加藤のメモ的日記
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2013年08月30日(金) |
南海トラフ巨大地震が来る ② |
危険な時期もわかっている
実は今、このGPSの驚くべき異変が観測され始めていると、村井名誉教授は話す。「今年1月からの、四国周辺に設置されている複数の電子基準点の動きをみると、6月以降我々が警戒すべき移動幅と我々我が考えている値を超える動きをする観測点が急速に増え始めている。愛媛県の宇和島から高知県室戸、和歌山県金屋まで、きれいに南海トラフに並行して異常値が出ています。東海、東南海では異常が出ていないので、3連動ではないけれども、南海トラフを震源とする南海地震が起きる可能性があるのじゃないかと思っているのです」
その地震の規模について、村井名誉教授と共に予知情報を提供している、地震科学探査機構(JESEA)の顧問を務める荒木博士はこう語る「南海地震の震源の断層の長さからすると、M7以上になるでしょう。沿岸部での震度は6強になる可能性があります。紀伊半島から九州までの範囲で、津波が大きくなる危険性もある」ではその地震はいつ発生すると考えられるのか。「巨大地震の予兆は6カ月くらい前には出ますので、これから冬にかけてが警戒すべき時期といえるでしょう。今年の12月から来年の3月までを警戒期間としたい」(村井名誉教授)
実は、この研究と全く関係のないところで、本誌は村井名誉教授らの予測と奇妙に符合する証言を聞いている。武蔵野学院大学の島村特任教授が語った、こんな言葉だ。「これは学問的にはまったく解明されていいないことなんですが……。歴史上知られている南海トラフ地震と思われる地震は13回あるんです。その13回はすべて、8月~2月にかけての期間に起こっている。不思議なことですが3月~7月の間には起こっていない。これがまったくの偶然で起こる確率は、統計学的に見て2%程度。しかし、原因は全く解らない。さらに言えば、13回のうち5回が12月に起きているんです。もし季節が地震に影響するなら、8月になれば危険シーズンに入り、12月が一番危ない、ということになるでしょう」
ますます現実味を帯びる南海地震の予測。だが、村井名誉教授は、現状では地震の直前になればなるほど、GPSでの予測は限界に行き当たってしまうと話す。「問題は、我々はリアルタイムに警告を発せられないということなんです。なぜかというと、電子基準点を運用する国土地理院が、計測の2週間後にならないとデータを開示してくれないからです。計測自体は24時間、30秒おきにされているにもかかわらず、ですよ。彼らはリアルタイムでは間違いがあるかもしれないから、正確かどうか確認してからでないと公開できない、という。その理屈はわかりますが、人の命を救うために使えるのだから、多少データが荒くても構わないと思うのですが……」
「満ち潮」に注意せよ
ここでもう一つ、日本のメディアではあまり注目されてこなかった研究成果を紹介しよう。それは2012年12月、ごく地味な科学記事と新聞が報じた「東日本大震災は、月と太陽の引力の影響が大きい時期に発生した」という防災科学技術研究所の田中研究員の成果だ。実はこの研究は、巨大地震の発生する時期を予測する強力な武器になるかもしれない可能性を秘めている。田中研究員と共に、共同研究を行なったことのある、米国カリフォルニア大学のエリザベス・コークラン博士はこう語る。
「地球には、月と太陽の引力の影響が及ぼされています。例えば、月と太陽の引力は海水を引きつけ、満ち潮と引き潮を生みだしますね。それと同じで地球自体も1日2回、大きく変形させられ、地表面が20センチも動いている。これを地球潮汐といいます。私たちは2004年にこの地球潮汐と潮の満ち引きによる海洋荷重が、断層にどのようなストレスを与えるかを研究しました。1977年から2000年に起こった地震2027件について調べたところ、その75%が潮位が基準海面より1.8メートル高い時に起きていたのです。
断層の上に月と太陽の引力で海水が引き寄せられ、満ち潮になると、断層には重みがかかる。地殻変動の結果、地震が起きやすくなっている場所にこうした力が加わると耐えきれなくなった断層がはじけ、地震が発生するという。コーラック博士はこう続ける。「田中さんの最近の研究では、東日本大震災の前36年間に震源の近くで起きた地震約500件を調べると、巨大地震に近づくにつれて、高潮のときに地震が起こる割合が増えていたのです」
つまり、フランスのブション博士が指摘した東日本大震災の前震の多くは、東北沖で潮が満ちたとき起きていたのだ。「この方法を、すぐに地震の短期的な予測に結びつけるには、いくつかの大きな困難があります。ただ、もしあらかじめ地震が懸念されているエリアがあるのであれば、巨大地震の前に起こる地震と潮の相関関係をみることで、巨大地震を予測できるかもしれません」(コークラン博士)
私たちが次に地震が来ると心配しているエリアは、すでに決まっている。南海トラフの周辺だ。ならば、このエリアで潮が満ちたときに前震が頻発するようならば、それが明確な危険信号になるのではないか。直近で、南海トラブに近い高知県の室戸岬周辺が8月で最も潮位の高い大潮となるのは8月21日前後。以後、9月20日、10月6日、11月4日、12月4日前後が各月の最高潮位となる大潮の日だ。これらがXデーとなる可能性は否定しきれない。この他にも、さまざまな手法で地震の予知に真剣に取り組もうとしているものを二つ紹介する。
■上空の電子数
北海道大学理学研究所の日置教授らは東日本大震災の直前に、東北地方の上空で電子の数が多くなっていたことを発見した。地球の大気にある「電離層」と呼ばれる部分では、宇宙から降りそそぐ放射線が空気にぶつかって分子中の電子がはじき出され、空中の電子の濃度が高い。村井名誉教授らも使った高精度のGPS衛星からの電波を使って自分の位置を知るが、衛星から出るマイクロ波は、電離層にある電子にぶつかって、地上に届く時間が少し遅れることが知られている。
日置教授らは、大地震の直前にGPSの電波がどれだけ遅れていたかを計算した。すると東日本大震災では約1時間前から上空に異常が現れ始め、次第に上空の電子が増えだしたというのだ。同様の異変は2004年12月と、2007年スマトラ沖地震と、2010年2月のチリ地震直前のデータからも読み取れた。この手法を使えば、1時間前という、まさに直前の大地震予知が可能になるかもしれないのだ。
■深部低周波微動
防災科学研究所の提供する、人の感じない程度のわずかな地震も記録するHi-netの情報をもとに。近年解析が進んだもの。特に東海地方や紀伊半島周辺では、人が感じるような有感地震の数日前から直前にかけて、地下30㎞付近で起こるゆっくりとした揺れの深部低周波微動が起こることが分かってきている。例えば、2011年8月1日の駿河湾で起きたM6.1の地震の2~3日前には1日に40回近い深部低周波微動が観測されている。ちなみみ地震の一ヶ月前までや地震後は、深部低周波微動はほとんど起きていない。東海地方の地震・防災関係者の間では、これが来るべき南海トラフ巨大地震やその一部である東海地震の直前予測に結び付く可能性があると期待を集めている。
さまざまな研究が示す、南海トラフ巨大地震予知の可能性。その情報に接したとき、私たちはどうすればいいのか。都市防災が専門の渡辺・まちづくり計画研究所所長はこう話す。「残念ながら、現状では政府が責任を持って予知情報を発信してくれる仕組みは、東海地震以外、存在しません。もし個人レベルで予知を聞いても、むやみに他人に言わないことです。『会社を休んだのに何もなかったじゃないか、お前のせいだ』と責められても誰も守ってくれない。逆にえば、もし研究者が個人的に『地震が来そうだ』と発表したときは、それだけのリスクを背負って発言したことになる。その勇気や誠意だけは、もし外れても評価していいでしょう」いずれにしろ、南海トラフ大地震は必ず来る。
地震予知法はこんなにある
①GPSで変動予測 国土地理院が全国1240カ所に設置しているGPSによる電子基準点で大地の変動を察知する。地震の半年ほど前から、大地の大きな伸縮が繰り返し観測され始めることが多い。実現性は○○○
②上空の電子数計測 GPS衛星から送られるマイクロ波が上空に浮かぶ電子にぶつかって遅れることから電子の数をはかる。大地震の1時間ほど前から直前予知に効力を発揮する可能性が出てくる。
