明日から8月である。6日には広島、9日には長崎の原爆記念日である。過去の原爆については、少なくとも国内では、これまでも議論されてきているし、これからも様々な議論がされるであろう。特にこの原爆記念日の前後になるとその議論は活発化する。ところで原爆とはなんなのか、あらためて考えてみたい。原爆と言うのは、ウランやプルトニウムを用いた破壊力の大きい爆弾である。通常の爆弾と分けて考えられているのは、爆発の原理が全く異なるからだ。理屈から言うとウランやプルトニウムの放射性同位体を核分裂させることで巨大なエネルギーに転換する。それだけで言えば原子力発電所と同じように聞こえるが、原子力発電所で使われる核燃料と、原爆の核燃料には大きな違いがある。原子番号92のウランであれば、陽子の数が92個、中性子が146個で質量数は238である。しかし、中性子の数が3つ少ない質量数235のウランが天然ウランには0.7%含まれている。このウラン235に中性子をぶつけると中性子が吸収され原子核が不安定になり、核分裂を起こすことになる。このウラン235の割合を人為的に増やす、つまり濃縮したものが原子力発電所の燃料となる。原子力発電所ではウラン235の割合を2~5%程度まで濃縮したものが一般的に使われている。20%以下の濃縮ウランを低濃縮ウランと言う。一方で、原爆に使われるウランはさらに濃縮度を高めてある。いわゆる高濃縮ウランである。ウラン235の濃度が70%以上のものが一か所に集まると自然に核爆発を引き起こす。一般には90%以上に濃縮したものが核爆弾に使用される。ただし、臨界質量を越えなければ爆発は起こさないため原爆に利用させる場合は臨界質量以下の濃縮ウランを幾つかに分け、爆発させる際には通常火薬などで一か所に濃縮ウランを集めてやることで自然に核爆発が起こると言う仕組みになっている。つまり、原子力発電所で使われている核燃料が核爆発を起こすことはありえない。だからと言って安全と言う意味ではないが、爆発は起こさないと言う意味では安全性が高い燃料だと言える。(注)天然ウランのままでも中性子を当てればウラン235は核分裂を起こすことが出来るため、核燃料とすることは可能であり、黒鉛チャンネル炉や重水炉などでは天然ウランがそのまま核燃料として利用される。しかし、連鎖反応の起こりやすさや原子炉の構造の問題、制御のしやすさなどから濃縮ウランが使われることが多い。福島第一原発のような軽水炉で使われているのは、この低濃縮ウランである。同じ原爆にはプルトニウム型と言うのもある。プルトニウムは原子番号94、陽子数94、中性子数135、質量数239の物質である。これはほとんど自然界には存在しないが、原子力発電所のウラン燃料を燃やした後の副産物として得ることが出来る。つまり、排気ガスのようなものだが、これを燃料としてエネルギーを得ることも出来る。早い話安いコストで発電が出来るわけだ。これを燃料として発電することをプルサーマルと呼ぶ。プルトニウムをクルマの排気ガスと同列に語るのはどうかと思われるかも知れないが、クルマの排気ガスにはNOXと呼ばれる窒素酸化物が含まれていて公害の原因となっているが、プルサーマルに使われるウランとプルトニウムの混合物をMOX燃料と呼ぶ。これは、なにか因縁めいたものを感じないだろうか。話を戻して、プルトニウムは当然原爆の燃料にも使われる。実際に広島に投下された原爆はウラン燃料であったが、長崎に投下されたものはプルトニウム燃料であった。今、世界中で新たに原爆を開発しようとしている国がたくさんあるが、多くはウラン型の開発をしているようだ。プルトニウム燃料は濃縮などの手間がかからず、コストが安いのだが、プルトニウムは放射線を出すため扱いが非常に難しい。