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2005年09月03日(土) ■ |
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マニフェストを読む(憲法編その二) |
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マニフェストを読む(憲法編その二) さて、野党の憲法政策を検証してみる。
民主党 《2005年衆議院選挙マニュフェスト 政策各論》 1.憲法 日本では今、時々の政府の都合によって憲法が恣意的に解釈され運用されるという、いわば「憲法の空洞化」がすすんでいます。このままでは、憲法に対する国民の信頼感はますます損なわれてしまいます。民主党はこの状況を克服し、国家権力の恣意的解釈を許さず、立憲主義を基本に据えた、より確かな憲法の姿を追求していきます。 民主党は、過去ではなく、未来に向かって創造的な議論を推し進め、日本国憲法が高く掲げる「国民主権」「基本的人権の尊重」「平和主義」の3つの基本原則をさらに深化・発展させます。 憲法の姿を決定する権限を最終的に有しているのは、政党でも議会でもなく、国民です。民主党は、自らの「憲法提言」を国民に示すと同時に、その提言を基として、国民との対話を精力的に推し進めていきます。憲法改革のための提案が現実となるためには、まず衆参各院において国会議員の3 分の2以上の合意を達成し、その上で国民多数の賛同を得なければなりません。民主党は、国会におけるコンセンサスづくりにも、真摯に努力していきます。 「日本国の象徴」にふさわしい開かれた皇室を実現するため、皇室典範を改正し、女性の皇位継承を可能とします。
民主党の憲法政策については過去において一度検討した。 この政策では、自民党同様何も具体的には語られていないが、しっかり「九条はかえるということ」「改憲条項は緩和する」という点で自民党と意見を一致することがわかっている。違うのは「国連主導のときのみ武力行使を認める」という一点である。つまり湾岸戦争のように、アメリカがその時々の力関係で国連を思うままに動かせるときには、日本の自衛隊は海外で武力行使をするということである。国連をあまりにも神聖視していないか。国連憲章は「集団的自衛権」を認めているのである。ただこのマニフェストでは、6月23日に出された民主党の政策なんてまるで無かったような書き方である。その点はほかの政党もそうなのだが、ここは特に不誠実なものを感じる。また、そこでは改憲手続きに関しては「各議院の3分の2以上の賛成があれば、国民投票を経ずとも憲法改正を可能とする」とはっきり言っているのだが、そういうことは選挙後のことになるのだろうか。
日本共産党《総選挙にあたっての訴えと7つの重点公約》 (05年8月11日発表) 【2】日本を「戦争する国」にしないために――憲法をまもりぬきます 8月はじめに発表された自民党の改憲案は、9条にねらいを定め、「自衛軍」を書き込むとともに、その任務に「国際社会の平和」を明記しました。民主党も、国連決議があれば海外での武力行使は可能だとして、その立場を改憲案に盛り込むとしています。公明党も「加憲」の名で改憲の流れに公然と合流しました。 いま改憲派が共通してもとめているのは、憲法9条、なかでも「戦力不保持」と「交戦権否認」を規定した9条2項を改変し、「自衛軍の保持」を明記することです。この方向で憲法が改定されれば、自衛隊の現状を憲法で「追認」するだけにとどまらない重大なものとなります。 自民党政府は、憲法9条に違反して自衛隊をつくり増強してきました。しかし、「戦力不保持」と「交戦権否認」という規定が「歯止め」になって、「海外での武力行使はできない」という建前までは崩せませんでした。9条2項を改変し、「自衛軍」を明記することは、この「歯止め」をとり払い、日本を「海外で戦争をする国」に変質させることになります。それは「戦争放棄」を規定した9条1項をふくめた9条全体を放棄することです。憲法9条をなげすてることは、アジアと世界にたいする不戦の誓い、国際公約を破り捨てることであり、日本の国際的信頼のはかりしれない失墜となるでしょう。 憲法を改悪し、日本を「戦争をする国」にしようとする動きの根本に、アメリカの先制攻撃の戦争に日本を参加させようという「日米同盟」の危険な変質があります。アメリカに追随して、無法なイラク戦争を支持し、自衛隊の派兵で加担した小泉内閣の“アメリカいいなり”は世界でもきわだっています。