③電磁波の撹乱観測 地震発生の数週間前から、FMラジオの電波などが本来届かないはずの遠方まで届く現象などが観測される。震源地を挟んで電波の発信元と受信先を設置する必要があり、観測体制の整備が課題である。
④前震の活発化 海溝型地震の震源になると予測される場所で小さな地震が発生し、その頻度が増加していくようなときには、大地震につながる恐れがある。ただし関係ない小さな地震と区別するのが難しい。
⑤深部低周波微動 防災科学研究所の公開しているHi-netで観測できる。東海地方や紀伊半島ではほとんどの有感地震の前にこの現象が発生した。ただし、どの地域でも同じような相関関係があるわけではない。
⑥動物の異常行動 地震の前兆として有名だが、科学的には未知数である。ただし中国では1975年海城地震の際、市民から寄せられた動物の異常行動の情報などから、予測避難を行ない被害の拡大防止に成功した。
⑦地震雲 報告例は多いが、多くの科学者は懐疑的である。震源と関係ない位置で観測されるものがほとんどだからだ。ただし、震源の直上で地震直前、太陽が歪んで見えた例などもあり、大気が変化した可能性はある。
⑧月と太陽の引力の変化 統計的には月と太陽の引力の影響が大きい時期に大地震の多くが発生している。必ずしもその時期だけに地震が起こるわけではないが、より地震に注意すべき時期は直前に知ることができる。
『週刊現代』8.17
2013年08月27日(火) |
南海トラフ巨大地震が来る ① |
南海トラフ巨大地震は確実にやってくる。問題はそれがいつ起こるかだ。海外で発表された論文は、その予知が実現する可能性を示していた。日本政府・学会が及び腰の予知研究の最前線がここにある。
確率は8割
前震とは、大きな地震の前に、その震源周辺で起こる比較的小規模な地震のこと。前兆現象の一種だ。だが、これまでの地震学の常識では、前震は起こる場合も起こらない場合もあり、とらえるのが非常に難しいとされてきた。そこで、ブション博士らは、観測体制の整っている日本の沿岸を中心とした太平洋沿岸で、1999年1月1日~2011年1月1日日に起こったM6.5以上、震源の深さが50㎞より浅い地震を抽出した。
このうち東日本大震災や南海トラフ巨大地震と同じ、プレートの境界で起こるタイプの地震31個を調べたところ、25個の地震で大きな地震である本震の前に、震源周辺の地震活動が活発化する、前震の増加がはっきりと観測されていたことが判明したのだ。たとえば、2005年12月2日の宮城県沖地震(M6.5)では、地震4日前から最大M2.9の小さな地震が頻発。本震直前の4時間でさらに小さな地震が急増していたことが分かっている。
こうした現象が、31回中の25回で観測されていた。率にして、実に8割。「前震はあるかないかわからない。あっても普通の地震と区別できない」などと言って傍観している場合ではない。海溝型地震が起こり得る地域では、地震活動が活発化した段階で、「これは大地震の前震の可能性が高い」と考えるべきなのではないか。
電磁波による地震予知の研究が専門の、東海大学地震予知研究センター長・長尾氏はこう話す。「これほどはっきりと前震が捕えられるというのです。ならば、『この地域は今、大きな地震が来そうになっていますよ』と警告を出すシステムをつくるのに技術的困難はまったくない。『ここまで前震が活発化したら警告を出す』という値をあらかじめ決めておいて、あとは従来通りの観測体制で見守っていればいいのですから」
関係者が青ざめたのは、この地域で博士らが用いたデータが、何も特別なものではなかったからだ。彼らが利用したのは気象庁も観測している、ごく一般的な地震計のデータだった。実際、東日本大震災の直前には2月13日から地震活動の活発化が起きていた。M5以上の地震だけでも4回もの地震が震源地域で起きていたのだ。さらにブジョン博士が指摘した震災2日前の地震後は、継続的に地震が続いていた。気象庁はこれについて、「震災2日前の地震の余震かもしれず、前震とは区別がつかなかった。前震は本震が来てみないと、そうだったかどうかわからない」としているが、そもそも前震は分からないものだという思い込みが、目を曇らせていた可能性がある。
この論文を気象庁はどう受け止めたのか。「この論文の結果は、多くの地震のデータを集めて研究することで初めて分かったもの。結果論であり、実際にどこかで地震が活発化したときに、あらかじめ大きな地震の前震であるかどうかを見分ける方法を述べたのもではありません」あくまで予知には役立たないと否定的だ。
確実な前兆がある
それもそのはず、実は1995年の阪神・淡路大震災以降、日本の行政も学会も、予知研究を真面目にやる気がまったくなくなっていた。当時大地震を予知できなかったとの批判を受けて、政府も学会も自ら予知研究を放棄し、責任を追及されないための体制を作り上げてきたからだ。なにしろ、気象庁には、独自に地震予知を研究する権限がない。大学の地震研究者に研究費をつける文部科学省の地震・防災研究課長は2008年以降、代々が農林水産庁からの出向。地震や防災とは縁もゆかりもない官僚で、最先端の研究など知る由もない。
そして2012年10月にはついに日本地震学会が「地震予知検討委員会」を廃止すると発表した。挑戦しても失敗すれば責任問題になるだけの地震予知から、誰もが目を背けようとしているのだ。だが、そうしている間にも、南海トラフの巨大地震は確実に近づいている。南海トラフ大地震は最大で死者32万人、経済的損失220兆円、被災者950万人という途方もない被害をもたらす大災害だ。
震源地域は大きく3つに分かれており、駿河湾から静岡県沿岸部の沖合を震源地とする東海地震、愛知県~和歌山県沖を震源とする東南海地震、和歌山県~高知県沖を震源とする南海地震がある。この3つが連動して起こる3連動地震が発生すれば、名古屋、大阪の大都市圏や、太平洋沿岸の工業地帯などが最大震度6強~7の揺れに襲われ、さらに場所によっては30メートルを超える巨大な津波の襲来を受けて、日本の社会・経済はいっきに崩壊寸前の状況に追い込まれる。この南海トラフ巨大地震の前兆も、東日本大震災と同じように見過ごされてしまうのか。それは絶対に避けなければならない。実はすでに予知研究を行なっている科学者の中には、この南海トラフでの大地震の前兆をとらえているかもしれない、と話す研究者がいる。
「2013年に入ってから、震度5弱以上の地震はこれまで8回ありましたが、そのすべてについて我々は異常を検知しました。昨年は震度5弱以上の地震16回のうち、12回で異常を発見しています。ですから、昨年は75%、今年は今のところ100%の確率で予測が当たっていることになりますね」そう語るのは、測量学が専門の村井東京大学名誉教授だ。村井氏らは、国土地理院の設置しているGPS観測網を利用して、独自に地震の前兆をとらえる試みを行なっている。
たとえば、東日本大震災の前に、宮城県牡鹿半島に設置されたGPSが、3月11日の数日前から、大きく大地が動いていたことがわかる。村井東京大学名誉教授は「我々が使っているのはGPSです。昔は山の上には測量のための三角点というのがありましたが、現代ではその代わりに国土地理院の電子基準点(固定GPS受信局)が全国に1270カ所に設置されています。GPSというと、カーナビなどをイメージされるかもしれませんが、カーナビの誤差は1~数mです。一方この電子基準点の誤差は数mmで非常に精度が高いのです」
この高性能の電子基準点が、地震の前兆をとらえていたという。「私たちは約160回分の地震時のGPSデータを調べ、地震が起こる前の段階で変動が起こっていることを突き止めました。あまり小さな地震では前兆がとらえにくいのですが、M6以上のものならJPSでとらえることができます」
『週刊現代』8.17
アントニオ猪木 参議院議員
7月21日の参議院選挙で当選した猪木寛至(アントニオ猪木)氏は、筆者が尊敬する政治家だ。猪木氏は、1989年から1995年まで参議院議員をつとめた。この時は「スポーツ平和党」の党首、つまり一国一城の主だったので、猪木氏は自由に世界を飛び回っていた。もっとも飛びまわる先は、サダム・フセイン下のイラク。ここで猪木氏は人質41人を解放した。他に北朝鮮、キューバなどの「ならず者国家」ばかりだった。
同時に猪木氏は、ソ連、ロシアに対しても、強い関心を持っていた。北方領土で「平和の祭典」を行なって、世界的に有名なプロレスラー、格闘家、ボクサーを呼んで興業を行ない、旧ソ(露)の信頼関係を強化し、北方領土返還の環境整備をするというのが猪木氏の戦略だった。ところで、猪木氏はソ連時代は内務省系ルート、ロシアになってからは学術財団を偽装する旧KGB(ソ連国家保安委員会=秘密警察)系の団体を窓口にしてモスクワにやってきていた。裏世界で生きる彼らは、率直に言って筋のいいロシア人たちではない。
