加藤のメモ的日記
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2014年02月27日(木) NHK会長の慰安婦暴言

NHK会長の資格なし

「NHKの籾井勝人(もみいかつと)新会長が1月25日、就任会見で慰安婦は戦争をしているどこの国にもあった」と発言し、国内外で波紋を広げている。公共放送のトップとしての資格が厳しく問われている。

国内外に広がる批判

1月27日、韓国外務省は「歴史的事実を歪め、デタラメな主張を行なった」、中国外務所は「歴史を逆行させる行為」とそれぞれ批判した。英国公共放送BBCも、「NHKの新会長が、日本軍による慰安婦と呼ばれる性奴隷の使用を軽視し、議論を引き起こした」と報じた。NHKのあるプロデューサーは「びっくりした。ああいう発言をすると、海外外において反発を呼ぶことが計算できないのか。そもそも公共放送を理解していない」と話した。

問題になった発言は、ドイツやフランス、オランダの名を挙げ、「慰安婦は欧州はどこでもあった。韓国は日本だけが強制連行したように言うから話がややこしい。保障問題は日韓条約で解決している」という内容だった。慰安婦問題に詳しい林・関東学院大学教授は「一般的な性売春と、軍の組織としてやっていた慰安婦制度を意図的に混同したとんでもない議論だ」と批判する。日本軍の慰安婦の場合、慰安所設置の計画の立案、業者選定、女性集め、女性の輸送なと、すべての課程において日本軍の管理下に置かれ、国家機関が深く関与していた。

「第二次世界大戦で、軍がこうした制度をつくっていたのは、日本とナチス・ドイツだけです。日韓条約では慰安婦問題は扱われておらず、請求権は消滅していません。こうしたデタラメで人権を蹂躙する暴論を吐く人物は、NHK会長をただちに辞任すべきです」(林氏)日本軍の慰安婦制度の正当化は安倍首相の持論です。慰安婦問題を扱った番組「ETV2001」に介入し、圧力をかけて大幅に変えさせたのが当時、官房長官だった安倍首相だった。

市民・視聴者団体である「NHKを監視・激励する視聴者コミュニティ」「NHK問題を考える会(兵庫)「NHK問題大阪連絡会」は、籾井会長の解任、辞任を求めた。発言は「放送の不偏不党、真実および自立を保証することによって、放送による表現の自由を確保すること」と明記した放送法第1条にも反する。NHKの最高意志決定機関である経営委員会には昨年11月、安倍首相に近い、作家の吉田三千子・埼玉大学名誉教授ら4人が新任委員として送り込まれたばかり。この経営委員会で任命されたのが、籾井新会長だった。同委員会は進退を問わない態度で、菅官房長官も「解任は必要ない」との認識である。

歴史的事実に反する

日本共産党の、山下書記局長は1月27日の記者会見で「日本軍の関与を認めて謝罪した河野洋平官房長官の談話などの政府の立場と異なり、歴史的事実にも反するものだ。公共放送の会長としての資格はないと言わねばならない重大な発言だ」と厳しく批判した。国会で追及する必要性を強調した。

報道の役割は権力の監視のはず

安倍政権の強い期待を担って会長ポストに就いたが、速くも欠格性があらわになった。籾井氏は国際放送について「政府が右ということを左というわけにはいかない」とも言っている。国際放送も当然、放送法は適用される。言論報道機関の役割は権力の監視。放送法の眼目は権力からの自立にあるはずだ。


『週刊朝日』


2014年02月26日(水) ガン治療と痛み(2)心身を総合的にみた漢方医

千葉県ガンセンターの漢方外来が始まったのは、2009年。千葉大学医学部付属病院和漢診療科(漢方)から派遣された漢方専門医、日本東洋医学界認定の岡本さんが診療にあたっている。渡邊さん(48)は岡本さんに、抗ガン剤治療の副作用として生じた背中や腰などの痛みを訴えた。苦しい症状を少しでもわかってもらおうという気持ちだった。

話を聞いた岡本さんがまず行なったのは。渡邊さんの手を取り、手首の血管から脈の様子をみる「脈診」。続いて、出してもらった舌の色や表面の様子をみる「舌診」を行なった。漢方では、患者の訴えをよく聞き、脈診、舌診などを通じて得られた所見から、心身の状態を総合的に判定し、漢方を選ぶ。

所見で処方されたのは「桂枝加求付湯」(けいしかじゅうぶどう)。冷えやすく、体力が低下した人向きの処方で、関節炎、神経痛に効果があるとされる。1日3回の食事の時に、漢方の粉末製剤を従来の鎮痛薬と一緒に服用し始めた。効果はすぐには表れなかったが、渡邊さんは2ヶ月ごとの漢方外来受診と服用を続けた。仕事で非常に疲れていたとき、岡本さんが脈診だけで具合がよくないのを言い当てたことがあった時は、正直、驚いた。「なんで分かったのだろう。西洋医学では見えない部分がやはりあるのか」渡邊さんは岡本さんに信頼を寄せ始めた。



ガン治療と痛み(3)やがて和らいだ副作用

悪性リンパ腫に対する抗ガン剤治療の副作用として、渡邊さん(48)の身体に生じた激しい痛み。千葉ガンセンターの主治医の勧めで、2012年3月から2ヶ月ごとにセンター内の漢方外来に受診した。漢方外来を担当する漢方専門医である岡本さんに、「よく寝られるか」「仕事の負担は大きいか」「夜にトイレに起きるか」など、一見痛みとは関係ないことも訪ねていた。

岡本さんが話す。「渡邊さんは、化学療法によって身体の新陳代謝が低下し、余分な水分がたまって、それが冷えとなって痛みの元になっていた、と考えられています。そのために水分の排出を促し、体を温める漢方薬を体調などに合わせて幾種類か処方しました」渡邊さんは「抗ガン剤治療後は確かに、手足が冷え、体力が落ちたせいで疲れもたまりやすくなっていました。飲み続けることで体調が整ってきたように思います」と話す。

半年ほど前から、腰や背中の襲う激痛を意識せずに仕事ができるようになった。今も複数の漢方薬と、漢方の粉末製剤を毎食事に服用し、即効性の医療用麻薬を手元に用意して痛みの発作に備えているが、明らかに症状は改善しているという。「血液ガンの抗ガン剤治療は、患者によって副作用の症状が長く残る場合がある。私は幸い、主治医と漢方専門医のおかげで改善したが、苦しんでいる人も多いはず。漢方に関する情報をもっと広めてほしい」と渡邊さん。仕事の傍ら、患者会の講演会の企画などを通じて、今後も患者側からの情報発信を続けていく考えだ。


『読売新聞』2/10


2014年02月24日(月) ガン治療と痛み(1)鎮痛薬、効果感じられず

千葉県を中心に活動するガン患者会「支えあう会『α』」の理事で、会社員の渡邊慎介さん(48)=千葉市在住=は、悪性リンパ腫に対する治療の副作用として生じた身体の痛みとしびれを漢方と西洋薬の両方を組み合わせた治療で克服し、仕事を続けている。漢方は、渡邊さんのガン治療においてどんな役割を担ったのか、3回にわたり報告する。

治療後副作用が残った  「漢方も試してみましょうか」

千葉市の千葉県がんセンター。悪性リンパ腫の治療で世話になった腫瘍血液内科の主治医が、センター内の「漢方外来」の受診を勧めた。2012年3月のことだ。悪性リンパ腫の治療自体は、1年半前に終わり首の右側にこぶのようにできた腫瘍は皮膚の上から感じられなくなっていた。血液検査でも、ガンは消えており、2ヶ月ごとの定期検診で再発の兆候がないかどうかを診てもらった。残った大きな問題は、抗ガン剤による化学療法で生じた身体の痛みだった。治療当時も、眠れないほど激しい痛みに苦しんだ。時間の経過で和らいではいたが、腰や背中などに刃物で刺されたような激痛に襲われれることがあった。

痛みで集中力をそがれ、病気前に比べ、同じ内容の仕事により多くの時間が必要になった。また営業で毎日。車を走らせており、痛みの発作には命の危険を感じた。複数の鎮痛薬を服用していたが、目立った効果はなかった。脊椎の骨の間に、注射針を入れ、脊髄の近くに麻酔薬を注入する神経ブロック療法を痛みの専門クリニックで受けたこともあった。痛みは消えたが、効果は一週間程度しか続かなかった。万策尽きて、主治医に相談したところ、返ってきた答えが漢方だった。主治医の提案に、漢方の経験がない渡邊さんは消極的だった。「効くわけがないと内心思いした。それでも、受けてみたのは、主治医を信頼していたから。ほとんど効果は期待していませんでした」

千葉ガンセンターの漢方外来は、毎週火曜日午前のみ開かれている。渡邊さんは漢方外来の受診予約券を取ってもらった。


『読売新聞』2/8


2014年02月23日(日) スピード思考力

人の話を聞くちきにメモはとってはいけない

…あなたは書記ではない…

書く習慣をつくるのはいいことなのですが、どうも日本人には、一つだけ間違った書く習慣が根付いてしまっているように思います。それは、「メモをとる」ということに関してです。もちろんメモ自体はアイデアや情報を書きためておくための、重要なツールです。ところが最近の人たちは、人の話を聞いているときに、ろくすっぽこちらの顔を見もしないで、せっせとノートやメモを書いている。授業でも、講演でも、あるいは取材の場面でもそういうことがあります。人の話を聞くときに、メモをとってはいけません。

そう言うと、「世間で言われていることと違う」と思われるかもしれませんが、私と同じことを言っている人は数多くいます。例えば、元国際日本文化研究センター所長の山伏哲雄さんも、宗教の授業を高校生にしているときに、真っ先にノートにメモをとっている学生に足して「それはやめてください」と要求しました。メモをとっていると、話を聞いて、頭を使って考えることに集中できない。メモをとるのだったら、授業が終わって自分の部屋に帰ってから、頭に残ったことをメモするようにしなさい、ということなのです。

確かに記者のような職業であれば、あとで忘れてしまうような情報を、きちんとメモに残しておくことも必要でしょう。あるいは仕事の日程など、その場でメモをとらなければいけない問題もあります。けれども、記録というのは本来二次的な要素であり、本当に重要なことは疑問点を確認したり、わからないことを質問して明確にすることなのです。ところが学校でも会社でも、「重要なことをしっかりメモしておけ」と要求するから、多くの人がその場で書記の仕事に専念してしまいます。

書記の実務というのは言ったことを記録に残しておくだけですから、機械的なことをやっているのと同じ。それはすなわち「ものを考えず、ひたすら事務に徹する」ということです。

どうしてもメモをとらなければいけないときなど、私は部下を連れて行って彼にメモをお願いし、自分は相手の話に集中して、質問することに徹するようにしています。そういう恵まれた環境にない人でも、録音を残しておくなど、メモしないですむための工夫はいろいろできると思います。メモをとっていれば、必然的に集中力は書くことの方に向かいます。だから講演などでも、完璧なメモが目の前に残っているにもかかわらず、実は話の半分も理解していないということがいくらでもあるのです。ですからセミナーなどでも、まず重要なのは聞いて、考えるということです。メモというのは、その合間にやればいいことなのです。



『スピード思考力』榊原英資


2014年02月22日(土) フクシマ  直接死を上回る関連死

原発が奪った母の命

東京電力副島第一原発事故から3年。福島県ではいまなお13万6000人が避難生活を強いられ、心労で命を落とす震災関連死が続いている。その数は3月3日現在1664人で、副島の実態は原発関連死そのものである。地震・津波による直接死の1603人をはるかに上回っている。