日米安保条約の枠組みさえこえた、地球規模の「日米同盟」への侵略的な大変質がすすめられています。世界的な米軍再編の動きのなかで、米軍と自衛隊の一体化が推進され、基地の共同使用の拡大がはかられています。沖縄をはじめ日本全土の基地は、地球規模の出撃・補給拠点としていっそう強化されようとしています。自衛隊の本来任務に「国際活動」を位置づけ、「海外派兵隊」への本格的な変質をはかる自衛隊法改悪のたくらみも、アメリカの戦争には世界のどこであれ無条件に協力する仕組みをつくろうとするものです。 ――憲法をまもりぬきます。憲法改悪に反対するすべての人々と力をあわせます。
共産党のこの見解はは与党としての政策を述べたものではなく、野党としての主張を述べたものである。私は憲法に関して言えば、それでいいと思う。私はいまのところ、憲法は一字一句たりとも変える必要がないと思っている。その意味で、この見解は各政党がマニフェストの中で隠している憲法政策について適格な批判をしているし、その狙いについても、アメリカとのかかわりに言及し、もっともグローバルな視点で書かれてあると思う。欠点は少々長いということだろう。 また、「一字一句変えない」事は決して後ろ向きではないと私は考えている。むしろ前向きである。今まででさえ、憲法は暮らしの中で活かされていなかったのだから、今回の改憲論議の中で、「変えない」ということを国民が選んだのだとしたら、そのとき戦後初めて「憲法が暮らしに活きる」展望が開けることを意味するだろう。そのときもう政府は憲法から逃げるわけには行かなくなるだろう。 今度の選挙、憲法を論点にすべし!と私が考える根拠はここにある。
社会民主党《社民党総選挙政策2005》いかす!「平和憲法」――政治の基本は平和憲法 1.憲法の理念を現実にいかします 日本国憲法の理念を具体化するための法整備を進めます。「平和的生存権」を実効的に保障するための「平和基本法」や、国是である非核三原則を法制化するための「非核基本法」を制定します。憲法改悪につながる国民投票法案には反対です。
社民党は共産党と並んで、「護憲」を一貫して追求しており、政策自体には賛成である。ただし、欠点は改憲運動の狙いにメスが入っていないところだ。(参考「社民党総合政策ガイド」)だからだろうか、小さい所帯なのに中身が非常にぐらぐらしている。社民党の副党首だった人が民主党から立候補する話、横光副党首が社民離党へ、大分3区で民主公認の方向というニュースはがっかりとすると同時に、護憲への決意を疑うものではある。 (05.08.26)
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2005年09月02日(金) ■ |
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マニフェストを読む(憲法編その一) |
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マニフェストを読む(憲法編その一) 小泉首相は「この選挙は正真正銘マニフェストを戦わせる初めての選挙だ」と息巻いているらしい。その言やよし。じゃあじっくり読ませてもらいましょ。とはいっても、郵政やら、年金やらはあまり得意ではない。まずは「憲法」について調べてみた。そしてまずは与党から。
自由民主党《自民党からの120の約束》(リンクしています)
「新憲法制定」に向けて具体的に動きます。 024.新憲法制定への取り組みを本格化 17年11月15日までに自民党憲法草案を策定し、公表する。新憲法制定のための「日本国憲法改正国民投票法案」及び「国会法の一部改正案」の早期制定を目指す。 自民党の憲法政策については、すでに8月3日の日記で述べてある。憲法草案は一次案は出来ているのに、ここには書かない。そこで書いていることは9条を変え、アメリカの言いなりに自衛隊を海外で武力行使をさせ、なおかつ憲法を変えやすくさせて、いつでも更なる改憲を出来るようにする、という代物だから、具体的には書けないのであろう。ただし、異様に具体的なのは「11月15日」と期日を書いているということ。アメリカからせっつかれているということもあるが、結党50周年までになんとしてでも形にしたいという彼らの焦りがある。どちらにせよ、到底容認できるものではない。
公明党《公明党マニフェスト2005》 (05年8月16日発表)(リンクしています)