猪木氏は国会議員なので、訪露するならば、外務省の業界用語で言うところの便宜供与(アテンド)をしなければならない。猪木訪露は「筋悪案件」と位置づけられていた。当時の渡邊幸次駐露大使は、「プロレスラーだろう。よく食うんだろうな。俺はそんなのとは会わないよ。君たちの方で適当に案内しておいてくれ」という態度だった。それだから担当官はいるも佐藤優三等書記官だった。筆者は、猪木氏に魅了された。それだから御縁が現在も続いている。当時の大使館では、東郷特命全権公使、政務班の森行使、篠田参事官は、猪木氏のファンになった。ちなみにプロレスファンで、時々試合を見に行く。
猪木氏は発言と行動の間の乖離が著しく少ない人だ。天から与えられた使命があると確信している。猪木氏にお願いして当時、エリツィン大統領の最側近だった、シャミールスポーツ担当大統領顧問との人脈をつけることができた。この人脈は北方領土交渉の環境整備に大いに役立った。モスクワで猪木から力道山に対する熱い想いを聞いた。恩師である力道山の気持ちを追体験したいというのが猪木氏の初心で、飛び込みで北朝鮮と人脈をつくった。北朝鮮は猪木氏を信頼し、カウンターパートナーは、北朝鮮のインテリジェンス最高責任者と言われていた故・金浴淳(キムヨンスン)がつとめた。
猪木氏は朝鮮戦争休戦60年を祝う軍事パレードに出席するため、7月25日から訪朝した。北朝鮮の序列ナンバー・ツーの金永南(キムヨンナム)最高人民会議常任委員長(元外相)のほか、国際関係を総括する金永日朝鮮労働党書記や、張成沢(チャンソンテク)国防委員会副委員長らと会ったらしい。しかし、これら表に出た報道とは別に、猪木氏は、金正恩(キムジョンウン)政権下のインテリジェンス機関とのチャンネルを開いたと筆者はみている。猪木氏の動静を注意深くウォッチしていれば、北朝鮮のインテリジェンスがどのような問題に関心を持っているかがわかる。
『週刊現代』8.17
もう民主党は解党すべし。このままでは一般国民は、自民党と心中するしかない。
大方の予想通り、自民党の圧勝、民主党の惨敗で終わった参院選。何となく白けたムードが伝わってくる。こんなことを続けていては、日本はどうなるのかという漠然とした不安が広がっていると思う。二大政党的政権交代が実現したのは、たった4年前である。国民の思い切った決断を受けた民主党は、たった3年で自滅してしまったが、その間に民主党は何をしたというのか!何もしていない。原発問題にしても、TPP問題にしても、ただただ玉虫色にしておいて、ひたすら民主党の失策・敵失を待っていただけだ。
民主党は、小さな失策を重ねながらも、何とかしのいでいた。しかし、3番目に登場した野田佳彦が何をトチ狂ったかマニュフェストで増税しないと言っていたのに、財務省に乗せられて消費増税を決めてしまった。そして最も拙劣だったことは、「三党合意」といって共同責任の形をとりながら、ひとり、民主党だけで罪を被ってしまったことだ。自民党の仕掛けたワナに見事にハマってしまった。
その上責任の所在もはっきりさせぬまま総選挙をして歴史的惨敗を喫した。もっとひどいことにその総括もせず、野田の責任も問わぬまま参議院選挙に臨むという「自殺行為」に出た。聞けば野田は、先頭に立って選挙応援をしていたというではないか。ボクも一時は席を置いた事のある、この政党は狂っているとしか、言いようがない。それでも参院選後の総括に一縷の望みを持っていたのだが…。
民主党の両議員総会で何が決まったか。参院選大敗の責任をとったのは細野幹事長のみ。海江田代表は「私の信任のための代表選はあり得ない。やる時は私の引く時だ」といって居座ったという。それにはボクがいた頃からすでに妖怪じみていた「平成の妖怪」ともいうべき興石東参院会長の後押しがあったらしい。「代表選をやるというのは海江田辞めろってことだ。細野はもう終わったな」という声が聞こえてきた。何だいこの党は!興石さんはボクと同世代だから、70代の後半だろう。そんな”化石”がいまだに牛耳っているのか。選挙に大勝した党ならあり得るが、惨敗した党には絶対あり得にはずだ。
細野に代わって大畑というのも全く解らない人事である。大畑は人も知る、原発再稼働賛成派である。消費税アップの野田で惨敗した上で、原発再稼働で棺桶にクギを打とうというのか。今の民主党で唯一有権者に受けているのは「2030年代に原発ゼロ」だけといっても過言ではない。国民の大半は原発の未来に不安を抱いている。その証拠に、無所属ながら山本太郎君が当選したではないか。
もう民主党は”負けたがっている”としか思えない。「誰も責任取らないということはあり得ない」と言って辞任した細野君は正しい。そして41歳の後に65歳の幹事長かい。昔の鳩山由紀夫、中野寛成コンビの再来かね。ボクの同年の石井一さん、岡崎トミ子、一川保夫らの元閣僚の落選は、国民が民主党に”思いきって若返りしなさい”と言っているのが聞こえないのか。
ボクが民主党で、比例区の最高点で当選したときの両院議員総会で、「民主党の生きる道はセンターレフトしかない」と演説した。結構賛成してくれた人もいたが、中には「センターライトだ」と言う人もいた。12年経ってみてごらん。センターライトに舵を切った党は惨敗に次ぐ惨敗。レフトの共産党が一気に伸びてきた。まったく当然の流れである。今回共産党に投票した人の分析をしてごらん。以前は民主党に入れていた人が大半のはずだから。
これからの日本は、安倍政権が長期になるにつけ、貧富の差が拡大していく格差社会になる。「金持ちはより金持ちに、貧乏人はより貧乏に」なるのである。資本主義が社会主義に勝ってから、すべての先進国はその道を辿っている。ボクの住んでいる四つの国は、すべてそうである。こればかりは120%正しいから信じて下さい。だから人々は、一昔前のイデオロギーではなく、自分たちの生活を守ってゆくための”代表”を求めているのである。
より金持ちになっていく人には、自民党があればいい。ではより貧乏になりそうな多くの人たちはどうすればいいか。民主党が間違った道を模索している間に、公明党と共産党に行ってしまったと思う。そしてまだよくわからないまま、自民党をはじめ、自分たちを守ってくれそうもない政党に入れている人も、沢山居る。民主党がセンターレフトになれないのなら、この政党は無くなった方がいい。存在しているだけで、人々の迷惑になるから。思い切って解党して、それぞれ同じ信念を持って人だけが集まって、新党をつくるべきだ。
政治家や評論家はおいしい事を言う。しかし日本に「明るい未来」なんてない。絶対にないのだから。安倍の言うことを聞いて明るくなるのは、ごく一部の人達だけです。これから少子高齢化カーブは急に上がる。雇用と年金のことだけを考えても、お先真っ暗である。国際的企業には、愛国心も、ましてや「愛国民心」もないから。大半の国民は置いてゆかれる。それなら経済のパイを小さくし、自分たちの食べるものは自分たちで作り、多少不便でも原発などなくして安全に暮らそう。経済大国でなくてもいいから、皆で仲良く暮らせる安全な国がいい。
『週刊現代』大橋巨泉 8.17
安倍晋三首相は経済最優先の姿勢を示す一方で、宿願の憲法改正に向けた取り組みは先送りする意向を表明した。その陰で今年秋にも、政府の憲法解釈ににより「違憲」としてきた集団的自衛権の行使の容認に踏み切ろうと目論んでいる。集団的自衛権とは、自国が攻撃されていなくても密接な関係がある国家を武力で守る権利で、要は他国の戦争に加担することである。
これを官僚サイドで主導するのが、兼原官房副長官補だ。外務官僚で第一次安倍内閣時の2006年、当時の麻生太郎外相が発表した新外交戦略「自由と繁栄の弧」構想のブレーンである。この真の狙いは、中国封じ込めである。2回目の登板となった安倍首相は東南アジア諸国などを歴訪し、この戦略を体現すると同時に、自衛隊の敵基地攻撃能力の保持も推し進めている。
安倍首相の意向を踏まえ、兼原氏が米国や防衛省・自衛隊の調整を牽制するが、その反応は芳しくない。とりわけ米国はタカ派の安倍政権にナショナリズムの危険性を察知しており、知日派は「米国との詰めた議論がないまま、集団的自衛権の行使容認の動きが進むことは同盟管理の失敗だ」と言い切る。