そのため、ウラン型の原爆の方が手を付けやすいと言う事情もあるのだろう。同列のものとして考えられるものには水爆(水素爆弾)と言うものもある。こちらは核分裂ではなく核融合を利用した原子爆弾(核兵器)のことであり、同じ核兵器でも、原爆とは原理が違う。原爆と水爆を合わせて原水爆と呼ばれることもある。水爆の詳細な原理には触れないでおくが、起爆装置に原爆を用い、発生した熱と圧力を利用して水素の核融合を起こさせるものである。余談であるが、起爆装置の原爆を使わない純粋水爆と言うものも開発中と言われている。これは、原爆を使わないため放射性降下物が少なくクリーンな核兵器と言われているが未だに開発には至っていないらしい。また、劣化ウラン弾などと言われるものもある。これは、核爆発を利用した兵器ではなく、ウランの比重(単位体積当たりの重さ)の高さを利用した砲弾のことである。つまり分類上は熱核兵器でもなく、大量破壊兵器でもないのだが、少しだけ触れておく(なお、あえて核兵器ではなく熱核兵器と書いたのは、核物質を利用した兵器であるため、個人的見解として核兵器の分類から外すことに違和感を感じたためである。また国連では、核兵器、化学兵器、生物兵器などの大量破壊兵器と同列の「無差別的な効果のある兵器」としてクラスター爆弾や、ナパームとともに劣化ウラン弾を分類するような動きがあるそうだ)。原子力発電所で燃やした濃縮ウランを作る過程で出てきた、ウラン235の濃度が天然ウランよりも低いウラン(劣化ウラン)を砲弾に利用することで、戦車や分厚いコンクリートで出来た要塞などへの貫通性が高いことから利用されている。この劣化ウランは低レベル放射性物質であることも問題でもあるが、それよりも化学的毒性のある重金属であることが大きな問題とされている。さて、これらの核兵器の大きな問題は、その破壊力のすさまじさもさることながら、放射性物質をバラまいてしまうと言う点に尽きると言うことである。攻撃を受けたその場だけでなく、被爆後しばらくしてから影響が出てきたり、被爆した人の子孫代々に渡り影響を与えかねない核兵器は、非人道的であるとしか言いようがない。特に天然の放射性物質と違い、人工的な放射性物質は、生物の体内で排泄される仕組みがないため体内に蓄積されやすいと言う説もある。放射線については過去にも触れているので詳しくは述べないが、福島第一原発の惨状を見ればその恐ろしさは身を持って知ることが出来る。「原爆を許すまじ」と言う曲がある。そのなかにこんな歌詞がある。「三度許すまじ原爆を」1~4番まですべてにこの歌詞が入っている。ここにある原爆は原水爆と読み取っても良いだろう。原発事故も含めても良いかもしれない。「三度許すまじ原爆を」である。許してはならないのである。
もうすぐ終戦記念日である。その前には原爆記念日もある。夏は戦争について考える機会が多い時期だ。普通、人が人を殺せば殺人として裁かれる。国の命令で殺せば裁かれない。戦争に限らず、死刑なども同様だが。罪もない人を巻き添えにする戦争と、犯罪者を処罰する死刑は同列には考えない方がいいだろう。国と国が(複数の国が集まった連合国だったり、テロリスト集団が相手だったりするかもしれないが)、お互いに相手が自国民を殺すことを公認しあって、殺人兵器を使って争うのが戦争だ。国際法に基づく交戦規程などを守って争う分には法的に裁かれることは無い。注:あえて、「お互いに相手が自国民を殺すことを公認」と書いた。解釈によっては、「お互いに相手の国民を殺すことを公認」とするべきなのかも知れないが、これは視点の違いの問題である。昔、「正義は勝つ」と言った人が居た。彼は中学教師だった。中学教師の言葉とは思えなかった。「事実太平洋戦争では日本は負けたじゃないか」「勝った方の正義がまかり通る」ならば納得したかもしれない。