関連死447人と健で最多の南相馬市。仮設住宅で暮らす西田一郎さん(62)仮名も避難中に当時84歳の母親を亡くした。「原発が爆発し、いきなり避難しろ、ですよ。青森、会津、福島市など8ヶ月で7回も引っ越しました」原発20キロ圏の南相馬市小高区の自宅では元気だった母。移動ごとに意欲が減退して引きこもりがちになっていった。事故1年後に衰弱して倒れ、2012年4月、亡くなりました。市は、原発避難が死亡原因であるという訴えを認め、災害弔慰金を支給した。西田さんは今、東電に慰謝料を求める調停を申し立てている。「母の死は原発関連死そのもの。なのに東電には人の命を奪った反省がない。時間はかかっても最後まで責任を追及していきたい」

国・東電に翻弄される被災者

西田一郎さんは、心労と長く続く仮設暮らしで自らも体調を崩して病院通いの日々。仕事も始められない。「避難中に高血圧と糖尿病を発症し、睡眠薬がないと眠れない」弔慰金支給の審査は、遺族自身が手続きをしなければ始まらない。遠隔地にいて申請できない人や制度を知らない人もいるだろう。私も母の死後、市の説明で初めて制度を知った」と西田さん。統計に反映されない関連死も少なくないとみられる。

認定に差が

市町村が設置する審査会での弔慰金支給認定率は、県全体で80.1%。中には50%未満の自治体もある。国は2011年4月、「災害の半年以降は関連死と推定しない」とした2014年の新潟県中越地震当時の長岡市の基準を、関連死は自然災害のみを対象とする制度だとし、副島の現実を考慮していない。しかし原発事故で被災した副島の状況は複雑だ。

関連死の時期をみると、福島では6割が事故から半年以内に集中している。同1年以降の比率も高く、全県で16%、原発周辺の双葉郡8町村で23%にも達している。「原発事故の関連死に使える制度がない」「市町村ごとの運用に違いがある。国は独自基準を示してほしい」と、自治体の担当職員の声も出ている。

自殺者も

関連死には自殺者も含まれている。他方、原発事故との因果関係が明らかでも関連死認定から漏れる例もある。その一例が、震災の2週間後に自殺した須賀川市のキャベツ農家、樽山久志さん(当時64歳)である。有機栽培に取り組んでいた父親の後を継いだ息子の和也さん(38)は、「父の自殺は原発事故でキャベツ出荷停止の連絡があった翌日でした。原発事故のテレビ映像を見ながら父は『福島の百姓はもう終わりだ』と口にした。辛さに気づいてあげられなくて悔しい」と語る。

弔慰金申請手続きは、役所の窓口で断られたものの、和也さんら遺族は、損害賠償を求めて、東京電力との調停を、原子力損害賠償紛争解決センターに申し立てを行なった。昨年6月、弔慰金支払いの和解が成立した。原発事故による自殺で因果関係と法的責任を認めた初めての事例である。被災者2600人が加わる「生業を返せ、地域を返せ!」福島原発訴訟原告団長の中島さん(58)が語る。「原発関連死で多くの命が奪われたのに、一顧だにしない国や東電に怒りを感じる。再稼働すれば次なる人権侵害を生む。その危険性を避けたい」


『週刊朝日』


2014年02月21日(金) 姓名の暗号 ②

ドーキンスの利己的遺伝子を超える、魂の遺伝情報

ここでどうしても私は、リチャード・ドーキンスの利己的遺伝子を持ってきたくなります。リチャード・ドーキンスは英国の有名な動物行動学者。彼が1976年に書いた『利己的遺伝子』という本は世界中に新風を巻き起こしたので、知っておられる方も多いでしょう。彼が提唱した「利己的遺伝子」という概念がまことに面白いのです。進化論というと、ダーウィンを思い出しますが、ダーウィンは適応力の高い生物が生き残るという、「自然淘汰による進化理論」を打ち出したのでした。変化に対応して組織や身体を変えていった生物が、新種として生き残りそれが進化につながったという見方です。

ダーウィンの時代には、まだDNAは発見されていませんでしたから、生き残りをはかろうとする主人公はあくまでも”個体”でした。ところが、ドーキンスは、この主役の座に”遺伝子”を持ってきたのです。「自然淘汰の世界の中で、環境に適応して生き残ろうと必死の戦いをしているのは、ダーウィン言うところの”個体”ではなく、”遺伝子”それ自身だ」という見方は、きわめて新鮮で、世界中をうならせたのもよくわかります。結局、ドーキンスは生命の本質を、遺伝子の生き残りをかけた戦いと見ているのです。こういう見方からすれば、人間とは”遺伝子を生み出すための道具”でしかありません。

彼は「遺伝子は、自己の生き残りのために権謀術数を駆使する」と述べています。また、「遺伝子は、自分が生き残ることしか考えていない」とも。だから利己的遺伝子というわけなのです。彼によれば、遺伝子は最初、丸裸だった。だから不安で自分の周囲に”壁”を作った。すろと、壁を持っていないほかの遺伝子よりも生存率が高くなった。これがいわゆる細胞です。さらに遺伝子は、細胞をいくつも集めて”生物”という乗り物を作った。これが我々のことです。すると、もっと生存率が高くなった。そうやって進化が進んでいった、と言うのです。

つまり、ドーキンスによれば、遺伝子は最初、丸裸だった。だから不安で自分の周囲に壁を作った。すると、壁を持っていないほかの遺伝子よりも生存率が高くなった。いわゆる細胞です。さらに遺伝子は細胞をいくつも集めて”生物”と言う乗り物を作った。すると、もっと生存率が高くなった。そうやって進化が進んでいった、と言うのです。つまり、ドーキンスによれば、我々人間は「生き残りを目的とする遺伝子の乗り物」にすぎなくなります。そして、その乗り物は寿命が来ると終わりになりますが、遺伝子には痛くも痒くもなく、むしろ、それが得策だと思えば平気で個体を犠牲にするというのです。個体の死よりも自分たちの繁栄の方が大事なのだ、と。

私には、その考え方がとても面白く、また参考になるところもいくつかあって惹かれたのでした。その一つは、遺伝子を既成の概念から自由にして、”個体を超えた一つの生き物”のように捉えた点です。つまり、彼の説を信じるなら、「人間の行動を規制しているのは、人間の意志ではなく遺伝子、あるいは遺伝情報それ自体だ」ということになります。さらに利己的遺伝子を生命活動の根源に置いたところにも惹かれます。中国の『韓非子』やマキャベリの『君子論』を持ち出すまでもなく、人間の行動の原点にこの利己心があるとは認めざるをえません。宗教も哲学も心理学も、人間というものが利己的であることを認めたうえで、そこから論を展開しています。

ただし、ドーキンスの説に「?」を感じる部分も多々あります。たとえば、利己的遺伝子を認めれば、人間に利他的な面があることを説明できません。マザーテレサの例を出すまでもなく、人間には自己を犠牲にしても他者のために尽くしたいという気持ちがあります。これは、利己的遺伝子の目指すものと180度異なっています。また、彼によれば利己的遺伝子一番に目指すものは”自己増殖と多産”だそうですが、現在の少子化を見ると大きな矛盾が出てきます。すなわち、子供を作らない夫婦の増加や、生涯独身というライススタイルの出現について、その矛盾を説明できません。

やはり、ドーキンスの説には少し無理があるように思います。つまり、彼が打ち出した利己的遺伝子には、意識作用、精神作用のメカニズムが欠けているのです。私自身は、DNAに乗って運ばれてくるのは、肉体的な遺伝情報だけでなく、より重要な魂の遺伝情報だと思っています。それをつかさどっているのが、”霊的遺伝子”であり、”魂ゆら”なのです。姓名を研究していて気づいたのですが、人の心の中には魂とでも呼ぶしかないものが存在し、それがその人を突き動かしている。そして、その魂ゆらはどこから来るかというと、どうやら、祖父母の代から覚醒して、あるいは父母の代から直接来ているらしい、ということがわかってきたのです。

そこで私は、この”魂ゆらを運ぶ遺伝子”に「霊遺伝子」という名前をつけたのです。DNAは先祖から私たちへとつながるパイプのようなものです。そのパイプを通って、魂ゆらが流れ込んでくるのです。しかし、どんな魂ゆらでもいいわけではありません。満足しきった魂は昇天して消えてしまうらしく、現世に戻ってきません。戻ってくるのは満たされなかった魂、思いを遂げられなかった”無念なる魂”だけで、それらがリベンジ(やり直し)をはかろうと挑戦してくるのです。そして彼ら”無念なる魂”が狙うのは、前世で果たせなかった切なる思いで、一代で遂げられなかった場合は、二代をかけてそれを満足させようとします。

ドーキンスの利己的遺伝子は、何がなんでも生き残ろうと権謀術数を駆使しますが、この”無念なる魂”も同じです。自分が至らなかった点、その原因を見極めたうえで、今度は逆な形で、私はそれを逆霊の法則と呼んでいます。性を変え、ドーキンスの言う「乗り物」を変えて再挑戦してくるのです。



『姓名の暗号』 樹門幸宰(じゅもん こうさい)


2014年02月20日(木) 姓名の暗号 ①

名前とは、いったい何か

人間はこの世に生まれてくると名前を持ちます。名前を持たない人はまずいません。少しのずれはあっても、誕生すると二週間以内に名を与えられ、結婚で姓が変わることはあっても、死ぬまでその名前で自己の存在を表示します。逆に言うと、名前がなければ、それはもう存在のない人となります。「名無しだと、“魂”というものが授からないのかもしれない。それで、人間性や社会性も育たない…」とそんなふうに考えるのは、教科書に載っている「狼少女」の例を思い出すからです。この話は一部に誤りが?」と最近になって言われはじめてはいますが、教訓の多い話であるのは確かなので、取り上げることにします。

1920年、インドのジャングルで、狼に育てられた二人の少女が見つかりました。発見者のシング牧師は二人を引き取って育てました。彼女たちは四本足で歩き、生肉を食べ、暗闇では目を光らせて遠吠えするなど野生の狼に限りなく近かったそうです。その後、下の子は一年くらいで死に、カマラと名づけられた上の子だけが9年ほど生きましたが、結局17歳で亡くなるまで、彼女が人間らしい心を取り戻すことはありませんでした。言葉を覚えず、情緒らしきものを表現することもできなかったのです。

この例から、学者たちは環境の重要性を訴えました。人間の遺伝子を持っていても、狼に育てられるといった異常な環境下にあっては、人間的な要素は全く育たない。つまりは「氏より育ち」「遺伝子よりも環境」だということです。この問題をめぐって多くの論争が行なわれたようですが、しかし、学者たちが見過ごした点が一つだけあります。それは名前です。ジャングルで発見されたとき、二人の少女は実に名前というものを持っていなかったのです。

この世に誕生しても名を持たず、一度として名前で呼ばれなかった彼女たちに、人間的な性質が芽生えなかったとしても当然のように私には思えます。なぜなら、名前は魂に深く結びついているからです。名前がないということは、魂がないということに等しく、自己を表現することができなかったとしても少しも不思議はありません。彼女たちと比較しながら、ヘレン・ケラーの例をあげてみましょう。彼女は、三重苦の障害を乗り越えることで、世界中の恵まれない人に大きな希望をもたらした素晴らしい人です。

ヘレンは1歳7ヶ月の時に熱病にかかり、突然、目と耳が使えなくなり、口もきけない状態となりました。この点では狼少女たちに劣らず、過酷な環境下にあったといえます。しかし彼女は、狼少女にはないものを一つだけ持っていました。それは、ヘレン・ケラーという名前です。名前があったということは彼女の心の中に、人間を人間たらしめる魂があったということになります。後にサリバン女史によって彼女の心が開いたのもの、この魂が心の中に宿っていたからにほかなりません。名前というものは人間存在に深く結びついていることだけは、わかっていただきたく思います。

名前はなぜあるのか

「名前は人間存在と深く結びついている」と述べましたが、これについて少し考えてみましょう。最初に浮かぶのは、名前はなぜあるのか?という疑問です。「だって、名前がなかったら不便じゃないですか、話をするのに…」と、ほとんどの方が言うでしょう。そのとおり、名前は、ものを特定し、それを他のものと識別するのに欠かせません。人間はある集団を一括りにして名前をつけています。例えば、26番目の遺伝子のXYの染色体がある人間を男や、男性と呼んでいます。これは単に性を区別した言葉であって、抽象的な概念であり、特定の実体を示したものではありません。これを普通名詞と言います。

とにかく、名前というものがあるから、かろうじて私たちは共通の概念を持つことができ、また自己の存在を示すことができるのです。では、名前の役割とはそうしたことに尽きるのでしょうか。名前とは単なる識別記号であって、それ以外に意味はないのでしょうか。私は実は、そう思っていないのです。名前には、それ以上のすごい意味と存在理由があると思っているのです。



『生命の暗号』


2014年02月19日(水) 慰安婦問題の真実

旧日本軍の慰安婦に冠する、NHKの籾井会長の発言が国内外で問題になっている。1月25日の就任会見で、「慰安婦は戦争をしているどこの国にもあった」と発言した。橋下徹大阪市長らの主張と同じ内容で、”みんながやっていた”という責任逃れの論議だが、歴史の真実とも全く食い違う。改めてQ&Aで検証した。

Q どこの国でもあったのか?