当面する重要政治課題 3、憲法改正問題について 現憲法に新たな条文を付け加える「加憲」(*)の立場で具体的追加項目を検討 公明党は、現憲法を高く評価し、「国民主権主義」「恒久平和主義」「基本的人権の保障」の憲法3原則を堅持します。その上で時代の進展とともに提起されている環境権やプライバシー権などを新たに付け加える「加憲」という立場をとっています。憲法第9条については、第1項、第2項を堅持した上で、自衛隊の存在や国際貢献等について、「加憲」の論議の対象として慎重に検討していきます。*現行憲法は維持しつつ、そこに新しい条文を書き加え、補強していく「加憲」という方式
まるで妖怪ぬらりひょんみたいなマニフェストではある。「慎重に検討」という言い方でもうこれは何も言っていないのに等しいのだが、9条をたとえそのままにしたとしても、「自衛隊」という言葉が3項に入った時点で、それは自民党の案と同じ意味を持つのだということを見事にごまかしているのだとしか私には思えない。到底容認できない。
次回は野党のほうを。
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2005年09月01日(木) ■ |
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民主党「憲法提言中間報告」を読む |
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以前自民党の憲法草案を読んだので、 今度は6月23日に発表された民主党の「憲法提言中間報告」(リンクしています)を読んでみる。
7月1日に憲法会議の川村俊夫さんの話を聞いたとき、「自民党も民主党もゆれている。自民党は3月に出すといっていた憲法要綱が7月にずれ込むし、民主党は一番大事な「安全保障」の部門で意見が二つに割れている。」といっていた。しかしそれだから「安全」だというわけではなく、アメリカの圧力の下粛々と日程はこなすだろうと、とも言っていた。ともかく財界も、自民・民主・公明も二つのことを狙っている。「ひとつは、9条2項の改定。戦争放棄をなくし、自衛隊を軍隊にする。もうひとつは96条。憲法を改正する方法です。ここをいじれば、後はどうでも変えることができる。」自民党も財界もそのとおりのことを言っているなあ、とは思っていましたが、今回読んでみて民主党も見事にそこは意見の一致があるみたいです。
9条については 第1は、憲法の中に、国連の集団安全保障活動を明確に位置づける。 第2は、国連憲章上の「制約された自衛権」について明記する。 第3に、「武力の行使」については最大限抑制的であることを宣言し、書き入れる。
自民党との違いは「国連主導の武力行使のみ認める」ということであり、ほかは結局同じことです。かえって自主独立を強調することによって今より更なる軍拡路線に突き進む恐れがあります。しかし思い出してほしい。イラク戦争こそ、あまりにも無法性ゆえ国連は「うん」といわなかったけど、湾岸戦争はアメリカ主導によって国連の名のもとに行われました。ボスニア紛争も同じです。アメリカはそのときの情勢や力関係で国連を利用したり無視したりしただけなのです。二つの戦争はいろんな悲劇を起こしてまだ歴史的な評価は定まっていません。この改憲では情勢しだいでは「やはりアメリカの言うなりに日本が戦争に巻き込まれるでしょう。」
改正手続きについては 「硬性憲法の実質を維持しつつも、より柔軟な改正を可能とするために、_改正事項によっては、各議院の3分の2以上の賛成があれば、国民投票を経ずとも憲法改正を可能とする」といっています。あからさまです。
今の状況でこれを許せば、後はずるずると憲法改正し放題になるでしょう。小選挙区制によって、弱小政党が次期政権党になる可能性は非常に小さくなりました。国民があっと間違いに気がついたからといって次の選挙で大逆転できるような状況ではないのです。
環境権やら何やらは単なる飾りです。10年以内に彼らの意見はころころ変わるでしょう。
本当は今は民主党は「憲法行脚」をして、「世論を喚起する」活動をしているはずでした。しかし、選挙のせいで一時期止まっています。これをずーと止まらすか、一ヶ月だけの話にするかは、これからの国民の判断に任されています。
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2005年08月31日(水) ■ |
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自民党「新憲法第一次案」を読む |