防衛省幹部も「米国が積極的に歓迎しない現状で先走るのは危うい」と不安を隠さない。自衛隊関係者は「どのような攻撃力を持つのか、これまで矛の役割を担ってきた米国との緊密なすり合わせが不可欠だが、それが欠落している。敵基地攻撃能力を保有すれば、他の装備を削らなけらばならないが、この調整も手づかずだ」と打ち明ける。理念先行の首相官邸の防衛戦略は、自ら気づかぬまま孤立しているようだ。
反核ムーブメントの隆盛
空前の盛り上がりだった。3万人もが参加した。1982年8月5日、原水禁世界大会である。原水禁とは、原爆・水爆の禁止、核兵器廃絶を訴えるムーブメントのこと。原爆投下から10年後の1955年、広島で第一回原水禁世界大会が開催された。前年の1954年はビキニ環礁でアメリカによる水爆実験が実施された。第5福竜丸の乗組員らが被曝する。原子力怪獣『ゴジラ』も覚醒した。その後、毎年、広島、長崎の原爆記念日の8月6日、9日前後に原水禁世界大会は開かれている。
とはいえ、すんなりとは持続開催されたわけではない。1963年の第9回世界大会は主催団体が原水禁と原水協に分かれて対立、分裂開催となった。平和運動の内実が平和なものではなく、反核ムーブメントの中核が核分裂してしまったとは皮肉なものだ。ときは政治の季節の1960年代。諸党派、労働団体、学生運動組織ら各セクトが入り乱れて、街頭デモでゲバ棒、投石と騒然となった。反核運動の内部でも共産党系、社会党系と党派対立が激化した。その背後にはソ連や中国といった社会主義大国のパワーコントロールが存在したものともいわれる。分裂した原水禁がふたたび統一世界大会を開くのは、14年後、1977年のことだった。
1982年の原水禁世界大会が異様な盛り上がりを見せたのには、理由がある。前年、ライシャワー元駐日アメリカ大使が、米軍母艦に核兵器を搭載していた事実を認めた。明白な非核三原則違反だ!日本中が騒然となった。原水禁のみではない。各種の市民団体が反核をアピールする。作家・中野孝治らを中心に文学社が賛同署名、24万人もの署名が集まった。
1982年5月、国連軍縮総会への東京行動には40万人が参加し、異議を唱えたのが思想家・吉本隆明だ。反核運動の背後には対米・ソ連の操作がある。『「反核」異論』を出版した吉本は、多数の作家たちにケンカを売って、大激論となった。それからおよそ30年後、2012年春、吉本隆明死去、87歳だった。前年の福島原発事故で盛り上がる反核運動に対して「反核はサルになる」と批判した。生涯”反・反”を貫いた。
『週刊現代』8.17
DNAに傷がつく―これが、ガンの始まりだ。紫外線、タバコ、アルコールなどさまざまな刺激によってDNAの一部が欠落したり、切れたりする。傷ついたDNAは間違った遺伝情報を伝え、細胞は異常な増殖を始める。しまいには臓器の活動に支障をきたすまでにガンは成長してしまうのだ。だが、数カ所が傷ついた程度では心配ない。生物はDNAの修復機能を備えているからだ。では、なぜひとはがんになるのか。国立ガン研究センター所長の中釜医師はこういう。
「加齢と共に治癒能力が低下するからだと考えられます。徐々に治らない傷が溜まっていき、次第にガンへと変化していく。人の細胞は一日に5万ヶ所ほどDNAに傷がつくといわれていますが、長く生きるほど傷がつく機会も増えるため、高齢者がガンになるのは必然ともいえるのです」現在、日本では年間約70万人がガンになり、20年後には患者数は1.5倍にもなると推測される。
そもそも,ガン細胞とは自分自身の細胞が変異したものである。このことが。ガンを克服できない最大の理由ともいえるだろう。ガンの特効薬がなかなか生まれないのも、ガン細胞と正常細胞を”決定的に”見分ける要素が存在しないからだ。研究者を悩ませるガンの複雑さは枚挙にいとまがない。例えば、ガン細胞は進行するほど遺伝子構造が崩れていき、悪性度も高くなる。
栄養が足りなくなれば自分で新たに血管をつくって供給ルートを確保し、無限に成長し続ける。抗ガン剤を長期間投与すれば薬への耐性も身につけ、細胞内から薬を押しだすポンプのような働きを持つこともある。一口にガンといっても、100例あれば100通りの性質があり、その多彩さ故にガンの克服は困難を極めている。だがガンの克服に向けて日々努力を続ける研究者が世界中にいる。ガンの治療は、人類の大きな夢に向かって一歩一歩、着実に進歩しているのだ。
『週刊現代』8.17
2013年08月16日(金) |
生きるという航海 ② |
太平洋戦争の真実を検証する
人間の歴史は多様でありゆえに陰陽裏表の意味と価値を持っている。それをある一律な価値観で切ろうとすると往々に大きな誤謬を招きかねぬし、大切な真実が糊塗されかねない。特に戦争という国家間の究極的な関係は、勝敗という結末だけを踏まえると多くの真実を一方的に歪めて定着してしまう。その最たるものは勝者が正しく、敗者が間違いであり悪だという短絡的な歴史の識別である。
例えば先の世界大戦がその前の第一次大戦と異なる歴史的意味合いの最たるものは、あの戦争のおかげでかっての植民地は完全に近く解放されたという事実に違いない。そしてそれは長い間繁栄してきたヨーロッパの近代主義を終焉させた。それは解放された植民地の人々にとっては戦争の価値ともいい得るものだったろう。しかし今日疲弊の一途を辿りつつあるヨーロッパ人にとっては不本意なものにも違いない。
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アジアと日本の関係を考えるとき、いつになってもさきの大戦への謝意の有無が取り沙汰されるのはどうにかならないものだろうか。たとえばベトナム戦争に敗れたアメリカがベトナムに詫びたとは聞いてないし、かってのオランダのベアトリクス女王が初めて来日したとき過去の戦争について総理が一言陳謝すべきだなどという声が自民党の中にもあったが、女王が来日の道すがら200年近く支配収奪し数百人の住民を殺したインドネシアによって過去を詫びたという話も聞いたことがない。
ドイツは第一次大戦で敗戦国になったが、普通の講和条約を締結し賠償を払い、アルザスとロレーヌをフランスに取られたけれども、加えてしきりに謝罪したか?第二次世界大戦後ドイツの首相は世界やヨーロッパにナチスの残虐行為は詫びたが、戦争行為そのものについては謝罪もしていない。例をいちいち挙げたらきりがない。
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健全な肉体は健全な精神に負う
多くの人間は自分の体のありようについてそれを宿命のように受け取っているが、それは肉体に対しての冒瀆でしかない。そうした認識は肉体の形態やその時点での能力とは関係ない。ろくにどう試しもせずに、自分の体の限界について高をくくってしまう人間は宝の持ち持ち腐れで一生不幸でしかないだろう。
肉体的に自分は駄目なのだと信じて動かぬ連中は、受け継いだ農地を耕そうとしない怠惰な農夫のようなものだ。意識という家をとり囲んでいる肉体という農園には、努めれば自分でも思いもかけぬ果実や野菜が必ず実るものなのに。そしてその気になって、そのための種を選んで探し、栽培して育てるのは結局自分一人でしかない。その力を使いきるのも自分だけでしかない。
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「しかし輪廻とはすばらしいノウハウではないか。それを信じられたら、どんな犠牲を恐れることがある」「俺は仏教徒だが、仏陀は自殺の正当化のためにそんな事を教えたんじゃないぞ」笑いはしたが、それには関わりなく外すように「死を予感して生きるということの、本当の意味を説いたのはキリストよりも釈迦だったんだな。キリストは死ぬことを怖れも考えようもしなかった」
『生きるという航海』石原慎太郎
2013年08月13日(火) |
生きるという航海 ① |
アメリカを動かすパワーエリートにとって、マーケットを自由自在に動かすことは彼らの権力の誇示であり、彼らの権力を維持していくための戦略である。だから今後も彼らの「領地」と彼らが勝手に決めている、グローバル・マーケットに他のパワーがちょっかいを出そうとすれば理屈も何もないパワー勝負で鉄槌を下そうとしてくるだろう。しかしそれに怯えて誰も手も口も出さないでいると、アメリカ資本による世界市場収奪システムが本当に居座ってしまいかねない。