A 戦時などで軍の周辺にいわゆる「売春婦」がいたことは他国でも見られることだ。しかし、日本軍の慰安婦や慰安所は、これと根本的に違う。アジア太平洋地域に侵略した日本軍は、直接・間接的に慰安婦を集め、慰安所を管理・運営し本人の意志に反し、強制的な状況で性行為を強いた。慰安婦は各地で集めたが、日本の植民地だった朝鮮半島が大きな比重を占めた。これは、自民党の宮沢内閣が日本軍の資料を調べ、慰安婦からの聞き取りもした上で発表した、河野洋平官房長官(当時)の談話(1993年8月)ですでに認めていることである。

慰安婦問題を調査研究してきた吉見・中央大学教授は次のように指摘する。「最大の問題は、軍がつくった性奴隷制度だということである。女性たちは居住、外出、性行為の拒否、廃業などの自由を奪われた。軍慰安婦は軍の施設として、軍の命令でつくったもので、慰安所規則も作り、管理、統制し、性病検査もやっていた。これは日本軍の公文書で確証されている。さらに吉見教授は「第二次大戦中のドイツ軍も、軍中央が公認・推進していたといわれる」と指摘する。その上で、第一次大戦で植民地をすべて放棄したドイツに比べ、朝鮮半島などの植民地の女性を戦地に連行したのは、日本だけだと強調する。

Q 慰安所はいつ頃、なぜつくられたのか?

A 慰安所が最初につくられたのは、1932年の上海事変の頃。1937年の日中全面戦争を契機に、占領するアジア太平洋地域に慰安所を拡大していった。当時、占領した日本軍による中国人女性への強姦が多発し、日本軍に対する怒りを高めた。このため積極的に施設をなすを可と認め、兵の性問題解決策に関し種々配慮し、その実現に着手する」(岡部直三郎上海派遣軍高級参謀の日記、1932年3月14日の項)とした。さらに、性病蔓延の防止、性的慰安の提供、、スパイ防止といった理由もある。いずれも日本軍の侵略戦争遂行に有利だからである。

戦争遂行に従って拡大

Q 慰安婦をして金を稼いだのではないか?慰安婦は稼いでいたという主張は?

A 慰安所利用規則には、兵士は料金を払うという規定があった。軍に委託された業者らは名目上、何割かを慰安婦に渡すことになっていたが、実態はさまざまな理由をつけて搾り取られていた。お金を受け取った少数の者も、多くが占領地で物資調達などに使用される通貨である軍票で支払われており、敗戦になると無価値になった」(吉見義昭、川田文子編『従軍慰安婦をめぐる30のウソと真実』のだ。

実態は搾り取られていた

Q 日本軍の関与がわかる文書があるか?また、慰安婦、慰安所と日本軍の関係を示す文書はあるか?

A すでに公開されている文書でも軍の関与は明白である。『従軍慰安婦資料集』からいくつかを紹介する。1992年に吉見教授が発見した陸軍将兵務局へ医務課起案の「軍慰安所従業婦等募集ニ関スル件」と題する文書によると、陸軍省は慰安婦について「募集などに当たりては派遣軍において統制すること、実施に当たりては関係方面の憲兵および警察当局との連携を密にすること、と指示している。

また、フィリピンのパナイ島イロイロ市にあった、「軍政監部ピサイヤ支部イロイロ出張所の文書「亜細亜会館、第一慰安所規定送付の件」では、事細かな管理規定が記されている。「慰安所の監督指導は軍政監部…管掌」「慰安婦散歩は毎日午前8時より午前10時まで…散歩区域は別表に依る」慰安婦は外出も含め、がんじがらめに縛られていた。安倍首相の「直接、強制連行をした文書はない」として慰安婦への強制性を否定する主張もある。しかし、強制連行指示の文書の有無にかかわらず、一連の文書や、慰安婦の証言からも、軍の強制は明白で、世界で性奴隷制度と批判されるのは当然である。


河野洋平官房長官談話 1993年8月4日発表

今次調査の結果、長期に、かつ広範な地域にわたって慰安所が設置され、数多くの慰安婦が存在したことが認められた。慰安所は、当時の軍当局の要請により設営されたものであり、慰安所の設置、管理および慰安婦の移送については、旧日本軍が直接あるいは間接にこれに関与した。慰安婦の募集については、軍の要請を受けた業者が主としてこれにあたったが、その場合も甘言、強圧によるなど、本人たちの意志に反して集められた事例が数多くあり、さらに、官憲等が直接これに荷担したこともあったことが明らかになった。また、慰安所における生活は、強制的な状況の下での痛ましいものであった。

直、戦地に移送された慰安婦の出身地については、日本を別とすれば、朝鮮半島が大きな比重を占めていたが、当時の朝鮮半島は我が国の統治下にあり、その募集、移送、管理なども甘言、強圧によるなど、総じて本人たちの意志に反して行なわれた。(以下略)


慰安婦裁判記録から

日本での裁判や、国連の調査でも慰安婦の実態が明らかにされている。

■中国・海南島の陳金玉さんら8人が日本政府に対し、名誉回復と損害賠償を求めた裁判の東京高裁判決(2009年3月)

被害女性らは当時、14~19歳の女性で…軍の力により威圧・脅迫して自己の性欲を満足させるために陵辱の限りを尽くした軍人らの加害行為は、極めて卑劣な行為であって、厳しい非難を受けるべきである。

■国連人権委員会に任命されたクマラスワミ特別報告者のの報告書(1996年1月)
朝鮮半島出身の慰安婦、チョン・オクスンさん(74)―「当時13歳だった私は畑で働く両親の昼食を用意するため、村の井戸に水くみに行きました。そこで日本人の守備兵の一人に襲われました。…恵山市の日本陸軍の守備隊に連れて行かれ…日本兵のため性奴隷として働かされました」


『週刊朝日』


2014年02月18日(火) 侵略戦争を美化

ドイツなら即刻辞任

NHKの籾井(もみい)会長や経営委員の発言を知ったとき。最初に感じたのは怒りである。彼らは嘘を言っているからだ。例えば、「慰安婦の問題はどこの国にもあった」という発言である。軍「慰安婦」という制度が、当時の日本帝国軍の特有なものだったということは、海外でも日本国内でも合意になっている。これは国が組織し、強制したシステムだった。性奴隷制度であり、戦争犯罪である。ただ、今回の発言で驚きはなかった。ナショナリストの安倍さんが首相になって以来、日本で続く現実だからである。

ドイツでホロコースト(ユダヤ人虐殺)がなかったと公共放送幹部が発言したら、即刻辞任である。辞めさせるよう世論が起きて、その日のうちに辞任である。ドイツだけではない。率直に言って、こんな発言をする人が職に留まれる国はないと思う。安倍首相が籾井氏らをかばうのは、自分の考えを彼らが言ってくれるからだ。国民に影響を与える公共放送を政府の宣伝機関にし、日本を右傾化させていく戦略の一つなのだろう。

安倍首相が靖国神社に参拝して以降、日本は国際社会からどんどん孤立している。日本のイメージは変わってきている。日本がかっての闇の時代へ戻ろうとしている。世界は今の日本の動きに恐れと警戒を抱いている。

カーステン・ゲアミス   
独日刊紙フランクフルター・アルゲマイネ東アジア特派員



海外メディアも一斉に報道

海外メディアがNHK会長らの暴言を一斉に取り上げている。米紙ニューヨーク・タイムズは「慰安婦の問題はどこの国にもあった」などの籾井会長の発言について「彼の見解は、多くの外国の歴史家に拒否されてきた」と強調した。「日本の”BBC”は第二次世界大戦での日本の役割をいかに書き換えるのか」。こんな見出しを掲げたのは英紙インディペンデント。「南京大虐殺はなかった」などの吉田尚樹氏の発言を紹介し、「こうした見解は日本の歴史修正主義者によくあるものだ。しかし吉田氏は公共放送の経営委員なのだ」と驚きを隠さない。

同じく、英紙のフィナンシャル・タイムズは買って安倍氏が日本軍「慰安部」問題をテーマにした番組の内容改変を求めて圧力をかけた事件や、自らの盟友を経営委員に任命したことなどを示し、「安倍氏の干渉が、NHKのイメージを汚している」と伝えている。仏紙ルモンドも「NHKの経営上層部の人物が、日本帝国軍による南京での虐殺を全面否定」と報じた。韓国の中央日報は、籾井会長の発言をかばう日本政府の姿勢などをあげ、「太平洋の小さな孤島ガラパゴスになりつつある日本が残念だ」と述べた。


『週刊朝日』


2014年02月17日(月) 慰安婦問題

「慰安婦はどこの国にもあった」と語ったNHKの籾井(もみい)勝人会長。その会長を選ぶ経営委員2人もとんでもない暴言で国内外の厳しい批判を浴びている。経営委員に任命したのは安倍晋三首相。こんな人物をなぜ公共放送であるNHKの経営委員にしたのか、背景を追跡した。

「南京団虐殺はなかった」「アジア侵略は大嘘」…。東京都知事選に立候補した元航空幕僚長の応援演説に立ち、こんな暴言を繰り返したのはNHK経営委員の百田(ひゃくた)尚樹氏(作家)。他候補を「人間のクズ」とも貶めた。中韓両国はもとより、米政府からも非常識だ、と強い批判が出ている。もう一人は、埼玉大学名誉教授の長谷川三千子委員。朝日新聞東京本社で「朝日と差し違える」と叫び、拳銃自殺した右翼団体幹部を「神にその死を捧げた」と礼賛する追悼文を発表していた。憲法の象徴天皇制を批判し、天皇を「現御神(あきつみかみ)」、つまり生きている神と表現し、テロ行為を礼賛した。

放送法はNHK経営委員の資格要件として「公共の福祉に関し、公正な判断」を求めている。その資格を欠く2委員を、なぜ安倍首相は任命し、今も擁護しているのか…・自民党が野党だった2012年7月3日、安倍氏が会長を務め、侵略戦争を肯定・美化する保守派グループ「創世日本」の総会が開かれていた。講師に招かれたのが長谷川氏だった。下村博文氏(現文科相)から「日本の保守の女性の鏡」と紹介された長谷川氏。アジ演説と前置きして攻撃した対象はマスコミだった。その内容はNHK経営委員の長谷川氏が、安倍首相を会長とする保守派議員グループ「創世日本」の2012年7月3日の総会で行なった演説。それは、第一次安倍内閣が挫折したのはマスコミのせいだという主張だった。

―マスコミが安倍首相を政治的に戦死させた。
―マスコミが腹痛で辞めた、投げ出した首相というレッテルを張った。
―マスコミのマインドコントロールに今も多くの国民や自民党員が洗脳され ている。