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8月2日、自民党が「新憲法第一次案」を発表した。
読売新聞は当然のごとく社説で「[自民憲法原案]「条文に即して議論すべき段階だ」」と、ほぼ追認している。「「自衛隊は軍隊ではない」という虚構を排し、今日の安全保障環境と国際情勢の下で、自衛隊の任務を適切に位置づけたものと言えるだろう。」と、いい、「公共の福祉」の記述についても「自己中心の個人主義ではなく、本来、憲法が想定していた「責任ある個人主義」に基づいて、社会の存立の基盤を確かなものにする意図が読み取れる。」とべた褒めである。
朝日新聞は「自民憲法案 失速気味の改憲論議 」と、斜に構えた論説を張った。しかし、それでいいのだろうか。
今回、自民党は初めて条文化して憲法案を発表したのだ。改憲派はこれを大いにたたき台にするという。それに反対する立場も、この案を大いにたたくべきではないのか。これから自民党は全国で「タウンミーティング」を開き、そこでまるで全国の世論を聞いたという形にして、秋の11月結党大会に向けて決定版を出そうとしている。
自民党案では、の「戦争放棄」という表現そのものをタイトルからも条文からも削除した。それに付け加えて、9条2項の「陸海空軍その他の戦力はこれを保持しない。国の交戦権は、これを認めない」を削除し、新たに「侵略から我が国を防衛し、国家の平和及び独立並びに国民の安全を確保するため、自衛軍を保持する」と明記した。また、自衛軍が「自衛」活動のほか、「国際貢献」や「秩序維持」の活動を行うと規定した。これは、たんに現在の自衛隊を追認するだけではないことは明らかだ。枡添要一もはっきりいっている。「集団的自衛権を認める」ということである。つまり、アメリカがイラクであれ、地球上のどこであれ、勝手に起こした戦争に日本が巻き込まれ日本も侵略戦争の片棒を担ぐということである。 この憲法を素直に読むと、そうなるのだ。
国民の権利については、「自由及び権利には責任が伴う」「公益及び公の秩序に反しないように自由を享受し、権利を行使する責任を負う」と規定し、内閣が定める政令でも「法律の委任」があれば権利制限できる仕組みです。「公益や公の秩序」が個人の人権より優先するという考えを打ち出している。そもそも憲法は「政府が暴走しないために、国が守るべき法を決めたもの」である。世界の憲法はほとんどがそうである。「お国のために」という時代がやってくる。やってこさせてはいけないのではあるが。
これは「法案」である。抽象的な論議はしにくい。大いに叩こう。 (05.08.03)
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2005年08月30日(火) ■ |
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「作る会」教科書採択問題で抗議メール |
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ちょっと異例ですが、 せっかく作った文章なので。 ちなみにこのあと総社市長は文部科学省に対する要望は取り消し、 総社市はめでたく「作る会」教科書は不採択になった。
今日以下のごとく総社市長あてに抗議メールを送った。
総社市長 竹内洋二 様 7/30付け山陽新聞によると、貴職は教科書の採択に関して、扶桑社の「あたらしい歴史教科書」を総社市内の公立学校で採用させるため、教育委員会の方針に反して共同採択地区からの離脱を文部科学省に要望されています。
このことは総社市の行政の長が個人的な特定の政治信条から公教育内容に介入しようとするものであり、断じて許すわけにはいきません。 私は、貴職が今すぐこのような介入を中止し、要望を撤回して市民・県民に謝罪するよう要求します。
私は今年六月、県立図書館に行って、扶桑社の中学校歴史教科書と他者の歴史教科書を見比べみました。
科学性を重視しなければならない歴史教育の中に、「物語」を導入し、さもそれが重要な歴史的「事実」であるかのような記述がされていました。もっと詳細に見ればもっと問題点ははっきりしたのかもしれませんが、私にとってはそれだけで許しがたい教科書のように思えました。
速やかな撤回を要求します。以上。
何をかいわんや!! 抗議先は総社市企画課秘書室へ kikaku@city.soja.okayama.jp
(05.07.31)