それ以来、私は彼とは音信不通を通している。中学の教師たるもの、そのように生徒たちに教育しているのかと思うといら立ちを感じてしまうからだ。しかし、当時の私には20年程度の人生経験から「正義は勝つ」などと言うことはありえないとぼんやりと思っていただけで、自信を持って言えるほど戦争について知っていたわけではなかった。そこで私は、そのことをきっかけに戦争について勉強を始めた。と言っても、日本人に取って身近な太平洋戦争などの近代史と戦国時代の戦(いくさ)について、主に「どちらに正義があるのか」と言う視点で資料を読み漁ったに過ぎないが。いずれは、なぜ「正義は勝つ」と言うことがいかに間違っているかをその中学教師に説いてやろうと思った。実際にはあれから20年近く経つが実現していないし、今となってはその気も薄れてしまったが。しかし、「正義は勝つ」についての考察の結論は出ているようで出ていない。そもそも正義と言うのは、戦争を始めた時点では両者にある。どちらも「相手が間違っている」と信じているからこそ、双方に大きな溝が出来てしまい、自国民の命を賭しても相手に勝ちたいと武器を手に取るのだ。(最近は戦争を起こすことで金儲けをしようと言う国もあるようだが、それもある意味、その国にとっての正義なのかもしれない)結果として、勝った方の正義が正しかったことになるだけだ。世界中の世論が負けた側の正義を正しいと認めていたとしても、だ。もっとも世界中の世論が味方をした方が勝つのが一般的かも知れない。味方が多ければ支援もたくさんもらえるだろうし、助太刀してくれる国も多くあるだろう。だが、桶狭間の戦いのように少数精鋭の「たわけもの」織田信長が奇襲を成功させあっさりと今川を倒してしまうと言う事例もある。あんなものは信長のクーデターに等しい。ところが、信長は勝つことで自分の正義を認めさせ日本統一成し遂げる一歩手前までいった。こころざし半ばで謀反に合い命を絶つことになるが、謀反に合うと言うことは、本当の正義ではなかったのかもしれない。その後徳川の時代になって日本全土が平定され300年続く太平の世、江戸時代に至った礎を築くことになったなどと言われているようだが、本当にそれが正義だったのであろうか。もしあの時今川義元が油断することなく、今川の軍勢が信長のクビを切っていたら、その後の日本がどうなっていようとも信長は「たわけ」の烙印を押されたまま終わっていただろう。ひょっとしたら日本はその後、鎖国に入らず、西洋の新しい技術や文化をどんどん取り込み、近代にいたっては、西洋の列強と肩を並べ、東南アジアを中心に世界中に植民地政策を繰り広げていたかもしれない。なんなら日本だって東の小さな島国ではなく、資源国にだってなっていたかもしれない。やはり信長はただの「たわけ」だった可能性は否定できない。そもそも正義なんていうものは抽象的なものなのだ。だいたい、戦争に勝ったからどうだと言うのだ。負けたからどうだと言うのだ。そんなことで正義がどちらにあったかなどと論じていいのだろうか。日本は兵糧攻めに合い、資源確保による国力意地と言う正義のために、海軍左派三羽烏が指摘していた通り国力の差が大きく勝てるはずがないと判っていたはずのアメリカ相手に、やむなく太平洋戦争に突入し、当然のごとく敗戦した。それまで散々植民地政策を推し進めてきた西洋諸国が、東の方の小さな国が植民地政策なんてまかりならんと言う正義のもとに日本を戦争に巻き込んだ結果である。(かなり偏った見方をしています。本当はもっと複雑な事情があるのは承知の上で書いています。すみません)いや、正確には勝てない戦ではなかったかもしれない。「半年や一年はずいぶんと暴れて見せます。しかしその後はいけません。」