現安倍内閣には、安倍氏とともに委員の選考をした新藤総務相や菅官房長官など創世日本のメンバーが10人も入閣している。いわば思想的にも同士である長谷川氏を安倍氏がマスコミ対策の切り札としてNHKに送り込んだのである。他方、吉田氏は安倍首相と共著を出すほどの同志。そこでも「安倍政権に対して、今は左翼メディアの連中は虎視眈々と刃を研いでいるところだと思う」と注意喚起をするほどである。同志として安倍氏が擁護したとしても、侵略戦争を肯定・美化するという立場は、戦後政治の原点の否定であり、国際社会からの批判は必死である。



『週刊朝日』


2014年02月16日(日) 古代マヤの遺跡

失われた文明

世界中の王や神官や歴史学者の努力にもかかわらず、太陽と月の動きを日常生活と完璧に調和させる暦を作ることはできなかった。実際、19世紀になるまで古代文明研究者を本当に驚かせるような暦はほとんどなかった。ところが、19世紀に、中央アメリカのジャングルにある奇妙な遺跡についての報告が届き始める。

熱帯雨林のなかの神殿を覆う不思議な彫刻は、やがて古代の時計システムに関する従来の考えをひっくり返すことになった。19世紀末、アメリカ人の新聞記者ジョン・グッドマンよって、失われた文明が残した驚異的な暦システムの解明への本格的な一歩が踏み出された。

古代マヤの人々は、今のメキシコ南東部であるチアバス州とタバスコ州の一部、ユカタン半島、グアテマラ、ベリーズ、ホンジョラス エルサルバドル北西部あたりにすんでいた。この一帯全域が古代ギリシャにも匹敵するほどの文化の黄金時代を謳歌していたことが、今では広く知られている。西暦250年から900年にかけての古典期には。大規模な建造物が造られて都市が整備され、知的・芸術的にもめざましい発展が診られた。その一例が暦の完成である。

しかし900年頃、マヤ南部地域の多くの都市が突然放棄された。理由については今も議論が続いている。その後の後古典期(900~1521年)になると、マヤ、トルテカ、アステカ、イツア=マヤといった中米の諸文明の人々は、この暦システムの全体ではなく一部分だけを使うようになっていた。1519年スペイン人が現れてアステカを征服し、1521年には古代マヤ人の子孫たちを支配下に納める。これによって、古くからの暦も衰退の一途辿ることになった。



『古代マヤの遺跡』ジェフ・ストレイ


2014年02月15日(土) 歩くスピードと握力

ボケと脳卒中のリスクは、歩くスピードと握力でわかる

街を歩いていて、ふと、周りの人より歩くスピードが遅いのに気づく。あるいはこれまで開けられたペットボトルのフタが開けられない。どうしたんだろう。その小さな違和感が、実は非常に重要であることが判明した。

認知症の発症リスクは1.5倍

ガンコな性格、趣味が少ない、コミュニケーションが下手、偏った食生活……これまで「なりやすいタイプ」として、さまざまな事柄が挙げられてきた認知症。曖昧なものが多く、リスクが明確でなかっただけに、「自分は認知症になりやすいのでは」と不安を感じたり、逆に「オレは大丈夫」と根拠のない自信を持つ人もいるのではないだろうか。そんななか、米国ボストン・メディカルセンターのエリカ・カマルゴ博士らが興味深い研究結果を発表した。いわく、「歩くスピード」と「握力」で将来、認知症や脳卒中になりやすいかどうかがわかるというのである。

この研究は「フラミンガム・ハート・スタディ」FHSと命名された。アメリカの国家的調査研究だ。FHSは、マサチューセッツ州のフラミンガムという小さな町で1948年から継続して行なわれている調査研究で、とくに循環器分野では高く評価されている。これまでにも喫煙や高血圧、高コレステロール症が心臓や血管系の病気の発症リスクになることを明らかにするなど、いくつもの実績を残してきた。危険因子という言葉もFHSから生まれたという。今回の研究で、カマルゴ博士らは、平均年齢62歳の健康な男女およそ2400人を対象に、歩く速度と握力、そして認知機能を記録したうえで、11年間に及ぶ追跡調査を実施し、その11年間に34人が認知症を発症したが、歩くスピードが遅かった人は、速かった人に比べて認知症の発症リスクが1.5倍も高かったということがわかった。

また、MRI検査も行なっており、その結果、歩くスピードが遅い人の場合、大脳の総体積が小さくさらに記憶や言語、意志決定などの認知テストの成績が低いという傾向も判明したのである。同様に、「握力の強さ」も大脳の総体積の大きさと関係があり、握力の強い人ほど認知テストの得点が高い傾向があったという。また、この調査研究は、歩行速度や握力が脳卒中の発症リスクにも影響を与えていることも明らかにしている。11年間の追跡調査の間に、70人が脳卒中を発症したが、歩くスピードの遅い人ほど発症リスクが高く、速い人ほどリスクが低かった。そして、握力が弱い人は強い人に比べて、脳卒中の発症リスクが42%も高いとの結果が出ているのである。

カマルゴ博士はこの研究結果を踏まえた上で、「今後さらなる調査を続けていく必要があるが、神経科医や一般開業医が患者の認知症および脳卒中リスクを洞察する上で、一助となるデータだろう」と語っている。詳細なデータについては、今年4月に米国の学会で発表される予定だというが、今後の研究にも期待が高まっている。詳細なデータについては、今年4月に米国の学会で発表される予定だというが、今後の研究にも期待が高まっている。この研究結果について、医療ジャーナリストの田辺氏は次のように評価する。

「同じ人を11年間追うことで出てきた追跡調査結果には信頼性があります。運動と認知症の関連がより明らかになったのではないでしょうか。今後、なぜこうした現象が起るかという裏付けが明らかになれば、簡単に認知症を予防することが可能になるかもしれません」なぜ、同じ研究データから、認知症と脳卒中の発症リスクが計れるのか、疑問を持つ方も多いかもしれない。この理由について、田辺氏は「認知症は、いまだ原因不明ですが、脳の神経細胞が死んで脳が萎縮する、いわゆるアルツハイマー型と、脳卒中の後遺症として、脳の血管が詰まり一部の細胞が死んでいくことが原因の脳血管性型があるとされています。脳の機能が低下し障害が出ているという点で、認知症と脳卒中はその発症リスクにおいても関係していると考えられます」と説明する。

握力が強い人ほど死亡リスクが低い

さらにFHSの調査研究発表とほぼ同時期に、日本でも「握力」と「脳卒中」の関連を示す研究データが発表された。これは九州大学の熊谷教授を代表とする厚生労働科学研究班によるもの。福岡県久山町に住む40代以上の2527人(男性1064人、女性1463人)を対象にした、約20年間にわたる追跡調査の結果である。この調査では、男女別に握力が弱い順から人数が均等になるように、各4組にグループ分けし、年齢や飲酒状況などの要素を補正したうえで、死亡原因との関係を調べた。

すると、男性35キロ未満、女性19キロ未満の握力が最も弱い組に比べ、男女ともに握力が強い組ほど死亡リスクが下がることがわかったのである。男性47キロ以上、女性28キロ以上の最も握力の強い組の死亡リスクは最も弱い組より約4割も低かったというから、その差は明白だ。またFHSの調査同様、握力が強い組では、脳卒中になるリスクが低いことも明らかになったのである。ちなみに握力の目安だが、ペットボトルのキャップを開けるのが困難なときがある人は20キロ未満、未開封の栓を開けるのに難儀をする人は30キロ前後と思われる。但し、これはあくまでも目安。手の大きさや指の力、缶や瓶の種類などで変わってくる場合もあるだろう。

この研究では、握力が脳卒中だけでなく、心臓病など循環器系の病気の発症リスクと関連していることも裏付けられている。調査によると循環器系の病による死亡リスクについては握力の最も強い組は、最も弱い組の半分しかなかったという。つまり、握力の差は、長生きできるかどうかの差になっているというわけだ。この調査結果について熊谷教授はこう語る。「握力の強さが健康に影響があるというのは、これまでに同様に研究がいくつかありましたが、対象者は高齢者が多かった。今回は40代以上に対象を広げており、発症リスクを考える上では非常に意味のあるデータです。また、久山町という場所は産業構造や人口構造などの環境が日本全国の平均とほぼ同じ形態を持っており、研究結果は久山町に限ったことではなく、一般化できるものなのです」

この調査では握力と認知症リスクとの関連については対象にしていないが、前出の田辺氏は次のように分析する。「先述したように、脳血管性型の認知症と脳卒中には関連性がある。脳卒中のリスクが低いことがそのまま認知症リスクが低いことにはつながらないとしても、この研究も認知症のリスクの目安になるのではないでしょうか」ただし、このデータで握力だけを鍛えればよいと考えるのはやや早計だ。文部科学省の調査によると、一般男性の握力は30代後半から40代前半をピークに年々衰えていくが、これはあくまでも平均値。前出の熊谷教授もこのデータについて、「握力が強い人は死亡リスクが低いということはわかっていますが、握力を鍛えれば死亡リスクが下がるというデータではありません。また、握力が強いというのは日常の運動状況が背景にありますので、握力だけを鍛えればいいというものではありません」と指摘している。

とくにウォーキングなどの運動をしなくても、普段から速く歩くクセのある人は、自然に足の筋肉をよく動かし、脳を含めた全身の血流をよくしていると思われている。さらに、医療ジャーナリストの森田豊氏は、二つの研究に対して次のように期待を持っている。「今回の研究結果は統計に基づくものであり、理論的な裏付けは今後の課題になるでしょう。しかし、握力や歩くスピードなど日常的に意識しやすい事象で、認知症や脳卒中のリスクを認識できるということは、早期発見、早期治療のために非常に意味のあること。とくに認知症は進行を遅らせることはできても、かかってしまったら治すことはできない。自分や家族の歩く速さなどを知っておくだけで、発見を早めることができると期待できるのではないでしょうか」


『週刊ポスト』 2013 4.2


2014年02月13日(木) 水陸機動隊 佐世保に司令部

最大3000人 先覚有事に備え

防衛大綱で新設方針

政府が2013年に策定した「防衛計画の大綱」で新設方針を打ち出した。「水陸機動団」の全容が2月2日、明らかになった。機動団は離島防衛の専門部隊の「西部方面普通科連隊」で約700人を置く長崎県佐世保市などに配置し、3連隊を整備する。新設する陸上総隊の直属部隊とし、合計2000~3000人規模の大部隊とする。

政府は平成30年度までの編成完了を想定しており、中国による沖縄県石垣市の尖閣諸島への威嚇と挑発をにらみ、不測の事態に対処できる態勢整備を急ぐ。機動団の主要戦力「第一連隊」は西部方面普通科連隊を発展的に改組し、司令部とともに長崎県佐世保市に置く。第2,第3連隊の人員はそれぞれ700~900人とする予定で、現時点では拠点は未定だ。機動団は米軍の海兵隊的機能の中核をなす水陸両用車について、平成26年度までの2年間で6両を試験車両として整備し、運用試験を行なった上で、平成30年度までに52両を配備する。

陸上自衛隊は水陸両用車を投入する作戦構想を策定する。構想の素案では、南西諸島の島嶼部(とうしょぶ)が侵攻された場合、水陸両用車を戦闘地域の島から数キロ離れた海上から発進させ、戦闘部隊を揚陸させる。陸自は米軍の垂直離着陸輸送機MV22オスプレイも導入する予定で、同機で前線に部隊を投入することも可能になる。離島侵攻の際、陸海空3自衛隊の統合運用を指揮するのは新設する「陸上総隊司令部」だ総隊司令官は機動団の運用に加え、全国を5地域に分けた方面隊も統括する。

