TRPG回顧録
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2003年08月15日(金) 夏の祭典戦利品。

今日は夏の祭典でしたのでその戦利品の感想などを書いていきたいと思います。




しかし最短で19日までは本業の方面で忙しいため短いもの2作品を読んだに過ぎません。(恐らく25日くらいまで忙しいかも??)




一点が本を買ったそのサークルの絵描きさんが今までプレイしたキャラクターの設定やイラストを載せた本でした。




これは今ネットカフェにいますので本の名前などは控えてないので今は分かりませんが、(これは自宅よりネットできるようになったら直します。)俺的には非常にいい本だと思いました。





私は商業、同人を問わずリプレイ本に関しては否定的な意見を持っている人間です。




と、いうのは基本的に予定調和でしかない一本道のシナリオをライターや参加しているプレイヤー達による自己陶酔的な文章表現を受動的に読まされるのは苦痛でしかないとの理由でです。





ま、一部これに該当しない作品も多数ありますがそれは読んでみないとわからない、っていうのが痛いです。





そして、上記を踏まえた上で今の自分にはそこまで読んで作品の優劣を見極める時間が今の自分にはないというのも理由にあります。




多分商業でまともにリプレイがかけたのはSNEだけでしたね。(過去形)





加えていつまでもキャラクターが死なない、読んでいても何のスリルも感じない続編が大量に出つづける同人リプレイは多分読んでいても眉一つ動くこともないまま巻末まで読んでしまうでしょうな。








悪い意味で。








そんな訳で、リプレイでなく、遊んだキャラクターのイラスト、ステータス、簡単なプロフィール、そのキャラクターへの感慨をまとめた本の制作。




これだけでサークルの活動報告としては充分なのではないかと俺は読んでて思いました。




多分に絵師の才能による部分もありましたが、読んでいて彼らのキャラクター達と冒険に出てみたいと感じました。



しかも内容が読みやすく(レイアウトも自分的に読んでいて良かった。)内容の把握が容易で何回も読み返せる、これは非常に理想的な本だなと思いました。




やはり、リプレイなどと自分らに都合にいいようにまとめられた脳内麻薬の産物を読まされるよりも何倍も良い本だと思いました。(ま、そんな本と比べるだけ失礼でしょうが。)



TRPGの同人誌としては非常に秀作であると感じました。



続いてもう一点が同じサークルさんの絵師さんの片方が描かれたこみパのキャラクターを使って描いたあずまんが風の4コマ漫画。




題材はTRPGに関した内容で、主に某社のゲームやJGCについてです。




非常に某社への毒の吐き方が良かった。



非常に的を得た内容で良かったです。



是非スーリエルージュでこの絵師さんとご一緒したいなと思いました。



ちなみにもう終わってしまいましたが場所はラ−11 AGYO−さんでした。



次回も是非いろいろな冒険をされて多数のキャラクターを描いて行っていただきたいです。



その他の本に関してはまだ全然目を通してないので25日以降目を通していきたいです。



2003年07月29日(火) 話変わって(駄文)

今日は今までのテーマと変わって駄文です。


今日は久し振りにTRPG遊びたい病がぶり返してきました。

ホントに血反吐を吐くまでD&Dが遊びたいです。


しかし、突発的に遊ぶと言ってもマスターする時間的余裕もなし。


俺を満足させられるマスターも世の中に極僅かです。


世の中にはD&Dをただ10年やっているだけの人と10年ガッチガチにやっている人の2種類の人種がいるのですが、


ただ10年やってるだけなら余裕でマスタリングやルール解釈で説き伏せるだけの自信あり。




手前ぇ、何年やってんだ。


ってな感じで。


去年JGCへ行った時、3日目で酷いクラッシクのDMにあったんです。



その人は自己申告では10年選手なのですが、マスターフレンドリーなマンチキンなプレロールドキャラクターしか用意せず。


所持品もゴミみたいなものしか寄越さず一切の等価交換なし。


すいません、こっからはルール知らない人を置いていって話を進めます。


まずウェポンマスタリー。


9LVで作成しファイターはロングソードとライトクロスボウをスキルトでとっている他は全部ベーシック。


しかも武器はロングソード以外なし。


マスターにライトクロスボウを持ちたい旨を伝えるも




DM「ダメです。」




他に色々基本装備で不足があり、無償か等価交換でその物品を持ちたい旨伝えるも




DM「ダメです。」




の一点張り。



トドメにクラシックなのに、



戦闘はヘクス、クラシックなのに1マス5Feet(これは別にいい。)。




しかも恐らくルールもろくに知らないのにスペースリクワイヤを導入しています。




つまり武器を振る場合隣接してたら当たるかもよ?




