交渉は「大国」同士のメンツのぶつかり合いになる。たがいに国内に政治問題を抱え、国民の不満が溜まっていて、妥協するのは容易ではない。とくに中国は、国内の不満から目をそらすために対外的に強い態度をとり続けている。そして交渉が決裂し、中国が報復として大量の米国債を市場に売り浴びせ、米国債が大暴落するのが「最悪のシナリオ」だ。
1929年の大暴落、1987年のブラック・マンデー、‘08年のリーマン・ショックは、いずれも9月~10月に起きた。そして今回もまた、「不吉な9月」に向けてマーケットが不可解な動きを見せ始めている。今、日経平均がリーマン・ショック後の最後の下げ局面にそっくりの動きをし始めた。このままいけば9月中旬にかけて大暴落が起きることになるだろう。日経平均は7000円台に突入、もちろん米欧の株式市場も崩壊する。
そこからは何が起こるかわからない。さらに株価急落が止まらない事態になるかもしれない。こんな”暴落相場”の中で、いかに自分の資産を守るか、しっかりと考えなければいけない時期に来た。
『週刊現代』
2011年08月24日(水) |
宇宙人と闇の権力(46) |
民主党の前原誠司氏は、自民党のエージェントです。でも、エージェントだから悪いというわけではありません。坂本竜馬もエージェントでした。脱藩した下級武士の竜馬があれほどまでの働きができたのは、武器商人トーマス・グラバーのエージェントだったからです。英国公使のパークスのエージェントという説もありますが、パークスが使っていた一人がグラバーで、竜馬はグラバーの指示で動いていたのです。そして、薩摩と長州を結び付ける働きをしました。最終的には竜馬は見捨てられ、暗殺されてしまいました。
竜馬は「日本人同士が争っても意味はない。黒船に日本刀で勝てるわけがない」と主張しました。それよりも国を開いて貿易をはじめ、欧米諸国の仲間入りをするべきだと。これは今の世界の状況とよく似ています。
支配層は、宇宙人やUFOの存在をひた隠しにしています。そうではなく、情報をオープンにして、宇宙と交流する時代がやってきているのです。江戸時代の日本人がアメリカの蒸気船を見て、「鉄の塊がなぜ海に浮くのか?」「煙を吐き出すのはなぜ?」と疑問を持ったはずです。現代の地球人はUFOの先端技術に触れてそこから学ぶべきです。宇宙人は地球人と戦おうとしているのではないのですから。
ダボス会議の前日に開催された裏の会議
2010年1月28日、スイスで世界経済フォーラムの年次総会、通称ダボス会議が開かれました。この会議に出席できる人は限られています。ここで決まったのが、日本叩き、中国叩き、ユダヤ叩きです。まず日本叩きについては、トヨタ、小糸製作所、三菱重工をターゲットとすることが決められました。中国は、グーグル追放、台湾への武器供与、国境近辺(インド、ミャンマー、パキスタン、チベット、タイ、カンボジア)での紛争です。
そしてユダヤについては、アメリカからネオコンを切り離すことが決定しました。ゴールドマン・サックスのようなユダヤ系金融が自己勘定取引を継続するならば、銀行業務から撤退させられるのです。サマーズ米NEC委員長は、「本業以外のことに手を出している金融機関は潰す」とユダヤ系企業に宣戦布告しました。
アメリカはユダヤ系に乗っ取られているように見えて、真の支配者はアングロ・サクソンです。かってはイギリスの植民地であったことを忘れてはいけません。そして現在、財政破たん直前のアメリカは、戦時経済への切り替えが許されました。米経済再生諮問会議の議長は、ボルガー氏に決まりました。ボルガー議長は、証券会社が銀行業務まで手を広げられるようにした人物で、イギリス王室のエージェントでもあります。ダボス会議で決定した事項は、翌月2月6日にカナダ、イカルウィットのG7で通達されたはずです。
複雑に絡み合う世界勢力地図
ローマ帝国にあるバチカンは、バチカン銀行としてイタリアのバンク・オブ・アメリカを所有しており、ユダヤ人の財宝を集めて設立したメリルリンチ銀行も吸収しています。しかし。メリルリンチは160億ドルの巨大損失を抱えていました。アメリカのCIAは、米軍基地を使って世界各地で麻薬を取引し、利益をバチカンに送っています。そしてバチカンはイギリス王室に送金しています。
そして中国も、ユダヤ人サッスーンが設立した香港上海銀行を通して、国境で取引した麻薬の利益によって、国を維持しています。中国はアメリカの技術によって製造された戦闘機F16をイスラエルから購入しています。ディーゼル潜水艦を製造できる技術を持っているのは、日本とドイツのみです。そして宇宙船を作るためには、日本の半導体とICチップがなければ不可能です。
このように世界の利害は複雑に絡まり合っています。ダボス会議などの国際的な会議では、メディアに報道されること以外に、こうした裏取引に関する密談が交わされているのです。敵の敵は味方ですし、味方と思い込んでいたら敵のエージェントだったということもよくあります。つまるところ、すべては繋がっていて、利害関係のみで動いていると考えたほうがいいかもしれません。世の中は、真実とはほど遠いところで動いており、全体を見通したくても見えない仕組みになっています。
小沢VS検察の深層にあるもの
2010年初旬、民主党の小沢幹事長(当時)と検察で激しい戦いがありました。小沢氏の資金管理団体「陸山会」をめぐる政治資金規正法違反事件です。メディアでは「政治とカネ」をテーマに、連日の小沢叩きが繰り広げられました。小沢氏が叩かれるのは、アメリカの属国として言われるままにお金を渡すのをやめようとしているからです。小沢氏は政治の裏を知っているから、アメリカを出し抜こうとしているのです。
アメリカにとっては、小沢氏は邪魔で仕方がない。そこで田中角栄の二の舞にして、抹殺しようとしているのです。メディアもアメリカの手先となって、連日、小沢氏の悪口を書き立てました。その後、小沢叩きはいったん終わりましたが、これには理由があります。2月2日に小沢氏はアメリカのルース大使、キャンベル国務次官補と会合したのです。