陸自では、現場に全国各地から派遣できる「即応機動連隊」を全国に合計15ある8000人規模の師団と、4000人規模の旅団のうち7カ所に導入する方針で、各地域の部隊も迅速に南西諸島へ展開させる。陸上総隊司令官は、海上自衛隊の作戦中枢である「自衛艦隊」や航空自衛隊の「航空総隊」と連動した作戦調整も主導する。米軍との連携強化を念頭に、陸上総隊司令部は、在日米陸軍司令部がある神奈川県座間市のキャンプ座間に置く案が有力視されている。


『産経新聞』2/3


2014年02月12日(水) 医者の限界を知る ③

怖いし、逃げたい

「治す」ということが医師の仕事のすべてであるなら、末期ガンで打つ手がないという患者は、もはや医師の仕事の対象ではない。だが、たとえ救いようのない末期であったとしても、少しでも患者が満足して逝ける医療を施そうと心を砕く。そんな名医もいるのだ。医師たちを悩ますものは、医療技術の限界だけではない。平岩医師のように、医者として与えられた任務をこなす中で、自身の「心の限界」にも必ず直面する。

北里大学病院・外科教授の渡邊医師も、そうした一人だ。「本当は辛い仕事だと思いますよ。私たちにできるのは、目の前の患者さんの人生に、少しでもいいから彩りを添えてあげること。喜べる時間を少しでも長くすることぐらいでしょう。神に祈りながら生きているようなところがある。渡邊医師は、体にやさしい大腸ガンの腹腔鏡手術のパイオニアだ。そんな医師でも日々、惑い、苦悩することがあるという。「学会で海外に出張中でも、手術した患者さんのことが気になって仕方がないんです。病院に電話して『落ち着いています』と聞いたら、とたんに上機嫌になるし、逆なら一刻も早く日本に帰りたいと思う。

よく、仕事と私生活は切り離してとかいうけれど、そんな簡単に切り離せる人なんていない。外科は自分で患者さんに手を下して、その後、年単位で診ていく。やっぱり人間だから情が移るんですよ。そんなときに再発なんてされちゃうと、この人を失わなくちゃいけないのか、と想像するだけで悲しくなってしまうんです。再発したのも、自分の手術が悪かったのではないか、と自問自答しながらやってきました。それくらい怖いんです」

渡邊医師は、手術というものは「患者さんに対する傷害」だという。命を助けるためとはいえ、傷害を与える以上、細心の心配りをしなければならないのだ。「私たちは、絶対に患者さんの痛みを知ることができない。想像するしかできないんです。で、も、想像したって本当の痛みには絶対到達できない。だから、誠心誠意やらないといけない、そう思っています」だが、どんなに医師が手を尽くしても、人には必ず死は訪れる。「一人の方の最後の一瞬まで付き合う。ものすごく辛いんです。本当は、そこから逃れたいと思っている。病室で寝ているその方のところへ行ったとき、何か話さなければならないのだけど、その教育を僕らは受けていない。そういう状況の中で学んで、最善を尽くしていかなければいけないんです」(渡邊医師)

医者の心の限界は、患者を救うことでしか超えられない。その一方で、医師個人の技量や努力では超えられない限界もある。医療制度が抱えるさまざまな問題がそれだ。その中の一つに、まず「包括医療制度」があげられる。抗ガン剤治療の第一人者である、ガン・感染症センター都立駒込病院院長の佐々木医師が言う。「ホスピスの場合、内服の抗ガン剤やホルモン剤なども含めて、ガン治療を全く行なわないところが増えてきています。これは、10年ほど前から患者一人あたりの診療報酬が1日37.800円と決められていることにも関係しているようです」つまり、上限が決められている以上、積極的な治療をすればするほど、病院側の利益が減ってしまう構造になっているのだ。「ホスピスは、『ご本人が治療しないことに納得するか、治療をあきらめて頂いてから紹介してください』と言ってくるケースもあります。生きることを諦めた人だけが入れる、というのは辛いことです。どんな状況であれ最後まで『生きたい』という思いの患者はたくさんおられますから」

東京厚生年金病院・泌尿器科部長の赤倉医師は、「ドラッグラグ」の問題を指摘する。「日本で新薬の認可を司る機関は、医薬品医療機器総合機構ですが、ここの人的パワーはアメリカに比べると圧倒的に劣っている。そのため認可に時間がかかります。さらに製薬メーカーも、時間と費用がかかる割に、日本では新薬はそれほど大量には売れないというので、アメリカほど積極的ではない。認可を受けるのは、特許が切れた後でもいいという考えがあるかもしれません」

ガン治療における医療経済の問題点もある。「例えば前立腺ガンになった場合、精巣を完全に切除する去勢手術と、定期的なホルモン剤の注射のどちらを選ぶかと患者さんに聞いたら、ほとんどの人は後者を選ぶでしょう。でも、ホルモン剤だと一ヶ月約5万円で一生続きます。去勢手術に比べ、圧倒的に医療費がかかるんです。これでは、個人の問題だけではなく、国の医療費にも限界が来ます。高齢の患者さんであれば、一度去勢手術をしてしまえば、病院に何度も通う必要はなくなるので、将来的に考えるとそちらの方がよい場合もある。このように、さまざまなメリット、デメリットを踏まえた上で、治療法を考えていかなくてはなりません」(赤倉医師)

外科医では、手術の「診療報酬」がネックになる。「肝臓ガンの手術でも、手術の難易度に関係なく、取り出した肝臓の量に応じて点数が上がっていくというシステムでは、外科医の技量が評価されない。逆に、難しい手術の方が点数が低くなっているくらいです。現場を知らない人たちが保険点数を決めているからこのようなことになってしまう。神経をすり減らし、体力も酷使される割に、金銭的に報われないというので外科医の志望者数は1980年代半ばの3分の1まで減っています」(前出・幕内医師)

医者だって悲しい

さらに、医療制度の問題は枚挙にいとまがないが、そんな数々の限界の中でも、知恵を絞り、身を削って患者と向き合おうとしている医師はいるのだ。「治療がうまくいった人より、うまくいかなかった人の方がずっと覚えていますね。頑張っても、どうしようもないこともある。患者さんが亡くなったあと、ご家族から『先生にお任せしてそうなったのだから、悔いはありません』そう言われると、本当に申し訳なく思う。手術をしなければ、今頃ひ孫と遊んでいられたかもしれないなどと考えてしまいます。その重みを、私はいつも背負っています」

前での渡邊医師はこう言うが、右の家族の言葉は、心からの言葉だったに違いない。名医であるほど、自分の手で患者を救えなかったとき、患者には見えない部分で、心を痛めているのだ。あなたが患者になったとき、そして自分の家族が患者になったとき、もし医者が心に抱える苦しみも共有できたのであれば、医者とのよい関係を築きよりよい生を全うできるだろう。どんな命にも限りはある。医者にも医療にも限界があることを知り、自分の病状を客観的に把握した上で、自分が医師に何を望むのかを明確にする。これが上手な患者になる心得と言えるのではないか。


『週刊現代』


2014年02月11日(火) 医者の限界を知る ②

私に何をしてほしいのか

一方、医療の限界は患者やその家族の問題によって直面することもある。東京ハ-トセンターの南淵センター長は、「一番困るのは、患者が何を求めているのかがはっきりしないときだ」という。「命には限界がある。誰しもいつかは死ぬ。だからもう先が厳しいという病気になったときには、自分は何をしたいのか、どういう形の治療なら本望なのかを自分で決めてほしい。手術によって仕事に復帰することを望むのか、1年でも長く生きたいのか。患者が何を望むかによって治療方針も変わる。自分が病院に本当のところは何を望んでいるのか、きちんと把握することが必要だろ思うんです」

心臓手術で圧倒的な治療成績を誇る南淵医師でも、手術に逡巡する瞬間もあるという。「私は手術を頼まれたらやらなければいけない立場だと思っています。どんな状況でも、合理性があればやる。手術前、患者さんには『絶対成功しますよ』といいます。嘘をつくのです。私の場合、患者が300人いたら299人は成功させる自信はありますが、それは自分に対するプレッシャーでもある。でも、医師の腕と自信だけではなくて、患者さんの魂が前向きじゃないと、絶対に手術はうまくいかないんです」つまり、手術が成功するか否かは医師の問題だけではなく、患者次第で限界を超えられることもあるのだ。

同様に患者側の問題で医者が悩むケースは他にもある。国立大学病院で皮膚ガンを専門とする医師は、「手術が患者にとってベストの選択かどうかで悩むことがある」と語る。「内臓のガンと違って、皮膚ガンは顔など人の目に触れるところにできる場合がある。それが高齢者の場合ならガンの進行も遅いので、天寿が先か、ガンが先かということになる。顔にできた皮膚ガンの手術をすると、人相が変わることもあるので、手術で取らなくてもと考えるときもありますが、手術するかしないかは、患者さんやご家族の考えを聞いて決めます」

手術すれば治る可能性のある病気もあれば、現在の医療ではどうやっても治すことができない病気もある。その代表格である認知症。お多福もの忘れクリニック院長の本間医師は、認知症患者を診る中で日々「限界」と闘っている。「そもそも現状の認知症の治療は、根本を治療して治すためのものではなく、進行を遅らせるための対症療法に過ぎないのです。ですから治療を続けてもアルツハイマーが治るわけではない。また、患者さんが10人いたら10通りの症状があるので、現在使われている4種類の薬がその人に効くかどうかもわからない。これが認知症治療の現状なのです」

根本的な治療ができないという限界のほかににも、認知症には多くの問題がつきまとう。患者が一人暮らしの場合、例えば骨折して動けなくなっても、手術をする、しないの意志表示ができず、そのままになるケースがある。その人にとって一番にいいと思われる医療が受けられないのだ。また、家族がいる場合でも、認知症患者のガン治療を家族が拒否するケースが、現実にあるという。認知症のまま体だけ元気になっても家族が介護に苦労するからという理由である。施設の問題もある。

「アルツハイマーが進行すると腎臓が悪くなり、透析が必要になってきます。ところが、認知症の透析患者を受け入れてくれる病院は圧倒的に少ない少ない。結局、透析を受けられないままホスピスへ行ったという患者さんもいます」(本間医師)単に「患者の命を救いたい」という思いだけでは解決できない限界が数々存在するのである。「神の手」で解決できるケースはごく一部なのだ。それだけに、医師が真摯に患者と向き合おうとすればするほど、悩みも深くなる。これまでさまざまな病院で、手の施しようがない、といわれた患者を受け入れて治療実績を上げ、現在、友愛記念病院に勤務する平岩医師。氏は、一般的な病院で行なわれている「型どおりの治療」を捨て、打てる手はすべて打つという、徹底して患者本位の治療を実践してきた。末期ガン患者や家族から絶大な信頼を寄せられてきたのはそのためだ。

その平岩医師に、医師として何をすべきかを教えてくれた患者が二人いる。そのうちの一人は、20年ほど前に担当した20代の末期の大腸ガンの男性患者だ。「もう助かる見込みはなかったのですが、当時は告知に慎重だったため、彼には本当の病状は知らせていませんでした。でも、本人は自分が助からない病気だということに気付いていて、気づかないふりをし、私も『もう少しで良くなります』と嘘を言う。これは辛かった。こんな馬鹿な話があるかと思っていました。患者さんは塞ぎこんでいて、ずっと暗い顔をしている。正直、当時は回診にも生きたくありませんでした」

そんなある日、その患者の同室に、胆石症の牧師が入院してきた。「それまでカーテンを閉め切って塞いでいたその患者さんが、いつの間にか牧師さんと話をするようになったのです。やがて牧師さんは回復したのですが、敢えて退院せず、しばらく病院から教会に出勤していました。さらにしばらく経つよ、大腸ガンの患者さんが病室から出て、牧師さんと笑って話をするようになったのです。奇跡だと思いました。患者さんはやがて亡くなりましたが、もしあのとき牧師さんが入院していなければ、彼は病室を出ることも、誰かと笑って話すこともなく死んでいったでしょう」