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2005年08月29日(月) ■ |
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「新憲法起草委員会・要綱 第一次素案」を読む |
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読書ノート、考古学ノートのほうはこれで一段落。 次は映画ノートに移るところなのだが、 ここしばらく某所で、 平和問題、特に改憲問題について発言していた。 これも一応「読書」の部類に入れるということで、 この日記に記入させていただくことにする。 (選挙もあるし)
しばらく更新休んでいました。 まとめて更新させていただきます(^^;)
「新憲法起草委員会・要綱 第一次素案」を読む 自民党の「新憲法起草委員会・要綱 第一次素案」が出た。一読、悲しくなり、怒り、そして嗤った。日本の未来が悲しくなり、こんな考えを持った輩に怒り、考え直して、こんな文章しか書けない人達、しっかり読めば、誰もがNOと言うであろう、文章しか書けない人達を嗤った。とりあえず、簡単な感想だけ。
前文作成の指針「日本国民が多様な文化を受容して高い独自の文化を形成したこと。我々は多元的な価値を認め、和の精神をもって国の繁栄をはかり、国民統合の象徴たる天皇と共に歴史を刻んできたこと。」天皇が戦争を始め、国民に犠牲を押し付けたことを無視し、戦国から江戸時代にかけて、歴史の主役は誰だったかを忘れ、現代において、国民主権の原則を忘れている。
安全保障の項「自衛のために自衛軍を保持する。自衛軍は、国際の平和と安定に寄与することができる。」9条2項をバッサリ削ってこれを入れる。これは単に今の自衛隊を現状追認すると言うことではない。これによって、どうどう軍隊が海外に出かけることが出来る。つまりアメリカが始める戦争に日本がついていって他国を(「自衛」の為に)侵略することが出来るのである。決定的な大転換である。
「2、「公共の福祉」について 1.現行の「公共の福祉」の概念は曖昧である。個人の権利を相互に調整する概念として、または生活共同体として、国家の安全と社会秩序を維持する概念として明確に記述すべきである。2.「公共の福祉」の概念をより明確にするため、「公益及び公共の秩序」などの文言に置き換える。」これもひどい!!憲法はそもそも国の暴走を許さないため、国が守るべきことを決めた法律である。近代憲法の歴史を紐解けばどの学者もそういうであろう。しかし、この憲法は国民が守るべきことを決めようとしている。これが通ると大きく世の中が変わるだろう。
改憲要綱「・国会による発議の要件については、「各議院の総議員の過半数の賛成」に緩和する」要は簡単に改憲できるようにしたいっていう事ですね。 (2005.07.08)
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2005年08月25日(木) ■ |
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「岡山と朝鮮とわたしたち」 |
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岡山の高校生は何校かは毎年韓国へ修学旅行に行っている。 その関係か、きちっとした副読本を作っている。 それを拾い読みしながら、 ある学習会でレジメをきったのがこれである。 これも読書記録になるかな。
ちなみに「古代」だけは私の趣味で膨らませた。
「岡山と朝鮮とわたしたち」 05.06.18 一 古代から近世までー長い友好の歴史 1朝鮮半島の土器 櫛文土器、無文土器、青銅器の時代がが日本の縄文時代 鉄器時代が始まりしばらくたって日本の弥生時代が始まる
土器・武器の相似性と違い(韓国の石製武器はほとんど磨製) (松菊里遺跡の風景の相似性)
縄文土器の独創性は際立っているが、 技術的には江戸時代までは日本は朝鮮半島より後進国であった。 常に朝鮮・中国より『技術』を学んできた。 須恵器は朝鮮半島より遅れること200~300年 百済時代の宝物は日本の古墳時代である →細かな装飾、日本では太刀打ちできない 仏教美術の相似性
反対に言えば、日本は急速に文化的には洗練を極めていく。 (安土・桃山・江戸時代の文化は世界的にもトップ水準)
