V字経営研究所・酒井英之の4行日記 DiaryINDEX|past|will
昨日の商品開発セミナーは、女性社員による女性社員のための商品開発セミナーだった。そのパネルディスカッションの司会をしたのだが、成功した企業の幹部とファシリを務めた女性コンサルタントとのトークセッションから導かれた成功の鍵は3つだった。第一は、環境を整えること。会社がこうした取り組みの必要性を認めて「女だから」と軽く見ないこと。また、直属の上司が活動しやすいように時間を工面してあげること。第二は、企画を進める段階でのファシリテータを女性にする。そして、多数決は絶対とらず「いいね!」を重ねた合議制にすること。第三は、特にサービス業の場合企画から開発、店頭、販売に至るまで一気通貫にすること。製造業でも本田技研やカルビーではこのような一気通貫のプロダクトマネージャーがいたが、川上から川下まで同じ人が考えるから、コンセプトがぶれない魅力的な商品ができる。
外資系保険会社でトップセールスだった友人に驚くべき話を聞きた。彼は保険に興味のある人を集めてセミナーをする。そこで日本人がかけている死亡保険の平均が2800万円だと伝える。では、保険をかけた人の受け取り額の平均はいくらか?…178万円だという。なぜなら多くの人が賭けている65歳までに死なないから。では65歳までに亡くなる日本人は全体の何%か…となると2%だという。そしてほとんどの人が僅か2%になることを恐れて保険をかけ続けているのだ。こうした事実を示した上で、彼は保険を掛け捨てではなく増やすものにしてはどうかと提案する。掛け捨て型と貯蓄型とでは税金面も含め生涯収支が2000万円も違うとダメを押す。ここまで言うと、多くの受講者が「一度見てください」と保険証券を持ってくるという…と、ここまで聞いて私が一番驚いた話は、65歳までに2%しか死なないという事実だった。私の父はその2%に入っている。ああ、なんて残念なことなんだ!!
先週末に小泉元総理の演説を聞いた。原発0化に向けた話だった。フィンランドで核のゴミを捨てる地下400Mの、2km四方の工場を見学した話から、それほど捨てるのに困る原発に頼ることの異常性を説いた。そして、自然再生エネルギーの最新事情と、蓄電池や省エネ空調設備などの先端技術触れ、「ピンチをチャンスに変える。太陽、地熱、風力など、日本は無限にある自然をエネルギーに変える国になれる。原発ゼロ化に進む途中で自分が死ぬのなら死んでもいい」と語った。小泉さんは現在72歳。当初父親が死んだ65歳まで頑張ろう、その後は引退するつもりだった。が、震災を見て「自分にできることはあるのか?」と考えているうちに、使命感や情熱が湧いてきて元気がでてきたという。そして94歳まで現役を続けた尾崎行雄の言葉「自分の本舞台は将来にあり」を引用し、その決意を示した。自分の覚悟をこんなにも堂々と語れるものなのか…話の巧みさもあるが、その強い意志、迫力に感動した。
『永遠の0』を観ながらよく泣けた。特に、彼が仲間を守るために上官に反論し殴られるところや、自分を助けようとして危険な目にあった仲間を諭すようなところ…涙が止まらなかった。上司から見れば、部下は思うように動いてくれないものだ。「OK」と言えばいい場面で「NO」という。地味していればいいのに派手に振る舞い顰蹙を買う。もっと情を絡めた対応をすべきところに常識的なやり方を持ちこむ、PRすべきチャンスに引っ込んだまま何もしない…そんなジレンマばかりだ。主人公・宮部久蔵もそんな小さな考え方のズレに苦しむ。それも彼が直面していたのは生きるか死ぬか、国家のためか家族のためか、という問いだから、一つ一つの言葉が命懸けだった。彼の考え方は当初誤解された。が、後に正しく伝わり、共感した人々は彼の死後も、彼の家族を大事にする。宮部の姿は「いつかわかってくれるだろう」を信条とする、厳しく優しい上司と部下のあるべき姿だった。
映画の『永遠の0』を鑑賞した。昨年6月に原作を読んでから、ぜひ観たいと思っていた。誰かのために命を捨てる生き方は尊い。原作では、なぜ主人公・宮部は最後に特攻隊を選んだのかわからないままだと言われていたが、映画を観ていてわかったような気がした。送りだした何人もの教え子たちが死んでいくのに、自分だけが生き残ること=たとえそれが家族のためであっても、彼にはそんな自分が許せなかったのではないか。私も部下をリストラしたことがある。正確には私の上司がリストラしたのだが、止められなかった私も同罪だ。すると「他人を切って、お前はノウノウと残る。それで本当にいいのか?」と、しばしば自戒の念に襲われる「それが世の中だ」と言ってしまえば楽なのだが、日本人故か割り切れない想いがずっと残る。解決する方法は、自分で自分に始末を付けるしかない…。いつか死んでお詫びを…の文化は、自分のDNAにはまだ残っているように思う。