平岩医師はこの場面を目の当たりにして、無力感に打ちのめされた。医療者である自分には救えなかった患者の心の平穏を、宗教者である牧師が目の前で救ってみせたことに衝撃を受けた。

ガンになって本当によかった

もう一人は、20代半ばの大腸ガンの女性患者だ。「最初はおとなしい患者さんだったのですが、だんだん子供じみたことをいったり、ダダをこねた、泣いたりするようになりました。どうにかして患者の心を和らげてあげたいと思い、私ある日、泣いている彼女の横に座って、彼女のマニキュアを自分の爪にに塗ってみたのです」そんな平岩医師の様子を見て、「先生、何やっているんですか」と彼女は笑った。それからしばらく、平岩医師はマニキュアをつけたまま過ごしたという。「今日、電車に乗ったときに変な目で見られちゃった」などとその日にあったことをおもしろおかしく話して聞かせた。彼女が少しでも笑顔になってくれるように、と。

ところがあるとき、別の患者から「彼女は『先生は私を笑わせようとしてくれているのよ』と話している」と聞いた。「これではダメだと思いました。結局、彼女は手をこまぬいている私を見かねて笑ってくれていたわけです。励まされていたのは私の方だった」どうしたら彼女の心を和ますことができるか。考えた末、平岩医師は以前、彼女が語っていた「ニューカレドニアに行きたい」という夢を叶えてあげようと思い立った。ところが、病室へ行って「一つだけ夢を叶えてあげる」というと、彼女から意外な答えが返ってきた。

「キムタクに会いたい」。「拍子抜けしてしまいましたが、でも彼女の夢がそうだというので、八方手を尽くして、どうにか『SAMP×SMAP』のスタジオ収録を見学できるよう手はずを整えたんです」じかに接することは無理でも、間近でキムタクを見ることができると聞いた彼女は、車いすでデパートに行き、新しい服とかつらを買った。一ヶ月後、新調したファッションをまとって見学する彼女の姿が、スタジオにあった。SMAPのメンバーが料理をふるまうコーナーの収録が始まった。料理が完成したところで急にスタジオが暗転。見学していた彼女にスポットが当てられた。するとSMAPのメンバー全員が彼女を囲み、作った料理を食べさせ、一緒に記念撮影もしてくれたのだ。平岩医師が何とか手を尽くして準備したサプライズのプレゼントだった。

「それから3ヶ月後に彼女は亡くなったのですが、写真を自分の病室に張り、亡くなる前には、友達にお別れの手紙を書き、そのときの写真と一緒に送っていました。その手紙も、悲壮なものではなく、SMAPに会ったことを友達に自慢するような内容でした。『ガンになって本当によかった』と言っていた彼女の言葉は、決して強がりではありません。亡くなるまで笑顔を見せていたことを思えば、あれは本心だったのだと思います」彼女の変化を見て、平岩医師は「再び奇跡を見た」と思った「私は牧師にも、キムタクにもなれない」と、その限界を感じると同時に、医師として自分がすべきことは何かを摑んだ。「あくまで私は医者として どう患者さんに向き合えばいいのか。考え抜いた末、とことん知恵を絞り、手間暇を惜しまず、世界中のあらゆる知識を動員して、極限まで抗ガン剤治療を行なおうと決心しました。そこまでやればあるいは牧師さんやキムタクに負けないかもしれないと」


『週刊現代』


2014年02月09日(日) 医者の限界を知る ①

上手な患者になるために

医者と上手に付き合えれば、いい結果が出るに決まっている。だが、どうやったら、うまく付き合えるのか。難しくはない。相手のことを理解すること。まずは医者の事情を知ることだ。

治せないことを知る

「もう、手の施しようがありません」そういわれて、「はい、そうですか」と受け入れられる人はどれだけいるだろうか。目の前に迫った死に戸惑い、パニックに陥る。再発した肺ガンで、抗ガン剤治療を受けていた土井憲司さん(仮名・65歳)もそんな一人だった。抗ガン剤が効かなくなり、副作用に苦しんでいた土井さんは、大学病院から日の出ヶ丘病院(東京西多摩郡)のホスピスに転院してきた。モルヒネの投与によって、一時的に症状は緩和され、土井さんは「何か治療をすれば、肺ガンを克服することができるのでは」と考えるようになっていた。だが、その間もどんどんガンが体を蝕み、もはや抗ガン剤に耐えられるだけの体力は残っていなかった。

「肺ガンを治してほしい」相談された同病院の小野寺医師が、もうガンを治すことはできないのだ、ということを告げても聞く耳を持たず、「ここにいる価値はない」と叫んで妻の制止も聞かずに退院した。その後、土井さんは免疫療法や気功など東洋医学が売りの病院などを訪ね歩いたが、どの病院でもできるのは延命だけと言われ、「治す方法がないなら、すぐ殺すよう医者に頼め」と妻を怒鳴りつけて騒ぐまでになった。結局、最後は再びホスピスに担ぎ込まれ、混乱の中で亡くなっていった。

他人事ではないだろう。前でのホスピス医・小野寺医師によると、余命数週間の状態になっても、どうしても死を認められず、「それでも何か手だてがあるのでは」と探し回り、治療にすがろうとして亡くなる人は少なからずいるという。「手立て」とは何者なのか。その筆頭は、「神の手を持つ名医」に診てもらうことかもしれない。しかし、どんな名医も決して神ではない。そこには自ずと限界がある。「名医」その人たちに話を聞くと、「ガンの治療は限界だらけです。その限界を少しでも先延ばししようと研究が行なわれていますが、それも限界はあるんです」

そう話すのは、ガン・感染症センター都立駒込病院の名誉院長、森医師だ。大腸ガン手術数は日本最多の2500例。5年生存率も世界でトップクラスという斯界(しかい)の権威である。森医師は、ほぼ助からないだろうと言われた末期の大腸ガン患者を手術したことがある。絶望的だった患者が術後8年を生き、最後は再発して亡くなっていった。「でも家族からは『再発を見逃すとは何事だ。医者の責任を追及する』と責め立てられました。私は何も言わず黙って聞いていましたが、心の中ではずっと診てきたその患者さんに、『8年間は楽しく過ごせましたか』と語りかけていました。そんなものです。医者は神様ではないのですから」

医者は神様ではない。それは、患者から頼られることの多い名医ほど実感することである。昭和大学横浜市北部病院副院長の工藤医師もこう語る。「大腸ガンの末期で入院していた30代の女性の患者さんは入院中、枕元にお子さんの写真を飾っていました。結局そのまま家に帰ることもできず亡くなってしまいましたが、こういうときは『神様はやはりいないのか』とか、『どうしてこんな若くして』と思わされます。

約半数は助けられない

ガンには、ここから先は助からないという、冷酷なラインがある。「早期の大腸ガンなら100%直ります。しかし、早期ガンの場合、半分ぐらいは症状がない。だから気付かずに症状が出るまで放置すると、全体の2~3割は肝臓など周囲の付きに転移している。その場合は、助かることは少ない。だからこそ、症状が出てから名医を探すのではなく、定期的に内視鏡検査をしてほしいと工藤医師は力説するのだ。

肝臓ガンの権威で、99.9%という脅威の手術成功率を誇る医師にも、お手上げという状態はある。「術中エコーによる幕ない術式」という画期的な手術法を編み出して、肝臓ガン治療そのものを変えたことで知られる日本赤十字社医療センター院長の幕内医師がその人だ。「私に過度の期待を持ってこられる患者さんもいますし、中には神の手で治してくださいという人もいます。でも肝臓ガンの場合、医者にできることと、できないことは非常にはっきりしているのです。肝臓の画像を見ただけで、これは手に負えないというケースはいくらでもあります。その場合は『進みすぎています。もう直りません』と言います。私のところに来る患者さんの約半数は、このケースです。

幕内医師によれば、この30年間でそれまで救えなかった患者の半数ぐらいは救えるようになったという。長足の進歩だが、それでも残りの半数は、依然として限界の向こう側にいる。それが現実なのだ。脳卒中はどうか。例えば脳梗塞の場合、限界は倒れてから病院に運ばれるまでの時間できまる。「t-PAという血栓を溶かす薬があるのですが、この薬が効果を発揮するのは、発症から3時間以内なのです。ということは、病院には発症から2時間半以内に運ばれないと難しい。いま、9時間以内まで使える薬を開発中ですが、まだまだ時間がかかります。ですから、脳卒中の治療は限界だらけなのです」こう語るのは、脳卒中治療の名医として知られる聖マリアンナ医科大学・神経内科教授の長谷川医師だ。

仮に時間に間に合ったとしても、だから助かるとは言い切れない。脳のどの部位がやられたかで、予後が決まるからだ。「脳の画像を見ただけで、これは寝たきりになるとか、亡くなるということがわかります。大きな血栓が二つも血管を塞いでいるとか、生命維持を司っている脳幹で出血が起ったりしたら難しい。つらいのは、それを患者さんやご家族に伝えるときです。当日は動揺が大きくてとても伝えられませんから、3~4日間をおいてから説明します。ご家族も患者さんだと思って接するのです」その際、曖昧な伝え方はできない。「曖昧な説明だと、ご家族が『もしかしたら治るのではないか』と勘違いをしたり、余計に混乱したりする。それでは、適切な治療に導けなくなるのです。家族への告知―これも医師が医療の限界に直面する典型的な場面の一つなのである。


『週刊現代』


2014年02月07日(金) ホップのエキス、生薬がアルツハイマー予防

生薬がアルツハイマー病予防 ホップエキス 京大解明

ホップのエキスがアルツハイマー病の発症や、進行を抑えるとの研究結果を京都大学チームがマウスの実験で明らかにし、米オンライン科学雑誌プロスワンに1月30日発表した。エキスは漢方の生薬「嗅酒花」として知られ、ホップの球形の花から抽出され、中国では健胃薬や鎮痛薬に使われる。ただ、ビールにはほとんど含まれないという。垣塚教授(難病治療)は、「生薬は安全なものが多く、予防のために普段から摂取できる」と話す。

チームはアルツハイマー病の原因とされるタンパク質「アミロイドベータ」の産生を促す酵素の働きを抑える物質を特定するため、約1600種類の植物エキスを調べ、嗅酒花を見つけた。遺伝子操作でアルツハイマー病を発症するようにしたマウスに、エキスを混ぜた水を飲ませ水槽の中のゴールにたどり着く時間を繰り返し測定した。すると9ヶ月後には平均14秒で到着するようになった。一方、普通の水を飲んだマウスは、約40秒かかり、場所をあまり覚えていなかった。エキスを飲んだマウスの脳内に蓄積したアミロイドベータの量は、普通の水を飲んだマウスの3分の1以下だった。サッポロビールは京大とライセンス契約を結び、ホップを使った商品開発を進める予定だ。

また、ショウガは過熱することで記憶回復を食材に変身するため、若い人は記憶と学習能力の向上のため、熟年の人にはアルツハイマー型認知症の予防や進行防止のためぜひ、ショウガ生活をお薦めする。


カレーに含まれるクルクミンが認知症に有効。カレーを多く食べているインドではアルツハイマー型認知症の発症率が低いことからクルクミンの作用が注目され研究が始まった。カレーに含まれるスパイスの「ターメリック」(ウコン)の主成分がクルクミンである。クルクミンはポリフェノールの一種で、アルツハイマー病、肝臓の病気、アルコールの大量摂取を原因とした病気などのへの効能が期待されている栄養成分(ファイトケミカル)である。インドではカレーにターメリックを使うので、認知症が少ないといわれる。

クルクミンはショウガ科植物のウコン(ターメリック)の根茎に存在する黄色色素である。アルツハイマー病の予防、肝臓、アルコールが原因の病気に効くとされる。アルコールを分解させたり、胆汁の分解を促進するため、肝細胞を刺激することで肝機能を高める物質である。ウコンを原料とする健康食品やサプリメントが発売されているが、クルクミンは水に溶けないのでそれらからのクルクミンはほとんど吸収されないようだ。カレーの色素はこのウコンなので、カレーを食べてクルクミンを摂取してはいかが?カレーの香りはクミンという香辛料だが、クルクミンとは関係ない。ターメリック(うこん)はスーパーで売っている。黄色で、料理に鮮やかな色つけを。カレー、スープ、ターメリックライス(米3カップに小さじ1/3)などに。