ッてなことを匂わしてくるの。





それで俺はというと、





俺:「そういったルールをAD&Dに譲って簡略化して作成されたシステムであるクラシックの戦闘でワザワザその処理をするのですか?」




と聞いてやりましたとも。




そうしたらそのマスター(多分俺の言った意味を10分の1も理解してないでしょうね。)臆面もなく






DM「ハイ。」(即答)






って言いましたとよ。




それでなんとなくその日のゲームが予想つきました。





これ以上はもう何も言えません。





ココまでルールに対して理解してないマスターだとゲームしずらいと思いました。




恐らく向こうでは私がゲーム中に何をやっているのか、または何を言っているのかもわからなかったでしょうね。




おまけに上記の戦闘システム、雑魚戦でしか使わず






ドラゴン出てきた瞬間にヘクス使わないで簡易戦闘に変えようとしやがんの





それでパーティ全員ブレスの射界に入れて葬ろうとするの。




これには全員で反対した。




しかもこのマスター、ドラゴン戦でヘクスを使用しない理由は




DM「ドラゴンのフィギュア持って無いから。」






俺の気分は例えるなら






将棋という看板に騙されて本将棋をしに行こうとしたら、


やっていたのはただの回り将棋だった気分。








もう殺意すら通り越して呆れました。









しかも全員で抗議する中反対を押し切って簡易戦闘を続行。









強引に全員をブレスに入れようとするので、俺は已む無くマスターを引っ掛けることにする。





俺:「確かドラゴンって最初に1D6して1を出さないとブレス吐けないんだよね?」





ってカマかけてやった。





本当は他にもルールがあるんですけど俺は相手によってそのルール出し方や
ニュアンスをぼかして出すんです。






んで他のプレイヤーを同調させて反乱を企てる。







それでビックリしたのがこのDMどうするのかと思ったら、





DM「わかりました、



素手で殴った方が強いので



素手で殴ります。」















!?








アナタハニホンゴモシャベレナイノデスカ??









すまねぇ、これ以上俺を笑わせないでくれ。





これ以来もう俺は自称10年選手のD&Dプレイヤーを信用しない事にしました。






だって俺のほうがマスタリング上手いもん。






これで勉強になったのは細かいウェポンマスタリィの運用と普段俺が恵まれた環境でD&Dしてんだな。



ってこと。





正直途中でマスター俺が変われば良かった。





俺「だってプレロールドキャラクターでしょ?


あんたの作ったキャラは誰が動かしても変わらないでしょ?



君が僕の使っているキャラ使っても同じでしょ?



だったら君と僕の席を替わってよ。



僕の方がマスター上手いから。



ってな事言って。







2003年07月25日(金) マスタースタイルその2

さて今回は前回の続きです。


前回は具体的な演出的マスタリングと監督的マスタリングについては書きませんでした。


ぶっちゃけ眠かったんで。


前回の道端の石で極端に例えますと



道端に転がる石に絶対に転ばせないと気が済まないのが監督的マスターで


道端に転がる石に意識を向わせてうまい使い方をプレイヤーに考えさせるのが演出的マスターといったところでしょうか?


それで前回全然ふれませんでした戯曲(脚本)に関して申しますと、


定義としましては

作家が上演を目的とした対話や人物の行動を中心に描いた作品ということですが、

この他に言語によって表現された文学作品として必ずしも上演を目的としない読者によって読まれるためのものも含まれます。

加えて脚本に関しましては戯曲を上演用にをト書き入れて文字で表現した物を言います。(意味的には戯曲と脚本はほぼ同一)


それで前回私はRPGと演劇の違いは純粋に戯曲(脚本)の有無だと書きました。


テーブルトップのRPGには便宜的にシナリオ(私はこれを筋書きと解釈します)がありますが、第3者が読むための整えられた文章が存在しない(基本的にシナリオはマスターが自分でやるために(自分で読むために)作成している。)という意味で捉えています。


ただ、コンベンション用に整えられたシナリオはある意味脚本であるとも
いえますがこの場合は正確には台本に意味合いが近くなってきます。

台本:上演に必要な条件、指示などが記入してある脚本のことです。


ま、こうして厳密な意味を挙げて行きますと戯曲(脚本)は確かにRPGの世界には存在しないなと言えます。


それで自分のゲームスタイルについて考えますと、私はその世界の日常の一部分を切り抜いて、そうしてその一部分でプレイヤーの皆さんに遊んでいただくというスタンスを確立していきたいのだなと思います。

自分が今まで見てきた先人のマスタリングを見てきますとそういったスタイルのマスターさんたちに大変影響を受けてきた様に思われます。

そして再度挙げるRPGと演劇の違い。

演劇は上演する物だけに上演時間という尺に縛られています。

その縛りは戯曲によるものだと思います。

(また書いた人間と違う人間が関わって制作していくものだという違いもあるでしょう。)

そして最大のRPGとの違いとRPGの強みは、その設定世界でその物語を納得ゆくまでキャラクターとして遊びこむことができるという違いでしょう。

私が考える演劇とRPGの相違点は一にそこにかかってくるのではないかと思います。


もっと簡単に言える気もするのですが、眠いので今日はこの辺で。


テロ牧師

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