1980年代の日本はまさにアメリカの完全に追いつき、そして追い越そうとしていた。特に金融部門ではアメリカを凌駕していた。しかしそれゆえにアメリカの国家戦略に呑み込まれ、バブルをつくらされ、そして自らの失政によりバブルの破裂というハードランディングをやってしまい、その後遺症に悩みながらも立ち直りかけていたが、またもや1990年代後半に彼らの金融戦略の集中砲火を浴びてしまった。
その日本にさらなる金融緩和を要求してくるアメリカの狙いは自国アメリカの高株価を守るためだ。一貫してわかるのは他国への思いやりなど微塵もない、勝者だけが正しいという開拓時代のフロンティアスピリットとの残滓である。ネイティブアメリカンを隅に追いやり、大地を我がものにしてきたあの体内遺伝子の欲求が彼らを動かしている。
アメリカの現状は、銃社会の犠牲者の多発などの人権問題を抱えていながら、それを克服する法律の整備が個人の権利と言う人権に制約されて手詰まりになっている。例えば銃規制に踏み切ろうとすると「自分で自分を守る権利」を主張する銃の愛好者たちが、個人の趣味を盾に「そんな法律は人権無視だ」と政治活動を行ない法律を骨抜きにしてしまう。要するに一番進んだ経済社会でありながら「自分のことは自分で守る」という、実態は西部の開拓時代と変わらない歴史的な齟齬をきたした社会原理が「人権」と裏腹にくっついている。
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戦争に負けたからと戦争に関する歴史を避けていては、歴史という学問は成立しまい。人間の歴史はある意味で戦争の歴史であって、すべての戦争は技術を促進し結果文明を高めても来ました。それは残酷だが歴史の確かな公理です。
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戦争に正義などありはしない。あるのはその国利害関係だけで、それを正義を言いくるめるのが外交技術でありレトリックでもあって、日本がアメリカの言う正義をそのまま口うつしに正義と唱えることなど全く馬鹿げている。二国の利害が100パーセント重なることなど、いつでもどこでもあり得はしない。日本が成熟した独立国家であればある程、アメリカの利害と日本のそれが100パーセント重なることなどありえないはずです。戦争ではいつも正義が叫ばれるが、物事には裏と表があることを日本人はもっと知るべきです。新聞を読むにしてもその情報には裏があり、その裏は決してまた表ではなく、情報の裏の裏、つまり3ページ4ページ先にあると疑って物事を詮索してみることが必要です。
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正義は力であり、力のない正義は正義として通らないのは現実の世界力学だが、あまりにも非常識な力の押しつけの累積は、限界に達すると、必ず必ずすべての力が破壊の方向に集中して破裂する。力で秩序を維持しきれなくなる。「アメリカが第一次世界大戦に加わらなかったら、イギリスとフランスは帝国ドイツと和平を模索せざるを得ず、ロシアに革命は起きず、ヒトラーは生み出されずアメリカの国民は死なずに済み、ユダヤ人虐殺も、スターリンの圧政も、冷戦もなかった。アメリカの不幸は、アメリカが世界に関与したことで起きた」
保守の論客パット・ブキャナンも主張がアメリカで波紋を広げているそうだ。むろん私たちはアメリカが極端な保護主義政策をとることは好まない。物事には中庸というものがあるという、日本の、あるいはアジアのスタンダードがあることを、アメリカに伝えておきたい。
『生きるという航海』 石原慎太郎
ユダヤ教とキリスト教はどこが違うか
○キリスト教を理解するときのポイントは、実はユダヤ教があってキリスト教が出てきたということです。ユダヤ教を一方で否定しつつ、他方で保存し、その上にキリスト教がある。つまり、キリスト教は二段ロケットのような構造になっています。イエスが登場したとき、彼はキリスト教という新しい宗教をつくろうとしたのではない。ユダヤ教の宗教改革みたいな感じで出てきたんだと思います。だからまず、キリスト教は、ユダヤ教との関係で理解することが必要です。
キリスト教の非常に独特なところは、自らが否定し、乗り越えるべきユダヤ教を、自分自身の中に保存し、組み込んでいるところです。否定的なものとして肯定しているとでもいいましょうか。この点を端的に示している事実は、キリスト教の聖典が、旧約聖書、新約聖書という形で二重になっていることです。ユダヤ教に対応する部分が旧約聖書であり、イエスの後につけ加わったのが新約聖書です。おもしろいのは、旧約聖書を廃して新約聖書がキリスト教の聖典になっているのではなく、キリスト教の中に、旧約聖書がそのまま残されていることです。
この点におけるキリスト教のユニークさは、他の宗教と比べるとよくわかります。世界宗教になるような宗教はいきなり現れるものではありません。その背景には先行するさまざまな宗教があるに違いない。しかし、自分自身が否定し、乗り越えるべき先行宗教を。自分自身の内部に保存しているような世界宗教は、キリスト教以外にはありません。例えば仏教を考えてみましょう。仏教はそれ以前からあったインドのヒンドゥー教の前史である、古代宗教バラモン教を否定する形でてきますね。第三者の目から見れば、バラモン教と仏教には共通した世界観がありますが、しかし、仏教自身は、バラモン教的なものを日常的に自分自身の中に残すなどということはなく、バラモン教を否定する新たな世界観・真理として出てきます。
仏教と対照的なのは、イスラム教です。イスラム教は、先行するユダヤ教やキリスト教を明らかに前提にしている。ただ、イスラム教の場合には、それらを否定するというより、再解釈した上で、自分の世界の中に取り込んでいます。だから聖典も、旧約と新約のように二種類あるのではなく、コーランという形で単一なものとして統合されている。
しかし、キリスト教の場合は違います。ユダヤ教的な部分を否定しつつ、自覚的に残している。その二重性は、二種類の聖典という形で明白な痕跡を留めています。したがって、まずはユダヤ教をわかっていないとキリスト教がよくわからないというポイントがあると思うんですね。そこで、最初にうかがいたいのは、ユダヤ教とキリスト教はどう違うのか。違いのポイントはどこにあるのでしょう?
●議論の始めなので、ユダヤ教についても、キリスト教についてもよくわからないという前提で、二つの宗教の関係を端的に述べてみましょう。では、その答えは、ほとんど同じです。ユダヤ教もキリスト教も「ほとんど同じ」なんです。たった一つだけ違う点があるとすると、イエス・キリストがいるかどうか。そこだけが違う、と考えてください。
少し補足しましょう。この二つはどこが同じか。「一神教」である。しかも、同じか目をあがめている。ユダヤ教の神は、ヤハウェ、エホバともいう。その同じ神が、イエス・キリストに語りかけている。イエス・キリストは神の子だけれども、その父なる神は、ヤハウェなんです。それを「父」とか「主」とか「GOD」とか言っている。ユダヤ教とキリスト教に、別々の神がいると考えてはいけません。ちなみに、イスラム教のアッラーも同一の神です。違うのはこの神に対する人々の対し方です。
人々は神に対するのに、間に誰かを挟みます。これが、神の言葉を聞く「預言者」です。旧約聖書は、イザヤとかエレミアとかエゼキエルとか、もっと古くは、モーセとか、いろんな予言者がいたという。彼らの言葉を「神の言葉」と考え、それに従う。すると、ユダヤ教になります。
キリスト居も、この態度は同じです。だから彼ら、旧約の預言者をみな預言者として認める。でも、その締めくくりに、イエスが現れたと考える。イエスの出現は旧約聖書の預言者が、やがてメシアがやってくると、予言していたものです。メシアはヘブライ語で、救世主という意味です。それをギリシア語、ラテン語に訳すと「キリスト」です。特に、『イザヤ書』の真ん中より少し後ろの、第二イザヤの預言といわれる部分に、そのことが書いてある。
イエスの先輩格に。洗礼者ヨハネという予言者がいて、イエスに洗礼を授けた。自分の後から来る人はもっと偉大だ。といったので、人々は、ナザレのイエスこそ待望のメシアではないかと期待した。そのあと、イエスが十字架にかかって亡くなると、イエスは神の子だったという人々が出てきた。
「神の子、イエス・キリスト」は、予言者ではない。預言者以上の存在です。なにしろ本人が神の子なのですから。自分の言葉がそのまま神の言葉である。神の言葉を「伝える」預言者とは違う。人々はイエス・キリストをあがめることで、神をあがめることになる。そこで、旧約聖書の預言者は重要でなくなった。なにしろ、神であるイエス・キリストと直接連絡がとれたんですから。この時点でユダヤ教とキリスト教がわかれたのですね。