と言うのは山本五十六の言葉であるが、これほどまでに状況分析が出来ていた。にも拘わらず開戦当初の優勢な状況のまま戦争を終結させることが出来ず、戦争は長期化してしまった。それは日本には日本なりの正義があったからだ。引き際が大事なんて言葉はどこに忘れ去られてしまったのだろう。やはり信長に端を発する、300年もの間つづいた太平の世が、戦(いくさ)に対する日本人の勘を鈍らせてしまったのかもしれない。やはり信長は「たわけ」だ。しかし、敗戦したからと言って日本は簡単には負けなかった。日本人的視点に立てば、むしろ勝負はそこから始まったと言ってもいいだろう。戦勝国アメリカとうまく付き合い、その後の経済戦争ではアメリカの主要産業である自動車会社を窮地にまで押しやった。正義はどちらにあったのであろうか。信長の正義は正しかったのかもしれない。Nobody Wins A War.(戦争では誰も勝たない)数年前に、たまたま、どこかのブログで見つけた言葉である。2、3年前だったろうか。気に入った言葉だったのでメモをしておいた。サイト名までは覚えていなかったが「知の関節技」と言う言葉が一緒にメモされてみたので検索してみると見つかった。知の関節技もう、8年も前に書かれたものだった。その時点で20年前と書かれているので、ざっと30年くらい前にニューヨークのホテルのメイドが言った言葉のようだ。この言葉のすごいところは、太平洋戦争やその後の多くの戦争で闘い、うやむやで終わってしまった戦争もあったが、基本的に負け知らずのアメリカのホテルのメイドの発言であることだ。「正義は勝つ」などと言わないところもすごい。こんな視点を持ったメイドが居る国に、日本は勝てるわけがない。結局「Nobody Wins A War.」と言う言葉はとても核心を付いているのかもしれない。ところで、世間では憲法改正議論が進んでいる。自民党の平成24年度版の憲法改正案を読んだが、「国権の発動としての戦争は放棄する」そうだが、国防軍を保持することや、緊急事態宣言がなされた場合、内閣が法律と同等の効力を持った政令を発することができるそうだ。つまり、一度中国が尖閣諸島に軍隊を送り込めば緊急事態宣言を出すことによって、内閣の一存でなんでも出来てしまうとも言えるわけだ。「諸悪の根源である北京からつぶせ」なんてことも不可能ではない。なんなら、尖閣諸島に中国軍がやってくるように裏で諜報活動を行なった上での緊急事態宣言だって出しかねない。素人の私が素人目に見て、素人なりの解釈で「こりゃなんでもやり放題?」と思えるような改正案を振りかざして今回の普通選挙に勝ち、国会のねじれを解消したのだから、これが日本の正義なのだろうと思うしかないのだろうか。しかし、なぜこれだけ大掛かりな憲法改正を、今やらなければならないのだろう。その理由がどうもあいまいにぼやかされているような気がする。そもそも報道を見ていても憲法改正の内容に深く突っ込んだものは、結局見なかった気がする。一部の新聞が少し突っ込んだ内容の報道をしたと言う話は聞くのだが。なんでも判りやすく解説してくれる、池上さんあたりが特集番組で解説してくれても良さそうなものだが。大掛かりすぎて2時間や3時間の特番くらいでは解説しきれない内容なのかもしれないが・・・今年の夏は例年になく、戦争についてじっくり考える夏になりそうな気がする。「正義は勝つ」についての考察もそろそろ結論を出さなければ。↑エンピツ投票ボタン