昨日見学したカルビーの工場ではフルグラを創っていた。フルグラはコーンフレークと同じシリアルだが、従来のシリアルとは全然違う商品として市場に認識させようとしていた。そのキャンペーンテーマは「ルールを変えよう」。マーケティングのルール=価格や品質の基準は、いつも1位企業が作る。2位以下は1位と差別化しようとして、少しでも安いものとか機能を加えたものを出す。が、すぐにキャッチアップされてしまう。それを避けるには、これは1位の商品とは全然別の商品だ!と主張できる商品を創るしかない。サービス業の場合、それは「業態開発」となる。製造業の場合、それは用途開発になる。この場合はシリアルなんだけど、シリアルにはできないような使い方(調理法)ができる商品だと伝えられたら、もうシリアルと競争しなくなる。実際にカルビーはフルグラのレシピ本を2冊も発行していたが、そうした提案力が消費者に届いてNo.1になったのだろう。
宇都宮市のカルビーの工場を見学した。見学者向けのおもてなしの仕掛けが多数あった。工場の様子を示した立体ボードは新入社員のお手製。見学通路から工場内を覗く窓には独特の装飾、地震が来たら逃げなきゃいけない場所にはどくろマーク…など。こうした小さな仕掛けに、双方向でのコミュニケーションを楽しんでいるカルビー社員の気持ちが伝わってくる。大人でもパーティの時にお菓子のつかみ取りをしたり、そのお菓子にちょっとしたメッセージを書いて当たった人には特別なことをしてもらったり、郵送物には一筆お礼の言葉を添えてみたり…そういう小さな演出、目配り・気配り・心配りの三配りがあるとどれだけその場が楽しくなるかわからない。そんなことが面倒くさいではなく楽しみながらできる人は、本質的にその場に集う人と価値観の共有ができているのだろう。カルビー特有のワクワク感を共有したいからこそ、皆さん素敵な演出ができるのだろうな。
『軍師官兵衛』を観ている。つくづく『龍馬伝』や『天地人』と同じだと思う。幼少の頃に、理不尽な想いをする。龍馬の時は差別、兼継の時は苛め、そして官兵衛は策略による恋人の死だ。そうした悲しみの中に憤りを感じるが、それをグッと飲み込むようにメンターに叱られる。彼らはメンターの勧めで、自分の見聞を広げるための旅に出る。竜馬は江戸へ、兼継は美濃へ、官兵衛は堺から美濃へ…。そこで新しい時代の息吹を感じ、学び、持ち返り、自分の使命を見つけてそれに取り組む。こうしたワンパターンの展開を観ながら、20歳ぐらいの青年にはつくづく広い世界を見せることが大切なのだと思った。グローバル企業に行くと30歳ぐらいの現場の担当者が「イギリス工場に5年勤務した」と当たり前のように紹介されている。20代にこんな経験をした人は、同社にとって貴重なグローバル人材になるだろう。思えば、私も20歳の頃欧米をバックパッカーとして歩いたが、その経験が自分に大きな自信をくれた。自分の息子にもそんな経験をさせたいと思う。
若い営業担当者のコーチング。「お客様から信頼される営業マンになる!」ことを目指し奮闘中。が、なかなか成果の出ない人が多い。原因は、信用されるために何をしていいのか具体策がわからないのだ。しかし、中には成果を出している社員もいた。彼に「何をしているのか?」を聞いたところ「3つの質問を持っていっている」という。その3つとは「相手の本音を引き出す質問」と「そこにたどり着くためのサブ質問」そして、雑談から課題を見つけていく「探り質問」。この3つをHSSと称し具体的に示すと、部下はお客様に何をどう提案すればいいかわかる。彼はそれを先輩に教えてもらった、という。同社には腕の良い営業マンは多数いる。しかし、一人ひとりのノウハウが見える化できていないし、自分でも整理できていないのでそれを教えられない。たまたま彼の先輩だけがそれができたのだ。できる人のノウハウの見える化と共有化は、組織力のアップには不可欠なのだ。
某社で半日間の内定者研修を行った。この日からインターンで現場に入るためで、半日間で自己紹介のトレーニングを行った。その中に登山をやっている青年がいた。彼は、登山の思い出として、遭難した(道に迷った)ことを上げた。彼が遭難したのは僅か30分だが、山の上で方角も道も失う30分は相当に不安だという。その彼が、遭難した経験から学んだこととして以下の4つあげた。「①十分な知識を持つこと ②後輩たちに信用してもらうこと ③失敗(道に迷ったこと)を隠さないこと、④きっと脱出できると自信を持つこと。」彼がこの遭難から得たこの4つの教訓は、これから仕事に生かしていきたい、という。この教訓が普遍性があるかどうかはともかく、経験から得たものを学びに変え、別の場所で応用が利くように自分の中で整理しておくことはとても大事なこと。これからそのような学びをどんどん増やしていってほしい。 |