『週刊新潮』


2014年02月06日(木) 暴走する国家  恐慌化する世界②

今回の恐慌には従来の経済学理論は通用しない お金の動きと流れだけで富が生まれるという妄想

佐藤 ところで原理的なことを教えて頂きたいのですが、「恐慌はどうして起る」と福島さんは見られていますか。

副島 なるほど、ぐさりと単刀直入でいい質問ですね。これは経済学の理論の根底のところにある問題です。なぜ恐慌が起きるのかは、ノーベル賞受賞クラスの経済学者たちでもわからない。彼らでも今の事態を予想したかというとできていません。なぜ信用崩壊(銀行業の停止、金融市場の機能不全)が起きるのか。大学の経済学部では教えられないはずです。経済学史や景気循環論という経済学の獣道(けものみち)で教えることになっています。
ちなみに政治学の獣道が地政学です。法学の獣道は民法709条の不法行為です。
今回のアメリカ発の金融恐慌は、やはり「ペーパーマネーへの過剰な依存」が原因だと思います。、エネーにも広義のマネーや狭義のマネーなどいろいろありますが、お金の動きと流れだけで富を生むと考えた人々の妄想が、今回の大惨事を引き起こしました。それが、金融工学であり、デリバティブという幻想の契約の山(束)です。そこで強欲な金融ユダヤ人たちが互いに手数料を抜き合った。利益を出すために、勝手に一本3000億円(30億ドル)とかの契約を何千本も作った。それを健全な利益行動だと自分たちだけで信じ込んだのです。紙きれ経済学が威張って実物経済を圧迫してしまった。ですから、今回のニューヨーク発の金融恐慌は、従来のインフレ(過熱経済)かデフレ(大不況)なの理論的枠組みそのもが成り立たないところで起きています。
一言でいえば、お札(紙幣)と国債(国家借金証書)が溢れかえるかたちの恐慌に突入したのです。信用貨幣(クレジット・マネー)という抗生物質の飲み過ぎで効かなくなった体と同じです。病気治療自体が病気を作り出している新型の恐慌です。従来型の実体・実物経済の分析を行なっている経済学理論は一切通用しません。

佐藤 私はまさにそこのところを聞きたかったのです。要するに実物経済のところからの恐慌理論で一番優れているのは、やはりマルクス経済学の宇野理論だと思います。宇野弘蔵理論は、恐慌というのは、好況期になって資本が過剰になってくるなかで賃金が上がる、他のものは資本の理論でつくれるが労働力だけはつくれない。賃金が上がると結局、つくっても儲からない、こういう状況になって、ズトンと恐慌がくる、という考え方です。

副島 ああそうですか。宇野三段階理論ではそのように説明するのですか。だから19世紀までのヨーロッパでは、10年ごとに恐慌が起きました。それを「カール・マルクスの波」といいます。マルクスが発見したからです。19世紀までは10年ごとの恐慌はアメリカや日本にもありました。「ジュグラーの波」ともいいますが、アメリカの経済学者グズネッツは「20年の波」と考えました。今はあれこれ国家が介入して経済政策をやるので予測できなくなった。本当はソ連の経済学者、コンドラチェフの「長期波動」で動いています。コンドラチェフが発見した景気変動の波が「40~60年」周忌で動くことをジョセフ・シュムベーターが認めました。私は「60~70年の波」で捉えています。これは大きな歴史の波でもあります。東アジアでは十干十二支(じゅっかんじゅうにし)の還暦という60年周期で、この2倍の120年が「世界覇権サイクル」という帝国の興亡の歴史サイクルです。
わかりやすくいうと、国債という国家の借金証書と通貨(マネー)というお札の刷りすぎが原因です複雑な虚構の金融商品の山をつくってしまった。これら全てが暴落する。これが原因です。実体のないゲーム理論の理屈に乗った巨大なマネーをつくってしまったからです。この化けの皮が剥がれてすべてが暴落していくのです。私は何冊もこのテーマの本を書きました。なぜこれほどの金融恐慌が襲い来るのかは、経済学者たちにもわからないでしょう。彼らがつくっている経済学という枠組みそのもが叩き壊されつつあるのだと解説しました。



『暴走する国家 恐慌化する世界』 副島隆彦×佐藤優


2014年02月05日(水) 心を病んだ犬たち

私は犬と生活する全ての家族に後悔だけはしてほしくないと思っている。犬に幸せになってほしい、でも、犬を抱えた家族にもまた、本当に幸せになってほしいのである。本書で紹介するエピソードの中には、思わず目をそむけたくなるほど悲惨な犬たちの話もある。でも、それは紛れもない事実で、人間がしでかしていることだ。身体的虐待を受けたがために、人間を信じられなくなり噛みつく犬、精神的虐待を受けたがために完全に心を閉ざし、何に対しても無反応になってしまった犬……。

私は、こういう犬たちを目の前にしたとき、この犬たちが人間に見えた。幼児虐待が増え、命までも奪われる子供たち、母親に何の期待もしないサイレントベビー。命を玩ぶとしか言いようのない犯罪など。

犬たちが見せる心の病は、まさに人間が抱える問題の縮図だ。抵抗すらできない弱い者へのいろいろな虐待は、加害者の心も被害者の心も、そのどちらも壊してしまう。加害者になった人間だけを排除すればいいのか、というそれは違う。考えなくてはならないのは、加害者になった人間もまた心に深い闇を抱えている、ということだ。そして、加害者になった人間がすでに抱えてしまった深い闇と痛みをどう癒せばいいのか、を他人事ではなく、誰もが持つであろう心の闇として考えていかねばならないと思う。

犬たちは、その存在だけでも私たちを癒やしてくれる。しかし、いつからか、どこからか歯車が狂うように、人はある日突然虐待を始める。人によって傷つけられ打ちのめされた犬たちは、しかし人によって救われ、心を癒やしていくしかない。そうして人に癒やされた犬たちは、まるでそれを返すかのように、今度は人を癒やし始めてくれるのである。

人が犬を、犬が人を癒やすという、この永遠なる営みが本来あるべき人と犬との姿ではないだろうか。私たち家族が、かって彼らによって癒やされように……。


『心を病んだ犬たち』 篠原淳美(しのあらあつみ)


2014年02月04日(火) 暴走する国家 恐慌化する世界 ①

奇跡を肯定するキリスト教西欧文明の虚偽

佐藤 問題はイエスという人物の死体が本当に復活したかどうかということで、ユダヤ人はそれを嘘とみています。要するにイエスの死体はどこかにあり、誰かが隠したはずだと彼らは考えたのです。そこのところの議論は実は、福島さんの「アポロ論」とすごく重なります。

副島 重要なことは、「そのことを信じるか」、それとも「信じないか」ということですね。私は、この本の題名を「人類の月着陸はなかったろう論」と「だろう論」をわざと入れました。それは私なりの計算がありまして、社会情勢への妥協であり、なるべく控えめな態度をとろうと思ったからです。その方がよいと思ったからです。

佐藤 それと同時にこういう「信・不振」の議論を立てることによって、一種の「トンデモ論」を出すに際して、キリスト教の根源的な問題である「復活」をどうしてみんなが信じているのかということを鋭く問いかけています。「イエスの復活」を信じるのと、「人類が月に行った」と信じるのは、権利的に同格なんです。ところが、復活を信じる人は何とも言われないで良き市民として扱われています。人類が月に行ったことなどないと信じている人は、それに関しては「トンデモ論」だと言われるのはおかしいと思います。

副島 そんなことは私は構いません。今から40年も前の1969年の7月20~21日に、アポロ11号の宇宙飛行士2人が月面に着陸し、活動を行なったことになっている。しかし私は、あれは世界中を騙すアメリカのショーだった。このことを証明したい。NASAは月に人間を着陸させていません。アポロ計画というのはあった。だが、人類の月面着陸はあり得ない。そんなことは無理なのです。できないことはできない。私はそのように信じています。佐藤さんが言いたいことで大切なことは、「信じるか」「信じない」かの問題なのですね。

飛行士3人が、2年半の間に6回、2人ずつを月面に着陸させ、そこでおのおの30時間も活動したことになっています。3人目は軌道上の母船に乗ったまま月のまわりをぐるぐる回っている。月面に発射台もないのに、再発射して母船とドッキングして地球に帰ってきた。しかし、そんな技術力や能力は人類には今でもない。大気がない月にどうやって空気抵抗を起こし、月に軟着陸させるのか。これらの基本的な疑問を投げかけながら、この本を書きました。今から40年前に、あんなとんでもないことをアメリカの政治権力者たちが軍人や技術者たちを何十万人も巻き込んで行なった。事実の集合体のことを真実(トゥルース)というのでしょうが、一つでも疑問があることは、大きな虚偽であると考えなければすまないと思います。

今や「アメリカを処分する案」が出てきつつある

副島 アメリカの金融業界が大きな大チョンボを犯した以上、必ず責任を取らされます。だから実は、今、密かに「アメリカドルをどうにかしようという世界同盟」ができつつあります。「アメリカ処分案」というのが世界各国指導者たちの間でヒソヒソと話し合われているのです。アメリカは、まだ自分が倒産会社の社長の立場のような被告席に座らせられているいることに気づいていないようです。その一番の先頭は反米分子のベネズエラのチャベス大統領です。北朝鮮を含め、イランのアフマディネジャト大統領たちです。この背後に控えている真打ちがBRCIS(ブリックス)です。ブラジル、ロシア、インド、中国の4国です。この4大国がひそかにどうめいをくんでいます。なんぼくあめりかたいりくでは、「あんな貧乏な人口大国」と日本人が思っているブラジルが相当に手強い。アルゼンチンとチリと手を組んで南米の盟主になっています。ブラジルはこれからものすごい勢いで伸びていくでしょう。

佐藤 ブラジルは自力で核開発ができるほどの国力になっていますからね。

副島 そうですね。ブラジルは資源大国です。世界一の鉄鉱山会社であるうブァーレは、ブラジルです。公定歩合が12%もするような不安定な高金利の国ですが、例の南米人特有のヘソ出しパンツの女性たちが踊るサンバの国ですから、小さなことはどうでもいいのです。アルゼンチンは本当につい最近デフォルト(債務不履行)を起こしました。それでもアメリカなどもう怖くないよというような強気です。それらの南米諸国と中国、ロシアそしてインドが、アメリカ処分案ということでもう話し合いを密かに始めています。そこにロシアのプーチン首相とメドベージェフ大統領、それからイタリアのベルルスコーニ首相などもこれに加わっています。

フランスのサルコジ大統領も絡んでいます。2008年10月18日のワシントンのG7で、サルコジがブッシュ大統領に向かって吠えたそうです。「アメリカがこんな大失敗をして世界中に迷惑をかけている。責任を取って何とかしろ」と怒鳴ったようです。そのあとの記者会見では、さすがに世界の指導者で大人ですから、普通の表情で「金融危機はニューヨークから始まった」という演説をしました。横にいたブッシュ大統領は「俺は知らねえ」という顔をして横を向いてしまいました。ドイツのメルケル首相だって9月212日にドイツの財界人を集めた内輪の会合で、アメリカに対する怒りを爆発させたようです。ドイツの銀行もたくさん破綻しました。フランスの原子力宇母シャルル・ドゴール号が地中海を我が物顔で動くことをドイツは許さない、といった独仏の対立はあります。ですがバーク油田のあるカスピ海からの天然ガスや石油の供給の問題があるので、やはりロシアと組むという流れになっています。