邇保姫神社(にほひめじんじゃ)と言うのは広島市南区西本浦町の黄金山の麓にある小さな神社である。当時の仁保島(現在の黄金山)に神功皇后が放った矢が当たった。この矢を御神体としてこの地に鎮守したのが始まりとされているらしい。原爆で被爆したものの、比治山の陰に隠れていたこと、爆心から距離があったことなどから、5年ほど前までは享保年間と言うから1700年代前半に再建されたままの状態で残っていた。ひっそりとした寂しい神社であったが、私にとっては思い出深い神社であるが、2007年に出火し拝殿・本殿ともに全焼してしまったそうだ。今振り返ってみると古墳時代以前からの由緒正しい立派な神社である。しかし、私にとっては、広島に住んでいた小学生のころの楽しい遊び場の一つとしてであった。神社の入り口の近くには、子供たちのたまり場の駄菓子屋さんがあり、夏になると半兵衛庭園と言う庭園に付属のプールで遊んだことも思い出す。その先には野球やサッカーもできるほどの広い広場(と言っても子供の遊びレベルならばと言う意味で、本格的なグラウンドではないが)のある公園もあった。だが、一番の思い出は邇保姫神社である。毎朝、父に連れられてお参りにも行った。神社の敷地に入いると石の狛犬が出迎えてくれる。鳥居をくぐって両側の石灯籠を眺めながら先へ進むと、傾斜のきつい100段の石の階段が目の前に迫る。うっそうと茂る林の間の階段を子供の足で一気に駆け上がると、比較的新しい社務所が正面に見える。右手にある古いがしっかりした作りの拝殿と本殿は、子供の目に、心なしか寂しいく映った。父からもらった5円玉を賽銭箱に投げ入れ、今日一日の無事を祈って家に戻るのが、小学生のころの毎朝の週刊だった。学校が終わると、遊ぶ約束がなくても邇保姫神社に行くと誰かしらと遊ぶことができた。石段の手前で鬼ごっこやかくれんぼ、ケイカン(ケイカンとドロボウのふたチームに分かれて行う鬼ごっこ)や缶けりなどして遊んだ。石段の手間の広場にも木々がはえていて隠れる場所はそれなりにあるが、隠れる場所が豊富なのは石段の両サイドにある林の中だ。それなりに手入れはされているのだろうが、それにしても自然に近い林である。それなりに過酷な遊び場である。遊び疲れると神社の目の前にある小さな駄菓子屋に50円玉を握りしめておやつを買いに走る。子供好きだと思われるおばあさんが嬉しそうに僕たちやんちゃな子供の相手をしてくれる。そしてまた神社で日が暮れるまで遊んだ。神社のすぐ横に同級生の友達の家があった。家業の看板屋の二階がその同級生の自宅だったが、看板屋の店先で麦茶を御馳走になった記憶もある。また、神社に倒れている人を見つけて交番まで知らせに行ったこともある。結局昼間っから飲んだくれていた、ただの酔っ払いが寝ていただけだったが、子供ながらない非日常的な出来事に興奮したものだ。お祭りのときには子供神輿を担いで100段の石段を登った。重たい神輿を担いで登る石段は大変辛かったが、しかし楽しい思い出でもある。中学生になってからだったと思うが、神社の駐車場で行われた剣道大会(おそらくは神社に奉納するための剣道大会だったのではないだろうか)に友達が出場するというので応援しに行ったこともあった。その時の友人の試合の激しさに剣道に魅せられたものだ。その後剣道部に入ったが、その友人にコテンパンにやられたことも忘れられない思い出だった。高校の武道の時間に剣道を選択したが、その時の経験が活かされきれいなメンを一本取れたのも原点は邇保姫神社だったのかもしれない。そんな思い出深い神社だったが、ある日火事で焼失したというニュースを聞いてがっかりした。最近になって立派な本殿の再建が終わったようだが、私の思い出の中にある邇保姫神社とはだいぶ違う。うれしいことなのだが残念な気持ちの方が強い。いまさら後悔しても仕方がないのだが、大人になってから広島に行ったときにでも最後にもう一度見ておけばよかった。そう思うと残念でならない。邇保姫神社ホームページ↑エンピツ投票ボタン