戦後、日本の検察を作ったのはCIAです。そして、小沢叩きの発端は、小泉純一郎元首相が推進した郵政民営化を民主党が凍結しようとしたことだったのです。郵政民営化を見なおされては、アメリカ政府も小泉元首相も困るのです。そこで、知日派のアメリカ人学者のマイケル・グリーン氏が指揮を執り、CIAの手先であるメディアを使って、一斉に小沢叩きを始めたのです。思慮の浅い政治家もこの流れに便乗して騒ぎたてました。マスコミの報道を鵜呑みにしてはいけません。メディアに叩かれる人は、日本のためになる人である場合が多いのです。書かれたことを鵜呑みにして、そういう人を潰してしまっては、アメリカの思う壺です。
米国債を世界一保有しているのは日本
結局、アメリカ側と小沢氏は手打ちしました。小沢氏、ルース大使、キャンベル国務次官補の会談で、郵政民営化の凍結は中止。そしてアメリカの外債購入再開も決まりました。会談の翌日、亀井静香金融・郵政担当大臣は「郵貯のお金が予想を上回り、180兆円も貯まっているので、外債の購入枠を見直す」と発表しました。180兆円ものお金が、すべてアメリカへと流れることになったのです。
2010年2月17日の日本経済新聞によると、日本の官民が保有する米国債残高が7688億ドルとなり、7554億ドルだった中国を抜いて、世界一となったそうです。アメリカの財政が破たんすれば、日本がここまでお金をつぎ込んだ米国債は全て紙屑となります。アメリカと日本は一緒にひっくり返るわけです。日本はアメリカの属国であり、アメリカに逆らうことは許されないのです。
とりあえず、日本が180兆円のお金を出したことで、当面の間、アメリカの破綻はなくなりました。日本がアメリカにお金を流し続ける限り、アメリカの財政は自転車操業を続けられます。
『宇宙人と闇の権力』
2011年08月23日(火) |
中国の「35の法則」 |
浙江省温州市で起きた高速鉄道事故の発生当初に、鉄道省の報道官が『死者35人』と会見で発表し、早々に事故車両を埋めて救助活動を打ち切ろうとした。ただその後、解体寸前の車両から新たに4人の死者が確認されるなど隠されていた事実が次々と発覚し死者の数が35人以上だったことも暴露された。
こうした当局の“隠ぺい体質”を批判する声が『微博』中国版ツィッターに次々と書き込まれるなか、実は過去に中国国内で起きた事故時に発表された死者数が『35人』というケースが異常に多いと投稿された。これにネットユーザーたちが反応『今までずっと35人と誤魔化してきたのか』『この国はタイタニックが沈んでも、死者を35人と発表するだろう』などと大騒ぎになっている。
ネットユーザーの中国人男性(30代)もこう言う。「私もその噂を聞いて中国語サイトで『35人』『事故』などと検索してみたが、次々と関連のサイトや書き込みが出てきた。1990年代初頭から直近までの間で、死者が35人と発表された事故が30以上あったとするリストもネット上で出回っている。当局が情報隠ぺいや情報操作をすることは誰でも知っているが、人命軽視もひどすぎる」
いかにも真夏にふさわしい「怪談」のような話だが、実際に本誌が調べてみると確かに「死者35人」と報道された事故が異常に多いことに驚かされる。例えば1997年に中国南方航空のボーイング737型機が着陸に失敗し、機体が大破した上に炎上した事故では、深玔市当局が35人死亡と発表。2008年に雲南省で起きた大規模な土石流事故が起きた際にも。100万人以上が被災したが、雲南省民政庁発表による死者数は35人だった。
2010年に中国南部を豪雨が襲い、各地で洪水被害が深刻化した時には、10万人規模の人が緊急避難したにもかかわらず国営新聞社が死者35人と発表している。これらの事故は続報が乏しいため、「死者35人」が真実だったかのかは不明。ただ今回の高速鉄道事故でも当局の発表後にネットユーザーなどの指摘を受けるとすぐに死者数40人と”修正”されたように、極めて「疑わしい数字」であることに違いはない。
ブレースクール大学教授の田代英俊氏はこう指摘する。「中国の『3』には『多次または多数』の意味がある。例えば三思而行は『三度考えて行う』ではなく『よく考えて行う』となる。他にも『三舎を避く』(相手から三日分の工程だけ離れるが転じ、相手にへりくだるという意味)、『白髪三千丈』(長年の憂いが募り白髪が長くのびる)こと。心配が重なることの例え)など『たくさん』の意味で『3』が使われる例はいくつもある。中国で重大な事故や災害の死亡者数は、たいていの場合で35.『たくさん』を意味する『3』を10倍して5を足したくらい『とてもたくさん』の人々が死亡したという意味で使っているにすぎない。中国当局が南京事件での日本軍による虐殺者数を『30万』、日中戦争の中国側死傷者数を『3500万』としているのも同じ感覚からだと思います」
ちなみに今回の事故では共産党幹部が処分されているが、その数も3人である。”たくさん”の幹部を更迭したとアピールしているつもりかもしれないが、こんな思惑もあるという。「鉄道省は汚職問題でトップが更迭されたばかりだから、中央指導部としては責任を押し付けやすい。鉄道省も自分たちは責任逃れをしたいため事故現場を管轄する上海鉄道局の共産党書記、局長、副局長を更迭することでガス抜きが図れる。
こうして事態が沈静化してきた頃に真相解明を取り繕った簡単な報告書を発表し、幕引きしようとしているのです。真剣に事故の実態を分析すれば、責任者が何人更迭されるかわかりませんからね」(元外交官)翻って日本では「安全神話」をばらまいて原発を推進し、いざ事故が起こると巧みに”データ隠し”をしながら放射能を拡散させている。「35の法則」をめぐる一連の騒動を「対岸の笑い話」とやり過ごせないのがいかにも情けない。
『週刊現代』
2011年08月22日(月) |
「賠償法」改悪をなぜ報じない |
菅首相がもてあそぶ「脱原発」。首相は後押しを期待したようだが、理念への賛同は得られても、内閣支持率はむしろ下落してしまった。首相の圧倒的な不人気を改めて証明した形だが、当の本人はさほど落胆の様子はない。しょせん一時的な「延命の道具」に過ぎないからだろう。もっとも人類史上最悪の事故を目の当たりにした以上、日本が原発依存を減らすのは当然だ。そこで政府のエネルギー・環境会議(議長・玄葉光一郎国家戦略相)は、短期・中期・長期で「減原発」の道筋を具体的に示すらしい。そして、その前提として発電コストの徹底検証を行うようなのだが……。