確かに統一通貨ユーロのヨーロッパはアメリカの金融商品を山ほど買っているので大損して、ガタガタになっています。アメリカからの投下資金が逃げ出しているのでユーロも暴落しています。私は、今からヨーロッパの大きな銀行がまだあと30行ぐらい潰れるとみています。アメリカも今から50行ぐらい中小の銀行が経営危機に陥ると思います。シティバンクも2010年に、総額200兆円の負債を表面化させて破綻するでしょう。(2008年11月21日にシティグループの株価は3ドル77セントまで暴落した。政府は即座に33兆円を支援決定した)そうすると、イスラム教国であるアラブ諸国の産油国もそろそろアメリカから離れてアメリカを見捨てるという動きになるでしょう。つまり世界は「アメリカ処分案」というところに行きつつあります。この考えを無視して世界のこれからの流れの3年間を読むことはできなくなっています。そこで日本もまた、アメリカから少し離れて、「アジア+資源国の方を向きべきだ」と私は主張します。日本の主流は、体制派で責任権限を持っている人たちほど、どっぷりとアメリカ信仰に漬かって、何があってもアメリカと一緒に生きていこうと思っている。まだ潮流は返られません。あと何回か、大損させられてひどい目に遭わないと目が覚めないでしょう。彼らの脳を方向転換できない以上は、人間を全部取り替えるしかない。私はこれが、これからの日本の大きな流れだと思っています


『暴走する国家 恐慌化する世界』 副島隆彦×佐藤優


2014年02月03日(月) ココナツオイルはアルツハイマーに効果

アルツハイマー病による認知症状の改善にココナツオイルが注目されている。主成分の【中鎖脂肪酸】からできる物質、ケトン体に着目した食事療法を米国人医師が提唱した。アンチエイジング研究で知られる白沢卓二・順天堂大大学院教授は「『ガス欠状態』となった神経細胞にケトン体が入ってエネルギーをつくる」と解説している。

カレー、スープに

アルツハイマー病は記憶や思考能力がゆっくりと障害を受け、日常生活の行為が難しくなる病気である。幻覚や妄想、徘徊といった周辺症状がある。高齢者の認知症状では最も多く、脳の神経が変成して脳の一部分が萎縮していくが、原因は解明されていない。アルツハイマー病の認知障害について、ココナツオイル摂取で改善する食事療法を提唱しているのが米国の小児科医、メアリー・T・ニューポート医師だ。若年性アルツハイマー病を発症した夫に食べさせたところ、4時間後の認知機能検査で改善が見られた。やがて会話能力が向上するなど、夫の認知障害の進行を食い止めることができたという。

ココナツオイルはココヤシの成熟した果実の種子の胚乳からとれる油。含まれる脂肪酸の多くが中鎖脂肪酸で肝臓でケトン体に分解され、エネルギー源として利用される。日本でも一部の百貨店やインターネット通販などで販売されている。輸入・販売を手掛ける「ココウェル」(大阪市都島区)によると、食事療法が日本でも知られた結果、同社が昨年販売した食用ココナツオイルが数量ペースで前年比約5.7倍と大きく伸びた。「主婦の友社」は1月、実用書『ココナツオイルでボケずに健康』を刊行。認知症を改善するメカニズムや、ココナツオイルを使ったカレー、スープなどのレシピを紹介している。

ステップができた

ココナツオイルの効果は、米国では3人に1人にあったとするデータがあるが、日本人に当てはまるかは分かっていない。白沢教授は「アルツハイマー病が薬で劇的に改善するということはない。効果が本当がどうか疑問があったが、摂取して4時間後に症状が良くなった外来患者がいる」と話す。

この患者は初期のアルツハイマー病と診断された70代男性で、趣味の社交ダンス教室で曲に合わせてステップを踏むことが難しくなっていたが、教室に行く前に摂取すると、次々と踏めるようになったという。白沢教授によると、脳の神経細胞はグルコース(ブドウ糖)をエネルギー源としているが、アルツハイマー病になるとグルコースを使うことができない『ガス欠状態』となり、認知症状を引き起こす。グルコースの代替としてケトン体が使われる。ただ、ケトン体が効かない人もおり、ケトン体の血中濃度がうまく上がらないか、神経細胞が死んでしまっている状態と考えられるという。白沢教授は「認知症の予防効果があるかどうかは、これからの研究課題だ」と話している。

【中鎖脂肪酸】飽和脂肪酸の一つで、肝臓で分解されてケトン体が生成され血液中に出される。ココナツオイルのほかパームオイルや母乳、牛乳に含まれている。一般的な植物油に含まれる長鎖脂肪酸に比べ、素早くエネルギーに分解される。中鎖脂肪酸のオイルやパウダーを販売する「日清オイリオグループ」(東京都中央区)によると、エネルギーを効率よく取れるために、主に高齢者施設で食の細い高齢者らの食事に利用されている。


『産経新聞』2.3


2014年02月02日(日) 賞美される日本

中国・韓国による理不尽な対日批判に対し、台湾の人々は常に日本側に立ち、誰が何と言おうとも日本の正当性を後押ししてくれる。日本統治時代を経験した台湾の年配者の多くは「当時の素晴らしい日本の教育のおかげで今日の台湾がある」と言ってはばからず、異口同音に50年間の日本統治時代を高く評価し、懐かしんでくれる。

1895(明治28)年、日清戦争後の下関講和条約で、台湾は日本に割譲された。日本政府は一流の人材を送り込み、巨額を投じて鉄道や道路、港湾などのインフラ整備に取りかかった。各地に病院・医療機関を設置し、医療衛生環境の大がかりな整備も行なった。日本が最も力を入れてのが教育だった。台湾の人々が高度な教育を受けられるよう、学校が次々と整備された。

明治維新で、日本は科学技術や医学などの西洋近代文明を取り入れて近代化を成し遂げた。当時、日本の教育はアジアで最高水準にあり、それがそのまま台湾にもたらされた。これが人材育成と台湾の近代化に大きく貢献し、戦後の台湾発展の原資になった。植民地の人々に教育を施すなどした。欧米列強ではひたすら台湾で愚民か政策を行なっていたので、欧米列強の常識は考えられないことだった。

戦後の歴史家の中には、台湾で皇民化教育が行なわれた、と騒ぎ立てるものもいる。だが、実際に日本の教育を受けた年配者からは、日本統治時代の教育を非難する声は全く聞こえていない。台湾では、人間教育にも重点が置かれた。とりわけ台湾の人々が絶賛するのは、道徳・倫理教育である。勤勉、時間厳守、約束を守るなど。台湾では、諸々の良いことを今でも「日本精神」(リップンチェンシン)という言葉で表現する。このことは半世紀にわたる日本統治時代がいかなるものか、何より雄弁に物語っている。

大東亜戦争でも、台湾の人々は、血書嘆願してまで日本軍に志願し、南方戦線で勇敢に戦った。戦死した約28.000余柱の英霊は靖国神社に祀られており、毎年多くの台湾人が参拝している。驚くべきことに、台湾には戦死した零戦パイロット、杉浦茂峰海軍少尉を神様として祀る「飛虎将軍廟」や、田中網常海軍少将や乃木希典陸軍大将を祀る「東龍宮」というお寺もある。

前出の葵氏は「台湾には、日本が今こそ学ぶべき『正しい日本史』がある。どうぞ台湾に正しい歴史を学び、自信と誇りを取り戻して頂きたい。そして、誇りある日本が、アジア地域の安定を平和を担う真のリーダー足らんことを願う。アジアは中国・韓国だけではない。アジアには世界一の親日国家・台湾がいる。



籾井発言は間違っていない

NHKの籾井勝人(もみいかつと)会長が就任会見で慰安婦問題に触れたことについて、中国・韓国による言われなき暴挙に対抗している。「『慰安婦の真実』国民運動」は30日にも、「籾井会長の発言は間違っていない」「責任を追及される筋合いはない」という公開書簡をNHK経営委員会に提出する。書簡では、籾井氏の「戦時慰安婦はどこの国にもあった」「今のモラルでは悪いことだが、その時の現実としてあった」「この問題は、日韓基本条約で解決済み」といった発言を、「間違っていない」と断言した。

一方で、慰安婦問題を就任会見の場に持ち込み、執拗に質問した一部メディアを批判し、「NHK経営委員会として講義すべきだ」と促し、ネット調査で約8割が籾井発言を支持していることを披露している。そのうえで、「発言の真意を問題にせず、『立場上、不適切だった』と責任を追及する。結局は『韓国や中国が怒るから』とタブーにしようとしている。そのような態度が、どれほど日本の名誉を損ねてきたか」といい、NHKの再生を期待している。


『夕刊フジ』1/31


2014年02月01日(土) 新型万能細胞作成

STAP(スタップ)細胞とは、あらゆる細胞に分化する能力がある万能細胞の一種である。酸性溶液で体の細胞を刺激して作成する。万能細胞では、ノーベル生理学・医学賞を受賞した京都大学・山中伸弥教授の研究グループが開発したIPS細胞(人工多能性幹細胞)が知られる。ただ、遺伝子を使って作成するIPS細胞は、作業過程で必要な細胞の初期化の成功率は0.2%未満と低く、細胞がガン化するリスクも伴う。これに対して、STAP細胞は、より簡単に作成が可能で、初期化の成功率は7~9%と高く、ガン化のリスクの軽減される。今後、”若返り”も含めた再生医療への応用が期待される。

IPSより簡単&低リスクの万能細胞「STAP」作成成功

さまざまな細胞になる能力を持つ「万能細胞」。これを弱酸性の刺激を与えるだけの簡単な方法で作ることに成功した理化学研究所(神戸)の小保方(おぼかた)晴子研究ユニットリーダー(30)らのチームである。「STAP細胞(刺激惹起性多能性獲得細胞)」と命名し、英科学誌ネイチャー電子版に発表するや世紀の発見と大絶賛を浴びた。研究成果もさることながら、注目を集めたのはオシャレで整ったその容姿。

小保方さんは1983年千葉県松戸市の出身。2002年、早稲田大学理工学部に人物重視のAO入試で入学した。早稲田大大学院を2008年に終了後、米ハーバード大学医学部に留学した。担当教官との議論から始めた実験で、動物細胞を外部刺激で初期化できるのではないかと「STAP細胞」の感触を初めて得た。しかし、当時の実験データだけでは証明することができず、まわりの研究者からは「きっと間違いだ」と言われた。

悔しくて泣き明かした夜は数知れないという。5年越しの研究で、ついに立証にこぎ着けた。「お風呂の時もデートでも四六時中、研究のことを考えていた」というほどの研究の虫。実権で着るのは白衣ではなく、祖母からもらったかっぽう着。「おばあちゃんに応援されているような気がするから」と語る。長く続いたデフレ不況で、艱難大学を卒業しても就職が難しい超氷河期が続いている。その影響から、就活に有利な理系に進学生は多く。女子も例外ではない。そんな中で飛び出したリケジョの快挙。小保方効果で後に続く白衣の女性研究者が増えそうだ。




不安が募る食の安全

年明け早々、農薬・マラチオンの混入、ノロウィルスの集団食中毒が世間が驚愕したが、さらに怖いのはTPPだと本書は警告する。輸入食品の食品の食品衛生法違反件数で中国が一位、米国は二位。これはTPP参加国全体で3割を超す。とくに米国では①天然物最強の発ガン物質・アフラトキシン(カビ毒素)まみれのトウモロコシ②子供が絶えず動く多動性障害を促す赤い着色料・アゾルビン(日本では指定外添加物)使用のチョコレート、③収穫後に使うポストハーベストの大量散布の小麦など、”危ない食品”のオンパレード。それを水際でガードする厚生労働省の検疫システムが、外圧による簡素化と人手不足で水漏れ状態だ。TPP交渉では、食の安全分野でほぼ合意と伝えられるが、秘密交渉ゆえ内容は不明のまま。不安が募る。


『夕刊フジ』1/31


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