参院選の自民の圧勝具合には予想通りとは言え驚いた。まぁ、世の中の流れだから驚くには値しないのだろうが。それよりも不可解なのは山本太郎氏の当選だ。ここ数年の本人の言動を見ているととても当選出来るとは思っていなかったのだが。若者の票が集まったとも聞いているが、あぁ言う過激な言動をする人物に投票する気概のある若者がそんなにいるのかなぁ。しかし、現職の優秀な議員が山本氏に負けて落選してしまう事態にはがっかりしてしまったのが正直な感想である。しかし、山本氏、公選法違反もだいぶやっているらしい。判っているだけで本人の同意なしにメールの送信をしてしまったそうだ。さらに、そのメールアドレスなどの個人情報の流出まであったらしい。山本氏の選挙事務所の選対事務局長は、法的な認識不足などと言い訳をしているようだが、以前公選法違反で逮捕された前東京都議の伊沢圭子氏の選対事務局長でもあった人物だそうだ。もちろん、本人もその時に公選法違反で逮捕されている。そんな人物を選対事務所に入れているだけでも、問題なんじゃないかと思うのだが。↑エンピツ投票ボタン
予備校時代の友人に、こんなことを本気で言う奴がいた。「キングコングはKingKong、ホンコンはHongKongおかしくないか?」と。さらに続けて言う。「だったら、ホンコンは正しくは、ホングコングじゃないか。」いやだって、ホンコンはもともと香港、もともとの発音にできるだけ近いアルファベット表記したらHongKongになったってことだろう。それをホングコングとはおかしくないか。「じゃぁ、わかったよ。キングコングも同じ法則にしたがってこれからはキンコンと呼ぶことにする」まぁ一理あるな。私もこれからキンコンと呼んでみるかとは思わなかったが。大学時代の別の友人だがやっぱり面白いことを言った。「和菓子と言うが、和楽とは言わないだろ。」え?なんだって?「邦楽」あぁ、確かに邦楽とは言うな。邦画、邦人、邦楽。一方で和菓子、和船、和歌。和はまだまだ思いつく。和式、和室、和紙、和食。日本古来のものには「和」を使い、単に外国のものと区別するときには「邦」を使うんだと思うけどな。「う~む、そうでないと言い切れる事例がないか考えてみる」畳み掛けるように私は言う。例えば、邦楽って言っても、アーティストが日本人なだけで、曲自体はポップスだったりロックだったりジャズだったりするだろう。でも洋楽とは言わないし、だからと言って和楽と言うのも聞いたことがない。少なくとも一般的には使わんよな。「邦室、邦歌、邦式、邦食」悪いけど、全部聞いたことない。「やっぱりなぁ、でも、ラーメンとか、カレーライスとか、日本古来のものではないけど、実際には中華でもインド料理でもない事実上の和食ってあるじゃんか。邦食って言葉くらいあってもよさそうだけどな」お前の場合邦食って言うより、飽食だからなぁ。おれも人のこと言えないか?↑エンピツ投票ボタン
このところの暑さには参る。先日の夕方、居間でじっとしているだけでも汗が流れ落ちるほどの暑さの中、いや、熱さ(ほんとに空気が熱いと思った)と書きたいくらいの暑さの中、「今夜も熱帯夜かなぁ、今夜は冷房つけて寝させてもらえるかなぁ」などと思いながら、冷凍庫にたまっているあれ、保冷剤のことを思い出す。保冷剤の大きい版とも言うべきアイス●ンは、正月に冷蔵庫が壊れた時に捨ててしまった。実は穴が開いてしまっていて、事実上使えない代物になっていたからだ。近いうちに買いなおすつもりで捨てたのだが、すっかり忘れていた。冷房をつけさせてもらえなければせめてアイ●ノンと思ったのだが。で、その代りに保冷剤くらい貯まっているだろうと思ったわけだ。実は保冷剤もア●スノンと一緒に、正月の冷蔵庫の故障の時にすべて捨ててしまっていた。あんなものはいくらでもたまっていく。どんどんたまっていく。冷蔵庫が壊れてから半年以上経つ。