原則論を言えば、発電と送電を分離して発電分野に新規参入を促し、競争が起こることで自ずとコストの勝負はつく。送電距離次第では、火力発電でもコスト高になるし、再生エネルギーが一概に不利とはいえない。そもそも、こんな机上のコスト論を改めて議論すること自体がお役所仕事であって、発送電分離をさせないための時間稼ぎの疑いすらある。
だいたい。いまだに事故を収束させられないのに、原発のコストが安いなどというたわ言を誰が信用するのか。政府見解は電気事業連合会の数字をそのまま使っており、1kw時あたり5.3円としているが、立命館大学の大島教授が電力会社の有価証券報告書をもとに試算したところ、同10.68円と、政府見解の倍の料金になった。しかも、ここには燃料の再処理費用や破棄物処理費用、さらには賠償リスクは一切含まれていない。それらを足し上げれば同15.8~20.2円になる。こうなると、もはや原子力の出番はまわってこない。
原発の問題はコスト高だけではない。そのコスト、特に賠償負担を国民にかぶせることだ。8月3日、原子力損害賠償支援機構法が国会で成立した。名前こそ「損害賠償」と付されてはいるが、実態は紛れもなく「東電救済法」だ。実は政府提案の段階では東電の株主、債権者、社員などに一定の負担を課すという考えが入っていた。だが、自民、公明の要求を入れて修正した結果、政府から新たな資金提供を行うなど、徹頭徹尾、東電救済法になったのだ。
債権者や株主に責任をとらせる法的整理は、これで一切できなくなった。東電社員の高額な年金も温存された。そして、国民負担が大幅に増えることになったのである。こうした「改悪」を、大手メディアは法案成立までほとんど報じなかった。その理由の一つに、「東電が債務超過であることを明らかにすべし」などと厳しい姿勢を示していた自民党の河野太郎衆議院議員が、自身のブログ(7月22日)でこの修正案を正常化に向けた「大きな一歩」と高く評価したことがあるのではないか。
不勉強なマスコミは修正案の中身を精査せず、誰が賛成・反対しているのかを基準に報道する。あの強硬派の河野議員が評価する以上いい修正だ、と思い込んだのだろう。河野議員は5日後のブログで「玉虫色」「一蹴しなければならない」と修正案の評価を一変させたが、時すでに遅し。
結局、労組経由で東電の献金を受け取ってきた民主党も、経営者経由の東電マネーに毒されてきた自民党も、どちらも東電・経産相コンビに抱き込まれ、かくして東電温存法は成立してしまった。賠償コストは電気料金に上乗せされる。泣くのは国民だ。政治家の責任は言うに及ばず、メディアの無知と不作為も罪深い。
『週刊現代』
ドル下落の不安感のあらわれ―銀座でも金売り殺到
スタンダード・アンド・ブアーズ(S&P)による米国債の格下げを背景に、ドル安進行のリスク回避を目的にした買いで急騰している。日本国内では3年前の、09年4月17日の取引価格が1グラム2901円だったが、今月8月11日は1グラム4627円と、約1.6倍になった。10日のニューヨーク市場では、史上最高値の1オンス(約31グラム)1800ドル(約14万4000円)を突破した。
28ヶ月で1.6倍高騰―貴金属店4時間待ち
日本で売り買いされている金は米ドルでの価格を日本円に換算している。金市場は確かに活況だが、米ドルがまだ下がるという不安感から、売りに出すケースも多いと思われる。金は株などと違って配当がつかないので、持っているだけでは配当がつかないので、利益を生まないことが弱点である。逆に利点として、金属品は形が変わっても重量で価値を判断されるため、どんなに古いものでも一定の価値を維持できる。だから家の中で眠っている金が売られるのだろう。
仏壇や仏具、仏像は非課税なので、相続税はかからず、代々受け継がれてきた。金製品の仏具を売りに出される方も少なくないようだ。
営業時間を延長
東京都中央区銀座の貴金属買い取り専門店「ゴールドプラザ銀座本店」は鑑定待ちの客であふれ返っていた。15日午後4時、約20人が待合席を埋め、さらに2,3分おきに訪れる新たな客に、店員が「4時間待ち」と答えて対応。ある客が手にした整理券の番号は「100」を超えていた。この半年で金価格が1グラム当たり500円上昇したことを受け、連日多くの売却希望者が金製品を持ちこんでくるという。
同店を経営する株式会社ドリームファクトリー関東支社の高橋さんは「昨年は1日平均10人前後でしたが、今月はその10倍以上。7月は来客数、買い取り額ともに当社史上最高の数字でした」と驚きを隠さない。あまりにも来客が増えたため、午後6時半までだった営業時間を13日からは8時までに延長したという。同じ銀座の田中貴金属直営店でも、連日多くの売却希望者が訪れ、閉店時間の午後7時になってもさばききれず、同9時半過ぎまで対応している状態だという。
1グラム4478円
高橋さんによると、特に資産価値の大きいものを持ちこむ客と 、それとは逆に価値があるかどうかわからないが「家にあったものをとりあえず見てもらおう」という客が増えたという。具体例としては、長年保管していた1キロ以上の延べ棒を持ちだしてきた客や、「こんなもので値段がつくなら」と金歯やメガネフレーム、仏壇にあった仏像を持ってくる客までさまざまだ。
この日、20年以上前から使っていたネックレスを売却した60代の夫婦は「買った時の値段よりは安かったけど、長年使ったものなのに高価で売れました」と笑顔。また、約500グラムの延べ棒を持参した40代の女性は「価格が高くなっていると知って、このタイミングかなと思いました」と満足そうだった。同店での金価格は、8月15日の時点で1グラム4478円だった。
『日刊スポーツ』
2011年08月15日(月) |
死の医学への序章(45) |
西川医師が2年7カ月にわたるガンとの闘いの末に世を去ったのは、1981年10月19日。50歳であった。それ以来、私は西川医師のノートや闘病記や手紙の控えを何度読み、西川医師のモノローグや公演や訪ねてきた友人との会話を録音したテープを何度聞いただろうか。そして、生と死の問題についてさまざまなことを考え、いろいろな文献に目を通し、多くの医師たちの話を聞いてきた。