○なるほど、視界が非常にクリアになりました。イエスキリストの存在がユダヤ教とキリスト教の分かれ目にあるということですね。キリスト教にとってイエス・キリストの存在がいかに大切かということは、同じ一神教の伝統の中にあるイスラム教と比較するとよくわかります。イスラム教ではムハンマドが出てきますけど、イエス・キリストとはちょっと違います。ムハンマドはイスラム教にとって特別な人ですが、「神の子」だとか「キリスト(救世主)だとかではなくて、やはり預言者の一人ですね。
だから、イスラム教は、ユダヤ教の預言者という系列から逸脱していない。それに対して、キリスト教の場合には、予言者の系列の先端に、イエスキリストという予言者とは質的に異なるものが出てくる。そう考えると、イエスキリストこそはポイントです。
『不思議なキリスト教』橋爪大三郎・大澤真幸
どんな本でも重点だけを素早くモノにする方法
速学を実現するためには、いかに早く教科書や参考書などに書かれている内容を理解して読んでいけるかということも、重要なポイントの一つである。ではどうすればそうできるだろうか。私が本を買った時にまずやることは、まえがきと目次に目を通すことだ。これでざっと本の全体観をつかむ。
次にやることは、小見出しを含めて、本文中の見出しだけを見ていくことだ。見出しの中に自分の関心を引き付ける箇所があると、そこの本文を一気に読む。こうした方法で、読むべき本の全体観はかなりわかる。私の目的からして関心のない部分は飛ばす。当然、本を読むスピードは速くなる。つまらない本でも、いったん読み始めたら最初のページから最後のページまで順を追って読んでいかねばならないと考えている人もいるが、それはナンセンスだ。
本来、速学というのは目的があって何かを学ぶとき、どうすれば早く効率的に学ぶことができるかを考えることだ。すでに知っていることや、知ってもあまり役に立ちそうもないことまで、わざわざ努力して読む必要はない。つまり、本を読む時も、自分が必要と思われる個所だけを読めばいいのである。そうして、必要な個所だけをピックアップしていけば、必然的に読むべきページの分量は少なくてすむことになる。
そして読むべきページ数が少なければ、当然、時間的にも短時間で読むことができる。結局、何をどう読むかということが、速学の基本だということだ。だから、私のいう早く読むということは、一般の「本の全ページをいかに早く読むか」という速読ではない。本を情報源と捉え、必要な情報を早く取り出すことに重点を置く。執筆者の意図とこちらの意図がぴったりでない限り、何度も全体を読み返すことはない。
記憶率が驚くほど高まる実践反復法
学んだことを忘れないためには、時々思い出して再確認することが大切である。参考書などの重要な箇所に印をつけておき、その部分を何度も読み返したり、あるいはカードをつくって日頃から何度も、それを取り出して読むといったことをすればいい。記憶したことを忘れるのは、その事柄を後で思い出すという作業をせずに、そのまま放っておいた場合が多い。それが、記憶したあとしばらくたってから、もう一度復習すると、忘れにくくなる。
このことはドイツのエビングハウスという学者が研究している。彼によると、無意味な数字を羅列したカードを切り混ぜて、その文字列を被験者に記憶させる実験を行なったところ、20分後にはわずが58%しか覚えていなかった。そして翌日には3分の2近くも忘れてしまう。記憶は覚えた当初は鮮明だが、時間がたつにつれてどんどん薄れていくということになる。
しかし、別の学者の実験では、被験者に一度記憶したことを1時間後に再び確認させたところ、二日たっても75%ぐらいは覚えていた。エピングハウスの実験では、二日後の記憶率は、28%だから早い時期における記憶の再確認作業が、記憶の保持にいかに有効かよくわかる。記憶力の低下は理解力で補いたいが、どうしても記憶の要素の強い分野を学ぶには、この「一度記憶した事柄は、早い時期に再度確認すると忘れにくい」という法則を頭に置いておくとよい。
『スーパー速学術』黒川康正 弁護士・公認会計士・通訳
天皇裕仁と中国侵略戦争
天皇は張作霖爆破を咎めない
天皇裕仁の日本国統治の歴史は、日本による中国侵略戦争の不断の拡大の歴史である。彼がまだ摂生であった1925年12月、中国東北地方(満州)を支配する軍閥張作霖が、部下の郭松齢の反乱によって打倒されそうになった。その当時日本は、張を日本の満州侵略の支柱としていたので、関東軍(南満州駐屯している日本軍)は、張を守るために、「中立」を装いながら実は、郭軍に圧迫を加えた。さらに12月15日、日本政府は摂政裕仁に、日本国および植民地朝鮮から、合計3500名の兵を満州に派遣する許可を求めた。裕仁はそれを許可した。このような日本の圧力によって、郭軍は敗北させられ、張の地位は守られ、日本の南満州に対する侵略行為はいっそう強化された。
1925年12月、大正天皇が病死し、裕仁は天皇になった。その当時中国では、蒋介石を総司令とする国民革命軍が、各地に割拠する軍閥を打倒し、全国を統一するための戦争を、勝利のうちに進めていた。日本政府はこの戦争によって脅かされている中国在留日本人の生命財産の安全を守るという口実で、、中国側の抗議を無視して、1927年5月、7月、翌28年4月、5月の4回にわたって、2.000人ないし一個師団の兵を山東省に派遣した。最多数時には合計1万5000名の兵がいた。いずれの場合も、政府の申し出により、天皇裕仁が出兵を命じたのである。
日本の出兵は当然、中国政府、および人民の激しい抗議を巻き起こした。満州を本拠とする軍閥張作霖は、これまで久しく日本の指示に頼り、日本の内密の指揮に従っていたが、彼でさえ、もはや日本の意のままには行動しなくなった。そこで前に述べたように、関東軍の将校の一部は、軍の工兵を使用して、1928年6月、張作霖の乗っていた列車を爆破して彼を殺した。政府と軍部は、日本国民及び諸外国に対し、事件の真相を隠し、日本軍人は事件に何ら関係もないといい続けた。
この事件に関連して、首相田中義一が天皇裕仁の信任を失い、辞職した。注意すべきことは、天皇は、関東軍将校が不法にも張作霖を殺したことを怒り、田中の責任を問うたのではなく、また田中が真相を対外的に隠すのを怒ったのでもなく、たんに嘘の発表の責任が裕仁に帰する結果になるようなことを、田中が上奏したのを怒ったのである。このことについて、田中の辞職のあとで、天皇は侍従長鈴木貫太郎に次のように語っている。
「もし田中総理が、事件に日本軍は無関係であると対外的に発表しておいて、その後に、天皇に対して『政治上よぎなくこのように発表しました。前回の報告と異なったことを申し上げて、申し訳ありません。それゆえ、辞職を請います』と言ったら、天皇は『それは(事件を曲げて発表したこと)政治家としてやむを得ないだろう』と言って、(嘘の発表を)許したであろう。ところが田中は、嘘の発表そのものの許可を請うた。それを許可すれば『予(天皇)は臣民に作りを言わざるを得ないこととなるだろう』、だから許可しなかった」。
鈴木は天皇のこの話を、1933年6月ごろ、新任の侍従長長本庄繁に語り、本庄はそれを極秘メモに書き留めている。天皇のこの話は、彼がきわめて老獪な「政治家」であることを示している。彼は彼自身が「臣民」に嘘をつくことにならないように政府が行動しさえすれば、政府が臣民及び外国を欺くことを咎めはしない、というのである。そして田中辞職後も、天皇は真相を発表し、下手人を処罰するよう政府に命令はしなかった。犯人は、警備不行き届きとの理由で、現役を退かせられただけである。しかもこの犯人は、その後まもなく、南満州鉄道会社(日本が、満州を搾取し、支配するための軍事的経済的大動脈である南満州鉄道を経営する国策会社)の理事となり、満州侵略に積極的役割を果たし続けた。
関東軍・朝鮮軍の独断戦争を承認
中国を侵略するためならば、軍人が統帥を乱して勝手にどのような陰謀を行なっても、処罰されないという前例が、ここに、政府・軍部のみならず天皇裕仁自身によっても、つくられた。これによって中国侵略の機会をつくろうとする軍人たちは、安心してその謀略にふけることができた。
関東軍の参謀たちは、東京の参謀本部及び陸軍省にいる仲間たちと密接に連絡して、満州攻略の計画を綿密につくりあげた。彼らは、1931年9月18日、奉天(瀋陽)近くの柳条溝で、南満州鉄道線路を爆破し、それを中国軍の仕業であるとでっち上げ、即座に付近の中国軍に戦争を仕掛け、たちまち奉天全市を占領するとともに、全満州占領の軍事行動を起こした。