どのくらい貯まっているだろうか。冷凍庫を覗く。全然たまっていない。そんな馬鹿な。保冷剤なんて毎月1個くらいのペースでたまっていたと思ったのに、一つもない。何かの時に役に立つだろうと、いや、例えば停電したときとか冷蔵庫が壊れたときとか、冷蔵庫の中を温まらないようにするには保冷剤を放り込んでおくだけでもだいぶ違うと思う。実際、冷蔵庫が壊れたお正月、実家から戻って冷蔵室を開けたらすでに中は生温かったが、保冷剤が入っていた冷凍室の中身はまだ凍っていた。結果的に新しい冷蔵庫が即納できないと言うことで冷蔵庫の中身は基本的にすべて捨ててしまったが、無駄にたまっていた保冷剤のお蔭で冷凍室の中身は凍ったまま新しい冷蔵庫の冷凍室に移動させることも可能な状態であった。だが、それも山のようにたまっていた保冷剤のお蔭であって、冷凍室は保冷剤入れのような状態と言う、情けない状態だったからだ。保冷剤のお蔭で助かった反面、我が家の冷蔵庫のだらしなさにあきれた一幕であった。しかしなぁ、保冷剤があればなぁ・・・いやいや、保冷剤は最低限の量は取っておくにしても、必要以上のものは、こまめに捨てることにして、●イスノンを買っておくのが正しい発想だろう。暑さで思考回路もおかしくなっているかも(笑)と、思いつつも・・・あ、そうだ、キャンプ用のプラスチックの四角い板状の保冷剤なら、冷凍庫に入っているはず、あれは捨ててないぞ。とどこまでも保冷剤で寝ることを考え続けるのであった。↑エンピツ投票ボタン
挑戦五年目の今年は、なにかが違っていた。ツインリンクもてぎで毎年開催されているJOY耐、ツーリングカーで争われる7時間耐久レースのことである。これまで何度も辛酸を味わってきたこのレース。毎年毎年、今年こそは勝つぞと言う意気込みが報われないまま気が付けば5回のレースの日が近づいていた。遊び半分だった初年度でさえ、来年もう少しきちんとやれば勝てちゃうんじゃない?と思われた。その後も毎年惜しいところまでは来ていた。だからこそ今年こそは、今年こそはと続けてこられたのだろう。それにしても、よくも毎年あと一歩のところまで来て勝利を逃してしまう。勝利の女神なんて本当にいるのだろうか。一度くらい勝たせてくれたっていいじゃないか。7時間もの耐久レースともなると、途中必ずどこかの歯車のかみ合わせが悪くなる。もちろん、レース中の接触事故やドライバーの熱中症、ガス欠でスロー走行を余儀なくされるなど、不可抗力のようなこともある。だがそれ以上に歯車の噛み合わせが悪いレースは後悔が残ってしまう。各自の役割がこなせていなかったり、逆に人の役割にまで手を出したり。ピット内とサインボードエリアの連携不足、ドライバーとの情報交換のミスが発生することもある。やることがなくなってぼんやりほかのクルーのやっていることを眺めているクルーがいたりすると、ほかのクルーのイライラさせたりすることもある。みんな一生懸命やっているだけに、どうしてもなぜそんなことになってしまうのかが見えてこない。しかし、勝ってみてよくわかった。今年はみな冷静だった。余計なことをするクルーは一人もいない。逆にやるべきことはすべてできていた。情報収集もうまくいき、役割分担もきちんとできていた。すべてが計画通りに動いた。もちろん、ライバルチームのトラブルもある。作戦もよかったし、レギュレーションも我々の作戦に味方した。勝てるときには勝てる空気が出来上がっている。なにが起こっても勝てるときには勝てる。そして、五年目の挑戦である今年、ついに念願のクラス優勝を果たすことができた。こんなにうれしいことはない。チームのみんなありがとう。そしてなにより、こういう経験をチーム監督と言う立場で味あわせてくれたチームオーナーに感謝!↑エンピツ投票ボタン