おかげで多くのことを学ぶことができたのだが、その中で気づいたことの一つは、死に直面した人々の手記は、ほとんど偶然の一致ともいうべき光への感動、目に映る世界への感動がうたわれているということだった。西川医師は、転移が発見されていよいよ明日再入院という日に、房総半島・勝浦の小さな別荘に、家族とともに心を癒しに出かけた時のことを、闘病記にこう書いている。
〈……私は乾かしてある布団に仰向けになった。秋とはいえ海辺の陽光はギラギラと強烈だ。どこまでも青い太平洋。白い小さな波。はるか沖合を白い船体の船が航行していく。上空高く東から西へジェット旅客機が飛んでいく。エンジン音は地上までは届いてこない。大きく深呼吸する。かすかな潮の香りを感じた。 数々の思い出が私の脳裏をかすめ去った。不愉快な記憶い、悲しい記憶、嫌な記憶が、どれも懐かしく美しいものにさえ感じられる。私は今、生きることの素晴らしさを感謝している。今まで私にはなぜ、この素晴らしさを感じ取れなかったのか。 妻は床を掃き、テーブルを拭き、風呂に水を張って忙しく立ち働いている。忙しく動き回っている妻の姿は美しかった……〉
それから一ヶ月余りたった11月20日、治療中にもかかわらず名古屋に出かけた時の闘病記にもこう記している。 〈かねてから予定されていた中京大学心理学科の特別講義のため、日帰りで名古屋まで出かける。帰りの新幹線からの景色が素晴らしかった。澄みきった青空に富士山の姿がえもいえない。妻も連れてきてやればよかった。来年は一緒に来よう。もし再び来られればの話だが〉
翌年5月、青春時代の思い出をたどって、上高地を訪れた時には、〈たった三日で……唐松も白樺もその梢の色をまるで違った色へと変えている。自然のエネルギーに圧倒された。朝の太陽も素晴らしかった〉と書いている。光と風景に対するこうした感度の高さは、「もっと光を」と美の表現の本質を光に求めたモネやルノアールなどフランス印象派の画家たちの世界を連想させるのだが、しかし、西川医師の文章をじっくり読んでみると、それは単なる風景描写や美の探究というよりは、生きることへの感動の投影としての光に満ちた情景、とりわけ親しい人間への限りないいとおしみから湧き出た心象風景というべきものであることがわかってくる。
私がこうした叙景の記述に気を止めるようになったのは、ガンで亡くなった作家高見淳が死の約一年前に刊行した詩集『死の淵より』をあらためて読み返したとき、「電車の窓の外は」という一編に、あまりの相似性を見出したからだった。その詩は、こう始められている。
電車の窓の外は 光に満ち 喜びにみち いきいきといきづいている この世ともうお別れかと思うと 見慣れた風景が 急に新鮮に見えてきた この世が 人間も自然も 幸福にみちみちている だのに私は死なねばならぬ だのにこの世は実にしあわせそうだ それが私の心を悲しませないで かえって私の悲しみを慰めてくれる 私の胸に感動があふれ 胸がつまって涙が出そうになる ………
技巧に走ることなく、心に映るもの、心に去来するものを直截に綴ってゆく。その静かな語り口が、読む者の胸の奥深くにしみ込んでくる。死を間近に意識した人の目に映る風景は、なぜこうも光に輝いているのか。繊維肉腫という悪性のガンのため31歳の若さで亡くなった大阪の井村一清医師も、広く読まれた遺稿『飛鳥へ、そしてまだ見ぬ子へ』の中で、再発がわかってショックを受けた日、帰宅した時の不思議な体験を、次のように書いている。
〈その夕刻。自分のアパートの駐車場に車をとめながら、私は不思議な光景を見ていました。世の中が輝いて見えるのです。スーパーに来る買い物客が輝いている。走り回る子供たちが輝いている。犬が、垂れ始めた稲穂が雑草が、電柱が、小石までが美しく輝いて見えるのです。アパートへ戻って見た妻もまた、手を合わせたいほど尊く見えたのでした〉
死を不可避なものとして意識するということは、それが一年先のことであれ、三年先のことであれ、今という瞬間の生を濃密に意識せざるを得ない状況を作り出す。一日一日が緊迫する。必死になる。その緊張感が、病を知らぬ日常の何十倍にも感性を鋭敏にするに違いない。光を強烈に感じ、心を動かされるというのは、感性が高揚していることの一つの表れとみることができないだろうか。
『死の医学への序章』
大阪最大のディープ地帯である西成・釜ヶ崎(行政的な言い方をすれば「あいりん地区」)の形成の歴史をたどり直してみると、それがいかに深く、鳶田(飛田)墓地の存在と結ばれているかが見えてくる。釜ヶ崎は、鳶田墓地の拡張として形成されたと言っても過言でないのである。釜ヶ崎は鳶田と今宮村の間にある。今宮村は、古くから海民の住んだ由緒ある漁村で(天皇に魚貝を献上する、供御人に選ばれていたこともある)、海の富の神様であるエビス神を祀った神社で、よく知られている。
これにたいして、荒陵(あらはか)の鳶田には、四天王寺の墓地が広がっていた。この墓地には、千日前墓地わきの処刑場も付属していて、千日前墓地わきの処刑場が比較的軽い犯罪者用であったのに対して、社会的重罪を犯した人たちが、ものものしい雰囲気の中で刑を受ける場所だった。
千日前墓地がそうだったように、鳶田墓地の周辺にもたくさんの非人が住んでいた。非人と呼ばれた人たちは、もともと古代の墓守の系譜に属する、由緒正しい人々である。彼らは古代には、死の儀式の専門家として、墓づくりや葬送儀礼を担い、さまざまな特権を持つ聖なる人々であった。
ところが古代社会が解体してくると、これらの人々の運命は激変していった。死の領域の仕事をつかさどる聖なる人々という価値づけから一転して、死の穢れに触れることを職業とする賎しい人々と見なされるようになった。中世になると、墓守たちの一部は、今の警察にあたる検非違使(けびいし)の配下に組織されて、犯罪捜査や罪人の処刑にかかわるようになった。