『天皇の戦争責任』 井上清・京都大学教授
死者へのシャンペン
私が大学生の頃、自由民主党の政治家で衆議院議長まで務めた大野伴睦が死去した。党内派閥の力関係を操ることが巧みで「寝業師」といわれた人だが、マスコミは各方面からの死を惜しむ声で埋められていた。その中で評論家の大宅壮一氏が「あんな政治家は死んでくれて、日本のためにはよかった」という趣旨の発言をした。死者に鞭打たないのは日本の美風と思っていた私は、そこまで言わなくてもと思った。ただその勇気には感心し、確かに公人の死に際してはきちんと評価すべきなのだろうと思った。
1997年、英国のダイアナ妃と恋人のアラブ富豪の乗った乗用車・ベンツがパリ市内のトンネルの壁に時速200キロで激突し、妃は36歳の若さで亡くなった。上品で美しい妃が来日した時はダイアナ・フィーバーだったし、絵になる彼女の世界各地における慈善活動はテレビで逐一伝えられていたから、亡くなった時はほとんどすべてのマスコミがダイアナ妃一色となり「聖女」と称えたりした。
悲報を受け世界中が悲しみに沈み、とくにイギリスでは全国民が喪に服しているような雰囲気だと伝えた。二人の息子がいながらひっきりなしに浮名を流してきた彼女に違和感を感じていた私は、報道の真意を確かめようと、ケンブリッジ時代の同僚で、少々というか、かなり変わっているものの常に鋭いコメントをする友人に電話した。
彼は「ケンブリッジはいつも通りで誰も喪に服してはいない」と言って笑った。「でも、妃の住んでいたケンジントン宮殿に弔意を荒をそうと集まった群衆を日本のテレビで放映している」と言うと「彼らの顔を見たかい」「いや」「インテリ層はいないはずだ」。ずけずけ言うのはイギリスにはムードに流されない人々も多くいるのだと思った。
先日、英国元首相のサッチャー氏が死去した。例によって彼女の功績に対する賛辞が我が国の各紙を飾った。キャメロン英首相の「平時における英首相として最も偉大」という言葉も伝えた。「真面目に働かず、ストばかりするという英国病を治し、レーガン大統領と共に冷戦を終わらせた大功労者」という評価だった。確かに新自由主義で英国病を終わらせた功績は大である。
しかし、不況を終わらせることはできなかったし、地方経済を疲弊させ失業者を倍増させた。必然的に発生した格差は今も国民を分断し、英国のアキレス腱となっている。それに冷戦の終結は共産主義の破綻によるもので、引き金を引いた主役はレーガン元大統領で、助演がゴルバチョフ。サッチャーは脇役の一人にすぎない。サッチャー在任の頃ケンブリッジにいた私は大学人からサッチャー批判をよく耳にした。
左の人は「伝統を壊しイギリスをアメリカにしてしまう」と言った。教育や医療にまで競争原理を導入することへの懸念も強かった。実際予算を大幅に減らされた医療制度は1年以上手術を待つ患者が十数万人に達するなどすぐに機能不全に陥った。教育改革の目玉となった公立学校に対しての全国統一テスト、順位公表、学校選択の自由などは優秀校のそばに裕福な人々が集まり、ダメな学校のそばには貧しい者が残されるという現象が広がった。
どちらもその後見直されることとなった。彼女の死がイギリスでどう扱われているかを確かめようと現地で研究生活を送っている息子に電話を入れた。「評価は完全に二分されている。ロンドン、炭鉱町ばかりか、さっきは僕の大学でもシャンペンを手に死を祝う集会が行なわれていた」と言った。日本の新聞も1,2日してから「イケネ」とばかり慌ててそれを伝え始めた。
『週刊新潮』5.29
リビアの衝撃
一方、正恩氏は正男氏を海外に放逐して父親から着々と権力を継承し、盤石の後継プロセスが進むと見られていた。だがここにきて、思いがけないことが起きた。チュニジアのジャスミン革命に端を発した中東の民主化要求デモだ。この地域で最も安定しているとみられたエジプトでもデモがわき起こり、約30年間独裁をつづけていたムバラク大統領が退陣に追い込まれた。不動の独裁政権と思われたカダフィ大佐のリビアでも、反政府のうねりが押し寄せて内戦が勃発し、カダフィ大佐は殺害された。
北朝鮮は中東での騒乱について一切報道せず、政府としても無視を決め込んでいた。しかしジャスミン革命の動きが隣の中国にも影響を与え、リビアで反体制派を結集させたことから、内部ではかなりの危機感を募らせていたようだ。北朝鮮の外務省報道官は、リビアに米英仏の多国籍軍が攻撃を加えた直後の2011年3月22日、初めて声明を出した。その内容が北朝鮮の本質を伝えている。
〈現在リビアの事態は国際社会に深刻な教訓を与えている。かって米国が好んで使っていた『リビア核放棄方式』とはまさしく『安全の保証』と『関係改善』なる甘言によって相手を騙し、武装解除させたうえで軍事的に侵略する方式であることが、世界の面前にさらけ出された。〉なぜ北朝鮮が、リビアの事態について自らの立場を表明せざるをえなくなったのか?
2003年、リビアは核兵器を含む大量破壊兵器の放棄を宣言した。当時リビアは経済制裁により石油輸出を制限されており、国内経済に深刻な打撃を受けていた。このため英国などが水面下で大量破壊兵器の放棄を促し、カダフィ大佐もこれを受け入れた。西側陣営はカダフィ大佐の決断を大歓迎し、パリ、ローマ、ロンドンに相次いで招いた。各国首脳が握手して記念写真をとり、親密な関係を築き、石油も購入した。最終的にリビアの石油利権は、英国の石油会社のBPが手中におさめている。今回の軍事介入の主導権を握ったのはフランスだったが、実はフランスこそ、カダフィ大佐と最も親密な関係を築いてきた国だった。
だがそれから5年もたたずして、カダフィ大佐は最新鋭爆撃機からの空爆や巡航ミサイル「トマホーク」による攻撃にさらされ、首都トリポリを追われた。金正日はカダフィ大佐の末路を見て戦慄したはずだ。北朝鮮も米国から「リビアのように核を放棄すればよいことがある」と散々吹きこまれてきた。クリントン米国務長官も一時、「北朝鮮が国際社会に入れば、利益がある」と「リビア方式」を公式に北朝鮮に勧めたことがある。簡単にいえば、武器を放棄して丸腰になれば、恩恵が受けられるということだ。
北朝鮮外務省の声明はこう述べている。「我々の自衛的国防力は、朝鮮半島での戦争を防ぎ、平和を守る抑止力となっている」「地球上に強権と専横が存在する限り、自らの力があってはじめて平和を守ることができるという歴史の真理が証明された」身勝手な言い分ではあるが、国際政治の冷酷な本質を言い当てている部分もある。独裁体制維持のため、核と軍事力を何よりも優先するという北朝鮮の論理がここに凝縮されている。核放棄、経済の改革・開放というスキームは、即刻独裁体制崩壊につながると考えているのである。それでも正恩時代になれば、経済立て直しのために、経済の改革・開放に乗り出すとの観測もあった。中国国境地帯の都市に外国資本を呼び込み、経済特区として大きく発展させるなどの方法だ。
正男擁立シナリオ
中国は、死去した金総書記に対して最大限の哀悼の意を伝え、正恩体制を支援する姿勢を明確にした。しかし、本音では世襲を行なうべきではないと考えているはずである。世襲は政権の正統性を揺るがし、政権の不安定化を招きかねない。しかし、当面は北朝鮮との摩擦を避け、北朝鮮の安定をはかることが一番だと判断している。一方の北朝鮮は、核と軍事力に頼って国を守る姿勢で、このままでは経済の自立は見込めない。国の安定と貧困という矛盾のスパイラルを解きほぐすきっかけがつかめず、国内が混乱に陥る可能性も捨てきれない。
経済成長最優先、隣国安定が至上命題の中国にとって、隣国で混乱が発生することは非常に都合が悪い。その時「正男氏擁立シナリオ」が現実味を帯びてくる。これは決して荒唐無稽な話ではない。なぜなら彼は、「中国に守られている」ためだ。普段は本人も気がつかないほど遠くから見守っているが、危機が迫れば警備担当者が周辺をがっちりガードするという。中国の次期国家主席習近平の出身母体「太子党」が、彼を支えているとの見方もある。
太子党は中国共産党の高級幹部の子弟など、特権的地位にいる者たちのことで、資金力、政治力があり十分正男氏を保護できる。正男氏は中国政府高官の一部子弟とも親しく付き合っており「太った兄き」という愛称で呼ばれている。「北朝鮮の次のリーダーは正男氏の方がふさわしい」と公言するしていもいるという。中国が隣国の指導者の長男を保護しているのは、単なる親切心や礼儀からではない。正恩体制が破綻した際、思想的に中国に近い彼を平壌に送り込み、次期指導者に仕立て上げる目論見があるのだろう。中国が持つ最後の北朝鮮圧迫カードといえよう。当然、正男氏もそれは自覚しているはずだ。最近、彼は身の安全を慮ってか、海外や平壌に行く機会を大幅に減らしているという。
