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■ 高校時代の友人との再会
今晩は昨日の日記の通り、 高校時代の友人に会ってきました。
彼女のお腹は私の予想通り、 大きく膨らんでました。。。
彼女が「ずっと会ってないから、話したいことも いっぱいあるよ」 …ってメールの文章を読んで、ピンときた。
彼女が結婚という段階を経て、 次の段階に入ったというコト。
覚悟?はしてたから、大きなお腹を見ても 余り驚かなかった。
心配してたけど…、一緒にカフェで話してて、 カルチャーショック受けたり、緊張したり、 傷ついたり、疲れたりすることなく、 楽しい時間を過ごせました。
カフェが閉店時間を迎えたとき、 「まだ話したいし、私の家にこない?」 ・・・なんて私から言っちゃうなんて予想しなかった。
お母さんは大変久しぶりに彼女を見て、 すごく嬉しそうだった。
「また是非遊びにきてね。この子寂しがってるから。」 …なんて余計なことも言ってた。 (本当にまた近々遊びにきたら困るだろうが。 まぁ…親心なんだろうけれど。)
今回彼女と久しぶりに会って思ったのは、 初めて「ありのままの自分」で「彼女と対等に」、 「友人として」接せられたなーって思ったコト。
彼女はさっぱりした性格で 友達も多いし、人の悪口も言わないし、 余計なことも聞いてこないし、 でもムリなく爽やかで、明るくて…。 運動も勉強もできるし、しっかりしてるし、 悪いところない女の子で。 (あ…でも少々鈍感なところはあるか。)
私にとって、高校時代の付き合いからずっと、 「見上げてた」人だった。
こう言ったら、今までの友人達に失礼だけど、 自分の今まで得た友人の中ではまさに、 「普通より上」の価値ランクをつけてたヒトだった。
…でも今日は、「対等な友人」として、 見上げることなく、無理なく自然と振舞えた。
それが一番の新鮮だった。
もちろん、私は欠点だらけだし、 要領は悪いし、 彼女みたく友達も余りいないし、 結婚も妊娠もしてないお子様だし、 弱いし、甘えてるし、逃げてるし…、
重箱の隅をつつかなくても、たくさん 社会的マイナス面が出てくる人物だけど。
でもそんな、 「友達がいないこと」も 「ヒッキーな生活」も 明るく笑って話せる… そんな開き直ったような自分になれてたから…。
人間に上下なんてない。
そう思った視点に立てたから。
だから彼女と同じ地点で 無理することも、見上げることもなく、 彼女に自分がどう思われるかも気にしすぎることなく、 普通に交流できた。
「別に悪く捉えられたって、それでも別にいいや。 私は私だもん。」 「どうあればいけない人間なんていない。 私はこのままのありのままでいいんだ。」
そう自分自身を抱きしめ、 心から思えてることが、 私を人との関わりで強くした。 …そう思う。
彼女から色々な話を聞け、 久しぶりに友達と話合うということができ、 今日は大変充実した機会になったと思う。
…だからといって、頻繁に会いたい、 とも思わないのだけどね^^; (半年に一回とか1年に1回でいいなぁ) やっぱりどこか萎縮してる部分、 構えてる部分はあるんだろうね(苦笑)。
こうなれたのは、 やっぱり連れの影響が大きかったと思う。
連れが私が今まで誰にも見せたことのない、 ありのままの私を受け止め、 私が「○○なのは悪い」「私はダメなんだ」って 思い込んできた、社会的価値観でセーブしていたことを、 その関(せき)を壊して、思いっきり出させたから、 (しかし、それは大変な恐怖と不安であったけれど) 私はそう思えるようになれたんだと思う。
そうすることで、私は始めて、 「社会や他人の言いなり」によって、ではなく 「自分自身で」気づくことができたから。
・・・・・・・。
彼女とまた再会する日がいつかはわからない。
彼女の子供が生まれた後か前か、 そして、私から連絡をいれるか、 それとも彼女からか…、
それは、まったく予想がつかない。
…でも、高校時代からずっと 私に張り付いてた「仮面」、 人と接するときに必ずつけてた「仮面」。
そのせいで人間関係に気疲れし、 自分自身に自信をもてなかった。 …でも、 自分を開けなかった仮面をはずした自分で 接せられた実感をもてたことは私にとって、 とても大きな「気づき」であったと思う。
ううん、そう思いたい。
2005年05月22日(日)
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