古代の墓守の末裔たちはまた、葬送儀礼ののプロとしてたくみに詩を詠んだり、舞を舞ったり、歌を歌う芸能者でもあった。墓場とは、古い生命が朽ちて、その屍体から新しい生命が生まれ出てくる、偉大な転換の場所でもある。そのために、死者を送る芸能とともに、豊かな富や生命が無から生まれてくるさまを描く、いろいろな祝歌やおめでたい舞なども、得意のレパートリーだった。
こうして、古代において死の儀礼の専門家であったこの人々は、近世には警察機構の末端に組織されて、犯罪捜査を行なったり、罪人の処刑を担当させられたりするグループと、おめでたい季節がやってくると華やかな衣装や楽器を身につけて、全国各地に散っていく芸能者のグループとに変貌していった。古代にさまざまな特権を持っていたこの聖なる人たちは、近世には常民から蔑まれる存在に変わってしまった。
鳶田から釜ヶ崎へ
鳶田は古代以来、連綿と続く歴史を持つ大墓地らしく、明治維新まで周辺にたくさんの非人を住まわせていた。彼らの仕事は、警察関係と芸能関係とに二分される。警察関係の仕事としては、犯罪者の捜査と追跡、捕縛した犯罪者の護送、夜警、罪人の預かりと牢屋の警護、刑場での実務一切を担当した。浮浪者や乞食の取り締まりも、この人たちの仕事であった。
社会が成り立っていくために必要な、警察機構の最下部を担っていたとも言えるし、社会とアウトローとの間をつなぐ、媒介者の働きをしていたともいえる。この制度は、明治維新でいったん解体させられるが、そうはいっても伝統の力は根強く、ついこの間まで、大阪府警の深層部にはアウトローとの媒介機能というものが、いきいきと保たれていた印象がある。
『週刊現代』
78歳の三浦は再来年、3度目のエベレスト登頂を目指す。彼は週に数度、東京の街をトレーニングで歩く。背中に20kg、両脚にそれぞれ4kgのおもりをつけたその姿は、ここが街の真ん中であることを思えば、なかなか目立つものがあった。「エベレストに登るわけだから、これくらいやらないと。富士山の頂上に登ると、人は生理学的には自分の年齢プラス70歳の状態になるというんです」そういって彼は「はっはっはっは」と快活に笑った。
70歳と75歳の時にはエベレストの頂上を極めた三浦はいま、再来年の80歳での登頂を目指して準備を進めている。成功すれば、現在の記録を4歳上回る世界最高齢の快挙となる。登頂予定は5月中旬というから、2年近く先だ。その間、今年10月から11月にかけてヒマラヤのメラピーク(標高6654m)に登り、富士山などでトレーニングに励む。
来年には7000m級の山に登頂する予定だ。おもりを背負って進む三浦の歩みはそれほど速くはなかった。ゆっくりと着実に自分のペースを守り、それを崩さない。一定の間隔で息を肺の奥まで吸い込み、口をとがらせて「ふー」と吐きだすのが印象的だ。「どうせ山は逃げないですからね。自分の年齢のペースでゆっくりゆっくり」
このトレ-ニングは時間もコースも決まっていないという。明治神宮への参拝客や近所の幼稚園の先生が「三浦さ~ん」と明るく声をかけてくる。「気分次第で進みたいほうへ進むだけ」声援を受けながらにこやかに語ったその言葉は、まるで彼が自らの生き方そのものを語っているようにも聞こえるのだった。
事務所には低酸素室もあります。最高で標高6500m程度の酸素にできるので、エベレストに登る2ヶ月前に入って徐々に体を慣らしていく。その中で歩き、一番眠るんです。とてもキツいけれど、ものすごいトレーニングになります」三浦には、「人生には何よりもまず目標が必要だ」という信念がある。それは彼の生き方を支える基本的な哲学とも言えるもので、70歳を超えてからエベレストへの登頂を目指したのも、1度では満足せずに2度目、3度目の登頂に挑むのも同じ理由からだ。
1932年10月に青森県に生まれた三浦は、営林局に勤めながら山岳スキーヤーとして活躍した父親・敬三氏の影響で、3歳のころからスキーを始めた。北海道大学獣医学部を卒業後、同大学で助手として働いていたが、アルペン競技でのオリンピック出場を目指すために辞職した。しかし青森県の選手権大会の閉会式で「日本人は世界で勝てない」と五輪出場選手を絞ったスキー連盟と対立し、アマチュア資格をはく奪された経験を持つ。
その時、オリンピック出場への夢を断たれたことが、後の彼の人生を大きく変えることになった。「その後、僕はプロスキーの世界に入るのですが、そこでは若い選手たちが次々に現れる。いつまでたっても一番になれないのは明らかでした。そこでスキーを使って人のやらなかったことをやろうと考えたんです。それがスピードの世界記録樹立(当時、172.084㎞/h)や、富士山での直滑降などへの挑戦でした。
飲んで食べてのメタボ生活からエベレストへ
例えば1970年、37歳でエベレストからの滑降に挑戦した時のことだ。三浦が行った山からの滑降はパラシュートを利用する。山頂近くから滑りはじめると同時に直径5mのパラシュートを開き、風の抵抗を受けながら時速約80㎞を維持する。この挑戦でも標高8000mからの速度を調整しつつ一気にに滑り降りようとした。ところが空気が平地の3分の1しかない高地では、何もかもが練習の時とは違っていたという。
「無風の状態でもジャンプしたら、普通は空気の抵抗がある。それが何か真空の中に吸い込まれるような感じなんです。下かか抵抗を受けなければ後ろに引っ張られ、それがなければ前にストンと一気に落ちる感覚。そんな中、クレバスまであと800mくらいのところで転倒したんです。地面は固い氷で覆われていた。スキー板が前足から外れ、なすすべなく滑り落ちながら「もう助からない」と思った。ところが、その最中に自分でも想像していなかった気持ちを、胸の裡で確かに感じたと彼は振り返る。
「変な話ですが、空から誰かに見られているような感覚で、『3000年、3万年、3億年経ったら自分はどこの星で何をしているんだろう』と妙な好奇心がわいてきたんです。不思議なことに恐怖心は全くありませんでした」大きな岩で一度飛び跳ねると、50m滑り落ちたところで体が止まった。もうもうと上がる雪煙が消え、しばらくして生きていることを実感すると、「ああ、もう一度人間の姿で劇場に帰ってきて、三浦雄一郎という役をやるんだ」と胸の奥で呟いたという。
『週刊現代』
後継者・正恩に不満を抱く軍部が、ついにクーデターを決意する。危機を察知した金正日総書記は、ある取引によって中国に支援を要請。金正日・正恩親子と軍部の争いは最終局面を迎えた。