『父・金正日と私』
金正男独占告白
核保有国の理論
2010年12月25日 ―こんにちは、私も同感です。日朝関係が一日も早く正常化されることを願っています。ところで、なぜ北朝鮮は軍事重視の強硬路線を捨てないのですか。
2010年12月26日 正男 現在北朝鮮が軍事中心で強硬な姿勢に見えるとおっしゃいましたが、全面的に正しい言葉です。それでは北朝鮮がなぜこのように強硬な姿勢をとっているかを探ってみる必要がありそうです。北朝鮮は地政学的に、列強に挟まれて今まで生存してきた政治システムとみるのが正確だと思います。その間、北朝鮮の人達の心理の中に葛藤と不信が根強くなったといっても言い過ぎではないでしょう。北朝鮮は自らのシステムを守るために核に固執することで、北朝鮮だけが核を持つことができないという、不思議な国際社会のルールに挑戦していることへの理解が必要だと考えます。
毛沢東でさえ世襲せず ―昨年中国と北朝鮮の間に活発な交流がありました。今後中朝関係はどうなるんでしょう。
正男 北中関係は昨日、今日の話ではありません。今後もよい基調を維持するでしょう。あなたがお話しされたように6.25つまり朝鮮戦争を共に越えた。この過程で言葉通り血盟関係を維持してきたといっても過言ではないでしょう。その関係が今後も持続すると思います。
―社会主義と権力の世襲は矛盾することではないですか。
正男 中国では、毛沢東首席でさえ世襲をしなかった。そのために発展したいってもいいでしょう。世襲のため、逆に北朝鮮は国力が落ちてしまうとの懸念もあります。三代世襲は社会主義理念には合わないと、私は以前も指摘した。そういう選択をしたのは、北朝鮮としても特徴的な内部要因があったと思います。そういう要因があったため、内部の安全と順調な後継を実現するため、三代世襲を行なうしかなかったのではないですか。何よりも重要なのは北朝鮮の内部の安定でしょう。そういう理由で北朝鮮が三代世襲をしたなら、そうするのは北朝鮮としての役割でしょう。
―ただし、それによって、後継者の正恩氏への反感を持つ人間が増えないですか。極端な場合、世襲反対のデモが起きたりしないか私は心配していますが。
正男 どこのシステムにも反対勢力はいると思います。反対勢力が多数なのか少数なのかが問題でしょう。個人的な考え方ですが、三代世襲といっても、潤沢な生活のために努力すれば、そして結果が良ければ反対勢力も減るだろうと思います。
―中国は三代世襲を賛成はしないが、内部的安定のため、受け入れたということなんでしょうか。
正男 中国は、他の国の内政に干渉しないのが原則だと思います。世襲を認めたというより、北朝鮮が自分自身で選択した安定的な後継構図を支持したというのが正確でしょう。
2011年2月23日 ―北朝鮮で、自由にインターネットを見る人はどんな人たちですか?聞いたところによれば、お父様は毎日見ているそうですが。
2011年2月23日 正男 北朝鮮では、一部の人間が自由にネットに接続できますが、海外では事情が違います。原則的に海外に公務員を含む、常駐する北朝鮮の人間は、特別な人員以外には、インターネット接続をしてはいけないと規制していますが、実際は統制する方法はないのです。家庭の電話線にモデムを連結すればインターネット接続が可能なためです。だから皆インターネットに接続して見ているのでしょう。北朝鮮と国境を行き来しながら、事業をしている北朝鮮人もまず国境に到着すればいちばん最初に走って行くところがネットカフェであるほど、北朝鮮人らは外部の便りに敏感です。深刻な情報統制が北朝鮮人らの情報を獲得したいという渇望を刺激していると考えます。
2011年3月2日 ―今、北京ですか。お父様と国内を旅行にったり、ともに外国に行ったことはありますか?食事など一緒にしておられますか?お父様は酒が増え、よく飲むといいますが正男氏が見るには、健康状態はどうだったのですか?北朝鮮ロイヤルファミリーの生活を私が想像できないためです。
2011年3月2日 正男 私は父上と外国にともに行ったことはありません。北朝鮮に住んでいたとき、国内を共に旅行したことはあります。食事はいつも一緒にしました。しかし、盆と正月を除いた、普通の日に酒を飲む姿を見たことはありません。今日もよい一日になりますように!
父親が普通の日に酒を飲む姿を見たことがない、というのは意外だった。巷間、「金正日は無類の酒好き」「不摂生がたたって体長を悪化させた」と報じられているからだ。私は続けて、正男氏の母・成恵琳氏にも聞いてみた。彼女は別の男性と結婚していたが、金総書記に見染められて、再婚。正男氏を産んだ。夫の浮気で精神的に苦しみ、ロシアの病院に入院し、2002年5月にモスクワで死去した。正男氏はモスクワに母親の墓地をつくっている。
『父・金正日と私』 五味洋治
金正男独占告白
”放蕩息子の正体”
金総書記には3人の息子がいる。長男の正男氏、母親は成恵琳。二男の正哲氏、母親は高英姫。そして三男の正恩氏だ。母親は同じく高英姫。金総書記死後、3人の明暗ははっきりした。正恩氏は後継者として、軍の最高司令官にまで上り詰めた。長男の正男氏、二男の正哲氏は完全に「枝葉」扱いされた。正男氏は、どうやら一時的に帰国し、遺体と対面した可能性が高いが、平壌に長く留まることは許されなかったようだ。正哲氏も、いずれ国外で生活するとの見方もある。
葬儀が終わった2012年1月、正男氏は私へのメールで「常識的に考えて、世襲を3代続けることに同意することはできないでしょう。37年間続いた絶対権力を、2年ほど後継者教育を受けただけの若者が、どうやって受け継いでいけるのか疑問だ。正恩は単なる象徴となり、これまでのパワーエリートが実権を握るだろう」と見通した。
事実、正恩氏は父の死去後の哀悼期間中に、北朝鮮を脱出しようとした住民に厳罰を指示し、住民から反発が出ているとの報道や、「父の遺訓」だとして北朝鮮国内で外貨の使用を禁じる命令を出したといった不穏な動きも伝えられている。父親以上の強硬で非常な指導者になる可能性もあり、中国のネットには2012年初め、北朝鮮で軍事クーデターが起きたというデマが流れ、当局が規制に乗り出したほどだ。
金総書記死後、正恩氏は「領導者」と呼ばれた。北朝鮮の権力序列一位になり、名実とともに後継者となった。しかし、若さと実績不足を指摘されている。今後ますます人民が窮乏をきわめ、不満が高まってくると、「中東の春」のようなことが北朝鮮でも起こらない保証はない。その時体制崩壊だけは断固として避けなければならない中国はどう出るのか。人民軍を最優先する「先軍政治」の正恩氏とは真逆の路線、つまり、中国型の改革・開放を唱える正男氏がクローズアップされてくるのは間違いない。正男氏は中国の保護課にあるのだ。現代の北朝鮮でも、朝鮮王朝時代と同じ争いが起きないといは言えないはずだ。
2010年11月3日
メール確かに受け取りました。質問に返事を差し上げます。私の10月9日付テレビ朝日とのインタビュー内容、とくに「三大世襲に反対する」という大きい課題に対する自分の発言を巡り、解釈が入り乱れていたと理解します。「三代世襲」というのは、過去封建王朝時期を除いては前例がないことで、常識的に社会主義に符合することもないことは、世人が共感する現実です。
また、三代世襲に最も否定的だった父親が、今日これを押し切ったのには、それくらいの内部的要因があったと信じています。個人的考えですが、いわゆる「白頭の血統」だけを信じて従うのに慣れた北朝鮮の住民たちに、その血統でない後継者が登場する場合、面倒なこともあったことだと考えられます。北朝鮮が今後集団指導体制に行くにしてもその中心を「白頭の血統」にしない場合、権力層を維持できないと判断して、北朝鮮の内部的特殊性を考慮して「白頭の血統」に続く「三代世襲」を断行したとみています。
私は三代世襲には反対します。しかし北朝鮮内部の安定のために三代世襲を押し切らなければならなかったとすれば、これに従わなければならないといいました。北朝鮮の内部安定は皆に有益なためです。北朝鮮の内部混乱は地域の混乱を持ってくる可能性のある危険なことだと考えます。
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