岡山と渡来人の関係性 土器 「スエ」「ハジ」の地名、「カヤ」「ハタ」の地名 吉備の中山の枕言葉「まがねふく」鉄文化の輸入 3C~5C倭国で最も先進地域は吉備国であった 根拠 吉備東遷説(特殊器台が箸墓古墳から出土)近藤義郎「前方後円墳と古代吉備」 造山古墳(5C)の主体は倭の五王の誰か? (岡山教育委員会出宮説) 吉備津彦侵攻の理由 雄略天皇(5C)の吉備侵攻 吉備と新羅との同盟関係「日本書紀」 鬼の城(7C)の巨大さと歴史からの抹殺 見事な朝鮮式山城(石垣の間に角楼や門、版築による盛土)、『日本書紀』に記載されず 2.朝鮮との国交と朝鮮通信史 徳川家康の国交回復(強制連行の朝鮮人の送還) 12回の外交使節 (対等平等な関係) 唐子踊り(牛窓毎年10月第三日曜) 失われた踊りの復活 本来は無かったはずの日本の民衆と 朝鮮の人々との深い国際交流
二. 近代日本による朝鮮植民地支配 1.皇民化政策 1938国家総動員法の制定より 愛国班 朝鮮教育令 朝鮮語の禁止 創氏改名 陸軍特別志願兵令 44徴兵制 2.岡山県の在日朝鮮人の歴史 1903 3人 1910年 日韓併合条約 1917年 487人 1922年 825人 朝鮮人強制連行 三井造船 地下軍需工場(地蔵山・臥龍山)、三井協和隊(死者16名) 柵原鉱山 地化火薬工場計画 勝山第二発電所 亀島山地化軍事工場 三菱重工業水島航空機製作所の疎開工場 (2055M)522機製作 高校生による実測図 水島在日コリアン 1946一万人以上 亀島全体がコリアンタウン 1960まで土木、日雇い、ホルモン、ダンプ。養豚 戦後朝鮮学校の設立 国際結婚の比率2割程度 倉敷中央高校社研部の活動 87『見る会』88『亀島地下工場を語りつぐ会』 95行政によって『記念碑』設立 3.日本とコリアンとの交流 笠岡市浄心寺に残る安重根の書 1907ウラジオストックで日本との交戦 1909『断指血盟』ハルビン駅で伊藤博文殺害 住職が教悔師「値打ちのあるものは必ず残る」 槙村浩「間島パルチザンの歌」 高地の神童 共産主義運動にかぶれ一時関西高校へ 謎の1年間 朝鮮人との交流 金日成の抗日パルチザンの歌 リアルな描写
高校生のさまざまな民族学習 中央高校(90遺骨遺族返還) 玉野光南高校 構成劇「赤い鳳仙花」 金原哲さんとの交流(最後の言葉) 大隅実山氏の『大和塾』を探すたび 明誠高校
4.在日問題 県内外国人 朝鮮・韓国人7901人 中国人 2843人 ブラジル人 1732人フィリピン人1102人 戦前の強制連行 戦後の職業68%無職 91.2%特別永住者 国籍条項 憲法25条が根拠→70年以降ざんじ撤廃 『育英会』『公務員採用』『児童手当て』 82年に国民年金に加入する権利 無年金者の多さ 障害者給付金 岡山市倉敷市備前市 年額30万 高齢者給付金岡山倉敷で月1万 国民健康保険 86年よりすべての外国人が加入できる 生活保護 90年より定住者以外の外国人には適応されなくなる 国体 ざんじ参加が認められているが、朝鮮学校は認められず 社会人は永住者に限り06年より 地方参政権 請願書採択は増えている
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2005年08月24日(水) ■ |
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『西の魔女が死んだ』 梨木香歩 |
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『西の魔女が死んだ』新潮文庫 梨木香歩 『読者が選んだ新潮文庫』の第1位に選ばれていたのでこの本を買った。別に宣伝文句に踊らされたわけではなく、このアンケートのベスト10を見てみると、この本含めて三冊ほどはまだ読んでいなかったが、わたしの読んだ7作品はすべて忘れることの出来ない作品ばかしだった。この読者アンケートは信頼できる。それのさらに1位なのだから、期待できると思ったのである。
期待は裏切られなかった。個人的には第3位の『夏の庭』(湯本香樹実)のほうが好きなのだが、これもなかなかどうして、ぐっとくるものがあった。
重松清氏の書くいじめ小説のなかで出てくる少女はなぜか強いのであるが、私が思うに、普通の少女は決して最初から強くは無い。少女はどうやって強くなっていくのか、そのことの例えばひとつの答えがここに在る。その秘密を知れば、大人も少しは強くなれるかもしれない。 (05.08.10)
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