狙われたロシア行きの列車
”金王朝”の後継者をめぐる北朝鮮の権力闘争が、ついに一銭を超えた。 去る6月30日、ロシア極東連邦管区のイシャエフ大統領全権代表は、かねてから噂されていた金正日総書記のウラジオストック訪問が突然中止になったことを発表した。「金総書記は京やってきて、メドベージェフ大統領と会談するはずだった。どうして来なかったかは、わからない」イシャエフ代表はそういって現地の記者団に困惑の表情を見せたという。
金総書記は、‘02年8月にウラジオストックでプーチン大統領(当時)と会談しいて以来、ロシアを訪問していない。今回の訪ロは実現していれば9年ぶりということもあり、周辺国からも高い関心が寄せられていた。北朝鮮にとっても訪ロは極めて重大な意味を持つはずだった。元韓国国防省分析官の高永吉・拓殖大学研究員はその狙いをこう分析する。
「おそらく、金総書記はメドベージェフ大統領に武器供与など、何らかの軍事的援助を求めるつもりだったのでしょう。というのも、金総書記は昨年3月の韓国哨戒艦『天安』撃沈事件や、11月の”ヨンピョン島砲撃事件”の報復攻撃を米韓が仕掛けてくることを恐れているからです。実際、先の中国訪問では、胡錦涛・国家主席に中国製最新鋭戦闘機30機の提供を求めたのですが断られてしまった。そこで仕方なく、総書記は古くから軍事交流のあるロシアに助けを求めたかったのでしょう
それほど重要なロシア訪問を”ドタキャン”したことkら、各国のメディアでは金総書記の健康状態悪化を指摘する声が上がっている。だが、北朝鮮事情に詳しい公安関係者は健康悪化説を一蹴する。「7月上旬の労働新聞には、芸術公演に出かけた際の金総書記の写真が大きく掲載されていたが、顔色はすこぶる良かった。また金総書記は‘8年に脳卒中で倒れて以来、タバコをやめていたのだが、最近は再び吸い始めたとの情報もある。今のところ、健康に問題があるとは考えにくい」
体調不良が原因でないとすれば、大国であるロシア大統領との会談をそでにした理由とはなにか。各国の北朝鮮担当者が首を捻るなか、北朝鮮を担当する中国政府の外交関係者が、本誌に真相を明かした。「確かに、金総書記は、いま、周辺に訪ロの並々ならぬ意欲を持っていた。しかし、出発直前になって、北朝鮮国内で金正日・正恩親子を狙うクーデターが勃発する恐れがあるとの情報が飛び込んだため、やむなくキャンセルしたと聞いている。
6000㎞に及ぶ長旅
この外交関係者によれば、クーデターの首謀者は北朝鮮軍部で絶大な権力を持つ金永春・国防委員会副委員長兼人民武力部長だという。金永春部長は総書記就任以前から”忠臣”として金正日をサポートしてきた人物である。『先軍政治』(全てにおいて軍事を優先するという思想)を標榜する北朝鮮にあって、国権の最高機関とされる国防委員会の副委員長にまで上り詰めたのも、金総書記の篤い信頼があったからだ。
そうした人物が金総書記に牙を剥くとは信じ難い。だが、金永春部長は金総書記の後継者である三男の正恩・朝鮮労働党中央軍事委員会副委員長に強い反発を抱いているという。「正恩は『改革開放・経済発展』路線を推し進めているが、もし改革が実現すると、これまで『先軍政治』によって支えられてきた軍の既得権益が失われてしまう。だから金永春は正恩の後継を絶対に認められない。そしてあくまでも正恩が改革路線を進め、金総書記がそれを黙認するのであれば、金親子から権力を簒奪することさえやむを得ないと考えている」(中国外交関係者)
確かに、ここ数年の北朝鮮では、金永春部長が正恩副委員長をけん制する動きが随所にみられる。例えば‘09年、正恩副委員長は経済改革の一環としてデノミネーションを断行したが、この政策を軍への挑戦とみなした金永春部長は翌年、デノミの表向きの責任者である朴南基・労働党計画財政部長を”公開銃殺刑”に処した。
昨年3月に正恩副委員長が外貨獲得のために国家開発銀行を発足させると、金永春部長はすかさず韓国哨戒艦『天安』を撃沈し、北朝鮮への投資ムードを潰してみせた。北朝鮮がいかに独裁国家といえども、すべてが金正日総書記の思いどおりにいくかといえばそうではない。水面下では、これまでは忠実な下僕として総書記に尽くしてきた部下と息子による、熾烈な権力闘争が繰り広げられているのだ。
前述のような金永春部長の謀反に対し、金親子も手をこまねいているわけではない・息子・正恩への権力移譲を速やかに進めるために、金総書記はある”秘策”に打って出た。5月20日から26日にかけて、金総書記は実に6000㎞もの列車による長旅を強行した。わずか1年間で3度目となるこの訪中における最大の眼目は、中国国境にある『黄金秤島』の鴨禄江の中州にある小島。明・清朝時代は中国に属していたが、第二次世界大戦後、北朝鮮が実効支配した。
開放経済を目指す金正恩副委員長は‘09年1月に、この黄金秤島を「経済特区」とし、自由貿易の島にしようとした。ところがこの時は金永春部長一派の横やりが入り、特区計画は一向に進まなかった。この妨害工作に業を煮やした金総書記は中国を訪ね、胡錦涛主席とのトップ会談に臨み、中朝共同での黄金秤島の経済特区化を話し合ったのである。
中国にしてみれば、開発利権をものにし、莫大な利益を得らえるおいしい話である。しかし金総書記とて、タダでこの島の利権を譲り渡すわけではない。実は胡錦涛主席との会談において、金正書記は黄金秤島の開発を付与する見返りに、中国が金親子を全面的にバックアップすること、そして金正恩副委員長がこの計画の主導者になることを了承させたのである。
………
人民解放軍という後ろ盾を得て強気になった金総書記は”天敵”となった金永春部長をパージしたというわけだ。そして金総書記から干されたことを悟った金永春部長は、ついにクーデターを決意した。これが、5月から6月にかけ、平壌の”奥の院”で繰り広げられた権力闘争の全貌である。「金永春は、ロシアを訪問する金総書記の列車を爆破するとともに、軍を動かし国内にいる正恩を暗殺するつもりだったといわれる。
一方、その計画を察知した金総書記は、あえて無人の専用列車を走らせ、もし爆破されればただちに金永春一派を一網打尽にするという作戦を練っていたという。実際、一部韓国メディアの報道によると、金総書記を乗せたとみられる特別列車は6月28日の時点で、中ロ国境付近に停止していたという。
中国のバックアップを得てもなお、金親子は金永春派の動きに細心の注意を払う必要がある。むしろ、後継をめぐる権力闘争がいよいよヤマ場を迎えつつあると見ているだろう。というのも、正恩副委員長が指揮する政策のほとんどが失敗続きで、永春派が「これが最後の好機」とばかりに、いつその隙を突いてくるとも知れないからだ。
『週刊現代』
2011年08月04日(木) |
日本VS中国「高速鉄道バトル」 |
6月30日、北京―上海間の1318㌔を最速時速300㌔、最短4時間48分で結ぶ高速鉄道が正式に開業した。「中国の二大都市を結ぶこの一大事業の完成を、中国の国内メディアは自画自賛で報じるお祭り騒ぎ状態である。でも実際は、ほかの国から提供された技術をパクったうえに、”独自技術”と主張して開発されたものですからね。国際社会から厳しい視線が集まっています」(国際部記者)
中国国内では、高速鉄道の運行が07年から始まり、それは「中国鉄路高速」、または「和諧号」と呼ばれている。これらの高速鉄道は、日本やドイツ、フランスなどからの技術供与を起訴に開発されたもの。今回、北京―上海線に導入された『CRH380A』型車両は、日本の川崎重工による『はやて』の技術を応用して開発された『CRH2』の発展型で、基礎となる技術は当然、日本のものである。「ところが中国側は、”『CRH380A』は独自開発した車両”と主張。それどころか、米国で技術特許を申請する予定があることが判明しました」(前同)
日本から中国への新幹線技術の供与は、あくまでも中国国内の利用が条件だったが、海外への車両輸出を狙う中国は「国産技術」と主張しているのだ。「当然、日本側は”契約違反”との懸念を表明していますが、中国側は、”独自開発”一本槍で居直っています」(国際ジャーナリスト)
のみならず、7月7日には、中国鉄道省報道官が、逆に〈中国の鉄道の多くの技術は日本の新幹線よりはるかに優れている。日本にも技術を提供したい〉と、国内報道機関のインタビューで述べる始末。中国の高速鉄道は、日本の新幹線と比べてどうなのか。評論家の宮崎氏に聞くと、「北京―上海間の新幹線はとても乗り心地が良かったです。時速300㌔という速度は、250㌔の日本の新幹線より早く、スピードでは日本は負けますよ」との意外な答え。だがこれには理由がある。
「中国の新幹線が早いのは、全24の各駅が一直線に結ばれて、レールも一直線だからです。大平原の中に、無人島のようにポツンと駅があるだけで、その周辺には何もありません。こうした直線ルートを可能にしたのは、中国が独裁政権だからでしょう。北京―上海を地図上で一直線に引いて、邪魔になる施設を強制的に排除して、土地を収用する手法が使われたからです(前同)これでは、途中の省、市にとって何のための鉄道かわからない。
サービス面でも日本の圧勝だ。「中国新幹線では、キヨスクみたいな売店は構内にはなく、駅の周辺でお世辞にも美味いとはいえない弁当やラーメンしか口にできません。コーヒーもインスタントで、改札を入ってしまうとホームには何もない。何も食べられない、苦痛の4時間でしたね」
日本人はあまりにも人がよすぎる
64年の開業から半世紀近くもの間、日本の新幹線は無事故を誇るが、安全性を中国新幹線と比較すると、「南京―上海新幹線も、1318㎞を着工からわずか3年の突貫工事で完成させており、安全性には大きな疑問が残りますね(前出国際ジャーナリスト)また、その採算は厳しいものがあるという。「乗車率が低く、ひどい赤字経営。北京―上海線以外の5本の高速鉄道は、、いずれも乗車率を上げることが喫緊の課題のようです」
乗車料金は、北京―上海間の最速列車2等車で、555元(約7000円)。「6月30日の開業日分を除けば、北京―上海間でも座席予約率は20%前後と苦戦しています」と、運賃が高すぎることが、低い乗車率の原因になっているようだ。日本の東海道新幹線の場合は、乗車率の向上に全力を挙げて取り組んだ結果、開業から3年目には黒字に転換。7年目には投資を全額回収している。
しかし、諸手を挙げて喜ぶわけにはいかない。前出の宮崎氏が語る。「日本人はあまりにも人がよすぎる。自動車だろうとITだろうと、中国は製品を一つだけ購入して、あとは真似るだけ。それを自国製品、自国特許だと主張するんです。こうした日中間のビジネス戦争に、日本はこのままでは勝てませんよ」高速鉄道バトルでは圧勝でも、ビジネスにおいては、今後も中国には頭を悩まされそうである。
『週刊新潮』
2011年08月02日(火) |
なでしこ国民栄誉賞辞退も |
―政治目的に使われた賞―賞をもらって五輪出場を逃したら
枝野官房長官(47)は25日の会見で、「幾多の試練を乗り越え、初優勝という偉業を成し遂げ、国民にさわやかな感動と社会に明るい希望を与えた」と理由を話した。検討段階とはいえ、会見で明かしておきながら「やめました」では、ブレたと批判されかねない。ほぼ決まりなのだろう。
自民党の爆弾男こと西田昌司参議院議員(52)は「本当ですか?」と驚いた。「あげるのは賛成だ。しかし、なでしこが可哀想。菅は自分の人気回復のためにやろうとしているわけでしょ。政治目的ですよ。そもそもこれまでの政権も政治目的で授与してきたのは事実なんだけど…。菅はあげたらさっさと辞めろ!」と複雑な心境を明かした。
国民栄誉賞の政治目的とは一体どういうことなのか。ベテランの議員秘書は「一人目の受賞者は王貞治氏(71)で、福田内閣の時でした。ホームランの世界記録を出したから何かあげないとというところから始まったのですが、「当時から政権浮揚のためとも指摘されてきました」という。当時自民党では第二次角福戦争前夜だった。
海部内閣での千代の富士(九重親方=56)の受賞も、故宇野宗佑元首相(享年75)の女性スキャンダルから国民の目をそらすためとの見方ある。その宇野内閣も消費税導入への批判を和らげるために、参院選の直前に故美空ひばりさん(享年52)へ授与したといわれている。
魁皇にやらないのか?
永田町関係者は「基準が曖昧だから政治に利用されてしまう。政権側の動機が不純だから、この人にあげていないのはどうしてなのかとなる。なでしこのケースだって魁皇の名前が出てこないのは不思議」と指摘。千代の富士が受賞した直接の理由は「通算勝ち星最高記録の更新」だった。魁皇はその記録を更新したのだが…。
西田参院議員は「なでしこの名前が出て魁皇が出ないのは基準がはっきりしないからなんだよ」。基準がない以上、結局は国民的なムードで決まる。魁皇よりブームを起こしているなでしこに授与したほうが、菅政権にとっては政治目的にかなうわけだ。
国民栄誉賞受賞者 1977 王貞治 1978●古賀政男 1984●長谷川一夫 1984●植村直己 1984 山下恭裕 1987 衣笠祥男 1989●美空ひばり 1989 千代の富士 1992 藤山一郎 1992●長谷川町子 1993●服部良一 1996●渥美 清 1998●吉田 正 1998●黒沢 明 2000 高橋尚子 2009 遠藤 実 2009 森 光子 2009●森重久弥
●は受賞時に故人
『日刊スポーツ』
2011年08月01日(月) |
ビタミンDには絶大な効果が |
高齢者は、転倒による骨折で寝たきりになり、それがきっかけで認知症になることも少なくない。つまり、転倒→骨折→寝たきり→認知症という可能性を、高齢者はラジオ体操によって回避できることになる。高齢者のみならず、熟年世代にとってもラジオ体操は大きなプラスがある。
「早起きして朝の光を浴びること。これは心身の健康にとって実に大切なことです。その意味でラジオ体操は、とてもいい習慣だと思います」こう説明するのは『宮本通りクリニック』(東京)渡会敏弘院長である。朝の光を浴びるのと、体内にビタミンDが蓄積される。ビタミンDはカルシウムの吸収を促進し、丈夫な骨や歯を造るビタミンとして知られるが、ここ数年の疫学調査で、なんと大腸や肺、前立腺、乳房などのガンに高い予防効果があることがわかってきた。
カリフォルニア大学のガーランド教授は、血中ビタミンD濃度が高い人は、低い人より大腸がんの発生リスクが79%も低いという驚くべき研究結果を報告している。日本の国立がんセンターでも、ビタミンDとガンの関連性についての研究がおこなわれ、ビタミンDの血中濃度が低いグループは、高いグループと比べて男性で4.6倍、女性で2.7倍も大腸ガンの罹患率が高くなるという研究結果を発表している。
太陽の光をたっぷり浴びてビタミンDを蓄積することは、そのままガン予防になるといっても過言ではないのだ。さらに、ビタミンD と疾病の関係について詳しい『食品医学研究所』の平柳要所長(医学博士)によると「ガン予防に加え、糖尿病や高血圧などの生活習慣病にも効果があり、さらに脳卒中や心不全といった心血管系疾患のリスクを軽減します」という。
血中のビタミンD濃度が高い人は、低い人より糖尿病のリスクが63%軽減する。血圧についても、男性の84%、女性の63%がビタミンDの血中濃度を上げることで低くなることがわかっている。ビタミンDがなぜ、ガンや生活習慣病のリスクを軽減させるのか。これも最近の研究で明らかになりつつある。 ビタミンDには免疫細胞を活性化させる働きがあり、一日に数千個発生するガン細胞を殺している。血管系の疾病に効果があるのは、ビタミンDが血圧をコントロールする遺伝子に働きかけ、正常な作用に戻そうとするためだ。ビタミンDは、食品にも含まれるが、日光浴によって蓄積されるビタミンDは無駄なく体内に取り込まれて、必要以上の量を作らない。つまり、吸収率がよく、摂り過ぎによる副作用もないというわけだ。「夏に日焼けすると、冬になっても風邪などにかかりにくい」といわれるのは、こんなビタミンD効果が大きいのである。
朝早く起きて太陽の光を浴びることは、精神的な安定という面でもプラスに働く。「『セロトニン脳』健康法」(講談社α新書)などの著書がある有田秀穂・東邦大学医学部教授によると、「朝起きて太陽の光を15~20分ぐらい浴びて体を動かすことは、自律神経の働きや精神面の健康にとって大きい効果がある」という。これは脳の神経伝達物質のセロトニンと関係している。セロトニンはうつ病の治療にも使われる薬で、この物質が脳で十分に働いていると、”穏やかでリラックスしていながら集中力はある”という意識状態を保つことができる。
『週刊新潮』
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